十傑第二席の舎弟ですか?   作:実質勝ちは結局負け

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第十八話

 竜胆は足湯に浸かっている間、美月と共に葵の事を盛大に揶揄(からか)った。彼を揶揄うことは竜胆にとって、最早ライフワークと言えるかもしれない。

 少し大胆に太腿を露出させ、その状態のまま身体を密着させてみたり。

 故意に耳元に顔を近づけて、顔が赤いと吐息混じりに囁いてみたり。

 美月に至っては純白のフリルシャツのボタンを外して、わざとらしく胸元を強調させたりもしていた。

 

 そういった悪戯の全てに葵は律儀に反応を示す。くっ……殺せ、とか言ってた。

 黙っていれば人形の様に精緻な顔立ちなのに、少し揶揄うだけで感情の起伏がとても分かりやすくなる。

 出会った頃と比較して大人びた筈なのに、白い頬を紅潮させ黒い双眸を散大させる様子は随分子供っぽくてあどけないように思える。顔を真っ赤にして恥ずかしがるのだから、竜胆としては楽しくて仕方なかった。

 

 ここまでが数時間前までの出来事。

 もう完全に拗ねてしまった葵だが、旅館に戻り夕食を終えた後はすっかり機嫌が良くなった。

 美味しい料理を食べたからだろうか。

 ……チョロい。

 今現在、竜胆達は夜の山道を歩いている。食後の腹ごなしを兼ねた夜の散歩というやつだ。

 旅館の裏山にあるひっそりとした道塗(どうと)。星明かりが足元を照らし、低い靴音が響く。

 細道が途切れた先は、見晴らしの良い少し開けた空間。

 煌きを放つ全天はなんだかとても綺麗で、ただただ魅せられてしまう。

 

「……綺麗」

 

 銀砂(ぎんさ)のように散りばめられた星々に、自然と言葉が漏れる。

 降るような星空とはきっと、こういうものなんだと理解する。

 周囲に遮る物が何も無いからだろうか、手を伸ばすと星が掴めるような錯覚さえ覚える。

 竜胆は朱の()す巻き髪をふわりと揺らしながら後ろを振り返る。少し遅れて付いてきた葵の視線を、夜空へと促した。

 

「……本当に綺麗ですね。今日は良い事全然無かったですけど、この景色を見ただけで取り返せたような気がします」

「取り返せた?」

「先輩達が僕の事を散々揶揄(からか)ったから、今日は散々だったなって事です」

「ムシャクシャしてやった。後悔はしていない」

「今は反省して下さい」

 

 黒曜石のような漆黒の双眸に夜天の輝きを映しながら、葵は少し呟く様に言葉を返す。言葉とは裏腹にそれほど機嫌が悪くないことは、溜息混じりの声音から判断出来る。

 もう何回も繰り返している軽口の応酬に葵は困った様に微笑んで……そして、一瞬だけ表情が(かげ)る。

 

 ──黒く澄み切った瞳が月を映し出した刹那、葵が浮かべた悲しげで泣き出しそうな表情──

 

 何処か儚げなその姿に、一抹の不安と寒気のするような既視感が竜胆の胸を(よぎ)った。

 今迄にも何度か、葵がそんな表情を見せる時があった。それはいつも決まって、月がとても綺麗な夜。

 泡沫の様に一瞬だけ、悲痛の色が瞳に浮かぶ。どうしてそんな顔をするのかは分からないままだ。

 過去へと埋没しそうになる竜胆の意識は、葵の何かに驚いた様な声で現実へと引き戻された。

 

「竜胆先輩、美月さん……蛍って初めて見ました」

「……あたしも初めて見たかも」

「今の時期だと、多分ゲンジボタルね」

 

 竜胆と葵を先導するように前を歩いていた美月も加わり、三人の足が止まった。

 しんと静まり返った一面の緑と静謐な空気の中で、淡い光が尾を引いて緩やかに宙を舞っている。

 蛍が(あや)なす幻想的な妖光。

 それに魅入る葵の表情は本当に無垢で無邪気で、月を見つめる悲哀の瞳が嘘のように思えた。

 

「……葵?」

「何ですか?」

「あ、えっと……蛍綺麗だなーって」

「ですよね! めっちゃ綺麗です」

 

 痛ましげに月を見つめた理由を聞こうとして……だけど聞かなかった。葵が笑っているなら、それでいいと思ったから。

 誰にだって話したくない事はある。

 言葉を濁して、心を隠す。

 それは悪い事なんかじゃなくて、(むし)ろその秘密を暴く事こそが悪なのだ。

 無理に聞き出す事は、しなくていい。するべきじゃない。

 本当に大切な事は……。

 

 ──支える事。

 

 いつか心を開いてくれた時に悩みを打ち明けてくれた時に、力になって支えになる事。

 大体悲しい顔なんて葵には似合わない。

 あの子は揶揄われて、頬を紅く染めて恥ずかしがっているくらいが丁度いいと思うから。

 

 ☆☆☆

 

 竜胆が美月から聞いた話によれば、山道から少し外れた場所に川があるらしい。そこにならもっと蛍がいると美月が口にすると、葵は軽い足取りで山道から水辺へと駆けていった。

 少し遅れて葵に付いて行こうとする竜胆の足を、美月の声が引き留めた。

 

「竜胆さん、ちょっといいかしら?」

「んー? どうした美月ー?」

「……いやちょっと冷静になってみたら、葵くんと竜胆さんが同室って悪ノリし過ぎたと思ったの」

「あー、問題無いと思うけどなー」

 

 それは葵に話した理由とは、全く別のものだ。いつもと殆ど変わらないとか、そういうことではない。

 白い喉を震わせて、浅く息を吐く。

 優しく目を細めて、言葉を紡いだ。

 

 

「あの子は本当に優しいから……他人を傷付けるようなことは出来ないと思うなあ」

 

 

 口を()いて出た言葉は、心の奥にストンと落ちていった。

 竜胆の視線の先で、美月は驚いたような表情をしてそれから少し微笑んだ。

 夜風に揺れる黒い絹糸のような髪を片手で抑えて、優しげに笑っている。

 

「葵くんの事、信頼してるのね」

「……そういうのじゃねーし」

「どうかしら? 竜胆さんは葵くんと一緒にいる時が一番楽しくて嬉しいって顔をしてるわ」

「それは……」

 

 言い淀んでしまった。

 確かにそうかもしれない。少なくとも否定は出来なかった。竜胆が葵の傍にいるのは楽しいからだし、あの子と一緒にいると面白いからだ。

 だけど美月の言葉を肯定するのは、何故だか分からないけれどとても恥ずかしくて照れ臭かった。

 吐息にも似た声で、否定の言葉を口にする。

 

「そういうのじゃないけど……あの子は放っておけないなあ」

 

 信頼なんてしていないと思う。あの子はまだ頼りないから。

 それに生意気だしふざけてばっかりだし、素直じゃない時の方が多くて本当に可愛げがない。

 でも誰かを思い遣る優しさがあって、子供っぽいけれど繊細だ。

 何処か危うくて寂しげで儚いから、放っておくことが出来ない。

 

 竜胆がそんな誰にも話した事が無いような心情を吐露すると、美月は本当に驚いたような顔をした。

 

「竜胆さん、それって……」

 

 美月の言葉はそこまでしか聞き取れなかった。

 どこか間の抜けたような声と、豪快な水音が言葉を掻き消したからだ。

 

 

「うわっ、やばっ! あっ冷たいっ、めっちゃ冷たいっ!」

 

 

 とても聴き慣れた声。

 竜胆は一瞬で理解した。

 見に行かなくても分かる。

 葵が川に落ちたんだろう。

 

 一筋の錦繍(きんしゅう)のような煌めく川。

 幾そもの光の尾や無数の星明かりが、水面(みなも)に映し出される様は息を飲むほど幻想的だった。

 ……葵が川に落ちたりしなければ。

 竜胆と美月の視線の先で、男の子にしては線の細い身体をガタガタと震わせ、整った顔を真っ青にしながら寒がっている。

 可哀想というよりも、ちょっと面白かった。

 

「うわあ、葵めっちゃ寒そう」

「さ、寒いです……」

「水も(したた)るいい男っ!」

「や、やかましいわ!」

「葵くん……何もこんな時までツッコミをしなくてもいいと思うの」

 

 葵は震えながらも、しっかりと竜胆のボケに対応した。流石だ、あまり見習いたくは無いけれど。

 おぼつかない足取りで、葵は陸へと上がる。衣服からは雫が垂れて、その姿を見るだけで体温が下がりそうだ。

 

「これは本当にヤバいです。まるで冷え切った熟年夫婦の、会話が一切無い食事風景のような寒さです」

「……その例えはどうなのかしら」

「分かりにくい例えだなー」

 

 そんな事を話しながら、山道へと引き返す。竜胆にとって蒼い氷のような冷たく心地良い夜風は、彼にとっては体温を奪う(おぞ)ましいものなのだろう。

 星明かりに照らされた開けた空間まで辿り着くと、美月が何か妙案を思い付いたように柏手を打つ。

 

「そういえばこの山道の先は、露天風呂になっているの。そこで身体を温めたらどうかしら?」

 

 ☆☆☆

 

 美月はまだ少し仕事が残っているらしく、露天風呂へと向かったのは竜胆と葵の二人だけだ。

 赤い暖簾(のれん)には女の文字、青い暖簾には男の文字が書かれていて、葵とはそこで別れた。

 (ひのき)だろうか。心地良い香りには包まれた更衣室。高級旅館が所有するだけあって、何でも揃っていた。

 至れり尽くせりだ。

 触り心地の良いバスタオル。とても大きな姿見。内装も凄く綺麗だ。

 衣服を脱いで、質の良い籠へと形を整えてから入れる。

 すると白くしなやかな肢体を、朱の()す巻き髪が撫でた。ちょっと(くすぐ)ったい。

 流石に裸体のままだと肌寒く、純白のバスタオルを身体に纏った。そして鏡の前に立つ。

 いつも持ち歩いているポーチから、ヘアゴムとコームそれからアメピンを取り出した。

 手櫛で髪を纏め、旋毛(つむじ)辺りで縛る。ヘアゴムでしっかりと固定した。

 コームでポニーテールを逆立てて、根元にくるりくるりと巻き付ける。毛先を内側に入れ込んで何本かのアメピンで留める。

 俗に言うお団子ヘアの完成だ。

 竜胆は均整のとれた肢体にバスタオル一枚を巻き付け、髪を纏め更衣室を後にした。

 

 周りに何の人工物の無い、自然風景。星明かりの下、温泉の湯けむりが立ち込める景色はなんだかとても綺麗だ。

 薬湯だろうか。何処か荘厳な岩があしらわれた湯は白く濁っている。

 出来るだけ音を立てないよう、湯の中に肢体を沈めた。じんわりとした暖かさに、夜の冷気が溶けていく。

 湯に浸かっていない肩なんかも、もうもうと立ち込める湯気のお陰か寒くはない。

 そんな湯気の奥に、見覚えのある線の細い背中があった。

 

 ──ふふふ、悪戯してやろう。

 

 ゆっくりと静かに、その背中に近付いていく。

 彼我の距離が充分に縮まった所で、華奢な体躯にぎゅっと抱きついた。

 そのまま両手で目を塞いで、一言。

 

「だーれだっ!」

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