どれだけ前の晩が散々でも、相も変わらず朝は来る。家に帰ってきて、現実から逃げるように目を閉じた私は、いつものように、中学のときから使っている、テニスのラケットを持って部活に出掛けた。
三年生も引退して、もうとっくに玉拾いを卒業して、部活が楽しくなってきている頃だというのに、今日は義務感しかなかった。
「イチこーう!」
「ファイト!!ファイト!!」
走り込みをしているときも、掛け声をしつつ上の空と言う感じで、先輩に怒られてしまった。しっかりしないと。自分で自分を叱咤しないでどうする。
でも、ときどき考えてしまう。学園生活のほとんどを部活に費やして、これは本当に、自分がやりたいことなのだろうかと。
テニスは好きだ。だから、この部活を選んだ。そして、一年間続けてきた。それで?私は、テニスに三年間費やすほどの価値を、この部活に見出だしているのだろうか?
答えはNoだ。そんなはずはない。もしそうだとしたら、あの、"フィルム・クラブ"に入らなかった。
もっと楽しいことを、もっと、私が熱中できることを、求めたりしなかった。その結果が、今の私なのだけれども。
「・・・河瀬、聞いてる?」
そして、月曜日の登校中。今日は、部活が休みなので石井くんと登校することにした。いつも通り、彼は時間ギリギリに来た。時間は早めに設定してあるから、余裕はある。
「ご、ごめん。。。なんだっけ?」
「だからさ、プロットだよ。プロット。そろそろでしょ?だから書いてるのかなって。」
プロット。私の作品の、プロット。
彼は、私が悩んでることなんて気が付いていないだろう。彼はそういう人だし、とっくの昔から解っている。それが彼の長所であり、短所であるのだから。
「・・・私はッ、」
「ん?」
声が詰まった。私、今何を言おうとした?
今、何を彼にぶつけようとした?駄目だ。彼はなにも悪くないのだ。悪いのはすべて私だ。どうしようもないことで、悩んでいる、私だ。
「・・・ちょっと、進んでない、かな。」
「そうなんだ。じゃあ、急がないとじゃん。そんなに遠くないよ?」
「だよね。。。」
結局その日は、私は放課後の部活を休み、また、現実から逃亡した。
『私のやりたいことって、なんだろう。』
そんなことをぐずぐずと考え、そして、日は巡ってフィルム・クラブの日になってしまった。
私が席を立ち、まだぐずぐずと考えを巡らせていると、宮川さんが話し掛けてきた。
「・・・あの、河瀬さん。ちょっと。」
「はい。」
彼は、きっと人のことを良く見ているのだろう。少なくとも、私の幼馴染みよりは。
「非常に言いにくいのですが、無理を、していませんか?」
「・・・」
私は。
「二人はレベルが高いから、無理して会わせる必要はないんですよ。」
知ってる。解りきってる。そんなこと、一週間も前から。わかっているんだ。
「こんなことを言うのは酷かもしれませんが、技術の方で、映画を支えるという関わり方もあります。」
技術。つまり、私の作品は
「無理をする必要なんて・・・」
「だから、そんなことありませんって!」
私の口は、勝手に動いた。私の、声を閉じ込めてくれなかった。宮川さんの、驚いた顔が見える。部屋の視線が私に集まっているのが、わかる。
先程までの騒がしさはなく、静寂だけが、ただただそこにある。
「おい宮川!お前、なにこそこそ口説こうとしてんだ?見損なったぞ!」
ふと、さっきの私のものよりも大きな茶化すような声が、部屋に響いた。見ると、伊丹さんが、本を閉じてうっすらと笑っている。でも、目は合わない。逸らされた。
「河瀬、嫌だったら殴っていいんだぞ。」
伊丹さんの言葉にワンテンポ置いて、溝口さんが宙を殴りながら私に言った。
二人のお陰で、空気は少しだけ和んだ。皆、それぞれの作業に戻っている。
「すみません、そういう訳じゃないです。」
だから私も、少しだけ笑って、笑顔を作って、皆に弁明をした。そして自分の席についた。
「河瀬、どうしたんだ?」
石井くんが、話し掛けてきた。
彼は、笑っている。笑顔で、話し掛けてきた。
本当に、空気が読めない。
「・・・いてよ。」
私は、もう、押さえられなかった。さっきも決壊したのだ。それが、こんなにすぐに繕えるわけがない。
「え?なに?ホントにどうかしたのか?」
しつこく聞いてくる彼に、私は、とうとう叫んだ。
ただの、八つ当たりだ。
「だから、ほっといてよ!!私の気も知らないで!!」
きっと、私は大馬鹿者だ。私のせいで、空気がとても悪くなった。また、視線が私に集まってくる。
「ご、ごめん・・・。」
「石井くんには、付いていけないよ。」
これは、どういう意味で言ったのだろう。
私にも、わからない。でも、きっと、本心だ。
「はい!じゃあ、始めるぞ!」
私のせいで悪くしてしまった空気を、溝口さんが無理矢理、会議に塗り替えた。
でも、私は、ときどき少しだけの言葉を発するだけで、ほとんど集中していなかった。
『技術の方で映画を支えるという関わり方もあります。』
宮川さんの、言葉だ。
彼は、カメラマンだそうだ。だから、いつもそうやって映画を支えてきた。
どれだけ素晴らしい脚本で、どれだけ素晴らしい演出で、どれだけ素晴らしい役者が揃っても、それを記録するための技術が無いと、何の意味もない。
「技術をやろうかな。。。」
悪くはないと思う。むしろ、惹かれたのだ。縁の下の力持ち。私の性に合っているのではないか。思えば思うほど、それが、正解なのではと思う。
いや。
これが、『私のやりたいこと』なのかもしれないと、何故だかそのときは確信していた。一片の疑いもなかった。皆無だった。
まず、深呼吸をする。
周囲からは誰の作品がどうとか、設定がなんだとか、ロケ場所が大丈夫だとか、色々と聞こえてくる。でも、一番大きいのは心臓の音だった。
そして、手を、真っ直ぐと、上に挙げた。
「どうした?」
溝口さんが、私に問いかけた。
それに、私は答えるのだ。もう。決めた。
「私は、企画レースから降ります。」