【恋姫†無双】黒龍の剣   作:ふろうもの

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《真名早見表》
 土方歳三――義豊
 趙雲子龍――星
 徐晃公明――香風(シャンフー)


未来よりの残り香

 注文された料理が運ばれてくる。

 太史慈と趙雲らが名前を交わす中、歳三は思い出す。

 小覇王とも呼ばれた孫策にとっての、太史慈とは一体なんだったか。

 こんな奇縁があるのなら、三国志をもっと読み込むべきだったかな、とも思う。

 

(そりゃねぇぜ、歳三よ)

 

 前にも、既に三国志の常識など簡単には通用しないと、痛感したばかりではないか。

 女々しいにも程がある。

 それに、歳三は弁舌の徒ではないが、口があるのだ。

 拙い知識なぞに頼るよりも、本人に聞いてしまえば、早い。

 

(ま、それも落ち着いてからの話だ)

 

 茶を飲みながら、歳三は太史慈の顔を盗み見た。

 なんとも美味(うま)そうに、飯を食っているではないか。

 人の膳を邪魔するほど、歳三は無粋な男ではない。

 静かに、水面を眺める様に茶を(すす)っていた。

 歳三はそんな風に押し黙っているのだから、自然、趙雲や徐晃も静かに食べる。

 流石に、空気を察したか太史慈が申し訳なさそうに口を開いた。

 

「もしかして私、邪魔しちゃった?」

「いや」

 

 太史慈に、歳三は短く答えた。

 

「あまりに美味そうに食べるものだから、私も、と思っていたところさ」

 

 歳三は忙しそうに店内を駆け回る店員を呼び止めて、何かしらを注文する。

 趙雲が、それに続いた。

 

「でしたら私は酒でも追加をしましょうかな。シャンはどうする?」

「シャンは、大丈夫」

 

 注文を取り終えた店員は、すぐに厨房へと飛び込んでいく。

 (せわ)しないことだと想いながら、これが平和なのだと歳三は噛み締めている。

 民が下を向くことなく、家に閉じこもることもないのが、何よりも幸せであると。

 

「ところで土方……くん? さん?」

 

 太史慈の言葉に歳三はぷっと噴き出した。

 歳三、若く見られる風貌をしているが、今更くんやさんを付けられて呼ばれる(よわい)でもない。

 思わず大笑いしそうになるのを必死に押し殺して、歳三は口を開いた。

 

「構わないよ、好きに呼んでくれ」

「そっか、じゃあ歳三ね!」

 

 明朗快活な好人物である、と歳三は太史慈を評価した。

 人物というものは言葉の端々から不思議と漏れ出てくるものだと、歳三は良く知っている。

 太史慈の言葉は歳三が聞いていても心地良い、好漢の類の者である。

 もっとも、太史慈は前にも言った通り女性であり、言葉以上の意味は特にない。

 

「でさぁ、歳三が本当に、あの軍勢を指揮していたの?」

 

 太史慈が尋ねる。

 歳三は首肯した。

 

「そうだよ。君が見ていた通り、私が指揮した」

「そっかぁ。じゃあなんで一番最初に突っ込んだりしたのさ? 絶対反対されるよね?」

 

 太史慈の言葉に歳三が答える間もなく、趙雲と徐晃が声を上げた。

 

「止めましたとも、ええそれはもう止めましたとも。にも関わらず主という人は」

「シャンも、本当に心配した」

「本当にすまないと思っているよ」

 

 先ほど歳三と会い(まみ)えたばかりの太史慈でさえ、白々しいと思うくらいの謝罪である。

 恐怖心とか色々なそういうものを、どこかに落とせば、こうなるのだろうか。

 歳三は茶を一口飲むと、今度は私の番だと言わんばかりに太史慈に目を向けた。

 

「太史慈、君は私を探していたのか」

「そりゃね、三倍もの相手に挑むなんて真似をする将ってのがどんなのか見てみたかったのさ」

 

 あっけらかんとした口調であるが、言外に無謀なことをしたなという評価も含まれている。

 歳三はそう読み取った。

 

「三倍の敵を打ち破った、という言う噂を一番に流したのも」

「私だよ」

「最初から最後まで、戦いぶりを見られていたということか」

「そうだよ、なかなか格好良かったね!」

「惚れたかい?」

 

 趙雲は驚いたように歳三を見た。

 

「主が、冗談を言うとは……これは、明日は嵐ですかな?」

「至って、真面目だよ」

 

 歳三は憮然とした表情だ。

 

「私はね、太史慈、君を私の仲間にしたいと思っている」 

 

 遂に言った、と徐晃は思った。

 徐晃はずっと、食事をする振りをしながら太史慈の一挙手一投足を観察していた。

 そこから感じられたのは、武人としての有り(よう)と、誰かとの強い絆である。

 糸のようなか細いものではない、太い(つな)のような絆だ。

 わからない筈がないだろうと、徐晃は歳三に目線を向けたが、歳三は素知らぬ顔である。

 

「へぇ~、私が欲しいんだ」

 

 太史慈の雰囲気ががらりと変わった。

 先ほどまでの、気の良さげなものとは違う、虎に似た獰猛な覇気が溢れている。

 

「私が雪蓮(しぇれん)と冥琳の親友と、知ってて言っているのかな?」

「さぁ、どうだろうね」

 

 歳三は平然と、太史慈の覇気を受けている。

 雪蓮と冥琳、というのはおそらく真名であろうと、歳三は睨んでいる。

 これは猛々しさの中に、愛の情が含まれているのは確かだからだ。

 僅かな知識を手繰り寄せて見当をつけるに、孫策と周瑜であろうと歳三は看破した。

 この間、僅かな時しかない。

 

「確かに雪蓮と冥琳の繋がりは、金ですら断てる。私では、二人の友情に及ばないかもしれない、でもね」

 

 太史慈の気が、大きく膨れ上がった。

 

「歳三に私を振り向かせられるだけの何かがあるって、言えるの?」

「あるよ」

 

 さも当然のように、歳三は答えた。

 太史慈とは、燃える火の玉の様な女である。

 誰よりも熱く、激しく、眩しい女だ。

 こんな傑物を惚れさせるのだから、孫策と周瑜も希代の存在であることに間違いはない。

 

「そうでなければ、そもそも君を探していたりしないさ」

 

 だからと言って、歳三は負けることを良しとしなかった。

 未だ会っても居ない存在に負けを認めるなど、歳三の矜持が良しとしない。

 そんなことをするくらいなら、歳三は腹を切る方がマシだと思っている。

 

「そうか、そんなに言うならさ、私を倒してみたらどうかな?」

「ほう」

 

 歳三の眉が、ぴくりと動いた。

 趙雲と徐晃は平然を装っているが、内心、冷や汗ものである。

 以前に本人が言っていたように、個の武の力では歳三は趙雲や徐晃に劣る。

 そして歳三の判断は正しいと、趙雲も徐晃も思っている。

 思っているからこそ、太史慈に挑むという自殺行為を歳三がするとは思わなかったのである。

 太史慈の腕前は、立ち居振る舞いからして歳三の上を行く。

 歳三が、それくらいのことを、まさかわからないとは趙雲らも思いたくはない。

 

「主、まさかとは思いますが……」

「ああ、受けるよ。太史慈との決闘を」

 

 柳に風、といった(てい)で歳三は涼しい顔である、負けることなど考えていない風だ。

 

「なにを馬鹿なことを言うのですか主! 私の時は、私が殺す気もなく、更には賊という要素もありましたが、今回ばかりはそうはいきませんぞ!」

「趙雲の言い草じゃ私が殺さないと思っているみたいだけど、私は本気でいくよ?」

 

 歳三は、鼻で笑った。

 

「本気で来ないなら、私が殺すよ」

 

 太史慈の眉が、ぴくりと動いた。

 趙雲や徐晃らでさえも、歳三の自信がどこから来るのか、測りかねるところがあった。

 歳三はいつもの傲岸不遜な態度で、言う。

 

「私が、本日をもって今までの太史慈を殺して差し上げると言っているのだ」

「……それは、私に雪蓮と冥琳を忘れろということ?」

「違うよ。過去は過去でしかない。私が真っ(さら)にした上で、私と共に来ないかと言っている」

 

 歳三は切れ長の眼で、太史慈をじっと見た。

 流石の太史慈も、少し怯んだが、負けじと睨み返した。

 ひりひりとした緊張感が、二人の間で漂い始める。

 

「だからこそ、本気で来てもらわなければ困るのさ」

「どういう意味?」

「本気で挑んでも勝てぬ相手が居る、それが私だ」

 

 歳三は、またも笑った。

 

「だからこそ、殺す気ではなかったから負けたなどという言い訳は、要らないよ」

 

 歳三の笑みが、悪鬼羅刹の如く歪んだ。

 いや、歳三の持つ狂気染みた闘争心が、笑みを歪んで見せているのだ。

 

「殺す気で来なさい。それでも勝てぬ男が、眼の前にいるのだよ」

 

 太史慈は歳三の笑みを見つめ、ふっと笑った。

 同時に張りつめていた緊張感が、霧散する。

 趙雲と徐晃も、ほっと胸を撫で下ろした。

 

「そんな……」

 

 思いきや、太史慈がふるふると震えている。

 何事かと思いきや、歳三らが様子を伺うと。

 

「そんな面白いことを言うなよぉ!」

 

 大輪の花が咲いたような、笑顔があった。

 この反応は予想外だったのか、流石の歳三も面食らっている。

 挑発に挑発を重ねたのだ、今この場で斬り捨てる、と言われる方が定法だろう。

 が、太史慈は何度も言うように英傑である、何もかもが並の人間ではない。

 

「雪蓮、いやこれは大殿かな? とにかくこんな人間に会うなんて久しぶりだよぉ!」

「孫策殿や孫堅殿と一緒にされては、困るな」

 

 太史慈の言う大殿が、孫家開祖である孫堅のことであろうと思ったのは、半ば勘である。

 喜色満面の笑みを浮かべる太史慈を察するに、当たりではあったようだ。

 

「どうして? 雪蓮も大殿も、歳三が気に居るほどの英雄だよ?」

「決まっている、私の方が上を行くからだ」

 

 言い切った、言い切ってしまった。

 趙雲と徐晃の間にある共通認識は、それだった。

 太史慈の中に光る、興味の光が、獅子が獲物を狙う光と変わったのだ。

 これではもう、太史慈とは決闘でしか決着をつける以外なくなった瞬間である。

 

「そうかぁー。策を(ろう)されても困るし、場所と時間はこっちで決めていいよね?」

「もちろん」

「じゃあ時刻はこれから、私があの時弓を射った場所で待っているからね! 歳三!」

「ああ、軽く腹ごなしをしたら、行くさ」

 

 太史慈は自分の食べた分の料金を置いて、もう一度歳三に笑いかけた。

 歳三もまた、どこか含みのある笑顔で答えた。

 そうして鼻歌でも歌いだしそうな軽い足取りで、太史慈は店を出て行った。

 趙雲と徐晃が、長い溜息を吐いた。

 店の中の人間たちも、太史慈と歳三の闘気に怯えきっていたが、重しが取れたようにすぐにざわめきを取り戻している。

 趙雲は、批難するような眼で歳三を見た。

 

「馬鹿をやる馬鹿をやると思っていましたが、主がこんな馬鹿だとは思いませんでした」

「あれほど強く繋がりを持つ英傑を分捕るには、安い苦労だとは思わないか?」

「ですが、死んでは何にもなりませんぞ?」

「ここで死ぬなら、俺はそこまでの人間だったっていうことさ」

 

 歳三は明るく笑った。

 所詮死ぬならそこまで、そういった信仰が歳三にあることを、まざまざと思わせる笑みだ。

 徐晃は、消え入るような声で言った。

 

「死んじゃ、嫌だ」

「私は死なないよ」

 

 歳三は、いつものむっつり顔である。

 

「既に、死んでいるからね」

 

 歳三は机の上に金を置くと、席を立った。

 恐ろしい速さで店を出て行く。

 言葉の意味はわからなかったが、趙雲と徐晃も金を置くと急いで歳三の後を追った。

 

 

 歳三は歩いていく。

 晴天の空の下、何も気にしないと言った風にすたすたと歩いていく。

 必死に追い縋る様に、半ば走る形になっているのは趙雲と徐晃だ。

 普段は二人に合わせて歩く歳三のこと、死闘を前に気が逸っているのかもしれない。

 趙雲が、歳三に尋ねた。

 

「太史慈との決闘のことは、この際何も言いませぬ。ですが」

「なにかね?」

「何故、太史慈が主を探していたのがわかったのです?」

 

 歳三、足も止めずに少し考え込み、言った。

 

「蛇の道は蛇、といったところさ」

「……こんな時に謎掛けですか?」

「これでも私はね、洛中に蔓延(はびこ)る不逞な輩を、取り締まっていたこともある」

 

 歳三の言葉に、趙雲と徐晃はぎょっとした。

 身形も性格も並の者ではないと思い続けていたが、まさかと言った顔である。

 洛中、つまりは皇帝のおわす洛陽を取り締まる者だったのか、と思ったのだ。

 もちろん、歳三のいう洛中と趙雲らの想像する洛中とは認識の違いがある。

 

「ああ、言っておくが、君たちの思う洛陽のことではないよ」

「では一体どこのことです?」

「教えてもいいが、私からの冥府の土産にしたいのかね?」

 

 歳三が、ふ、と笑った。

 珍しく歳三が冗談を言ったのだと、趙雲らは思ったがとても笑える話ではない。

 

「主!」

「そう怒るな。いずれ、話す」

 

 そうして歳三は、冷たく光る眼を向けた。

 視線の先には、三叉槍を肩に乗せる様にして立っている赤銅の女が居る。

 

「まずは、ヤツをなんとかすることだ」

「思ったより早かったねぇ。もう少し遅くなると思ってたんだけど」

 

 太史慈が、朗らかに声を掛けてくる。

 とてもこれから、死合をするような空気には思えない。

 趙雲は思った。

 本当にこの空気のまま、何事もなく酒宴になって打ち解けてくれればと。

 しかし、現実はうまくいかないものである。

 太史慈はやはり、殺すつもりで歳三を待っていた。

 

「で、死んだ後のことはちゃんと託してきたのかい?」

「そんなこと、するかよ」

 

 歳三は、また鼻で笑った。

 

「鞘は刀を戻すためにあるのだ。その鞘を、戦う前から捨てる馬鹿がいるかよ」

 

 半ば挑発に近い歳三の(げん)だが、太史慈は面白そうに笑った。

 鞘とは、帰る場所のことであり、刀とは歳三自身のことだろう。

 つまり必ず勝ち、生きて帰るという、そういった旨を言っている。

 歳三らしい、風流を解する割には愚直なまでの例えであった。

 

「ほんっとうに面白いねぇ! でも、ここで殺さなきゃいけないのが残念だなぁ」

 

 心底残念がりながら、同時に殺気を放ち始める太史慈。

 歳三に対する興味をたったこれだけで消し去れる当たり、やはり彼女も英傑である。

 三叉槍を構え、今にも飛び掛かりそうな暴虎を前にして、歳三は依然として、無手。

 それどころか歳三、突然しゃがんでは草をむしり、風に飛ばしている。

 意味の分からぬ行為に、太史慈のみならず趙雲と徐晃も疑問符を浮かべている。

 

「……隙でも作るつもりかな?」

「まさか。風に舞う草葉の句が、できないかと思っただけよ」

 

 歳三が、ようやく腰間(ようかん)の兼定に手を掛けた。

 

「その様子だと、できなかったみたいだね」

「ああ。どうにも、出来上がらなかったよ。星、合図を頼む」

 

 趙雲はいよいよ観念した、という顔をして、懐から銭を一枚取り出した。

 

「これが地面に落ちた時が合図、ということでよろしいですか?」

「いいよ」

「相分かった」

 

 太史慈と歳三の言葉を受け、趙雲は銭を空へと飛ばした。

 徐晃が固唾を飲んで、龍虎激突の瞬間を見守っている。

 歳三、悠々として兼定の柄に手を添えたままだ。

 一方の太史慈、三叉槍を構えたまま身じろぎもしない。

 銭が落下していく。

 落ちる、落ちていく。

 今、草の上へ、すとんと、落ちた。

 

「はああああああああああぁっ!」

 

 咆哮と共に太史慈が駆けだし、三叉槍が唸りを上げる。

 狙いは歳三の首、ただ一つ。

 けれども歳三、動きもしない。

 ゆっくりと、太史慈の稲妻の様な動きに比べて、とにかくゆっくりと、手を腰間に伸ばした。

 兼定と国広が帯びられた左腰ではなく(・・・・・・)右腰へ(・・・)

 右腰に吊るされているのは、拳銃嚢(ホルスター)である。

 未だこの時代に存在するはずもない、未来の超兵器。

 

(坂本、お前の想いを、使わせてもらう)

 

 遂に歳三は拳銃を抜き、躊躇なく撃った。

 撃鉄が倒れ、銃口から必殺の弾丸が飛び出す速度は、どの居合の達人よりも速い。

 音速を優に超える銃撃は、凄まじい破裂音をも同時に発生させた。

 32口径にもなる音速の弾丸を、太史慈が避けることができたのは偶然であろう。

 歳三が何も仕掛けてこないということはあり得ない、という事前の予測から、取り出した珍妙な何かが武器であることは予測できた。

 まさか弓矢よりも速く、飛来する何かを出すものだとは思いもしなかったが。

 太史慈は、弾丸を避けることが出来たのである、致命的な隙を晒すことと引き換えに。

 体制を崩した太史慈の隙を、歳三は好機と見た。

 

(すまないな、沖田。どうやら俺は、剣一筋で勝てる男ではないらしい)

 

 胸中でかつての盟友に想いを馳せながら、拳銃を捨て兼定の鯉口を切った。

 鞘の中で兼定が走り、太史慈の秀麗な右顔面を食い破らんと蒼天の元で鈍く光る。

 

「くううううぅ!」

 

 辛くも、襲いかかる兼定の刃を三叉槍で受けた太史慈だったが、兼定は軽い音を発しただけだ。

 瞬間、太史慈は気付いた。

 必殺でなければならない筈の威力が、こんな軽い音の訳がない。

 見よ、兼定の舞を。

 三叉槍に弾かれた筈の兼定が、歳三の手中でくるりと回り、左脛を狙ってきたではないか。

 

「っ!」

 

 太史慈に最初の余裕はない。

 歳三の、文字通りたった一発で全てが狂わされた。

 喧嘩とは、弾みがついた方が勝つものである。

 弾みがついているのは間違いなく歳三の方だ、太史慈だってわかっている。

 だが、だからなんだ。

 この程度で負けるのならば、太史慈が孫策や周瑜と共に進むなど、夢のまた夢である。

 

「はああああぁ!」

 

 またしても、またしても辛うじて脛狙いの斬撃を三叉槍で防ぎ(おお)せた太史慈。

 猛攻を防ぎ切った、油断ではないが、そんな手応えがあった。

 趙雲と徐晃が、思わず声を上げそうになったが、歳三の不利になると見て必死に耐えた。

 あの切っ先の位置、三叉槍の抑え方、趙雲も徐晃にも見覚えがある。

 兼定の刃が、三叉槍を擦り上がるようにして上段へと昇っていく、太史慈は三叉槍を外せない。

 外せば、兼定は容赦なく太史慈の身体に喰らいつくだろう。

 龍が飛ぶが如く、三叉槍を登り切った兼定は最上段から振り下ろされ、そして太史慈の首へと。

 

「――っ!」

 

 暗い、闇を思わせる瞳と眼が合い、思わず太史慈は目を閉じた。

 脳裏には孫策や周瑜との、揚州で過ごした日々が走馬灯となって甦って来る。

 産まれてから友と会い、北の()てで鬼に会うまでのすべてが、刹那となって流れ来る。

 意識が消える間際の言葉は、太史慈にとっては冥府からの使者の様に思えた。

 

「さぁ、これで今までのお前は死んだ」

 

 そう聞こえたのを最後に、太史慈の意識は闇へと落ちて行った。

 

 

(いささ)か、やり過ぎではないですかな?」

 

 こんな風に咎めたのも何度目だろうと、趙雲は思う。

 目の前の男は、このくらいの忠言なら一切意に介さないということはわかっているが。

 

「そうかね」

 

 地面に倒れる太史慈を見下ろしながら、歳三はぞんざいに言った。

 太史慈の周りの草原は、真っ赤な地に塗れている。

 はずだった。

 

「いや、本当に殺すのかと思いましたぞ」

「本気で殺す気なら、俺ァは太史慈を三回殺してるよ」

「最初の、あの龍の咆哮で、ですか?」

「そう聞こえるのか、君たちには」

 

 歳三は兼定と拾い鞘に納め、拳銃を拾い拳銃嚢にぶち込んだ。

 もちろん歳三は太史慈を殺してなどいない。

 最後の斬り下ろしの斬撃も、兼定を放り投げることで止めた。

 太史慈の意識がないのは、単に歳三が首を絞め落したからである。

 兼定を手放してからの歳三の手の動きはまるで蛇みたいだったと、徐晃は思っていた。

 とにかくするすると、太史慈の細首に絡みつき絞め落す様は、見事の一言に尽きる。

 

「主は以前、私たちより弱いと言いましたが」

「確かに、言った」

「それは剣に限ればの話、という枕詞(まくらことば)が付いたりしませんか?」

 

 歳三は太史慈を片手で抱きかかえ、もう片方の手で三叉槍を担ぎながら、天を仰いだ。

 

「ふむ」

 

 と、少しだけ考えた歳三は趙雲へと向いて。

 

「さぁ、どうだろうね」

 

 と、静かに笑って見せた。

 草原を揺らす様に、優しい風が吹き、硝煙の香りが歳三の鼻腔(びこう)をくすぐった。

 

(懐かしいかな、この(にお)い)

 

 鳥羽伏見に始まり、甲州、会津、宇都宮、果ては函館と。

 戦場では最早、血や汚物の()えた臭いよりも、この香りを嗅いでいたことの方が多かった。

 

(妙な、感じだな)

 

 太史慈を極力揺らさぬよう、遼東の城へ足を向ける歳三。

 脳裏ではまだ、先ほどの硝煙の香りが鮮明に残っている。

 歳三にとっては過去の、趙雲らにとっては未来よりの残り香。

 

(すべてがなくなった時、俺は)

 

 弾倉に込められた残り五発と、ズタ袋に詰め込まれた予備の弾。

 だけではない、兼定とか国広とか、とにかくそういったものがすべてなくなった時。

 歳三と、あの日の函館とを結びつけるものが失われてしまうのではないか。

 ふと思って、(かぶり)を振った

 

(馬鹿だな、俺は)

 

 時折訪れる郷愁を、早く捨てなければ。

 

(俺は俺さ、どこに行こうとも)

 

 硝煙の香りは、既に風に消えている。

 今は、腕に抱く太史慈の、女性らしい良い香りが鼻腔をくすぐっている。

 傍目には眠っている様な太史慈の顔を、趙雲や徐晃に気取られぬようそっと盗み見た。

 

(本当に、いい女だよ)

 

 歳三はまた天を仰ぎ見た。

 雲一つない、綺麗な空であった。




劇中、土方が使用している拳銃はSmith&Wesson:Model 2 Armyです。
坂本龍馬が使用したということで有名なやつですね。

双戟から三叉槍へ変更。

こころん様、誤字報告ありがとうございます。

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