あの味を求めて幻想入り   作:John.Doe

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妖の山直送山菜蕎麦

「お待たせしましたー」

 店先にある、外の陽気と景色を楽しむことができる特等席に腰かけた五郎に、黒い小ぶりなお盆を持った女性店員が声をかける。そのお盆ごと受け取った五郎に軽く礼をして、店の中へ戻っていった。それを見届けるでもなく、五郎はお盆に目をやる。注文した通りの、桜餅がちょこんと乗せられていた。京都に出張に来た五郎の楽しみの一つが、この道明寺粉を用いた、関西方面の桜餅だった。関東のものとは違ってざらざらとした見た目の皮が特徴で、餡全体を生地で包んでいるものだ。大きな口をあけて、半分ほどをかじる。

「うーん。やっぱり京都だからか、味が上品だ」

 口の中に餡の甘さが主張しすぎずに広がり、道明寺粉のクッションとともに華やかな風味を演出する。丁寧に仕込まれたそれらは、シンプルかつ繊細に五郎を楽しませた。

(桜餅ってどうしてこう、結構なキツめのピンク色なのに、嫌悪感が出ないんだろう。桜への美的感覚と、餡との仲良しさからか)

 ゴクリ、と喉を鳴らしながら飲み込んだ後、湯気を立てる湯呑を手に取る。口に運ぶと、新茶とは違う香りが漂ってきた。

(お、今の時期に新茶じゃなくて番茶なんだな。新茶と違って、幼馴染みたいなコンビネーションだ)

 新茶ではこうはいかない。新茶を使えばいいという風潮を打ち壊してくれたような気がして、五郎は思わず頬を緩ませた。もう半分を口に運び、外の景色を見渡しながら咀嚼する。ちょうど桜も散り、葉桜になりきるころだが、満開の時とは違うこの葉桜の爽やかさも、五郎は嫌いではなかった。

「もう夏も近いな……そろそろ山菜の時期か」

 そんなことを言いながら、ぐっと背筋を伸ばし、その反動で息を吐く。ゆっくりと腕を降ろしながら無意識的に閉じていた目を開く。

「……あれ。俺、何してたっけ……?」

 ふと周りをきょろきょろと見回して、腰かけていた岩を見て少しばかり休憩しようと腰を下ろしたことを思い出す。少し寝てしまったらしい、と慌てて腰を上げて空を見上げる。まだ陽は高く……というよりも、よく考えてみると腰を下ろしたのは昼前であったはずだから、結構な時間こうしてしまっていたらしい。いかんいかん、とスーツの襟を正して鞄を拾い上げる。幸いにも誰かの悪戯にはあっていないらしい。

「さて。この後の予定は……」

 手帳を開くもほぼ白紙である。何せここ最近、手帳にメモしようにも、相手が日付を決めてくれないことが多く、直前になって連絡をもらうことのほうが多いからである。であるから手帳に書き込む予定のほうが少なく、それでも大事な予定が多いから確認せざるを得なかった。そして今日は、その大事な予定が一件入っている日でもある。幸いにも時間にはまだ余裕があるから、今から歩いて行っても随分と余裕をもって到着するはずである。今から里に戻って昼を食べて、それからでも十分間に合う程度には、だ。そんな考えに行き着くと、懐に手を入れて煙草の箱とライターを取り出す。慣れた手つきで口に一本をくわえこみ、小気味のいい音を立ててライターの火打石を擦る。火が点いた煙草の先から、ゆっくりと紫煙が漂い始めた。春の陽気と紫煙の香りに揺られるように、しっかりとしつつもゆったりした足取りで里を目指し始めた。

 

 日が頂点を過ぎてからしばらく、五郎はあれから十数分程歩いたというところで里に到着した。皆昼を終えたころらしく、慌ただしくも活気に満ち溢れた表情で仕事場に戻っていく。それを見て自然と、五郎の顔がほころんでいた。そんな心地良さを胸に抱いたまま店を物色し始めた五郎はしばらくして、一軒の店が目に留まる。藍色の暖簾に白字で蕎麦と染められており、高貴な色の暖簾のはずだが、どこか安心感のようなものすら覚えていた。

「蕎麦か……うん、いいな。今日はここにしよう」

 引き寄せられるように暖簾をかき分けて店に入る。すでに昼時を過ぎているからだろう。ほとんど客はおらず、しかして人がいたという人の気配の残り香のようなものが感じられた。少し硬めの座布団に腰を下ろして、ほぅと一息ついた。

「いらっしゃい。今日は随分と遅めなんだね?」

 少し年を食った女性が五郎に茶を差し出した。年季の入った小豆色の着物と、純白ではなく使い込まれた風合いの白い襷掛けが似合っている。余裕があるから少しすいている時間を、と返して、お品書きに目を通し始める。するとある一品が、五郎の目を惹いた。他と変わらず少し汚れた木の板にしっかりとした筆運びで書かれた「山菜蕎麦」の四字だった。丁度旬の時期である山菜の入った蕎麦だ、外れではあるまい。ピーク後の片付けをしていた先ほどの女性を呼ぶとすぐに対応してくれた。

「山菜蕎麦を一つ。それと、焼きおにぎりを」

「はぁい、山菜蕎麦と焼きおにぎりね。焼きおにぎりには柴漬けがつくけど、苦手じゃなかったわよね」

 ええ、と五郎が返事をしたのを確認して、女性が厨房に引っ込む。すると店の中はしばし静寂を過ごす場所を提供してくれた。湯飲みを静かにすすると、ふわりと新茶の香りが鼻をくすぐる。ここで煙草を吸うのはもったいない、と五郎はゆっくり背を壁に預ける。この店の角にある特等席から見える一席に、ふと見覚えのある姿を見かける。

(あれ、確か山の天狗様じゃないか。ええと、射命丸さん、だったっけ)

 頭襟がちょこんとのった艶のある黒のショートヘア、太陽のもとではまぶしさすら覚える真っ白なワイシャツと、それと正反対の光を吸い込むかのような漆黒の烏色の羽。見間違えようがなかった。人里まで頻繁に降りてくる天狗様、といえば彼女、射命丸文以外にない。そして何より、五郎にとっては今日の約束相手でもある。奇遇、の一言で片づけてよいものかとすら思えた。まだ彼女のところにも注文は出てきていないらしい。となるとこれは好都合だった。席もそう離れていない。

「どうも、奇遇ですね射命丸さん」

「あや! 井之頭さんじゃないですか。もしかして貴方もお昼です?」

 赤い目を真ん丸にしたかと思うと、いつも通りのスマイルを見せた。営業スマイルへの移行スピードも幻想郷一、ということか。折角だからご一緒しましょう、という彼女の提案を快諾した五郎が座布団に再び腰を下ろすと、ちょうど文の注文したらしいものが運ばれてきた。黄金色の衣が映えるかき揚げ蕎麦だ。五郎が席を移したことに気付いた女性店員が若干驚いたように二人に話しかける。

「あらあらお知り合いだったのかい。山菜蕎麦のほうももうできるから、ちょっと待ってて頂戴な」

 そういって奥へ再び引っ込む。目の前のかき揚げ蕎麦を捕捉したまま、文が世間話でもするかのように五郎に教えてくれた。

「実は今の時期だけ、このかき揚げにもアシタバとかタラの芽なんかが入ってるんですよ。山菜をもってきたときは、大体ここで食べていくんです」

 さらっと自分が山菜を持ってきたことを明かした彼女は、お先に失礼します、と早速手を付け始める。サクリ、とこちらからも聞こえるほどの良い音を立てる揚げたてのかき揚げと、勢いよくすすられる蕎麦を見ていると、五郎の腹が一気に空腹を訴え始めた。そんな五郎の状態を見透かすかのようなタイミングで、山菜蕎麦が運ばれてくる。一緒に持ってこられた焼きおにぎりも、味噌の焼けた匂いが鼻を刺激する逸品である。

 

「うん、これこれ……じゃ、いただきます」

 箸を手に取り、丼を持ち上げてまずは蕎麦をすする。上品ではないがしっかりと下ごしらえされた醤油ベースの出汁と、蕎麦独特の香りが五郎の口の中で絡み合う。

(これだ、これだよ。飾りっ気も混じりっ気もない、蕎麦って蕎麦だ。二人で一つ、しっかりと手をつないでダンスを踊ってくれる)

 一口目の余韻も消えぬ間に、メインでもある山菜達に手を付ける。ゼンマイ、タラの芽、フキ……様々な山菜が盛り沢山に入れられている。他の具材といえば天かすくらいに主役として立てられている。箸で適当に蕎麦と共に一掴みし、一気にすすりこむ。蕎麦の食感に、山菜達のしゃっきりとした歯ごたえが加わって、より出汁の味も濃く感じる。

(おお、春の音だ。これが春の音なんだよ。この山菜蕎麦ってのは春の音楽会なんだ。指揮者がいなくたって纏まってる、オーケストラ山菜蕎麦団。何の変哲もないけど、何の変哲もないからいいんだ)

 一口出汁を直接すすり、一度溜めこんだ息を吐き出す。息継ぎを済ませた水泳選手を思わせるほど、貪欲に三口目へ突入する。そのまま三分の一ほどを飲み込んだあたりで、一度丼をおいた。いよいよ焼きおにぎりである。まだまだ熱いぞ、と言わんばかりに湯気を立てるそれを火傷覚悟で掴み、頂点から大きな一口でかじる。一気に口の中に熱さが広がり、思わず舌の上で転がしながら息を吐き出して冷ます。どうにか味わえる程度に覚めると、一気に焼かれた味噌と米の風味が広がり、同時にピリッとした辛みも感じる。

(おお。ここは味噌に山椒を混ぜているのか。七味とか鷹の爪とは違う辛さだけど、味噌に合うんだな)

 咀嚼する度に米としっかり結びついた味噌の旨みと、それをしっかり整える山椒の辛みが溢れ出し、五郎を虜にする。よし、と言わんばかりに再び丼を手に取り、出汁をすする。出汁の味が米をほぐし、先ほどよりも柔らかで豊かな味が広がり、思わずおぉ、と声を漏らしてしまった。ただ、目の前の文は文で蕎麦に夢中らしく、それに気付いた様子はない。五郎は五郎で、無意識に出した声に自身が気付くこともなかった。すぐに蕎麦もすすり、米と蕎麦を一緒くたに咀嚼する。

(蕎麦と米、米と蕎麦。ナンセンスに思えるけど、これがまた堪らん)

 二つのうち一つの焼きおにぎりを同じ食べ方を続けて胃に収めきってしまうと、ハッと我に返ったように五郎は柴漬けの存在に気付く。一欠けを口に放ると、それまでの出汁や味噌、山椒の残り香の一部をきれいに取り除く。残ったのは心地よい残り香の部分で、良いリセットになった。二つ目の焼きおにぎりを手に取り、今度は柴漬けと一緒にトドメを刺し始める。

(うんうん、これは安心できる味だ。蕎麦とは意外なコンビネーションを見せてくれたけど、こっちは昔っからの王道コンビ。焼きおにぎりが力強くて、それに柴漬けがしっかりついてくる。これも立派なダンスだ)

 サイドメニューとして頼んだつもりだったが、思わぬ大当たりであった。五郎は気を良くしながらあっという間に焼きおにぎりを食べ終えると、一口湯飲みに口をつけてから蕎麦へ再び意識を集中させる。勢いよくかきこむかのようにすすられた蕎麦は、その勢いで花が開かれるかのように出汁の香りを広げ、蕎麦が口内で蕎麦特有の香りとともにしっかりと広める。思わず息継ぎすることも忘れて、一気にすすり込んでいく。

(おお、おお。テンポが速くなってもしっかりと纏まってるな。流石オーケストラ山菜蕎麦団。この時期に来てよかった)

 蕎麦の熱で出る汗もお構いなしに、次々とすすり込まれていく。蕎麦をすすり切ると、今度は出汁を喉を鳴らしながら流し込んでいく。すると、向かいの文とほぼ同じタイミングで大きな息を吐き出した。二人ともつゆまでしっかり飲むタイプだったらしい。しかし流石天狗というべきか、汗が玉になっている五郎とは対照的に、満足げな顔をしつつも文は汗一つかいていなかった。

「いやぁ、いい食べっぷりでしたねぇ。思わず釣られてしまいました」

「ははは、みっともないところを……ところで、このまま移動するというのも面倒ですし、ここで大丈夫です?」

 勿論、と今度は文が五郎の提案を快諾する。お互いに手帳とペンを取り出して、ああだこうだと話し始めていた。するとふと、五郎の意識がすっと落ちるように暗転するのを感じた――――まるで急に耐えがたい眠気が襲ってきた時のように。

 

「うん……? しまった、もうこの駅か!」

 ふっと目を覚ました五郎。電車内の簡易的な電光掲示板が、いつの間にか五郎の目的地である駅を表示していた。商談先の近くに駐車場がないという話だったから電車で来たはいいが、危うく乗り過ごすところであった。慌てて電車を降りた五郎はすぐ近くの出口へつながる階段を登っていく。丁度登り切ったあたりだろうか、醤油のいい匂いが五郎の鼻をくすぐった。

「立ち食い蕎麦か……ここはドアがないんだな」

 開け放つドアもないこの店から、ちょうど一人女性が出てきた。年季を感じさせる丸メガネと、白髪ではないがかなり明るめの部分と焦げ茶の部分とが狸の毛皮を思わせる髪の特徴的な女性だった。ドアの向こうに向かって、気風の良さを感じさせる声を通す。

「ご馳走さん、また来るよ」

 毎度ありがとうございました、と中から声が聞こえてきた。女性にしてはそこそこの身長で、どこか仕草に古めかしさのようなものを感じたが、少し変わった人だというだけでこれ以上気にするほどでもない。それよりも五郎は、今の匂いで腹の虫が泣き始めてしまったことを感じていた。この店に入るのは少し気が進まないが、それでも蕎麦で腹が減ってしまったのなら今の五郎の腹は蕎麦しか求めていなかった。この近くに蕎麦屋はあるだろうか、と切符を改札に通しながら、五郎は少し軽い足取りで駅の外へ向かっていく。


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