東方先代録   作:パイマン

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主人公の秘密などに一切触れないエンディング。フラグ管理も楽。


エンディング集
Easy End「風見幽香」


 それは、博麗霊夢が二十歳を迎えた日のことだった。

 

 その歳が成人として認められる明確な境であるという規律は、幻想郷には存在しない。

 外の世界の、極一部の国の法律で決められていることだ。

 しかし、少なくとも母親である先代巫女にとって二十歳を迎えた霊夢は、成人として認められた。

 そして、珍しく先代巫女が主催となってその日を祝う為の宴会が開かれることとなった。

 二十という歳を特別に感じているのは先代だけであり、当人の霊夢や他の友人達はわずかに戸惑ってすらいたが、何よりも彼女がそう言うのなら――と。その日の『特別』を受け入れた。

 宴会を開くにあたり、先代は知人達に招待状を送った。

 元より彼女自身も、この祝い事が個人的な価値観から行うものであると自覚している。

 付き合う者は少ないだろう。

 当日暇な者達や、懇意にしてくれる身内の者達だけでしめやかに行われれば、それでいい。

 そう考えていた。

 全く、甘い認識であった。

 結局、招待状を送られたほとんどの人妖がその宴会に参加することになった。

 先代が現役の頃に付き合いのあった者から、生死を賭けた戦いを繰り広げたかつての敵や、霊夢が解決した異変の首謀者達など、多くの者達がその日宴会の開催地である博麗神社に集った。

 地上の妖怪から地底の妖怪、果ては神から天界の天人まで――。

 いずれも例外なく幻想郷有数の実力者達が一箇所に集い、前代未聞の大宴会を繰り広げることとなったのだ。

 幻想郷の管理者であり大妖怪である八雲紫をして『文字通り幻想郷が傾きかねないパワーバランスね』と、ぼやくほどの異常な集まりだった。

 もちろん、彼女もまたそんな宴会の参加者の一人に含まれるわけだが。

 人外魔境の大宴会は、丸一日続いた。

 先代の呼びかけに応じた者達の思惑は様々だ。

 大半が純粋に霊夢への祝福を抱いた者達である他、母親である先代への義理を持つ者や、あるいは何かしら邪な企みを隠した者達もいた。

 しかし、ただ一つ。

 彼女達に共通することがある。

 それは誰もが確かに先代の言うとおり、その日が一つの境目であると感じていたことだ。

 博麗霊夢の成長に対する境目ではない。

 その成長に伴って、母親である先代巫女に訪れる一つの終わりであった。

 

 その日、先代は霊夢を一人の大人として認めた。

 それは即ち、自分が母親としての責任をついに果たしたのだと認めたことを意味する――。

 

 

 

 

 それ自体が異変と取られてもおかしくはない人妖入り乱れた大宴会は、次の日の朝を迎える頃には自然と騒ぎを収めていた。

 博麗神社には内外を問わず、酔い潰れた者達が思い思いに寝転がり、惰眠を貪っている。

 普段ならば相容れることも馴れ合うこともない様々な種族、勢力が雑魚寝しているという混沌とした世界が、小さな神社の境内に作られていた。

 鬼でさえ酔い潰れたあの宴会の後に、動く者は少ない。

 大量の参加者を収納する為に能力をフル活用して博麗神社の空間を広げ、宴会場所を用意して見せた十六夜咲夜が吸血鬼の姉妹を館へ戻す為に飛び立ち、残されたのは宴会の主役であるはずの霊夢と先代だった。

 いずれも、酒を飲んだのは少量である。

 既に酒気はすっかり抜けていた。

 

「下手な異変より疲れたわ……」

「まさか、こんな大騒ぎになるとは思わなかったな」

 

 一日中騒ぎ通しだった昨日のことが嘘のように静まり返った境内を、母と娘は縁側からぼんやりと眺めていた。

 

「母さん。お米は残ってるから、残り物だけど朝ごはん食べる?」

「貰おう。顔を洗ってくる」

「ん。分かった」

 

 二人は慣れたやりとりを交わし、お互いに立ち上がった。

 先代が身支度を整えて居間に戻ると、霊夢が朝食の用意を既に終えている。

 手の込んだ物ではない。宴会の料理を、使っていない皿やお椀に盛り付けただけの簡単なものだ。

 霊夢が二つの湯飲みにお茶を入れると、二人は向かい合って座った。

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 母と娘は穏やかな朝の食事を始めた。

 何度、こうして食卓を囲んだだろうか。

 霊夢が子供の頃はそれこそ毎日。

 博麗の巫女の座を霊夢に譲り、先代が別居をするようになっても、月に一度の来訪時には必ずこうして一緒に朝を迎えた。

 子供から少女へ、そして大人になっても何も変わらない生活の一部がこうして残っている。

 霊夢はその尊さを、ご飯と共に静かに噛み締めていた。

 二人だけの食事の時は、いつも会話が少ない。

 お互いに世間話を好む性格ではないし、多弁な方でも無いからだ。

 だが、この空気を不快に思う気持ちは少しも無かった。

 むしろ暖かく、とても落ち着く。

 周囲には宴会の参加者達がゴロゴロと転がって、いびきや寝息が聞こえていたが、それらは親子の食事を妨げるようなものではなかった。

 やがて、二人は短い朝食の時間を終えた。

 自分の食器を持って、洗い場に向かう。

 二人で並んで作業をし、食器を洗い終えると、もう一度居間に戻った。

 霊夢が食後のお茶を入れる。

 しばらくの間、母と娘は無言で外を眺めていた。

 

「霊夢」

 

 おもむろに先代が呟く。

 

「何?」

 

 霊夢は視線を外に向けたまま、尋ねた。

 

「成人、おめでとう」

「……ありがとう」

 

 短いやりとりの中で、霊夢の心に母親への深い感謝の念が湧き上がる。

 

「母さん。今日まで育ててくれて、ありがとう」

「……ああ」

 

 感謝と喜びの中に、僅かな寂しさを感じるのは自分だけなのだろうかと霊夢は思った。

 母は、どうなのだろう?

 この日を境に、親の元を完全に離れてしまうなどという事態が起こるわけではない。

 しかし、少なくともこれまで続けてきた親子の関係にとって一つの節目だった。

 

「母さんは、今日どうする予定?」

 

 霊夢の漠然とした問いは、これから先のことを聞く意味合いも含めていた。

 もう霊夢は子供ではなく大人なのだ。

 彼女を守り、育む責務を全うした母がこれからの人生をどのように使うのか――具体的には、自分自身の為に何を為したいのか、霊夢は尋ねているのだった。

 先代はしばしの間黙考し、やがて口を開いた。

 

「――幽香の所へ行こうと思う」

 

 そう告げた先代の横顔は、決意によって引き締められていた。

 

 

 

 

『今日まで育ててくれて、ありがとう』

 

 ……やべ、超泣きそう。

 こんな台詞は霊夢が結婚する時まで聞かないものと思ってたけど、これは不意打ち過ぎでしょう?

 普段のポーカーフェイスがこんな時ばかりはありがたい。

 じゃなきゃ、きっと私は号泣してただろうしね。

 ああ、しかし自分で提案しときながらちょっとだけこの成人式もどきの宴会を開いたことを後悔している。

 私の中ではずっと子供のままだった霊夢が大人になったのだと、こういう具体的な形で理解すると、喜びと同じくらい寂しさも感じるのだ。

 霊夢は、今や私の手を離れた。

 これからは一人の大人として、恋人を作ったり、結婚したり、母親になったり……。

 くっそ、やべえ! なんか未来に思いを馳せていたら物凄い勢いで、霊夢の子供時代の記憶とか蘇ってきた。

 こんなにも悲しいのなら……愛などいらぬっ!

 そんなダメママな私。

 いや、素直に成長を喜んどけよって話なんだけどね。

 霊夢に博麗の巫女の座を譲って、別居し始めた時もこんな感じだったような気がする。

 まあ、結局は情けない私の勝手な感傷ですな。

 しばらく経てば、また日常に馴染んでいくことだろう。

 

 ――さて、問題はそんな私のこれからのことである。

 

 ついさっき、霊夢にも尋ねられてしまったが、親としての責務を果たした私がこれからの人生をどう過ごしていくのか? という話だ。

 日常的には、これまでとそう変わらないだろう。

 私には診療所の勤めがあるし、大人になったからもう会っちゃ駄目なんて決まりも無いから霊夢との関係が大きく変わるわけではない。

 しかし、何もかもこれまでと同じというわけでもない。

 具体的な変化としては、ずっと前から決めていたことを実行するのだ。

 つまり、霊夢が大人になったから私はもう波紋法を止めるということ。

 波紋によって老化を押さえていた私は、これからゆっくりと衰えていくだろう。

 まー、霊夢に博麗の巫女を任せたとか言っておきながら、何故か異様な頻度で数々の異変に巻き込まれていった私なのだが、それも今日で本格的にお終いだ。

 ……考えてみれば、私ってば現役の頃よりもむしろ引退してからの方が大事に関わってるような気がする。

 原作の流れ的に仕方ない話なんだけど、ここ数年間で幻想郷規模の異変の連続。鬼や神様と戦ったり、重傷負って下半身不随になったり、色々と深刻な事態にぶつかった回数も多い。

 あれ、博麗の巫女辞めた後の時期の方が遭遇した異変の密度高くね?

 い、いや……それも本当に今日までだ。無茶をやりたくても出来なくなるワケだしね。

 私はこれから普通に歳を取る。

 老いて、体も弱り、戦うこともなくなって、そしていずれ霊夢より先に死ぬだろう。

 ずっと決めていた生き方だ。

 となると、残りの余生の使い方はそれほど多くは無い。

 霊夢を育てる前は没頭していた修行も、もう体力的に続けられなくなるはずだ。

 別段悩むことも無く、日々をのんびりと過ごしていくんだろう。

 ただ、その前に私にはやり残したことがある。

 

「――幽香の所へ行こうと思う」

 

 思えば、彼女との因縁は霊夢との出会いよりも古い。

 最悪の出会いだった。

 それを切欠に、幽香は私との勝負に強くこだわった。

 執拗に私の命を狙い、挙句周囲にまで被害が及ぶような行為を働く幽香を疎ましく思った時もある。

 それ以上に怖くて苦手だしね。

 別段、彼女との勝負は約束したものではないし、それを果たす義理も無いだろう。

 ただ、不思議なことに母親としての責務を果たした後の解放感の中で、不意に思い出したのが幽香との関係だったのだ。

 幽香と勝負をする必要性は無い。

 彼女の望む勝負とは、詰まる所殺し合いによる決着だ。

 しかし、今を逃せば私は幽香と戦いたくても戦えない体になっていくだろう。

 やるなら今しかない――。

 そう考えると、私は自然と幽香の下へ向かう気になっていた。

 

 今日、私は幽香と会う。

 会って、そして何が起こるのか漠然と理解し、覚悟している。

 不思議と恐怖や躊躇いは無かった。

 自分でもよく分からない、奇妙な高揚感だけが胸に宿っていた。

 

 ……やだ、なにこのドキドキ!? 初めての経験なんですけど!

 幽香の顔を思い浮かべると感じる……ひょっとして、これが恋なのかしら?

 えっ、この歳になって!?

 今まで感じたことの無い感覚に、私は割とマジになって悩むのだった。

 

 

 

 

 境内の階段を下りて、博麗神社を出て行く先代の背中を紫はそっと見送っていた。

 彼女もまた、他の宴会の参加者達と同じように酔い潰れていたはずだが、いつの間にか完全に目を覚ましている。体内に酒気は全く残っていない。

 紫は先代が何処へ向かったのか分かっていた。

 一言も声を掛けず、ただ黙って彼女を見送る瞳には複雑な感情が宿っている。

 

「行っちまったねぇ……」

 

 背後から歩み寄る気配を感じ取り、紫は静かに視線を移した。

 同じく目を覚ました勇儀が、こちらは迎え酒と言わんばかりに盃を片手に立っていた。

 

「最後に選んだのは、結局あの妖怪だったってわけだ」

「……そうね。フラれてしまいましたわ」

 

 決して友好的とは言えないが、紫と勇儀の付き合いも長い。

 紫は苦笑しながら軽口を返した。

 

「貴女も、未練に感じることはあるのかしら?」

「まさか。私とあいつとの決着は、あの時地底で戦った時に完全に付いている。

 心残りや言い訳なんて、何一つ挟む余地のない死力を尽くした戦いだったさ。だから、最後の『相手』に誰を選ぼうが、私はそれを認めるよ」

「……」

「疑うなよ。鬼が嘘を吐くわけないだろう」

「ええ、そうですわね。でも、強がりは言うでしょう?」

「お前は本当に嫌味な奴だねぇ……」

 

 顔を顰めて睨み付ける勇儀の視線を、紫は素知らぬ顔で受け流した。

 

「どちらが勝つと思いますか?」

「先代だろう。あいつは私と戦った頃よりも強くなってるよ。まさに今の幻想郷で最強だ」

 

 鬼の押した太鼓判に、紫は納得した。

 確かにその通りだ。

 初めて出会った時から彼女は強くなり続けた。

 現役を退いた頃からも変わらず、奇妙な流れの導くまま、様々な異変や事件に関わり続け、その中で直面した多くの窮地を不屈の力と意志で脱していった。

 今が彼女の最盛期だ。

 霊夢が独り立ちをしたことを切欠に、徐々に衰えていくだろう僅かな期間ではあるが、少なくとも今の彼女に比類する存在は何処にもいないだろう。

 ――しかし、と。紫は思う。

 

「私は、まだ勝負がどう転ぶか分からないと思いますわ」

「へえ?」

 

 勇儀が意外そうな声を上げる。

 

「あいつが向かったのは風見幽香の所で間違いないんだろう?」

「ええ、霊夢との会話を聞いた限りでは」

「なら、やっぱり結果を覆すのは難しいと思うがね。

 あの妖怪は確かに強いが、正直今のあいつに敵うほどの実力かと言うと……なぁ」

「確かに、実力ではそうかもしれませんわね」

 

 既に先代の姿は見えない。

 その向かう先にいる風見幽香に対して、紫は羨望と嫉妬、そして期待を込めて視線を向けていた。

 

「でも、彼女は一途よ」

 

 

 

 

 あの日、幽香は一人の人間と出会った。

 

 日傘を差した普段通りの格好で、幽香は太陽の畑の周りを特に目的も無く歩いていた。

 散歩と言うほど優雅な気分ではない。

 ただ、家の中にいるのも何となく嫌になり、自然と足が外へと向いていた。

 幽香は自分が何を求めてこんな行動に出たのか、内心では自覚していたが、それを決して認めてはいなかった。

 畑の端から向日葵をぼんやりと眺め、無意識に懐から一枚の手紙を取り出す。

 先代巫女から送られた、宴会への招待状だった。

 中身は既に読み終えている。

 そして、幽香は昨日の宴会には参加しなかった。

 

 ――これは未練か? いや、何を馬鹿な。

 

 苛立ちを感じながら、しかしそれはすぐに虚しさへと変わっていった。

 この宴会の趣旨は理解している。

 それが意味することを、他の参加者と同じように幽香も察していた。

 来るべき時が来たのだ。

 先代巫女は、この日を機に本当に戦いの場から退いてしまう。

 もう幻想郷の新しいルールや、先代自身の意思さえ関係ない。

 人間である彼女は、やがて衰え、弱っていく。

 そうなっていく彼女と勝負をしたところで、幽香の望む結果は得られないだろう。

 幽香の中にある虚しさは、手紙を受け取った時から胸に巣食う諦念によるものが原因だった。

 

「……結局、勝ち逃げで終わりね」

 

 普段の風見幽香には全く似合わない、自虐的で弱々しい笑みが浮かぶ。

 何だか、これから先を生きていくことが酷く億劫に思えてしまっていた。

 何度も握り潰そうと思って、結局何も出来なかった手紙を再び仕舞おうと懐に手を伸ばす。

 足音が聞こえた。

 視線を向けた先で、幽香は眼を見開いた。

 

「お前は……」

 

 呆然とした顔を向ける先。

 いつか初めて出会った時と同じように、先代巫女が静かに佇んでいた。

 記憶に刻み込まれた彼女の最初の姿と全く変わりない。恐れはもちろん、動揺すら見せず、身構えることもしない。

 あの日、最強を自負していた自分を打ち倒した時からずっと、その強さを証明し続けた不動の姿がそこにあった。

 幽香は何かを喋ろうとして、胸が詰まって上手く声が出せなくなっていた。

 何だ、これは?

 胸が苦しい。眼の奥が熱い。

 自分が泣きそうになっていることを自覚すると、顔が羞恥でカッと熱くなった。

 湧き上がる喜悦を押し殺すつもりで歯を噛み締め、半ば意地になって不敵な笑みを浮かべて見せる。

 睨み合うように先代と視線を交えながら、幽香はどんな言葉を口にするべきか思考を巡らせた。

 

「……今更、何をしに来たの?」

 

 ノコノコと現れた先代を嘲笑うような気持ちでそう言ってみたが、実際にはまるで拗ねたような口調になってしまった。

 すぐさまそれを自覚して、口にした言葉を後悔するように唇を噛み締める。

 

「散々、私から逃げ回ってたくせに、どういう風の吹き回しかしら? いつもの逃げ腰はどうしたの? 今日は『用事』は無いのかしら?」

「ああ。今日、用事があるのは幽香にだ」

「あ、そう。私には無いわね。消えなさい」

「そうもいかない」

 

 苦笑しながら先代が歩み寄る。

 

「私が最高の力で戦えるのは、今日が最後だ」

「ぁ……ああ、そう。それで?」

「何故かな。幽香の顔が浮かんだよ」

 

 幽香は笑顔を維持しようとして失敗した。

 口元が引き攣る。

 今すぐ投げ捨てたい気持ちを抑えながら、震える手で日傘を畳んだ。

 

「全く、心底、嫌になってくるわ……」

 

 ゆっくりと、自分を落ち着かせるように腕を下ろす。

 

「そうやって、何度私を振り回せば気が済むのかしら? あの日から、私が自分の空回りじゃないかと何度も苛立ち続けて、挙句にこんなふざけた招待状まで送られて……」

 

 懐に仕舞い損ねていた手紙を目の前に掲げると、今度こそ力一杯握り潰した。

 

「諦める寸前になって、いきなり現れたかと思ったらその台詞だっていうんだから。本当に、お前は分かってやってるのか……っ」

 

 握った手のひらの中で手紙が燃え上がる。

 

「――待たせすぎなのよ、この馬鹿!!」

 

 もはや堪えきれなかった。

 手の中の燃えカスと日傘を投げ捨て、狂喜に満ちた顔を上げて幽香は先代に襲い掛かった。

 そして、唐突に。

 あるいは当然に。

 次の瞬間、凄まじい衝撃を顔面に受けて、幽香の意識は肉体と共に吹き飛んだ。

 地面に叩きつけられ、転がる。

 何一つ変わりはしない。かつてと同じ――いや、更に鍛え上げられた圧倒的な威力だった。

 

「が……ふっ……!」

 

 何をされたのか分からない。

 ただ、過去の記憶からこれが先代の攻撃なのだと推測しているだけに過ぎない。

 やはり、たった一撃で――。

 

「……待ち望んだわ、この瞬間をっ」

 

 幽香は倒れなかった。

 地面を転がりながらも、その勢いで体を起こし、足を踏ん張って体勢を整えていた。

 ダメージは確実に刻み込まれている。

 今、こうして立っていられるのは半ば以上意地と言う支えによるものだ。

 しかし、確実にかつての自分とは違う。

 それを証明して見せた。

 

「あの日味わった屈辱と敗北感を、私自身の手で拭い去る!」

 

 幽香は歓喜と共に反撃を開始した。

 

 

 

 

 ――この気持ちは恋かと思ったけど、別にそんなことは無かったぜ!

 

 うん。まー、冷静に考えてドキドキしてたのは普通に戦闘への緊張だったってわけなんだけどね。

 しかし、私自身戦闘経験はかなり豊富なはずなんだが、何故に今回に限ってこんなに落ち着かなかったんだろう?

 多分、相手が幽香だからだと思うが……。

 予想通り、幽香は強かった。

 考えてみれば、彼女と真っ当に戦うのはこれが初めてだ。

 初対面時の不意打ちや、強引に勝負を仕掛けてきた時の逃走を優先した戦いとは違う。

 初撃の百式観音を耐え切った時点で、昔とは違うことがよく分かった。

 何度かヒヤっとする攻撃もあったしね。

 それでも、何とか私の有利で戦闘は進み、遂に今、幽香は私の拳を受けて地に倒れ伏したのだった。

 いやー、やっぱ強いわ。ゆうかりん。

 

「強かった……」

 

 額の血を拭いながら、私は素直な称賛を幽香に告げた。

 私以上にボロボロの姿で大の字になって倒れているが、まだ意識はあるはずだ。

 

「……そう、ありがとう」

 

 激戦を終えて疲れ果てているのか、幽香の返事は何処か力が無い。

 

「でも、お前の方が強かったわ」

「そうか」

「ええ、私は全力を出したのよ。それでも届かなかった」

「……そうだな」

 

 私にはそんな気の利かない返事しか返せなかった。

 下手なフォローは、きっと幽香も望まないだろう。

 

「そうやって、私を気遣っていられるのが余裕の表れよ」

 

 ……マジで何も言い返せない。

 ヤバイな。勝負の結果を認めないなんて駄々をこねるような性格じゃないと分かっているが、怒ってはいるかもしれない。

 

「でも、まあ……それも仕方ないわよね。余裕は強者の特権だわ。私の全力はお前を追い詰めることすら出来なかった。それが全てよ」

 

 淡々と語る幽香の言葉をただ黙って受け入れようと、私は目を伏せる。

 

「――『だからどうした』って話よね」

 

 唐突に、幽香の声に気迫が戻り始めていた。

 私は目を見開き、無意識に身構える。

 なんだ?

 何故、私は警戒しているんだ?

 

「『死力を尽くしたけれど負けました。御見事、さあもう悔いは無い』――そうやって素直に納得出来るなら、ここまで苦しみはしないわ。

 鬼のような単純な力に及ばず、神のような神性も持たない。八雲紫のような特殊な能力も無い。私がお前にとって『脅威』にはなっても、『最大の敵』には成り得ないことくらいとっくに分かってたのよ」

 

 幽香は初めて自らの『弱さ』を認め、言葉にしていた。

 私がいつも見てきた傲慢とも言える強さへの自負を持つ幽香には似つかわしくない暴露だった。

 

「――だけど、お前に一番こだわっているのは間違いなく私よ!!」

 

 私の攻撃によって刻まれたダメージを全く感じさせない気迫で、幽香は立ち上がった。

 同時に、全身から一気に妖力が噴き出す。

 

「『敵わないから諦める』『全力を出したから満足だ』 そんな潔く、お前への想いを終わらせられるわけがないでしょう?

 私をこれまで戦ってきた有象無象の相手と一緒にするなっ。そいつらは皆、お前に負けた。お前と対等の位置にまで達することが出来なかった。でも、私は違う……っ!」

 

 湯気のように立ち昇る妖力は際限無く増大していった。

 もはや幽香自身の限界すら超えている。

 それでも止まらない。

 幽香の顔に『亀裂』が走った。

 比喩や眼の錯覚ではない。文字通り爆発的に高まり続ける妖力が、器である幽香の肉体すら破壊し始めていた。

 

「『死力を尽くす』なんて生温い方法じゃあ、お前には届かないわ。

 だったら、この命だって賭けてもいい。先のことなんて、もうどうでもいいわ。今日この瞬間まで積み重ねた何百何千年の生を、全部注ぎ込んで構わない」

 

 私はこれに似た現象を知っている。

 私自身が持つ肉体のリミッターを外す技。それと同じような理屈を、幽香は自身の体で行っているのだ。

 肉体の『損傷』ではなく『崩壊』を起こす幽香の行為は、妖怪という存在にとって消滅を意味する。

 しかし、彼女は躊躇いを見せず、むしろかつてない狂喜に極まった笑みを向けていた。

 そのあらゆる感情と意思を束ねた矛先が向ける先は、この私だ。

 

「私がこれまで生きた軌跡……これから先の未来……その全てを含めても、お前を超える刹那よりも価値のある時間など存在しないわ!」

 

 そう断言する幽香に、私は圧倒されていた。

 いや、正確には違うな。

 圧倒といっても、気圧されるとか怯えるという意味じゃない。

 うん、もう正直に告白しましょうか。

 

 ――やっべ、すっげえドキドキする!

 

 な、なんなのよ……私の捉え方がおかしいのかもしれないが、あの台詞って物凄い意味合いじゃないか?

 いや、分かってますよ。

 そういう恋愛要素的なものは皆無で、純粋に私の実力を超えたいって意味だよね。

 そこに込められているのは好意ではなく、むしろ殺意だってのも十分理解している。

 でも、その意気込みがこれまでやこれからの人生全部含めても価値がある、なんて言われちゃったら、お前……。

 あっ……やばい、熱っ! 顔なんか熱っ!

 

「……なんで、顔赤くしてんの?」

 

 完全に心此処に在らずな状態だった私の様子を、幽香は訝しげに見つめていた。

 う……っ、幽香は何か特別なことを言ったような自覚は無いみたいだし、やっぱりこれって私の感性がおかしいのか?

 考えてみれば、幽香との戦闘はまだ続行中であり、しかも相手は命を賭けて限界を超えた力を振り絞っているのだ。

 緊迫感溢れる状況であり、決して先ほどのようなパニックを起こす場面ではない。

 うんっ、これは私の気の迷いだ!

 幽香の覚悟に中てられて、なんか変な感じになっちゃっただけなのだ。

 私は咳払い一つすると、改めて気を引き締め直した。

 ここから先の戦闘は、きっとさっきまでとは違う。

 

「勝負を続けるか?」

「当然よ」

「長引けば、死ぬぞ」

「結構。灰になるまで出し尽くしてやるわ」

 

 そう言って、幽香は崩壊し始める肉体の痛みをおくびにも出さず、ニヤリと笑った。

 初めて見る表情だ。

 こんな顔をする人間も妖怪も、私は見たことが無い。

 きっと、これが『覚悟を決めた顔』って奴なんだな。

 なんだよ、もう。ちょっとカッコいいじゃん。

 

「……なら、私もだ」

 

 幽香の覚悟に応えるように、私も心の中で『界・王・拳!』と叫びつつ、リミッター解除技を発動した。

 全身が軋み、血流が荒れ狂う久しぶりの感覚。

 正直言ってかなり痛い。辛い。キツイ。

 しかし、これを使う時はいつも覚悟を決めた時だ。

 これから始める幽香との本当の決闘に意識を向けていた私にとっては、全く些細なことだった。

 

「今日まで積み重ねた修行の成果、全てここで出し切る」

 

 最高の力で戦えるのは今日までだ。

 霊夢は私の手から離れ、博麗の巫女としての責務からは完全に解放された。

 今、ここにいるのはただ一人の人間。

 何をしてもいい。

 だったら、私は今ここで命を含めた全てを賭ける。

 そして、幽香の賭けた全てに勝つ!

 

「受け止めてくれ、幽香」

「はっ、打ち砕いてやるわ」

 

 お互いの力が台風のように荒れ狂い、妖力と霊力が激突して大気と共に撹拌される。

 大地が震えているように錯覚する。

 いや、錯覚なんかじゃないよな。

 今の私と幽香なら、きっと幻想郷だって動かせるぜ。

 私は何故か愉快な気持ちになって、知らず笑みを浮かべていた。

 気分が高揚している。

 これか?

 出かける前に感じていた胸の高鳴りは、この『期待』によるものだったのか?

 よく分からない。

 戦いに対して笑顔が浮かぶなんて初めての経験だ。

 ただ一つ確信する。

 この戦いで、きっと私はかつて無い程の力を引き出すことが出来る、と。

 

「いくぞ」

「いくわ」

 

 言葉の応酬はそこで止まる。

 互いの相手を打ち倒し、敗北を刻み、そして自分は勝利を手にする為に、私達は同時に行動を開始した。

 

 

 幽香とは長い付き合いだ。

 その因縁も、きっと今日で終わる。

 何らかの形できっと決着が付く。

 私の死か。幽香の消滅か。あるいは、もっと別の形か――。

 ただ、一つ気になっているのは、私がこれまでずっと幽香に素直な気持ちで何かを伝えることがなかったということだ。

 だから今、言ってしまおうか。

 普段は色々と考えてしまうから、少なくともハッキリと断言出来る今だからこそ言おう。

 多分、テンション上がってる状態だからこんな台詞が出て来るんだろうけどね。

 

 ――愛してるぜ、幽香!

 

 

 

 

 長い幻想郷の歴史の中で、名を上げられる者は数多く存在する。

 人間ならば英雄と称えられ、妖怪ならば恐れられる。

 神さえ存在するこの世界で、多くの実力者達の間で優劣を決めることは難しい。

 しかし、この幻想郷において誰もが『最強』と認める者が一時期存在した。

 それは本当に短い期間のことである。

 わずか十年も満たない間ではあるが、しかしその時期確かに幻想郷有数の実力者達が例外無く認めていた。

 彼女は『最強』である、と。

 果たしてその証明がどのように成されたのか、知られてはいない。

 その力を、多くの強者を打倒することで証明し続けたのか。

 あるいは、当時最も強さを認められていた者との勝負を制したことで証を立てたのか。

 何も分かってはいない。

 ただ一つ。彼女が『最強』であると、誰もが認めていたことだけは間違いない。

 

 その彼女の名前は――。

 

 

 

 

【Ending No.1】




<クリア特典>

主人公の秘密その一。
「主人公の持つ記憶にある漫画やアニメは、幻想郷の外の世界には存在していない」

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