一人の女がいた。女は極々平凡な生まれ。農家の男を夫に持ち、その夫との間に一人の息子を授かった。本当に平凡な人生を生きている人間だった。
ある日、女の夫が死んだ。女は悲しんだが、なによりも、優先すべき事項があることが頭の中に浮かんだために悲しみの涙を堪えて、すぐに前を向いた。
それは遺された息子のことだ。女の自分一人で果たしてどこまで養えるか?女には疑問であった。
遺された息子のことをどうにかして幸せにしてやりたい。そのためならば、なんでもする。
それが女の切なる願いであり、誓いであった。
よくある話だ。
…だが、思えば、それが起源だったのだろう。あの人のそんな願いが合理的な思考を否定させることを
ああ、我ながら随分と捻くれた生き方をしたものだ。
ーーーーーー
アーチャーが呟く15分ほど前、キャスター:アイザック・ニュートンとキャスター:ナーサリー・ライムの戦いのゴングは静かに鳴らされた。
そのゴングとは
「さて、では、始めようか。宝具発動。」
言葉と共にニュートンの身体が淡く光り始める。
そして、その光はニュートンが手を前にかざした瞬間、最大のものとなり
「
唱えた瞬間、ニュートンの周りでは
何も起こらなかった。
「……?」
予想外の事態に困惑を感じたナーサリー。だが、それも一瞬。次の瞬間、ニュートンの姿がかき消え、自分の腹に拳を突き込んでいたその瞬間までだった。
「ぐっ!?」
苦悶の声を漏らし、一気に壁へと吹き飛ばされていくナーサリー。
その様子を見て、ニュートンはわずかに疑問を浮かべた。
「妙だな。手応えがない…いや、あることにはあったけど…」
そう言いながら、手元を見つめると、納得したように声を出す。
「へぇ、手元が少し冷たい。氷の魔術で咄嗟に自分を防御したのか。大したものだ。僕がいうのもおかしいけど、キャスターにしては随分と接近戦に慣れている。普通はこういうとき、大体の魔術師は結界か何かで防御するものだけど…
いや、それよりも…」
瓦礫の向こうからナーサリーが歩いてきた。ナーサリーは腹の部分を打たれ、少なくない損傷を負っているはずだが、そのことを気にも留める様子もなく、人形のように感情のない瞳で目の前のニュートンを射貫く。
それは少なくとも、十代に近い少女が放つような眼光ではなかった。
「…全くこわいなぁ。絵本や童謡っていうのは、英国じゃ、結構な確率で残酷な描写を含んだりするけど、まさか、それが影響してたりしないよなぁ。あの眼。」
「ねぇ。ここにいるっていうことは、私の友達を傷つける気なの?あなた?」
「…いや、正直な話、君たちには今興味はない。僕たちは違う目的があってここまで来た。…と言ったとして、君はこちらに向けている殺気を収めてくれたりするのかな?」
「…そうね。もしも、そう言うなら、見逃してあげてもよかったわ。」
「へぇ?」
意外そうに眉を釣り上げながら、ニュートンは答えを返す。
その表情は、わずかに疑問に思ったのと、見た目通りの子供のような単純な思考をするのかと言う侮りから来るものであった。
だが、次の言葉が、少なくとも、その表情から侮りを消え失せさせた。
「もしも、
「…へぇ」
ナーサリーがすくった水を掲げるような手の仕草で手を挙げる。すると、その瞬間、地面から人間と同じほどの大きさのトランプが生えてきた。合計52枚よトランプは絵柄を残しながら、頭と手と足を生やし、槍を手に持って、ニュートンを囲むようにして、立つ。
「うお、これは、アレか?トランプ兵ってやつかな?」
「ええ、そうよ。不思議な国からやってきた不思議なトランプ。さあさあ、来て来て、兵隊さん。私の言うことを聞いてくださいな。夢の国を荒らすあの坊やにきついお仕置きをしてあげるの!」
言われた瞬間、トランプ兵たちは一斉に中心にいるニュートンに向けて槍を向ける。ニュートンはその槍群をジャンプすることで躱し、一体のトランプ兵に向けて蹴りを放つ。
すると、まるで本当の紙のように脆く破れていくようにその頭が砕けていく。
ニュートンはそれを見て、拍子抜けしたように目を見開く。が、
「なるほど、そう言うことか。」
なんと、蹴りを放たれ、頭を砕かれたはずのトランプ兵は、見る見るうちにその頭部を再生させ、何事もなかったかのように立ち上がってきたのだ。
「私たちは子供の夢。夢は誰にも砕かれない。壊されない。だから、私たちは誰にも殺せない。」
「子供の夢、ね。確かにそうだね。子供の夢は追うことができれば、未来の現実にもなり得る。まさに、無限の可能性。確かに誰にも砕かれず、壊されないものだ。
でもね、知ってるかい?人はいつか必ず現実をに直面するものなんだよ。そして、現実に直面した時、夢への道のりの果てしさから、大抵が
こんな風にね。」
ニュートンに槍が迫る。だが、それに対して、落ち着いた様子で、ニュートンは掌をまるで撫でるようにして、地面へと向ける。すると、その瞬間、ニュートンの周りにいたトランプ兵はまるでドミノ倒しのように一斉に崩れていく。
(!?なに、何が…っ!?)
考える余裕もなく、いつの間にか視界から消えていたニュートンに怖気が走り、360°全てに氷の壁を出現させようとする。だが…
「遅い!」
地面から生えてくる氷の壁よりも先に、拳が掻い潜るようにして突き込まれる。その拳は一気にナーサリーの顔面へと突かれる。ゴッという嫌な音が響き渡る。それは…
ニュートンがまるでパチンコ玉のように軽々と空へと弾き飛ばされた音だった。
「…やっぱ、そう簡単にはいかないか。」
着地し、ニュートンがナーサリーへと突き込んだはずの腕を見る。すると、その腕は攻撃のために拳を鋼にしたにもかかわらず、見事に折れていた。
自分の腕を見たその後、ナーサリーの方へと視線を送る。そこには腕が
生えた腕は、それだけでも2メートルを優に超すほどの長さを誇り、雄大にさえ見えてくるその腕はゆっくりと、地面に掌をつける。
そして、掌を起点にゆっくりとそれに続いて体が引き揚げられていく。引き上げられた体は赤黒く、顔は口も鼻もないが、おどろおどろしい目をこちらに向き、頭には枝のような不規則な伸び方をした角が生えていた。
「…なるほど、アレが先に情報も挙がっていた怪物か。厄介な」
「◾️◾️◾️◾️◾️◾️!!!」
その怪物の咆哮と共に戦いの第二幕が開かれる。
ーーーーーー
「さすがに『魂を食う絵本』か。第一真祖を苦戦させたというのは、伊達ではないようね。」
遠目からその戦いを観察していた少女。遠坂恵莉は一人呟きながら、戦いを見ていた。
「さて、それじゃ、まだ時間も掛かるみたいだし、こっちもこっちで仕事を始めましょうか。ねぇ?南宮那月。」
恵莉の声に対して、返答はない。だが、その代わりに、恵莉の足元の地中から勢いよく噴出された鎖がその返答の代理をなした。
その鎖を軽く後ろに飛ぶことで楽に躱し、辺りを見回す。すると、今度は空中を含めた360度全てから鎖が召喚されて、勢いよく襲いかかっていく。
360度、つまりどこにも逃げ場はないということだ。標的目掛けて放たれた鎖の弾丸は、恵莉の体を確実に捉えるはずだった…
鎖はするりと恵莉の体をすり抜けてしまったのだ。
「残像…か。」
南宮那月がそう呟くと、同時に自分の迫る拳を瞬間移動することによって避ける。
「いきなりね。少しは挨拶があってもいいんじゃない?」
それは、恵莉の声だった。その質問に対し、監獄結界の屋上部分に立ち、穴の空いている部分から那月は答える。
「私の空間に土足で入ってきた者たちが何を言う。むしろ、貴様が声をかけてくるまで待ってやっただけ、恩情があるだろう」
「まあ、確かにそれもそうかもしれないわね。」
軽口を叩き合いながら、両者の敵への分析が始まる。
(今のが空間魔術。実際に見るとなるほど、随分、便利なものね。この人がなるべく遠くにいる時に、ことを進めないと、色々と厄介そうだから、今のタイミングでことを進めたっていうのに、もうここまで来てしまっているし…)
(何の能力を持っているかは知らんが、体術のレベルから見るにあのバカ犬に匹敵はするものを持っている。)
(加えて、恐らく、増援も呼ばれてることでしょう。私たちを確実に捉えるために…そこから考えると私たちが取るべき選択肢は…)
(敵の能力が不明である以上、ここで全ての手の内を見せるのは愚策。そして、増援を呼んでいる以上、私が取るべき選択肢は…)
(短期決戦!!)
(長期決戦)
全く逆の選択肢が両者の頭で結論づけられ、その瞬間に両者の殺気が火花を散らす。
あたりの空気が張り詰め、緊張感が増していく。それが最高潮に達した瞬間、先に動き出したのは、恵莉だった。否、それを動き出したと言っていいのか。彼女の身体は何かに撃たれたように頭は高速でブラされたのだ。
そう。先に動いたのは恵莉だったが、先に攻撃を仕掛けたのは那月だったのだ。
扇を優雅に煽ぎながら、実に優雅に彼女は言葉を述べる。
「とは言っても、短期で済むのならば、そちらの方が何倍もいい。さっさと終わらせよう。」
ぐらりと体勢を崩され、体が傾いていく。だが、その身体が地面につくことはなかった。崩れかけたその身体を踏み込むようにして、足が支えたのだ。
予想していたのか那月はそれを驚くこともせずに観察する。
「……。」
「…意外ね。
「何?」
だが、放たれた言葉には驚愕を示した。彼女は先ほどの思考について、一切口を漏らしてはいない。そのことに驚愕したのもそうだが、何より、彼女の選択肢に驚かされたのだ。
(ヤツとしては、ここは短期決戦を狙うのが確実なはず…それを逆と言うことは、長期決戦の方がいいと思ったと言うことか?一体なぜ?)
彼女のその疑問は解かれることなく、彼女の目の前に黒い球が迫ってきた。
「っ!?」
黒球を首を横にそらすことで避ける。黒球はそのまま監獄結界の壁面に当たり、亀裂を作り出す。那月は、避けながら、今きた攻撃の解析を行う。
(今のが攻撃魔術。いや正確には呪詛の塊か。確か、
その言葉が一人の男の言葉を想起させる。
ーーーーーー
「アーチャー。」
「なんだ?」
「貴様は先ほど言っていたな。私たちの時代と貴様らの時代では魔術のレベルは大きく違う…と」
「ああ、確かにな。」
「それについて、貴様らの使っていた魔術を一つ挙げながら説明してほしい。情報は多ければ多いほどいいからな。」
「ふむ。」
少し考え込むようにして、顎に手を当てた後、また少しして手を離しながら、答える。
「例えば、ガンドという魔術がある。」
「ガンド?」
「ああ、そう珍しくもない。呪詛を含んだ魔術攻撃で、黒い弾となって相手を攻撃する。俺の時代では、普通ならば、その攻撃を受けた場合、呪詛によって腹が痛くなるなどの症状が発生するだけなのだが、これが上等な魔術師となると勝手が変わる。」
「ほう。どのようにだ?」
「コイツを上等な魔術師が放った場合、
そこで一拍置いて、那月の方を向き直すと、話の続きを言い始める。
「もしも、この世界でその魔術師が同じ魔術を使ったのならば、厚さが全く同じの鉄板すら貫いただろう。」
「っ!」
「いや、それ以上のものすら破壊が可能かも知れん。だが、とにかく、それだけの破壊を生むということだけ、念頭に置いて欲しい。」
ーーーーーー
改めて、壁面を見る。彼の言葉を参考にするならば、ただの呪詛魔術。それが壁に達した瞬間、自分の監獄結界の一部を確実に削り取っていた。監獄結界はその特性上、魔術などの異能に対して一際強く対抗できるように作られている。その監獄結界に対して、ただの呪詛魔術程度で亀裂を作り出すことができる、ということは…
(なるほど、油断ならんな。この女。)
改めて、目の前の敵が強敵だということを認識し、警戒を強め、視線を鋭くするのだった。
ーーーーーー
「◾️◾️◾️◾️◾️◾️!!!」
「おっと!!」
折れた腕を抑えながら、怪物の攻撃を避ける。そして、避けながら、現在の自分の状況を正確に把握する。
(腕の完全な治癒は…おそらく、この戦いの間中は無理だろうな。片腕のみじゃぁ、流石に僕の格闘能力をたかが知れてる。さて、どうしたものか…な!)
ダンと、地面を踏み込む。そのことに対して、ジャバウォックは不思議に思ったが、突進をやめず、突っ込んでくる。だが、怪物ジャバウォックは、その途中でバランスを崩したように足を止めた。
「っ!なにっ!?」
「ほぉ、並のサーヴァントなら、今のだけで転んで、二度と立ち上がらないものなんだけどね。バランスを崩すだけとは、いやはや…」
なまじ、膂力が強すぎる使い魔であるジャバウォックを前に出させて自分は後ろで待機しながら、戦闘に出ているため、状況の変化を察知しにくかったナーサリーライムは、驚く。だが、ジャバウォックが止めた足をわずかに前に進めたことにより、その状況を察知する。
(ほんの少し足を進めただけで、地面に亀裂が走ったわ!じゃあ、今ジャバウォックが動きを止めたのは…)
「重力操作系の宝具か、魔術!?」
「当たりだよ!そして、コイツを出させて…」
言葉を言いながら懐へと手を伸ばす。その手が何を意味するのか瞬時に理解したナーサリーライムは命令を出す。
「っ!?ジャバウォック、その手を止めて!!」
「残念。届かないよ!」
超重力下にも関わらず、まるで動きが衰えていないかのように動き続けるジャバウォック。だが、さきほどの一瞬の硬直が仇となり、ニュートンの懐に伸ばされた手は、即座に引き抜かれ、その手に持っているものを曝け出した。
瞬間、その手に持つものが輝き出す。
「っ!この光…あの手に持つものはまさか!」
「そうさ。もう一人のキャスター。その怪物、ジャバウォックくんが嫌いで嫌いで仕方ない
「◾️◾️◾️◾️◾️◾️!?」
光を浴びた瞬間、苦しそうに呻き出すジャバウォック。
その悲鳴を南宮那月は聞いていた。
ーーーーーー
「ヴォーパルの剣!キャスターから話は聞いていたが、まさか、もうその対処方法を出してくるとは!」
その事実を知り、那月は冷静に分析を始める。
(ジャバウォックは『ヴォーパルの剣』の前では、大きく弱体化すると言う。だが、なぜ、あの怪物がジャバウォックだと
すでに大きく情報として出回ってしまっているのは、ヘラクレスと衛宮士郎の両名のみ。それ以外のサーヴァントについては、絃神島の管理者側が箝口令を敷いたことと、聖域条約の観点から、知られてはいないはずだ。
なぜ、ここで聖域条約のことが出てくるかと言うと、あの条約は元々
だからこそ、サーヴァントの情報については確実な処置が行われたのだ。
(その上で知っていると言うことは、ヤツは、先刻の波朧院フェスタの戦いを
ヘラクレス と衛宮の前代未聞の激闘が放映されてしまったあのタイミングからして、通信環境を掌握していたモノがヘラクレスたちとなんらかの繋がりがあることは確実。となると、
「貴様らか…あの波朧院フェスタで通信環境を掌握し、全ての情報の統括などをやってのけたのは…」
「…さぁ?どうかしらね?」
答えるはずもなく、惚けられる。だが、そのことに対して追求したりもせずに真っ直ぐとその目を向ける。
「ふん。いいだろう。貴様らが一体何を狙ってこの聖杯戦争などと言うモノに参加しているのかはどのみち聞かなければならなかったことだ。先ほど言ったように、短期決戦で早々に終わらせてやろう。」
ーーーーーー
闇に囲まれた空間。そこには天井もなく、床もない。ただ、だだっ広い空間が自分を冷たく包み込んでいるだけだった。
その中に浸りながら、彼女は静かに時が経つのを待つ。そう。待つだけだ。騒いだりもせず、以前のように脱走を企てたりもせず、ただ待つだけ…
そんな彼女が不意にピクッと目線を上げる。
「こんな場所までわざわざご苦労なことだ。何の用だ?」
声を発すると共に、暗闇の中に渦が出来上がったような気がした。小さな渦はふよふよとクラゲのようにその女性に近づく。そして、顔が目と鼻の先ほどの距離になった時、そこから声が聞こえ始める。
『ふぅ、やっと見つけた。いやぁ、見つからなかった時はどうしようかと思ったよ。いや、ほんとに…さて、少し話をしようじゃないか?
仙都木阿夜』