冬虫夏草   作:鈴木_

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05 桜野

「やられたわー。まさか、からかうどころか見せつけられるとはね……」

 

と、言い終わり様、持っていたカクテルグラスをグイと傾け、イッキ に飲み干す。

ジンをベースにした辛みがあるカクテルのはずなのに、ちっとも辛くないのは、昼間、名人夫婦に見せつけられたからなのかしら。

 

「桜 野さん、ペース早いんじゃない?大丈夫?」

 

「これが飲まずにいられますか。もう一杯、なんか辛いやつで。ていうか、芦原先生がペース遅い んじゃないですか?」

 

バーテンダーにお替りを注文し、隣でロックのウイスキーをチマチマ飲んでいる芦原先生を横目に睨んでやった。

 

思 い出すのは昼間、棋院で仲良く手をつないで帰っていく五十路の名人と女子高生。

何もしらなければ、仲の良い親子か、視点を変えて援助交際に疑われ かもしれない。

そんな年の差なんて2人には全く問題じゃないんだろう。

お互いがお互いを大事に想い、愛しあっているんだと感じた。

 

「羨 ましいわ~。私もあんな恋してみたいわ~」

 

周りなんて気にしないで自分が好きな人と手を繋ぎたいときに手を繋ぐの。

ぽ~っと、ま だ見ぬ相手に想いを馳せていると、芦原先生の向こう隣に座っていた趣味の悪い白スーツが、

 

「年の差結婚がしたいのなら、棋院にいくらでも ジジイがいるじゃいか」

 

「やめてください。ゼッタイありえませんから」

 

ただでさえ囲碁のプロ棋士というマイナーで特殊な 生業のせいで出会いが少ないというのに、棋院のジジイなんてもっと出会いのチャンスが減ってしまうような不吉なことを言うんじゃないわよ!このロリコン が!

 

「年上と付き合いたいって言ってるんじゃないんです!もっとこう胸がときめくような恋がしたいんです!」

 

「ときめきとか言うんだったら、塔矢先生たちは違うんじゃない?お互い、囲碁が強くてそれに惹かれたようなもんだし」

 

のほほんと、芦原先生が会話に 入ってきたが、逆に何を言ってるんだと思ってしまった。

あんなに塔矢先生に想いを寄せてるヒカルちゃんを前にして、ときめきじゃない?

 

そ ういえば、あの話をヒカルちゃんとしてたとき芦原先生たちはいなかったのか。

 

「そうじゃありません。ヒカルちゃんを案内していたとき、 聞いてみたんですよ。塔矢先生のどこがいいのか」

 

「それは……俺たち塔矢門下だと逆に師匠相手に失礼にあたるから聞けない質問だな……」

 

そ りゃぁ師匠の奥さんにどこがいいのか聞くなんて、弟子の身分では聞けないでしょうね。

 

「それで、聞いたらですね、彼女いわく『塔矢先生が 自分を初めて女性扱いしてくれた人』なんだそうで」

 

「何それっ!?あんなに可愛い子相手に女性扱いって!?」

 

「なんでも ヒカルちゃんって塔矢先生に会うまで、男まさりで制服以外でスカートも一度も履いたことなかったらしいですよ。自分のことも俺って言って、髪もお母さんに 言われて嫌々伸ばしてたとか。男勝りで髪長くないとほんとに男の子に間違われるからって」

 

「信じられんな……」と緒方先生。

 

そりゃあ、あのヒカルちゃんを見たら私だって信じられないけど、

 

「それで、塔矢先生と出合った初めの頃もパンツスタイルで男言葉使っていたら、塔矢先生に注意されたんだそうです。女の子が自分のことを『俺』というのはやめなさいって」

 

++++++

 

『だってもう俺に慣れてるから私って柄じゃないもん!いいの!俺はこのままでいいよ!』

 

『そんなことはない。君はちゃんとした女の子だよ』

 

『えー、女の子って柄じゃないよ』

 

『ちょっとそこの姿鏡の前に立ってごらん』

 

『え?』

 

『背筋を伸ばして、顎を引いて、胸を張って、少し左足は後ろに。ほら、たったこれだけで立派な女性だ。いきなりスカートを履いたり服装を変えなさいと言っているわけじゃない。何事も気持ちの持ちようだよ。心がけ次第で、君は見違えるほどすばらしい女性になる』

 

+++++++

 

「周りや親からも何度も男言葉を止めるように注意されてたらしいけれど、頭ごなしに言うだけじゃなく、実践して女性扱いしてくれた人は塔矢先生がはじめてだったそうで、しかもそれをすっごく大切そうに話すんですよ、これがまた」

 

本当に嬉しかったんだろうと思う。

頬をうっすら朱に染めて、それだけでこの女の子が塔矢先生にちゃんと恋しているんだなって分かってしまい、からかい半分に問うたこっちが反対に野暮なことを聞いてしまったような居たたまれない気分になった。

 

「今はあんなに美少女だけど、その美少女にしたのは間違いなく塔矢先生なんだわ。先生があの子を見つけて、男の子まさりだったあの子を立派な女性に磨いたんだわ。しかもヒカルちゃんも塔矢先生に恋して彼女なりに女の子らしくなろうと頑張った。もし、……ヒカルちゃんが先生と出会わずに男まさりだった頃のまま現われたら、今みたいに美少女って騒がれなかったんでしょうね。お互い囲碁が強いから惹かれただけじゃなかったんだわ」

 

「塔矢先生とヒカルがちゃんと恋ねぇ……想像つかないなぁ……」

 

隣の男2人は全く理解できないようで、眉間に皺なんか寄せて。

これだから男は駄目なのよ。

この様子じゃ女心を理解なんて一生できないでしょうね。

 

 

だからいつまで経っても彼女ができないし、出来ても長続きしないのよ、この2人は。

 

はぁ~、私もあんな恋がしたいわ。

 

「だから、お2人からもヒカルちゃんをプロになるよう説得してくださいよ!!」

「いきなり話が飛んだね……桜野さん……」

ええ、飛びますとも、芦原先生。

日中韓のプロ棋士をネット碁でけちょんけちょんに蹴散らしてきたsaiの正体がヒカルちゃんだったことはすでに周知だけれど、まさか元名人だった乃木先生をあんなにあっさり倒すとは予想外過ぎだわ。

女流ではなく本戦の上位で戦うことが出来る女性がいないことは、本当に悔しいんですもの。

だけど、彼女だったら、これまで女流と見下してきた男共を見返すことが出来る!

「だが、ヒカル本人にプロになる気が全くない」

「そこをどうにかするんですよ、緒方先生!」

「すでにどうにかしようとしたんだ。俺たち塔矢門下と、棋院関係者総がかりでな」

「それで駄目だったんですか?」

 

全く!!

大の男が揃いもそろってだらしが無い!!

 

「どうにか説得しようしたらね、塔矢先生が『ヒカルがプロになるんだったら私がプロをやめよう。そうしたら私がヒカルと一緒に行動すればいいわけだし、ずっと一緒にいられる』って言い出したんだよ……」

 

その光景を思い出したのか、話す芦原先生と一緒に緒方先生までげっそりとした。

って、妻がプロになる代わりに5冠の現役プロ棋士が引退ですか?

 

 

「いくら将来有望だからって、その代償に5冠のタイトルホルダーを失うわけにはいかないでしょ……。しかも塔矢先生、本気っぽいし……。それ以来、二度とヒカルちゃんをプロにしようと企てる者はいなくなったんだよ……。」

 

塔矢先生おそるべし……。

現役タイトルホルダーの引退を持ち出されたら、こっちはどうしようもないじゃない。

どこまでバカっぷるなのよ。

 

「当面、塔矢先生がタイトルを失うまで、ヒカルがプロになる話は無しだ」

 

「そ、そうですね……ヒカルちゃんまだ若いし、プロ試験受ける年齢制限までまだまだありますもんね……」

 

ということは、今の塔矢先生から想定するに、あと10年近くはヒカルちゃんがプロになる日は来なさそうね。

ちっ。

 

でも今は諦めても、いつか必ずヒカルちゃんがプロになって男共を見返す日がやってくるのよ!!

 

 


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