秋の選抜本戦が間近に迫っている。ていうか明日だった。
随分久しぶりというか、予選から本戦までの期間が約一年くらいあるような気がしないでもないのだが、もちろん気のせいだ。いや、ほんとに。まじで。
遠月学園で行われる秋の選抜予選から本戦へと駒を進めることが出来るのは、六十名の出場者の中からわずか八名。学外からも多くのゲストが訪れ盛大な盛り上がりをみせる祭典。
選抜の開催期間、遠月学園では講義などはなくなる。なので課題などがない生徒たちは、心置きなく選抜を観戦することが出来る。
観戦する側からすれば様々な趣向を凝らした一品が見れるまさに祭りなのだが、出場者や祭典を取り仕切る十傑などは何かと忙しい。その準備に追われ多忙を極めるのだ。
選抜本戦一回戦前日、斬島葵は遠月学園の施設の一つに設置された秋の選抜運営本部を訪れていた。非常に重たい足取りで隣を歩くのは小林竜胆。葵からすれば、親の顔より見た光景である。
「竜胆先輩、選抜って十傑が仕切ってるんですよね。仕事はいいんですか?」
「仕方ねーじゃんかよ、起きれなかったんだから……全く誰だよ、目覚まし切った奴」
「竜胆先輩ですよ」
「ドラクエクリアするまで眠れません! やろうぜとか言い出した奴誰だよ」
「竜胆先輩ですよ」
「てかゲーム機使ったら、元に戻せよ。誰だよ使った奴」
「竜胆先輩ですよ」
普段となんら変わらない軽口を言い合いながら、葵と竜胆は運営本部に続く道を進んでいく。道の両側には管理の行き届いた緑が整列している。柔らかな午後の光が、路面に網目の影を落とす。
絢爛豪華といった印象を与える運営本部の入り口まで辿り着くと、そこには黒いスーツにサングラスを掛けた一人の男性が立っていた。
「斬島選手ですね? どうぞこちらへ……」
☆☆☆
葵と竜胆が通された部屋は広々としていて天井が高く、どこか荘厳で圧倒されるような雰囲気があった。敷かれたカーペットは厚く柔らかく、その他椅子や机、照明に至るまで質の良いものが使われていることが分かる。
葵が視線を感じそちらを見やると、そこには細身の男がどこか疲れ果てた姿で立っていた。
「初めまして、斬島。俺は三年の司瑛士だ」
「一年の斬島です。司先輩でいいですか?」
「ばっか、お前。いいわけねーだろ、十傑第一席だぞ、司の事は敬意と親しみを込めて†食卓の白騎士†さんとお呼びして差し上げろ」
「はじめまして†食卓の白騎士†先輩」
「……はぁ。竜胆、紹介するなら普通に頼む、斬島も乗っからないでくれよ」
十傑第一席、司瑛士。すらりとした体躯に色の白い肌。色素の薄い髪は疲れからだろうか、少し光沢を失っているようにも見えた。端正な容姿をしているのだか、物腰柔らかな当人の態度からか角の取れた印象を受ける。
「すみません、冗談です。一応先輩に敬意を払うくらいの礼儀は持ち合わせてます」
「ハイル†白騎士†」
「それは敬礼ですよ、竜胆先輩」
司イジリ、とでも言い表そうか。口を開くと、竜胆は司に茶々を入れていく。その一つ一つを苦笑いしながら返す司を見て、葵はとてつもない親近感を感じていた。
「というか竜胆、今日の集合時間は事前に会議で伝えておいたじゃないか。なんでこんなに遅くなったんだ?」
「聞いてくれ、司。これにはとっても深い訳があってだな。話は昨日に遡るんだ。昨日の夜あたしは……いや話が長くなるから要点をまとめるとな」
「要点をまとめると?」
「ごめん、寝坊した」
実にシンプル。めっちゃ簡潔だった。
「……竜胆、遅れるならせめて連絡をしてくれ。仕事の基本はホウレンソウいうじゃないか」
「あ、それなら知ってるぞ。放置、連休、早退だろ」
「……」
りんどうの 無自覚なこうげき!
きゅうしょに あたった!
こうかは ばつぐんだ!
白騎士の心に100のダメージ。
なお、残りhp 2/102の模様。\(・ω・\)SAN値!(/・ω・)/ピンチ!
竜胆のある意味完璧な返答を受け、司は呆気に取られ二の句が継げないようだった。瞳から光がなくなり身体の動作が止まるその様は、茫然として虚脱。この光景を見た誰もがこう思う事だろう。
──やめたげてよお!
そんな中、室内に無機質な携帯電話の音が響く。
葵が自分のスマートフォンが着信してないことを確認し、その後司に視線を送る。司が小さく首を横に振ったところを見ると、どうやら着信は竜胆のようだ。
竜胆はたっぷり七回コールを鳴らせてから、はぁとため息を吐きあきらめたように電話に応じる。
いや、どんだけ嫌なんだよ。
「もしもし、なんの要件だよインテリヤクザ……え、仕事? あ、なんか急に電波悪くなったなー」
「竜胆、今の叡山からだろう?」
「おう。なんか、めっちゃきれてた」
「……叡山、確か選抜の発表の時に、やたらと怖い発破をかけてた人ですよね」
「金髪をオールバックにしてメガネをかけてたら、まず間違いなくそいつが叡山だぜ」
竜胆の話では、件の人物は叡山枝津也というらしい。遠月十傑第九席だそうだ。
「十傑にはヤクザまでいるんですね」
「いや斬島、叡山は本当にヤクザというわけではないよ」
「……裏の世界から足を洗ったという事?」
「斬島……彼は堅気だよ」
もちろん知ってた。冗談である。葵だって、たまにはボケたいのだ。
「ていうかその人も十傑なんだったら、竜胆先輩がここにいることばれませんか?」
「よく考えたら、そーだな」
「見つかってから無理やり仕事させられるよりは、まだ自分からやったほうがいいと思いますけど」
「はぁ、めんどくせーけど、いってくるかー」
誰かに何かをさせる時に、強制的にやらせてもそれは長続きしない事の方が多いのだ。
例えば夏休みの男子中学生に、宿題をやりなさいとお母さんが言ったとしよう。しかし男子中学生は、今からやろうと思ってたのにお母さんが言うから逆にやる気が無くなったとなるのは必然である。ていうか、お母さんノックしてよ! と逆ギレするまである。
心配しなくても八月三十一日になれば、そろそろヤバイんじゃね? となってやるのだ。
要するに、今やらないとマズイという危機感を煽ればいいのである。
渋々といった様子で部屋を出て行く竜胆を見ながら、葵は心の中で呟く。
──くくく……計画通り。
☆☆☆
「まずは本戦のルールについて、説明しようか。分かっているかも知れないが、確認だと思って聞いてくれ」
「了解です、司先輩」
竜胆が部屋を後にすると、司から今日の本題である選抜一回戦の説明が驚くほどスムーズに行われた。
本戦の会場となるのは、秋の選抜開会式が行われた月天の間。一般的な食材や調理器具、設備は会場に完備されている。出場者が用いる包丁など、自前の道具などは持ち込み自由だそうだ。
対戦カードについては出場者八名を抽選で決定し、対戦カード毎に別々のお題をランダムで決定するらしい。
「ここまでは事前に通達されていると思う。今日斬島に来てもらったのは、対戦カードと対決テーマを伝えるためだ。まず対決テーマは……オードブル」
「オードブルですか」
Hors-d'œuvre。フランス発祥であるこの言葉だが、何もフランス料理だけで用いられるものではない。コース料理の一番最初に出される品、という解釈が一般的だろう。
しかしカクテルや白ワインなどの食前酒や、居酒屋で提供されるお通しなども広い意味ではオードブルと呼ばれるのだ。
「何か質問はあるかな?」
「いや、オードブルと一言でいっても意味が広いですから」
「まぁ、テーマをどう捉えるかは自由だよ。そして斬島、君の対戦者だが……──だ」
「そうですか」
「意外だな、もう少し何かリアクションがあると思っていたんだが」
葵の視線の先。司は対戦者の名前を告げた後の、葵の反応が自らの予想していた反応と違っていたらしい。
だけど、対戦者なんてそんなに重要ではないと思うのだ。
「どの道、三回勝たないと優勝できないんですから……別に相手は誰だっていいですよ」