十傑第二席の舎弟ですか?   作:実質勝ちは結局負け

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第三十話

 もう何年も昔の話。

 

「昴ちゃま」

 

 自らを呼ぶ優しげな声に、美作昴は振り返る。視線の先には美作と同じ純白のコック服を身に纏う、自分よりも何歳も年上の料理人が調理場を訪れていた。

 ここは美作の父親が営んでいる高級レストランの調理場で、年上の料理人は勤めている従業員だ。

 

「昴ちゃまは熱心ですね……12歳でもう完全にお父様のレシピが再現できる」

「そんな事はないよ、まだまだ努力しないと」

 

 そう言って美作は、調理台へと視線を落とした。包丁を手にとって、秋刀魚の首の付け根に刃を入れる。そのまま尻尾近くまで内蔵を切り落とした。

 

 自分はまだまた努力しなければいけない。父親に認めて貰うために。

 今月の終わりにはレストランのお得意様達を招待した品評会があって、美作はそこでとっておきの品を披露するつもりだった。

 

 ──ただ、認めて欲しくて。

 

 だから……あんな事になるなんて、その時は思いもしなかったんだ。

 

 ☆☆☆

 

 数えるのも馬鹿らしい程の観客を収容した会場の大空間を、数多の光源が照らす。

 取り揃えられた調理器具や向かい合うように対峙する調理台。巨大な液晶モニターが取り付けられ、選手の様子を実況出来るように遠月の生徒がマイクを片手にいそいそと設営を進めているのが見えた。

 モニターのすぐ側には審査員席が並んでいて、しかし審査員はまだ会場に訪れていない。

 調理台や審査員席、モニターを取り囲むように円形の階段状に観客席が広がる。

 肩の長さで切り揃えられた、柔らかな薄紅色の髪。薄いシャツにスカート。遠月の制服を纏った新戸緋紗子は、観客席に脚を踏み入れた瞬間に周囲から好奇の視線に晒される。

 声を潜めひそひそと話される内容は恐らく、あと数十分後には行われる斬島葵と美作昴による食戟についてだろう。

 この食戟で葵は自らの包丁を賭けて、緋紗子の包丁を取り戻そうとしている事はここ数日で大々的に報道され殆どの生徒にとって周知の事実となっている。

 

 ──ねぇ、あの人ってもしかして……。

 

 ──この対決ってさ、新戸さんが……。

 

 断片的に聞こえる探るような声。不躾な視線。居心地の悪い陰鬱な雰囲気をむざむざと感じてしまって、緋紗子は会場を後にした。

 

 

 数分後。

 緋紗子は会場を出てエントランスを通り、簡素な休憩所を訪れていた。背もたれのない簡素なベンチの向かい側に自動販売機があるだけの場所。

 試合の開始時間まで此処で時間を潰していようとベンチに腰を掛けた所で、やたら深いため息と共に力のない足音が近付いてくる。

 

「はぁ。会場の設営はとりあえず完了か、やっと一息つける……新戸か?」

「お、お疲れ様です司先輩」

「ありがとう。でもどうした? 新戸、こんな所で」

 

 緋紗子の視線の先には、十傑第一席、司瑛士。すらりとした体躯に色の白い肌。瑛士に疲労が見えるのは会場設営の為か。色素の薄い髪は疲れから、少し光沢を失っているようにも見える。端正な容姿は怜悧な雰囲気を思わせるが、しかし当人の物腰柔らかな態度からは角の取れた印象を受ける。

 

「実はその……会場にはちょっと居づらくて」

「確か次の試合は斬島と美作……なるほどそういう事か」

 

 瑛士の問いかけに、緋紗子は言い淀む。

 予選では優勝候補筆頭である葉山アキラと同じ点数を叩き出した斬島葵と、相手の料理を完全にトレースし更にアレンジを加える事で勝つ美作昴。

 両者の対決はそれだけでも注目が集まるが、その上奪われた新戸緋紗子の包丁を巡って食戟が行われるのだ。それだけに遠月の学生の関心は高く、彼等の間では噂が飛び交いその関心の目が緋紗子を会場から遠ざけた。

 得心がいった様子の瑛士は柔らかく微笑み、緋紗子にこう告げてきた。

 

「良かったら一緒に来るか? 静かに試合を見るにはとっておきの場所があるんだ」

 

 ☆☆☆

 

 瑛士に連れられて緋紗子がやって来たのは、月天の間におけるプライムルーム。要するに貴賓席だった。

 深紅に染まった絨毯は、踏み入れる者の足音を吸収することで高級感を伝えてくる。開放感を与える高い天井から吊り上げられたアンティークの照明が、淡青色の光で室内を包む。

 一面が硝子張りの壁からは、調理場の様子が観客席よりもはっきりと確認する事が出来る。取り付けられたモニターからは、調理場の音や解説の声を聞く事が出来るのだろう。

 

「司先輩、ありがとうございます。その、貴賓席に連れてきて頂いて」

「いや、構わないよ……それに聞きたい事もあったからね」

「聞きたい事、ですか?」

「彼、斬島葵についてだよ」

 

 横目で見る瑛士の視線の先。硝子で作られた透明な壁の向こう側では、二人の選手が月天の間に登場した。

 黒い調理服に身を包んだ美作昴と、藍色の着流しを身に纏った斬島葵。

 瑛士の切れ長の瞳には色が無く冷えた氷の様で少し恐ろしさがあって、緋紗子は少し戸惑ってしまう。

 

「葵について、ですか?」

「ああ。新戸から見た斬島の……料理人としての評価について」

「料理人、として」

 

 そう問われて緋紗子は考えを巡らせてみる。斬島葵について。

 飄々とした人。

 水のように掴みどころのない人。

 普段は良く笑って冗談ばかり言って、緋紗子を困らせる人。

 色々な事が分かるのに、ある事については酷く察しの悪い人。

 一緒にいると歩く歩幅を合わせてくれる、優しい人。

 だけど時々びっくりするくらい真剣な顔をすることがあって、そういう姿を見るたびに緋紗子の胸は締め付けられて息が出来なくなってしまう。

 でも瑛士が問うているのは緋紗子が胸に秘めている感情の話ではなくて、料理人としての部分だ。

 

「同世代の中でも葵の調理技術は三本の指には入ると思います」

「確かに技術は飛びぬけているだろうね。予選の品も本戦一回戦の品も斬島が作る品は、彼自身が持つ高等技術を一つの皿に表したようなものだ」

「はい。私には思い付かない様な独創的な発想と神業じみた調理技術を持っています」

 

 そこまで言って、一旦言葉を区切った。次の言葉を待っているのだろう、緋紗子の視線の先で瑛士が振り返ってくる。

 浅く息を吸った。

 

 

「私は料理人として……彼の様になりたいです」

 

 

 言い切る。これが新戸緋紗子の、斬島葵に対しての評価だ。

 誰しもが一流の料理人を目指すこの遠月学園で、同世代の男の子を目標にしているのは自分くらいのものだろう。

 だけど葵の存在は緋紗子にとってそれほどまでに大きい。

 あの月の綺麗な夜に、緋紗子を信じると言ってくれた言葉が忘れられない。

 だから緋紗子は、葵のようになりたい。

 葵と肩を並べる事の出来る料理人になりたい。

 葵が困っているときに手を差し伸べてあげられるような存在でいたい。

 そこまで言ってから、惑いと驚きの境界線のような表情で此方を見つめる瑛士の表情が目に入った。

 

「……あ、えっと何というか」

「つ司先輩、い今の事は誰にも言わないで貰えると、その、助かります……」

「……約束しよう」

「助かります」

 

 迂闊。

 自分の言ったことに噓偽りは無い。ないのだが冷静になってみれば、緋紗子は割ととんでもない事を口走っていた。

 所在ないといった様子で頬をかく瑛士。解釈の次第によっては、緋紗子が葵に対して恋愛感情を持っているという意味にも取れる。いや、その解釈は間違っていないのだが。

 

「司先輩は葵と面識が?」

「ああ。俺が初めて斬島と話したのは、本戦一回戦の前日。対決テーマと対戦相手を伝えた時で、随分と傲慢な奴だと思ったな」

「傲慢、ですか」

「斬島曰く、どのみち三回勝たないと優勝出来ないなら、対戦相手は誰でもいいそうだ。そんな台詞、自分が負ける事なんて微塵も思ってない傲慢な奴しか言えないだろ?」

 

 思い出すような瑛士の声音には旧懐の色が感じられた。

 傲慢。

 彼の事を形容する言葉に、違和感を覚える。

 彼が負ける事を考えないのは、きっとそれだけの時間を費やしてきたから。たゆまぬ研鑽によって裏打ちされたものだからだろう。

 

 ──だから……勝つよ。緋沙子ちゃんがこれからも、料理を続けられる様に、大切なものを取り戻してくるから。

 

 青い鈴のような、静かで穏やかな声。

 だけど緋紗子の感情を、酷く揺さぶる言葉。

 傲慢なんて思うはずがない。

 すごく頼もしくて……かっこいい。

 

 ……迂闊。

 

 緋紗子は自らの口がまたとんでも無いことを言い出す前に思考を打ち切った。

 

「いよいよですね」

「ああ、始まる」

 

 ☆☆☆

 

 遠月リゾート総料理長。代表取締役会役員。遠月の全てを取り仕切る、遠月が掲げる看板の一つを任された料理人。 

 精悍な顔立ちに強い意志を秘めた眼光。鍛え上げた肉体をフォーマルなスーツに包み、堂島銀はマイクを握った。

 

「秋の選抜準決勝……審査員は我々五名が務めさせていただく」

 

 八十期第二席、乾日向子──日本料理店、霧のや。

 七十九期第二席、水原冬美──イタリヤ料理店、リストランテ・エフ。

 八十八期第二席、角崎タキ──スペイン料理店、タキ・アマリージョ。

 八十九期第二席、木久知園果──洋食専門店、春果亭。

 各人が日本の料理界を牽引する者たち。銀を含めた五人の登場に、会場のボルテージはさらに一段階上へと達したように思える。

 騒めきや熱気といった様々なものがうねりのような波となって、会場を支配する。

 

 ──第一試合。斬島葵VS美作昴、調理開始ッ!

 

 実況を務める女生徒の合図で、開戦の火蓋が切られた。

 第一試合。お題は、洋食のメインの一品。求められる味付けは、一口目で美味いと感じさせる印象的で強烈な味。葵と美作、銀の視線の先で両者が対峙する。

 楊柳の風に吹かるるが如く、斬島葵は周りの事など気にも留めていないように見える。さらさらとした絹糸のような髪から垣間見える、底冷えする黒曜石の瞳。かつての宿泊研修で才能の片鱗を見せた葵がこの大舞台へと上がってきた事に、何処か懐かしさを感じてしまう。

 禍々しい雰囲気を放ちながら粘着質な瞳で葵を捉える巨漢は美作昴だ。彼について銀が知り得る情報は少ない。彼の料理は対戦相手を徹底的に調べ上げ料理をトレースし、それを超える為だけのアレンジを施すという事くらいだろうか。

 確実に言えるのは、どちらも類まれな才能を持ち合わせた料理人であるという事。

 

「斬島ァ。お前がこの一週間で何を買ったか、誰と会ったか、どんな事を試したのか……俺はぜぇーんぶ知ってる」

「へぇ、じゃあ使う食材も分かってるんだね」

「勿論。俺たちが扱うメイン食材は……」

 

 そう言って両者は、断熱材が張り巡らされた保温箱から食材を取り出した。

 

 ──全く同じ食材の全く同じ部位を。

 

 鰐のヒレ肉。一頭からほんの僅かしかとる事の出来ない希少部位。きめが細かく柔らか、脂肪分も少なく上品で淡白な味わいが特徴である。

 

「鰐肉とタプナードのロースト、俺とお前が作る料理の名前だ」

「黒オリーブやアンチョビ、オリーブオイルまで一緒となると、本当に作る料理が分かるみたいだね」

「その通り! こっからお前を追い抜くためのアレンジを何個も用意してあるぜェ!」

 

 美作の宣言通り、二人の調理台の上にある食材はほとんどが同じものだった。いくつか違うのは美作が、葵を追い抜くためのアレンジの差なのだろう。

 不気味に嗤う美作から伝わる不定形の悪意。薄気味の悪い戦慄はすぐさま会場中に伝播して、負の感情を伴った騒めきが生まれる。観客の脳裏には先日、新戸緋紗子が無残にも自らの包丁を奪われた光景が想起されている事だろう。

 

 

 ──絶望に包まれる会場で、斬島葵は静かに微笑を浮かべている。

 

 

 明らかに不利なこの状況で、しかし葵は笑みを崩さない。美作昴の明確な悪意に満ち満ちた怖さとは一線を画す、深淵を覗き込んだような底知れない何か。

 儚げな雰囲気の奥底に見え隠れする、得体の知れない何かを銀は感じとった。

 もう既に美作はヒレ肉の下処理に取り掛かっていて、その工程には一切の無駄がない。

 ねぇ……美作君、と青い鈴のような声がする。

 

「アレンジされるのは、困るなぁ」

 

 ゆらり。

 白磁のような細い腕がオリーブオイルを掴んだ。蓋を開けて鍋の中にどぼどぼと注いでいく。

 それを見た美作は驚愕の色を浮かべで瞠目した。

 無理もない。

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「だから……違うのを作るよ」

 

 つまるところ、斬島葵はこう言っているのだろう。

 美作昴と同じ食材で、美作昴と違う品を作ると。

 

 


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