東方先代録   作:パイマン

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風神録編ラスト。


其の五十二「風神録」

 ――妖怪の山で様々な物事が交差し、邂逅した日から数日が経過していた。

 

 博麗神社を襲った地震を始めとした異常現象は、博麗の巫女が天界から帰還したその日を境に起こらなくなっていた。

 表向きは霊夢が異変の犯人を退治した為とされている。

 しかし、比那名居天子が何を思って活動を止めたのかは、異変解決に関わった当事者達にも分からない。

 外の世界からやって来た守矢神社については、新たな異変として認識される程の問題とはならなかった。

 少なくとも妖怪の山における勢力争いについては、博麗の巫女が考慮するべき問題ではない。

 博麗の巫女としての仕事は完遂――そう言ってよければ、霊夢はおおむね平穏な日常生活を取り戻していた。

 

「博麗の巫女としての仕事……か」

 

 縁側に腰掛けた霊夢は、晴れ渡った空を見上げながらポツリと呟いた。

 霊夢が居る場所は、小さな庵である。

 今座っている縁側から振り返れば、四畳半の一部屋があるだけの簡素な小屋だった。食事も風呂も外で済ませる、間に合わせの住居である。

 しかし、作りはしっかりとしており、霊夢もここに住み始めてまだ二日だが、十分快適に感じていた。

 気だるげな仕草で視線を動かせば、僅か二日間でかつての姿を取り戻しつつある博麗神社が見えた。

 神社の再建作業を行っているのは、伊吹萃香である。

 鬼の建築技術と複数の分身を生み出す能力を使って手際良く――期間を考えれば猛烈と表現してもいいほどの作業速度で――博麗神社を建て直していく。

 この調子ならば、あと一日もあれば確実に作業は完了するだろう。

 ただ建て直すだけではない。建築材には、倒壊した博麗神社を解体した際に回収出来た資材を再利用している。

 霊夢の仮住まいとしての庵を建てたのも萃香であり、彼女の建築技術についてはもはや疑いもない。

 幻想郷の象徴たる博麗神社は再び以前の姿を取り戻す――。

 しかし、当然のこととして、失われた霊夢の家が元通り返ってくるわけではないのだ。

 その事実を今更悲しむほど霊夢も未練がましくはなかったが、再び神社に住めることを素直に喜べるほど前向きにもなれない気分だった。

 天界から戻って来て以来、自分は何処か気が抜けている。

 霊夢はそのことを自覚していた。

 自覚していたが、どうすることも出来ない。

 天子と戦うまで腹の中で燻ってきた何かが、今はもう燃え尽きてしまっているのを感じる。

 あの時感じていた熱は、心を焦がし、視界を濁らせるほどに黒く淀んだ何かではあったが、自分を動かす熱量でもあった。

 それが、今はないのだ。

 

「紫が知ったら、嫌味か説教の十や二十は貰いそうね」

 

 その様を想像して、一人嫌そうな表情を浮かべる。

 今の自分の腑抜けた姿と、天界で晒した己の失態については、霊夢も反省していた。

 それを知ってか知らずか、今のところ紫は何も言ってはこない。

 天子を退治した、という霊夢の簡潔な報告に頷いただけである。それ以上の追求はなかった。

 少なくとも事情は知っているはずの萃香も、霊夢を気遣ってか殊更何か言ってはこない。

 あるいは、この問題を解決するのは自分の仕事ではないと弁えているのだろうか。

 それが、ほっとするような、また逆に肩透かしでもあるような――どっちつかずの割り切れない気持ちにさせるのだった。

 そうして心が曖昧なまま、二日が過ぎているのである。

 そして、今日もまた――。

 霊夢は湯呑みに落としていた視線を、おもむろに上へ向けた。

 来客だった。

 しかも、見知った顔が二人分。

 

「よぉ、霊夢。相変わらずの腑抜け面だぜ」

「鬼に働かせておいて、自分は休憩とはいい身分ね」

 

 魔理沙と咲夜が笑いながら憎まれ口を叩くと、霊夢は呆れたようにため息を吐いた。

 

「あんたら、暇なの?」

「何言ってんだ、幻想郷でわたしほど勤勉な奴はいないぜ」

「じゃあ、何で連日あたしの所に来て駄弁ってんのよ? 咲夜、あんたメイドの仕事は?」

「一秒で済ませてきたわ」

「時間を止めてれば、そりゃ一秒でしょうよ。レミリアの傍にいなくていいの?」

「主人のプライベートな時間を尊重することも従者の仕事よ。それよりも、今日はアップルパイを焼いてきたわ」

「わたしは紅茶を持ってきたぜ」

「紅魔館から、ね」

「荷持ちだぜ」

 

 断りもなく持参した荷物を広げる二人を眺めて、霊夢はもう一度ため息を吐いた。

 ここ二日、同じようなやりとりを繰り返している。

 異変以来、魔理沙と咲夜は示し合わせたかのように霊夢の下へ訪れていた。

 何か特別な用事があって来ているわけではない。

 今回のように適当な物を手土産に、適当な話題で適当に時間を過ごし、そして帰っていく。

 最初の内は、二人の行動に戸惑って、いぶかしんでいた霊夢もやがて薄っすらと察することが出来た。

 詰まるところ、これは二人のお節介なのだ。

 それに気付いた時、霊夢が一番強く感じたものは、嬉しさや感謝よりも『納得のいかない悔しさ』だった。

 

「二人にはさぁ」

 

 切り分けられたパイを素直に受け取りながらも、霊夢は憮然と呟いた。

 

「あたしって、そんなに参っているように見える?」

「お前がそんなタマかよ! ――って、普段なら笑い飛ばしてやるだけどなぁ」

 

 魔理沙がニヤニヤしながら答えた。

 

「天子との戦いを見てたわたしとしてはな、やっぱり霊夢自身が気付いてないだけで相当堪えてると思うぜ」

「確かに、あの時はみっともない姿を見せちゃったけど……」

「ほら、そうやって思い返すくらい気にしてる時点でもう駄目だ。普段の霊夢なら『そんなことあったっけ?』で済ませてるはずだぜ」

 

 魔理沙の指摘に、霊夢は思わず口を噤んだ。

 言い返せなかったのだ。

 

「それに、やはり気が抜けているわ。仕草から分かるもの。動きの一つ一つに隙が多いのよね」

 

 咲夜が苦笑しながら、別の観点から指摘する。

 

「……そうだとしても、あたしを構う理由なんてないでしょうが」

 

 霊夢は悔しくなって、言い返した。

 しかし、魔理沙と咲夜は揃って笑うだけで、具体的には何も答えなかった。

 妙に恥ずかしい気分を味わい、それを誤魔化す為にパイに齧り付く。

 咲夜の手作りのパイは美味しかった。

 すぐ隣に魔理沙がいることが、何故か暖かく感じた。

 今、この空間を心地良く感じる。

 しかし、その理由から霊夢は無意識に目を逸らそうとしていた。

 二人が自分の所へ来てくれる理由についても同じだ。

 ぼんやりと理解はしながらも、具体的な言葉にして伝えられるのを霊夢自身が避けている為だった。

 恥ずかしいわけでも、気まずいわけでもない。

 あるいは、その二つが混ざって、よく分からない気分になっているのかもしれない。

 辛い時、苦しい時に支え合える関係がある。

 仲間や友達と呼ぶもの。

 霊夢はこれまで、そういった関係について考えた時、羨ましいとも欲しいとも感じたことはなかった。

 それよりも、もっと大きくて暖かいもの――母の存在――が、生まれた時から自分の傍にはずっと在ったからだ。

 これまで霊夢が辛くて苦しい時に支えてくれたのは母だった。

 しかし、傷つき、疲れた体で天界から帰ってきた時に目にしたのは、その母が慟哭する姿だった。

 打ちのめされ、嘆き、誰かに助けを求める姿だった。

 あの母でさえ、傷ついて、立ち上がれなくなる時がある。

 同じ人間なのだ。

 自分にとっての母のような存在が、同じように必要な人間なのだ。 

 あの時、母と再会する前に、自分が何を求めていたのか今なら冷静に理解出来る。

 子供のように泣きつきたかったのだ。

 昔のように慰めてもらいたかったのだ。

 母に一人前だと認めてもらいながら、結局自分は何一つ親離れ出来ていない甘ったれなのだと痛感した出来事だった。

 母に申し訳ないと思う。

 魔理沙と咲夜の厚意に対しても――。

 

「いやぁ……新鮮だな」

「新鮮ね」

 

 悶々とする霊夢に気付かれないよう、魔理沙と咲夜は小声でやりとりをしていた。

 

「こいつ、こんなに可愛い奴だったのか」

「魔理沙が親友をやりたがる理由が分かったわ」

「譲らんぜ」

「結構よ。一歩退いて見守る方が好きだから」

 

 二人は霊夢の反応を楽しんでいた。

 強いて理由を挙げるならば、それが霊夢を構う理由である。

 もちろん、それをわざわざ霊夢に伝えはしないが。

 

 

 

 

 ――空を飛んでいる!

 

 早苗は今の自分の状況を言葉にしてみて、そのあまりの突飛さに笑いそうになった。

 空を飛ぶ――なんという非現実的な表現だろうか。

 外の世界でそんな言い方をしたら、何らかの比喩表現か、テレビや本の中の話だと思うだろう。常識的に考えて。

 しかし、幻想郷ではそうならない。

 自分は文字通り空を飛んでいる。

 本当に飛んでしまっている。

 ウルトラマンみたいに空を飛んじゃってるのだっ!

 

「シュワッチ! ……なんちゃって」

 

 早苗は空中で拳を突き出す構えをして遊びながら、一人クスクスと笑っていた。

 空を飛ぶことにも大分慣れ、コツも掴めてきたが、未だに興奮は冷めない。

 元々、自分の力は自覚していたし、それを扱う術も二柱の神に手ずから伝授されていた。

 しかし、単なる知識や理屈による理解と、その身で実践することでは、実感の大きさが圧倒的に違う。

 文字通り『肌で感じ取れる』という奴だ。

 普通の人間ならば、一生知ることはないだろう。

 

 ――空を飛ぶ時に肌に受ける風の感覚を。

 ――地上を見下ろす鳥のような視点を。

 ――川も木も、山も建物も、行く手を遮る物など一つとしてない空間を進む爽快感を。

 ――力の続く限り何処までも飛んで行けそうな希望を。

 

 どれ一つとして常識では計り知れないことだ。

 幻想郷に辿り着いてからの数日間は、早苗にとって新鮮な体験の絶えない日々だった。

 この地の風土に馴染む為、また力を使いこなす修行の為、新生された守矢神社を拠点として篭りながら過ごしていた。

 そして、ついに今日、早苗はそこを発ったのだった。

 早苗自身も外に興味があったが、何よりも神奈子と諏訪子の指示を受けての行動である。

 早苗は明確な目的地に向かって飛んでいた。

 

「博麗神社――あの博麗霊夢さんが住んでいる場所ですね」

 

 視界に守矢神社よりも一回り小さな神社とその境内を捉えて、笑みを深くする。

 純粋な喜び以外にも、何処か好戦的な意味合いにも取れる不敵さを含んだ笑い方である。

 早苗は逸る気持ちのまま、無意識に飛行速度を上げていた。

 あの日初めて目にした、空を飛ぶ人間への憧れに追いつこうとするように――。

 

「――って、神社が壊されてる!?」

 

 博麗神社の上空に辿り着いた早苗は、眼下の光景に驚愕した。

 遠くから見えた神社の輪郭は、近づいてみれば骨組みだけを残して半壊しており、そこに何匹もの角を生やした鬼らしき妖怪が取り付いているのだ。

 

「霊夢さん、無事ですか!?」

 

 素早く境内に降り立った早苗は、鬼を警戒しながら周囲に呼び掛けた。

 突然やって来た人間に鬼は――伊吹萃香はポカンとした表情を浮かべている。

 早苗はすぐに、庵の縁側に座る霊夢の姿を見つけた。

 

「霊夢さん!」

「何よ? 騒々しいわね」

「何のんきにしているんですか!? 妖怪ですよ! 鬼がいます!」

「へぇ、鬼なんてよく知ってるわね」

「そりゃあ外の世界でも有名な妖怪ですから!」

「そうなんだ。幻想郷で忘れられるから、外の世界では忘れられないって理屈になるのかしら?」

「とにかく無事なら何よりです! さあ、立ってください! 力を合わせて、鬼を退治しましょう!」

「えっ、なんで?」

「なんでって……!」

 

 意気込む早苗と、それに対して戸惑う霊夢。

 噛み合わない二人のやりとりを眺めていた萃香が、面白そうに笑いながら近づいてきた。

 

「おうおう、鬼退治たぁ穏やかじゃないね。お前、妖怪の山にやって来たっていう新参者だな? この伊吹萃香に喧嘩を売ろうたぁ、随分と跳ねっ返りモンじゃあないかい」

 

 そう言いながらも、萃香の顔にはニヤニヤとした余裕の笑みが浮かんでいる。

 既に早苗の勘違いを察していたが、分かった上でからかっているのだ。

 咲夜と魔理沙も、自分達が早苗の視野の外に居ることを理解した上で、のんびりと観戦する側に回っている。

 

「確かに、私は妖怪との戦いは初めてです。しかし、戦神を祭る風祝が敵に背を向けるなどあってはなりません! 人の世の正義の為、鬼を討ちます!」

「おぉ~、若いくせに随分と古風な考え方をするなぁ。力があって、青臭く、威勢も良い。うん、気に入った!」

「ふっ、漫画でよくある大物っぽい余裕ですね。しかし、それもここまでです! さあ、霊夢さん! ダブル巫女パワーです!」

 

 早苗が持っていた御祓い棒を構えた。

 構えといってもその形はデタラメで、彼女が戦闘に関して素人であることが一目で伺える拙いものである。

 しかし、そこから伝わる意気込みだけは一流のそれだった。

 何よりも伴う力は『本物』である。

 人の身でありながら神性を感じさせる力が、全身に漲るほどに宿っている。

 萃香の表情から、一瞬遊びが消えた。

 

「いいから、落ち着きなさいって」

 

 萃香の僅かな変化を敏感に感じ取った霊夢は、後ろから早苗の頭を御祓い棒で軽く殴った。

 早苗と萃香の両方を止める為である。

 

「な、何するんですか霊夢さん!?」

「あんた、何か誤解してるわ。萃香は敵じゃないわよ」

「でも、妖怪ですよ!?」

「いや、そーなんだけどさぁ……」

「うわっ、いいなぁ。こいつ、本当に分かりやすい考え方すんなぁ」

 

 何故か萃香は喜んでいた。

 その反応を挑発と受け取った早苗が再び激して、外野の二人はそれを止める様子もなく――霊夢は疲れたようなため息を吐いた。

 こういうのは自分の役割じゃないような気がする、と内心で愚痴りながらも仲裁に回る。

 萃香自身や博麗神社がこのような状態になった事情の説明は、話してみれば意外とあっさり聞き入れられた。

 元々、早苗の抱く敵意も無知から来るものだった。

 別に妖怪を悪だと断じ、心の底から憎んでいるわけではない。

 結論を出せるほど、早苗は妖怪について知らないのだ。

 妖怪は人を襲う――幻想郷においての真理を漠然と理解した結果、安直に戦うべき相手だと判断しただけのことである。

 外の世界で暮らしてきた早苗にとって、人間と妖怪が共存することで生じる複雑怪奇な因果と関係は、まだまだ理解しきれるものではない。

 萃香が博麗神社を壊していたのではなく逆に直していたこと。

 そして、その神社で普段は一緒に暮らしていること。

 吸血鬼に仕えている咲夜の自己紹介。

 人の道を外れた魔法使いを目指す魔理沙の名乗り。

 早苗は一つの納得を得て考えを改めた後に、また別の新たな衝撃を受けることとなった。

 そうして、その場の全員と一通り言葉を交わした後、

 

「――お騒がせして申し訳ありませんでした」

 

 早苗は恥ずかしそうに頭を下げた。

 未だ若干混乱はしていたが、早合点の先走りだったのは間違いないと理解出来たのだ。

 

「いやいや、構わないよ。さっきも言ったけど、むしろわたしは気に入ったくらいだね」

 

 敵意を向けられた萃香を含めた全員は、早苗の暴走を笑って許した。

 

「まあ、面白そうな奴ではあるな」

「外の世界から来た人間にしては珍しい性格ね」

 

 魔理沙と咲夜も、早苗のことを好意的に受け止めていた。

 早苗自身は、失敗のこととは別の理由で恥ずかしさを感じていた。

 外の世界では浮いた存在であった為、友達はもちろん同年代で親しい相手も長いこと居なかったのだ。

 初対面でこうまで好意的に接してくれる相手に、慣れていないのだった。

 自分の本性は、外の世界では控えめに言っても非常識なものである。

 しかし、この幻想郷では忌避も敬遠もされることなく普通に受け入れてもらえる。

 

 ――やっぱり、ここに来てよかった。

 

 外の世界を去って以来、様々な考えや思いが交錯した胸の内に、希望が湧いてくるのを早苗は感じていた。

 いつの間にか早苗も含めて小さな縁側で全員が詰めるように腰を降ろしている。

 すっかり和気藹々となった空気の中、おもむろに霊夢が口を開いた。

 

「それでさ、早苗って言ったっけ?」

「はい。……っていうか、幻想郷に来た時に名乗ったはずなんですけど」

「そうなの? 覚えてなかったわ」

「そ、そうですか……」

「気にすんな、こういう奴だ」

「こういう巫女よ」

「……フォローありがとうございます。魔理沙さん、咲夜さん」

「続けていい?」

「あ、はい」

「うん、それでね――あんた、元々は何しにここへ来たの?」

 

 その言葉に、早苗は我に返った。

 当初の目的を思い出したのだ。

 縁側から立ち上がり、霊夢と少し距離を空けて向かい合う位置にまで移動する。

 緩んだ気分を切り替える為に一つ咳払いを一つ挟み、早苗は言った。

 

「私がここへ来たのは、貴女と勝負をする為です。博麗の巫女、博麗霊夢さん」

「……ふぅん。まあ、そんなことだろうと思ったわ」

 

 早苗の宣戦布告を、霊夢はさして動揺することもなく受け入れた。

 持っていた空の湯飲みをお盆の上に置き、代わりに御祓い棒を手に取って立ち上がる。

 早苗と距離を取ったまま、ゆっくりと境内の広い空間へと移動した。

 魔理沙と咲夜、そして萃香は二人の行動に対して口出しも手出しもすることなく、無言でその場に留まっている。

 霊夢と早苗の勝負を邪魔するつもりはない。

 今度こそ、本当の意味で外野に回ることにしたのだ。

 

「予想済みでしたか」

「幻想郷に辿り着いた新参者の行動には、パターンってものがあってね。格の高そうな神様が二柱もいるんだし、ひっそりと静かに暮らすことが目的ってわけじゃないんでしょ?」

「はい。この幻想郷で新たな信仰を得て、神としての力を取り戻すことが目的です」

「つまり、名を売りたいのね」

「身も蓋もない言い方ですね」

「でも、真理でしょ。間違っちゃいないわよ、神の力っていうのはそうやって増すものだから。信仰を得るには、まず知名度を高めないとね。新参の神なんて、何もしなければ誰も拝もうなんて思わないわ。神様はここじゃ別に珍しくもなんともないんだから」

「そうです。だから、既に幻想郷で一角の存在として有名な博麗の巫女と勝負をしに来ました」

「素直に『倒しに来た』って言えばいいわよ。ただ挨拶に来たってだけにしては、随分と気合いの入っている格好みたいだしね」

「……分かりますか?」

「もちろん」

 

 頭からつま先までを冷静に観察して、霊夢は言った。

 霊夢の物とは若干形状の違う御祓い棒を始めとして、一見すると風変わりな装飾品に思える物から強い力を感じる。

 特に、早苗が髪に付けている二種類の飾りがそうだった。

 蛙と蛇を模した髪飾りである。

 

「その髪飾りは神様からもらったの?」

「凄いですね。当たりです」

「それがあんた自身の力の制御を助けているみたいね」

「また当たりです。さすがですね」

「あんたの力は強いけど、技は未熟そうだからね」

「それはハズレです。私を侮らない方がいいですよ」

「別に侮っちゃいないけど――」

 

 対峙する霊夢と早苗の様子は対照的だった。

 戦いを前にして静水のように力と心を鎮めていく霊夢に反して、早苗は炎のように熱く自身を昂ぶらせていく。

 霊夢は爛々と輝く早苗の瞳の中に過剰なまでの自信を見て取った。

 それを未熟ゆえの『過信』や『自惚れ』だと判断しなかったのは、霊夢がまた別の印象を今の早苗から感じた為である。

 己への自負を力に変える妖怪や神のような心の在り様を、早苗から感じたのだった。

 早苗は間違いなく人間である。しかし、その心の在り方や振るう力の質は神や妖怪のそれに偏っている。

 二つの存在の間で揺れているようだった。

 

「……まあ、別にいいけど」

「なんですか?」

「こっちの話よ。それよりも、気になるのはあんたの服装なのよね」

「えっ、何かおかしいですか?」

「おかしいっていうか――」

 

 霊夢は複雑そうに顔を顰めた。

 

「何であたしとお揃いみたいになってんのよ?」

 

 早苗は初対面の時とは違い、霊夢とよく似た巫女服を着ていた。

 青と白を基調とした色合いや細部のデザインなど違いこそハッキリしているが、『脇の部分が空いている』という特徴的な部分が共通しているせいで酷く印象が似通って見えるのだ。

 他人が見れば、どちらかがどちらかの服装を真似ているように見えるだろう。

 霊夢の指摘に対して、しかし早苗は不思議そうに首を傾げた。

 

「この服装って、幻想郷での正式な巫女装束なんじゃないんですか?」

「どうしてそうなんのよ?」

「だって、博麗の巫女は代々この格好をしているんでしょう? 霊夢さんもそうですし、先代巫女さんも同じような格好してましたよ。郷に入れば郷に従えと言いますしね、私も肖らせていただきました!」

「ああ、いやそれは……」

 

 霊夢は口篭った。

 少なくとも、自分の服が母親を真似していることは間違いないからだ。

 そのことが妙に恥ずかしくなり、霊夢は誤魔化すように頭を振った。

 

「分かった。分かったわよ、もうそれでいいわ。とにかく、勝負するならさっさと始めましょう!」

「――? はい、分かりました!」

 

 早苗は不思議そうにしながらも、改めて身構えた。

 

「スペルカード・ルールは理解しているわよね?」

「はい、もちろんです! 実践するのは初めてですけど!」

「差し詰め、あたしは初戦の練習相手ってわけね」

「ここに来たのは神奈子様達の指示によるものでしたが、初めて弾幕ごっこをするなら霊夢さんがいいと思っていました」

「それは光栄ね。だけど、あんたこそちょっと侮りすぎじゃないかしら? 初心者(ルーキー)が熟練者(ベテラン)に勝てると思ってんの?」

「何言ってるんですか? 負けるにしても、敗北を経験する壁は大きいほどいいんですよ! それに――」

 

 二人は同時に空中へと飛び上がった。

 

「勝つ自信も結構ありますしね!」

 

 弾幕ごっこは、天子と戦った時以来だった。

 あの死闘からまだ数日しか経っていない。傷や疲れはほとんど癒えていたが、苦い想いと記憶は頭の中に残ったままだ。

 しかし、これから始まる弾幕ごっこから連想してそれらが脳裏に蘇ることは、不思議となかった。

 

「あんた、面白い奴ね」

 

 霊夢は自分でも気付かない内に笑っていた。

 

 

 

 

「凄いね、これが天狗の集落か」

 

 窓からの景色を見下ろしながら、諏訪子は呟いた。

 その声には感嘆の他に憧憬の色も混じっている。幾らかは呆れてもいるようだった。

 眼下にある光景は外の世界では決して見ることの出来ない、しかし古い神である諏訪子にとって何処か懐かしさを見出せるものだった。

 

「外の世界じゃあ確実に違法建築だな、こりゃ」

 

 天狗の集落は、同じ妖怪の山でも守矢神社とは反対側に位置する場所に存在した。

 山全体から見れば地形は傾斜が急で、切り立った崖も多い。

 建物を建てるには不向きな場所である。

 しかし、そんな山の一角にある渓谷に天狗の住処は建てられていた。

 妖怪の山を遠目の外観から捉えただけでは見つけることの出来ない隠れ里である。

 床下を長い柱と貫によって支える『懸造り』と呼ばれる方法によって建てられた家屋が密集し、その領域は横にではなく上へと広がっていた。

 人間ならば、在り得ない集落の形である。まず何よりも高所による交通の不便が出るからだ。

 しかし、それは空を自在に飛ぶ天狗にとっては何の問題にもならないことだった。

 場所によっては崖にも等しい斜面を登る必要もなく、家に入るのならただ単に飛んでいけばいいのだ。

 

「建物の位置がそのまま上下関係も表してるってわけか。分かりやすいっていうか、露骨っていうか――」

 

 現在いる位置からは集落の様子が一望出来る。

 それは諏訪子の居る場所が、天狗の集落で最も高い位置に在る最も大きな建造物――天魔の屋敷――だからだった。

 身分の高い天狗が上に住み、身分の低い天狗は下に住む。

 誰を見下ろして誰を見上げるのか、生活の中に自然と染み付いてしまうのだ。

 ちなみに、渓谷の下流には河童の集落が存在する。天狗という種族の下に、河童という種族を置いていると暗に示しているわけだ。

 ここまで徹底していると、いっそ清々しいほどであった。

 

「効果的ではある」

「ま、そりゃそうだけどさ」

 

 神奈子の相槌に、諏訪子は肩を竦めて返した。

 幻想郷へ移り住んでまだ数日だったが、少なくとも妖怪の山の中の勢力図については把握していた。

 それだけ分かりやすいのだ。

 個の力にも優れる天狗が組織として統率されることで強大な勢力となり、山のヒエラルキーの頂点に立っている。

 

「格付けで物事を測るのが好きな奴らみたいだねぇ」

 

 守矢神社に天狗の使いがやって来たのは三日前だった。

 丁度、諏訪子が早苗に修行をつけている最中であり、対応したのは神奈子だった。

 おかげで、早苗にこの場のことを知られなかったのはちょっとした幸運だった。

 天狗の使いは、長である天魔を代表とする組織上層部からの文を携えていた。

 その内容を要約すれば『妖怪の山における今後のお互いの関係の為に一度話し合いをしないか』というものである。

 長ったらしい文章には、神奈子と諏訪子が偉大な神だと敬っていることや二柱を歓迎するなどといった美辞麗句が並べ立てられていたが、それを真に受けるほど愚かではない。

 天狗側がこちらの存在を警戒しているのだと、神奈子にも諏訪子にも分かっていた。

 もちろん、幻想郷では何の下地もない新参者である自分達がこの誘いを断ることなど出来ないが、ただ親睦を深めるだけの会合で終わるとも思ってはいない。

 まさかいきなり荒事になるとは流石に考え辛いが、招かれる先は敵地も同然である。

 天狗側が考える『お互いの関係』とは、良くて同盟、悪くすればこちらの与える神徳を目当てにした子飼いのような扱いにされかねない。

 行けば、守矢神社の今後を左右する駆け引きが待っているのだ。

 

「早苗を連れてこなくて正解かな」

 

 諏訪子が言った。

 広い室内には、今のところ諏訪子と神奈子以外に座っていない。

 外の世界ならば観光名所でしか見れないような荘厳な内装も、さすがに見飽きてしまうだけの時間が過ぎていた。

 天魔はもちろん、会合に参加する予定の天狗が一人として現れない。

 屋敷に通され、ここで歓迎の為の宴を開くと告げられて、それきり待たされたままである。

 訊けば準備の最中だという答えが丁寧な侘びと共に返ってくるが、相手側の真意は分かっていた。

 呼び出されて、待たされる――天狗の都合が優先されるということである。暗に立場を分からせようとしているのだ。

 この程度の駆け引きなど老練な二人は問題にもしていなかったが、察しが良くて若い早苗ならばそうもいかなかっただろう。

 

「いずれ知るさ。妖怪の山を拠点にしていれば、余所者である私達がどういう目で見られているか、な」

「それでも、最初に出会うのが腹に一物含んだ相手なんて嫌じゃないか。早苗には、そういうしがらみとか無しに、新しい土地での出会いを純粋に楽しんでもらいたいな」

「相変わらず甘い奴だ。いや、外の世界を離れてもっと酷くなったな」

「ここに同伴させないことに賛成したあんたが言うかねぇ? わざわざ『博麗の巫女と戦ってこい』なんてそれっぽい指示与えてさ」

「スペルカード・ルールの施行者らしいから、相手として適役だと思っただけだ。私達の巫女として働く以上、早苗にも幻想郷で力を示して貰わねばならん」

「加えて、自分の認めた先代巫女の娘だから信も置けるって?」

「……ヤケに絡むわね」

「幻想郷に来てから、あんた話しやすくなったからね」

 

 諏訪子が楽しそうに笑った。

 気まずそうに視線を逸らしながらも、神奈子の口元には小さく苦笑が浮かんでいる。

 外の世界で、暴走に繋がるほど張り詰めていた気配が、今の神奈子にはない。

 代わりに角の取れた柔らかな物腰があった。

 しかし、諏訪子もその事実を素直に喜べるほど良い方向に捉えているわけではなかった。

 柔らかな物腰は、ともすれば気弱とも取れるものである。

 今の神奈子には気概や気迫といった強い意志まで感じ取ることが出来なかった。

 その原因が、先代巫女との死闘とその敗北にあることは考えるまでもない。

 悪く言えば、今の神奈子は腑抜けている。

 それは、この先に待つ天狗との会合において弱味となるのではないか。

 幻想郷でのこれからの立場を決めようという会合を前にして、ただ流れに身を任せているような意志の弱さや諦念が、今の神奈子を蝕んでいるような気がしてならなかった。

 そして、それは以前神奈子に同じことを指摘された自分もまた――。

 

「別に、腑抜けたつもりはないんだがな」

 

 苦笑と共に洩れた神奈子の独り言に、諏訪子は一瞬ギクリとした。

 

「色々と考えることがあってな……」

 

 諏訪子の懸念について、何よりも神奈子自身が自覚しているのかもしれない。

 

「考えること、か」

 

 それは先代巫女のことだろう。

 諏訪子の脳裏にも、自然と蘇る光景があった。

 神奈子と共に同じものを見たのだ。

 

 ――古明地さとりの亡骸を抱えて、慟哭する先代巫女の姿。

 

 幻想郷で生きてきた先代の姿を、二人は知らない。

 しかし、彼女が戦う姿やそこで奮った強大な力、宿した強烈な意志、垣間見せた闇を知っている。

 そして、崩れ落ちる彼女の弱さを見た。

 心の底からの嘆きを聞いた。

 神にさえ助けを乞おうとする声が耳に届いた。

 あの時、あの場に居た『神』は、自分と神奈子だけだったのだ。

 確かに考える。

 考えてしまう。

 あの時、自分に何が出来たのかを。

 

「――わたしも、ちょっと考えたんだけどさ」

 

 少しの間を置いて、諏訪子は呟くように言った。

 

「なんだ?」

「あんたが、へそ曲げてた時のこと」

「誰が、何時、へそを曲げた?」

「外の世界で大暴れした時のことだよ」

 

 睨み付けてくる神奈子の視線を、諏訪子は無視した。

 

「あの時のあんたの気持ちがね、落ち着いて考えてみるとなんか分かるなぁって」

「……ふん、言ってみろ」

「あんたはさ、先代の期待に応えたかったんじゃないかな、ってね」

「期待?」

「神様としてのさ」

 

 神奈子は何か言い返そうとして、口篭った。

 その反応は肯定も同然だった。

 

「さとりが死んだと思った時にさ、あんた挑発みたいなこと言ってたじゃない。あれって、先代に抱えている恨み辛みをぶつけて欲しかったんじゃないかな」

「知った風なことを言うな」

「もちろん知らないよ。でも、少なくともわたしならそう考える」

「――」

「外の世界で神奈子自身が言っていたことじゃないか。理不尽な仕打ちへの恨みは神にぶつければいい。大切な人を喪って生まれる行き場のない悲しみの責任なんて、一体誰が取れるんだ」

「……原因が、私にあったのは間違いないだろう」

「どうかな? 恨もうと思えば何だって恨めるでしょ。他人、出来事、時間、あるいは世界そのもの――」

「私は……」

「あの時さ、神奈子は悔しかったんでしょ?」

 

 神奈子は思わず、諏訪子の方を見た。

 

「わたしは、悔しかったよ」

 

 諏訪子も、神奈子の方を見ていた。

 

「あの時、先代は自分以外の誰かに助けを乞うた。これまで一人で戦ってきた人間が『神様、お願いだ』って言ったんだ」

「……ああ」

「別にさ、あの時の『神様』がわたしやあんたのことを明確に指していたわけじゃないよ。だけど――神様は、わたし達じゃあないか。

 あの先代が助けを求めて伸ばした手を、結局取れなかった。届いた祈りに、応えられるだけの力さえ残っていなかった。それが悔しくって、情けなくって、本当に堪らなかったんだ」

 

 神奈子は自分の手に視線を落とした。

 無力な手だと感じた。

 開いていた手のひらを力の限り握り締めても、虚しさしか残らない。

 

 ――たった一人の人間に勝つことが出来ず。

 ――たった一人の人間を救うことすら出来ない。

 

 それが今の自分なのだと、嫌でも理解出来る手だった。

 そのことが、ずっと心に疑問を纏わりつかせている。

 この手に、一体何が掴めるというのか。

 この無力な神に、一体何が成せるというのか。

 

「初めて先代を前にした時から、あんたが感じているそれは、たぶん『負い目』なんだよ。力を示すことも出来ず、恨み辛みをぶつける相手にさえなれないのに、無条件で神様だと認める先代があんたには堪らなかったんだ」

 

 そう告げる諏訪子の横顔も、苦渋に歪んでいる。

 神である以上、彼女もまた同じ想いを抱いていた。

 

「そうかもな」

 

 神奈子は俯いていた顔を上げた。

 

「いや――そうだ」

 

 押し殺したような声だった。

 

「諏訪子」

 

 神奈子は目を合わせずに言った。

 

「なんだい?」

 

 互いに虚空を睨むように見据えたまま、言葉だけを静かに交わす。

 

「私のことを腑抜けたかと心配しているようだが、お前はどうなんだ?」

「何が言いたいの?」

「お前に、まだ何かを成そうというだけの気概は残っているか?」

「『何か』っていうのは、外の世界であんたがやらかした馬鹿みたいなことかい?」

「そうだ。最後の賭けをする覚悟だ」

「わたしとあんただけならいい。でも、早苗を巻き込むのは気が進まないね」

「その早苗の為だ」

「あんたの口から『早苗の為に』って言葉が聞けるたぁね」

「茶化すな。私だってあの子が可愛いのは違いない。あの子を幻想郷に連れてきたのは、権力者の顔色を伺わせる為じゃないはずだ」

「それは」

「あの子の信仰は尊いものだ。他人の食い物にされる為にあるわけじゃない。何も成し遂げず、ただ無為に若い時間を過ごさせるつもりか?」

「わたし達が大人しく天狗の下に就けば、早苗も同格に扱われる……か」

 

 複数の足音が聞こえた。

 天狗達である。

 いよいよ会合の時が迫ろうとしていた。

 

「時間がないぞ。今すぐに答えろ、諏訪子」

 

 問い掛ける神奈子は、胸に刻まれた傷痕が熱く疼くのを感じた。

 未だ、この傷は癒えてはいない。

 

「お前に、もう一度神としての見栄を張る覚悟はあるか?」

 

 しかし、その熱い痛みが空虚だった自分の内側を満たすのを同時に感じていた。

 

 

 

 

 贅を尽くした料理や秘蔵の酒が次々と部屋に運び込まれていく。

 豪勢な宴になりそうだった。

 しかし、その裏に秘められた意図や策謀を知らない者は、この場には一人もいない。

 それは歓待を受ける二柱の神も例外ではないはずだった。

 ただ純粋に楽しめる宴ではない。

 それを理解しているからこそ、射命丸文は渋い顔をして宴の準備が進むのを眺めていたのだった。

 

「なぁーんと、もったいない」

 

 ずっと前から目を付けていた銘酒が運ばれていくのを、物欲しげに見送る。

 

「あれ、上役に優先して回されるんでしょうね。なんとか一舐めくらい、ご相伴にあずかれないかしら?」

「意地汚いわよ」

 

 同じように傍らで様子を伺っていたはたてが言った。

 しかし、その口調は嗜めるにしても少々険がある。

 まるで威嚇するように、周囲に刺々しい雰囲気を振り撒いていた。

 

「それに、こんな辛気臭い場じゃお酒の味も分かんないわ」

 

 二人以外にも、周囲には宴の準備が終わるのを待つ天狗が何人もいた。

 しかも、誰もがこの天魔の屋敷に招かれるに相応しい品格を持った者達である。

 本来ならば、このような場ではたての無礼な言動を諌めるのは文の役割であるはずだった。

 しかし、その文でさえはたての言葉には同意してしまう気持ちが強い。

 はたての無礼を止めるまでもなく、既に自分を含めて周囲から歓迎されていない気配を強く感じるのだ。

 

 ――何故、この場に一介の鴉天狗如きが二人も招かれておるのだ?

 ――不相応ではないか。

 ――よりによって、射命丸文と姫海棠はたてとはな。

 ――厚顔無恥とはまさにこのこと。この屋敷で働いた無礼を忘れたとは言わさぬぞ。

 ――聞けば、以前の鬼の異変にも深く関わりがあるとか。

 ――厄介者どもめが。

 

 自分達に向けられる不躾な視線や露骨な陰口を、不快に感じているのは文も同じである。

 それを上手く受け流す腹芸に、はたてよりも長けているだけなのだ。

 

 ――あのような者達を呼ぶとは、天魔様も一体何を考えておられるのか。

 

「同感」

 

 耳に入った陰口の一つに対して、文は誰にも聞こえないほど小声で同意を示した。

 妖怪の山に住み着いた二柱の神と天魔を代表とする組織の上位陣の会合という重要な場に、文とはたてを呼びつけたのは、他でもないその長自身だった。

 しかも、直々の命令である。

 天魔の意図は文も全く分からなかったが、逆らえる命令でないことは嫌と言うほど分かる。

 渋りに渋るはたてを無理矢理引っ張って、なんとかこの場に参上したのだった。

 

「文も嫌なら無理に参加しなけりゃいいのに」

「天魔様の命令を無視するとか、その発想が出てくるあんたの方が疑問だわ。本当に天狗?」

 

 周りに上司しかいない状況で相変わらずの絶好調であるはたてを睨みつける。

 普段のオドオドとした態度は不遜さを通り越した喧嘩腰に変わり、吐き気ならぬ覇気が満ちていた。

 お互いに、今の服装は正装である天狗装束に着替えているが、当初は私服で参加する気満々であった。

 

「あたしには、こんなことしている暇なんてないのに……っ」

「暇なんて幾らでも持て余してるでしょうが、このひきこもり」

「何よ、文。あんたにだって関係あることよ」

「……ひょっとして、先代巫女のこと?」

「そうよ。あんたも見たでしょ、あの子が泣くところ」

 

 はたての指摘を受けて、自然と文の脳裏には守矢神社での出来事が思い浮かんだ。

 

「文は、あの子が心配じゃないの?」

「心配するのはいいけど、具体的にはたてはどうしたいの?」

 

 文はやんわりと返答を避けた。

 

「どう……って。傷ついてるはずだから、慰めるとか……慰めるとか」

「具体的な案、一つもなしかい」

「う、うるさいわね! とにかく、何かしてあげたいのよ!」

「守矢神社との関係を調べる為の取材とか、こじつけでもいいから出向く理由見つければいいのに……」

「そ……それよ! それ、いいアイデアだわ! とにかく話が切り出せれば、そこから色々と悩みとか聞いてあげられるし……こうしちゃいられないわ!」

 

 興奮するままに屋敷から飛び出そうとするはたてに気付いて、文は目を剥いた。

 どうやら、余計なことを言ってしまったらしい。

 今のはたてに自分の立場を考慮するような自制心は存在しない。

 突如大声を上げたはたてを、周囲の天狗達がますます険悪な目で眺め、文が慌てて引き止めようとして、

 

「――喝ッ!!」

 

 低く、重い声が、場の全てを制した。

 

「騒々しいぞ。鎮まらぬか、馬鹿者ども」

 

 現れたのは、傍らに椛を伴った大天狗だった。

 刃のような眼光ではたてを睨み――そして、周囲の天狗達をも牽制した。

『騒々しい』という言葉が、はたてと文だけでなく彼らの陰口も含めてのものだと暗に示しているのだ。

 

「だ、大天狗殿……」

 

 天狗の一人が、恐る恐るといった様子で口を開いた。

 立場という点でならば、天魔の側近である大天狗はこの場の誰よりも上にある。

 もちろん、その地位が必ずしも相手の敬意を引き出してくれるわけではないが。

 大天狗に向けられる視線には、不服の色も多く滲んでいる。

 

「失礼ですが、その……後ろの者は?」

「犬走椛。儂の供じゃ」

「しかし、そやつは白狼天狗ですぞ」

「相応の格好はさせた。見てくれは悪くなかろう」

「身分の話をしておるのです。まさか、会合の場に出すつもりではありますまいな?」

「儂の傍に付かせるつもりじゃ」

「何を馬鹿な! そのような下等な身分の者を同伴させれば、天狗が侮られまする! 此度の会合、どのような意味を持つかお分かりでしょうな!?」

 

 椛を対象にした叱責に、まず何よりもはたてが食って掛かろうとするのを、陰で文が必死に押さえつけていた。

 

「分かっておる」

 

 異議を唱えた者の瞳を、大天狗は射抜くように見返した。

 ただそれだけで、相手は口を噤んで震え上がる。

 

「よぉく分かっておるわ」

「な、ならば……」

「侮っておるのは、貴様じゃ」

「なんですと……?」

「此度の相手となる二柱の神を、侮っておる。先代巫女と戦い、敗れ、そして落ち延びた、手負いの弱者であるとな」

「ぬ……っ」

 

 それが図星であることを示すように、迫られている者以外の天狗達も一様に黙り込んでしまった。

 八坂神奈子と洩矢諏訪子について、天狗側は事前に情報を得ていた。

 守矢神社が、どのような経緯で妖怪の山に現れるに至ったのか。そこに宿る二柱の神の正体と力、そして目的――。

 それらの詳細な情報が、今回の会合を行う決定の一押しとなったのである。

 当初は警戒に値する存在と思っていたが、その実態は外の世界で信仰を得られずに弱り果て、ついには人間にさえ倒されて、幻想郷へ逃げ込んだ、廃れた神だ。

 自身らの本拠地で万が一にも遅れを取る不安は無く、懐柔も容易い。

 会合に参加するほとんどの天狗達の間には、楽観の空気が漂っていた。

 大天狗は、それに気付いたのである。

 

「あの先代巫女と戦い抜いたからこそ――侮れぬぞ。故に、儂は椛を連れておる」

「そ、それは答えになっておりませぬが……」

「腑抜けた貴様らよりも、よほど頼りになるということよ」

 

 絶句して動かなくなった相手を、もはや完全に捨て置き、大天狗は次に文とはたてへ視線を移した。

 しかし、目付きの険しさは治まっていない。

 

「貴様らもな。儂にも到底理解出来ぬが、天魔様が貴様らに信を置いておることは確かじゃ。くれぐれも御期待に背くような真似をするでないぞ」

「……光栄です」

「ヘーイワカリマシター」

「姫海棠はたて。態度を改める気はないか?」

「サーセンッシター」

「……椛」

「はたてさん、どうかご勘弁下さい」

「――ッ!? ジ、ジジイ! 椛に言わせるなんて汚いわよ!!」

「喧しいわ!」

 

 好き勝手に言い争いを始める二人を見つめながら、文は頭痛を堪えていた。

 

 

 

 

 やがて、宴の準備は整った。

 最後に天魔の巨躯が上座に収まり、各々が持つ盃へ酒が注がれる。

 席のほとんどを占めるのは、当然ながら天狗である。

 対して、ズラリと天狗の並んだ長机の端に座るのは、神奈子と諏訪子の二人だけだ。

 あからさまな不穏さや険悪なものが場に漂っているわけではないが、有利不利で状況を測るならば、如何に神であろうと一方的であった。

 しかし、盃で酒を受ける神奈子と諏訪子の態度は、堂々としたものである。

 神代より生き続ける神としての揺ぎ無い風格が、そこにはあった。

 有象無象の天狗の中に紛れながら、文は二人の様子を観察していた。

 

 ――だけど、天魔様や萃香さんに比べたら、やはり一枚劣るわね。

 

 以前、同じような状況に遭遇した経験を思い出す。

 あの時は、伊吹萃香を筆頭とするたった三匹の鬼を相手に、ほとんどの天狗が気圧されていた。

 確かに八坂神奈子も洩矢諏訪子も、高い神格を持つ神かもしれない。実力も、威厳も、相応に感じる。

 しかし、もっと純粋な、魂に訴えかけるような脅威が、彼女達からは感じ取れないのだ。

 危機感と言い換えてもいい。彼女達を前にしても、それを感じない。

 外の世界で信仰を失って幻想郷へ逃げ込んできたという情報と、それを裏付けるように神格と比べて明らかに弱まった力が理由だった。

 故に、この場には楽観的な緩んだ空気が漂っているのだ。

 事前に大天狗が言った通り、当人達を前にして誰もが気を引き締めるどころか一層に緩めている。

 もはや、お互いの格付けは済んだと言わんばかりだった。

 

 ――二柱の顔を立てて、表向きは同等な協力関係を築くって辺りが落とし所かな?

 

 文もまた周囲と同じように、早々に見切りはつけた。

 残されたのは、茶番だけだろう。

 文の目的は、如何にして話し合いに関わらず、酒と料理を楽しめるかに切り替わっていた。

 

「それでは、まずは乾杯と参りましょうか」

 

 上座に最も近い位置にいる天狗の一人が、おもむろに立ち上がった。

 文には見覚えのある顔だったが、名前までは覚えていない。とにかく偉い天狗だという認識だけはあった。

 耳触りの良い賛辞を長々と並べ立てた後、景気よく盃を掲げた。

 

「偉大なる神の来訪を祝して――乾杯!」

 

 既に格下だと侮っている相手にも丁寧なおべっかだ、と内心で皮肉りながら文は酒を飲み干した。

 やはり、旨い酒だった。

 それだけは満足である。

 こんな厄介な場に呼ばれた元くらいは取っておきたい。

 周囲に渦巻く策謀など知ったこっちゃないとばかりに、文は嬉々として箸を手に取った。

 

「如何ですか? 我ら天狗の秘蔵の酒でございます。外の世界では、もはや味わえぬ美酒でございましょう?」

 

 視界の端には、形ばかりとはいえ主賓の二柱に擦り寄る数人の天狗が見えた。

 しかし、その言動の端々には、相手に媚びる気配よりも侮る意図が感じ取れる。

 当人達は、相手にプレッシャーを与えているつもりなのだろうか。

 全く、ご苦労なことだ。と、文は刺身を一切れ口に含んだ。

 

「これが、天狗の秘蔵か」

 

 酒を飲み干した神奈子が呟いた。

 空になった盃に注ごうとする手を、無言で押し留める。

 

「なるほど」

 

 訝しげな表情を浮かべる天狗を、そして周囲をゆっくりと見回して、神奈子は口の端を吊り上げた。

 その瞬間、文は口に含んでいたものを吹き出すほどの悪寒を感じた。

 

「――こんな不味い酒をありがたがるとは、天狗の底も見えたな」

 

 賑やかな宴の中で、神奈子の吐き出した言葉は朗々と響き渡った。

 一気に、場は静まり返った。

 突然の暴言に、誰もが言葉を失くしている。

 様々な感情を含んだ視線が集中する先で、神奈子は片膝を立てた姿勢のまま、堂々と座っていた。

 神奈子の浮かべる表情が、文の目に焼き付いた。

 笑っている。

 あの鬼のように、笑っているのだ。

 

「……な、何と申されましたか?」

 

 すぐ傍の天狗が絞り出した声を、神奈子は無視した。

 

「天狗の長よ、話し合いは中止だ。我らの今後の関係について、私達の『決定』を伝える」

 

 他の天狗とは違い、全く動揺を見せない天魔に対して、宣告した。

 ざわめきが巻き起こる。

 天魔は無言で神奈子を睨み返している。

 大天狗と椛が揃って刀に手を掛けた。

 心ここに在らずだったはたての目付きに鋭さが戻った。

 神奈子に意識が集中する中、傍らの諏訪子が静かに両手を持ち上げた。

 

「崇め奉れ、さすれば神徳を授けよう。我らに降れ、天狗どもよ――!!」

 

 神奈子が叫ぶと同時に、諏訪子が胸の前で両手を叩きつけるように合わせた。

 その動作に呼応するように出現した巨大な二本の手が、天魔の屋敷を押し潰した。

 

 

 

 

 八雲紫は、自身の屋敷でそれを見ていた。

 二柱の神が天魔を始めとする天狗という種族そのものを相手にして、暴れ出す瞬間を――。

 遠い妖怪の山での出来事を、リアルタイムの映像として確認出来るのはスキマの能力によるものである。

 目の前の空間を切り開くようにして広げた先が、天狗の集落の上空に繋がっているのだ。

 スキマの先に広がる文字通りの修羅場を、机に頬杖をついたゆったりとした姿勢で紫は眺めていた。

 

「予想通り、と言ったところですか?」

 

 傍らで同じ映像を見ていた藍が、主を伺うように呟いた。

 

「期待通り、と言ったところね」

 

 紫は微笑みながら答えた。

 

「守矢神社が天狗の集落と敵対関係になることを期待しておられたのですか?」

「敵対、というと少し違うわね。天狗の下に就くことを良しとしないであろうと期待していたわ」

「しかし、あの二柱を懐柔するよう天狗に仕向けたのは紫様でしょう?」

 

 天狗が手に入れた神奈子達の情報――それらを密かに提供したのは、実は紫だった。

 信仰の不足によって弱まった力や、外の世界を追われたこと、更には先代によって一度敗れていることまで、ほとんどが天狗にとって有利となる情報を無条件に渡したのである。

 紫がその見返りを要求することはなかった。

 情報を得た天狗が、自身の支配する妖怪の山に突然現れた厄介な勢力に対してどのような行動に出るのか、一歩退いて見守るのみ。何も干渉はしない。

 もちろん、その後の展開を半ば以上確信してのことだった。

 

「天狗の存在が目障りになりつつあるというのならば、ただ私に命じて下されば宜しいのです」

「やだわ、藍ったら血気盛んね。勘違いしちゃ駄目。私が何か思うところがあるとすれば、それは天狗の側ではなく、あの神様達よ」

 

 スキマの先では、激しい戦闘が始まっている。

 神奈子と諏訪子の戦いぶりは、凄まじかった。

 しかし、外の世界で既にほとんどの力を使い果たしている上に、敵地であることも含めて、二人には到底勝ち目などない。

 

「二柱の自滅をお望み――では、ありませんね。幻想郷にとって害となるのであれば、もっと早くに直接手を下されていたはずです」

「かつての紅魔館のようにね」

「……そうですね」

「あら、藍ってばあの時連れて行かなかったこと、まだ根に持ってるのね」

「お戯れを」

「まあ、あの時とは状況が違うわね。あの二柱は幻想郷に害を成す者ではないわ。神とは信仰によって生きるもの。彼女達にとっての支配とは、先住民の心を掌握することよ。幻想郷に変革をもたらすことはしても、破壊は決して望まない。ならば、幻想郷はただ受け入れるだけですわ」

「それでは、何故試すような真似をするのです?」

「さて――」

 

 意味深げに微笑んだまま沈黙する紫の横顔を、藍はじっと見つめた。

 普段ならば、誤魔化そうとする主人に対して必要以上の追求はしない。

 しかし、今の藍は紫の真意をおぼろげながら見抜こうとしていた。

 偉大な主の心を動かすものがあるとするならば、それはたった一人の巫女の存在に他ならないからだ。

 そして、神と戦ってまであの二柱を幻想郷へ連れ戻ってきたのは、件の巫女だった。

 

「紫様は、試すのではなく肩入れしているのですね」

 

 藍は静かに言った。

 

「あのままでは、守矢神社は天狗どもの傘下となっていたでしょう。弱体化した神では、妖怪の山の頂点に立つことは出来ません。そして、天狗の下に就いた神に向けられる信仰では、上下関係を覆す程の力は決して得られないでしょう」

「ええ、そうね。一度決まってしまったそういう関係を変えることは、とても難しいことだわ」

「抗うならば、今この時しかありません。己が相手よりも上であるという証明を示すならば」

「そう、今しかない」

「だからこそ、ですか」

「そう、ちょっと発破をかけさせてもらったのよ」

 

 紫は、藍の指摘を否定することもなく、素直に認めた。

 

「先代が、あそこまで力を尽くして救おうとした相手なのよ。相応の価値がある、と証明してもらわなければ」

 

 呟く紫は相変わらずの笑顔だったが、その声には有無を言わさぬ凄みが秘められていた。

 脳裏にあるのは、守矢神社と天狗の行く末――そのどちらでもない。

 どちらへの義理も思い入れも存在しない。

 それが存在するのは、先代巫女唯一人だった。

 あの日、幻想郷へ帰ってきた先代が、さとりの亡骸を抱えて泣き叫ぶ悲痛な姿が忘れられないのだ。

 紫はあの時まで知らなかった。

 本当に大切なものを失った時、彼女はあそこまで深く悲しむのか。あそこまで深く嘆くのか。

 そして、古明地さとりとは、彼女にとってそこまでの存在だったのか――と。

 それを知って、紫は悲しみを感じた。

 悔しさを感じた。

 妬みを感じた。

 あらゆる感情が胸を過ぎていった。

 未だに心はざわついている。

 先代とさとりに対する複雑な想いは、一時的に棚上げしているだけの状態だ。

 これからどうするのか。

 これからどうなっていくのか。

 分からない。

 分からない、が。

 一つだけ確かなことがある。

 それは先代には、幻想郷にも紫本人にも大きな貸しがあるということ。

 自分を何度も助けてくれた。

 自分の夢を何度も助けてくれた。

 だから、先代が何かを望むのならば、それを可能な限り叶えてあげたい。

 一人の友人としても、そう思う。

 一先ずのところは、あの二柱の神だ。

 

「見事、あの修羅場を制してみせたのならば、妖怪の山における守矢神社の地位は大きく向上するでしょう。それを元手に、あの神様達がどう動くのかも中々興味深い」

「しかし、それは賭けですね」

 

 しかも、かなり分の悪い。

 

「そうよ、当然でしょう?」

 

 紫は突き放すように言った。

 

「命懸けの努力くらいはしてもらわなければ、先代があの神の為にやってくれた必死の行動に釣り合わないわ」

 

 断言する紫の微笑は、藍でさえ寒気を感じるほどに冷たいものだった。

 それきり、二人は口を開くことなく、ただ静かに妖怪の山の戦いを見ていた。

 

 

 

「おーい、紫殿」

 

 ――と、そこで不意に場違いなほどのんきな声が割り込んできた。

 

「こちらの準備は出来たから、そろそろ博麗神社への道を開いておくれ」

 

 台所から顔を出したのは、マミゾウである。

 結界の修復の為に一時的に住み込んでいた霊夢は、博麗神社の建て直しが始まったその日の内に、紫の屋敷から出ていってしまった。

 霊夢と関わったことでなし崩しに屋敷に住み着いていたマミゾウは、やはりなし崩しに今もそのまま住み続けているのだった。

 もちろん、そのことについて一番疑問と不服を抱いているのは藍である。

 主との真剣なやりとりに水を差されて、青筋を立てながらマミゾウを睨みつける。

 

「貴様、いい加減にしろ! 紫様の御力を足に使うとは、何処まで自惚れているのだ!?」

「なんじゃ、別に顎で使っとるわけじゃなかろう。ちゃんとお願いしとるじゃろうが」

「そういう問題ではない! というか、そもそも何時までここに居付く気だ!? さっさと外の世界にでも、その辺の野にでも還れ狸ババア!」

「あら、ぼたもちを作ったのね。美味しそうだわ」

「おお、霊夢とその友達に食べさせてやろうと思ってのう。紫殿も一個如何じゃな?」

「頂くわ。でも、博麗神社には魔理沙と咲夜の他にもう一人、訪れているみたいよ」

「何!? そりゃあ、いかんな。数が足りん。すまぬ、もう少し作り足していくから待っていておくれ」

「構わないわよ。ぼたもちを食べながら待っているから」

「紫様、そのような物を口にしてはいけません!」

「何よ、藍も欲しいの?」

「何じゃ、そうなら素直に言わんか」

「要らんわ! 食ったら馬糞だった、などというオチになりかねんからな!」

「食いモンを粗末にするわけなかろうが、儂を侮るな!」

「らーん、熱いお茶を入れて頂戴」

 

 賑やかな喧騒の最中、紫は顛末を見届けることなくそっとスキマを閉じた。

 

 

 

 

 鮮やかな弾幕が美しかった。

 

「こりゃぁ、凄いなぁ」

 

 目に自然と涙が溢れていた。

 

「東風谷早苗って、弾幕ごっこは初心者なのよね?」

 

 この美しい光の幕を潜り抜ければ、

 

「だとしたら霊夢に負けないくらいの天才だぜ」

 

 手が届く。

 

「まさか、ここまでやれるなんてね」

 

 ――その、はずなのに。

 

「初めての実戦で、霊夢とこれだけ渡り合えるなら十分だぜ」

「評価を改める必要があるわね」

「いや、大したもんだ。ただの新参者じゃあないね」

 

 地面に膝を着いた早苗に対して、魔理沙と咲夜、そして萃香までもが抱いたものは偽りない称賛だった。

 滝のような汗を流し、肩で息をする早苗の前に、呼吸一つ乱れていない霊夢がふわりと着地した。

 勝負の結果は、わざわざ口にするまでもない。

 

「スペルカード・ブレイク、ね」

 

 霊夢の勝利だった。

 

「そ……そんなっ」

 

 早苗の完敗だった。

 

「あんた、結構強いわね」

 

 俯いたままの早苗を見下ろして、霊夢は言った。

 それは嫌味でも慰めでもなく、正直な感想だった。

 霊夢は早苗の繰り出すスペルカードを全て打ち破っていたが、早苗もまた霊夢のスペルカードを数枚クリアしてみせている。

 弾幕ごっこにおいて無類の強さと勝利の実績を持つ霊夢に対して、その成果は紛れも無く称賛されるだけのものだった。

 霊夢自身も、早苗の持つ力と秘めた才能を肌で感じている。

 傍で見ていた魔理沙は、そんな霊夢の反応に驚いていた。

 付き合いが長いからこそ、それがどれ程珍しいことなのかよく分かっているのだった。

 しかし、霊夢の言葉にも早苗は顔を上げなかった。

 

「……どうして」

 

 俯いた顔から、絞り出すように声が洩れる。

 

「どうして……!?」

 

 早苗の肩が震えているのは、疲労のせいではなかった。

 勢いよく顔を上げて、霊夢を見上げる。

 

「どうして貴女が勝つんですか!? 一体、どうして貴女の方が強いんですか!?」

 

 早苗は涙を流しながら、霊夢を睨んでいた。

 それが理不尽な叱責であることは、感情を向けられる霊夢はもちろん、傍で見ている者達にも分かっている。

 霊夢が勝ったのは、霊夢の方が強いからだ。

 霊夢が強いのは、霊夢の方が強くなる要素を持っているからだ。

 優れた才能を持ち、それを驕らず磨き、その為の環境に恵まれ、当人の意志も強い。

 霊夢自身が掴んだ正当な強さなのだ。

 しかし、その理屈が今の早苗に通じないことも、誰もが分かっていた。

 魔理沙も、萃香も、霊夢のその強さの前に敗北した経験がある。

 咲夜は、それを客観的に知っている。

 だからこそ、敗北を素直に受け入れられない早苗の気持ちが痛いほど分かる。

 

「どうして……霊夢さんの方が、恵まれているんですか!?」

 

 叩きつけるような叫びを、霊夢は黙って受け止めていた。

 霊夢もまた、自分自身の強さが、どういう影響や結果を生み出すのかを弁えている。

 単なる敵ならば、負け惜しみや逆恨みなど歯牙にも掛けない。

 しかし、早苗のことは少なからず好意的に捉えていた。

 勝負を始める前の、自信に満ちていた瞳から輝きが失われてしまっていることに、僅かながら後ろめたさを感じてもいた。

 あの前向きな明るさを早苗から奪ったのは、間違いなく自分なのだ。

 そんな風に、らしくもない苦悩を持て余していたからだろうか。

 

「霊夢さんは……っ!」

 

 霊夢は、立ち上がって掴みかかる早苗の行動に対して、反応が遅れてしまった。

 両手で肩を強く掴まれる。

 一瞬、警戒に体が強張った。

 しかし、早苗はそれ以上のことはしなかった。

 

「霊夢さんは、ずるい!」

「……え?」

 

 全く予想していなかった言葉を聞いて、霊夢は呆気にとられた。

 

「私は、大切なものを全部置いてきたのに……私より強い貴女が、どうして全部持っているんですかっ!?」

 

 早苗の訴えは、まるではらわたから絞り出して、血と共に吐き出しているかのようだった。

 顔は、妬みとも悔しさともつかない複雑な感情で歪み、その上を涙が止まることなく流れている。

 これほどまでに激しい感情をぶつけられることは、霊夢にとって初めてだった。

 そして、その訴えかける内容もまた初めてのものだった。

 

「確かに、私は素人ですよ。たった数日間の修行で十分だなんて思い上がっていないし、自分の才能に自惚れてもいません。神奈子様や諏訪子様の力を借りて、やっと戦えている甘ったれですよ、私は。それに対して、霊夢さんはこれまでずっと戦ってきた。私よりずっと修行して、ずっと痛い目にあって、だから私より強いのは当たり前で――」

 

 喋る内容を整理出来ていないし、呼吸さえ上手く整えられない。

 しかし、それでも早苗は泣きながら叫び続けた。

 

「だけど、貴女にはお母さんが居るじゃないですか!」

 

 その言葉に、霊夢は目を見開いた。

 

「この幻想郷で生きる為に、私は……お母さんも、お父さんも、住んでいた家も……思い出さえ、全部外の世界に置いてきてしまった! もう話すことは出来ないし、会うことさえ出来ない! この世界で新しく手に入れることが出来たのは、この力だけなんです!」

「――」

「それなのに……どうして、私よりも力のある貴女が、私の失くした大切なものを全部持っているんですか!?」

 

 責める早苗を、霊夢は黙って受け止めた。

 魔理沙達も、口を出そうとは思わなかった。

 

「……貴女はずるい」

 

 早苗は言った。

 

「貴女は恵まれてる」

 

 早苗は言った。

 

「貴女が羨ましい!」

 

 早苗は言った。

 

「貴女が……っ!」

 

 早苗は言い続けた。

 それが愚かなことだと分かっていながら。

 

「……どうしてぇ」

 

 やがて精魂全てを吐き尽くしてしまったかのように、霊夢の肩を掴んでいた手から力が抜けて、早苗はその場に崩れ落ちた。

 両手はそれでも縋りつくように霊夢の体を掴んだまま、膝を着く。

 再び顔を俯かせ、早苗はすすり泣き続けた。

 その泣き声を聞きながら、霊夢はじっと虚空を見据えていた。

 

「――そうね」

 

 不意に、霊夢が小さく呟いた。

 

「早苗の言うとおりだわ」

 

 早苗が泣き腫らした顔を上げた。

 

「あたしは恵まれてる」

 

 霊夢は早苗の瞳を真っ直ぐに見据えて、ハッキリと言った。

 

「母さんがあたしを育ててくれた。あの人が守ってくれたおかげであたしは生きてこれたし、あの人が目標になってくれたから努力も出来た。子供じゃなくなった今でもあたしを愛してくれて、それでもまだ傍に居てくれる。すぐに話せる、触れ合える場所に居る」

 

 早苗に対する皮肉などではなく、自分の言葉を一つ一つ確かめるように口にしていく。

 

「確かに、あたしは大切なものを全部持ってる。何一つ失くしてはいない」

 

 霊夢は微笑んだ。

 早苗が涙を流すのさえ忘れて呆けてしまうような、素直な笑顔だった。

 

「あたしはこれまで自分の境遇を顧みることなんてなかった。ただ、当たり前のように享受していた。だから分かってなかったのね、自分がどれだけ恵まれているか。『羨ましい』なんて、誰かに言われたのは初めてだったわ」

「――」

「でも、そのとおりね。あたしは恵まれてた」

「――」

「ごめんなさい、早苗。あたしは、ずるいわ」

 

 微笑みながら、それでも少し申し訳無さそうな顔をする霊夢を、早苗は呆然と見上げていた。

 胸の奥で渦巻いていた混沌とした感情は、既に消え去ってしまっている。

 素直すぎる霊夢の態度が、何故だか妙に可笑しかった。

 

「なんですか……それ。もう、ばかみたい……」

 

 霊夢とは違って、素直に笑うことは出来ない。

 心の隅には、どうしても複雑な想いが残ってしまっている。

 それが早苗の笑顔を歪ませていた。

 しかし、それでも自然と泣き笑いのような表情が浮かび、早苗は立ち上がった。

 一度、霊夢から背を向けて、服装を整える。

 目元の涙を拭って、数回大きく深呼吸した。

 

「……よし!」

 

 腫れぼったい顔を引き締めるように両手で叩き、早苗は勢いよく振り返った。

 

「霊夢さん!」

「何?」

「今回の勝負は、私の負けです!」

「そうね」

「しかし、次は負けません! 何故なら、私は絶賛修行中の身だからです!

 私は風祝の早苗。外の世界では絶え果てた現人神の末裔。いずれ、現人神として覚醒した私の真の力をお見せしましょう! そして、その時こそ霊夢さんに勝ちます!!」

 

 早苗は胸を張って、言い放った。

 まだ少し充血している両目には、爛々とした輝きが戻っていた。

 霊夢は一瞬呆気に取られ、次の瞬間声を上げて笑った。

 魔理沙でも初めて見るような、心の底から愉快そうな笑い声だった。

 

 

 

 

 天狗の権威を象徴する屋敷は、今や半壊状態だった。

 屋根と壁が半分以上崩落し、内部が剥き出しになってしまっている。

 贅を尽くした料理や酒の数々は無残にも撒き散らされ、食器や木材の破片と混ざって、ただのゴミと成り果てていた。

 もはや部屋として機能してない場所で神奈子と諏訪子は――天狗達によって拘束されていた。

 

「これまでのようですな」

 

 畳の上に打ち伏された神奈子の首に刀を添えて、大天狗が言った。

 他にも二人、手練の天狗が左右に付いて自由を奪っている。

 それは体を押さえつけるような生易しいものではなく、薙刀で神奈子の両手を畳に縫い留めるという容赦の無い対応だった。

 諏訪子の方はまだ身動き自体は出来る状態だったが、数人の天狗に武器を突きつけられて、部屋の隅にまで追い込まれている。

 

「もはや余力もありますまい」

 

 大天狗の言葉は事実だった。

 外の世界に比べれば遥かに負担の少ない環境とはいえ、住み着いたばかりの幻想郷には二人の力となる信仰などあるはずがない。

 元々少なかった力を更に消費し、特に神奈子は存在の維持すら困難な状態にまで陥っていた。

 もはや戦いになるような状況ではなかった。

 戦況を見守っていた他の天狗達から、安堵のため息が洩れる。

 それはいずれも会合に参加していた上役の天狗だった。

 彼らの内のほとんどは神奈子達を取り押さえる戦いに加わっていない。はたてや椛など一部の例外と、駆けつけた天狗の兵士が戦うのを遠巻きに見ていただけである。

 彼らは無力になった神奈子と諏訪子を侮蔑するように見て、口々に吐き捨てた。

 

「ま、まさかこのような暴挙に出るとはのう……」

「乱心なさったか、それとも我ら天狗を本気で支配出来ると驕ったか」

「全く外来の者は何を考えているのか分からぬ」

「然り然り。形だけでも拝んでやろうという我らの温情を踏み躙りおって――」

 

 ――安全になった途端、現金なんだから。

 

 文は内心で呟いた。

 もちろん、文も戦闘には関わらずに彼らの中に紛れていたクチである。大声で批判出来る立場ではない。

 

「……なるほどな」

 

 罵倒を受けながらも、神奈子は不敵に笑っていた。

 それこそ、彼女の方が臆病な天狗達を嘲るように周囲を睨め付ける。

 

「何処の組織も上は腐りやすいものだ。お前達天狗の弱みが、これで分かった」

 

 傷だらけの体を地に伏し、両手を貫かれ、動きを封じられながらも、神奈子の瞳からギラギラとした光は全く失われていなかった。

 文字通りの死に体であることは間違いないはずである。

 しかし、衰えることのない戦意と気迫に圧されて、罵倒していた天狗達は怯えるように口を閉ざした。

 

「――顔を上げさせろ」

 

 天魔が厳かに命じた。

 髪を掴まれ、強引に頭を持ち上げられる。

 当然、両手は畳に縫い付けられている為、腕が引っ張られ、首と背が反るような無理な体勢になる。

 神奈子の口から洩れた苦悶の声を、天魔は無視した。

 

「まだ続けるつもりか?」

 

 神奈子の瞳を射抜くように見据えながら、天魔が訊ねた。

 天狗を束ねる長に相応しい威厳が、重圧となって圧し掛かる。

 視線を向けられていない周囲の天狗達まで、息苦しさを感じるほどの威圧感だった。

 

「逆に訊こう。これで終わったつもりか?」

 

 しかし、神奈子は平然と笑っていた。

 天魔は無言で胸倉を掴み、そして服を引き千切った。

 破れた部分から半身が明らかになる。

 たわわな乳房が片方零れ落ちたが、美しい肢体に目を奪われる前に『それ』を見た全員が息を呑んだ。

 

 ――神奈子の胸には、斜めに走る巨大な傷痕が刻まれていた。

 

 それが単なる傷ではないことは、人ならざる者の目には明らかだった。

 肉を抉るだけではない。霊体にまで達するほどに深く、おぞましい傷である。

 何故、高い神格を持つ神がここまで弱体化したのか――何よりも明確で具体的な理由が、その傷だった。

 

「……これは、先代巫女が?」

「その通りだ。奴の拳が刻んだ」

 

 神奈子は笑いながら答えた。

 この状況で何故笑えるのか――その理由が分かった。

 疑問を抱くべき部分が違うのだ。

 この傷で、何故笑っていられるのか――と思うべきだったのだ。

 

「天狗どもよ」

 

 神奈子は立ち上がろうとしていた。

 縫い付けられた腕が軋み、傷口から血が噴き出ても構わず、ゆっくりと体を持ち上げていく。

 

「私に、この傷を上塗りするほどの痛みを刻むことが出来るか?」

 

 天魔はようやく確信した。

 

 ――こいつは、命ある限り決して屈することはない!

 

「首を刎ねろ!」

 

 もはや一瞬の躊躇いもなかった。

 天魔の命令に、大天狗が素早く反応して刀を振り上げる。

 その瞬間、神奈子の意図に合わせて諏訪子も同時に動いていた。

 

「ミシャグジさま!」

 

 諏訪子の口の中から、数本の縄のような物が飛び出して、囲んでいた天狗達の首に巻きついた。

 それは小さな白蛇だった。

 それが襲い掛かって、首に牙を突き立てた。

 微々たる傷である。

 しかし、噛まれた天狗達は痙攣と共に全身が硬直して、動けなくなった。

 毒ではない。微弱ながらも祟りの力だった。

 

「諏訪子、『剣』を寄越せ!」

 

 振り下ろされようとする刀に向けて、諏訪子が鉄の輪を投げつける。

 刃が神奈子の首に到達する寸前で、飛来した鉄の輪が刀身をへし折った。

 そのまま鉄の輪は、空中で『輪』から『剣』へと形状を変化させた。

 かつて、諏訪子の支配する国の象徴でもあった神の鉄である。

 その力はこれまで国を治める為に使われてきた。

 輪とは即ち、和である。

 そして今、国を治める『和』は国を奪う『武』へと――『剣』へと変化したのだ。

 

「大天狗様!」

「椛、下がれ!」

 

 武器を失った大天狗に代わって、背後に控えていた椛が斬りかかろうとする。

 しかし、その時既に神奈子は立ち上がっていた。

 己の両腕を引き千切ることで束縛から解き放たれた神奈子は、空中の『神剣』を口で咥えると、椛に向かって剣先を突き出した。

 咄嗟に庇った大天狗の胸を貫き、椛の肩を切り裂く。

 神奈子を抑えていた二人の天狗が慌てて武器を切り替えるのを一瞥し、素早く『神剣』を引き抜いた。

 振り返り様、二人をほぼ同時に斬り捨てる。

 口に咥えて振るっているとは到底思えない太刀筋だった。

 身のこなしもまた尋常ではない。蛇のように二人の間をすり抜け様、斬りつけたのだ。

 

「ぬぅ!?」

 

 瞬く間の出来事に、天魔も驚愕した。

 周囲の天狗達も、ほとんどが反応出来ない。

 はたては負傷した椛に気を取られ、予想外の事態に文は呆然とするしかなかった。

 そして、最初から戦いが終わったと思わず、諦めず、全てに備えていた神奈子が、その一瞬の機を制した。

 地を這うような低い姿勢で天魔の懐に踏み込み、一気に『神剣』で斬り上げる。

 

「舐めるな!」

 

 しかし、天魔もまた一族の長としての底力を発揮した。

 両腕を盾にして、振り上げられた刃を受け止める。

 右腕を半ばまで断たれながらも、強靭な筋肉と骨が『神剣』の斬撃を停止させた。

 傷は深いが、致命傷にまでは至っていない。

 剣を止められた神奈子と、剣を止めた天魔。

 一瞬の膠着状態が生まれる。

 それは奇しくも神奈子が先代と戦った時の状況に似ていた。

 そう――。

 神奈子は、この状況を経験している。

 

「天魔よ。お前が天狗という種族の要となる柱だ」

 

 突如、畳を突き破って、床下から巨大な柱が四本出現した。

 神奈子と天魔の二人を、丁度取り囲むように配置されている。

 それは神奈子の最後の力が具現化した『御柱』だった。

 

「その柱が折れるか、我が柱が折れるか――勝負といこうか!」

 

 四本の御柱の先端に光が点る。

 神奈子が自分諸共に残された力の全てを叩き込もうとしていることを察すると、天魔もまた凶悪なまでの笑みを浮かべた。

 

「面白い! 死にかけたその体で、生き残る自信はあるか!?」

「知らん! だが、この身に受けた先代の拳ほどに死を感じたものはなかったぞっ!!」

「ははははっ、それは俺もよく知っておるわ!!」

 

 御柱が破壊の光を放ち、二人の哄笑は爆光の中へと消えていった。

 

 

 

 

 天狗の集落は騒然としていた。

 最初に天魔の屋敷が半壊した段階で、既に集落の天狗達は異常事態であることを察していた。

 続いて鳴り響く戦闘の音に、混乱は加速した。

 やがてその音が止んだ時には、事態が収束したものと安堵した。

 そして、今――。

 

「な、何だぁ!?」

 

 静寂が嵐の前の静けさであったかのように、妖怪の山全体を揺るがすような爆音が鳴り響いて、天魔の屋敷が今度こそ粉々に吹き飛んだのだ。

 見上げた先の惨状と、降り注ぐ破片に天狗達は悲痛な声を上げた。

 爆発の煙が立ち込め、破壊された屋敷で一体何が起こったのか、未だに知ることは出来ない。

 不安と混乱が辺りを支配する中、天狗達は皆一様に息を呑んで、頭上を見上げ続けた。

 煙の中に黒く巨大な影が浮かび上がった。

 それがゆっくりと鎌首をもたげ、姿を現す。

 天狗達の中から幾つかの悲鳴が上がった。

 姿を現したそれは、巨大な白蛇だった。

 諏訪子が放った白蛇を数十倍にまで大きくしたもの――いや、あの『ミシャグジさま』が何らかの力を得て巨大化した姿に間違いなかった。

 それが四匹。いずれも、かつてそこにあった天魔の屋敷を押し潰せそうなほどの巨体である。

 巨大なだけではない。その身に纏う黒い靄は、禍々しい祟りの力だった。

 四匹の内、一匹の頭頂部には諏訪子が佇んでいた。

 他の二匹の口には、それぞれ数人の天狗が咥えられている。

 噛み殺されてはいないようだが、その気になれば容易に可能であることを理解しているのか、天狗達は皆一様に怯えていた。

 ミシャグジさまを使役する諏訪子に向かって何かを乞い、必死に拝み続けている。

 彼らは、つい先程まで諏訪子と神奈子を罵倒していた上役の天狗だった。

 他の天狗達は瓦礫の上や、あるいはミシャグジさまの体の上で倒れている。

 そして、四匹の内最後の一匹が、長い胴体を伸ばして、頭を一際高い位置へと持ち上げた。

 天魔の屋敷よりも更に高く、集落を一望し、逆に集落の何処からでも視界に入れることが出来るほどの高さである。

 その頭の上には、神奈子と天魔の姿があった。

 腕のない神奈子が両足でしっかりと佇み、天魔は血塗れの四肢を投げ出して空中に浮かんでいた。

 いや、浮かんでいるのではない。

 天魔の首を掴んで支えているものが、薄っすらと見える。

 それは、失われたはずの神奈子の腕だった。

 

 ――まさか。

 

 それを見上げる天狗達は自分の目を疑った。

 

 ――まさか、そんなはずはない。

 

 心の中で強く否定しながらも、見上げた先にある現実が、そこに陰りを生む。

 陰りは不安を、そして畏怖を生んだ。

 

 ――まさか、天魔様が負けたというのか。

 

 それらの感情は、否が応でも神奈子達の方へと向けられた。

 

 ――我らの長が、あの神に討ち取られたのか!

 

 神奈子の姿を畏れれば畏れるほど、薄れて見えた両腕がよりハッキリと見えるようになり、やがて完全な形となって復活した。

 それは間違いなく『信仰』の力だった。

 信仰を失い、力尽きかけていた神奈子は、残された力の全てを賭けて勝負を挑み――そして、勝った。

 勝ち取った結果が神への畏怖を呼び起こし、信仰となって神奈子の力になっていく。

 増大する力が更なる畏怖を呼び。

 畏怖が信仰を。

 信仰が力を――。

 

「……くくくっ」

 

 堪えきれない笑いが、神奈子の口から洩れ出た。

 

「ははははははははははははは――っ!!」

 

 高らかな笑い声が、集落全体に降り注ぐ。

 天狗達は、それを見上げることしか出来ない。

 誰が見下ろし、誰が見上げるのか。

 分かりやすいほどに、ハッキリとしていた。

 

「我が名は八坂神奈子! これよりお前達は、この名を崇めよ!」

 

 神奈子の朗々とした言葉が響き渡った。

 

「この名を奉れ!」

 

 眼下の天狗達に。

 

「我を呼ぶのは何処の人ぞ!? 我を、呼ぶのは――」

 

 そして、妖怪の山全てに。

 

 

 

 ――その日、幻想郷は一つの変革を迎えた。

 

 守矢神社という新たな勢力の誕生である。

 表向きは、守矢神社と天狗の集落は平等な協力関係を築いたとある。

 しかし、如何に体裁を取り繕おうとも、どちらが上であるかは明白だった。




<タケミナカタの小ネタ解説>

・両腕を失った神奈子

 八坂神奈子の元ネタである「タケミナカタ」は「タケミカヅチ」と戦って、両腕を潰されている。(ペルソナ4では両腕がないキャラデザインだったりする)
 作中で失った両腕と復活した両腕は、過去の払拭と新生を意味する――っていう演出だとカッコいいな。

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