東方先代録   作:パイマン

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風神録編その四。


其の四十三「境界」

 八雲紫の家は、博麗神社とはまた別の幻想郷の境目にある。

 博麗神社とは違い、その場所はほとんどの者が知らなかった。現世には存在しないのではないかとさえ言われている。

 ごく一部の例外を除いて、人も妖怪も誰もその屋敷に足を踏み入れることを許された者はいない。

 今日、そこに二つの例外が増えたのである。

 

「美味い飯じゃのう」

 

 味噌汁の入ったお碗から口を離して、マミゾウがしみじみと呟いた。

 お世辞ではなく、本心からだった。

 味噌汁だけではなく、目の前に並べられた料理の数々。薄っすらと湯気を上げる白米や焼き魚などはどれも絶品だった。他にも添えられた漬物や生卵は外の世界のスーパーなどに一山幾らで並べられている物とは味わいがまるで違う。

 純和風の食事というのも、マミゾウにとっては珍しいものだった。外の世界では、専門の料亭にでも行かなければ味わえない。

 食事をする場所も素晴らしい。

 家主にとっては何の変哲もない自宅の居間でしかないかもしれないが、マミゾウが縁側を通して眺める中庭は絶景である。

 外からは、人の声や車の音などの騒音は聞こえない。都会にはない静寂がある。

 その中に時折響く、ししおどしの小気味よい音を聞きながら、美しい中庭を眺めつつ、料理に舌鼓を打つ。

 外の世界では高い金を支払って得られる食事と風景を、ここでは日常の一部として何気なく味わえるのだ。

 マミゾウは、幻想郷へ迷い込んだことを感謝すらしていた。

 しかし、である。

 

「いや、本当に美味い飯じゃの?」

 

 マミゾウはにこやかに笑いながら、同じ食卓を囲む三人に水を向けた。

 誰も答えなかった。

 傍らの霊夢が、一瞥しただけである。

 沈黙と食器の触れ合う小さな音だけが返ってくる中、とうとう隠しきれなくなった汗が一筋、マミゾウの額に流れた。

 気まずい空気が漂う。

 その『まずさ』を味わっているのは、マミゾウただ一人であった。

 食事を始めてから、ずっとこの調子である。

 いや、正確には霊夢とマミゾウがこの八雲紫の屋敷に招かれてからずっと、であった。

 二人が――特にマミゾウが『招かれざる客』であることを、無言で訴えられているのが痛いほどよく分かった。

 俯き加減で食事を続けながら、マミゾウは様子を伺った。

 この中で特に問題なのは、ここの家主である妖怪とその従者だ。

 八雲紫と八雲藍。

 友好的な意味合いなど欠片もない自己紹介を最初に受けて、名前と簡単な立場だけは知ることが出来た。

 しかし、それ以降はろくに会話も交わしていない。

 あとは、マミゾウ自身が推察するしかなかった。

 説明されるまでもなく、八雲紫がとんでもない大妖怪であることは嫌というほど分かる。

 この屋敷に通される際に、一度だけ『スキマ』と呼ばれる力を見たが、恐ろしく不気味な能力だった。全く得体が知れない。

 従者の八雲藍も強力な妖怪だ。何よりも、狐の妖怪である。自分とは行使する力の種類が近い。実力の高さは肌で分かった。

 幻想郷で、相応の実力と立場にあるであろうと予想出来る二匹の大妖怪なのだ。

 そんな者達が、外の世界から偶然迷い込んだ余所者の自分を歓迎する道理はない。

 それをマミゾウは理解していた。

 だから、この場の空気も仕方がない。

 ――と、そう物分りよく納得しないのもマミゾウなりの性分であった。

 

「のう、おぬしら」

 

 それまで黙って飯を口の中にかっ込んでいたマミゾウは、おもむろに茶碗と箸を置いた。

 きっちり中身は平らげている。

 

「湿気た空気の中で食べる飯は美味いか?」

「食事中はお静かに願います。二ッ岩様」

 

 藍が目も合わせずに答えた。

 

「だああっ、ええ加減にせんかい!」

 

 マミゾウが机を叩いて、声を荒げた。

 さすがに暴れだすような真似はしないが、肩を怒らせて藍を睨みつける。

 

「おぬしのう、儂に言いたいことがあるんならハッキリ言わんか!」

「……何か、御客人に無礼をいたしましたでしょうか?」

「それじゃ、それっ! 表面だけ丁寧に取り繕って、腹に黒いもん溜め込んどるのが丸分かりなんじゃ! 文句や不満があるなら辛気臭い真似はせずに、きっちり口と態度に出せぃ!」

「不満など。紫様のお招きした御客人に対してあろうはずがありません」

「主人の招いた客じゃから不承不承って気持ちが透けて見えとるわい! なによりなぁ――」

 

 マミゾウは霊夢の方を一瞥した後、氷のように表情を変えない藍の顔を改めて鋭く睨みつけた。

 

「儂はともかく、霊夢にまでその態度を向けるとはどういうつもりじゃ!?」

 

 霊夢は目を丸くした。

 二つのことに驚いていた。

 マミゾウが本気で怒っていること。そして、それが自分の為に藍に対して怒っているということに。

 

「おぬしが儂を警戒するのは分かる。会ったばかりで、得体も知れん余所者じゃ。普段は誰も訪れんという主人の住処に、そんな奴を招き入れて、あまつさえ飯や寝床の世話までするのはそりゃあ気に入らんじゃろう。

 特に、おぬしは狐の妖怪じゃ。妖獣としての力も格も相当なもんじゃというのは分かっとる。狸の妖怪である儂とは相性が悪いゆえ、特に理由もなく儂を嫌っても仕方がない。っていうか、儂もおぬしを特に理由もなく嫌いじゃから安心せい」

 

 ワケの分からない棚の上げ方をしながら、マミゾウは続けた。

 

「しかしなぁ、霊夢はおぬしらの身内じゃろうが! それがおぬしの向ける目つきときたら、儂と同じ完全な余所者を見る冷たい目じゃ! 災難で家を失ったこの娘を、歓迎は無理でもせめて暖かく迎え入れてやるくらいはせんかっ!」

「……マミゾウ、あたしのことはいいから」

「いいや、よくない!」

 

 冷静な霊夢とは逆に、マミゾウの方は喋っている内に激してきたらしい。

 霊夢のことが不憫でならなかった。

 今、この場には完全な余所者である自分がいる。厄介者扱いされるのも、まだ理解出来る。

 しかし、マミゾウがこの屋敷に招かれたのは偶然だった。

 あの時神社を訪れなければ。あるいは、神社に残って霊夢の手伝いをしていなければ、本来ここにいたのは霊夢一人だけだったかもしれないのだ。

 もしそうだった場合、彼女は特に不平や不満を言うこともなく、置物のように扱われ、暖かみのない食事を黙って口にしていただろう。

 それが許せなかった。

 マミゾウが本当に怒っているのは、自分の扱いではなく霊夢の扱いなのだった。

 

「大体の、これは八雲紫殿にも責任があるのではないか?」

「――」

「主人である貴女の態度が、従者の態度にも反映されておるのではないかと思うんじゃがの」

 

 マミゾウに水を向けられながらも、紫は沈黙を貫いていた。

 視界に入ってすらいないかのように食事を続けている。

 主人に矛先が向けられたことで、藍はそれまで隠していた剣呑な光を瞳に宿らせて、マミゾウを見据えていた。

 下手な真似をすれば、すぐにでも襲い掛かってきそうな雰囲気である。

 しばらくの間、紫をじっと睨んでいたマミゾウは、やがて小さな舌打ちと共に乗り出していた身を引いた。

 紫や藍に気圧されたわけではない。

 自分の怒りに対する反応さえ期待出来ないと悟った為だった。

 まるで暖簾に腕押しである。

 所詮、自分は今日出会ったばかりの余所者なのだ。その物言いになど全く取り合おうとしていないのが分かった。

 口をへの字に曲げたまま、怒りを治めようと湯飲みに手を掛けたマミゾウはふと気付いた。

 何かを思いついたのか、ニヤリとした笑みを浮かべる。

 

「……おい、狐よ。湯飲みが空じゃ。客人にお茶を注いでおくれ」

 

 藍はその慇懃無礼な口ぶりを、安い挑発だと受け取った。

 黙って急須を手に取り、中身のお茶を注ぐ。

 

「――む!?」

 

 異変を察知して、藍が声を上げた。

 茶を注ぎ始めた途端、湯飲みから中身が溢れ出したのである。

 傾けた急須から出ている茶の量と、湯飲みから零れ出している茶の量は明らかに釣り合っていない。

 湯飲みの淵から零れる程度だった量がすぐに何倍にも増え、机を水浸しにしたかと思えば、食器や料理を押しのけて、あっという間に部屋全体へ広がっていった。

 部屋に溢れた茶が、階から庭へ流れ落ちていく。

 湯飲みから零れるにしても明らかに異常な量だったが、溢れる勢いは全く収まる気配がない。

 茶というよりも緑色の海に下半身を浸らせながら、しかし四人はその場に座したまま動かなかった。

 

「おっとっと」

 

 マミゾウは藍をじっと見据えたまま、おどけるように微笑した。

 藍の方は、既に動揺を消し去っている。

 急須を傾けたままお茶を注ぎ続け、頃合を見計らってそれを止めた。

 途端に、湯飲みから溢れ出ていた茶の勢いが止まった。

 それどころか、部屋の畳はもちろん、机の上にも茶など零れていない。料理はそのまま卓に並び、水浸しになっていたはずの四人の服は何処も濡れてなどいなかった。

 

「ふむ、零さなかったようじゃの」

 

 新しく注がれた湯飲みの中身を見下ろしながら、マミゾウは悪戯っぽく笑った。

 それを藍が小さく鼻を鳴らして返す。

 先程の現象は、全てマミゾウが術で生み出した幻だったのだ。

 藍はそれを見抜き、本物のお茶を溢れさせるという失態を犯すことなく作業を終えた。

 当然のように、霊夢と紫の二人も状況を見切っており、全く動揺していない。

 

「ふふん」

 

 それでも、マミゾウとしては最初の藍の動揺を引き出せただけでも『一本取った』と思える手応えだった。

 少しだけ胸の空く思いをしながら、得意げな笑みで湯飲みを口に運んだ。

 

「――っぶへぇ!!? 何じゃこりゃ、苦っ!!」

 

 茶を飲んだ途端、盛大に咳き込んで、マミゾウは涙目になった。

 

「おや、口に合いませんでしたか。茶葉を入れすぎたようで」

 

 今度は藍が笑みを浮かべて言った。

 マミゾウの仕掛けに対して、彼女も気づかれないようにそのような小細工を施していたらしい。

 

「き、貴様ぁ~っ」

 

 マミゾウが恨めしげに、その顔を睨みつける。

 今にも掴みかかりそうな雰囲気だったが、最初に自分の方から術を掛けた以上、ここで直接手を出しては負けを認めたも同然である。少なくとも、マミゾウにとってはそういう認識だった。

 

「良い度胸じゃ、表に出んかい!」

「申し訳ありません。くだらぬ戯れに付き合う暇はございませぬゆえ」

「はっ! 慇懃無礼な本性が見えてきたのぅ」

「其方様も、田舎狸の品性と力の底は見えました」

「よっしゃ、喧嘩売っとるな。買い叩いてやるわい!」

 

 マミゾウと藍は互いに身を乗り出し、獣が牙を剥くように笑いながら額を突き合わせた。

 一触即発の状況に対して、紫は変わらず無視に近い不干渉を貫いている。

 そこに割り込んだのは、霊夢だった。

 

「マミゾウ、やめて」

 

 頼むよりも命じるような厳しい口調だった。

 

「食事中よ」

「し、しかしのぅ……」

「どんな理由であっても、食卓を乱すのは許さない。礼儀がなってないわ」

 

 霊夢の叱責に、マミゾウはションボリと肩を落とした。

 更に、霊夢は藍の方にも冷たい視線を向けた。

 

「藍、あんたもよ」

「何を――」

「八雲の式っていうのは、食事の場での礼儀作法にも欠くの?」

 

 その指摘には、藍も口を噤むしかなかった。

 主人の前で恥を掻かされたという思いが不満となってありありと表れているが、霊夢に反論するという行為が更にその恥を上塗りすることだと理解もしている。

 羞恥と怒りで僅かに頬を赤らめながら、藍は黙って身を引いた。

 元凶であるマミゾウの様子を睨むように伺う。

 顔を俯かせたマミゾウは、その口元に小さな笑みを浮かべていた。

 そこで、藍はようやく彼女の本当の意図を察した。

 最初から、霊夢に藍を叱らせることがマミゾウの目的だったのだ。

 霊夢を冷遇する藍への意趣返しは、見事に成功していた。

 それに気付いた藍は小さく呻き、胸中に渦巻く敗北感を味わっていた。

 

「――霊夢」

 

 互いに正反対の心境で黙り込んだ二人の様子を眺めながら、それまで沈黙を守っていた紫がおもむろに口を開いた。

 マミゾウと藍のやりとり。そこに隠されていた駆け引きや含まれていた真意も、全て見抜いている。

 その上で、紫は面白そうに小さく笑っていた。

 

「貴女、なかなか面白い妖怪を連れてきたわね」

 

 食事を始めて以来、紫は初めて霊夢に視線を送った。

 霊夢はそれを憮然とした表情で受け止めた。

 

「紫」

「何?」

「あたしも、お茶」

「はいはい」

 

 差し出された空の湯飲みに、紫は笑いながら新しいお茶を注いだ。

 

 

 

 

 寝巻きに着替えた霊夢は、縁側でマミゾウを見つけた。

 夜の帳が落ちた中庭に向かって腰を降ろしている。

 手元で何かを裁縫しているらしい。赤い布と針が見えた。

 

「ん、風呂上りか?」

 

 歩み寄る霊夢に気付いて、マミゾウが顔を上げた。

 

「しっかり髪を乾かすんじゃぞ。湯冷めしてしまう」

「分かってるわよ」

 

 まるで母親のようなことを口にする。

 もっとも、霊夢の母は無口だった為、何かを言うよりも先に黙って行動に移すことの方が多かった。

 

 ――何故、この狸の妖怪は自分にこうまでお節介を焼くのだろう?

 

 霊夢はずっと不思議に思っていた。

 知らずマミゾウのやっていることに興味を持ち、隣に腰を降ろした。

 

「何やってるの?」

「ちょい待ち。もうちょっとで完成じゃ」

 

 マミゾウは最後にぐいっと針を引っ張ると、糸を噛み切った。

 

「ほれ」

 

 放り渡された物を、霊夢は慌てて両手で受け止めた。

 横長い布だった。帯のようにも見えるが、両端には白いフリルが付いている。よく見れば、赤い布地に白い糸で美しい模様も刺繍されていた。

 

「これって、リボン?」

 

 霊夢の問い掛けに、マミゾウは裁縫道具を片付けながら頷いた。

 

「潰れた神社から回収した着物があったじゃろ。あの布地で作ったんじゃ」

「えっ、あれってボロボロに破れてたから紫に頼んで処分したはずじゃ……」

「服としては使い物にならんかったが、無事な部分も多かったしの。もったいないじゃろ? リサイクルじゃ、リサイクル」

「『りさいくる』って何?」

 

 マミゾウは笑いながら言った。

 

「それにもったいないといっても、雑巾にして再利用するのは嫌じゃろう。大切な母親の服なんじゃから」

「……知ってたの?」

「おぬしが着るのは大きすぎるからの。八雲紫殿からも少々話を聞いた」

 

 話を聞いた――というよりも、こちらから訊ねたこと以上の内容を紫の方から勝手に話していた。

 ひょっとして、自分がこういった行動に出ることを予想していたのだろうか。だとすれば、何とも恐ろしい。いや、捻くれていると言うべきか。

 いずれにせよ、いい気はしないが不満でもない。

 マミゾウは複雑な心境を霊夢から隠しながら、苦笑を噛み殺した。

 

「余計なお世話じゃったかのう?」

「……ううん」

「そうか、それはよかった」

「あ、ありがとう」

「いやいや、喜んでもらえたならなによりじゃ」

 

 霊夢はリボンを胸に掻き抱くように、しばらくの間握り締めていた。

 

「……ねえ、マミゾウ」

「何じゃ?」

「どうして、あんたはあたしにこんなに親切にするの?」

「どうしてって……親切にしたらいかんかの?」

「だって、あたし達今日会ったばかりじゃない。それに人間と妖怪よ」

「そうじゃのぅ、他人である理由は多いが、親身になる理由はないってことかの」

「そうよ」

「うむ。理由、か――」

 

 呟きながら、マミゾウは懐から細長い巾着袋を取り出した。

 その袋の中から更に出てきたのは煙管だった。

 吸い口と雁首の部分に金細工が施されている、価値と年季のある代物である。

 

「――理由がないと、いかんか?」

 

 煙管を手元でクルクルと回しながら、呟く。

 

「理由がないとおかしいじゃない」

「別におかしくはないじゃろう。何も身銭を切っておぬしを助けたとか、そういった大それたことをしたつもりはない。ちょっとした手間や気持ちで出来る親切じゃよ」

「でも、納得いかないわ」

「理屈が通らないことには、つい疑って掛かってしまうということかな?」

「それは……そうかも」

「いかんなぁ、理由を明確にせねば他人の善意を素直に受け取れんというのは捻くれ者の証拠じゃぞ。その考え方は、あの八雲殿の影響かのう?」

「何で、そこで紫が出てくるのよ?」

「なぁに、儂なりにおぬしらを見ていて勝手に感じたことじゃよ。あの食事の場でもそうじゃったがの」

 

 喋りながら、マミゾウは煙管を弄ぶのを止めた。

 同じ巾着袋の中に入っていた、紙に包んだ刻みたばこを取り出す。それを火皿の上に、丸めて詰め込んだ。

 

「最初は勝手に憤って物申してしまったが、八雲殿は八雲殿で、案外おぬしのことを考えて行動しているのかもしれんと思ってな」

「……なにそれ。気色悪いこと言わないでよ」

 

 霊夢が顔を顰めながら言った。

 紫に気遣われているということが、不本意で仕方ないらしい。

 マミゾウの中で霊夢にとっての八雲紫とは、話にだけ聞く義母とはまた違った親代わりのような立場の者ではないか、という認識があった。

 しかし、霊夢の反応を見て、それを直接的な言葉にして口には出さないでおこうと思った。

 実際のところどうなのかは分からないが、少なくともそれを聞いた霊夢は確実に機嫌を損ねるだろう。

 

「優しく扱うことだけが愛情ではない」

 

 マミゾウは煙管に火を点けた。

 

「厳しく接することも、また愛じゃ」

 

 親の、と心の中で付け加える。

 

「霊夢。おぬし、母親にぶたれたことはあるか? あ、もちろん叱る為にじゃよ」

「あるわよ」

 

 霊夢は答えた。

 

「何回?」

 

 今度はすぐに答えることが出来なかった。

 目の前の妖怪は、まるでこちらの心を見抜いているかのように的確な部分を突いてくる。

 

「……一回だけ」

「ほほう、そりゃあ凄い。よほど聞き分けの良い子供だったんじゃな」

「母さんに厳しくされてないから、愛されてないって言いたいわけ?」

「いやいや、そんなことはない。きっと優しい母親で、おぬしも頭の良い子供だったということじゃろう。

 しかしの、痛い目を見んと覚えられんことが多いのは人間も妖怪も同じじゃ。おぬしがぶたれたという、その一回。きっと大切なことを学んだんじゃないのかね?」

 

 霊夢は、言葉もない。

 マミゾウの言うとおりだった。

 間違ったことだと分かっていて、それでも心の中に溜まっていた黒い想いを吐き出した時。

 そこで母に叩かれた時。

 あの時の痛みは今でもはっきりと思い出せる。思い出して、悲しくも苦しくもなる。

 しかし、同時に決して記憶から色褪せない大切なものとして残っていた。

 

「なあ、霊夢。母親のことが好きじゃろう」

「……うん、好き」

「反抗期――は、分からんか。まあ、要するにたまに母親を煩わしく思ったりすることはなかったかの?」

「ないわ。一度も」

「そうか。しかし、親というのは子供から疎まれることも一つの役割じゃと思う。何事も、善いことを学んだら、悪いことも知らねばならんと儂は思うんじゃよ。冷たさから暖かさを知り、間違いから正しさを学ぶ」

「それが、紫だっていうの?」

「さぁて、のう」

 

 意味深げな笑みを湛えながら、マミゾウは煙管を吸った。

 霊夢は、口から吐き出される白い煙をじっと見つめていた。

 

「……ねえ、思ったんだけど」

「何じゃ?」

「最初の質問から話逸れてない?」

「ありゃ、そうじゃったか?」

 

 マミゾウは惚けたように笑った。

 上手くはぐらかされた、と霊夢は思った。

 そう『上手く』だ。いつの間にか、彼女に親切にされたことを素直に受け入れ、こうして親身に話してくれる状況を心地良く感じてしまっているのだ。

 霊夢は隣の妖怪に気を許し始めている自分に気付いていた。

 

「ねえ、マミゾウ。ちょっと聞いてくれる」

「何じゃ?」

 

 吐き出す煙と共に応える。

 

「神社を潰した犯人がいるらしいの」

「そうか。酷いことをする輩もいたもんじゃ」

「あたし、そいつが憎いのよ」

「そうか。そりゃあ正当な怒りじゃよ」

「……殺してやりたいくらい、憎いのよ」

 

 秘めていた心の闇を打ち明ける。

 実際に言葉にすると、自分でも驚くほどどす黒い殺意が滲んでいた。

 

「そうか」

 

 マミゾウはただ一言だけ呟いて、それを静かに受け止めた。

 それだけのことが、霊夢にはありがたかった。

 

「ねえ」

「何じゃ?」

「殺すって、悪いことなのよ。そんなことしていいの?」

「そうじゃな、好きにせい」

 

 中庭に視線を向けたまま、マミゾウは言った。

 霊夢はその横顔を見つめた。

 

「おぬしも迷っておるんじゃろう?」

「……うん」

「復讐して、相手を殺すことが本当に正しいとはおぬしも思っておらん」

「そうよ。でも、我慢出来ない。だって、酷いじゃない。あたしの大切な物、壊されて……畜生」

「うん。ならばな、好きにせい。理不尽な仕打ちを受けたんじゃ、復讐して何が悪い」

「でも……っ」

 

 苦しげに言い縋る霊夢の目には、僅かだが涙が滲んでいた。悔し涙だった。

 マミゾウは霊夢の肩を抱き寄せた。

 子供にそうするように、優しく囁きかける。

 

「どちらが正しいかなんて、儂には答えられんよ。だから、敵を前にして本当に決断せねばならん土壇場になった時、あとは心のままに決めればよい」

「――」

「そこで踏み止まるも、過ちと知って犯すも、おぬしにとっては同じじゃ。きっと、どちらを選んでも心にわだかまるものはあるじゃろう」

「――」

「その後で、自分がしたことを全て母に話せばいい。きっと、母はおぬしを叱ったり、許したりしてくれるじゃろう」

「…………うん」

 

 霊夢はしばらくの間、マミゾウに身を寄せたままじっとしていた。

 どれくらいそうしていただろう。

 おもむろに、霊夢は体を離した。

 煙管から煙を吹かすマミゾウを、少し恨めしげに睨みつけた。

 

「あんた、臭いわよ」

「ふむ、煙草の臭いかの?」

「知っているわ。そのタバコっていうの、体に悪いのよ。母さんが言ってた。『酒を飲むのはいいけど、タバコだけはやるな』って」

「ふぉっふぉっふぉっ、そりゃあ素晴らしい教育じゃのう。その通り、こんなもん百害あって一利なしじゃ」

「じゃあ、なんであんたはそれを好き好んで吸ってるのよ」

「さあて、何でかのう。悪いと分かってるのにやめられん。いや、こりゃ難儀なもんじゃ。困った困った」

 

 そう言って、マミゾウは声を上げて笑った。

 

 

 

 

 平日の本屋は暇である。

 特に、お昼時になると食事の為に客も減る。夕方以降に学生の客が増えるまでは、仕事も忙しくはない。

 

「――あの、すいません」

 

 その女性店員は、レジカウンターで声を掛けられた。

 笑顔と共に声の方向へ向き直り、すぐに視線をやや下方へと修正する。

 

「はい、何か御用でしょうか?」

「本を探していただきたいんですが」

 

 小柄で可愛らしい少女だった。

 ショートカットの髪にワンピースとカーディガン。端正な容姿と相まって、無条件に微笑みかけたくなるほど愛らしい。

 店員の営業スマイルが、自然な素の笑顔へと変わっていった。

 

「どういった本をお探しでしょう?」

「漫画で『ジョジョの奇妙な冒険』という本です」

 

 聞いたことのないタイトルだった。

 パソコンで検索してみたが、店の在庫はもちろん、タイトル自体が該当しない。

 

「申し訳ありませんが、そちらの本は存在しないようです。タイトルにお間違えはないでしょうか?」

「いえ、いいんです。もう一冊、『東方求聞史紀』という本はありますか?」

「――申し訳ありません。そういったタイトルの本もないようです」

「そうでしたか、ありがとうございます。これ、ください」

 

 少女は残念がる様子もなく、数冊の文庫本をカウンターに置いた。

 落ち着いた子だなぁ、と店員は感心した。

 外見からして小学生くらいの女の子だ。大人の店員に対して物怖じせずに何かを尋ねるということ自体が珍しい。大人びた少女だと思った。

 そこで、ふと気付いた。

 目の前の少女が学生相当の年齢であることに間違いはない。

 本来ならば、この時間帯は学校にいるはずである。

 サボりか? いや、そんな不良には見えない。華奢な体つきは何処か病弱そうだし、ひょっとして入院していて学校には通っていないのだろうか――。

 

「私は病弱だから、入院しているんです。学校に行けないので、代わりにこういった本を読んでいるんです」

 

 やはり、そうだったのか――と、店員は若干気まずい気持ちを抱えながらも納得した。

 おそらく買い物には慣れていないのだろう。戸惑った様子でお金を取り出す少女に、先程のお詫びも兼ねて丁寧に接客しながら会計を済ませた。

 

「ありがとうございました」

 

 店員が言う前に、少女の方が頭を下げて、そう言った。

 今時珍しい、礼儀正しい女の子である。

 自然と見送りにも熱が入る。

 

「いいえ。宜しければ、またお越しくださいませ」

「はい――機会があれば」

 

 退店する少女の背中を、店員は笑顔で見送った。

 接客業には、悪意のある客など色々な相手に対応することが多い。そんな中であの少女の来店は爽やかな風のように感じられた。

 本当にまた来てくれるかは分からないが、自然と心に残る時間だった。

 カウンターに戻った店員は、未だに暇な時間を利用して、自分のスマートフォンで少女の訊ねた本のタイトルをネット検索してみた。

 

「……うーん、やっぱりあの子が何か勘違いしてるのね」

 

 少女の探していたタイトルの本はもちろん、キーワードが一致することさえなかった。

 

 

 

 

 ――バタフライ・エフェクト。

 

 ブラジルでの蝶の羽ばたきがテキサスでトルネードを引き起こす。

 目に留まらない程度の極めて小さな差が、いずれ無視出来ない程大きな差を生む現象を指す言葉だった。

 

「つまり『風が吹けば桶屋が儲かる』というやつですね」

 

 手元の文庫本に視線を落としながら、さとりは独り言を呟いた。

 大体の理屈は理解出来ている。

 つまり、物事は互いに影響し合い、一つの歯車が失われることで様々な変化が現れるということだ。

 現在、自分がこうして外の世界にいることで地霊殿の主が不在となり、地底の業務に不具合が発生しているだろうということと同じように。

 自分で例えておきながら、さとりは頭を抱えたくなった。

 無事に幻想郷へ帰れたとしても、きっと問題が山積みだ。まったく頭が痛くなってくる。

 憂鬱な気分になりながらも、思考を元に戻した。

 

「本物を読むの、ちょっと楽しみにしてたんですけどね」

 

 先程訪れた本屋での出来事である。

 あらかじめ予想していたことだが、先代の知識にあった漫画は、彼女の前世となる異世界にのみ存在する本であり、この外の世界には存在しなかった。

 考えてみれば、当然のことだ。実在する本ならば、外の世界を行き来出来る八雲紫が知っているはずである。

 少なくとも先代の認識では、どれも世界的にかなり有名な作品ばかりだった。

 そして、先代はその漫画の中の台詞を何度か引用している。

 先代自身がよく力説しているように『名台詞』として知名度の高いそれらを、八雲紫は知らなかったのだ。

 ならば、大本となる漫画自体が存在しないのだろう――と、さとりは以前から予想をしていた。

 それでも半分は期待していたのである。

 実際に判明して、残念なのは間違いなかった。

 しかし、さとりが最も気になっているのは別のことだった。

 例えば、先程挙げた『名台詞』――先代がそうしたように、こういった言葉は引用して使われることも多いものである。偉人の言葉がそうであるように。

 また『パロディ』というジャンルも存在する。有名な作品を、二次的に模倣したり、もじったりした作品のことだ。

 さとりは、原作の有名なコミックを知ると同時に、そのパロディについても先代の知識から知っていた。

 この世界に、先代の知る数々の有名な本は存在しない。

 ならば――それらを原作とするパロディや、言葉を引用した文章まで存在しないというのだろうか?

 些細な疑問も、そこから視野を広げて眺めてみれば、物事全体の歪みに気付く。

 風が吹かなければ、桶屋の利益は何処に行ったのだろう。

 羽ばたく蝶がいなくなれば、竜巻は消えるというのか。

 

「確認、するべきなのでしょうか……?」

 

 それが何らかの禁忌に触れる、酷く恐ろしいことのような気がする。

 いつの間にか、読書を止めてさとりは考え込んでいた。

 外の世界に来る前、地霊殿で考えていたことを思い出す。

 先代の知識の中では『東方Project』という作品として一つに収まっていた、この世界。

 目に映るもの全てが、大雑把な修正や削除を加えられた歪な風景に見えてならない。その痕跡が、微細な矛盾としてそこらかしこに残っている。

 自分の住む世界が、地球という巨大な球体であることくらいはさとりも知っていた。

 

 ――しかし、本当にそうか?

 ――この世界に限っては、実は地平線や水平線の先には何もなくて、海の水がざあざあと流れ落ちている光景が広がっているのではないか。

 

 そんな考えまで、真剣に浮かんでしまうのだ。

 

「それこそ、幻想の世界ですね」

 

 日本神話では、最初に神が人間を生み出し、その人間が住む国も生んだとされている。

 現実に在る疑問点や歪みを追求していった結果、外の世界では否定されているその幻想の起源に行き着くのだから、何とも皮肉な話だと苦笑した。

 不毛なことを悩んでいると自覚して、さとりは考えるのをやめた。

 視線を上げて、一度自分のいる場所を確認してみる。

 公園の一角。さとりはベンチに腰を降ろしていた。

 公園の池で釣りをする老人や、ボートに乗って遊ぶ親子連れが見えた。

 見たことのない風景。

 聞いたことのない音

 平日の静かな公園でも感じる息苦しさ、狭苦しさ。

 それらから目を逸らす為に、さとりは再び手元の本に集中した。

 しばらくして、先代がやって来るのに気付いた。

 さとりが公園のすぐ傍の本屋を訪れたのに対して、彼女は少し離れたコンビニに買い物へ行っていたのだ。

 先代の大柄な体が、すぐ隣に腰を降ろし、木製のベンチが軋んだ音を立てた。

 見慣れた巫女服とは違う現代風のファッションが、妙に似合っている。

 買ってきたオレンジジュースを受け取り、ちょっとしたやりとりを交わした後、さとりは改めて自分達の境遇を思った。

 

「何故、こんなことになってしまったんでしょうね?」

 

 外の世界に来て、知らなくてもいいことを知り、それに頭を悩まされている。

 

「分からん」

 

 先代の返答が、さとりには何処か投げやりに聞こえた。

 

 ――彼女は、私があと二日でこの世界から消滅することを知らない。

 

 

 

 

 さとりんの現代ファッション、似合いすぎワロタ。

 脳内カメラのシャッターを切って『東方現代化』というタグと共に保存しておくことにしよう!

 服を選んだ青娥にはグッジョブと言わざるを得ない。

 青娥の家で一夜を明かし、朝の内に私とさとりの身体のサイズを測ってから、近場の衣料量販店で服だけを買ってきてもらったのだ。

 本当は私達も同行して、服屋で試着とかしながらちゃんとした物を選んで買った方がよかったのだろうが、何せそこへ行くまでの服がない。

 それに、市街地では昨夜大騒ぎを起こしたばかりだ。

 ちなみに、あの件に関しては少なくとも朝のニュースにはなっていなかった。

 正確にはトラック事故のニュースは流れたが『警察も現在調査中』とか出て詳しくは語られていなかった。

 まあ、マッチョ巫女がトラック殴って止めたとか放送したら苦情殺到で番組の信用ガタ落ちになるだろう、常識的に考えて。警察側から正式な見解が出るまで迂闊に詳細を語れないってことなんだろうけど。

 だからといって、昨日の今日で現場近くにノコノコと顔は出せない。私もさとりも目立つ姿をしているから、尚更だ。

 結局、自由に動ける青娥だけで行ってもらうしかなかった。

 支払いも完全に彼女持ちだし、本当頭が上がりません。っつーか、まるでヒモやね私。

 しかし、おかげで服装だけは目立たない物に変えることが出来るようになった。

 ……変装だけじゃ、周りに溶け込めない身体的特徴持ってるけど。

 私の方は何せ身体がデカイので、外国製の男物の服しかなく、デザインも限られていた為手に入ったのは一着きりだったが、さとりには可愛らしいデザインのを何着か見繕ってきてくれた。

 しかも、これがどれも似合うんだ。

 青娥ってばセンスいいのよね。さすが、現代に生きる女性。

 文字通り時代遅れで、素の美的センスも乏しい私とは違う。

 幻想郷でも日常生活は巫女服だけで通してたし、前世の知識を総動員しても服のセンスとかよく分からん。私の着る服なんて、肩の部分を破った道着とかでもよかったくらい。

 それに、これは現代入りした際の弊害なのだが、幻想郷住まいの私達と現代社会に生きる青娥との間には感覚の違いが生まれているのだった。

 青娥が買ってきた服を、家でさとりに着せていた時の話である。

 私は、何気になく呟いた。

 地味な色合いの服が多いんじゃないか――と。

 

『先代様、考えてもみてください。ピンク色の地毛を持つ日本人などいるでしょうか?』

 

 青娥は私に言った。

 

『仮に染めていたとしても、それは酷く周囲から浮いて人目につくものでしょう。服についても同じことです』

 

 青娥の指摘を受けて、私は改めて違和感に気付いたのだ。

 私はともかく、さとりの容姿は日本人離れしたものである。いや、外国人と言っても怪しい。

 服装だってそうだ。こんな明るい色合いの服なんて、漫画やアニメならともかく現実では目に痛い。まるでコスプレである。いや、東方キャラのコスプレって言ったらその通りでもあるんだけど。

 それに何より、さとりの持つ『第三の目』はどうなってるんだ?

 幼女の身体に目玉が巻きついてるなんて、珍しい通り越してホラーである。

 夜の街を歩いた時、私達は確かに注目こそされていたが、そういった奇怪な部分に対して不審な目は向けられていなかったような気がする。

 不思議に思う私に、青娥は説明してくれた。

 

『それが、この世界に満ちる幻想を否定する力なのです。

 私の髪の色が、先代様達には青く見えるでしょう。これが地毛なのです。しかし、やはりこんな髪の人間はいません。その認識が根付いた人間の視点では、私の髪は都合の良いものに見えるのですよ』

 

 他人の視点など分からないので、イマイチ具体的に理解は出来ないが、つまり普通の人間には納得出来る形に見えているらしい。

 日本人として珍しくない黒髪に見えているのか、あるいは他人の顔をイチイチ詳細に覚えていないようにぼんやりと捉えているのか。

 いずれにせよ、人が実在する幽霊を柳の葉だと誤魔化すように、さとりの姿を常識に溶け込ませて捉えるらしいのだ。

 当然、第三の目なんて生物に存在しない器官も、普通の人間には見えない。

 幻想郷にいた私には、ありのままのさとりや青娥の姿が認識出来る。ピンクや青い色の髪に対して、一般的な服装が地味な色合いに映るのはそのせいだった。

 幻想郷と外の世界の違いって、結構大きいんだなぁとしみじみ感じる出来事だった。

 だから、というわけでもないのだが早いところ幻想郷に帰りたい。

 私自身もそうだが、何よりもさとりを早く帰してやりたい。

 何だか嫌な予感がするのだ。

 さとりは外の世界に来た影響はないと最初に言っていたが、青娥から受ける説明はどれも環境の違いを感じさせるものばかりだ。これらがさとりにいい影響を与えるとはとても思えない。

 ……っていうか、気のせいならいいんだけど、さとりが昨日よりも元気ないように見えるんだよね。

 今も同じベンチの隣に座って、ぼうっと公園の池を眺めている。

 地霊殿に残してきたお空達のことも気に掛かっているのかもしれない。

 そういえば、さとりって地底の偉い人なのよね。行方不明になって大丈夫なの? いや、大丈夫なわけないか。やべ、更に問題が増えた。

 やはり、早急に行動に移す必要があるな。

 幻想郷への帰還――『現代入り』とは対を成す『幻想入り』の実行を!

 

「どうやら、目的地が決まったようですね」

 

 私の心を読んだらしい。さとりが言った。

 普段ならば私の計画を事前に見抜いていただろうが、能力が弱体化した都合上把握してない部分も多いだろう。

 なので、私が昨夜から考えていた内容を、改めてさとりにも説明しよう。

 

「真面目に考えたようですね。聞かせてもらいましょう」

 

 ……それって、普段は真面目に考えてないように聞こえるんですが。

 ま、まあいいや。とにかく説明する。

 当初、想定していた帰還方法は『外の世界の博麗神社を経由して幻想郷に戻る』というものだった。

 この『外の世界の博麗神社』だが、青娥に訊いて見たところ、近場にそれらしい物はないらしい。

 

「まあ、そこまで都合よく話は進みませんよね」

 

 その通り。さすがにこれは運の良さに期待しすぎってことだろう。

 そして、そもそもが『外の世界の博麗神社』がある場所そのものさえ見当がつかないという話である。

 少なくとも、青娥は知らないと言っていた。

 

「嘘を吐いてはいませんでしたね」

 

 さとりが言うなら間違いないだろう。

 でも、青娥が嘘を吐くって想定して構えるのは、ちょっとどうかなーって思うんだけど。

 さとりってば青娥のこと本当に信用してないのね。

 

「信頼関係なんて人それぞれですよ。八雲紫のようにね」

 

 まあ、紫も周りから妙に胡散臭がられてるしね。私は誰よりも信頼しているんだけど。

 分かった。さとりと青娥の仲については、今は私が口出すことじゃない。

 とにかく、外の世界と幻想郷の両方に精通していそうな青娥でも博麗神社については知らない。

 なんか漫画とかでよくある『裏の住人は裏の世界に詳しい』みたいな、漠然とした情報網を青娥に期待していたのだが、それもまた勝手な期待だった。

 神社を探すにしても、これで取っ掛かりがなくなってしまったことになる。

 しらみつぶしに探すというのも、ちょっと現実的な案ではない。

 具体的な方法もないしね。日本の端から端まで歩いて探すとでも言うのか? 青娥なら、意外とノリノリで付き合ってくれそうだけど。

 

「まあ、まだ八雲紫がこちらを探し当てるのを待っている方が現実的ですね」

 

 そうなんだよね。

 そこで、だ。

 私は別の案を考えた。

 いや、実のところ昨夜の内に思いついてはいたんだ。

 そして今のところ、この案を実行するのに現実的な判断材料が揃ってきている。

 これは青娥のおかげでもあった。

 彼女がこの世界に存在することを知ってから、この案を思いついたのだ。

 彼女の存在が、この世界を幻想郷との地続きであると証明してくれた。そして、外の世界にもまだ妖怪や神が残っていると教えてくれたのだ。

 昨夜の内に青娥から訊いておいた現在地とその地名。それを、私の知識にある日本の地理と照らし合わせる。

 私はついさっきコンビニで買ってきた地図を袋から取り出した。

 考えていた内容を、実際の地図で確認する。

 ……うん、問題ない。

 続いて取り出したのは、近場の駅の時刻表。

 これも……オーケーだ。

 電車の切符さえ買えれば、明日の朝に出て、昼過ぎには目的地に到着出来る。

 

「……なるほど。青娥さんが別行動をしているのは、明日の為でしたか」

 

 うん。博麗神社が近場にない以上、幻想郷へ帰る為に遠出をするのは最初から決まっていたことなんだ。

 そのことを伝えたら、青娥は『じゃあ、旅行の準備をしないといけませんね』と楽しそうに笑っていた。

 多分、その為の買い物に出掛けたんだろう。

 夕方までには帰ってくる。

 そしたら、出掛ける準備は完了だ。

 

「明日、ですか。上手くいきますかね?」

 

 さとりが訊ねてくる。

 私の考えが読めるのだから、この案が確実ではないことくらい分かっているだろう。

 幻想郷に帰れる可能性は高いと思っているが、時間的な面では私も全く予想出来ない。

 タイミングが良ければ、私達はある出来事に便乗してすぐにも幻想郷に帰れる。今は『そういう時期』なのだ。

 もし、その思惑が外れたら、帰れるにしても長い時間が掛かることになるかもしれない。

 しかし、さとりの顔には不安な色など欠片も浮かんでいなかった。

 どちらかというと、私の方が不安なくらいだ。

 だけど考え抜いた結果、今のところ一番可能性が高い手段はこれなんだよな。

 とりあえず、全ては明日。目的地に着いてから、更に考えよう。

 少なくとも、あるのかどうかも分からない博麗神社を探すよりは、しっかりと地図にも表記されていて交通手段まである場所を目指す方が確実だ。

 行こう、明日。

 

 ――長野の諏訪大社へ。

 

 そこに居るはずの『八坂神奈子』と『洩矢諏訪子』の二柱の神に力を貸してもらい、私達は幻想郷へと帰還する!




<どうでもいい本編背景>

・主人公の前世に存在した一部の漫画(創作物)は、この世界では存在しない。

 ただし、実在の人物は存在する。(漫画は存在しないが、作者の漫画家自体は存在する)よって、この世界では、また別の傑作漫画を描いている。
 ただし、荒木先生はスタンド能力によって隙間に挟まれることで異世界を自在に行き来できる。

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