冬虫夏草   作:鈴木_

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11b 秀英

「負けました……」

と言ったのはボク。

「ありがとうございました。秀英、すっごく強くなってるじゃん」

 

「……そりゃあ、あれから頑張って」

 

プロにまでなったんだ。

それなのに進藤にはこうしてまた負けてしまった。

対局前に、永夏に言われた通り、一般人の進藤相手に勝ちが過ぎないよう注意しようとは思った。

思ったんだけれど、勝ちが過ぎると手加減とかそんな次元の問題じゃない。

 

「進藤もプロになってたの!?」

 

よく考えてみれば、自分がプロになっているんだから、あれから進藤もちゃんと碁を学んでプロになっていたとしても、何らおかしくない。

むしろあれだけ強くてプロの道を目指さないという方がおかしい。

それなのに、進藤の返事は満面の笑顔で

 

 

「なってないよ。でも、その感じだと秀英はプロになったんだ?すごいな!おめでとう!」

 

「ありがとうって、プロじゃない!?ホントに!?何で!?そんなに強いのにどうして!?」

 

「どうしてって、なる気がないだけで……みんなと反応同じだな~ハハ」

 

「じゃあこれから先もプロにはならないの!?プロになればボクなんか目じゃないもっともっと強い人とも打てるんだよ!?今よりもっと強くなれるんだよ!?進藤なら絶対トップ棋士になれるって!プロにならないなんて勿体無さ過ぎるよ!」

 

「多分、ならないかなー。それに別に家にいればプロ棋士の人たちとも普通に打てるしー」

 

『プロ』ということに全く興味なさげに進藤はのほほんとのたまう

。プロにならなくても、家にいれば普通にプロ棋士の人たちと打てるってどんな環境なんだ?

というか、こんなに強くてプロにならないという思考の人種を初めて見たかもしれない。

日本は韓国ほど碁の人気がないというから、それで進藤もプロになりたいと思わないのだろうか。

韓国だったら、プロ棋士になれるとしたら断る人間は絶対いないのに。

信じられない・・・。

 

「もっかい打つ?あと一回くらい打てると思うよ」

 

時計と相談しながら行って来る進藤に答えたのは永夏だ。

言葉は分からなくても、進藤が右手人差し指を上げるジェスチャーで、その意図を悟ったらしい。

 

『オイ、次は俺だ。見学は飽きた』

 

『永夏……』

 

なんだよ、その俺に打たせないと後でどうなってもしらんぞ的な脅しの目は……

ボクと進藤が打つ前まで傍観者気取りだったくせに、進藤が強いと分かった途端これなんだからな。

嫌になるけど、それを断れないボクって。

「次、永夏が打ちたいって。いいかな?」

 

「もちろん。お願いします」

確認を取ると進藤は快く承諾してくれて、渋々永夏に席を譲った。

プロ棋士になってまだ一年未満のボクと違い、永夏はすでにリーグ戦にも出場している韓国で若手ナンバー1の棋士だ。

その永夏に進藤がどう打ってくるのか、ボクも碁打ちの端くれだから、じわじわと興味が湧いてくる。

そういえば永夏は彼女に負けていたボクのことを馬鹿にしていたんだっけ。

あわよくば、永夏が進藤に負ければデカイ顔はさせない!!

って内心、冗談半分で企んでいたのが2時間とちょっと前でした。

 

『ありません……』

ウソ……。

永夏が本当に負けた……。

こんな見てくれだけど、碁の実力は本物なんだ。

それなのに、手を抜いていたとかポカをしたわけじゃないのに、永夏が進藤に負けた。

対局中盤から永夏の顔つきが本当に怖いくらい真剣なのは、横で見ていても分かった。

永夏が弱いんじゃなくて、これは進藤が強すぎるんだ。

 

「永夏が、負けましたって……」

まさかボクの人生で永夏の負け宣言を通訳する日が来るだろうとは一度も考えたことがなかった。

「ありがとうございました。うん、時間ぴったり!」

 

「時間?あっ」

 

進藤に釣られて店の壁にかけてある時計を見上げる。

家族の人が待っているか待ち合わせしているんだっけ?進藤は?

 

「打ってくれてありがと!そろそろ戻るね。秀英、道教えて欲しいんだけどいいかな」

 

「う、うん!家族の人、どこいるの?」

 

「韓国棋院」

 

『え゙……?』

 

そんな満面の笑顔で言う場所じゃないと思うよ、進藤……。

静止したボクに永夏が怪訝な表情で、片眉を上げた。

『秀英?どうした?』

 

『進藤が元々いた場所って韓国棋院らしくて・・・』

 

『そういえば、今ちょうど日本の塔矢先生たち日本のプロ棋士が棋院の方に来てるんじゃないか?彼女、それで誰か関係者と一緒に来てたとか』

 

『なるほど……』

 

さっき家族について来たと言っていたのは日本のプロ棋士の誰かが家族で、その人から囲碁を教えてもらっていたのだとしたら、こんなに進藤が強い理由も説明できる。

そうだよ。

それくらいなくては、進藤がこんなに碁が強い説明がつかないじゃないか。

きっと4年前にボクが日本に行って進藤と打っていた頃も、進藤はそのプロ棋士の人から指導を受けていたに違いない!

そうと分かれば、進藤を指導した日本のプロ棋士の顔を拝んでやろうじゃないか!!

 

店のおじさんにお礼を言って、進藤を連れて(永夏も当然のように一緒に)韓国棋院を目指すのみ!

 

「着いたよ」

 

「ほんとだ!ありがと!秀英!」

 

棋院の看板を指差せば、進藤も見知った建物らしく瞳を輝かせた。

そのまま棋院に入ると、

 

「秀英、お手洗い行きたいんだけど、どこ?」

 

「えとトイレはあっちの角を右に曲がったところだよ」

 

「ありがと!ちょっと待ってて!」

 

軽く駆け足で、進藤はトイレの方に行ってしまう。

そういえば、さっき碁を打った店でもトイレ一回も行ってないんだから、我慢してたのかな?

悪いことしちゃったな。

せめてお店を出る前に一度聞いておけばよかった。

と思っていたところに、いつも穏やかで冷静さを失ったり、取り乱すところを一回も見たことがない太善さんが、顔色真っ青、必死の形相で近づいてきて、・・・・・逃げる前に捕獲されました。

 

『秀英!永夏!いいところに来た!!』

 

そっちはいいところでも、こっちは絶対面倒ごとに巻き込まれる予感がビンビンです。

『太善さん?どうしたんですか!?』

 

『マズイことになった。非常にマズイ。もし最悪の事態になどなれば、韓国棋院は塔矢先生に顔向けできん!』

 

塔矢先生?

今回来ている日本のプロ棋士の塔矢先生のことだよね?太善さんが言ってるのって。

韓国棋院と塔矢先生に何があったら顔向けできないようなことが?

 

『実はだな・・・・、塔矢先生が韓国棋院に来られているんだが、一緒にその……奥様もいらしゃってだな……』

 

言葉を選ぶように話し出した太善さんの説明を補足したのは永夏だ。

 

『もしかして噂の16歳の女の子と結婚したっていうアレですか?ネット碁でプロ相手にも負け無しで正体不明だったsaiが、実は彼女だったとか騒がれてましたね』

 

永夏の話はボクもわざわざ聞こうとしなくても自然と耳に入ってきた。

50代の先生と16歳の女の子の結婚。

何かの冗談話かとボクは3日間は信じなかった。

 

『そうだ。その女の子が、塔矢先生の対局している中継を棋院の一階のTVで見ていたんだが、彼女のことを知らずに声をかけた相手に驚いて棋院を出て行ってしまったんだ……。しかも1人で……そのままもう4時間以上戻ってこない・・・・』

 

『別にその子が勝手に出て行ったなら、こっちはどうしようもないじゃないですか。韓国棋院の知ったことではないでしょう?大袈裟過ぎだ』

 

『本音と建前が違うことくらい、永夏ももう分かっているだろう?非はなくとも、外聞と責任はあるんだ』

 

『大人は面倒ですねぇ』

 

2人の話を傍らで聞いていて、ボクにもなんとなく要領はつかめた。

つかめても面倒に巻き込まれてしまったという思いは変わらない。

大人の事情ってやつは、本当に嫌だ。

 

『げっ、塔矢先生!検討も終わったのか?』

 

対局が終わり上の階から降りてきたのだろう一団の中に、羽織袴姿のどこからどうみても壮年の日本人の姿が目に入り、太善さんはさらに顔を青ざめて真っ白に近い。

塔矢先生も太善さんの姿に気付いたようで、

 

「太善くん、妻はどこだろうか?ヒカルの姿が見当たらないのだが」

 

『奥様はどこかだそうです』

 

塔矢先生の言葉を通訳され、太善さんはしどろもどろに答える。

こんなて太善さんは初めて見たゾ。

何かのパーティで絡まれそうになったら、これをネタにして逆に遊んでやろう。

 

・・・って、ヒカル?

塔矢先生、今・・・『ヒカル』って言った?

 

『えっと、その……実はですね……』

 

太善さんがどう答えるべきか思案しているその時………。

 

「先生!対局終わった?勝った?」

 

トイレに行っていた進藤が駆け足で帰ってきて、抱きついたのは塔矢先生。

しかも塔矢先生もそれが当たり前で慣れた様子で、進藤を抱きとめる。

「ああ、勝ったよ」

 

「ほんと?やった!」

 

「どこか外へ行っていたのかね?」

 

「うん!偶然友達に会って、碁会所で打ってた。しかも久しぶりに会ったらね、すっごく強くなってソイツ、プロになってたんだよ!」

 

「韓国のプロ棋士?」

 

「そう、こっちが友達の秀英。小学校の夏休みに秀英が日本に来ててよく一緒に碁打ってたんだ。それでこっちが永夏。さっき初めて一局打ったけれど、こっちもすっごく強かった」

 

クルリと進藤が振り返り、ボクと永夏を塔矢先生にそれぞれ指差し紹介してくる。

 

「秀英くんでよかったかな?」

 

「は、はいっ!!」

 

塔矢先生に名前呼ばれたよ、ボク!!

どうしよう!?

 

「その歳で日本のが出来るとは大したものだ。なにやらヒカルが迷惑をかけたようで」

 

「ちっとも迷惑じゃないもん!」

 

塔矢先生にしがみついたまま進藤が口を挟んでも、塔矢先生は気分を害することなく話を続ける、

 

「世話になった。さぁ、行こうか。徐さんが待っていらっしゃる」

 

「秀英じゃぁね。明後日までこっちいるから、もし時間が合えば明日また打と?」

 

バイバイと笑顔で手を振り、塔矢先生とこの場を後にする進藤の後ろ姿を、ボクは呆然と見送ることしかできません。

今日、進藤と久しぶりに再会してから、色々ありすぎて記憶が混乱しているのだけれど・・・・え?

塔矢先生がsaiだったとかいうめちゃめちゃ強い16歳の奥さんを同伴していて、それが進藤?

ボク、どこか間違ってる?

 

『オイ!?秀英!どういうことだ!何で彼女と仲よさげなんだ!知り合いだったのか!?』

 

『何と言葉をかけてやればいいのかわからんが、とりあえず失恋祝いくらいは付き合うぞ?』

 

うるさいよ!

2人とも!!

 

今はボクを1人にさせてくれっ!!

 


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