あの味を求めて幻想入り   作:John.Doe

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 大変なご好評と続編希望のお声を頂きましたため、短編の連作という形で継続させていただくことになりました。その記念すべき第一弾、どうぞお召し上がりください。


半人前の鍋焼きうどん

「では、失礼します」

「ありがとうございます井之頭さん、おかげで助かりました!」

 首都圏某所にある、特徴といった特徴のない喫茶店で商品の取引を一件終えた井之頭五郎。慣れた手つきで胸のポケットから煙草とライターを取り出して、春一番が過ぎたばかりの空に紫煙を揺らす。

「ああ……煙草吸い始めたけど、腹が減ってきた……お腹ペコペコリンだ」

 そうとなれば腹を満たすために動く以外の選択肢はない。駐車場まで少し距離があるから、この辺りで店を探して、腹を満たしてから駐車場へ向かおう。そう五郎は決める。春も始まったばかりの今日、まだまだコートを手放すには辛い時期だ。煙草の熱を失うのを惜しみながら、灰皿へ煙草を捨てる。大通り側とは反対側へ歩を進め始る五郎。五郎の勘は、大抵大通りよりも少し細いくらいの道の方がウマい店があるのだと告げている。それに逆らう理由は今の彼にはない。

 

「うん、いいぞいいぞ。こういうところは嫌でも期待が高まるってもんだ」

 思わず五郎の顔がほころんだ。昭和の香りがわずかに漂う、と言うべきか。二階建てくらいの建物が並んだこの通りは、食べ物屋ばかりで五郎の胸をはずませる。どこがいいか。五郎がまずは一通り、と歩きながら店を眺めていく。

「色々あるな……焼き鳥、居酒屋、和定食、ラーメン、うどん……迷うぞ」

 選り取り見取りといったところか、いろいろな店が軒を並べ、五郎を誘惑する。一通り見終え、端まで来たらしい。さて、一度戻ろうか……そう思って振り向いた瞬間、一瞬だけ視界が白く弾けたような感覚をおぼえ、立ちくらみに近い状態に陥る。それもほんのわずかな、一瞬といって差し支えのない時間であったが、問題はそのあとであった。今まで見ていた景色とは全く違う。軒を並べる店は一軒もなく、日本庭園の真ん中にでもいるような景色である。背丈の小さな松の木や枯山水、灯篭など、見れば見るほどやはり日本庭園然とした場所にいるらしい。

「うん? 一体何が起こったんだ?」

 理解が追いつくはずもなかった。瞬間移動した、とでもいうのか。訳が分からない。そんな心境だった。そんな時、不意に後ろから高めの声が聞こえた。

「みょん!? ど、どなたですか!?」

 再度、振り向く。すると、おかっぱ気味に切りそろえた銀髪に黒いカチューシャのように結んだリボン、そして緑を基調とした服をキチっと着た少女が箒をもって立っていた。背と腰には黒い棒のようなものがみえる。日本刀の鞘のようにも見えるが……いやいや彼女の背丈には大きすぎる。そんなことを考えている五郎に、その少女はもう一度訪ねた。

「あ、えと……井之頭五郎です。信じてくれるか分からないけれど、気付いたらここに……」

 あまりにも突飛な現状に、五郎の口調が安定しない。そして同じく、予想外の回答を受けた彼女もまた、鳩が豆鉄砲を食ったようにぽかんとしている。一度心の中で五郎が言ったことを咀嚼して、ようやく少し彼の言ったことが理解できたらしい。

「えっと、気付いたらここに、ということはここがどこだかは?」

「さっぱり……」

 ああ、やはりか、と彼女は小さくため息を吐く。五郎がどういう意味か尋ねると、妖夢は少し長くなるだろうからと主に許可を取るのも兼ねて五郎を屋敷へ招き入れる。

 

「うーん……随分大きいな。学生の頃行った三十三間堂より広いぞ」

 スタスタと歩く妖夢を追いながら、五郎がひとり言をもらす。走って幾分かかるのか分からぬ程に長い廊下だった。それが隅々まできれいに磨かれていることもまた五郎を驚かせる。そしてもう一つ、彼が気付いたことがあった。目の前を行く彼女――魂魄妖夢と名乗った――は、剣術を身に着けているらしいこと。それは彼女が背負っている二振りの大きな日本刀もそうだが、素早く、そして隙を――――恐らく無意識的に――――見せず歩く彼女のそれは、剣道などでよく見る「摺り足」であろう。古武術を身に着けている五郎だからこそ気付けたことかもしれないが、どうも彼女を怒らせるのは避けた方がいいらしい。

 

「すみません、今主は手が離せないようなので、代わって私から説明します」

 少々疲れをおぼえるほど歩いたところで部屋に通され、主に話を通してくると五郎を座らせて待たせていた彼女が、ふすまを開けて部屋に戻ってきた。畳の匂いに差し出された茶の香りが混じり、まさしく日本家屋という香りを充満させる中、五郎は姿勢を改めて妖夢と卓越しに向き合った。

「まずここがどこかからお話します。単刀直入に言うとここは冥界。要は死後の魂が集まる場所です」

「え……冥界?」

 五郎が思わず聞き返す。死後の魂が集まる世界、ということはつまり……

「じゃあ、俺は死んだってことになるのか……? そもそも天国だとか地獄だとかそういうのにつながるような世界があることに驚きだけど」

「分かりません。と、言うのも、冥界で生者が姿を保つことができる方法もあるからです。実際、こちらへ足を運んでくる人間も数名います。貴方は気付いたらここに、とおっしゃいました。その直前までは何か自分に危険がふりかかっていたようなことは?」

「そうだなぁ。降ってくる植木を置いてるような店もなかったから、心当たりは……」

 そこまで聞くと、妖夢は一つ、今度は安堵のため息を小さくもらした。そして五郎に、死んだからこの世界に来た、という可能性が低いことを教え、五郎も安堵のため息を漏らした。

「こちらか、閻魔かどこかの手違いで呼び寄せてしまったのかもしれません。元の場所へ戻る方法はそう時間もかからず見つかるはずですよ」

 それを聞いて安心した、と五郎は茶の入った湯呑を手に取る。湯気が薄らと漂うそれを口元へ持っていったまさにその時、五郎の腹が盛大に音を立てる。五郎はそれにわずかに顔を赤らめて動きを止め、妖夢は妖夢で再び鳩が豆鉄砲を食ったかのように目を見開いて、少ししてからわずかに吹き出すように笑った。

「はは、安心したら腹の虫がわがまま言いだしたな……昼を食べ損ねたからな」

「そうなんですか。じゃあ、お昼位ならお出ししますよ。どうせお待ちいただく時間はありますから。私は庭の手入れがありますので」

 その申し出に五郎は素直に感謝し、じゃあ、と申し出を受け取る。少し待っていてください、と席を外した妖夢が戻ってくるまで、再び茶を楽しみながら庭を眺める。まさかとは思うが、この庭を一人で手入れしているのだろうか。いやいや数人単位だろうな。そんな考えが空腹にかき消されつつあった。

 しばらくすると、部屋に醤油ダシの良い香りが入ってくる。ノックもないその来客は、五郎の空腹感をさらに掻き立てる。すぐにその発生源を持った妖夢が部屋に入ってくる。

「お待たせしました。簡単なもので申し訳ありませんが……」

 テキパキと妖夢が小さな土鍋と蓋のしてある椀を五郎の前に並べ、茶を足すかどうかたずねる。五郎はその好意を受け取り、茶の注がれる間に少しネクタイを緩める。こうも美味しそうな料理を前にすると、このきつく締めたネクタイはただ煩わしいというものだ。

 

「では、私は席を外しますので。ゆっくりお召し上がりください」

「うん、ありがとう」

 引き留める間もなく――――といっても引き留める気はなかったが――――妖夢がふすまを閉めたその直後、五郎は火傷しないように慎重に土鍋と椀のふたを開ける。

「おお、これは……」

 五郎の鼻を、醤油と卵の合わさった香りの嵐が襲った。湯気にまで味がついているような感覚に陥る。鍋焼きうどんと茶碗蒸しだった。

「へえ。溶き卵で作った鍋焼きうどんか。卵とじみたいだな……おっ、ほぐすと出汁と卵がダンスして絡み合う……いいぞ」

 ネギ、ゴボウ、鶏肉、シイタケが、卵とじのような鍋焼きうどんがほぐれるときに一緒に絡み合う。卵スープの卵とは違う、もっとずっしりと麺に絡む、本当に卵とじのような卵の量だ。湯気がもうもうと立つそれを、口を火傷しないように、かつ豪快に啜りこむ。

(おお……うどんが連れてきた卵が、一緒につゆを連れてきた。うん、うん。いいぞ、仲良しこよし、鍋焼きうどんトリオは絶品だ。具もしっかり味を主張してるけど、喧嘩してない。これはトリオじゃない、家族だ。鍋焼きうどん家族だ。勢いに任せてズルズル啜っちゃうぞ)

 つゆがはねるのも気にせず、うどんを啜りこんでいく。そして三分の一ほど胃に収めたころ、そばに置かれた調味料の容器に気付いた。木でできた瓢箪のような小さな容器に入っているのは、どうやら七味唐辛子らしい。ふむ、と何か納得したような表情で、五郎は一振り二振りほど土鍋に落とす。それを同じようにすすると、今までとは違う味が口になだれ込んできた。

(ん……! これはすごいぞ。七味君が入ってきても喧嘩する気が一切ない。七味の七人家族と鍋焼きうどん家族の家族ぐるみのお付き合いだ。いいぞいいぞ、体も温まるし、この七味の香りと味が一層うどんの旨みをギュッと引き締める。卵とじうどん、いいぞ!)

 うどんがしっかりとした歯ごたえをもっているおかげで、より強く味を感じるらしい。具材もそれを手伝って、卵が連れてくるつゆの味が、普通の鍋焼きうどんよりも一層豊かに五郎の口の中で華を咲かせている。更に三分の一ほど食べ進んだところで、椀を引き寄せる。木の匙を手に取り、なめらかな茶碗蒸しの表面を軽く押すと、すっと匙が吸い込まれた。

「うん? よくよく考えれば卵が被っちゃってるな……いやいや、それはそれで」

 口の中へ茶碗蒸しを放る。これはシンプルなもののようだが、作りはとても丁寧で、基本に忠実に作っているのがすぐにわかるものだった。

(うん、これもいいな。具材はありきたりだし、鍋焼きうどんとは違って全体的にシンプルだけど、これが良いんだ。三つ葉の香りもいい。そうそう、これこそ茶碗蒸しなんだよ)

 スルリスルリと滑るような食感に舌鼓をうつ。いつの間にか、気付けば半分以上を胃に放り込んでいたらしい。食感の良さで今まで全く気が付かなかった。

「うん……しまったな、茶碗蒸しは後にも食べたいし、ここはうどんを先に頂いちゃおう」

 再びうどんに集中する。茶碗蒸しを食べた後のうどんの感覚はまた少し変わって感じる。

(おお、茶碗蒸しの後に食べると、今度は少し濃いめの味に感じるな。これもこれでいいぞ……)

 少し冷めたことも相まって、今まで以上に豪快にすする五郎。どんどんとうどんが無くなっていく。気付けばあと最後の一口を箸に挟んで、口へ持って行っていた。

(むむむ……ウマすぎてついつい我を忘れて食ってしまった。だけどそれだけウマかったんだからいいんだ、これで)

 妙な納得の仕方をした五郎は、茶碗蒸しのトドメへと取り掛かる。一口分をすくいとってはた、とあることを思いつく。匙をまだつゆの残っている土鍋へ潜らせ、つゆの滴るそれを素早く口へ運ぶ。

(予想通り、こうやって食べてもいけるな。うん、茶碗蒸しをこんな食べ方して美味しいと思うとは。でも同じ卵を使った料理だから美味しいんだな、卵が被っちゃってて大正解だ。うんうん、あっさりもがっちりも味が楽しめる茶碗蒸しと鍋焼きうどんなんてそうそうないぞ……つゆを滴らせて食べるのと、そのまま食べるのを織り交ぜて食べる。こんな食べ方するなんてそうそうない。こっちも鍋焼きうどん家族の親戚さんだ)

 あっという間に完食してしまった。茶の香ばしい香りが今食べたものを爽やかに流していく。口の中に無駄に残らず、後味まで良い。集中していて全く気にかけていなかったが、自分が汗でぐっしょりなことに気付いた五郎。風に当たりに外に出ると、その涼しさが一層満腹感を感じさせる。流石に人の家の庭で煙草を吸うわけにいかなかったが、それでも今日くらいはいいか、と思えたほどだった。

 

 しばらく涼んでいると、満腹感からか少しウトウトと瞼が重くなってきた。視界がだんだんとぼやけ、暗くなっていく。待つ時間があると言っていた、少しうたた寝するのもこんないい天気の日には悪くない。そう五郎が心の中で思ったその瞬間にはもう、五郎の意識は眠りについていた。

 

 

 

 ふっと目を開けると、目の前にいくつか子供用のカラフルな遊具があった。公園のベンチで、寝てしまっていたようだ。

「マズイマズイ。えっと、商談……いやその前に時間は……」

 腕時計を見ると、今日はもう商談はなかった。それにホッとした途端、腹の虫が鳴りだした。

「うーん、夢でも飯を食ってた気がするぞ……いかんいかん、腹が減ってきてしまった。時間も頃合い、飯にするか」

 そう思って席を立とうとしたとき、ふと後ろから声をかけられた。

「あのー、この地図の場所ってご存知です?」

「うん? ああ、ここならあそこの角を左に行けば見えるよ」

 二人組の女性だった。一人は白いワイシャツに黒いスカートと帽子のショートカットの子。もう一人は紫が基調の服に、外国の生まれなのか、きれいなロングの金髪の女の子だった。二十歳前後くらいだろうか。

「えー!? ずっとここら辺ぐるぐる回ってたのに! もう、行くわよ! あ、ありがとうございました!」

 白いワイシャツの方の子が慌て気味に頭を下げて、ロングの金髪の子の方はぺこりとしっかり頭を下げる。その直後白いワイシャツの子に腕を引っ張られて、苦笑いしながら走って行った。大変そうだなぁ、というよりも楽しそうだなぁ、という感想が真っ先に浮かび上がってきたのは、二人が一目見ただけで仲良しだと分かるほどの距離感だったからかもしれない。

「ははは、元気なのはいいな。どれ、今日はうどんでも食べられればいいな……」

 そういって五郎はベンチの背もたれにかかっていたスーツを羽織り、鞄をしっかりと忘れずに手に持ち、他に忘れ物が無いかさっと確認すると、彼女等とは反対の方向へ曲がって食事処の多い通りへと歩いて行った。


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