ex.6
ーーほぅ、と吐き出した息。
それは白く染まって、また消える。
もうすぐ桜の咲く季節になるというのに、まだまだこの寒さは消えそうになかった。
「……あと5分、か」
ーー右手首に着けた腕時計を見つめながら、ホウライは呟く。
少し早く待ち合わせ場所にきてしまった彼女は特に何をするでもなく、ただその場所で定時になるのを静かに待つ。
ーー刻々と迫り来る時刻。
秒針が時を刻むその度に、体の奥深くにある何かの鼓動が強くなる。
苦しさを覚えるぐらいに、強く、強くーー。
「変じゃない、わよね……?」
唐突に不安になった彼女は、そう言って自分の体を見回した。
長袖の白いブラウスに、黒のコルセットスカート。
肩にはにミッドナイトブルーのショールを羽織り、手には小さめのハンドバックを握っていた。
ーーやるなら徹底的にやるわよ。
アンタも気合い入れなさい。
そう言ってタカオはホウライにさまざまなレクチャーをしてくれた。
この服装も「女性的な魅力を出しつつ清純さを失わせない」という彼女のアドバイスを元に、ホウライが悩み抜いた末でのものだ。
……自分が清純とは程遠い位置にあるのはよくわかってる。
だけど、今回ばかりは猫を被りたい。
綺麗だと、言われたかった。
だから柄にもなく、昨日は何度も鏡の前に立ち続けた。
それに、と彼女はバックに閉まってあったメモ張を取り出す。
そこには、タカオから教えてもらった横須賀おすすめのいくつかが書いてあった。
いわゆるデートスポットというやつだ。
……きっとこれも、彼女が使おうしていたものだ。
どれだけ感謝しても頭が上がらない。
「ありがとう。タカオ……」
彼女がそう言ったときだ。
車のエンジン音が聞こえてきた。
顔を上げると、すぐ近くに一台の車が止まった。
扉が開くと、降りてきたのは彼女が待ち続けたその人だった。
「遅れてすまない。久しぶりに来たのでね。少し道に迷った。申し訳ない」
「……たかだか三十秒ちょっと過ぎただけで、普通遅れたなんて言わないわよ」
律儀なんだから、と頭を下げる上陰にホウライは苦笑した。
ーー緊張してたけど、いざ話してみればいつも変わらない『私』でいられた。
そのことに、彼女はほっと胸を撫で下ろす。
「よし。それでは行こうか。ーーこちらへどうぞ、お嬢さん」
「あら。今日は随分とお優しいこと。もしかして熱でもおありなのかしら?」
「礼節を弁えているだけだよーー君とは違ってね」
「もう。失礼な殿方ね」
ぷくーと、彼女は頬を膨らませた。
ーーでも、そう言葉を交わしただけで、満たされたような気持ちだった。
それから二人は車に乗り、上陰の運転ので海沿いの道路を走る。
「ねぇおじさま。今日はどんな御予定なのかしら?」
とりあえず、ホウライは上陰に今日一日の予定を尋ねる。
「ああ。まずは以前から話してある通り、件の食事処に向かうとしよう。既に事前準備もしてある」
「流石おじさま。で、それからはどうするの?」
「進行具合によるな。恐らくそれなりの時間が取られるだろう」
「なるほど、了解したわ」
ーーならおじさまの食事が終わってから本格的に行動開始、ということになりそうね。
幸い時間はまだ早いし、遅くなったとしても行けるところは多々ピックアップしてもらってる。
頑張るぞ、と気合いを込める。
「……今日は、いつもと違う服装だな」
「え?あ、そうね……」
唐突に、上陰が言葉をかけてきた。
……正直、彼からそんな話題を振ってこられるては思っていなかったので、一瞬戸惑う。
ーーけれど、これはちょっとチャンスだ。
「……似合うかしら?」
もじもじと体をよじらせながら、ホウライは尋ねる。
訊くと、上陰はちらりとこちらを見て、そして言った。
「ーー似合っているんじゃないか。少なくとも、私はそう思う」
「……そう。なら、よかったわ」
ーーマズい。
嬉しくて、たまらない。
言いながら、知らず表情が緩む。
だらしない顔になっているのが露骨にわかったから、それを悟られまいと必死に彼女は外の景色を見続けた。
「ーーお気に入りなのか?その服」
「ええ、まぁーーお気に入りね」
というか、今お気に入りになりました。
ホウライが答えると、上陰は「そうか」と呟く。
「……せめて言っておくべきだったか」
「ん、何かしら?」
「いや、何でもない。気にするな」
何かをいいかけたようだが、上陰は否定してそれ以上は語らなかった。
ホウライは少し首を傾げたが、まぁいいかと割りきった。
何せ今日は待ちに待った日だ。
存分に、楽しもう。
ーーそう、このときは思っていた。
このときまでは、ね。
■ ■ ■
「ーーよし。ここからは少し歩く。降りてくれ」
「え?あ、うん、わかりました……」
上陰にそう言われたホウライは車を降りながらも若干の戸惑いの表情を浮かべる。
当然であろう。
車を停めたその場所にあるのは、汚れた看板のぶらさがった商店街への入り口だけだったのだから。
こんなところに、彼が用があったのだと思うことは難しかったのだろう。
「行くぞホウライ。はぐれるなよ」
「あ、待ってよおじさま!」
はぐれるなよと言いつつ自分のペースで歩き出した上陰を彼女は慌てて追った。
特に今回はあまりこの服着なれていないから身動きもとりづらいのに……。
「……やっぱりおじさま冷たい。女の子なんだから、歩調合わせてよ」
「すまないな、少し急ぎの用事だったものでーー着いたぞ。この店だ」
「ーーえ?」
件の目的地というのを目の当たりにしたホウライは唖然とする。
ーーそこにあったのは薄汚れた看板のかかった、一件のおんぼろな中華料理店だった。
壁の至るところが黒ずみ、雨で風化して表面はぼろぼろ。
見るも無惨な有り様である。
その光景を目にしたホウライは、頬をひきつらせながらおそるおそる尋ねる。
「……おじさま。まさか、ここがそのお店とかじゃないわよね……?」
「その通りだ。さ、入るぞ」
「さいですか……」
がっくりと、彼女は肩をおとした。
そして上陰と共に店内に入ると、中から「いらっしゃいませ」と若干片言の挨拶をして店員が対応する。
「二名なんだが席は空いてるか?」
「え、予約してたんじゃないの?」
「していない」
じゃなんで急いだの?と心の中で突っ込むホウライ。
それから二人を席へと案内されるとメニューを手渡された。
「好きなのを頼め。遠慮は要らない。今日は私が奢ろう」
「……じゃあ、御言葉に甘えて」
しばらくメニューを眺めたあと、二人はそれぞれの注文をした。
かしこまりましたと店員が厨房へと消えると、ホウライは改めて店内を見回す。
……店の中も外と同じように衛生的には見えず、正直飲食店としてどうなのかというレベルである。
それに自分達の他に客が数人いるが、その人たちもなんだか柄の悪そうな輩が多い。
はっきり言ってホウライたちの方が場違いだ。
「ーーおじさま。一つ質問いいかしら?」
「何だ?」
「何でこの店に来たの?」
「……食事を終えたら答えよう」
腕時計を見つめながら上陰はそう言った。
ーーもしかして、実はこう見えてものすごくおいしい料理だったりするのだろうか。
ならまだしも納得出来るのだが……。
そうこう考えているうちに料理が配膳されてきた。
……なるほど、見た目は及第点。
となるとあとは味の問題だ。
「じゃあ、頂きます」
ぱくりと、彼女は料理を頬張った。
……はっきり言おう。
まずい。
すごくまずい。
どう考えても味とか匂いとか、料理店で出していいものじゃない。
極端に言うと吐きそうなくらいだ。
何だってこんなものを……。
「ーー味はどうだ?」
「あ、うん、それはその……」
上陰の問いかけに、一瞬返答に詰まるホウライ。
ーー空気を読んだ方がいいわよね。
そう判断した彼女は「とてもおいしいわ」と微笑む。
その返答に、上陰は「そうか」と頷く。
「……私は死ぬほどまずいと思ったがな。どうやら君とは味覚が合わないらしい」
「ちょっと待てぇ!?」
あまりにも見も蓋もない返答に、さすがの彼女も猫をかぶり続けられなくなった。
ばん!と机を叩いて上陰に詰め寄る。
「おじさまが来たいって言ったんだよね!?なのに何でそういうこと言うの!?てゆうか、じゃあなんでこんなとこ来たのよ!?」
「……この三年間で、日本は再び他国との貿易を開始した。おかげで深刻な資源不足は回避できたが……同時に面倒なものも来てしまってな」
「い、いきなり何よ、おじさまったら……」
戸惑いの表情を浮かべるホウライだったが、上陰は気にせず話を続ける。
「ーーもう何十年、我が国は他国との交流が出来ないでいた。それゆえに再開した貿易には当然穴が出来る。カバーしようにも仕切れない盲点がな……最近『シェンロン』と呼ばれる中国マフィアが、日本へ密入国で流れてきてな。おかげで裏で武器や麻薬の密輸入までされている。我々もその実態を把握しているのだがどうにもしっぽがつかめない。推測だが、これには中国政府も絡んでいるようだ。恐らくスパイ活動の一環としてという密約でもしたのだろう。ガードが固い理由も、それなら納得がいくーーとなればだ。我々が下手につつけば、面倒な獅子が目覚める。さて困った」
「……ねぇおじさま。ややこしい話して論点ずらそうとしてない?私はなんでこんな処に来たのか聞いてるの。こんな中華料理店に……中華料理店?」
言ってホウライははっとなる。
……もしかして。
もしかするとーー。
「ーーおじさま。まさかここって……」
「ーー拠点は絞れた。だが介入するための決定打がない。無理に部隊が踏み込んで仮に何もなかった時のリスクが大きすぎる……それである時、ふと思い付いた。例えば、その場所で一般市民がマフィアの暴動に巻き込まれたとしたら?それ制圧するために我々は部隊を送り込めるーーその際に、
ーーそう言うと、上陰は立ち上がって懐に手をいれた。
そして次の瞬間、パンパンと弾けるような音が店内に響き渡った。
店中の視線が音の鳴った方向を見る。
ーーそこには、天井に煙のたった銃口をかざす、上陰龍二郎の姿が。
彼はふ、と不敵な笑みを浮かべ、そして言った。
「ーー警察だ。大人しくしろ」
ーーその一言を聞いた瞬間。
回りにいた男たちは皆懐から銃を取り出した。
店員、客全員だ。
そして銃口を上陰に向け、なんのためらいもなく引き金を引いた。
複数の銃声。
四方から放たれた弾丸は、そのまま狂うことなく、上陰の体を蜂の巣にするーー。
ーーはずだった。
がきん、と銃弾がより固い何かに当たってひしゃげる音がした。
男たちはその光景を見て愕然とする。
ーー上陰の前に、右手を前に突き出している少女。
そして、その二人を覆うように展開された、緑色に輝く光の壁に。
「っっもうなにやってるのおじさまっ!?いきなりあんなこと言い出して!?私があと少し動くの遅かったらどうしてたのよっ!?」
ホウライは食って掛かったが、上陰は「まぁな」と一言だけで涼しい顔だ。
「まぁなじゃない!本当に危なかったんだからね!分かってるっ!?」
「挑発としてはあれがベストだ。そう声を荒げるなーーだが、だとしてもだ。そのときは君が必ず守ってくれると私は信じていた。違うか?」
「そりゃあ、まぁ、そうですけど……」
言いながらぷいと赤らめた顔を背けるホウライ。
ーーこれが普通なら、なんともいじらしい光景だが、生憎銃弾の雨を防でいる最中である。
端から見たときのミスマッチ感が尋常ではなかった。
「……そろそろか。山村、突入しろ」
上陰が襟首につけた通信機にそう呼び掛けると『了解』という応答が聞こえる。
そして次の瞬間、バンと扉を蹴破って、武装した複数の軍人が店内へと流れ込んできた。
たちまちマフィアとの銃撃戦が始まる。
すると隊員のうち一人がこちらに駆け寄ってくる。
「ーーよぉお二人さん。無事で何よりだ。ま、怪我なんてしないだろうけどな」
「その声……山村さん?まさか、外に待機してたの?」
イエスと山村はサインをする。
「うちらも調べはついてたんだけど政府絡みだとなかなか手出しづらくてさ。旦那は許可してくれっけどその他の幹部は難色を示すし。偶発的な何かがないとやれなかったんよ。いやほんと、ホウライちゃんが協力してくれて助かったわ」
「……協力って何?私そんな話聞いてない」
「え、まじ?旦那からは本人の了承は得たって聞いてたけど」
「ーーご説明願えますか、お・じ・さ・ま?」
ホウライが上陰にガンをつける。
が、上陰は特に悪びれる様子もなく、彼女の言葉を無視して通信機での会話を続けた。
そしてその会話が終わってから、ようやくホウライに振り向く。
「……どうやら地下に奴等の脱出ルートがあったらしい。このままいくと、何人かには逃げられるな」
言って彼はちらりと彼女を見る。
ホウライはふん、と鼻を鳴らし「誰が行くもんですか」とそっぽを向いた。
「だいたい私は人間の政略的計画には参加しないって決めているの。私も霧なんだから、どこか一つの国に入れ込むような行動をとったら霧全体に悪影響を与えるわ」
「その持論はもっともだが、先ほどの騒動で君が霧のメンタルモデルだと何人かの人間が感付いただろう。仮にその目撃者に逃げられたら、君が日本政府と結託していると噂を流されるかもしれないーーそれは、君にとってあまり都合のいい話ではないんじゃないか?」
「うっ……」
……確かによくない。
むしろかなりまずい。
群像たちに迷惑をかけるし、何より世界における霧の在り方をただ悪くするだけだ。
ーーならとるべき行動は一つ。
全然、全く、釈然としないけど。
「……おじさまをお願い。山村さん」
「了解、気をつけてな」
こくりと頷いた彼女は、クラインフィールドを解除する。
それから一気に、マフィアたちの中へと走り込んでいくと、たちまち複数の奴等を片手一振りで薙ぎ払った。
「……ねぇ中国マフィアさん。今私すごく気分が悪いんだ。だからさぁーー」
そして彼女は、額に青筋を立てながら、これ以上ない笑顔で言った。
「ーー食後の運動、付き合って」
■ ■ ■
「ーーそうか。了解した。それでは各自準備に取りかかってくれ」
そう言って上陰が電話を切ると、ふぅとため息をついた。
ーーとりあえず、無事に制圧は完了した。
何人かの犠牲を覚悟してでの作戦だったが、奇跡的にも死傷者はゼロ。
それも彼女が奮戦してくれたおかげだ。
そして、今回押収したデータから『シェンロン』の数の他の拠点が判明した。
すぐに解析し、奴等が移動を開始する前にこちらも動かねば……。
そう上陰が思案していると「旦那ー旦那ー」と山村の呼ぶ声が聞こえてくる。
「山村か。ちょうどいい。押収したデータに他のアジトに関するデータがあった。恐らくあと二つはある。解析が終了次第、部隊を編成して速やかに向かってくれ」
「あーそれは了解したんですけど……ちょっと来てくれません?俺の手にはおえませんわ」
「……わかった」
言って上陰は山村のあとについていく。
彼に案内されて店の奥の一室に入った瞬間、空気が変わった。
どんよりとした、重々しいものに。
そして恐らく、そのどんよりと重々しい空気の発生源となっている人物に、上陰はため息混じりに声をかける。
「……ホウライ。いつまでそうしているつもりだ」
「…………」
問われても、彼女は体育座りで踞ったまま答えない。
さきほどの戦闘のせいで、せっかくの服もボロボロだった。
「ほらホウライちゃん元気だして。飴ちゃん食べる?」
そう言って山村はどこから取り出したのか棒付きのキャンディを彼女に差し出した。
ちらりと、彼女はそれに視線を向けると、ばしっとそのキャンディを引ったくってバリボリと食べ出した。
「さっきからこんな感じ。もう五本も食われた。頼むよ旦那」
「……ホウライ。話がある」
そう声をかけるが、彼女は変わらず無反応。
が、上陰は構わず話を続けた。
「事前に君に話しておくべきだった。それは私の方に責任がある。せめて、お気に入りの服を来てくるなとぐらいは言うべきだったが……」
「……朴念仁」
「なんだと?」
するとホウライは立ち上がったと思うといきなり上陰の首を脇に抱えて羽交い締めにした。
「っ何を、する!?」
「ーー山村さん。今日一日、おじさま借りるわよ」
「おっけーよ。行ってら」
「待て山村。このあとの指示が……」
「わーてるわーてる。ちゃんとやっておくよ。それにアンタ今日は一応休日なんだ。ゆっくり羽伸ばしてこいよ」
「そういう問題では、っ!?」
ぐっ、と頭を締め付ける力を強くされて上陰の言葉は遮られる。
「じゃ、行ってきます」
「おい待てホウライ!私にはやることが……」
「聞こえない」
暴れる上陰を押さえつけながら、ずんずんと彼女は歩き去っていった。
「……まったく。いじらしいねぇ」
くわえた煙草に火をつけながら、山村はなんとも珍妙な二人の背中を見送った。
終