自主的にと言うか、特に集まる予定の日ではないけれど、私は廃校舎に向かった。こんなことは初めてだ。
「お、河瀬か。珍しいな。今日は会議の日じゃないぞ?」
「溝口さん。おはようございます。」
そこの扉を開くと、部屋の奥で読書をしていた、小柄な女性が顔を上げた。
部屋を軽く見回して、目的の人影を探す。
「あの、宮川さんは来てませんか?」
「あー、アイツは今日はまだだな。あと一時間くらいしたら来るだろ。なにか用があったのか?」
「はい。まあ、大したことじゃないんですけど。」
「だとしても、珍しいな。河瀬がこんな時間に来るなんて。」
「えっと、時間出来たので。」
そうか。じゃあ、
と、彼女は立ち上がり、紅茶をカップに注ぎ始めた。
前から思っていたが、彼女は育ちが良さそうだ。座っていても立っていても姿勢が良いし、この紅茶を注ぐ仕草ひとつをとっても、とても映える。あとはこの口調がもう少しおしとやかなら、完全に良いところのお嬢様だろう。というか、本多さんに聞いた話、実際そうらしい。
「ストレートで良いか?」
「ありがとうございます。」
私のカップにも紅茶を注いでくれる。
なんというか、とても静かで、居心地が良い。
「・・・伊丹のことなんだが。」
ふいに、溝口さんが口を開いた。
「は、はい。」
「あまり、悪く思わないでやって欲しい。」
「え?」
「いや、そのだな。。。アイツは、自業自得なところもあるが、勘違いされやすくて・・・だな。まあ、本当に口も悪いし、態度も悪いし、素直じゃないし、ひねくれてるし、目付き悪いし、社交性悪いし、愛想悪いし、その癖なんか人脈あるし、背高いし、黒いし、髪切んないし、趣味優先でやってんのに学校で特待生だし、そのくせなんか才能があるし、背高いし・・・」
溝口さんは止まらなくなったのか、ぶつぶつと伊丹さんについて挙げていく。念が籠っていそうなほど真剣に呟いていて、少し怖くなってきた。
「み、溝口さん・・・?」
「あ、いや。なんでもない。とにかく、まあ、勘違いされやすいんだ。色々と、な。だから、理解してやって欲しいんだ。アイツのことも。」
「・・・はい。あの、でも、どうしてですか?」
「いや、まあ、・・・・・・・その、近頃様子が変だから、伊丹がまた新人になにかをやらかしたのかと・・・。あ、もしかして、私の早とちりか?いやそれならいいんだが・・・」
何やら慌てたように言う溝口さんの様子を見て、場違いなのかもしれないけれど、少しだけ顔が綻んだ。
「いえ。その、もう、なんというか、自分のなかで整理がついたので平気です。」
「そうか。あ、そうだ。せっかく来たんだ。ちょっと、私の
「はい。是非、見てみたいです。」
彼女が鞄の中から、ホッチキスで留められた30枚程度の原稿用紙の束を出す。表紙には、タイトルを試行錯誤した跡がある。それを受け取り、頁をひとつめくり、中身に目を通していった。
内容は、簡単に言えば独りの少年の葛藤を描いた物語だ。親の死を切っ掛けに自身の出生の秘密について知り自身の存在意義を問う。やがてその少年は、自分の生まれた意味を探すため、小さな旅に出るのだ。
その脚本は、細部まで細かく演出の手順が書いてあり、読んでいるとそれだけで映像が頭に浮かぶ。脚本、というよりは"理想"とでも言うべきものだ。彼女はこの"理想"を映像にして、形にして、そして語ろうとしているのだろうか。
「どう、だ?」
台本の最後の頁を読み終わった辺りで、溝口さんがおずおずと訊いてくる。
「面白いです。・・・なんだか、とっても綺麗で。」
彼女の台本は整っていて、文学的とも、芸術的とも言えるようなものだ。もしこれをそのまま映像にすることができたら、きっと素晴らしいものが出来るのだろう。
「そう言ってくれると嬉しいよ。ただ、これもあまり納得できていなくてな。」
「そうなんですか?すごく面白いと思うんですけど。。。」
「ああ。まあ、言い出したらキリがないんだが、一人旅を始めるための準備をしているところとか。なんだかご都合主義な感じがしてしまって。それにな・・・」
彼女は恥ずかしそうに、でも次第に饒舌に話していく。
ああ、本当に、映画を創るのが好きなんだなと、少し羨ましく思う。
「そういえば、その点、河瀬のは良くできていたと思う。プロットだけだったが、人情というテーマを扱うには良いものだと思う。」
「・・・。」
急に私の話題が出たものだから少し驚いてしまった。
「私は正直、河瀬のに期待してたんだ。他の二人も、随分と良かったけどな。まあ、カメラがやりたいなら、それも善し。次から企画出しちゃいけないってことでもないしな。」
「・・・。」
「うかうかしてると、抜かれるかもしれないな。伊丹も。才能ある新人が二人も入っただなんて。次は、
気が付いたら、私は立ち上がっていた。
「河瀬、どうした?」
少し驚いたような、間抜けな顔をした溝口さんに私は早口で答えてしまった。
「練習、行ってきます。」
家から持ってきたビデオカメラを引っ掴み、フィルム・クラブの部屋を飛び出す。そのまま廃校舎の廊下を走っていった。
気分が高揚している。口角が上がるのが分かる。そういえば、学校の廊下で走るなんて初めてかもしれなかった。少し火照った顔に冷たい風が当たる。
だって、思ってもいなかったのだ。
人に作品を褒められるのが、こんなにも恥ずかしく、そして嬉しいものだなんて。
私は、ある場所への路を、晴れた路を、走って行った。