東方先代録   作:パイマン

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紅魔郷編その一。


紅魔郷編
其の二「紅霧異変」


 一つ、妖怪が異変を起こし易くする。

 一つ、人間が異変を解決し易くする。

 一つ、完全な実力主義を否定する。

 一つ、美しさと思念に優る物は無し。

 

 八雲紫が発案し、博麗の巫女が施行した『スペルカード・ルール』は結局のところ、このたった四つの理念に集約される。

 これらの理念に反することなく細かな規制や勝敗の基準を決め、実働に耐え得るものとした決闘方法が『弾幕ごっこ』なのだ。

 紫は幻想郷におけるこの新たなルールの草案を、繋がりを持たない博麗霊夢に送った。

 交わす言葉は無い。

 理念だけを書き記し、後は空白となっている紙を強力な結界の術式で包んで神社に放り込んだ。紙は妖怪同士の契約書と同じ物を使っている。

 紫は、霊夢がただそれだけでこちらの真意を理解すると確信していた。

 彼女は幻想郷を管理する博麗の巫女であり、紫の結界を解くだけの力があり、そしてこのお膳立てから意図を感じ取る鋭い感性の持ち主だからだ。

 先代巫女の陰で、霊夢の成長を見守ってきた紫にはそれがよく分かっていた。

 

 もちろん、いかに博麗の巫女が提唱するルールとはいえ、幻想郷中に住む人間や妖怪がそれに絶対的に従うはずはない。

 このルールは、ある程度力のある妖怪の為に使われるものだから、言葉を解さない木っ端妖怪は数に入れない。ただ、力と知を備える者が必ずしも良識まで持ち合わせているとは限らないのだ。

 己の力に自負があるからこそ、敷かれるルールに反発する者もまた存在する。

 弱者たる人間を見下すのは強者たる妖怪の常だ。

 巫女とはいえ人間。スペルカード・ルールを受け入れる者は、せいぜい三分の一程度か――ならば、残りの三分の一はこの妖怪が補完しよう。

 

 八雲紫はスキマ妖怪。境界を操る程度の能力。

 紫は人や妖怪、妖精など幻想郷の住人の意識を操作し、常識の境界を曖昧にした。

 この新しいルールへの違和感や反発心を緩め、自然なものだと認識出来るようにしたのだ。

『腕力があれば強い』という当たり前の認識のように『弾幕ごっこに勝てば強い』と、そういった価値観に意識を慣らす。

 

 いかに大妖怪といえど、それは大変な仕事だった。

 幻想郷は、狭くも広い。場所によっては生と死、天国と地獄のような世界の境すら存在する。

 それら全てを越え、可能な限り多くの者達の意識に干渉した。

 だからこそ、三分の一が限界だった。加えて、自分と同等の強大な存在相手にはどこまで効果があるか分からない。永続的に行うことも無理だ。

 なんとも労力に見合わない成果だ、と紫は脂汗を流しながら苦笑する。

 しかし、決心はいささかも揺るがない。

 何事も最初が肝心なのだ。

 これで幻想郷の三分の二は、新しいルールを常識として受け入れやすくなった。

 手の届かない最後の三分の一は、周囲の流れが動かしてくれる。

 強大な妖怪といえど、所詮は『個』だ。『群』が動けば、『個』も動かざる得ない。

 強者が持つ拘りや品格は、『群』が構成する周囲の背景や認識があってこそ意味を成すものなのだから。

 

 

 ――後は、実践あるのみだ。

 

 

 消費した莫大な労力とそれによる疲労をおくびにも出さず、八雲紫は幻想郷の空から優雅に眼下を見下ろしていた。

 博麗神社から飛び立つ二人の少女の姿がある。

 一つは紅白。一つは黒白。

 ある場所を中心に広がり、人里を覆って神社にまで及び始めた紅い霧を異変と捉え、その解決に乗り出したのだ。

 博麗霊夢はこれが初めての大規模な異変解決となる。

 彼女がスペルカード・ルールに則ってこの異変を解決して見せれば、それが常識として多くの人妖に固着するだろう。

 一度根ざしてしまえば、あとは大きくなるのを待つばかり。

 ルールが浸透さえすれば、この異変の結末はどう転ぼうと構わないが――まあ、彼女の母と共に成長を見届けたよしみもあり、おまけで無事解決を信じてあげよう。

 霧雨魔理沙に関しては、当初完全に無視していた。

 まさか博麗の巫女以外にも異変解決に興味を持つ者がいるとは思わず、イレギュラーな障害かとわずかに身構えはしたが、結局はそのまましたいようにさせておいた。

 実のところ紫がそう判断したのは、先代巫女が彼女の存在を推したのが大きい。

 紫は魔法使いとして凡庸な魔理沙の存在に何ら興味は抱かなかったが、後に考えてみればそんな弱い人間だからこそ新しいルールに参加するべきなのだと、先代の意図を解釈した。

 今は、脆弱な人間である魔理沙の行動が、このルールの上でどんな結果を残すのか少し興味深い。

 

 とにかく、賽は投げられた。

 

 先代の築き上げた土台の上に新たなルールを敷き、その上を今代の巫女が飛んでいく。

 幻想郷が、新しい歴史を刻み始めた瞬間だった。

 

 

 

「……まあ、思ったよりもあの娘がのんきだったのは誤算ね」

 

 異変が始まって幾日か過ぎ、ようやく動き出した霊夢のマイペースさを呆れながら、紫はため息と共に少しだけ疲れを表した。

 

 

 

 

 霧のせいで肌寒い中、診療所の前を掃除していたら上空を見覚えのある二つの気配が通り過ぎて行くのが分かった。

 どうやら霊夢と魔理沙が異変解決に乗り出したらしい。

 ちなみにこの『気配』って便宜上呼んでる奴。感知できるようになった当初は『これが<気>って奴か……』と感動したものだが、実際には何なのか未だに分からん。なにそれこわい。

 

「――先代。今日も診療所は開いているのですか?」

 

 異変も今日で終わりか? いや、でも実際シューティング的な意味での霊夢の強さってどれくらいなん? プレイヤーに依存するわけじゃないよね。

 いろいろメタ視点で悩んでいると、不意に声を掛けられた。

 紅い霧が広まって以来、外出する人はめっきり減ってしまったので、こうして気軽に診療所へやって来れる人は限られている。

 振り返れば、人里の守護者とも言えるグラマー女教師……いや、上白沢慧音がいた。

 

「ああ。先生は見回りかな?」

「もう不用意に外へ出る者はいないでしょうが、念の為に」

 

 異変が始まって以来、慧音は里の人間を案じて自主的に見回りを行っていた。

 さすが二次創作でもぶれない良識人である。

 

「ご苦労様」

「いえ。先代も、この霧の中で診療所を開いたままにしていただいて、とても助かります」

「仕事は無いに等しいがな」

「皆、不安になっている。こんな時に、いざとなったら駆け込める場所があるのは心強いものですよ。さすが、先代です」

 

 年長者の言動をしている印象がある慧音なので、私も『先生』なんて呼んでいるが、礼儀正しい彼女は敬うべき相手にはしっかりと敬語を使う。

 確か、公式小説ではあの妹紅に対して敬語使ってたしね。

 そして、これがまた謎なんだが……私は慧音に敬われているらしい。

 何故に? 慧音って半獣だから年齢的には私より全然年上だと思うんだが。

 

「体調を崩した者は?」

「今はまだ大丈夫です。見回る限り、寒さで少々風邪気味の子供が数人程度ですね」

「魔力で出来た霧だ。中てられて具合を悪くする危険性もある。今しばらく、注意してくれ」

「分かりました。しかし、今しばらくというのは?」

「もうじき異変は解決する。霊夢と魔理沙が動いた」

 

 私は心労が溜まっているかもしれない慧音を安心させる為にそう告げた。

 まあ、一直線に元凶の紅魔館へ向かうのは無理だろうけどね。原作でもいろいろ迷走してたし。

 あの『こんなに月も紅いから』って台詞を見る限り、解決は早くても夜中になりそうだ。

 

「博麗の巫女は分かりますが、魔法使いでしたか……彼女も?」

 

 慧音は魔理沙という名前に対して疑わしげな表情を浮かべた。

 うーむ、これは紫にも言えることなんだが、なんか魔理沙に対して皆反応が悪いのよね。

 後ろ盾というかネームバリューがないことによる差なんだろうか?

 紫なんかはあからさまに魔理沙を異変に関わらせないようにしていたし、私が慌てて口を挟まなければ主人公が一人減ってしまうところだった。

 そういうメタな意味抜きでも、やっぱり霊夢単身で紅魔館に突っ込ませるのは心配だ。

 生前の知識から来る単なる思い込みかもしれないが、やっぱり霊夢と魔理沙はコンビだからこそ心強いって感じがするんだよね。

 

「不安かな?」

「霧雨の名前は有名です。真っ当な家柄に生まれながら、人としての道を外れたというのが、どうも……」

 

 慧音は魔理沙に対してあまりいい感情は抱いていないようだった。

 魔理沙は大手道具屋である実家から飛び出して、魔法使いになったという経歴がある。

 家出して、魔法使いなどという人の道から外れた存在を目指す理由は原作や公式設定でも明らかにされていない。

 しかし、普通に考えれば、彼女は何一つ不自由なく過ごせたはずの人生を若くして捨てたのだ。貧しさに不自由する人も、この幻想郷では少なくないというのに。

 うーん……慧音は生い立ちもあるから、いろいろ複雑に思うこともあるんだろうなぁ。

 しかし、魔理沙の今後を思えば、ここはなんとかフォローを入れておきたい。

 何かいいこと言っておこう!

 

「――善でも、悪でも、最後まで貫き通せた信念に偽りなどは何一つない」

 

 ブラボーな名言が自然と口から飛び出した。

 うん、そうだね。善悪とかあんま関係ないね。

 一応、選択の善し悪しを決めるよりもやり通すことが重要じゃね、というニュアンスを含めてみたんだが……微妙か?

 でも慧音はそんな言葉の意味は良く分からんがとにかくすごい自信に圧倒されたっぽかった。驚いたような顔で私を見ている。

 

「……確かに、貴女の言うとおりです」

「すまない、説教臭くなってしまった」

「いいえ! 素晴らしい言葉でした。私も身に染みる思いです。

 私は知らず、半人半獣である自分の身を卑屈に感じていたようです。だから、きっと魔理沙という少女を妬んでしまっていた。

 貴女の言うとおり、私は自分の選んだ生き方を偽りにしてしまうところだった。貴女のおかげで、改めて自らの信念を確認出来ました」

 

 そ、そうですか。なんか感動してくれたみたいで恐縮です。

 けど別に、慧音の生き方に関してどうこう口を挟んだつもりはなかったんだが……いや、何かいい意味で受け取ってくれたみたいだから余計なことは言わないでおこう。

 考え無しな発言の後の対処法を、長年の経験で理解している情けない私だった。

 

「貴女の信じる二人ならば、私達にも信じることが出来る。この異変の解決を待つことにします」

「ああ。だが、あの子は結構のんきだからな。多分、解決は夜になるだろう」

「ふふっ、それは母親としての意見ですか?」

 

 さりげなく解決する目処を教えてみたら、微笑ましい顔をされてしまった。

 霊夢がのんきってのは否定しないけどね。でも、実際は異変の元凶を探る為に片っ端から因縁吹っ掛けてるせいっていう。

 まあ、どちらにしろ異変解決は確定であり、その点に関して私は原作知識云々を抜きにしても信じている。

 だって親ですもの。子供のことは信じなくちゃね。

 さーて、慧音と別れた後は、今日も誰も来ない診療所の中で一人自主トレする時間が始まるお……。

 脳内BGMにロッキーでも流して腕立て伏せしてますか。一万回くらい。

 

 

 

 

 霊夢と魔理沙の視界の先に、紅の館が現れ始めた。

 周囲の紅い霧は、まるでその館に塗りたくられた血が蒸発して漂っているかのように、そこを中心に発生していた。

 異変解決に乗り出してから、どうにも行き当たりばったりを繰り返して来たがようやく核心に迫ってきたようだ。

 

「見た目通りの『紅魔館』か。あんな派手な館がこれまで大して目にも付かなかったなんて、どうにも釈然としない話だぜ」

「何かの結界かもしれないわね。吸血鬼異変以来、あそこは封じられてたのかもしれないわ」

「吸血鬼? なんだ、あそこには吸血鬼が住んでるのか?」

「たぶん、そいつが今回の元凶ね」

 

 訳知り顔の霊夢に反して、魔理沙にとっては初耳の情報ばかりだった。

 どうにも面白くない、と頬を膨らませる。

 魔法使いを目指して人里離れた森に引き篭もり、日々の努力がある程度の成果を生み出すまで外の出来事には無頓着だったのだ。

 昔の出来事に関して、魔理沙は人伝の話すら満足に知らない。

 

「あたしが拾われる前の話よ。吸血鬼が外の世界から館ごと攻め込んで来たって」

 

 不満そうな魔理沙を横目でチラリと確認し、霊夢は隣に並行して飛び続けながら、誰に聞かせるともなく呟いた。

 

「今回みたいなスペルカード・ルールなんて敷かれていない時代に、純粋な武力で幻想郷を侵略しに来た。それを迎え撃ったのが当時の博麗の巫女と幻想郷で一番強いっていう妖怪」

「妖怪の方は分からんが、巫女の方は霊夢のおふくろさんか?」

「そう聞いてるわね」

「なるほど。んで、お決まりに退治されましたってか?」

「そ、お決まりに。妖怪は退治されるものよ」

「確かに、あの人なら吸血鬼も素手でぶん殴りそうだ」

「実際その通りらしいけど、これに関しては『妖怪の方が異変を解決した』って話で伝わってるからね。周りにはそれで合わせておきなさいよ」

「身内に当人がいると、機密情報も知りたい放題だな。羨ましいぜ」

 

 真実が規制されているのだということをなんとなく理解しながら、魔理沙は軽口でその場を濁した。

 実際、細かい事情に興味はなかった。

 これから解決に向かう異変の背景について知っておくことは、モチベーションに多少の影響がある程度の意味しかないのだ。

 魔理沙はシンプルな行動原理が好きだった。

 

「しかし、そうなると霊夢にとっちゃ因縁のある相手ってわけか」

「加えてアンタは部外者ってことになるわね」

「野次馬根性上等だぜ。わたしは好きにやらせてもらう!」

「どうぞ、ご自由に」

 

 紅魔館の異様な姿は既にハッキリと目に映っている。

 二人は最後の軽口を済ませると、自然の判断でそれぞれ二つのルートに別れた。

 霊夢はそのまま真正面の正門へ向かい、魔理沙は迂回するように敷地内へと潜入していく。

 以心伝心などという結構な代物ではない。単なる自分勝手である。

 

「――来たか」

 

 霊夢は、正門の前で自分を待ち構える妖怪がいることに気付いた。

 その館の門番にふさわしい、紅の髪を持つ女だ。

 霊夢の勘と経験が告げる。自分の母と同じ、武人特有の隙のない立ち方だ。木っ端妖怪と侮れる相手ではない。

 

「門番かしら?」

「その通り」

「ネズミ一匹くらいは通す門番?」

「ただのネズミなら、中ですぐに駆除されるわ」

 

 挑発染みた軽口は、予想通り全く通用しない。

 霊夢は敵と相対しながら、自らの警戒と集中を高めた。

 相手は油断のならない実力者だ。ならば、まずは見極めなければならない。

 ここに至るまでの道中で試験的に妖怪や妖精と遭遇戦を行ってみたが、いずれもスペルカード・ルールを当然のものとして受け入れていた。だからそれに応えて勝負をした。

 目の前の妖怪も同じようにルールに従うのなら問題はない。

 しかし、従わないのならば――力づくででも従わせなければならない。それが新たなルールを提唱し、管理する博麗の巫女たる自分の最も優先される仕事だ。

 そして、先代巫女から受け継がれなかった、今代の自分だけに課せられた新しい仕事なのだ。

 

「今回の異変の首謀者は、この館の主だ」

 

 相手がゆっくりと、数枚のカードを懐から取り出す。

 

「私は門番の紅美鈴。お嬢様の元まで行きたければ、私を倒してからにするのね」

 

 スペルカードだ。まずは懸念が一つ消えた。

 

「話が早くて助かるわ」

 

 霊夢は二つの意味を含ませて呟き、不敵に笑った。

 さて、第二の懸念は相手の実力だ。

 全身を緊張させながら、くつろいだ様子で霊夢は精神を研ぎ澄ませていく。

 ルールに守られているとはいえ、妖怪との戦闘を前にして百戦錬磨の如く戦闘態勢を取ってみせる少女の姿に、美鈴は戦慄と歓喜を感じた。

 

「博麗の巫女……代が替わろうと、やはり只者じゃない」

「ふん、先代との因縁は健在のようね」

「私は吸血鬼異変での数少ない『生き残り』だ。お前の母は強かった!」

「あっそ。あたしはあたしだから変な期待されても困るんだけど……」

 

 獣が牙を剥く行為と同じ意味を持つ笑みを浮かべる美鈴に対して、霊夢は興味無さ気に頭を掻く。

 しかし、その目は完全に戦闘用のそれへと切り替わっていた。

 何ものにも縛られない能力を持つ博麗霊夢とて人間だ。誰にでも、ささやかながらこだわるものがある。

 例えば、卵焼きには醤油が一番ってこと。

 例えば、体を洗う時は右腕からってこと。

 例えば――尊敬する母のこと。

 

「あの人が強いんだから、あたしも強いのは当たり前でしょ?」

 

 次の瞬間、激発するように霊夢は美鈴の放った弾幕の最中へと突っ込んで行った。

 

 

 

 

 一方の魔理沙は、紅魔館への不法侵入を容易く成功させていた。

 正面口を避け、適当な裏口から入って飛び回ってみれば、いつの間にか巨大な本棚が無数に並ぶ図書館らしき場所へと辿り着いた。

 どう見ても首謀者が待ち構える館の最奥とは思えないが、これはこれで魔理沙の知的好奇心を刺激する光景だった。

 後でさっくり貰っていこ、と邪な考えを交えながら、ここまでの道中を思い出す。

 

「吸血鬼の館っていうからどんな化け物が出てくるかと思ったら、随分拍子抜けだな」

 

 ここが侵入者を許していい場所とは到底思えない。

 それでいて、館の中で遭遇する敵は使用人らしきメイド服の妖精ばかりだった。

 吸血鬼といえば、強力な僕を従える妖怪の大将。自惚れるわけではないが、なんとも肩透かしな出迎えだ。

 

「狼男やゾンビくらいは出てくると思ったんだが……」

「そういうのは以前の異変で全滅したわ」

「ぅおっと!?」

 

 不意を突かれ、魔理沙は咄嗟にミニ八卦炉を声のした方向へ向けた。

 

「あらあら、小さなネズミかと思ったら物騒な牙も持っているようね」

「狼男もゾンビもいないが、魔女はいたようだぜ」

 

 この広大な図書館の中心にフワフワと浮いている病弱そうな少女。

 魔理沙は咄嗟に彼女が魔法使いであると見抜いた。

 同族を知る共感性(シンパシー)とでも言うのか。この図書館の主で間違いはないだろう。

 そして、この魔法使いが自分より数段優れた技術と数倍の年季を持つ『本物』であることも確信した。

 

「ここは悪魔の住む館。悪魔を友人にするのは魔女と決まっているわね」

「わたしは霧雨魔理沙。異変解決に参上したぜ」

「パチュリー・ノーレッジ。巫女なら間に合っているわ。アナタはせいぜい見習い魔法使いか、コソ泥といったところね」

「正当な評価をありがとうよ。吠え面かかせるぜ」

 

 強者の余裕を見せるパチュリーに対して、魔理沙は臆しもせずにスペルカードを突きつけた。

 パチュリーは、そのスペルカード宣言に応じなかった。

 

「……アナタは博麗の巫女ではない。相手がそのルールに乗らなければ無力なただの弱い人間」

 

 冷たい視線が魔理沙を射抜く。

 完全な格下の存在を見る瞳。足元で喚く虫けら相手に、その言葉を理解する意義など感じられないと突き放すような視線だった。

 

「ああ、その通りだ。わたしは『普通の魔法使い』さ」

 

 しかし、魔理沙は折れない。

 

「だけど……まあ、推されちゃったからな。ちょっとくらい自信過剰になっても仕方ないぜ」

 

 自分が場違いなことは理解している。

 選ばれた地位も、血統も持たない。経験すら不足した未熟な魔法使い。

 強力な人外の存在には歯牙にも掛けられない霧雨魔理沙という単なる人間だ。

 だが、ただ一人。そんな自分に期待した人がいた。

 無力な人間ではなく、この異変を解決する力と資格を持つ魔法使いとして『戦いに行け』と背を押してくれた人がいた。

 

「なんてったって、あの先代巫女様のお墨付きなんだからな。うぬぼれちゃうだろ、お前みたいなもやし魔法使い程度楽勝だってな!」

「……あの巫女が、ですって?」

 

 挑発染みた魔理沙の言葉が、氷の魔女の視線をついに動かした。

 その瞳は『敵』を見ている。

 魔理沙の突き出したスペルカードを捉えていた。

 

「面白いわね。少しアナタに興味が湧いたわ」

「余裕ぶった言い回しはいらないぜ。勝負するんだな?」

「落ち着きのない奴ね。本物の魔法使いというものを、教授してあげるわ」

「大きなお世話だぜ!」

 

 パチュリーがスペルカード・ルールに乗った。

 その手に持つカードの種類は多彩だ。彼女の操る多属性の魔法がスペルに反映されているのだ。

 手数の差がそのまま魔法使いとしての実力の差を示していた。

 それでも尚、怯む様子のない魔理沙の視界に、しかし別の人影が突如現れる。

 

「パチュリー様」

「あら、咲夜。何故ここへ来たの?」

 

 メイド服の美しい従者。

 彼女もまた明らかに只者ではなく、実力者としての静かな威圧を放っている。

 さすがの魔理沙も少しだけ顔を引き攣らせた。

 

「なんだよ、援軍か?」

「いまさらビビるんじゃないわよ。さっきの啖呵はどうしたの? 少し気張りなさい」

 

 何故か、敵の魔女に逃げ腰を叱咤される有様である。

 

「……それで、咲夜。レミィの護衛はどうしたの?」

「不要とのことです。お嬢様は先ほど、自ら館の外へ出られました。博麗の巫女の下へ向かったようです」

「黒幕は拠点の奥で優雅に待ち構えているもの、といった御高説を異変の前に承ったような気がしたけど?」

「何せ、気まぐれな方ですので」

 

 咲夜はそれこそ優雅に肩を竦めて見せた。

 小さくため息を吐き、パチュリーはこの落ち着いた従者と落ち着きのない主の差に呆れた。

 

「ま、因縁という点ではレミィは一番だから、こだわるのも分かるけれど……」

「おーい、結局どうするんだー?」

「ああ、忘れてたわ」

「そろそろ帰ったら? 私も仕事あるし」

 

 ふてぶてしく告げる魔女と従者の対応に、軋むような音を立てて青筋が立つ。

 

「……よし、分かったぜ。お前らまとめて叩き落してやる!」

「威勢の良さが戻ったわね。大変結構」

「パチュリー様、私は――」

「二番手よ。そういうルールだしね」

「かしこまりました」

 

 パチュリーと咲夜のやりとりなど聞くこともなく、怒りで怖いものなしとなった魔理沙は先制の弾幕を発射した。

 彼女は、やはりまだ未熟で、若かった。

 勇気の価値さえ理解していない。

 しかし、パチュリーはそうやって真っ直ぐに進むひたむきさが嫌いではなかった。

 

 

 

 

 霊符「夢想封印」――。

 

 七つの光弾が美鈴の最後の弾幕を掻き消し、そのまま押し流していった。

 圧倒的な霊力の奔流に呑まれた美鈴は、激戦の果てについに力尽きて地面へと落下していく。

 それを追うように、霊夢は一呼吸だけ置いて地面へと降下した。

 激戦。それは間違いない。

 しかし、結果から見れば死力を尽くしたのは一方だけだった。

 

「なるほど……強いっ」

 

 大の字に寝転がったまま、立ち上がることもない美鈴は降り立った霊夢を素直に賞賛した。

 完敗だった。

 ルールの上での決闘とはいえ、妖怪である彼女は人間である霊夢に圧倒されたのだ。

 

「はぁっ……あの巫女と、血は繋がっていないと聞いているけど……」

「そうよ。でも、あの人の背中を見て育った」

 

 見下ろす霊夢の瞳には、冷たくも焼け付くような苛烈な意志が宿っていた。

 それを覗き見て、美鈴の口から笑い声が漏れる。

 畏怖と愉悦。矛盾した感情を含んだ苦笑だった。

 

「ははっ、やっぱり親子ね。まだ若いのに、『いいセンス』だわ」

「いい、センス……?」

 

 霊夢は美鈴の言葉と、そこに含まれる真意をしばらく吟味していたが、やがて自分なりの解釈を得たのかあるいは興味を無くしたのか、本来の目的の為に歩を進めた。

 

「私を退治しないの?」

 

 その無造作な背中に、美鈴は思わず声を掛けていた。

 

「退治なら、もうしたでしょ?」

「そういう意味じゃなくて……」

「そういう意味なのよ。これからの戦いは、そういう新しい意味を持つの」

 

 そこで言葉を区切り、霊夢はついでに思い出したかのように振り返った。

 母さ……と、口走ろうとして飲み込む。仕事モードなのに、油断した。どうでもいいところで失敗、反省。

 改めて言い直す。

 

「先代ほどじゃないけど、あんたの体捌きは中々のもんだったわ」

「それはどーも。でも、それこそこれからの戦いには旧い意味しか残らないものなんでしょ……?」

「弾幕の美しさも見事だった。――いいセンスね」

「……」

 

 しばしの沈黙が続き、やがて霊夢が歩き去る背後で大きな笑い声が響いた。

 疲労も手伝って徐々に途切れ始める美鈴の笑い声を背に、霊夢はついに紅魔館の正面口を前にする。

 まずは、敵中への第一歩に成功といったところか。

 殴り込みはシンプルな方がいい。このまま直進し、奥で踏ん反り返っている黒幕をぶっ飛ばす。

 霊夢は普段通りのまま、神社の障子を開けるように、敵の本拠地のドアを開こうとして――唐突に、勘が意識を別方向へ引っ張った。

 

「上か」

 

 何の理由もなしに飛ぶ。

 すっかり日も暮れ、夜の闇に染まった空へと躍り出ると、紅い満月が霊夢を出迎えた。

 そして、その光を浴びて浮かぶ小さな異形の影が一つ。

 

「――やっぱり、人間って素晴らしいわね」

 

 幼い悪魔が、満月によって肥大化した闇の波動を纏って、そこにいた。

 

「……ふーん」

 

 見た目は幼い少女でありながら、禍々しい存在感と押し潰されそうな圧迫感を放つその魔の存在を、霊夢は興味なさ気に観察した。

 コウモリのような翼。不敵に笑う口から垣間見える牙。無意識に魅了の魔力を放つ両眼。

 その少女は吸血鬼だった。しかも特別に強力な部類の。

 直感に頼るまでもなく、霊夢は判断した。

 こいつが、紅魔館の主。

 こいつが、この異変の元凶だ。

 

「それで、何か御用かしら? 博麗の巫女」

「そうそう、迷惑なの。あんたが」

「短絡ね。しかも、理由が分からない」

 

 この期に及んで白を切るほど小物には見えない。

 目の前の黒幕は、単に言葉遊びを楽しんでいるのだ。

 

「とにかく、ここから出ていってくれる?」

「ここは、私の城よ? 出ていくのはあなただわ」

 

 小馬鹿にするような嘲笑が返ってくる。

 わざわざ霊夢を見下ろすような少し高い位置に浮かんでいるのは、おそらく彼女の心を表すがままなのだろう。

 挑発的な黒幕の言動に対して、しかし霊夢は早くも飽き始めていた。

 気だるげに、さもどうでもいいと言わんばかりに肩を竦め、小さなため息と共に告げる。

 

「――この世から出てって欲しいのよ」

 

 人間から吸血鬼への宣戦布告は、軽い響きを持って突きつけられた。

 その無造作な言葉に、吸血鬼はわずかばかりの間見た目相応に可愛らしい呆けた顔を見せ、次の瞬間爆笑した。

 哄笑が響き渡る。

 少女特有の甲高い笑い声が、まるでおぞましい怪物の咆哮のように夜の空気を震わせる。ゲラゲラ、ゲラゲラと。

 人ならざる者であることを、人間の深層心理へ恐怖と共に改めて刻み込むような声だった。

 

「面白い。本当に面白いわ、アナタ」

「こっちは退屈よ。強い妖怪ってのはどいつももったいぶりすぎだわ」

「ハハッ、そう言わないで頂戴な。こちらとしても、アナタと顔を合わせるのは色々と複雑な心境なんだから」

「だから、もったいぶるなって言ってるでしょ?」

 

 霊夢は初めて、わずかな苛立ちを見せながら吐き捨てた。

 

「母さんに敵わないから、娘のあたしにやつ当たりしたいだけでしょうが」

「……っ!」

 

 吸血鬼の顔から笑みが消える。

 優雅さと貫禄を取り繕った仮面が砕け、その下から無残なまでの本心があらわになった。

 凶暴な殺意が表情を塗り潰す。

 

「……それは一体、どういう根拠から?」

「勘よ」

「…………盛り上がりも何もないわね」

 

 今度は脱力。

 完全にペースを掴み損ねた黒幕は、不敵を通り越して鈍いとも取れるのんきな巫女を睨み付けた。

 

「そうね、回りくどい話はやめましょう。私はあんたを――博麗の巫女を打ち負かしたい」

「殺したい、じゃないの?」

「ルールの上で決闘することには同意しているわ。それに、私は別に博麗の巫女が憎いわけじゃない」

「負けず嫌い?」

「身も蓋もない言い方ね。でも、結構。その解釈で構わない」

「言い訳がしたいなら、前口上として聞いてあげるわよ」

「……ほんっと、いい性格してるわね。このクソ人間!」

 

 鼻でもほじらんばかりに投げやりな態度の霊夢に対して、引き攣った笑みを浮かべて悪態を吐く。

 しかし、すぐに諦めたように力を抜いた。

 ある意味で、この人間には敵わない。そう思ってしまったのだ。

 時と場所、状況は違えど、それは彼女が過去同じように、別の博麗の巫女に対して抱いた気持ちと同じものだった。

 

「人間って奴は、本当に……」

「で、あたしに何か言いたいことでもあるの?」

「――ええ、あるわよ」

 

 自らのスペルカードを掲げながら、吸血鬼は語る。

 

「この紅魔館の主『スカーレット』は、かつて起こした異変の時に打ち倒された。先代の博麗の巫女――アナタの母親に」

 

 当主の名前を他人事のように語る姿にいぶかしげな表情を浮かべる霊夢を見下ろし、真実を告げる。

 

「かつて紅魔館の領主であった、この『レミリア・スカーレット』の父は――!」

 

 レミリアは、もう笑ってはいなかった。

 幼い吸血鬼の娘の瞳には怒りが宿っていた。

 

「あー、ようするに親の仇討ちってわけ?」

 

 ここに至っても尚、普段通りのペースを崩さない霊夢の言葉に――レミリアは、首を振る。

 

「……違う」

 

 瞳に浮かぶ怒りは、言葉にまで滲んでいく。

 

「それも違う!」

 

 しかし、その怒りは誰に向けるものでもなく。

 

「父は……っ」

 

 胸の内から湧き上がる怒りの感情を押さえ込む必要など無いのに、レミリアは苦しげに呻くことしか出来ない。

 最初から、その怒りのぶつける場所など存在しないかのように。

 

「あの、男は……!」

 

 もがき、苦しみ、喘いだ末に、何かを吐き出すようにレミリアは絶叫した。

 

 

「――この私が殺すはずだったんだ!」

 

 

 幼い悪魔の慟哭が、紅い満月の浮かぶ夜空に響き渡る。

 そして、行き場を失った虚しい激情が弾幕となって霊夢に襲い掛かった。

 

 

 

 

「霊夢の霊圧が……消えた……?」

 

 いや、やめろ私。シャレにならん。

 不意にニュータイプの如く脳裏に走った閃きに対して口走ってしまった台詞を、慌てて振り払う。

 私に霊夢のような直感スキルはないから気にすることはないと思うけどね。

 この時間帯、紅魔館での戦いはもう決着がついているかもしれないが、不吉なことを言っても私自身が不安になるだけだ。っていうか、普通に不謹慎。

 いらない事を考えないように、私は左手の指先に意識を集中させた。

 現在、逆立ちの真っ最中。

 腕立て一万回を終えた後に、大して広くない診療所内でやれる鍛錬をやり尽くして、仕上げに右手で逆立ち一時間。今は左手で三十分過ぎたくらいだろうか。

 もちろん、漫画でよくやってるみたいに人差し指一本で体重を支えるやつである。

 なんかもう当たり前にこういうこと出来るようになっちゃってるけど、修行始めの非力だった頃思い出すと感慨深くなるよねぇ。

 こんな風に、かれこれ両手合わせて一時間以上どうでもいいことに頭を回している私。

 体力的に辛く感じはするのだが、こういう体を動かさず維持するタイプの鍛錬の最中は考え込む癖がついてしまっていた。

 慣れのせいだろうか。肉体的にはキツいのに、意識が暇をするというか――考え込んで、気が付いたらすごい時間が過ぎてたとか結構ある。

 以前、森の中で瞑想してたら、次に目を覚ました時体に成長した蔦が巻きついててワロタ。

 人里戻って日付聞いたら、五日も経ってたとかアホかと。

 音沙汰無くて心配してた霊夢に初めて殴られました。

 あー、あの時の霊夢の顔は怒ってたのになんか泣きそうにも見えて、すごいショックだったなぁ。あれは深く反省した。

 

 ……しかし、さっきから頭に浮かぶのは霊夢のことばっかりだな。

 やっぱり心配なんだね。もちろん、魔理沙のことも考えてるけど。

 これから先、こうやってやきもきすることが増えるんだろうか?

 原作の知識からして、今回の異変を発端に次から次へと新しい異変が起こって、その解決に霊夢は必ず乗り出すことになるんだよね。

 役割的にはしょうがないんだろうけど……。

 ううっ、いかんいかん。ネガティブに考えるな。

 物事はもっといい方向に想像するんだ。

 まー、親の贔屓目抜きにしてもうちの霊夢は天才ですから? シューター的に言うとルナティックなレベルだと想定出来るわけだ。

 レミリアに勝った後って、原作だと確か紅魔館との交流が始まるんだよね。

 魔理沙が図書館に入り込むようになったり、レミリアが霊夢の所へ通うようになったり。

 あれ? そうなると、ひょっとして私も紅魔館のメンバーと顔合わせる機会とか出来るんじゃね?

 特にレミリアに関しては神社でばったり会う可能性もある。

 なんてこった……そのまま一緒に食事とか、あまつさえ紅魔館への招待まで、自然な流れで持っていけそうじゃないか。

 こ、これは今から入念な計画を練ることが必要か……!

 例えば、遭遇率を上げる為に、月一回の神社訪問を月二回に増やすのはどうだ。

 霊夢が心配で様子を見に行く機会を増やしたとか……駄目だ、もし霊夢にウザがられたら立ち直れない。

 いや、そもそもレミリアに関して、私は非常に重要なことを思い出した。

 

 

 ……レミリアのお父様、灰にしたの私やん?




<元ネタ解説>

「いいセンスだ」
メタルギアソリッド3のネイキッド・スネークの台詞。

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