【恋姫†無双】黒龍の剣   作:ふろうもの

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鬼のまどろみ

 男はふと、今気付いたかのように辺りを見渡した。一面に広がるは緑、緑、緑。

 新緑の薫る、いい塩梅の森であった。

 けれども留まるということを男はしないらしい。さっさと歩き始めていた。

 軍靴が、草の根を折る。

 男は仏蘭西(フランス)式士官の洋装。

 髪をオールバックにまとめた、目元の涼しい男である。

 一見では優男。しかし周囲の気配を探る様に歩く姿は、歴戦の戦士を思わせる。

 その耳に、水の音が聞こえてきた。

 川の流れる音に、水が跳ねる音も聞こえてくる。

 

(誰か、居る)

 

 そう確信した男は、腰に手を伸ばしたが空を切った。

 あるべきものがあるべき場所になかった、そのことが男を落胆させた。

 仕方ない、せめて音の正体を一目、と男は音を立てぬよう近づいていく。

 警戒を厳に、辺りに敵の気配がないことを伺いながら、そっと覗き込んだ。

 音を出す正体を見て、男は声を失った。

 川で娘――あるいは女が水浴びをしている。

 何故こんなところで。自然、声が出た。

 

「失礼」

「きゃっ」

 

 女は突然声をかけられたことに驚いたか、艶めいた声を出した。

 手では隠し切れない豊満な乳房が、形を変えるほどに抱きしめられている。

 紫色の長い髪から水が一滴、垂れていった。

 並みの男なら見惚れる色気、それをわからぬという体な不愛想な顔で男は聞いた。

 

「これは御免。しかし何故このようなところで水浴びなどをされておる」

 

 男の問いに、女は疑問符を浮かべた。男は、構わず続けた。

 

「この辺りは最早戦地。貴女の様な方が居られるべき場所ではない。急ぎ、近くまで送りましょう」

 

 もちろん郷里の近くまで、である。男は故あって遠くまで行くことはできない。

 真剣な申し出である、だが、女は突然噴き出した。

 

「戦争なんて……この辺りにはありませんよ?」

「そうかね?」

 

 男は改めて辺りを見渡し、得心言ったように頷いた。

 

「そのようだ」

 

 男ははじめて破顔した(わらった)。透き通るような綺麗な笑みである。

 女は、この男がただの破廉恥な男とは思えなかった。

 

「一つ、よろしいですか?」

「その前に服を着なさい。私のことならばその後でいい」

 

 男は、女に羽織(コート)を投げてよこした。

 有無を言わさぬといわんばかりに、くるりと後ろを向いてしまっている。

 女は今更自身の格好を再確認したか、顔を真っ赤に染めてしまった。

 

 

 女が身体から水を拭き、服に袖を通すまでの十分な時間。

 男はずっとそっぽを向いていただけだった。

 女が身支度を整え「いいですよ」と声をかけられるまで、ずっと向いていた。

 

「よろしいですか?」

 

 男は、ようやく女と向き合った。目が合う。

 女は気恥ずかしそうに、すぐに目を逸らした。

 

「これは、先ほどのことは御免」

「いえ、貴方にそのような気持ちがなかったことはわかりますから」

「そうですか」

 

 男はすぐに、むっつりとした顔になる。

 

「ところでここは――」

 

 男は言い掛けて、口を噤んだ。

 女はそんな男に不審な目を向ける。

 

「――いえ、ここは私にとっては夢の様なもの。話すだけ無粋でしょう」

「どういうことかしら?」

「貴女に気が触れられている、と思われたくない」

 

 男は顔色も変えずにそう言った。

 

「それと意地です。夢で見知らぬ女を見た、とあっては仲間たちに示しがつきません」

 

 男は、また笑った。女はそんな男が狂おしいほど気になっていた。

 顔もある、見た目もある、が何よりこの不思議な雰囲気が心を掴んで離さない。

 

「その、私のことは――いえ、紫苑(しおん)、とお呼びください」

 

 女――紫苑はそう言った。

 

「これは失礼した。私は――内藤、内藤隼人、と申します」

 

 男――隼人はそう返した。

 

「間が、ありましたね?」

「貴女も何か考えたでしょう? お返しですよ」

 

 二人は静かに笑い合った。どうやら、意気投合したらしい。

 

 

 しばし、木陰に座って歓談する。大いに語らい大いに笑った。

 けれども、相手が誰でどこの誰なのかだけは、お互いに尋ねなかった。

 暗黙の了解であると、二人の間に形成された空気であった。

 

「貴女は良い人だ」

「隼人様こそ」

「だからこそ、惜しむべきではないな」

 

 隼人は立ち上がった。二重瞼のぎょろりとした目が、どこかを向いている。

 

「そろそろ、行かねばならない。そんな気がするのです」

 

 紫苑も立ち上がった。胸の内に想いを乗せて。

 

「お待ちください、隼人様」

「なにかね?」

 

 眠そうな目で、隼人は紫苑を見た。

 

「お願いがあります」

「聞こう」

「その……抱いて、くださいませんか?」

 

 これには隼人、目を見開いて仰天する。

 紫苑は自分の言ったことの重さを忘れ、隼人を驚かせたということに優越感を覚えていた。

 

「聞くと言ったからには、聞こう。二言はない。しかし――」

「私が、処女(むすめ)だから、ですか?」

「うむ。初めて会って間もない男に、そう気を許すのか?」

「誰にでも許すわけありません。隼人様だからこそ、許すのです」

 

 顔を赤らめて恥じらう紫苑。だが隼人は躊躇する。

 ここで通じれば何かしらの累が紫苑に及ぶかもしれない。

 けれども紫苑の瞳に、隼人は覚悟を見た。

 

「はしたない女と、お思いですか?」

 

 それを見た以上、一介の男子として女子(おなご)を必要以上に辱めるべきではない。

 

「わかった」

 

 短くそう返し、隼人は紫苑の服を脱がしにかかった。

 二人の交接を見る者は、この森には誰も居ない。

 

 

 やがて、紫苑の中で隼人は果てた。

 二人はそうした終わりのしきたり通りに、服を整える。

 

「お優しい方なのですね」

「そうかね」

 

 隼人は、そっけない。

 けれども一度身体を重ねれば気持ちも通じるのか、この男なりに照れているのだと紫苑は察した。

 

「では、これにて」

 

 隼人は去ろうとする。紫苑は呼び止めようとして、やめた。

 きっとこの男は止められない、どころか自身でも止まることが出来ないのだと感じた。

 紫苑の逡巡を感じ取ったか、隼人は紫苑の方を向いた。

 

「羽織は、預けておきます」

「えっ」

「また、取りに来ます」

 

 それだけ言うと、隼人は森の奥へと姿を消した。

 紫苑は隼人が見えなくなるまでその後ろ姿を見続けて、羽織を抱きしめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……む」

 

 まどろみから、隼人が覚める。

 どうやら隼人は座ったまま寝ていたらしい。

 懐から舶来の品である懐中時計を取り出した。

 大きな掌の上で、正確に時を刻む時計を眺める。

 時間は、そう経っていない。あれは夢だったのだと隼人は解釈した。

 

「副長!」

「どうした」

「弁天台場が包囲されたとの知らせが!」

「そうか」

 

 若い隊士の知らせに隼人は時が来たのだと、一人悟った。

 懐に時計をしまう。

 室内に据え付けられた洋服箪笥(クローゼット)から新しい羽織を取り出し、羽織る。

 

「私は、打って出る」

「し、しかし、敵はあまりに大勢! 我々の戦力では!」

「それが、どうした」

 

 腰に差料である和泉守兼定と堀川国広を帯びる。

 ついでにと、ニコールから貰った拳銃を懐に収める。

 

坂本(アイツ)も、同じようなのを持っていたな)

 

 旧友の顔を思い出し、感傷だと隼人は切り捨てた。

 快男児であり時代の申し子と思えた坂本龍馬でさえ、京都見廻り組に暗殺され時勢の波に消えていった。

 ならば、一人時勢に取り残された私だけが生き残るわけがない、と隼人は思っている。

 使うことはないだろうが、家伝の石田散薬や双眼鏡やら雑多なものをズタ袋に収めておく。

 あまり持ち回りの品は多くない。転戦に次ぐ転戦だったのもあるが、元来質素なのだ。

 

「最早我らに味方なし。籠っていてもいずれここは落ちる」

「でしたら副長だけでもお逃げください!」

「ならぬ。私を士道不覚悟で切腹させるつもりか、お前は」

 

 磨き上げられた軍靴の具合を確かめる。草いきれの匂いがした。

 隊士は隼人が微笑みを浮かべたのを見たが、いったい何に笑ったのかはわからなかった。

 既に、隼人はいつものむっつり顔に戻っている。

 

「なに、薩長どもに思い出させてやるまでよ。斬り込みは新選組の十八番だと」

 

 新選組副長として京で散々に薩長の仲間を斬ってきたのだ。

 無論、この戦争でもこの男だけは薩長に煮え湯を飲ませてきた。

 そんな仇敵ともいえる男を捕らえておきながら、生かしておくはずがない。

 隼人もそれらがちゃんとわかっていた。

 

(それに、このまま座して負けたとあっては地獄で待つ近藤さんや総司に会わせる顔がない)

 

 かといって、彼の様に若い者に地獄に付き合わせるのも、隼人にはしのびない。

 

「君はどうする、逃げても構わんぞ」

「副長! 何をおっしゃいますか!」

「やたら若い命を散らす必要はないぞ。私はこれより陸軍奉行並・土方歳三より新選組副長・土方歳三に戻る。榎本殿と大鳥殿にもそう伝えてくれ」

 

 偽名・内藤隼人――本名・土方歳三。

 新選組を率い血気盛んな勤皇志士らをして恐怖のどん底に叩き込み、京を震撼させた、かの鬼の副長である。

 

「私も、私も付き合います!」

「ならぬ。君は私が新選組副長に戻ったことを知らせる大任がある。必ず果たしてくれ、頼んだぞ」

 

 歳三は若い隊士の肩を叩いて、部屋を後にする。

 隊士は声を押し殺して泣いていたが、彼には生きのびてもらわねばならない、と歳三は思っている。

 

(俺ァ、もういい)

 

 剣に生き、武士になり、最後まで士道に殉じ、この日本で誰よりも、剣一つで上り詰めてきた。

 故に、剣に導かれ死ぬ。それが剣に生きた者の宿命(さだめ)というものだろう。

 歳三はそういうものだと勘ながら気づいていた。気づいていたから、止まらなかった。

 

(山南さんだって、そうさ)

 

 病故に己の死期を悟った山南は、伊東派への牽制の為に脱走し、切腹した。

 後事を歳三に頼み、生きるように言った。だから歳三は生きた。

 

(みィんな、なんでもかんでも俺に託しやがる)

 

 近藤も、京の新選組を守るために斬首された。

 新選組から離れて生きていけ、と別れたときにそう言われた。

 沖田は労咳で死んだ。土方さんが生きるなら、私も生きますよと笑っていたあの若者も、もういない。

 だから精一杯に生ききった。例えこの身が悪名にまみれようとも、ひたすらに。 

 兵舎を出た。既に、馬が一騎用意されている。

 打って出れば必死であることはわかっているはず、なのに少数の兵が頑として動かない。

 あれでは斬り殺すと脅しても、彼らは付いてくるだろう。

 歳三は苦笑する。

 

「打って出れば、死ぬぞ」

「一同、わかっております」

「ならば、良い」

 

 付いていくと言った兵ですら、ぞっとするほどの静かな声で歳三は言った。

 

「新選組副長・土方歳三、出陣する」

 

 馬を駆けさせる。兵らも、遅れじとついてくる。

 

(生きるのも死ぬのも、悲しいもんだ)

 

 

 一本木関門にて、旧幕府軍はよく戦った。怒涛の如く押し寄せる官軍に、耐えた。

 歳三は馬上にて指揮を執った。渾名の如く鬼の様に奮戦し、人を斬った。

 だが戦の趨勢を決めるのは兵の数と、武器の質である。どちらも、旧幕府軍は新政府軍に負けていた。

 だん、と一発の銃弾が歳三の腹部を貫いた。兼定を、取り落としそうになる。

 

「副長!」

「ああ、大丈夫だ」

 

 歳三は相変わらずの憎たらしい面構えであるが、誰が見ても瀕死は明らかであった。

 それでも歳三、馬の手綱を緩めずに笑った。 

 

「諸君、私は先に行く。君たちは降服したまえ」

「ど、どこへ行かれるのですか!」

「新選組副長がすることなど決まっている、斬り込みだ」

「副長!」

 

 歳三、呼ばれる声にも構わず馬を駆けさせていく。

 

(これで、いい)

 

 腹部の激痛に耐えながら、歳三は思った。

 

(俺がいなくなりゃあ、戦線はもたねぇ。アイツらがやたら死ぬわけにもいくめぇ)

 

 目の前が霞む。兼定を落としそうになる。

 襷の紐で兼定の柄を手に縛り付けてから、また一人斬り殺した。

 

(死ぬなら、俺一人で十分さ)

 

 弾丸が雨のように飛び交う、剣が林のように突き立てられる。

 その中を、龍が天に蛇行するが如く歳三は駆けぬけていき。

 

 

 

 そして、消えた。

 

 

 

 

 

 ――1869年5月11日 土方歳三・一本木関門にて戦死。

 ――同年5月15日 弁天台場降服。

 ――同年5月17日 榎本武揚ら、降服。

 

 なお、土方歳三の遺体の行方は不明である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー、お母さん! 流れ星ー!」

 

 親娘が、星の良く見える小高い丘を訪れていた。

 母親は紫の長い髪をしていた。娘も、同じように紫の髪をしていた。

 

「そうね、璃々。天の御使い様が、流れ星になってやってくるのよ。だからね、天の御使い様に頼めばきっと、願い事を叶えてくれるわよ」

「ほんとー!? じゃあね、璃々、お父さんにあいたーい!」

「ふふ、そうね。きっと会えるわ」

「? お母さん、おなかがいたいの?」

「いいえ、なんでもないわ、璃々。なんでも――」

 

 母親は、羽織を抱きしめてじっと、流れ星を眺めていた。

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