「私は、企画レースから降ります。」
河瀬の透き通った声が、メンバーの視線を引き付ける。
僕は、驚きのあまり思わず彼女にこう言った。
「なんで、いきなり・・・?」
河瀬は、溝口さんに説明を始める。
「私は、私は本当は、企画をやりたいです。でも・・・」
河瀬は、少し俯いて、言葉を繋げる。
「本多さんが言うように、随所の爪の甘さは自覚しています。だから、」
そして、前をキッと向いて、決意を固めたようにこう言う。
「だから、経験を積みます。他の人の作品に携わって、経験を積みます!」
僕はとても驚いた。
正直、河瀬がレースから降りるとは思っていなかったし、そんな可能性にすら気がついていなかった。
僕の反応とは裏腹に、溝口さんはとても冷静に答える。
「ああ、構わない。それでも。いいと思う。で、今回はこれから何をやるんだ?」
河瀬は、宮川さんの方に向き直る。
「宮川さん、その、さっきはすみませんでした。宮川さんの、おっしゃる通りでした。」
河瀬は、すぅっと息を吸って、言葉を吐き出す。
「・・・だから、私にカメラを教えてください!」
頭を大きく下げる。
しばらくの沈黙のあと、宮川さんはニッコリと笑って承諾する。
「わかりました。一緒に、カメラをやりましょう。」
宮川さんの言葉に再度深々と頭を下げる河瀬。宮川さんと握手をして、席に戻る。
「うん。これで、伊丹と石井の一騎討ちになったな。」
そして、私のプロットを抜きで進められた企画会議は、伊丹さんのもので決定となる。
「待ってください!!」
はずだった。
石井くんは立ち上がり、決定の言葉を遮る。ほとんどが驚いている中、伊丹さんだけは、うんざりとしたように彼を睨み付けた。いや、睨んだわけではないが、彼の眼光は常に威嚇をされている錯覚に陥る。
「なんだ?まだ言うことがあるのか?」
何をしているのだろうと。
私は率直的に思ってしまった。もう決まろうと言うのに。これは無駄な足掻きだと。
それでも彼は、頭を下げ、審査員に食い付く。
「お願いします!あと一回、チャンスをください!」
「・・・そうはいってもだな、企画を決めるのは早いに越したことはないんだ。」
それもそうだ。特に、私たちのようなそれを仕事にしていない、しかも学生が映画の製作に費やせる時間はたかが知れている。私も、部活などがある日は参加が出来ない。
「そこをなんとか、曲げてもらえないでしょうか・・・!」
「しかしだな・・・」
彼が、鶴の一声を発した。
「いいんじゃない。別に。」
それは本多さんだった。
溝口さんは、驚いたような顔で本多さんのことを見る。
「お前、何言ってるんだ?これ以上時間をかけても、伊丹の優勢は変わらないぞ。」
「この程度でくたばってしまうようだと、一端の会員として認められないね。」
本多さんは、挑戦的と言うか、挑発的と言うか、少なくとも、いつもの彼のような飄々とした雰囲気ではない声だった。
どこか、この馬鹿みたいに真っ直ぐな少年が作る何かを、期待しているようにも見えた。
「はあ・・・わかった。本多がここまで言うなら仕方がないが、お前はあと一週間で、伊丹の企画に並べられるように修正ができるのか?」
溝口さんは仕方ないと言うようにため息をついて、石井くんを問い詰めた。
「はい。たぶん・・・いえ!必ず。」
彼は、前を見て、前を向いて、そう答えた。
「もし次の一週間で進展がないようなら、脱退もやむ無し。」
場の空気がまとまろうとした、そのとき。溝口さんの言葉で、私は驚いて立ち上がった。
「そ、それは流石にやりすぎですよっ!」
「確かに。ちょっと、重すぎじゃないですかね。」
「溝口、これは。。。」
内田さん、宮川さん、本多さんが立ち上がり、溝口さんへと抗議をする。私も続こうとした。
何が言える?
「・・・っ」
感情で突き放した彼に、何を言う資格がある?
私は、彼が抗議をしたとき、確かに思ったのだ。『無駄な足掻きだ』と。そうやって、彼の作品を否定したというのに。
私は何も言わずに座った。何も言えなかった。
その後は、石井くんと伊丹さんが言い争いをして、あわや大喧嘩となったところを溝口さんが二人を追い出した。
荷物を肩に引っ掻け、大股で部屋を出ていく二人の足音が聞こえなくなったところで、本多さんは満足そうにこう言った。
「喧嘩と花火は江戸の華ってね!いや~。面白くなってきたねぇ~。」
それに呆れた様子で溝口さんが突っ込む。
「・・・ここは江戸じゃないぞ?」
「わかってるよそんくらい。」
もしかして、二人とも、こうなることを分かってたのではないか。もしそうだとしたら、この二人は相当食えない人達だ。あえて正反対の二人をけしかけて衝突させた。その方が、きっと"面白い"映画を撮ることができるからだろうか。
「河瀬さん、ちょっと、こっちに来てください。」
「あ、はい・・・。」
私は宮川さんに呼ばれて、機材を並べている壁のところへと向かった。
「じゃあ、まずは基本からですね。」
彼はそう言って、愛用のカメラをカメラバッグから取り出した。人目見ただけで、手入れが行き届いているのがよくわかる。
「カメラは、こうやって持って・・・そうそう。それで、この赤いマークのついたボタンを押すと、録画ができるんです。大抵のカメラはこれで録れます。」
言われた通りにカメラを手に取る。ずっしりとした機械は、少し私の手には大きかった。
「このレバーがズームとルーズで、それから、ここで簡単な露出補正ができますよ。」
ある程度の、本当に基本的な説明をして、そして彼はこう言った。
「じゃあ、今度来るときに、カメラを家から持ってきてください。」
・・・え?これだけ?
本当に基本的な、それも一度ビデオカメラをいじったことがあれば誰でも分かるような。そんな内容だった。もっと色々な知識を詰め込まれると思っていたので、拍子抜けした。
「飲みますか?」
ぼーっとしていると、ふんわりとした声の方から、紅茶の香りが漂ってきた。振り向くと、宮川さんがミルクティーを愛用のカップで作っていた。
「じゃあ、お言葉に甘えて。」
なんだか、変な人だなと。
少しだけ、そう思った。
「おやっ、宮川の紅茶かぁ。僕も飲もうかなぁ。」
「どうします?」
「マスター、いつもので!」
「わかりました。」
そこに本多さんがやって来て、宮川さんにカップを差し出す。このフィルムクラブでは、各々が自分のマグカップを持ってきているのだ。私も1つ、家から持ってきた。
「ねえねえ。河瀬さん。」
「はい?」
突然、神妙な表情で本多さんが話しかけてきた。
「今の、"マスター"じゃなくて、"店長"の方がよかったかなぁ?」
「え?」
なにかと思った。本当に反応に困っていたら、溝口さんがこんなことを言ってきた。
「河瀬。そいつの言葉は話二割くらいで聞いてろ。」
「えっ、それは酷くない?」
「お前と半分も話してたらこっちの頭がおかしくなる。お前についていけるのは、うちには
「呼びました?」
「聞いてよウッチー!溝口が僕のこといじめるー!」
「紅茶、入りましたよ。熱いので、気を付けてくださいね。」
宮川さんがミルクティーを持ってきてくれた。私と、本多さんにカップが渡される。
「ありがとー!」
「ありがとうございます。」
少しだけ冷ましてから紅茶を飲んだ。
なんだか甘くて、ほっとした。