東方先代録   作:パイマン

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地霊殿編ラスト。


其の九「覚」

 古明地さとりは常々自らの境遇を不遇のものだと考えていた。

 

 不相応だと言い換えてもいい。

 地霊殿の主としてかつて地獄の一部であった灼熱地獄の管理を行っているが、だからといってこの地位が崇め奉られているわけではない。

 こんなものは単なる交換条件だ。

 この地底世界に住む代わりに与えられた、いわば支払うべき家賃のようなものなのだ。

 それなのに、まるでこの場所の権力者のように認識されている。

 それだけでも不本意であるのに加えて、いつの間にか地底世界の代表者のような役割まで与えられていた。

 確かに、実質旧都を取り締まっている星熊勇儀は交渉事や政(まつりごと)には向かない性分だ。

 結果的に、地上との繋がりは地霊殿に向かい、そこの管理者である自分が矢面に立たされる形になってしまった。

 いつの間にか『地底世界に渡りをつけるには古明地さとり』というような形式が出来上がってしまっている。

 冗談ではなかった。

 自分にはそんな権威も力も無いというのが、さとりの自分自身への評価だ。

 そもそも気付いて欲しい。

 確かに自分の持つ『心を読む程度の能力』とは忌み嫌われるおぞましい力だろう。

 実際に、この力によって地底に封じられる程の理由を持つ恐ろしい妖怪達を抑制し、秩序らしきものを形成出来ている。

 しかし、この能力が『支配する為の力』として機能しているかというと、実はそんなことはない。

 そもそも心が読めるからどうだというのだ?

 この能力自体には敵を打ち倒せるような打撃力など皆無だ。

 相手の心を暴き、トラウマや弱みを抉り出したところで、次の瞬間ショックで即死するようなことが起こるわけもない。

 そういった苦手とする力や技を読み取って再現することで戦いの力とすることは出来るが、それとて絶大な威力を発揮するようなものではないのだ。

 さとり自身の純粋な戦闘力は、妖怪の中でもせいぜい中堅所といった程度だろう。

 本当の『支配する為の力』というのは、その腕力一つでどんな妖怪も恐れ戦くくらい絶大なもの――例えば、鬼の勇儀などがそうなのである。

 では、何故この古明地さとりが、曲がりなりにもこの地底世界の支配者の如き印象を持たれているのか?

 先程の挙げたとおりである。

 古明地さとりは、その能力ゆえに忌み嫌われ、恐れられているからだ。

 別に、この能力が心底恐ろしくて震えながら従うしかない、といったものではなく。関わるのも近づくのも嫌になる程忌避されている為なのだ。

 言うなれば、受身の服従なのである。

 結果的に違いはないかもしれない。

 しかし、さとり自身はいつもその辺りのことを周りへ声高に強調したかった。

 違うのだ。

 印象と実際の差は、致命的なまでの違いとなっているのだ。

 さとりはその過程の違いの果てに得た、今の不相応な地位を内心でうんざりするほど疎んでいた。

 自分は権力者ではない。

 そんな野心もカリスマもない。

 例えば、一勢力として戦乱の中に放り込まれたとして、それを率いるだけの能力と度量と統率力が自分に備わっているとは到底思えないのだ。

 そんなものはそれこそ鬼に任せておけば良い。

 だというのに――。

 

「だから、私は地底の管理者でも何でもないのに……」

 

 さとりは紙に書かれた文面に対して、意味もないのにぼやかずにはいられなかった。

 差出人は自他共に認める地上の実力者にして管理者である八雲紫。

 書かれた内容は、要約するなら地上で施行された新しい決闘ルールを地底でも普及して欲しいというものだ。

 言うのは簡単だが、実際に行うのは大仕事である。

 旧都の妖怪達は自由奔放だ。

 暴力には暴力で解決するという極めてシンプルなルールで統制され、それ以外の複雑な理で抑制することが不可能になったからこそ地上を追われたのだ。

 そんな奴らに今更新しいルールを敷くなど、考えるだけで厄介な話だった。

 さとりに権力や権威があるのなら話は簡単だった。

 絶大な力をもって、精神的にも物理的にも捻じ伏せ、従わせればいい。

 しかし、実際のさとりにはそんな力などない。

 これこそがまさに、さとりの苦悩する他者の認識と実際の違いから表れる弊害だった。

 

 ――どいつもこいつも、私のことを勘違いしている。

 

 旧都へ出向く前に感じた厄介事の予感は、ある意味的中していたのだ。

 書状を几帳面に畳み直してテーブルの上に置くと、さとりは疲れたようなため息を吐いた。

 

「お師匠の方がすごい!」

「さとり様の方がすごい!」

 

 横から頭の痛くなるような会話が聞こえて、さとりはうんざりしながら視線を移した。

 傍目には二人の幼い少女が言い争っている、見る者によっては微笑ましい光景がそこにあった。

 一方は、何の間違いか巫女と共に地上からやって来た氷の妖精チルノ。

 そしてもう一方は、最近人化することを覚える程度に力と知恵を付けた地獄烏のお空。さとりのペットである。

 体格も実力もそう大差ない二人は、今まさに取っ組み合いでもやらんばかりの勢いで相手に噛み付いていた。

 

「お師匠はついさっき、もんのすごく強い奴と戦って勝っちゃったんだぞ!

 周りの奴らが皆ビビっちゃうくらい強い奴だったけど、お師匠が一発でぶっ飛ばしちゃって、しかも自分から頭を下げて負けを認めちゃったんだもんね!」

 

 嘘である。いずれもギリギリの死闘で、だからこそ今その巫女は安静にして眠っているのだ。

 

「勇儀さんのことならわたしだって知ってるよ! 確かに強いけど、でもそんな勇儀さんもさとり様には全然逆らえないんだよ! つまり、さとり様の方がずっと強いってこと!」

 

 嘘である。勇儀はさとりのことを『面白くない奴だ』と捉えているから自然と付き合いも無く、避けるようになっただけなのだ。

 

「だいたい、勝負に勝ったってあんなボロボロになってやっとでしょ? やっぱり人間は駄目だね、全然大したことない!」

「お前のご主人さまだって、あんな小さくてひょろひょろした体で、すっごく弱そうじゃん!」

「なにをー!?」

「なんだよー!?」

 

 あの妖精とお空を会わせたのは失敗だった。

 さとりはヒートアップする会話を聞きながら後悔した。

 件の巫女は治療を施した後で別室で安静にさせているが、その間チルノはずっと騒ぎっぱなしだった。

 彼女からしたら得体が知れないどころか敵の可能性も高い地霊殿の者達を強く警戒しているのが、さとりには読み取ることが出来た。

 実際、巫女が目覚めた後の話の流れでは、事態がどう転ぶかは分からない。

 しかし、今は怒ったり泣いたりするチルノの暴走が煩わしく、自分は巫女の本格的な治療の必要性もあったので、相手としてお空を宛がったのだ。

 治療を終え、戻って来てみれば、二人はいつの間にか意気投合していた。

 いや、子供のじゃれ合いにも似た言い合いをしている光景が、意気投合と判断出来るかはともかく。

 とりあえず、喧嘩するほど気安い仲にはなったらしい。

 

「二人とも、喧嘩はやめなさい」

「うっさい、あたいに命令すんな!」

「さとり様に失礼な口きくな!」

 

 一言口を挟めば、それを切欠にこれである。

 さとりは頭痛を堪えるように額を抑えた。

 随分と馴染んでしまった仕草だ。この地位についてから頭を悩ませることが多い。

 そんな喧騒の中、部屋のドアに設けたペット用の出入り口から一匹の子猫が入ってくる。

 別室に待機させていたさとりのペットだった。

 

「――そう、分かったわ」

 

 まだ妖怪化すらしていない純粋な動物であるその子猫の思考を読み取り、ようやく現状から抜け出せることに安堵する。

 

「チルノ、と言ったわね」

「なにさ、気安く呼ぶな」

「あの巫女が目を覚ましたそうよ」

 

 食って掛かるチルノを無視して告げると、それは絶大な効果を発揮した。

 

「ホント!? お、お願い! お師匠の所へ連れてって!」

 

 安堵と不安の入り混じった必死な表情。心の中も同じであり、裏表のないチルノがさとりは少しだけ気に入った。

 優しく微笑みながら頷く。

 

「ええ、ついて来なさい」

「さとり様、わたしは?」

「お空も来たければ来なさい。

 ただし、彼女は怪我人よ。それも重傷。喧嘩するようなら追い出すわ」

 

 お空に対してよりもチルノへの抑制として釘を刺し、さとりは二人を伴って部屋を出た。

 この地霊殿には使用人というものが存在しない。

 ある程度力と知恵を持った妖怪のペット達が主軸となって、管理や他のペットの世話を行っているが、専門の部署や人員があるわけではないのだ。

 さとりはこの屋敷の主でありながら、家事などの必要な物事を自らこなさなければならなかった。

 それを苦に思ったことはない。

 ただ、やはり自分は誰かの上に立つ権力者の器ではないのだとしみじみ思うのだった。

 ペットの鳴き声しかしない廊下を、背後の幼い二人の話し声を伴って進む。

 お空以外に人語を扱えるペットはもう一匹いるが、最も古参で最も信頼するそのペットはさとりの使いとして現在は出払っている。

 

「ここよ」

 

 幾つかある部屋の一つの前で止まると、さとりは声も掛けずにドアを開いた。

 どうせ中の様子など、そこから聞こえる心の声で筒抜けだ。

 起きたばかりで状況を把握していない、ノイズと意味のない単語が交差する巫女の思考を読み取っていた。

 

「お師匠!」

「チルノ……」

 

 ドアを開けると同時に、チルノが飛び込んだ。

 上半身を起こした包帯だらけの巫女の元へ、目に涙を溜めながら駆け寄る。

 今にも抱きつかんばかりの勢いだったが、怪我を案じてそれを堪えるチルノの意外な繊細さに、さとりはまた少しだけ短絡的だと思っていた彼女への評価を改めた。

 基本的に自らの娯楽優先で、他者への悪意は無いが配慮も無い妖精には珍しく、相手を案じる気持ちというものを持っている。

 それだけあの巫女が慕われているということなのだろう。

 巫女の手を縋りつくように握るチルノの姿には、お空も気持ちを察したらしく黙って見守っていた。

 この子も、根元はとても素直で優しい子なのだ。

 

「おはようございます、地上から来た巫女。私のことは覚えていますか?」

「……さとり」

 

 チルノが落ち着くのを見計らって、さとりは歩み寄った。

 一応名乗ってはいたが、その直後に巫女が気絶した為、どこまで事態を把握しているのか調べる必要があった。

 もちろん、わざわざ話を聞く必要は無い。

 そもそも、こちらとしては相互理解など求めてはいない。

 旧都で起こった厄介事を、その中心人物の一人である彼女の処遇と共にどうやって上手く納めるかがさとりにとって一番の懸念事項だった。

 とりあえず、当初の予定通り目の前の人間の心を読み解き、話の流れの主導をこちらで握って――。

 

「……え?」

 

 さとりは以前と同じように、思考を読み取るうちにその中から不可解なモノを見つけ出していた。

 

「『原作と同じだ』とは……一体どういうことですか?」

 

 思わず呟いた疑問に対して、巫女はこれといった反応を表に出さない。

 しかし、その内心では第三の眼でハッキリと見えるほどに青褪めているのがさとりには分かった。

 

 

 

 

 ……。

 

「それじゃあ、お空。私はこの人と大切な話があるから」

「そいつが変なことしたら言ってくださいね。わたし、すぐに駆けつけますから!」

「お師匠がそんなことするわけないでしょ!」

 

 …………。

 

「やい、お前。お師匠に変なことしたら許さないよ。あたいはまだ信用したわけじゃないからね」

「さとり様がそんなことするわけないでしょ!」

「はいはい、もういいから出て行きなさい。話が出来ないわ」

 

 ………………。

 

「さて、人払いはしました。誰かが聞き耳を立てていても私の能力なら分かります。

 ……あと、そうやって何も考えないようにしているのが私の能力への対策のようですが、考えないように考えている時点で既に物を考えているという矛盾をどう思いますか?」

 

 ……はっ!? そういえば、それってどういう意味なんだ?

 私は今、何も考えないようにしていたが、何も考えないって行動を既に考えてしているわけであって、考えるという行為自体が考え……。

 ううっ、『考える』って言葉がゲシュタルト崩壊してきた。か、考えるとは一体? ウゴゴゴ……。

 

「嘘です。本当にさっきまで貴女の思考を読めませんでしたよ。

 心を無にするというんですか? 本当にそういった状態でした。恐ろしい人ですね、仙人か何かですか。なので揺さぶりをかけました」

 

 そして、私は見事にさとりに手玉に取られていた。

 まあ、最初からこういった交渉事で勝ち目なんてあるとは思ってなかったけど、本当に抵抗する気すら失くすなぁ。

 そもそも抵抗するというのもおかしな話だ。

 あの勇儀との死闘で力尽きて、気絶した私がこうして治療を受けた上にベッドの上で目を覚ますことが出来たのも全部さとりのおかげらしい。

 感謝こそすれ、さとりに対して警戒する心構えなど必要ないはずだ。

 こうして安静にした状態であっても、戦闘時の緊張感が抜けた今では無茶苦茶辛く感じるのだ。

 放置されていたら、あのまま死んでいたかもしれない。それでなくても、周囲の妖怪からいい雰囲気は感じなかったしね。

 受けたダメージは私自身が思った以上に重いらしい。

 っていうか、節々に痛みを感じる上半身はともかく、一番重傷のはずの両足が重く感じるだけで痛みどころか感覚すらないって結構ヤバイと思うんだが。

 気絶する前に感じた不安がぶり返してきた。

 

「ああ、素人目に見ても両足は酷い状態でした。

 それに治療と言っても、あいにくとこの地底に人間はいません。なのでペットの動物に施すものを応用した、一般的な治療以上のことは出来ませんので、早急に地上へ戻って、専門の方に診てもらった方がいいですよ」

 

 そして、そんな私の不安を見抜いているくせにスバリと言っちゃうドSなさとりん。

 

「誰がさとりんですか」

 

 だあ!? そうだよ、自分で言っててなんで心が読まれてるって忘れちゃうかなぁ。

 こりゃ迂闊なことは考えられん。

 

「……どうやら、気絶する前に聞いた心の声は錯覚ではなかったようですね。

 まあ、第三の眼にそんなものは存在しないので、分かってはいましたけれど。貴女は見た目と違って随分賑やかな人みたいですね」

 

 好きでこんな仏頂面になったわけじゃないんだけどねー。

 本当はもっとにっこり笑って、調子よくお喋り出来る、明るいお母さんって感じになりたかったのだが。

 いやぁ、当時霊夢を拾うまでは自分が母親になるなんて想像もしなかったから仕方ないっちゃ仕方ないか。

 それまでは完全に女としての将来性を捨てて、修行にのめり込んでいたし。

 あ、そういえば霊夢は今何してるかな?

 

「また思考が飛びますね。しかも子煩悩。

 しかし、霊夢……博麗霊夢ですか。当代の博麗の巫女であり、貴女はその先代にして義理の母親。

 今回、貴女は八雲紫の使いとして地霊殿の主――つまり私に書状を持って来た。その道中に旧都で揉め事に巻き込まれ、結果的に鬼と決闘をすることになり、更にはそれを制した」

 

 さとりが前回のあらすじを簡単に説明してくれた。って、前回ってなんやねん。

 いや、ちょっと待て。

 そもそも私はその辺りの事情を、まだ一言も話していない。

 もちろん、さとりは心を読むが、そうさせない為に私はさっきまで心を読まれないよう努力していたのだ。さとりの能力は『考えていること』は読めるが『過去の記憶』までは読めないはずだ。

 そして、さとりが言うならそれは成功していたはずなのだ。

 なのに、何故……?

 

「何故って、貴女が心を読まれるとマズイという結論に至るまでに、自分で記憶を整理しながら状況判断に勤しんでいたからですよ。その間に全部読ませてもらいました」

 

 わーたーしーのーアーホー!

 

「あまり自分を責めないでください。大きな思いを伴う考え程、心の声も大きくなるんですから。非常にうるさいです」

 

 あ、すいません。

 つい普通に謝っちゃう私。

 しかし、こうなるとちょっとマズイぞ。

 私の思考をどこまで読んで、さとりは一体どこまで状況を把握しているのか……。

 

「では、状況整理の続きをしましょうか。

 まず貴女の目的である書状ですが、こちらは既に頂きました。あのチルノという妖精が預かっていた手荷物の中から、勝手ですが拝借させていただきましたよ。

 私が一番懸念していた、旧都での騒ぎの真相もこれで把握しました。規模は桁違いでしたが、こういった揉め事は旧都では日常茶飯事です。勝負として決着もしていますし、これ以上こじれることはないでしょう」

 

 さとりはベッド脇のテーブルにお茶の用意をしながら、淡々と説明してくれた。

 超話が早い。心を読む能力ってこういう時便利だよね。

 うーむ、とりあえず私とさとり。お互いの一番気にしていたことは、これで解決したわけだ。

 私は紫のお使いを済ませ、あとは帰るだけ。……この状態で帰れるかは分からんが。

 さとりが心配していたのは、あの旧都ぶっちぎり大決戦の詳細であって、これも当事者である私と勇儀の間で全部決着はついているから問題はない。

 いや、ぶっ壊した建物とか色々問題は残っているような気がするが、その辺は『ロスじゃ日常茶飯事だぜ!』って感じで気にしないらしい。

 地底、マジ世紀末。

 しかし、その上で私が気にしている新しい懸念が――。

 

「貴女が前世の記憶を持つ、いわゆる転生した人間であるという点ですね」

 

 ……やっぱり、バレていたか。

 

「前世の記憶や転生といったものは、さして珍しいものではありません。

 そもそもここは旧地獄。死んだ後に現れるモノが集う場所です。貴女の魂がかつて何処にあり、どういった過程で今の場所に宿っているかなど正直興味はありません」

 

 さとりの半分瞼を閉じた両目が向けられ、それとは裏腹に私の心の底までハッキリと見通しているようだった。

 いや、実際に見通しているのだ。

 

「しかし、貴女の持つ前世の知識は非常に興味深い。

 貴女が今も扱い悩んでいる情報――『東方Project』という単語を中心とした様々な事項と、その繋がりも既に私はおぼろげに理解出来ています」

 

 やっぱりか……。

 私の持つ知識は、この幻想郷という世界の根本に関わるものだ。

 正直、私なんかが扱うには荷が重過ぎると感じる。

 きっとこの世界に住む誰も知る必要はないし、知らないに越したことはないとずっと封印してきた。

 だが現状、それらの情報をさとりから隠し通すことは出来ず、一体何処までが許容範囲なのかと、在りもしない定規で必死に自分の持つ知識の重要さを測っていた。

 その過程を、さとりはしっかりと読み取っていたらしい。

 私に向けられた第三の眼とさとり自身の瞳が、責め立てているように見えるのは錯覚だろうか……。

 

「ええ、錯覚ですよ。私は別に貴女自身に対して何か思うところはありません」

 

 …………あっるぇー?

 

「そもそも貴女が気に病んでいるのは『この世界が東方Projectという創作物である』という自身の知識に対してでしょう。

 貴女は幻想郷とそこに住む人妖が『げぇむ』なる創作上の存在だという知識を持っている。それがこの世界の住人の存在を軽いものと貶めているような気がしてならない、と考えているのでしょう」

 

 うん、その通りです。

 だってねぇ、いきなり『実は君達架空の存在なんだよね。本に出てくる登場人物みたいなもん。こっちはそれを読む側。君らのやってること全部シナリオ通りプゲラw』とかやられたら、誰でもいい気はしないでしょ?

 

「最後の『プゲラ』の意味が分かりませんが、まあ言いたいことは分かります。

 私も他人事ではないようですしね。『東方地霊殿』ですか? 近い将来、この地霊殿で起こる騒動が決定しているというのは、予言よりも厄介な話です」

 

 あー、その辺もやっぱり読まれてるかー。

 さとりとの対面で動揺した時や、ついさっき見た子供のような容姿の霊烏路空から色々考えちゃったもんね。

 しかし、あの無邪気で幼い女の子が、核の力を取り込んでスーパーパワーアップしちゃうわけか。

 なんか複雑だなぁ……。

 

「それは私も同感です。

 身内にそんなことが起こるなんて、今でも信じられませんし、未だ幻想郷に現れてもいない事件の首謀者を警戒することも出来ません。

 だけど、それらは運命よりも確実に起こるだろうことが、これまでの実績により証明されています。きっと、この世界の存在と同じように、それらの出来事も起こるのでしょう」

 

 ……いや、でもどうだろう?

 こうして私の知識を読み取ってさとりまでが知った時点で、もう『原作の物語』とは違っているのだ。

 さとりは将来起こり得る出来事に今から備えることが出来るし、そもそもこの世界に筋書きが存在しないことは数十年を生きた私が実感と共に確信している。

 既に流れは破綻していると言っていい。

 

「まさにそれです。

 貴女はこの世界が自身の生きる現実であることを十分に理解している。

 単なる知識として把握しているだけであって、ここを創作物の上に成り立つ舞台だなどと思ってはいない。

 結局、貴女が自分の知識に翻弄されて勝手に罪悪感や後ろめたさを感じているだけですよ。貴女は私達と同じ、この世界に生きる存在の一つです。悩む必要などありません」

 

 さとりのハッキリとした物言いが、むしろ私にとって大きな救いとなった。

 そうだよね。ご飯を食べて、眠って、人と出会って、話して、痛い思いをしたり楽しいことを経験したり――私は、ここで生きている。

 それは絶対に間違いのないことなんだ。

 私の持つ知識は役立てたり使ったりしていたものであって、決して囚われるものではない。

 

「その通りです。ですからいちいち気に病むのはやめてください。非常に煩わしいので」

 

 ありがとう。その冷たい言葉すら、今の私にはツンデレに勝手に解釈出来るよ。

 ちなみにツンデレというのは……。

 

「いや、そんな単語の詳細なんて聞きたくないですから。普段ツンツンで……? いや、私のどこがですか!」

 

 うむ、外の世界の知識はまだ早すぎたらしい。

 日本人は未来に生きてるって言われてるくらいだしね。

 しかし、こうして私の懸念が取るに足らないものだということが、幻想郷の代表としてさとり自身の口から聞けたワケだが……。

 でも、本当に気にならない?

 単なる妄言ならともかく、自分達が人間の考えた創作物の中の登場人物だということがある程度の実証と共に突きつけられてるわけだよ?

 なんつーか、哲学的になるけどアイデンティティというものに疑問を抱いたりはしないかな?

 いや、自分で言っててこの辺は私にもよく分からないんだけど。

 

「私にもよく分かりませんが、ただそんなに深刻に考えるほどのことではないと思いますよ。

 そもそも貴女自身で言っていて気付きませんか? 妖怪という存在自体が、人間の考え出した幻想の中のものでしょう」

 

 えっ、そういう解釈でいいの!?

 確かに、外の世界での妖怪とは『昔の人間が遭遇した、当時の認識では不可解だった出来事を定義付けたもの』として扱われている。

 かつては神が行っていたとされる、雨や風は気温による大気の変化だし、地震は地下の岩盤のずれが動くことで起こるものだ。

 怪我や病気は妖怪によって引き起こされるものではない。

 今では科学的に解明されたものが、昔は妖怪として扱われていた。

 これが外の世界の認識だろう。

 しかし、それでは私がこの幻想郷で遭遇してきた数々の妖怪達は一体何だというのか?

 彼らあるいは彼女達は実際に存在し、伝承通りの能力や現象を伴って活動している。

 私にとって妖怪とは現実に存在するものであり、人間が創作した云々という辺りは、結局本当に実在する妖怪を言い伝えた末に今は科学的に解釈して幻想に貶めているのではないかと思っていたのだ。

 ――実は存在していないが、人間によって創作された。

 ――実は存在しているが、人間による創作とされた。

 一体、どっちが正しいのだろうか?

 

「鶏が先か卵が先か、という奴ですね。永遠に答えの出ない問題です。

 妖怪の起源も同じことですよ。私達は確かに存在しますが、現実的とは対極に在る幻想的な存在だということもまた事実です。

 どちらが正しいかなど、確かめる術はありません。むしろその曖昧さこそが、私達妖怪を妖怪たらしめているのではないかと私は思います」

 

 う、うーん。難しい話になってきた。

 水木先生呼んで来た方がよくね?

 とりあえず、自分達が人間の創作で生まれた可能性があったとしても、妖怪はそういうものだから気にしないってことでいいのかな?

 

「自分達の根源を真剣に考えるなんて、そもそも人間くらいのものですよ。

 そんな思考の行き着く先は、結局自己解釈による自己満足か自滅くらいのものだというのに」

 

 どっちにしろ、自分の中だけで全部話が終わっちゃうってことね。

 最後になんとも手厳しい言葉を付け加えて、さとりは私の悩みを綺麗さっぱりまとめてくれた。

 頭の悪い私ではなんとなく納得することしか出来なかったが、まあその『なんとなく』で十分なんだろうな。

 結論としては、私の勝手な考えすぎってところに落ち着いたわけだし。

 あー、なんかさっぱりしたー!

 相変わらず体の調子は最悪だが、胸の内は爽快感に満ちていた。

 いや、これはもしかしたら生まれて以来一番の爽やかな気分かもしれない。

 私が前世の知識を自覚してからずっと、他人には明かせないと思って封印してきた部分を、たった今さとりに全部打ち明けたのだ。

 その上で、何も問題がないと諭されたのだから、この人生数十年分の苦悩が一気に解決したと言ってもいい。

 そこまで大げさにするほど悩んでいたわけじゃないが、それでも今回さとりに出会わなければ一生抱えていたかもしれない荷物を降ろせたような気分だ。

 なんつーか、スゲーッ爽やかな気分だぜ。新しいパンツをはいたばかりの正月元旦の朝のよーによォーッ。

 改めて、さとりには礼を言わなければならない。

 単純に私を助けてくれたことも含めて、本当にありがとう。

 

「ありがとう」

「……いちいち声に出さなくてもいいですよ」

「言葉にすると重みも違うさ」

 

 私がそう言うと、さとりは何故か黙り込んでしまった。

 ありゃ? 何か気に障る言い方だったかな。

 いや、待て。さとりは私の考えていることが分かるんだから、何か無意識に不快なことを考えていたのかもしれない。

 さっきの礼は何の混じりっけもなしに純粋な感謝の気持ちを言葉にしただけだから、余計な思考は挟んでいないと思うんだが……って、あら? さとりの顔がちょっと赤く――。

 

「ああ、もうっ。なんでもありませんから、それ以上私のことについて考えないで下さい。恥ずかしいんですよ」

 

 恥ずかしい?

 何故だ。

 

「……また一つ、貴女という人間が分かりました。意外と鈍いですね」

 

 なんですと!?

 

 

 

 

 妖怪の山の麓に空いた大穴から、一匹の黒猫が飛び出して来た。

 それだけならば別に珍しい光景ではないだろう。

 しかし、その大穴は地底世界へと繋がる出入り口だった。

 その『内側』から出てく来るものなど、本来ならば在りはしないのだ。

 穴の先にあるのは忌むべき妖怪達が封じられた世界であり、そこから現れ出たというのならこの猫もまた――。

 

「へえ、ここが地上かぁ」

 

 二本の尾を持つ化け猫は、外に出ると同時に少女の姿へと変化した。

 視界には新鮮な光景が広がっている。

 岩や苔ばかりの地底とは違う、地上は緑豊かな生命に溢れた世界だった。

 木々のざわめき、水のせせらぎ、小鳥のさえずり――なんとも、静かなことだ。

 

「馬鹿みたいに喧しい旧都とは大違いだね」

 

 化け猫は喧騒溢れる薄汚い地元を思い出し、何故だか早くも懐かしさを感じてしまった。

 地上に対して物珍しさ半分の興味を抱いていたが、実際に上がってみてつくづく実感した。

 ここはどうにも肌に合わない。

 穏やかすぎるのだ。

 路地裏の何処かでいつも罵声と怒号が飛び交う旧都と比べると、この世界には肌のひりつくような『熱さ』が足りない。

 

「なんていうか、ヌルイんだにゃー」

 

 目の前の光景をどこか嘲笑するように冗談めかして呟いて、化け猫は肩を竦めた。

 気分を切り替える。

 観光目的でわざわざ地底から這い上がってきたわけではないのだ。

 敬愛する主から与えられた仕事を遂行する為に、緩んでいた気を引き締めた。

 与えられた地図を取り出して、向かうべき場所を確認する。

 全く未知の土地だったが、不安や緊張などまるでない。

 ここは地底に比べれば、庭先のように穏やかで安全に思えた。

 

「さて、博麗神社って所は……」

「博麗に何か御用かしら、子猫ちゃん?」

 

 不意に掛けられた声に、全身が総毛立った。

 気を引き締めていたはずだ。

 それなのに、文字通りの不意打ちだった。

 威嚇や牽制すらも忘れて、一気に固くなった全身を必死で声の方へ動かす。

 そこに立っていたのは、風見幽香という名の大妖怪だった。

 

「……あ、あのー?」

「名乗りなさい」

「火焔猫燐です」

 

 優しく告げられた幽香の催促に、絶対的な強制力を感じながら燐は即答した。

 強制力とは即ち、相手の意向に背いた瞬間襲い掛かるだろう死の予感だった。

 燐は先程の自身の見解を訂正した。

 地上とは、実は思った以上に恐ろしい場所なのか?

 それとも、自分は運悪くこの地上で一番おっかない妖怪にいきなり出会ってしまったのか?

 

「そ……それでお姉さん、あたいに何か用なのかい?」

「貴女、そこの穴から出て来たわね。地底の妖怪なのかしら?」

「そうだけど……ちゃんと許可証を持って出て来たんだよ。地底で一番偉いご主人様の命令でさ」

 

 燐は恐る恐る、結界を通る為の許可証として機能する符を取り出した。

 この符は地底から地上へ出る場合にしか機能しない。

 地上から再び地底へ戻る為には、地上の管理者から新たな許可を得る必要があった。

 つまり、勝手な理由で地上へ出ることは出来ないし、一度出れば戻ることも出来ないのだ。

 

「ね? あたいは仕事で来てるのさ。遊びだとか、迷い込んだとかじゃなくて……」

「仕事の内容は?」

 

 有無を言わせぬように、幽香が畳み掛けた。

 さすがにその質問には燐も即答は出来ずに息を呑む。

 目の前の妖怪が自分よりも強く、恐ろしくて何より残酷であることを燐は直感していたが、彼女の主への忠誠心は高かった。

 

「……い、言えないよ」

「貴女、色々と余分な物が多すぎるわ」

 

 幽香は笑顔を維持したまま、氷のような声で告げた。

 

「耳。尻尾。手。足。眼」

「あ……ぅ……っ」

「その半分くらいでも、十分生きていけるでしょう?」

 

 無造作に手を掲げると、幽香がゆっくりと歩み寄った。

 その手が届けば、触れた箇所が無造作に毟り取られるに違いない。

 わずか数歩分の距離が、自分に与えられた猶予なのだと燐は悟った。

 幽香の要求に応えることは出来ない。

 立ち向かうことも出来ない。

 そして、逃げることさえ出来なかった。

 残された道が、恐怖と苦痛にただひたすら耐え抜くことだけだということを理解した燐は目に涙を溜めながらも、必死で口を閉ざした。

 

「やめなさい、風見幽香」

 

 幽香の歩みが止まった。

 天の助けとも思える声に、燐は慌ててその方向を見た。

 この絶対的窮地から救い出してくれる希望の光。

 

「その猫は貴女の客ではありませんわ。私のよ」

「八雲紫……」

 

 光などなかった。

 新たに現れたのは、地上で一番おっかないと思っていた妖怪と並ぶような化け物だった。

 一体どんな力が働いているのか。空間に裂け目を作り出し、地底でもまず感じられない程の瘴気が溢れるそこから歩み出てくる。

 風見幽香と八雲紫。

 燐にとって別次元の存在とも言える二体の大妖怪が、左右に佇んで無言の敵意をぶつけ合っている。

 何故、自分がこんな目に……?

 足掻くことすら出来ない窮地で、燐はひたすら己の不運を嘆くしかなかった。

 

「どういう意味かしら? この猫が貴女の客とは」

「そのままの意味ですわ。貴女は部外者ということね、幽香」

「気安く呼ばないで頂戴」

「あら、先代は呼んでもいいのに?」

「……殺すわよ」

「陳腐な文句を使わないでくださいな、大妖怪さん」

 

 この澄み切った晴天の下で、何故進んで地獄を作ろうとするのか燐には理解出来なかった。

 二人はまるでお互いの性質が反発し合うように、相手への牽制を繰り返している。

 

「使いに出した子飼いの巫女が戻らないから、大慌てで貴重な手がかりを確保しに来た、といったところかしら?」

「彼女は私の大切な友人よ。貴女と違って、興味本位で接しているわけではありませんの」

「ふんっ、よくもそこまで開き直れるわね。妖怪として、何処か外れてるんじゃない?」

「羨ましい? でも駄目。貴女では彼女にそこまで近づけない。良くて手強い敵といった程度の認識よ」

「……何がそこまで誇らしいのか分からないけれど、そんな大切な巫女が今どんな状態なのかアンタは理解しているのかしらね?」

「あらあら、興味深い発言が出ましたわね。そもそも貴女は何故ここにいるのかしら?」

「さあねぇ。事情を知らない部外者のアンタには関係ないわね」

「事情なら聞いたことがありますわ。最強を自称していた大妖怪が、自分を負かした巫女の尻を追い掛け回しているという関係のことね」

「あ?」

「ん?」

 

 牽制というより完全に喧嘩腰の二人の間に挟まれて、その場にいるだけで寿命を削り取られていくような錯覚を燐は感じていた。

 いや、果たして錯覚と言い切れるものなのか。

 息苦しくて、今にも本当に心臓が止まりそうだ。

 

「……このままでは平行線ですわね」

「私からアンタに渡す情報は無い」

「結構。程度の差はあれど、お互いに情報不足ですわ。ここは一つ、当初の目的を果たしましょうか」

「そうね。いい加減、次の段階へ進みたいわ」

 

 紫と幽香は、互いに矛先を納めて不毛な争いを止めた。

 その代わりに、実りある行為の対象として、二人同時に哀れな化け猫へと標的を定めたのだった。

 

「さて、それじゃあお待たせ」

「話してもらいましょうか? いろいろと……ね」

 

 燐は、地上における知識として一番重要なことを、その日記憶に刻み込んだ。

 ――地上の妖怪の中で、日傘を差した奴は最悪なのしかいない!

 

 

 

 

 ――えへへ……おめえ……やさしいなァ。

 ――ミノルみたいだよ……。

 

「こうして、潮は初めて嘘を吐いたのでした。『ブランコをこいだ日』おしまい」

「うぅ……ぐすっ。ひっく……!」

 

 さとりん、マジ泣きである。

 

「……すみません。創作された物語とはいえ、同族の話をこうまで見事に描かれると、どうにも感情移入が……ぐす」

 

 いや、確かに名作だと思うけどね。

 あの後、さとりとの話題は自然と私の持つ前世の知識の中身へと移っていった。

 むしろ当面の問題がなくなったさとりとしては、原作や未来がどうこうと言うよりも、全く未知の領域にある世界の話の方が俄然興味を惹かれるらしい。

 前世の私が生きていた世界が、この幻想郷の外の世界と同一とは思えないのだが、現代知識として共通する部分は非常に多いだろう。

 私はさとりに尋ねられるまま、それらを答えていった。

 外の世界の人間はどんな風に過ごしているのか? から始まり、説明の中で出てくるこの世界では馴染みのない単語を解説して、そこからまた新しい疑問が――。

 用意されたお茶とお菓子を間に挟みながら話しているうちに、私が無意識に思い浮かべたことをさとりは読み取った。

 

 ――私のような覚妖怪を題材にしたお話が、外の世界にはあるのですか?

 

 人間と妖怪の絆を描いた、個人的に聖書とも言える超傑作漫画である。

 その時の私の心境。テンション急上昇。

 尋ねたな?

 尋ねてしまったな?

 私に好きなものを語らせると長いぜ!

 まあ、実際は口下手だからむしろ会話自体が長続きしないのだが、心を読み取ってそのまま会話出来るさとり相手なら別である。

 私はまず漫画の説明から初めて、その作品の全体的な解説、漫画の中の世界観を知ってもらう為に幾つかのエピソードを簡単に話した後、最後に質問の対象であったお話を語って聞かせた。

 その結果、さとりは感極まって現在鼻を啜っている有様である。

 ふっ、何故か心に満ちる達成感。

 ドヤァ……。

 

「別に貴女の考えた物語ではないでしょう。イラッと来るので、やめてください。表情に出ない分余計にむかつきます」

 

 あ、はい。すみません。

 ちょっと充血した眼のさとりに睨まれて、尤もなことを言われてしまう。

 

「しかし、確かに非常に面白いお話でした。こんなに感動したのは久しぶりです。

 地底には文学や芸術といった娯楽が極端に少ないですからね。お酒と喧嘩だけで毎日が楽しめる妖怪ばかりですから」

 

 確かに。旧都を通って感じた地底の印象と、さとりの物静かな人柄はどうにも相性がよろしくないような気がする。

 基本的に出会った相手に『ヒャッハー! 首捻り切って玩具にしてやるぜー!』で即対応な奴らを束ねる存在とは思えない。

 暴力的な雰囲気を全然感じないし、理知的で大人しい人格者だ。

 

「それが妖怪にとって褒め言葉かは分かりませんが、理解してくれて嬉しいですよ。

 私自身も旧都の空気が肌に合うとは思っていません。だからこそ、あまり近づかないようにしてますしね。楽しめることは少ないですが、この地霊殿で静かに過ごしている方が好きです。

 そういった意味で、貴女の持つ知識と出会えたことは幸運だったと思います。娯楽として申し分ない。特にその『漫画』というのが素晴らしい。文章ではなく絵を主体にした臨場感のある物語の運びは、見ていて飽きません」

 

 えっ、見ていて……?

 さとりの心を読む能力って、私の思い浮かべた映像まで見ることも出来るの?

 

「この辺りの感覚は、おそらく私自身にしか理解出来ないものだと思いますが、だいたいその通りです。

 今の私の読心は、貴女の説明してくれた外の世界の『アニメ』というものにとても近い状態で機能しています。

 心の声を聞くだけではなく、視覚的に思い浮かべたイメージも同時に見ることが可能ですよ」

 

 おー、すげえ!

 いや、語っているうちに『ぜひ、この漫画そのものを読んでもらいたいなあ』と考えたのだが、既に叶っていたんだな。

 私の拙い語りでは、お話の魅力や臨場感を十分に伝えられていたか不安だったが、そんな心配はなかったわけだ。

 

「ふふっ、貴女の語りもなかなかのものでしたけどね。

 実際に口にする分には言葉足らずで拙いものですが、心の中では感情を込めて必死に語っているのが聞こえました」

 

 なんかそれってすごい恥ずかしい気がするんですけど……。

 熱く語った後に、冷静になって思い返すと随分はしゃいでいたような気がする。

 まあ、こんな趣味で語り合える相手って今までいなかったからなぁ。

 私自身にとっても、さとりとの出会いはこれまでの人生で一番の幸運だったと思うよ。

 ありがとう。

 

「……そうやって、たまに恥ずかしいこと考えるのやめてもらえませんか?」

 

 はっはっはっ、この照れ屋さんめ!

 さとりからは鈍いと評された私だが、こうしてしっかりと会話が成立するのなら相手の機微だって人並みには分かるのだ。

 先程からの会話で反応を見る限り、さとりは好意的な対応に弱いようだな。

 好意的な対応で何故に動揺する必要があるのかは分からんが、私自身は別段意識してそういったことを考えているわけではない。

 ごく自然な受け答えなので、責められても困るのだ。

 恥ずかしがるさとりんを見て、楽しむ気持ちはありますけどね!

 

「自分の心を読む相手なんて、普通は気味の悪いものでしょう?

 貴女の原作とやらの知識にもあるように、この能力が他の妖怪からも忌み嫌われる要因なんですよ」

 

 うーん、心の中を覗かれて困ると思うことはあるけど、忌み嫌うほどかと言われると別にそうでもないけどね。

 でも、これはきっと私に限った話なのだろう。

 例えば年頃の男なんかが、こうして美少女なさとりと面と向かえば、そりゃ無意識に性的な考えを思いついてしまうこともあるわけだ。

 実際、私の知識にもオブラートに包めば『萌え』と表現出来る欲望の対象として描かれたさとりの創作物も存在する。

 そんな欲望を読み取られれば、当然恥ずかしい。

 いや、恥ずかしいなんてまだまだ温い反応なんだろうな。

 

「そういうことです。

 加えて読まれるのは一方的で、相手には私が心を読み取って何を考えているかは分からないんですからね。馬鹿にされている、見下されていると思い込む反応が大半ですよ」

 

 だよね。コミュニケーションってのは実に難しいもんだ。

 

「他人事のように語りますね……その能天気さがあるから私と会話なんか出来るんでしょうけど。

 貴女の心は雄と雌、いずれの属性にも傾いていない。非常に中立的な均衡を保っています。おそらく前世が何らかの影響を及ぼしているのでしょうが……」

 

 例えば、前世の私が男だったとして、互いに違う性別が相殺し合ってるってことなのかな?

 この辺は私も自分事なので何度か考えたことがあるが、考えても答えは出ないし、あまり意味もないので長続きしない疑問だった。

 とりあえず、性的な眼でさとりを見てどんな反応されてしまうのか戦々恐々することがないという安心感はあるわけだ。

 

「……まあ、私としても気を使わなくていいから、それでありがたいんですけどね。

 ちなみに性別は心の声にも影響してくるんですが。貴女のその中性的な声は、高くもなく低くもなく響くので、落ち着いていて結構好きですよ」

 

 ろっとぉ! なかなかストレートな言い方をしてくれるな。

 うん、まあ……そのぉ、ね。

 好きとか嫌いとか最初に言い出したのは誰なのって話になるわけだが……。

 

「照れ屋さんですね」

 

 ニヤリといった感じの笑みを浮かべながら、流し目を送ってくるさとりん。

 ううむ……さっきの意趣返しを喰らってしまった感じ。

 恥ずかしさのあまり頭がのぼせるような気分だ。

 ……あれ? っていうか本当にクラクラしてきた。

 

「これは……」

 

 急に体を起こしているのもダルくなって、ベッドに横になった私の額にさとりの手がそっと乗せられた。

 小さい手だなぁ。それに冷たい。

 でも、知ってる?

 手が冷たい人って心が温かいんだってさ。

 じゃあ、修行のしすぎで手が岩みたいになっている私の心はどんなもんなのかと。

 

「こんな状態で、よくそんなに色々なことを考えられますね。

 ……とにかく、酷い熱です。傷が熱を持ち始めたのかもしれません。調子に乗って少し話しすぎてしまいましたね」

 

 確かに、考えてみたら私ってば重傷なんだよね。

 鬼と死闘を繰り広げて半死半生だってのに、応急処置だけしてちょっと眠った程度で状態が良くなるわけがない。

 っつーか、むしろ悪化してますか?

 それに私ってばリミッター解除技使ったんだよな。あれの反動が本格的に体に来たか。

 さとりとの会話が楽しすぎて、自分のことなのに全然意識が行かなかった。

 

「一応、光栄なこととして受け止めておきますよ。

 貴女が目覚める前に、私のペット……ああ、説明する必要もありませんか。お燐を地上へ使いに出しました。多分、今日中には迎えが来ます」

 

 い……いつもすまないねぇ……。

 

「それは言わない約束でしょう、おとっつぁん――って、このやりとりにどんな意味があるんですか?

 私が外の世界の知識に疎いからって、わざと心を読ませてからかうのはやめてください。そんな余裕があるなら、迎えが来るまで臨終しないように気をつけてくださいよ」

 

 な、何気にエグイこと行ってくれるねぇ。

 でも実際、勇儀との戦いではマジで死を覚悟したことだし、そんな戦闘を終えた身で油断も出来ないか。

 じゃあ、少しでも体力を温存する為に寝ます。

 そのままぽっくりいっちまいそうな不安はあるが、なんかまた意識が朦朧としてきたしね。

 不安だから、ぼくが眠るまで手を握っててよママン。

 

「いいですよ。はい」

 

 …………マジで?

 冗談のつもりだったのに、さとりはあっさりと私の手を握ってくれた。

 

「冗談のつもりでも、不安なのは本心だったでしょう?」

 

 う、うむ……。

 心読めるから誤魔化しだって効かないよね。

 なんだかそれが恥ずかしいような、ありがたいような。複雑な気持ちだ。

 傷のせいか弱気なのは確かなんだけど、こういう弱音ってあまり吐いたことないんだよね。

 付き合いの長い紫相手にだってほとんど言ってない。

 さとりとの会話が馴染みすぎて、つい気安くなってしまっているようだ。

 

「別に構いませんよ、手を握るくらい」

 

 素っ気無い言い方が、むしろ心地よい。

 それじゃ、ちょっとお言葉に甘えさせてもらおうかな。

 おやすみ。

 ありがとう――。

 

 

 

 

「本当に、能天気ね」

 

 眠りに就いた先代を見下ろして、さとりは呆れたように呟いた。

 彼女の心を初めて覗き込もうとした時、その内側が想像を絶するものであると覚悟していた。

 そして、実際にある意味それは当たっていた。

 恐るべき鬼。しかもその中でも特に極めつけの大物を相手に戦い抜き、挙句勝ってしまった人間は、本当に外見からは想像出来ないほど純朴で能天気だったのだ。

 特異な前世の知識以上に、その事実がさとりを一番驚かせた。

 今もこうして、忌み嫌われた妖怪に手を握られて、得体の知れない場所で、死にそうな傷を負いながらとても安らかな寝顔を晒している。

 無警戒な心は好ましい。

 特殊な生まれのおかげなのか、覚妖怪相手にあそこまで好意的な思考を見せてくれることも嬉しいとは思う。

 しかし、さとりにとって先代巫女は単純に人柄だけで対応を決めかねる相手だった。

 まずはその戦闘力。

 恐ろしく感じると同時に心強いとも思える。

 あの星熊勇儀に打ち勝った力だ。敵ならば恐ろしいが、味方ならば実に頼もしい。

 次に保持する知識。

 未来予知に近いこの世界の知識に加えて、外の世界に関する様々な情報は実に有益だ。

 力と知。

 この二つを味方にすることが出来れば、心強いことこの上ない。

 さとりは自身のこのような考えを邪なものだと自覚していた。

 もちろん、別に大それたことを企んでいるわけではない。そんな野心はさとりには存在しない。

 ちょっとした打算だ。

 彼女が友人になってくれれば、自分に足りないものを補ってくれる。

 先代に対して自分が好意を持っているのは間違いないが、そこにはこういった部分も含まれるというだけなのだ。

 

「ま、話した内容に嘘はないものね」

 

 無自覚に卑屈な微笑を浮かべながら、言い訳のように呟く。

 彼女に聞かせてもらった外の世界の物語は、本当に感動したし、また聞かせてもらいたいと思う。

 それを語る彼女の声も好きだ。

 さとりの偽らざる本心だった。

 そこに加えて、更に自分の益となる要素を兼ね備えているのだ。

 そんな彼女と友好関係を結びたいと思うのは、別段おかしなことも不合理なこともない。実に単純な結論ではないだろうか。

 幸い、相手も同じように好意を抱いてくれている。

 お互いに不利益なことなど何もない関係だ。

 相手の心が分かる為に、こんな風にどうあっても交流の中で打算が働いてしまう自分に軽い嫌気は差すが、それもまた慣れた感覚だった。

 この能力とは生まれてからずっと付き合ってきたのだし、これからもそうだろう。

 妖怪としての性質である以上、自分自身で否定することなど出来ない。

 これが嫌われ者の妖怪『古明地さとり』の生き方なのだ。

 

「悪いようにはしませんよ、ねえ?」

 

 さとりは先代の火照った寝顔をそっと撫で付けた。

 眠りが深いことを確認すると、握られた手を優しく解く。

 友好関係を求める以上、彼女の看護はきっちり行うつもりだった。

 まずは熱冷ましの氷嚢と薬が必要だと思って、部屋を出た。

 ついでに、別室に押し込んだチルノとお空がまた化学変化でも起こして騒ぎになっていないかも気になる。

 色々と考えを巡らせながら、こうして悩むことが妙に楽しいことに気付いた。

 身内や仕事などで頭を悩ませることは多かったが、そんな時の不安感とは全く正反対だった。

 さて、これは久方ぶりに触れたあの明るくて軽い心のせいか?

 そうして新鮮な気持ちで廊下を歩く途中で、聞き慣れた心の声が慌てた様子で近づいてくるのを察知した。

 

「お燐?」

 

 近づく者の正体を察した瞬間に、曲がり角から黒猫が飛び出してきた。

 燐の猫の姿だ。

 

「お使いは済ませたのかしら。随分と早かった――っ」

 

 毛並みは荒れ、思考は混乱気味で、いかにも全力疾走をしたといった様子の燐を労わりながら、より深く心を読んださとりは、その段階で凍りついた。

 燐の心の声は、地霊殿への緊急警報に等しかった。

 

 ――八雲紫と風見幽香。地上からやって来たとんでもない妖怪二人が、現在地霊殿の入り口前で星熊勇儀と睨み合っている。

 

 

 

 

「遠路遥々、よく来たねぇ。地上との行き来に関する取り決めは、この際置いておこうじゃないか。歓迎するよ」

 

 勇儀は豪快に笑いながら、二人の来訪者を出迎えた。

 

「取り決めを破るつもりはありませんわ。古明地さとりからの召喚状を頂いたので、地上の管理者として特例を通させていただきます。隣の妖怪は知りませんけれど」

 

 紫は柔らかな物腰で応対した。

 

「地上も地底も、許可も不許可も私には知ったことじゃないわ。ここに来た理由はシンプルよ」

 

 幽香は牙を剥いて、障害となる可能性のあるもの全てを威嚇した。

 地霊殿の入り口前で、幻想郷全てを含めてもトップクラスに位置する妖怪達が対峙している。

 三人ともが笑顔でありながら、踏み入る者全てに死を予感させるような空間を形成していた。

 地霊殿は旧都の中心に位置しているが、もはや周囲には妖怪や生物などあらゆるものが存在しない。

 誰もが本能的に危機を感じて逃げ出したのだ。

 

「この屋敷に先代巫女がいることは知っているわ。出しなさい」

「ほほう、出したらどうするんだい?」

「お前に話す必要があるかしら」

「ははっ、こいつは豪気だなぁ」

 

 殺気を剥き出しにする幽香に対して、勇儀は大らかに応じた。

 しかし、山の如き不動の態度は、彼女の要求を言外に拒絶することを表している。

 

「その状態で、私とまともに渡り合えると思っているの?」

 

 傷だらけの勇儀自身を指して、脅すように告げる。

 勇儀と先代の戦いを見ていた幽香には、それらのダメージがどれ程深刻なのかよく分かっていた。

 腫れ上がった顔とボロボロの歯。体中に包帯を巻いた大雑把な治療では隠し切れない傷の数々に、肩を砕かれた右腕では盃を持つことすら出来ない。

 最後の瞬間だけは幽香も見届けていないが、胸に開けられた穴は当然癒えてなどいなかった。

 先代巫女との戦いに敗北した勇儀には致命的なダメージと疲労が残されている。

 

「ああ、最高の状態さ。この傷は■■■との絆だ。今の私なら限界なんぞ軽く突破出来るよ。試してみるかい?」

 

 勇儀は強がりでも何でもなく、完全に本心から自信を持って答えた。

 愚かしい虚勢だと捉えながらも、あの戦いを知るからこそ否定しきれずに舌打ちして黙り込む幽香の一方で、紫が勇儀の口にした名前に反応する。

 

「何故、貴女が先代の名前を知っているのかしら?」

「おっと、そうだった。これを知っている奴は少ないらしいね。

 こいつは勿体無いことをしちまった。タダで聞かせてやれるほど、安い貰い物じゃないんだ」

「貰い物……? 彼女が、貴女に直接名乗ったというの?」

「ふふふ、いいねぇ。お前さん、さっきの飾った物言いよりもずっと魅力的だよ」

 

 無意識に内心の苛立ちが、紫の口調に表れていた。

 威圧的な幽香のそれとはまた違った紫の静かな殺意を肌で感じながら、勇儀は嬉しそうに微笑む。

 三者の間に張り詰めた空気は、今やピークを迎えようとしていた。

 考えられる限り最悪の組み合わせで、周囲を巻き込む程の死闘が始まろうとしている。

 

「そこまでにしてもらえませんか。騒動だらけの地底でも、今日はもういっぱいですよ」

 

 地霊殿の扉が開き、一触即発の状況へ声が割り込んだ。

 さとりだった。

 傍らには闘争の空気に緊張した面持ちのお空と、幽香を見て驚いた顔をするチルノを連れ立っている。

 さとりが未だ互いの敵意に構え合う三人へ歩み寄るより早く、チルノが駆け出した。

 

「ねえ、あんた幽香でしょ」

「……ええ、直接会うのは初めてね」

 

 一度、ボム用の分身を作り出してチルノの前に現れたが、二人は今改めて顔を合わせていた。

 お互いに先代巫女という人間を接点にして知り合った程度の間柄だ。

 幽香は妖精を見下しているし、チルノは目の前の妖怪を意地悪な奴だと思っている。

 しかし、そんな二人はしばらく視線を交わすと、不意に小さく笑い合った。

 

「先代とそこの鬼との戦い、最後まで見届けたでしょうね?」

「うんっ、お師匠が勝ったよ!」

「当然だわ」

「……手厳しいねぇ」

 

 二人のやりとりに、毒気を抜かれたように勇儀が苦笑を浮かべた。

 それに続いて、紫も普段の冷静さを取り戻す。

 最も話の通じる地霊殿の主が出てきたことで、理性的な思考が働き始めていた。

 読心を避ける為に自身の境界を弄り、何食わぬ顔で話を切り出す。

 

「お久しぶりですわ、古明地さとり。こうして顔を合わせるのは、本来は在り得ないことですけれど」

「地上と地底の間に結界を張る際に立ち会って以来ですか。また面倒なものを寄越してくれましたね」

「それは先代に持たせた書状のことでしょうか? それとも先代そのもの?」

「両方ですよ。

 しかし、貴女自身が出てくるとは予想外でした。博麗の巫女に彼女の迎えを頼むつもりだったのですが」

「先代の容態が少々油断のならないものと聞きましたので」

 

 ――それは後から知ったことでしょうに。

 平然と答える紫の繕った笑顔に対する悪態を、さとりは胸の内にだけ留めた。

 怯える燐の心から読み取ったが、情報を得る為に随分と脅してくれたようだ。

 しかも、肝心の博麗の巫女へは伝えていないらしい。

 紫は独自にこの場へ駆けつけたことになる。

 

「入れ込んでいるようですね」

「ええ、古い知己ですので」

「先代巫女は現在、地霊殿の一室で安静にして眠っています。

 容態に関しては、少々悪化の傾向が見られますね。早々に地上へ戻して、本格的に治療を施した方がいいでしょう」

「……重傷なのですか?」

「一度、目は覚ましました。会話もしましたが、しっかりと受け答えも出来ています。

 しかし、やはり傷が深いですね。特に両足は危険だと思いますよ。まあ、鬼の奥義を受けたらしいので無理もありませんが」

 

 話をしながら紫の様子が不穏なものへと変わりつつあるのを察知すると、さとりはさりげなくその矛先を勇儀へ向けた。

 紫自身は無自覚だろうが、殺気に近いものが溢れている。

 戦闘に向かないさとりにはあまり心地の良いものではない。

 お空などはさとりの陰に隠れて震えている。

 ついでに、傍らで不安そうな顔のチルノと分かりやすい殺気と敵意をばら撒く幽香の存在もプレッシャーだった。

 

「人間相手に奥義とは、戯れにしてはやりすぎですわね」

「お前さんがあの巫女とどういう関係なのかは知らないが……やめてくれないかねぇ、あいつを小さく見るような物言いは」

 

 紫の皮肉を受けて、勇儀は大らかな対応の中で初めて怒りを表した。

 

「私が死力を尽くすのに相応しい人間だったよ。

 盃片手に遊び半分の勝負なんかじゃない。全てを出し切った上で、私は負けたんだ。どんな結果が残ろうと、後悔なんかしない」

「勝手な物言いですわ。鬼の理屈に人間を付き合わせる必要などあって?」

「ないさ。だから鬼は人間を見限ったし、人間に見限られた。

 だがな、あいつはそんな鬼の身勝手な理屈に全力で応えてくれた。私を責められるのは、あいつだけだ。お前さんに何か言われる筋合いはないね」

 

 さとりは勇儀が戦う気になっているのを読み取って内心慌てた。

 冷徹で理性的な紫と、大抵の物事には寛容な勇儀が、互いにここまで一人の人間に入れ込んでいるとは思わなかった。

 さとりの誤算だ。

 

「喧嘩なら後でやりなさいよ」

 

 地霊殿そのものを崩壊させかねない戦闘の勃発を抑えたのは、意外にもその可能性の一角を担う幽香だった。

 さっきから一触即発の連続だ。酷いレベルで拮抗が保たれている。

 

「話をややこしくするんじゃないわ。あの馬鹿をさっさと連れて帰ればいいのよ」

 

 用いた言葉は乱暴だったが、幽香は先代のことを案じている様子だった。

 一人だけ妙にすっきりとした顔をしている。

 しかし、眼に映るその姿の他に心の声も聞いていたさとりは内心で冷や汗を流した。

 これは、なんとも――歪んだ好意だ。

 それとも妖怪らしいと納得すべき部分なのか。

 どちらにしろ、この風見幽香という妖怪も相当に彼女に入れ込んでいるな、と辟易した。

 自宅の玄関先でこんな恐ろしい光景が展開されている理由が、たった一人の人間を中心にしたものなのだ。

 

「……そうね。こんな睨み合いは不毛ですわ」

「そうかい」

 

 再び笑顔の仮面を付け直す紫を一瞥して、勇儀は興味を失ったかのように視線を逸らした。

 スキマを開いて先代の眠る部屋との空間を繋げる。

 紫はさとりの許可を得る間もなく、先代をベッドごとこの場へと移動させた。

 

「んっ……紫、か?」

「おはよう。簡単なお使いだったはずなのに、随分と寄り道をしたようね」

 

 さとりが『うちのベッド……』と呟いていたが、紫は無視して目を覚ました先代に微笑みかけた。

 地霊殿の外で眠りが覚め、周りを紫を始めとして様々な知り合いに囲まれている状況だ。

 先代は珍しく動揺して、目を白黒させていた。

 

「迎えが来たんですよ。ここでお別れになるようです」

「……そうか」

 

 さとりの言葉に、状況を把握した先代は名残惜しそうに呟いた。

 

「え……さとり様、こいつら帰っちゃうんですか?」

 

 さとりが頷くのを見て、お空は少し躊躇った後、先代の傍に寄り添うチルノへ駆け寄った。

 

「やい、妖精!」

「何よ?」

「次来た時には、今度こそさとり様がすごいってことを教えてやる!」

「へんっ、その時にはあたいはお師匠に鍛えられて、あんたのご主人さまよりも強くなってるもんね!」

「じゃあ、わたしも強くなってさとり様を守る!」

 

 よく分からない売り言葉に買い言葉を交わして睨み合う二人だったが、しばしの沈黙の後でおもむろに力強く抱き合った。

 傍から見れば経緯が全く分からないが、とにかく固い友情が結ばれたらしい。

 

「あっはっはっ、いいもん見せてもらったよ。

 こっちも、名残惜しむのは程々にして、気持ち良く別れを済ますとしようかい」

 

 微笑ましそうに見守る先代の下へ、勇儀が近くに停めてあった荷車を持ち出して近づいた。

 

「それは?」

「お前さんにくれてやる餞別だよ。

 折角、鬼退治をやってのけたんだ。首がいらないってんなら、せめて金銀財宝くらいは持って帰らなきゃあな?」

 

 ニヤリと笑って、勇儀は荷車の中身を見せた。

 覗き込んだ全員の眼が見開かれる。

 金銀財宝という表現は全く大げさではなかった。

 上質な金や銀で出来た眩しい光沢を放つ延べ棒に装飾品の数々。人間ならば一財産は軽い。

 またそれ以上に、妖怪の価値観でも高価だと分かる秘宝や由緒ある刀などの武器。史実で失われたとされる神具の類まで無造作に転がっている。

 

「家から適当に見繕って来た私財だ。まあ、地上でなら何かしら価値はあるだろう」

「……これを先代に全て渡すつもりですの?」

「全部欲しいならね。好きなもん持ってけ!」

 

 あっけらかんと言い放つ勇儀に対して、紫は頭痛を感じた。

 外の世界の技術と同じくらい、幻想郷に持ち込まれると困る代物ばかりだ。

 特に神具の類は、その名の通り神掛かった力や効果を宿しているので、一個人が気安く持っていいものではない。然るべき場所に封印や保管されるべき物だ。

 だからといって、鬼の申し出に横から口を出せば、また話が拗れると分かっているので、紫は苦々しげに黙るしかなかった。

 紫の心配をよそに、一通り物を眺めた先代は小さく首を横に振った。

 

「なんだい、気に入らなかったかい?」

「いや……」

 

 たった一つでも人生など軽く変えてしまえる秘宝の数々を前にしながら、それをあっさりと拒絶する。

 

「欲しい物は……もう、持っているからな」

 

 先代は何もかも満ち足りているように、笑って答えた。

 見る者の胸が詰まるような笑顔だった。

 その答えに勇儀は心の底から感服し、紫は穏やかに微笑み、幽香は自身の感情を誤魔化すように鼻を鳴らす。

 ――ただ一人。先代が今何を考えているのか分かるさとりだけは、呆れたようにため息を吐いた。

 

「はいはい、うしとらうしとら」

 

 小声で呟き、無造作に先代の頭を小突く。

 呆気に取られる周囲を尻目に、先代は一変して照れくさそうに笑い返した。

 二人だけにしか分からない以心伝心がそこにあった。

 

「格好つけずに、ケジメだと思って貰っておきなさい。勇儀さん、これなんかどうです?」

「……ん? あ、ああ。そいつは大分昔に妖怪の山を訪れた仙人の爺さんに貰ったもんだよ。『食べても無くならないおむすび』だ。でも、そんなもんで……」

「ほ、欲しい!」

 

 説明を聞いた先代が目の色を変えて食い付いた。

 予想を超えた反応に、さとり以外の全員が驚く。

 

「こ、こんなもんでいいのかい?」

「これがいい」

「うぅん……そうか。まあ、欲しいってんなら何でもいいがね」

 

 竹皮の包みに入ったおむすびを受け取り、そこで力尽きたようにベッドへ倒れ込む。

 息が荒くなっているのは熱のせいだけではなく、興奮しているからでもあった。

 先代がここまで物に執着する様など見たことがない。

 紫は釈然としないものを感じながら包みを胸に抱いたままの先代を見下ろし、次に疑念を含んだ視線をさとりに向けた。

 二人の間に違和感を感じる。

 何なのだ、あの気安さは?

 考えていることが分かるからといって、本質や内面まで読み取れるはずはない。

 何かがあったに違いなかった。

 その『何か』を切欠に、先代は本来踏み込ませないはずの領域までさとりに心を許したのだ。

 疑念は警戒へと変わって、古明地さとりという妖怪への評価を改めることになった。

 思った以上に油断のならない相手なのかもしれない。

 一体何に対する油断なのか理解出来ないまま、紫は無意識にそう考えていた。

 

「それでは別れも済ませましたし、もう地上へ向かわれた方がいいでしょう」

 

 さとりは淡白にそう告げた。

 厄介払いのつもりはないが、それに近い考えはあった。

 三人の敵意や警戒が、またいつ臨界点に達するかも分からないのだ。

 さとり自身も先代との別れを惜しむ気持ちはあったが、引き摺るほど重いものではない。

 

「気が向いたら、また来てください。トラブル無しなら歓迎しますよ」

 

 ベッドに横たわる先代へ、軽い調子で声を掛ける。

 強く望みはしない。一期一会を楽しむ程度で丁度良い。そう思っていた。

 

「また来るよ」

 

 先代もまた、そんなさとりの態度が嬉しくて、気軽に約束した。

 無意識に伸ばした手をさとりが受け止め、一度固く握り合った後で、最後まで触れ合っていた人差し指が名残惜しげに離れる。

 それが本当に別れの挨拶となった。

 紫が地上へと直接繋がるスキマを作り出し、その中へ先代が静かに運び込まれ、次にチルノ、幽香と入っていく。

 最後になった紫は、スキマに足を踏み入れた状態で一度だけ振り向いた。

 しかし、すぐに視線を前に戻すと、そのままスキマの向こうへと消えて行った。

 スキマそのものも消失し、地霊殿の前にはさとり達だけが残された。

 

「うにゅ……行っちゃった」

「友達になったのね、あの妖精と」

「……うん。さとり様、また会えるかなぁ?」

「さあ、難しいんじゃないかしら?」

「おいおい、つれないこと言うんじゃないよ」

 

 寂しげなお空に対して身も蓋もない応え方をするさとりだったが、傍らの勇儀が豪快に笑いながら首を振った。

 

「また会えるさ。間違いない、あいつは嘘を吐かない奴だからね」

「……そうかもしれませんね」

 

 普段のさとりならば勇儀の根拠のない言葉に同調などしなかっただろうが、彼女の心を読むことで思わず納得してしまった。

 なるほど、先代自身がそう言ったのか。

 確かに近い将来、再び地上からの来訪者が現れるだろう。

 この地霊殿で起こる騒動と共に。

 

「この子が核の力を、ねえ……」

「ん、なに? さとり様」

「いいえ、なんでもないわ。さあ、中に入りましょう。

 勇儀さんも、少し休んで行ってはいかがですか? まだ随分と怪我が辛いようですから」

「ははっ、やっぱり分かっちまうかい。いや、本当にあいつは強かったよ」

「知ってますよ」

「お前さんもあいつに随分と気を許されていたねぇ。意外だよ。

 うん、こりゃあ以前言っちまった『面白くない奴』って言葉を取り消さなきゃいけないな。悪かった」

「別に気にしなくても構いませんが……お詫びですか? そこまで考えなくていいですよ」

「遠慮なんざ要らないってことも、その眼で分かるだろう。旧都のことで何か気になることがあるなら、相談に乗るよ」

「そうですか? それじゃあ、中で少し話しましょうか――」

 

 地霊殿へ勇儀を招きながら、さとりは一人静かに安堵していた。

 一時はどうなることかと思ったが、旧都の騒動から始まり、今まで続いた問題がようやく片付いた。

 自分の手元に残された結果はなかなか悪くない。

 先代巫女という一人の友人を得て、それが単純な友情以外にも多くの利益をもたらしてくれた。

 こうして、勇儀の協力を得られる切欠となったのもそうだ。

 八雲紫に押し付けられた難題も、これで随分やりやすくなる。

 いずれ地霊殿で起こる異変も知ることが出来たように、今後も彼女という友人は多くの手助けを自分にしてくれるだろう。

 そういった打算を含んだ期待もあれば、純粋にまた会って話をしたいという気持ちもある。

 

 ――本当に、良い友人を得られたものだわ。

 ――まあ、彼女自身は随分と苦労しそうな境遇にいるようだけれど。

 

 さとりは先代と出会えた縁に感謝しながらも、他人事のように同情した。

 

 

 

 ただ一つだけ、気になることがあった。

 最後の別れ際。

 振り返った紫の視線の先にあったのは、まず間違いなく自分。

 心を読むことに慣れたさとりには、それが出来ない紫の心情を上手く察することが出来ない。

 だからあの一瞬に感じた、薄ら寒い感覚を気のせいだと思っていた。

 

 あの時、古明地さとりを見る八雲紫の瞳に浮かんでいた感情は――。




<元ネタ解説>

「減らないおむすび」

コミック「うしおととら」の作中で出てくる、マヨヒガの宝の一つ。

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