東方先代録   作:パイマン

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紅魔郷編その三。


其の三「吸血鬼異変」

 欠けることのない満月が夜空に浮かんでいた。

 月の満ち欠けは妖怪の力にも影響を及ぼす。真円を描く時、月の光はそれを浴びる妖怪の力を最も増幅させるのだ。

 そういう点で言うのなら、今夜はいい月夜だった。

 しかし――。

 

「最悪の夜ね」

 

 紫は珍しく悪態を吐いた。

 おおよそ考える限り、最悪の条件の揃った夜だった。

 満月は妖怪の力を増大させる。

 それはもちろん紫自身も含まれる話だったが、月の力を味方につけることに特化した種族もいるのだ。

 ――吸血鬼。

 満月の夜には恐るべき怪物へと変貌する妖怪が、よりにもよって今夜幻想郷を侵略しようとしているのだ。

 紅魔館のスカーレット伯爵――その名前は大陸の支配者として、妖怪の棲む闇の世界で轟いていた。

 人口が増え、近代化によって技術の進歩した外の世界。もはや人間の天下とも言えるそこで、スカーレットは社会の陰に潜み、繁栄を続けていた。

 彼は暴君として有名だった。

 中世時代の陰惨な背景を、彼の周囲だけは保っているかのように、人も妖怪も区別なく殺し、喰らい、犯し、そして無造作に捨てていった。

 そんなおぞましい化け物が、この幻想郷へ自らの本拠地ごと転移して来たのだ。

 明らかな侵略行為だった。既に、館の転移した周辺に棲む妖精は嬲り殺され、妖怪は配下に加えられたと聞く。

 今はその夜。最悪の化け物に最悪の力を与えてしまう最悪の月が昇る中、紫は彼らの侵略行為を止める為に敵中へ赴かなければならないのだった。

 

「本当、最悪だわ。そうは思わない?」

 

 無数の僕を従えているであろう吸血鬼の根城に対して、向かうのは八雲紫というスキマ妖怪一匹。

 そして、そのお供に巫女が一人付き添っていた。

 

「ああ」

 

 気分直しに軽口を交わしてみようと思った相手は、博麗の巫女。

 幻想郷史上最悪の侵略者を相手取る状況にして、自らの式神さえ同伴させなかった紫が、共に戦うことを許した人間だった。

 

「……敵は多いな、紫」

 

 夜の森を抜け、あらわになった紅の館を前にして巫女は呟く。

 聳え立つ巨大な紅魔館からは、その色が本当に血によって染められているのかと錯覚するほどに濃厚な瘴気と魔力が渦巻いている。

 視界に映らなくとも、内部に蠢く無数の魔物の存在が手に取るように分かった。

 そして何より、閉ざされた門の外にさえも既に多くの妖怪達がひしめいている。

 館の敷地に入ることさえ許されない格下ばかりだが、それらは全て幻想郷に住み、ほんのわずかな時間で紅魔館に従えられてしまった哀れな妖怪達だった。

 恐るべきカリスマ性と屈服させる為の暴力――。

 今夜一晩、奴らを自由にさせれば配下の妖怪の数は倍以上に増えるだろう。

 この最悪の条件が揃った夜に、勝負を仕掛けなければならない理由はそこにあった。

 幻想郷は微妙な均衡によって成り立っているのだ。外の世界のように、人も資源も豊富にあるわけではない。

 たった一つの軍隊で、人間を含む脆弱な者達は蹂躙され、生態系は崩れ、結果この秘境は崩壊してしまう。

 正しく今夜は、決戦の夜だった。

 

「……いや、大したことはないか」

 

 そんな今や瀬戸際に立つ身でありながら、傍らの人間が小さく笑うのを紫は視界の隅に捉えた。

 横を向けば、巫女もまた紫の顔を見ている。

 交わした互いの視線に、焦燥や絶望感といったものは全く無い。

 紫は自らが大妖怪であるという自負から余裕を崩さず、しかし巫女は脆弱な人間でありながら微笑さえ浮かべている。

 

「今夜は、私とお前で二人掛かりだからな」

 

 だから、なんでもない事なのだ――と、百を超えるだろう敵を前にして巫女は不敵に笑った。

 

「――ええ、まったくその通りね」

 

 彼女の絶対の自信に釣られて、紫も笑う。

 この決戦の夜に、彼女を連れてやって来た理由がそこにあった。

 人間と妖怪。越えられない境界を持つ二人の間には、奇妙な信頼関係があった。

 歩みを再開する。

 巨大な館とそこにひしめく妖怪の群れを前にして、無造作とも言える足取りで二人は進む。

 眼前で異形の存在達の上げる咆哮は、単なるそよ風のように吹き抜けるだけだった。

 恐れも怯みもない。

 弱者の群れに向かって、たった二人の強者が歩く。

 

「……訂正しましょう」

 

 紫は空を仰いで、のんきに呟いた。

 

「今夜は、なかなかいい夜になりそうだわ」

 

 

 

 

 なんか超強い大陸の支配者で『小学生の考えた無敵絶対ロボ』を小指でなぎ倒し、食うという悪逆非道の極地の存在が幻想郷を侵略しに来るらしいのでゆかりんに今夜死ぬ覚悟をして来いと言われました。

 

 具体的には、紅魔館に住むスカーレット家と呼ばれる有名な吸血鬼達が攻めて来たらしい。

 これが原作の過去に当たる、俗に言う『吸血鬼異変』であるのは間違いないようだ。

 つまり紅魔館の当主であるレミリア・スカーレットが、とうとう幻想郷へやって来たのだ。

 私は紫の誘いに二つ返事で了承した。

 ――いや、分かってるよ? これがレミリアとの親睦目的ではなく、侵略行為を止める為の戦闘になるってことくらいは。

 ここで吸血鬼が紫に退治されて異変解決ってのが原作での正史なので、紅魔館との全面戦争になるのは避けられないだろう。

 結末が分かってるから安心っていうのんきな話でもなく、私は純粋に紫の力になりたくてお供したのだった。

 もちろん、好奇心もある。

 つええ奴と戦ってみてぇ、なんてサイヤ的な欲求があるわけではないが、紅魔館のメンバーと顔合わせくらいしてみたいとは思うんだよね。

 あと、紫がガチな雰囲気なので心配というのもある。

 彼女の身を案じるなどというおこがましいものではなく、今のところ単なる侵略者扱いである紅魔館に対して問答無用で『美しく残酷に往ね!』とかしないか心配なのだ。

 そんなことになったらタイムパラドックスで歴史が変わってしまうのであるスネーク。

 しかし、油断してたわけじゃないけど思ったよりも物騒な感じだ。

 いかにもラスボスの拠点って感じの紅魔館の前には既に大量の雑魚妖怪が待ち構えている。

 ちなみに何故雑魚と判別出来るかと言うと、そいつら全員人型じゃないから。

 おぞましい造形の奴らばっかりだが、逆にこの世界だとそれが小物臭いという法則みたいなものがあるようだ。

 そーゆーわけなので、割と余裕を持って、私は紫にカッコよさをアピールしながら共に敵地へと進んでいった。

 ……出来れば『俺とお前でダブルライダーだからな』って言いたかったけど、紫にはネタ通じないしね。

 

「さて……伯爵様は余興がお望みのようですけれど、付き合う義理はありませんわね」

 

 とりあえず、門の前で一戦か? と、思ったら、不意に傍らの紫が意味深げに呟いた。

 そして、次の瞬間笑顔のまま物凄い殺気を放ち始めた。

 なにこれこわい。

『常人が受けたら気絶するほどの殺気』って描写があるけど、あれって本当だったんだね。

 ゆかりんを中心に突風でも吹いてんじゃねって感じに肌にビリビリ来る。

 正直、私も竦みそうになってしまったが、殺気以上に凄んで見せてる紫の横顔がカッコいいやら怖いやらで、魅入ってしまっていた。

 やべえ、ゆかりん美しすぎ。

 なんという魔性の美貌。イラストタグを当てはめるなら『勝てる気がしない』だ。

 じっと見てたら不審に思われるので、横目でチラッチラッと伺ってたら、いつの間にか殺気は止んでいた。

 そして、門の前の有象無象もいつの間にか消えていた。

 蜘蛛の子を散らすように逃げたようだ。いや、無理もないけどね。

 

「あらあら、幻想郷の妖怪も惰弱になったものね。だからこそ、余所者にいいように使われるのでしょうけど」

 

 誰もいなくなった門前に向けて嘲笑を浮かべ、私に対してはお茶目にウィンクしてくれるゆかりん。かわゆい。

 殺気にビビらなかったのを褒めてくれてるっぽい。

 いや、その……ごめんなさい。『美しい……ハッ!』って感じに、ゆかりんに見とれてたら終わってただけです。

 なんか気まずい内心を、いかにも戦いに備えてますって真面目な表情で隠して、私達は先へ進んだ。

 しかし、誰もいなくなったかと思った門前に人影が一つ残っている。

 

「少しは骨のある門番もいるようね」

「……」

 

 巨大な槍を携え、あの殺気を受けながらも臆すことなくこちらを睨みつける紅の髪の少女が一人。

 これは……間違いない。

 彼女は紅美鈴だ。

 すごい、昔からちゃんと紅魔館の門番やってたんだなぁ。

 美鈴に関しては公式設定が少なく、その正体や経歴に関してはほとんど二次創作の予想や想像ばっかりなんだよね。

 そんな彼女の過去を、現実として生で確認出来たことに私は密かに感動していた。

 うわぁ、なんかすごい嬉しい。こんなの生前の世界では絶対に知れないことだよなぁ……。

 

「紅魔館の門番、紅美鈴。ここを通りたければ、私を倒して行け」

 

 一人盛り上がる私を尻目に、美鈴は静かに槍を構えた。

 あー、槍使うんだ。

 中国拳法の達人ってイメージがあったから、いかにも西洋製っぽい槍を構える姿に違和感を覚える。

 でも、美鈴の弾幕抜きの実力ってどういうものなのかさすがに知らないしね。勝手な思い込みだったのだろうか?

 いずれにせよ、今の問題は美鈴との戦闘である。

 ハッキリ言って、有利はこちらにある。

 私とて長年の修行と、博麗の巫女として実戦を積み重ねてきた経験がある。曖昧な表現や不要な謙遜を抜きにして断言しよう。

 今の美鈴より、私の方が強い。

 もちろん紫が相手ならば言うまでもない。

 なので、勝負する分には問題ないが……。

 

「身の程を弁えなさい」

 

 紫に任せるのだけは駄目だって! ……もう、美しく残酷にこの世から去らせようとする気満々なんだもん。

 私は紫を手で制すると、任せてくれと言わんばかりに見つめた。

 紫は特に迷うこともなく、小さく肩を竦めて矛先を収めてくれた。

 ありがとう。その調子で、当主のレミリアに会っても問答無用でぶっ殺すのとか自重してくださると嬉しいです。

 

「私が相手をしよう」

「……舐めるな、人間め!」

 

 まー、すげえ強い妖怪相手に覚悟決めてたら、代わりに人間が割り込んできたんだから、そりゃ舐められてると思うよね。

 激昂しつつ素早く踏み込んで突き出された槍を、私は紙一重で回避した。

 見えるぞ……私にも敵が見える!

 そんな冗談抜きにして、美鈴の攻撃が見えまくる。

 別に攻撃が遅いわけじゃない。ただパターンが単調なのだ。

 なんていうか、槍が武器というより制限にしかなってないよね。両手塞がってるから、突くくらいしか出来てない。蹴りも間合いの関係で届かない。

 格闘で戦った方が単純に手数でも今よりは有利だと思うな。

 とりあず、不用意な横薙ぎをしゃがんでかわしつつ水面蹴り。

 

「足元がお留守だぞ」

「ぐっ、くそ……っ!!」

 

 戦闘中に言ってみたかった台詞ベスト3をさりげなく口にして内心浮かれる私。

 かろうじて転倒を堪えた美鈴は、追撃の私の突きを避ける為に懐へ潜り込もうとする。

 ナイス判断。でも、はい投げ。どーん!

 

「がはっ!?」

「そこまでだ」

 

 背中から地面に叩きつけられ、呻く美鈴の首筋に手刀を突きつけて決着とした。

 美鈴は歯を食いしばって私を睨みつけている。

 意気込みや良し! しかし相手がひよっこではなぁ! ――と、中の人繋がりで、ちょっとアドバイスしてみることにする。

 

「……普段から槍を使っているわけではないな。慣れない武器は単なる枷にしかならない。どんな達人も行動を単純化される」

 

 そんな餓狼伝で語られてたような受け売りをしたり顔で言っちゃう私。

 

「そもそもお前に武器は向いていない。攻撃を懐に入ってかわす癖がある。どちらかというと至近距離での格闘戦向きだ」

「く……っ」

「――だが、踏み込みからの体捌きは見事だった。いいセンスだ」

 

 調子に乗って、ドヤ顔で随分語ってしまった。しかもどっかで聞いたような語り口で。

 しかし、内容は適当に言ったわけではなく、実際に美鈴の動きを見て解析した結果だ。

 美鈴に門番を任せた奴は、彼女の本来の戦い方を理解してないようだね。雑兵として、とりあえず武器持たせて立たせとけって具合か?

 よく見ると、美鈴の格好は酷く粗末だ。髪もボサボサで汚れてるし、東方キャラお決まりの帽子も無い。

 うーん、意外と過去には下っ端扱いだったのか。

 昔のおぜうさまって美鈴のことあまり優遇してなかったのかな? どこかで扱いが変わるの?

 紅魔館って全体的に優雅なイメージがあるから、部下を奴隷みたいな扱いするのって想像出来ん。

 そんな風にいろいろ悩んでいると、苦しげに呻いていた美鈴が、震える手で私の腕を握っていた。

 

「いい――センス……?」

 

 最後にそう呟き、美鈴は気絶した。最後ちょっと嬉しそうな顔してたような気がする。

 このアドバイスを基に、より強くなってくれるといいな。二次創作で結構あった『実は強い美鈴』って好きなんだよね。

 戦闘民族ではないが、将来美鈴と組み手とかやってみたいなーとささやかな期待を持ちつつ、私は門へ向かう。

 それに続く紫が『貴女も甘いわねぇ』と楽しそうに笑っていた。

 今更になって、偉そうに語ってた自分が恥ずかしっ。

 喋ってる時は脳内ボイスがスネークになっていたが、現実には渋い声に変わるとかないしね。完全に自分に酔ってました。

 本格的な戦闘を前に、全然関係ないトコで心理的ダメージを受けている私だった。

 あ、門が勝手に開いた。

 

 

 

 

 侵入者を拒むかと思われた巨大な鉄の門が左右に開いていく。

 潔いのか、それとも中に招き入れることも余興の一種と捉えているのか。紫にはどちらでもいいことだった。

 自らを絶対的な強者と驕る敵を内側から引き裂くのは存外容易いことだ。

 倒れた門番を無視し、紫は巫女と共に敷地内へと歩みを進める。

 それにしても――と、紫は先ほどのやりとりを思い出して苦笑した。

 最悪の侵略者相手の決戦に赴いた場所で、まさかあんなにのんきなやりとりがあるとは思わなかった。

 博麗の巫女でありながら敵対した妖怪を退治せず、諭し、将来に期待すらしている。

 言葉の通り、彼女が甘いだけなどと思うつもりはない。

 ただ、この巫女は変わり者なのだ。

 紫自身がよく分かっていることだった。なにせ、この謀略に染まった大妖怪を相手に純粋な好意を向ける人間なのだから。

 

(まあ、あの妖怪はまだ若い。邪な気も持たず、捨て置いて問題ないでしょう)

 

 身なりを見る限り、あの門番妖怪は敵の中でも虐げられ、ぞんざいな扱いだったようだ。どちらかというと、幻想郷(こちら)側の妖怪なのだろう。

 わずかな懸念を消し、通り過ぎたところで紫は意識をこれからの事へと切り替えた。

 整えられた芝生や花壇、月明かりで煌めく噴水などが彩る敷地内はその権威を象徴するかのように壮健なものだった。

 しかし、ここはやはり悪魔の館である。

 紅魔館の正面口前には、あれこそがスカーレットの本来の配下であろう兵士達が編隊を組んで待ち構えていた。

 一見すると人間の兵士のようにも見えるが、それらの瞳に生命の色はなく、服の隙間からは隠しきれぬ死臭が溢れ出ている。

 

(グールか――)

 

 吸血鬼に血を吸われ、死ぬことで下僕となった動く屍達だった。

 本来ならば、グールとは吸血鬼の食事の後に残る残飯のようなものであり、無秩序に徘徊して生者を襲うのが性質だ。

 それらのおぼろげな意思を統率し、兵隊として纏め上げる支配力は、なるほど大したものだろう。肉体の崩壊を抑える為に防腐も施されているらしい。

 しかし、死臭を抑える為に薔薇の香水まで擦り込んでいるらしいその処置は、運用の為の利点などではない。おそらく単なる見栄えの為だ。

 徹底的に、しかし不必要に死体を弄り回す。あのグール達の主は、死者の尊厳など糞以下にしか考えていないらしい。

 紫の平静な表情の下で、敵に対する苛立ちの種が、一つ増えた。

 加えて、中世を思わせる古風な館の前に並ぶそれらは、皆例外なく近代兵器と防具によって武装している。

 

「やはり、外の世界の技術を持ち込んだようね……」

 

 文明が古い時代のまま残された幻想郷では在り得ない銃器の数々を眺め、紫は頭を悩ませた。

 敵の戦力に問題を感じているわけではない。戦いの後の、あれらの処分に頭を悩ませているのだ。

 あんな高度な武器を一つでも幻想郷に残すわけにはいかない。

 高い技術力と好奇心を持つ河童などに流れようものなら、あっという間に量産されて、文明のバランスを崩してしまう。しかも悪意がないから性質が悪い。

 誰の目に触れることもなく処分してしまうのが一番なのだ。

 

「全く、次から次へと問題を持ち込んでくれますわね」

 

 敵の一群を一通り眺め、紫は小さなため息を吐いた。

 ――逆に言えば、八雲紫にとって眼前の敵はその程度で済ませられる脅威でしかなかった。

 整然と並んだ敵の編隊の端へ、無造作に手をかざす。それをそのまま、撫でるように横へ滑らせる。

 ただそれだけで、敵は死滅した。

 かざした手のひらが通り過ぎるだけで、その先に立つグール達は糸の切れた人形のようにバタバタと折り重なり、倒れていく。

 戦闘は無かった。

 片手の無造作な一振りで、満を持して待ち構えていた紅魔館の戦力は全滅した。

 

「文字通りの動く屍。生と死の曖昧な存在は、境界も綻び切っているから容易いものだわ」

 

 そう嘲笑する。

 境界を操る能力の前では、彼らは人間よりも脆弱な存在だった。

 死んでいるのに動いている矛盾。既に生と死の境界が曖昧となっている存在を本来の死へと軽く後押しする程度、緩んだ紐を解くより簡単なことだ。

 最初の宣言通り、敵の余興や思惑といったものなど一切無視して眼前の敵を文字通り一掃した紫は、慌てて湧き出してくる新たな敵勢に注意を切り替えた。

 グールが全滅し、別の種類の兵隊が姿を現す。

 傍らで戦闘の音が響き、視線をやれば、吸血鬼の下僕としてはありきたりな人狼が博麗の巫女に襲い掛かっていた。

 人間を軽く超越した速さで迫るそれらを、しかし巫女は容易く叩き伏せる。

 牙を剥き出しに突進して来た所を、上から殴りつければ地面に叩きつけられた頭が破裂し、死角からの一撃をかわして空高く殴り上げ、怯んだ相手の首を捻り折る。

 やれやれどっちが人間離れしているのか、と半ば呆れながらも、敵の一方を任せる信頼を抱きながら紫は別の獲物を探した。

 肉を破壊する音を聞き流しながら周囲を伺えば、空中に飛翔する人影を複数見つける。

 

(魔法使い一人、これはなかなかの技量を持つようね。そして……吸血鬼が複数。あらあら、同族まで配下にしているのね)

 

 紫は半ば感心し、半ば呆れた。

 敵の吸血鬼達は、いずれも意識を支配されたグールもどきではない。自立した意思を持ちながら、この館の主に従っているのだった。

 吸血鬼は、その強大な力に比例した自尊心を持つ妖怪である。弱者を見下す側であり、他者に遜るような存在ではない。

 それらすらも従えるスカーレット伯爵とは、よほどのカリスマと、それ以上の暴力という権威を持つ吸血鬼なのだ。

 配下の吸血鬼達には隠しきれない『抑圧された恐怖』が透けて見える。

 暴君と呼ばれる理由の一端を再確認しながら、紫は彼らに混じってこちらを見据える魔法使いの方に集中した。

 見た目はまだ幼く、薄紫色の長い髪と病的なほど白い肌を持つ儚い印象の少女だ。

 しかし、その実力は今のところ最も警戒に値するものだと紫は判断している。

 吸血鬼の仲間として、魔女の存在は違和感が無い。

 ――だが、紫はあの魔法使いの澱んだ瞳に囚われの気配を感じ取った。

 

(喉と口内――おそらく舌ね、魔法術式の紋様を確認。声を制限しているのかしら?

 人体に刻むような代物ではないでしょうに。例えあれを解除出来ても後遺症が残るわね……)

 

 あの魔法使いは、どうやら仲間でありながら対等の存在としては扱われていないらしい。

 身綺麗にされてはいるが、それもおそらく当主の趣味なだけだろう。

 呪文を唱える為に発声を制限され、ただ魔法を使う道具として仕組まれている。

 アクセサリーかと思った首輪の装飾も、それを踏まえれば意味の違った物と捉えられた。

 紫の中の苛立ちが、また一つ増える。敵の当主を殺す理由として。

 それをおくびにも出さず静かに飛翔し、紫は襲い掛かる敵を迎え撃った。

 

 

 

 

 ゆかりん無双はっじまっるよー。

 これまで何度も思い知ってたけど改めてゆかりん強すぎワロタ。

 もうね、なにあれ? 完全武装の軍隊相手に、遠巻きに手を一振りするだけで全滅とかチートってレベルじゃない。絶対効くザラキかあれは。

 私なんかバカ正直に殴りかかった途端、即死させられるってことですね。わかります。

 しかし、幻想郷に住んでたから忘れがちだったけど、外の世界って普通に近代文明が発達してるんだよね。

 マシンガン持った敵の群れが並んでるの見た時はちょっと焦った。さすがに私も銃で撃たれたら死んじゃう。

 人外の存在相手に銃って効かないどころか逆に死亡フラグ的なイメージがあるけど、人間相手なら普通に有効だしね。

 私も銃弾はかわせそうにないし、再生力に定評のある妖怪と違って頭や心臓に穴が開いたら普通に死にます。

 まー、そんな意外な強敵も文字通り一掃されてしまったわけだが。

 続いて現れた敵の第二波相手に、紫は空中で優雅に渡り合っている。

 サーベルとかレイピアとか、いかにも貴族チックな武装の吸血鬼複数相手に立ち回り、魔法使いの後方支援射撃をスキマで無効化し、放たれる弾幕は手数でも負けていない。

 やべえ、あそこだけ戦いが別次元。

 けど、一つ有利なことに、敵はどうも弾幕を使えないみたいだ。

 要は魔力や霊力を無数の弾丸状に形成して撃ち出す技術なんだが、そういう発想自体がないのか、肉弾戦か魔法、吸血鬼の能力を使った使い魔の遠距離攻撃くらいしかしてこない。

 もちろんそれらも脅威なのだが、紫の弾幕も未来に行うスペルカード用の物でなくガチの殺傷力ありだしね。攻撃量は圧倒的だ。

 そんな凄まじい空中戦の下では、私が地味に吸血鬼に定番の狼男をダース単位で吹っ飛ばしている。

 千切っては投げ、千切っては投げ……面倒になったので、途中から千切るだけにした。

 こいつらも強いっちゃ強い。

 動きの速さは人間の比じゃないし、普通の剣じゃ刃も通らないくらい頑丈だ。爪は鋭く、何回か軽く切られている。おまけに生命力も高い。

 だから、一撃に霊力込めて即死させてるんだけども。

 あと、速いと言っても天狗ほどじゃない。

 あいつら種族とかで差はあるけど、実力上位には音速出す奴までいるからねぇ。

 そんな天狗との戦闘経験もある私にとっては大した敵でもなかった。

 天狗の場合、一度動き出すと目で追えない上に移動時の衝撃波だけで吹っ飛ばされることもあるから、まともに戦うと手に負えないのよね。危うく死にそうになった。減速しない砲弾相手にしてるみたいなもん。

 そんな奴らに比べれば、まだ生物的な範疇の動きをするこいつらは楽な部類だ。跳んでくる着ぐるみを殴り殺すだけの簡単なお仕事です。

 せっかく助っ人について来たのに紫の担当する敵との戦力差がすごい。

 ……っていうか、あの凄腕の魔法使いはどう見てもパチュリーだよね。

 思っていたよりもずっと病弱に見える少女だ。今もゲロ吐きそうな顔で呪文唱え続けてるし。

 美鈴のことといい、今の紅魔館はちょっと酷くないかね。労働基準法とかどうなっているのか小一時間ばかり問い詰めたい。

 そんな風にいろいろ集中力を乱しまくりながら、襲い掛かる敵を単なる肉塊としてロッキーばりに黙々叩きまくっていたら、不意に拍手の音が響き渡った。

 その音に視線を走らせれば、拍手をしている奴は紅魔館の一際高い時計台の頂点に佇んでいた。

 

 なん……だと……?

 

 私は戦慄した。

 全く予想だに出来なかった。まさか、この状況で横合いから『なかなか楽しませていただきましたよ皆さん』ってな具合に拍手しながら登場する恥ずかしい奴がいたとは。

 中二病という生前の知識を持つ私としては寒気がするやら笑えてくるやら。

 でも、他の皆は普通に緊迫してるっぽいので私も黙って見守っておく。なんかボス登場っぽいし。

 

「素晴らしい。負け犬どもの逃げ込んだ辺境と侮っていたが、なかなか楽しませてくれる」

 

 台詞も含めて、なんかもう文字通りと言う他ない奴だった。

 強い吸血鬼であるのは分かる。

 ロマンスグレーを形にしたような老紳士で、カイゼル髭にモノクルと抑えるべき点をきっちり抑えた吸血鬼の真骨頂的な姿だ。

 しかし、逆に言うなら『ふーん、君って吸血鬼なんだね』と納得する以外にない捻りの無さだった。

 何より、我が物顔で紅魔館の頂点に佇んでる姿が個人的に違和感ありまくりだ。

 そのポジションって普通レミリア辺りが当てはまるんじゃないの?

 

「しかも、我ら人外の宴に人間まで迷い込むとは。面白い。実に、面白い」

 

 大切なことなので二回言いました。

 なんか私は目をつけられたらしい。

 

「なるほど、君がこの地の人間の守護者である博麗の巫女か。

 それほどの力を持ちながら、生娘とはなんともそそる。見た目も悪くは無い。どうだろう、我が虜とならないかね?」

 

 しかも、性的な意味で目をつけられたらしい。

 うーん、そういう性的衝動って私自身無縁だから、その認識に対して何か嫌悪感を感じるということはないが――まあ、端的に返答するなら『死ね』って感じかな?

 

「その美しき生、無駄に縮めることはあるまい。

 私の虜となれば、このような秘境から連れ出し、味わったことも無い栄華と快楽を見せてあげよう」

 

 既に、奴にとって私は命を握られている存在らしい。

 そうか、了解した。

 どうにも相手は大物っぽいが、紫に負担かけすぎてちょっと立場がなかったところだ。

 私は未だ残る周囲の敵を無視すると、遥か眼上に佇むその吸血鬼に向けて無造作に歩みを進めた。

 

「それでいい、私の足元に跪きなさい。生き永らえるには、賢い選択――」

「――長生きだけを願うなら、人は獣と変わりなし」

 

 自信満々のドヤ顔相手に、私は知る人ぞ知る名台詞を叩きつける。

 

「ただ一筋の美しき道、駆け抜けるから人と言う」

 

 静まり返った空間で、私の声だけが朗々と響き渡った。

 

「二つ無き身を惜しまずに、我が身は進む仁のため。たった三文字の不退転――それが心の花である」

 

 動揺してわずかに目を見開いた敵を睨み据え、私は最後まで言い切った。

 ……やばい、カッコいい。この台詞考えた人カッコいい。あと、爽快感半端ない。

 副次効果でボス戦への覚悟も完了してしまった私は、かつてない戦意を滾らせて跳躍した。

 一つ跳びで紅魔館の屋根まで到達する。

 

「……くっ!? 私に楯突くか、愚か者が! 支配されるべき家畜の分際で驕っているようだな!」

「その腐った認識、全て貴様に返す!」

 

 何故か先ほどの余裕綽々の態度から変わってちょっと焦りだしてるエセ紳士。何今更ビビってんのこいつ。

 まー、ラスボスのレミリアの前哨戦って感じだが、ここは一つこの勘違いバカを成敗して一株上げておきますか。

 っていうか、さっきの台詞で紫を含めた周囲からの注目度がめちゃ上がってるのでそれくらいやって見せないと期待外れと思われてしまいそう。

 今更だけど、目の前の吸血鬼も決して弱くないよね。性格アレだけど、むしろ強い部類だよね。

 でも、もう引っ込みはつかん。

 紫、私にやらせてくれ。ここらで、お遊びはいい加減にしろってとこを見せてやりたい。

 

 ……って、これヤムチャの死亡フラグやんけ。

 

 

 

 

 我に返った紫は、自分が僅かな間とはいえ彼女の言葉に圧倒されていたことを自覚した。

 

(あれが、彼女の真価――)

 

 怪異の踊る夜の闇を切り裂き、眼前の悪意に対して一切の妥協もなく己の正当な怒りを突きつける者。

 化け物を打ち倒す人間とは、ああいう存在なのだ。

 放たれた言葉は、もはや言霊にまで昇華されて周囲の人外達に脅威を与えた。それは紫すら例外ではない。

 味方でありながら畏怖せざるを得ない。妖怪として生きる以上避けられないサガだった。

 

(やはり、私にとって彼女は――いえ、今は戦闘に集中しないと)

 

 そして、人間と吸血鬼が戦闘を開始した瞬間、周囲も思い出したかのように闘争の空気を取り戻した。

 先ほどまで戦っていた敵に加えて、地上の人狼達も紫に襲い掛かって来る。

 

(拙い。まさか、こんな戦いの形になるとは……)

 

 紫はわずかに焦っていた。

 それは相対する敵戦力が増したことにではない。そんなものは些細なことだ。

 問題は、あの男――紅魔館の『当主』スカーレット伯爵が登場し、よりによって巫女の方を相手取って戦い始めてしまったということ。

 当初、伯爵が出てきたら自らが決着をつける予定だった。

 あの男は言動の通り、欲深く、傲慢で、驕り高ぶった強者の典型だったが、それに見合うだけの実力を兼ね備えている。

 特に状況が悪い。満月の下での吸血鬼の不死性は凄まじいものがある。 

 先ほどから戦い続けている配下の吸血鬼達を見ても、その厄介さが実感出来た。

 腕や足はもちろん、頭を吹き飛ばされても再生してしまう。奴らの生命力は月の光に直結しているかのようだ。

 自らの身を省みずに魔力を酷使し続ける魔法使いの猛攻もあり、紫は持久戦を強いられていた。

 その間にも眼下では二人の激戦が続いていく。

 人狼すら即死させる巫女の拳を受け、その箇所を抉り取られるほどの攻撃に晒されながら、しかし伯爵は余裕の笑みすら浮かべて再生させてしまう。

 吸血鬼の腕力を使った大振りな反撃は、恐るべき速さと威力ではあるが、冷静に受け流す巫女にはかすらせる程度。だが、逆に彼女は一撃でも受ければ死ぬのだ。

 そして、吸血鬼の力は何も純粋な腕力だけではない。

 全身を蝙蝠の群れに変えて翻弄し、四方から囲い込んで少しずつ削り取るように彼女を傷つけていく。

 背後へと再び集まり実体化すると、その死角から素早く不意を打つ。背中を浅く切り裂かれ、鮮血が飛び散る。

 巫女は怯んだ様子を見せない。

 的確に反撃し、相手の顔面を砕き、臓腑を抉り――しかし、全てが徒労であるかのように元に戻ってしまう。

 魔の存在に対して有効な、霊力を纏った打撃が効かない。

 満月が、強力な吸血鬼の不死性を更に増幅させていた。あの様子では銀の武器などといった吸血鬼特有の弱点すら効果は見込めない。

 可能性があるものといえば、やはり完全な陽の力である日の光。しかし、夜明けはまだ遠い。

 あるいは、妖怪の持つ属性や性質を無視出来る反則的な能力。

 

(境界操作――しかし、あれほど明確に不死の属性が固着した存在相手には干渉も難しい)

 

 だからこそ、本来の戦いの形としては逆の位置に持って行きたかったのだ。

 一対一に集中出来れば、あの化け物が驕る間に一瞬で死滅させられたかもしれないのに。

 紫の心にまた、わずかな苛立ちが積み重なる。 

 ――苛立つ? しかし……何に?

 現状打開の為に絶え間なく巡り続けていた紫の思考に一瞬空白が生まれた。

 私は何に苛立っていた? この焦燥はどこから来るものだ? 懸念? 何の? このまま戦いが進めばどう不都合があるというのだ?

 

(……彼女が、死んでしまうかもしれない)

 

 そんな考えがよぎり、紫は自分自身を疑った。

 

(今、何を考えた? 何を心配した? 彼女が死ぬと、どうだと――)

 

 紫の自覚のない苦悩。

 その間隙を、当然のように敵は見逃さなかった。

 飛来する火炎の魔法を察知し、咄嗟に回避する。しかし、僅かな思考の空白は紫の判断力を鈍らせ、かわした先に吸血鬼のサーベルが突き出された。

 魔剣と思われる漆黒の刃が紫の胸に深く潜り込む。

 そして、その剣先が背中から――出てこない。

 刃は肉に食い込むことなく、直前に発生したスキマの中へと消えていた。

 そのまま腕も、肩も。

 

「――随分と、久しく感じるけれど」

 

 スキマが閉じる。

 腕を根元から異次元の裂け目に食い千切られた吸血鬼は甲高い悲鳴を上げた。

 その傷は再生しない。

 

「やはり思い悩むということがあるのね、私も」

 

 苦痛に喘ぐ吸血鬼の残った手足を、無造作に開いたスキマが更に飲み込んだ。

 

「慣れない気分なの。この気持ちを、貴方達で発散させていただきますわ」

 

 頭のついた肉塊となった敵を最後に一際巨大なスキマが飲み込み、完全に消滅したのを確認して、紫は残りの敵勢に意識を切り替えた。

 残された者達は、得体の知れない恐怖に竦んでいる。あの魔法使いさえ、淀んだ瞳に怯えを映して。

 自分は今どんな顔をしているだろう?

 きっと笑っている。彼女が好きだと言った、真意を隠す隠者の微笑みを。

 紫は余分な思考を排除するべく、目の前の戦いに集中した。

 集中、しようとして――無意識に、もう一度だけ眼下を一瞥した。

 

 視界には、使い魔である巨大な黒犬の顎に半身を捉えられた巫女の姿があった。

 

 

 

 

 すげー。死亡フラグの力すげー。

 今の私は、普通にピンチだった。

 並の敵なら百回は死んでる攻撃を加えているのだが、敵は百回とも生き返っている。

 吸血鬼の再生力を舐めていた。

 一応、切り札というか、より攻撃力の高い技は持っているが『通じない』のではなく『通じても元に戻る』のでは意味がない。

 これはいかん、と思いつつも、まさか紫に助けを求めるわけにもいかない。

 

「さあ、死になさい」

 

 最初の動揺もどこへやら、すっかり余裕を取り戻した……えーと、名前分からん『紳士』でいいや。

 とにかく、そいつに徐々に押されつつあった。

 吸血鬼が強いのは当たり前なのだ。だから、逆に何か吸血鬼特有の弱点を突かなければ勝機がない。

 といっても、弱点突くってどんな具合に?

 さっきから霊力込めて人体急所ぶち抜きまくっているが全然効果ないし、十字架もにんにくも持ってない。そもそもそういうオーソドックスな奴は効きそうな雰囲気ではない。

 このままではいずれ致命傷を――って、言ってる傍から食らった!?

 

「ぐ……がぁっ!」

「はははっ、良い感触だ」

 

 体の一部を使い魔に変えて攻撃するという方法を失念していた。

 無数の蝙蝠に変身して変則的に動くのを目で追いすぎた。その隙を突いて、巨大な黒犬に変身した奴の一部が私の肩に喰らい付いたのだ。

 肩っていうか、もう右半身丸々飲み込まれてるな。利き手が使えないから振りほどけない。

 噛まれたというより、プレス機に押し潰されたかのような重い衝撃が半身を圧迫する。

 牙が肉に食い込み、骨が軋む。

 痛い。超痛い。でも痛がってるような猶予はない。

 このままでは骨が砕かれ、そのまま体を両断されてしまう。体が軋む音って本当に聞こえるんだね。

 

「絶望と後悔の下で果てるがいい」

 

 恍惚とした笑みを浮かべながら、敵は私に囁いた。

 だが、断る!

 致命傷を受けてしまったが、その衝撃と痛みが私に一つの打開策を閃かせていた。

 さっきから吸血鬼の弱点を必死で探していたが、なんてことはない。

 

 ――在るじゃあないか、吸血鬼に効くとびっきりの攻撃手段が!

 

 呼吸のリズムを変える。

 習得したのはごく最近。単純に体を鍛える方法ではないので、随分てこずったがなんとか形に出来た。

 独特の呼吸を行うことで、体内にエネルギーの波を作り出し、それを循環させる!

 

『グギャァアアアアアッ!!』

「な、何……っ!?」

 

 私の体に食い付いていた使い魔が断末魔を上げて、弾き飛ばされるように離れた。

 その口は内側から溶け始めている。

 溶ける端から気化して灰となる有様を眺め、敵は動揺していた。

 まー、いきなり不死身の肉体を溶かすなんて真似されたらビビるよね。

 ワケ分からんって表情。

 そりゃそうだ、他の漫画の技なんだから。

 今の私の体に流れるエネルギーの波は、太陽の光の波と同じ。

 スタンドバトルの方が有名すぎて、少々忘れられがちな感のある能力だが、こいつは元々対吸血鬼用の技なのだ。

 というわけで、この土壇場で敵に対する有効な攻撃手段を発見した。

 肩からの出血は夥しいが、それを堪えて呼吸を整える。循環する力を拳に宿し、私は一気に反撃に移った。

 吸血鬼に有効な攻撃とは?

 

 

 ――『波紋』を練りながら、物理で殴ればいいっ!

 

 

 

 

「ギッ……ィヒィィィイイ゛イイ゛ッ!!?」

 

 スカーレット伯爵は、自分の悲鳴というものを初めて聞いた。

 脆弱なはずの人間の放った拳が、頬を重く抉る。

 ただそれだけならば、つい先程までと同じように回復する。そのはずだった。

 だが、実際に感じたのは傷の治る感覚ではなく、灼熱。

 一撃を受けた箇所に肉を焼くような熱が宿り、しかもそれは治まることもなくむしろ全身に伝播していく。

 

「な゛……っ、なんだごれはぁ!?」

 

 肉体を切り裂かれるのとも骨を砕かれるのとも違う、耐え難い激痛が神経を直撃した。

 それはハッキリと生命の危機を感じる痛みだった。

 この痛み。この熱。

 

「た、太陽だとぉ……っ!?」

 

 吸血鬼に死を与える光と熱を、彼は思い出していた。

 目の前の人間は、太陽の力を拳に乗せて殴っている。

 

「バカな……バカなぁ!!」

 

 スカーレット伯爵は混乱した。

 絶対的優位にあった自分が追い込まれている事実と、それを為すのがただの人間である真実と、唐突に眼前に突き付けられた『自らの死』という現実――全てを信じることが出来なかった。

 彼の積み上げた長年の歴史とその栄華が、それらを拒絶した。

 自らが暴君であるという自負があった。

 奪う側の存在なのだ。逆では決してない。そういう『運命』だ。そう信じていた。

 しかし、傲慢のツケは今まさに現実となって清算されようとしていた。

 目にも止まらぬ神速の拳撃が、みぞおちに叩き込まれる。

 スカーレット伯爵の体は木の葉のように容易く吹き飛んだ。

 足場にしていた屋根から弾き出され、宙に放り出される。

 地面に叩きつけられる前の浮遊感を感じている余裕はなかった。下腹から潜り込んだあの熱と痛みが体内を蹂躙していた。

 溶解し、気化し、煙を上げて灰となり始める自らの体を見て、スカーレット伯爵は再び悲鳴を上げた。

 地面に叩きつけられる。

 背骨が折れたが、そんなものは重要ではなかった。

 彼の不死身の体は、か弱い人間の女が放ったたった二発の鉄拳によって死滅しようとしていた。

 

「はっ、はっ、はぁ……ぁああああ゛!!」

 

 もはや呼吸すらままならない。肺が焼けて朽ちていく感覚を感じ取る。

 自らの権威の象徴である紅魔館を見上げれば、死に行く彼にとどめを刺すべく、博麗の巫女が屋根から跳躍する瞬間だった。

 拳を握り、一直線に落下してくる。

 その姿に死の影を捉え、スカーレットは心の底から恐怖した。

 恥も外聞もなかった。自らの品格を打ち捨て、彼はただ生き残る為にあらゆる手段を模索し、手でまさぐった。

 そして、普段は単なる装飾品として腰の後ろにぶら下げていた物を引き抜いた。

 美麗な装飾と刻印が施されたリボルバー式の45口径拳銃――人間が使う玩具だと笑っていたそれを、必死の思いで標的に向ける。

 引き金を引き、銃火と共に弾丸が発射された。

 銃弾が当たれば、人間であるなら必ず死ぬ。

 響き渡る銃声と重い反動に手応えを感じ、彼は思わず安堵の笑みを浮かべた。

 そして、次の瞬間視界に映る光景に笑みは消えた。

 額を狙った銃撃。その額の前で、巫女は握っていなかったはずの左手で拳を作り、掲げていた。

 ゆっくりと、握り込まれていた左手が解かれていく。

 その手のひらから、本来彼女の頭部を貫くはずだった弾頭が力を失って虚しく落ちていった。

 

「ぁ――」

 

 スカーレット伯爵は今際の際に何かを言いかけ、しかし結局何一つ口にすることは許されず、落下の速度を乗せた渾身の一撃が彼の心臓を貫いた。

 

 

 

 

 ……こう見えて、結構疲れまんねん。

 

 なんか懐かしい台詞が出た。

 しかし、実際のところ私は全身を、唐突な疲労感というか脱力感に襲われていた。

 原因は言うまでもないか。噛み付かれた右半身に全身全霊の力を込めて、あげく落下分の運動エネルギーまで乗せた拳を打ち込んだせいだ。

 出血とかやばい。腕は上がらないし、骨もたぶんヒビか、砕けてる箇所もあるんじゃないかな?

 波紋の呼吸をかろうじて続けているので、なんとか自己治癒力を高めてダメージを抑えているが、元々そこまで回復に使える能力じゃないんだよね。

 精神的な面でも、集中力を極限まで使ったからもう限界。

 っていうかアレだね。私、とうとう銃弾を素手で掴んじゃったね。

 銃弾って音速とか出てなかったっけ? 今の私、天狗捕まえられるんじゃね?

 これは新たな覚醒に自信を持てばいいのか、ドン引きすればいいのか。ぶっちゃけ自分でもワケ分からん。逆に混乱するわ。

 痛いし、だるい。とにかく、今の私が感じているのはそれだけだった。

 満身創痍という奴だが、現状を一段落させることは出来たので多少は力を抜いてもかまわんでしょ。

 例の紳士は、私の目の前でくたばりかけていた。

 

「カ……ッ! ……カハッ……ヒッ……」

 

 ありったけの波紋を流し込んで、心臓を破壊した。

 これで生きてたら、もうこいつは吸血鬼じゃなくて究極生物って呼んでやるつもりだったが、なんとか効いたようだ。

 大穴の開いた胸を中心に全身が溶け始め、煙を上げて灰になっていく。

 それでも再生力があるせいですぐに滅びないのか、のた打ち回って口をパクパクさせている。

 うーん、こういう苦しんでる姿を見て悦に浸る趣味なんてないんだけどね。

 でも、残りの波紋を搾り出してとどめを刺してやる余裕もない。

 途切れ途切れの呼吸を整えながら、私はただ佇むしかなかった。

 朦朧とし始めた意識の中で、思い出したように周囲の様子を伺う。

 紫の方は……こちらも決着がついたらしい。

 あの激しい空中戦は終わり、夜空は静寂を取り戻していた。

 地上に降りた紫が、私の視線に気付き、優しく微笑みながらこちらに歩み寄ってくる。スマイル素敵、癒されます。

 あれだけいた敵はいつの間にか消えていた。地面に転がるのは動かぬ死体ばかり。

 まさか、紫がやったん? やっぱり大妖怪マジパネェ。

 肝心のパチュリーは……よかった、生きてる。地面に蹲ってゲホゲホ言ってるけど、とりあえず生きてるよ。

 あー……あと、他に気にすることは、なんだろう? レミリアか。

 フランはどうだ? この時代だとまだ地下かな?

 ……っていうか、何なんだろうね。

 あんだけ紅魔館の見知らぬ住人ぶっ殺しておいて、事前に知ってたキャラだけ生かすようにするって私は何様なんだよ。

 偽善どころの話じゃないよ。都合のいい思い入れを優先しただけじゃないの?

 くそっ、なんか普段考えないことがどんどん浮かんでくる……。

 傷のせいか? 脳に回る血が少ないから血圧下がってネガティブになってるとか?

 頭の中がぼんやりして、思考に歯止めが利かない。っていうか何処に向かってるんだ私の思考は。

 

 ――ふと、視線を戻せば吸血鬼は完全に灰になっていた。

 

 だからなんだ。何も感じない。

 これがレミリアだったらどうする? また違う感想が浮かぶんだろ。同じ初対面の吸血鬼なのに。

 ホント、何様だよ……もう死ねよ、私。

 

「――■■■」

 

 博麗の巫女となって以来、もう呼ぶ者も少ない私の名前が呼ばれた。

 焦点定まらなくなり始めた視線を向ければ、いつの間にか傍らに紫が寄り添っている。

 

「ゆかり……」

「もう、休みなさい」

 

 たぶん、傷に障るからそう言ってくれているのだろう。

 だが、私はその言葉を都合のいいように受け取ることにした。

 今はもう、何も考えたくない。

 寝ます。寝て起きれば、たぶん回復してます。いろいろと。

 タガが外れるように、上から順番に体が支えを失い、最後に両足に込めていた力が抜けていく。

 体が崩れ落ちると共に、意識がかすれて消えていくのを妙にはっきりと感じながら、私は朦朧とする五感でこちらに駆け込んできた小さな人影を捉えた。

 レミリアだった。

 吸血鬼の成れの果てである灰を手に取り、何か叫んでいる。

 よく聞こえない。駄目だ。もう気絶し――。

 

 ……えっ、お父様ってどゆこと?

 

 

 

 

 崩れ落ちる巫女の体を、紫は咄嗟に受け止めていた。

 傷つき、血塗れの体が触れ合って服を汚す。

 大陸の支配者である吸血鬼を素手で消滅させた恐るべき人間は、何の抵抗もなく大妖怪の腕に収まった。

 ――この妖怪の天敵を、殺すなら今のうちだ。

 脳裏に浮かんだ考えを自覚し、紫は思わず吹き出しそうになった。

 何を今更。倒れ込む彼女を抱き止めた時は、そんなこと思いつきもしなかったくせに。

 

「もう少し、軽くて華奢な方が好みね」

 

 気絶した巫女に、聞こえない軽口を叩く。

 倒れる寸前の彼女を見ていたから知っている。意外と儚い女性だったのだと。

 傷のせいなのかは分からないが、ボロボロの姿で振り返った彼女の眼はどこか自分に縋り付くような弱さがあった。

 錯覚かもしれない。

 でも今は、そう感じたからこそ素直に手を差し伸べることが出来た。

 腕の中で、まだ心臓が動いていることを確認すると、気付かぬ内に安堵して、紫は改めて周囲の状況を確認した。

 侵略者との決戦は、無事幻想郷の勝利で終わった。

 戦闘の規模は拡大せず、今夜の戦いの詳細は大々的に知られることもない。完璧とも言える勝利条件を満たしていた。

 敷地内に転がるのは死体ばかり。

 他に、本来の体積の半分以下にまで『削り取られた』吸血鬼達が転がっているが、いずれも行動不能か虫の息だ。

 夜明けを待てばそれらも消滅するが、紫は念を押して、彼らの心臓付近にスキマを発生させ、そこから白木の杭を無造作に打ち込んだ。

 断末魔の声すら上げられず、全ての吸血鬼が灰となって消滅した。

 わずかに残っていた人狼などは、姿を眩ましている。

 当主が死んだことで、この館から逃げ出したのか。

 追って殺すまでもない。野に還り、獣として生きて行くのなら、この幻想郷は歓迎しよう。

 彼らが幻想郷を受け入れるのなら、幻想郷もまた彼らを受け入れる。例え、元侵略者であっても。

 それはそれは優しくも残酷な場所なのだ。

 

「後は……」

 

 唯一生存した魔法使いを一瞥する。

 戦いが終了して精根尽き果てたのか、地面に蹲り、喘ぐように荒い呼吸を繰り返していた。

 紫は弱りきったその姿に手を掲げ、しかしすぐに思い直して降ろした。

 殺さないでおこう。

 あの少女が囚われの身であったことは間違いない。戦う意志や意義がもはや存在しない以上、目の敵にする必要もないだろう。

 何よりも、この紅魔館の住人が幾らか生き残ってくれていた方が、今後が楽になる。

 紫は勝利者であり、戦後のことを憂う責任も持たねばならなかった。事後処理が必要なのだ。

 なんとも世知辛い話だとため息を吐きながらも、まずは負傷した巫女を連れ立って紫は今宵の戦場を去ることにした。

 

「お父様っ!?」

 

 不意に、幼い少女の声が響いた。

 館から飛び出してきた、新たな吸血鬼の気配を感じ取って、紫は咄嗟に身構えた。

 まだ生き残りがいたか。しかも、それは血縁らしい。

 紫は、スカーレット伯爵に二人の娘が居たことを思い出した。

 少々面倒なことになった、と。警戒しながら当主の遺灰に駆け寄る幼い吸血鬼を見下ろす。

 一見して、伯爵の血を引くだけのことはある強力な吸血鬼だと分かったが、敵意はないようだった。

 だが、父親が滅ぼされたのだから仇討ちに考えが至るのは、まず自然な流れのはずだ。

 

「……どうして」

 

 吸血鬼の少女は、かつて父であった灰を両手で掬い上げ、その指の間から零れる虚しい感覚に呆然と呟いた。

 その姿に、紫は違和感を感じる。

 声にまるで悲しみの色を感じない。

 信じられない、といった呟きは『誰が父を殺したのか?』ではなく、もっと純粋な『どうして死んでいるのか?』といった根本的な疑問を孕んでいるように聞こえた。

 紫はその娘を注意深く観察した。

 そして、すぐに納得した。

 娘の細い首に、装飾品を模して嵌められた首輪――それで全てを察することが出来た。

 肉親を失ったにしても、あまりに足りない支配者の娘としての覇気。虐げられた者が纏う、特有の諦念。

 つまり、紅魔館の当主とは噂どおりの暴君であったという話だ。

 それこそ、自らの身内に対してさえ。

 

「……どうして、今更」

 

 ――殺されているの?

 物言わぬ灰に対する呟きは、勝手に死んだことを弱弱しくも責めてすらいるようだった。

 この娘は敵ではない。

 既に心が折れている。

 紫は、目の前の小さな存在から完全に興味を失っていた。

 傷ついた巫女の体を両手で優しく抱き上げ、治療出来る場所へ運ぶ為にスキマを開く。

 

「――ああ、そうですわ」

 

 立ち去る前に、ふと思い出したかのように振り返った。

 

「死んだ当主の代わりを立てておいて下さいな。

 どれほど住人が残っているかは知りませんが、相続は貴女でも、もう一人でも、どちらでもご自由に」

 

 聞こえているのかも分からない吸血鬼の少女に向けて、淡々と要求だけを告げた。

 反応を期待せず、再び背を向ける。

 

「後日、今後の事についてのお話の為、伺いに参りますわ」

 

 それだけ言い捨てると、紫はスキマの中へ消えて行った。

 彼女の頭の中には今後の懸念事項のみが浮かび、その解決方法を思案し、整理させていく。

 やるべきことは山積みだ。

 しかし、まずは巫女を治療するところから始めよう。彼女が目を覚ました時、枕元で献身的に看護する姿を見せてみたら、さてどんな反応をするだろうか?

 今夜はなかなか働いた。いろいろ頭を悩ませて、少々気疲れもした。

 だから今は、こんな風にちょっとくらい思考を遊ばせても構わないだろう。

 悪戯っぽく微笑みながら、紫は紅魔館を立ち去った。

 

 

 ――滅んだ者と残された者。彼らと彼女らの因縁や禍根。そして未来。

 戦いの跡に置き去りにされたものは多く、しかし今の紫にとってそれらは思考を割くほど重要なことではなかった。




<元ネタ解説>

「長生きだけを願うなら~」
コミック「覚悟のススメ」作中の台詞。

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