第33話
明日奈は病院にいた。別に体が悪いわけではない。自分の妹のお見舞いだ。
「明日奈」
後ろから声をかけられた。
「和人くん、だよね?」
「おう。合ってる」
ニヒッと笑って、和人は明日奈の隣に椅子を出して座った。目の前では、未だナーヴギアを被っている明日香が、死んだように目を閉じていた。
「一応聞くけど、まだ目を覚ましてない、よな?」
和人は確認するように明日奈に聞いた。和人と違って、明日奈は毎日のように明日香のお見舞いに来ている。
「うん……。一回も、目を開けてないよ」
「………そっか」
願わくば、『実はドッキリでしたー』みたいなことを望んでいたのだが、それは本当になさそうだ。
「昨日は、クラインさんが来てくれたんだよ」
「あいつが……?」
「うん。その前はエギルさん。ほら見て、あの辺にある物ぜーんぶ、SAOの時のリズやシリカちゃんとか……アスカと仲良くしてくれた人が買って来てくれたの」
「へぇ……知らなかったな。……あれ、アスカが一層の時に被ってた帽子じゃないか?」
「ああ、あれはエギルさん。手作りだって」
「ははは、懐かしいな。てか再現度高いな」
「そうだね……」
明日奈は明日香を見た。
「ねぇ、明日香……早く、帰って来てよ……」
明日奈がクシャっと泣きそうになったので、キリトはその肩に手を置いた。その時だ。後ろから声がした。
「おお。来ていたのか桐ヶ谷くん、明日奈。たびたびすまんね」
恰幅のいい男が立っていた。その後ろには人の良さそうな男が立っている。
「こんにちは、お邪魔しています、結城さん」
「いやいや、いつでも来てもらって構わんよ。この子も喜ぶ。おっと、彼とは初めてだな」
明日奈、明日香の父親、結城彰三は後ろの男を手で指した。
「うちの研究所で主任をしている須郷くんだ」
「よろしく、須郷伸之です」
「……桐ヶ谷和人です。よろしく」
須郷と和人が握手すると、明日奈は不愉快そうに顔を伏せた。
○
挨拶だけして、和人はその病室をあとにした。特に話すこともなかったし、そろそろ帰ろうと思っていたからだ。で、今は家。
「お兄ちゃん、お風呂空いたよー」
「うーい」
直葉から言われ、和人はよっこらせと立ち上がった。そのまま風呂に向かおうとした時、携帯が鳴った。明日奈からだった。
「もしも……」
『和人くん……』
「ど、どうした?」
ヤケに暗い声。まるでこの世の終わりかのような声だった。
『明日香が……明日香が……!』
「どうした?」
『須郷と、結婚しちゃう……』
「んなっ……」
ショックのあまり、声を失った。
「ど、どういうことだそれは!」
『須郷が、眠っている明日香を利用して、結城家の養子に入ってくるの。あいつの研究所の部署が、今、三百人のプレイヤーが眠ってるのを管理してるみたいなんだけど、それで、明日香の命はあいつが維持してるからって……それで……』
「なっ………」
そんな気持ち悪い話があるか、本気でドン引きすると共に、ぐらりとよろめいた。思わず、吐き気がする。
『………どうしよう』
「どうしようと、言われても……」
和人はギリッと奥歯を噛む。何も出来ない。自分を頼ってくる以上、明日奈でも打つ手がないのだろう。だが、和人にも何かが出来るわけではなかった。
「………クソッ」
和人は、明日奈の問いに、何も答えられなかった。
○
翌朝、最悪の気分で目を覚ますと、ぽーんと電子音が響いた。パソコンにメールが届いたようで、見てみると、エギルからだった。
「エギル……?なんだ?」
そのメールに本文はなかったが、写真が一枚添付されていた。開いた瞬間、和人の目が覚醒する。
ボヤけていてよく見えなかったが、金色の格子が一面に並び、その中にテーブルと椅子、そしてその椅子に腰をかけている白い女性。その横顔は、明らかに見覚えがあった。
「アスカ⁉︎」
速攻で携帯でエギルに、今から行くとメールして、家を慌てて出た。そして、明日奈に電話しながら走った。
『もしも……』
「明日奈か⁉︎」
『……どうしたの?しばらく、一人になりたいんだけど………』
「今からすぐにエギルの店……分からなければ御徒町の駅に来てくれ!」
『な、何?てか、走ってる?』
「いいから早く!大事な話なんだ!」
『わ、分かったわよ……!』
明日奈は渋々頷いた。和人は思わずウキウキしていた。なんとか明日香を助けられそうだったからだ。
(でも、自転車で来れば、良かったぜ……)
涙目だった。
○
ダイシーカフェ。明日奈とここに来ると、和人はカウンター席に二人で座った。
「よぉ、はやかったな」
「……相変わらず不景気な店だな。よく2年も潰れずに残ってたもんだ」
「うるせぇ。これでも夜は繁盛しているんだ」
まるで、あの世界に戻ったようなやり取りだった。
「こんにちは、お久しぶりです。エギルさん」
「」
明日奈の姿を見て、思わず言葉を失うエギル。この反応も、なんだか久しぶりだった。
○
「それで、なんの集まりなの?」
明日奈が和人に聞くと、エギルがパソコンを出して、例の写真を明日奈に見せた。瞬間、明日奈の目が見開く。そして、エギルの肩をグワシッと掴んだ。
「なんですかこれは!」
「ちょっ、明日奈……」
「なんなんですがこの写真は!ちゃんと説明なさい!」
「ちょっ……揺らすな……!」
「どうしてまだSAOの中にあの子がいるんですか!」
「やべっ……吐きそ……!」
「落ち着け明日奈!エギルが死ぬ!」
和人の仲介で、ようやく落ち着く明日奈。が、顔とかは全然落ち着いてなかった。今にも飛びかかってきそうな顔だ。
「ま、まぁおちちゅけ……落ち着け。これを見てくれ」
余りの恐怖に噛んでしまったが、エギルは冷静に和人と明日奈に長方形のパチッケージを見せた。
「アルフ……ヘイム・オンライン?どういう意味だ?」
「アルヴヘイム、と発音するらしい。妖精の国って意味だとさ」
「妖精……なんかほのぼのしてるな。まったり系のMMOなのか」
「それがそうでもなさそうだぜ。ある意味えらいハードだ」
「ハードって、どんなふうに?」
明日奈に聞かれた。
「どスキル制、プレイヤースキル重視、PK推奨」
「ど……」
「いわゆるレベルは存在しないらしいな。各種スキルが反復使用で上昇するだけで、あってもヒットポイントは大して上がらないそうだ。戦闘もプレイヤーの運動能力依存で、ソードスキルなし、魔法ありのSAOってとこだな」
「へぇ……それはすごいですね」
「でもそれじゃ人気出ないだろう」
和人が聞いた。
「そう思ったんだけどな。大人気なんだと。理由は飛べるからだ」
「飛べる?」
「妖精だから羽根がある」
「飛べるってのはすごいな。羽根をどう制御すんだ?」
「さあな、ただ相当難しいらしい」
一瞬、挑戦したいと思ったが、明日奈に表情を読まれて脇腹を突かれたので自重した。
「そのゲームの中に、アスカはいる」
エギルに言われて、和人と明日奈の目が鋭くなった。
「プレイヤーの当面の目的は世界樹という木の上の方にある城を目指すことだ。が、滞空時間があって、無限には飛べない。この写真が撮れるほどまで飛べたのは、五人が体格順に肩車して、多段ロケット方式で木の枝を目指したんだが、到達高度の証拠に何枚も写真を撮った結果、こんなものが写り込んでいたわけだ」
「ははは、なるほどね。馬鹿だけど頭いいな」
和人は笑いながら呟いた。明日奈が聞いた。
「エギルさん、このゲームってまだ売ってますか?」
「ああ、まだ店頭には並んでるかもな。行く気なのか?」
「はい。この眼で、全部確かめます。ね、キリトくん?」
久々にその名前で呼ばれ、和人はニヤリと微笑み返した。
「ああ、死んでもいいゲームなんてヌルすぎるぜ。アスナ」
で、二人は立ち上がった。
「じゃ、早速プレイしてみるよ。また情報があったら頼む」
「ああ。アスカを助け出せよ。そうしなきゃ、俺たちのあの事件は終わらない」
「ああ、いつかここでオフをやろう」
和人と明日奈は店から出て行った。