【恋姫†無双】黒龍の剣   作:ふろうもの

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《真名早見表》
 土方歳三――義豊
 趙雲子龍――星
 徐晃公明――香風(シャンフー)


虎口に入る

 遼東の城より出て幾許かに、指定された平野があった。

 なるほど、徐晃の偵察能力は確かであると歳三は評価した。

 三方を囲むように、小高い丘が点在している。

 

(これは誰であろうとも、兵を埋伏させるな)

 

 と、歳三が内心呟いた。

 しかし、歳三に止まるという選択肢はない。

 軍勢を引き連れていざ虎口へ、と言うところで、若者が二人現れた。

 格好からして烏丸であろう。

 徐晃が殺気立つが、歳三は眠たげな眼を向けただけである。

 烏丸の若者の内一人が、大声を張り上げた。

 

「そちらの黒きお方! 土方歳三殿と、お見受けする!」

「そうだが」

 

 うるさそうに、歳三は眉を顰めた。

 

「我らが首領は、二人きりで話し合いたいとのこと!」

「軍勢をここに置いて行けというのだろう。聞いている」

 

 若者の言葉を遮って、歳三は言った。

 一度頷いたが、また疑問が湧いたか、若者が問う。

 

「兵の数が少ないようにお見受けするが?」

 

 なんでそんなことを知っているんだ、と歳三は相手の迂闊さを思いながら。

 

「和平の会談に、数多の兵は不要」

 

 と、さぁらぬ体で答えた。

 納得したか、あるいは策がなったことが嬉しいのか、満足そうに若者は頷いた。

 歳三はそれを疑問に対する了承と取り、振り返った。

 

「全軍、ここで待て。後は手筈通りに」

 

 歳三が言うと、整然と立つ。

 短いながらも歳三の調練が生きているらしい。

 が、歳三に向ける視線が、心配と怨嗟の二種類に綺麗に分かれていた。

 余程、調練が苛烈だったのだろうか、いっそここで果ててしまえと思う者もいるようだ。

 

(目線で人が殺せりゃ、楽なもんだよな)

 

 怨嗟の視線など、歳三は浴び慣れている。

 ともかく、今は眼の前のことだと気持ちを切り替えた。

 若者の方へ、向く。

 

「こちらはこの者を副官として同道する。よろしいか?」

 

 歳三は言った。

 示したのはもちろん、徐晃である。

 副官として選ばれて、嬉しそうに見えるのも間違いではないだろう。

 徐晃の顔が、(ほころ)んでいた。

 思わず撫でなくなるような、可愛い笑みである。

 

「では、我々についてくるように!」

「ああ、わかっているよ」

 

 水を差す様な大声に、歳三は少し苛々しているようである。

 そうした歳三の変化を機敏に察した徐晃は、歳三の手を引っ張った。

 

「行こう、お兄ちゃん」

「うむ」

 

 若者二人を置いていくように、ずんずんと歩いて行く二人。

 慌てて、若者たちが追いすがってくる。

 追い抜きざま、批難の視線を向けられたが、歳三も徐晃も何処吹く風である。

 

「ところで土方殿」

「なんだね?」

 

 若者の一人が、何か悪趣味を思いついたような声色で歳三に問い掛ける。

 置いて行かれたのが少し、腹に据えかねたに違いない。

 

「副官としては幼く見えますが、まさか妹を嫁に迎えたのですか?」

 

 徐晃が、斧に手を掛けようとした。

 歳三共々愚弄された、と徐晃は理解したのである。

 中でも徐晃の琴線に触れたのは歳三を愚弄したことである、自分のことは二の次だった。

 しかし、意外にも歳三はやんわりと徐晃の動きを押し留めると、微笑を浮かべた。

 

「君には、そう見えるのかね?」

「は?」

「私には、最高の、愛すべき女が隣にいる。としか思っていなかったものでね」

 

 歳三、尚も笑っている。

 

「烏丸にはどうやら、馬を見る目ばかりで、女を見る目はないようだ」

 

 二人が、振り向いて歳三を睨み付けた。

 今にも殺してやらんという空気であるが、歳三は笑うばかりである。

 どころか、更に煽る。

 

「馬の尻ばかり見ているから、烏丸の若者は男色家ばかりなのかね?」

「違う!」

「なら、私の顔ばかり見てないで前を向いて歩いたらどうだ?」

 

 露骨に舌打ちをすると、若者二人は前を向いた。

 単純に分が悪いと思ったか、あるいはこれからのことを思って耐えたか。

 歳三は鼻を鳴らして、くだらないと呟いた。

 

「ねぇ、お兄ちゃん?」

 

 小さな声で、徐晃は歳三に尋ねた。

 いつもの無愛想な(つら)で歩いている歳三が、徐晃に目を向けた。

 

「最高の女って、本当?」

 

 もじもじと手遊びをする徐晃を見るまでもなく、歳三は言った。

 

「ああ。今すぐにでも、抱いてしまいたいほどにな」

 

 かぁっと顔を真っ赤にする徐晃。

 敵地の真っ只中であるというのに口説きにかかるとは、やはり歳三は女好きである。

 

「さて、ここは敵地だ。もう少し気を引き締めて行こうか」

 

 と、だけ言うと、徐晃はすぐにいつもの自分を取り戻した。

 歳三が無類の女好きであるならば、徐晃はやはり武人であることは間違いない。

 

 

 天幕に近づくにつれ、歳三の足取りが軽くなっていく。

 そう、気付いたのは隣を歩く徐晃だけであろう。

 

「お兄ちゃん、なんだか嬉しそう」

「香風には、わかるか」

「うん」

 

 浮かれている、とするにはやや語弊があるか。

 剣士として、新選組副長として、陸軍奉行並として数々の修羅場を戦ってきた男である。

 慢心とか油断とか、そういったものが一番恐ろしいことは身に染みている。

 歳三の今の心情を表すならば徐晃の言う通り、嬉しい、の一言に尽きる。

 

(俺も、暗殺を謀られるくらいにはなったってぇことだよ)

 

 暗殺を、一つの測りにしている。

 確かに暗殺とは、それだけ個人が影響力を持っていることを示す(しるべ)にもなる。

 が、普通ならば暗殺を計画されること自体を忌むか、避けるべきものなのだが。

 

(しかし、謀ったにしちゃ随分と舐められたもんだ) 

 

 歳三は内心、呆れている。

 双眼鏡を使うまでもなく、丘の上に(うごめ)く黒点が、見えている。

 徐晃も歳三の内心を読み取ったか、呆れたように言った。

 

「兵の伏せ方が、下手」

「その通りだ」

 

 (うかが)うにしても、もう少しうまくやりようはあるのではないか。

 そう思わずにはいられない杜撰(ずさん)なやり方である。

 杜撰、と言えばもう一つ、歳三の目の前に広がっている。

 

(天幕の周りに、兵、か。警戒兵として置いているつもりなんだろうが)

 

 会談の場所だという、天幕の周りに数名の烏丸兵が立っている。

 何かあれば天幕に殺到し、歳三を殺すつもりだろう。

 容易に、想像できた。

 

(俺もまだ、この程度ということか)

 

 がっくりしながら天幕に入ろうとすると、前を歩いていた二人に止められた。

 

「申し訳ありませんが、腰の物をお外しください」

 

 一つも申し訳ないと思ってない癖に、と思いながら歳三は兼定と国広を外した。

 

「そして、天幕の中は土方殿のみ入ることを許されます。副官の方は、外の方で」

 

 徐晃にはそう言って、天幕に入ろうとするのを阻む。

 やはり一人にしたところで殺すつもりか、と歳三は看破し、徐晃へ向いた。

 

「香風よ、頼みがある」

「なに?」

「この兼定と国広を預ける。私の、いわば魂みたいなものだ」

 

 眼を白黒させながら、徐晃は二振りの刀を受け取る。

 敵に愛刀を預けたくないという、歳三の気持ちはわかる。

 付け加えて、何故魂であるとまで言ったのかが、徐晃にはわからない。

 

「それが香風の元にある限り、私は死なないよ」

 

 歳三は、静かに笑った。

 笑みを見て、徐晃は気が付いた。

 これが、歳三なりの信頼の置き方なのだと、理解した。

 抱きしめるように兼定と国広をかかえると、徐晃は大きく頷いて。

 

「わかった」

 

 とだけ、言った。

 歳三は徐晃の頷きを見て取ると、天幕の中へと入っていった。

 もう、その時にはいつもの無愛想である。

 

 

「よくぞ参った」

 

 天幕に入ったところで、装飾品に塗れた男が歳三を出迎えた。

 見たところ、以前殺した首領格の男よりは派手に見える。

 一見したところ、腰に武器はない。

 

(下品だな)

 

 と、断じた。

 異民族として忌み嫌っているというのも、今ならわかるかもしれない。

 そんなことを考えながら、歳三は向かいの席であろうところに腰を下ろした。

 

「さて、和平の申し出、ということですが」

「なに、まずはここまで来てくれた苦労を(ねぎら)って酒にでもしないか?」

 

 歳三の賛否も聞かず、男は手を叩いた。

 酔わせてから殺そうと言うのだろう。

 狼は歯牙を抜いてから殺すのは、理屈としては合っている。

 

(俺が芹沢なら、喜んだだろうけどな)

 

 かつての暗殺をふと、思い出した。

 酔っていて尚、豪剣を振える芹沢を殺すのには難儀したものだ。

 ただ、ここに居るのは芹沢鴨ではなく土方歳三である。

 天幕に、酒の入っているだろう(かめ)を担いだ若者が入ってきた。

 ぎょろりと、歳三の目が光る。

 

(帯剣した男が一人。そして入り口が一つ)

 

 切れ長の眼を左右に向けながら、敵が押し入ってくるだろう場所を見定める。

 こんな迂遠な方法を取るくらいなら、さっさと押し包んで殺した方が良かっただろう。

 歳三の人となりを調べなかった、烏丸の落ち度とも言うのは、酷か。

 

「では、一杯飲もうか」

 

 杯を受け取っても、歳三は杯の水面を見つめるばかりで飲もうとしない。

 

「毒など、入れていませんぞ」

 

 男が、歳三の不動を毒を警戒してと思ったか、先に杯を飲み干した。

 にっこりと笑いかけてくるが、卑劣さが滲み出てくるような不快な極まりない顔である。

 

(こんな男が相手じゃ、どんな珍味も毒になるよ)

 

 酒に一口、舐めるように口を付けた。

 

(不味い)

 

 もう、飲めない。

 歳三はにこりともしないで、ただ杯を持って動かない。

 予想とは違ったか、男が狼狽(ろうばい)した。

 

「酒が、嫌いなのか?」

「苦手だが」

 

 歳三は杯の中身を、男に向けて捨てた。

 飛沫が、男の靴に少しばかり掛かった。

 

「こんな不味いものが、酒とは思えん」

 

 男のこめかみに、怒りの筋が浮かんだ。

 それでも男は笑い顔の相好を崩さずに、若者にもう一度()ぐように命令する。

 注がれる度に、歳三は男の足元目掛けて酒を捨てる。

 魂胆など見えているのだから、相手の機嫌を取る気など、歳三にはさらさらない。

 

「そんなに、嫌いか」

 

 怒気を隠せなくなったか、男が声を震わせる。

 歳三は、涼しい顔で知らんぷりを決め込んでいる。

 

「では、とっておきの珍味を用意させましょう」

 

 男と若者の視線が、交差したのを感じた。

 

(来るか)

 

 面構えを一切崩さずに、歳三は密かに腕を動かした。

 烏丸にはわからないだろうが、その手の置き方、どこか抜刀の構えに似ていた。

 

「では、こちらが烏丸の珍味となります。今、切り分けますので」

 

 歳三の後ろで、あの若者が剣を抜いたのがわかる。

 足音で、近づいてくるのもわかる。

 

(とんだ茶番だよ)

 

 男が、剣を振りかぶったのを感じた。

 

「死ねぇ!」

 

 剣が、歳三の首筋目掛けて振り下ろされる。

 

(殺気も抑えず、声も抑えねぇ暗殺者がいるかよ)

 

 懐から抜刀術の如く取り出した鉄扇で、剣を受け止めた。

 鉄で鉄を受け止めているとはいえ、勢いのあるものを止める相変わらずの馬鹿力である。

 そんなことよりも、歳三には俄に怒りの感情が湧き上がっていた。

 暗殺そのものに対してではない、暗殺者に対してである。

 腰の踏み込みも、腕の振り方も、剣の質も、何もかもが甘いせいで、斬撃が弱い。

 

(暗殺をするなら)

 

 かっ、と剣を弾くと立ち上がりながら剣士の横っ面を鉄扇で思いっ切り殴り倒した。

 頭蓋が割れた様な音がしたが、歳三は気にしない。

 持っていた杯を、男に向かって投げつけた。

 

「ぐわっ!」

 

 間抜けな声を上げながら、男が頭を抑えた。

 眼をやったかと思う間もなく、歳三が読んでいた入り口から兵が雪崩れ込んでくる。

 殺到する刺客に、歳三は狼狽(うろた)えることなく対処する。

 足を擦って砂を巻き上げ目潰ししたところを、えぐり込むように股間を蹴り上げる。

 そのまま、悶絶して崩れ落ちそうになる男の襟首を掴み背負い投げ、後ろへと投げ飛ばす。

 背後から歳三に迫ろうとしていた者たちが、わっと声を上げて男の下敷きになる。

 死角より近づこうとしていても、溢れる殺気で歳三にはお見通しである。

 

(もっと腕も剣も良いのを選びやがれ)

 

 斎藤であったなら、鉄扇ごと首を斬り落とせていたかもしれない。

 そもそも、歳三が鉄扇を抜く前に、斬り伏せることができたかもしれない。

 歳三の怒りは、妙な話だが暗殺に対する期待が、大いに外れたところが強い。

 自然、声に出た。

 

「俺を殺したきゃあ、斎藤君を連れてくるんだな」

 

 それだけ言うと、歳三は天幕を飛び出た。

 斎藤(それがし)などと言われても、烏丸の者たちにわかるはずがなく。

 しばし呆然としていたが、土方歳三の暗殺失敗を悟るとすぐに気を取り直した。

 依然として、歳三が虎口に居るのは間違いないのである。

 

 

「お兄ちゃん!」

「香風!」

 

 徐晃から兼定を受け取ると、即座に抜き打ちで踊りかかってきた一人斬り殺した。

 

「逃げるぞ」

 

 斧を使って文字通り烏丸を吹き飛ばす徐晃に言うと、歳三は駈け出した。

 徐晃も、歳三に続いて走り出す。

 後ろから烏丸の連中が追いかけてくるのがわかるが、彼等の足には敵わない。

 存分に引き離しながら、徐晃は歳三に問い掛けた。

 

「大丈夫だったの?」

「大丈夫どころか」

 

 歳三は、呆れた様に笑った。

 

「あんなもの、暗殺とも言えないよ」

 

 わっ、と声が上がった。

 丘の向こうに潜んで居た烏丸の、軍勢である。

 

(思っていたより、多いな)

 

 ちらりと前後左右を見渡しながら、歳三は思った。

 ともすれば、以前の時よりも兵数は多いかもしれない。

 それだけ、歳三に対する憎しみが烏丸にはあるとも言えたが。

 

(いいじゃねぇか)

 

 恐怖の二文字は、この男にはない。

 けれども今は、敵に背を向けたとしても逃げる時である。

 虎口の入り口に置いていた兵たちも、既に撤退を開始している。

 

「ちゃんと手筈通りに動いているな」

 

 歳三はそう呟いた。

 何てことはない、異変があれば城に向かって逃げろ、が歳三の言う手筈だった。

 むしろ救出などといって突っ込まれてきたほうが、包囲殲滅の恐れがあった。

 これでも、歳三は一軍の将である。

 兵を無駄にするようなことはしたくない。

 

(後は、無事に城につけるかどうかだ)

 

 一抹の不安が、歳三にはあった。

 

 

 二人の足は、早い。

 あっという間に軍団に追いつくと、走る速度をやや落とした。

 歳三と徐晃が殿(しんがり)についての、撤退戦である。

 前は追う側だったが、今度は逃げる側とは面白いものだと、歳三は笑った。

 相手も、変わらず烏丸である。

 

(ふむ)

 

 追いかけてくる速度は、烏丸の方が少し速いようである。

 怒涛に響く足音が、近づいてくる。

 

(全体が速いというわけじゃあるまい)

 

 足の速い一部が、突出してきていると見た。

 

「香風よ」

「なに?」

「合図をするからそれに合わせて振り向くのだ」

「それから?」

「思いっ切り斧を振り抜け。心配はいらん、私が援護する」

「わかった」

 

 歳三が援護してくれる、ならば憂いはないと徐晃は思っている。

 一つ、二つと呼吸を重ね、歳三が今だと叫んだ。

 瞬間、徐晃は振り返り斧をぶん回した。

 追いつきかけていた烏丸の一部が、空を舞った。

 斧を振ったせいで、徐晃の脚が止まる。

 好機、と見たか烏丸の一部が徐晃に斬りかかろうとする。

 黒い影が、湧いたかの様に見え、血飛沫が上がった。

 徐晃の影を縫うように、歳三が突出しては斬り殺し、下がる。

 体勢を立て直した徐晃と共に、また逃げ出す。

 

(この手には昔、散々やられたもんさ)

 

 逃げながら、足の早い追手を振り向きざま斬り殺す。

 維新志士の中でも脚自慢の手練(てだれ)が、よくやっていた手だった。

 歳三はそれを、四方から包囲して捕殺する、という手段で対抗したが。

 

「お兄ちゃん」

「なんだ、香風?」

「斧に、当たるよ?」

「なに」

 

 歳三は、いつもの調子で答えた。

 

「心配せずに振ってくれればいい。私はこういう戦いは得意でね」

 

 乱戦の心得が、歳三には(おお)いにある。

 京、という狭い街路や天井の低い家屋に幾度となく動きを制限されながら戦ってきたのだ。

 徐晃の暴風のような斧の狭間をついて敵を斬り倒す等、児戯にも等しい。

 

 

 そうやって何度となく、追いすがる敵兵を蹴散らしていけば、自然追いつくものは減る。

 なれば逃げ切るのも容易になる。

 とは、歳三は思っていない。

 

(そろそろ、来る筈だ)

 

 人間のものではない、力強い足音が聞こえる。

 規則的に、地面を蹴る四つの足音。

 

(来やがったか)

 

 烏丸の、騎兵である。

 人が走るよりも速く、歩兵よりも強い騎兵は、厄介だった。

 倒すのはもちろん、軍勢の横を突かれる恐れがあった。

 事実、烏丸の騎兵たちは歳三らに近づこうとせず、横から強襲を仕掛けようとしていた。

 こればかりは、歳三にもどうしようもない。

 被害が少ないことを祈るか、あるいは当たりもしない銃を撃ってみるか。

 歳三、少しだけ躊躇した。その時、騎兵が一人、落馬した。

 男の首には、一本の矢が深々と突き刺さっている。

 

(まさか)

 

 尋常ならざる弓の腕前を持つ者を、歳三は一人しか知らない。

 次々と、騎兵の首に矢が突き刺さり落馬していく。

 突然現れた弓遣いに恐れをなしたか、騎兵たちが下がっていく。

 正にあの日、あの時と同じように、弓を構えた赤銅の女が進路上に立っていた。

 

「太史慈?」

 

 徐晃が疑問符を浮かべる。

 太史慈が、大声を上げながら近づいてくる。

 

「歳三ー! ごめんよー! 私はやっぱり雪蓮(しぇれん)と冥琳のことを忘れられそうにない!」

 

 どこか、涙を浮かべているようにも見える。

 太史慈なりに、必死になって考えたのだろう。

 考えに考えぬいた結果、彼女はここに居る。

 

「でも! でもさ! それでも歳三と一緒に行きたいんだ!」

「いいさ」

 

 歳三は笑った。

 

「まずは、虎口を脱することだがね」

 

 太史慈と徐晃、稀代の豪傑を両翼にして、歳三は遼東の城を目指してひた走る。

 烏丸はいつの間にか、追跡の手を緩めていた。

 

 

 太史慈の合流もあり、歳三たちは全軍無傷で遼東の城に戻ってきた。

 軍勢を急いで城の中へと入れさせる。

 

(まずは、一段落か)

 

 そう歳三が思った時、徐晃が小さく声を上げた。

 

「あ、星」

 

 城門にもたれかけ、趙雲が立っている。

 明らかに不機嫌そうな顔であった。

 歳三に心当たりはない、趙雲が今回同行していないのは、歳三の策である。

 

「主は私がこうやって城門を開けている間、女子(おなご)を口説きに行っていたのですか?」

 

 なんてことはない、嫉妬である。

 どうやら新しく合流した太史慈を見て、妬いているらしい。

 

「ああ、こんなにも疲れる役目を押し付けて置きながらこの仕打。酷いですなぁ、主は」

 

 歳三、城門を閉じさせないために、趙雲を敢えて連れて行かなかったのだ。

 虎口は三方を閉じられていた。

 ならば、どこを閉じれば四方を閉じることができるかと考えた時。

 自然、城門であると歳三は勘付いたのである。

 現に趙雲の足元には、城門を閉じようとしたのであろう者たちの遺骸が転がっている。

 

「そんなに疲れたか」

「ええ、ええ、疲れましたとも。もう歩けませんな」

「そうか」

 

 歳三は趙雲に歩み寄ると、有無を言わせず抱きかかえた。

 腰に手を回し脚の下に手を回す、いわば西洋の騎士が姫を抱きかかえる格好である。

 突然のことに趙雲は唖然としていたが、状況を掴むと顔を真っ赤にした。

 兵だけでなく、民も皆が歳三と趙雲に注目している。

 

「あ、あの、主? これは(いささ)か、恥ずかしいのですが?」

「歩けないのではなかったのかね?」

「い、いえ! 歩けます! 歩けますとも!」

「ふむ」

 

 歳三はすとんと趙雲を下ろすと、すたすたと歩いて行き号令を飛ばした。

 

「城門を閉じよ! 烏丸が来るぞ!」

 

 切り替えが早い、というよりこれは。

 

「星、からかわれただけ」

 

 徐晃の言葉に、趙雲は地団駄を踏んで答えた。

 

 

「何か、策はあるの?」

 

 城門を閉じる命令を飛ばす歳三に、徐晃は尋ねた。

 策もなく戦う男ではないと、わかっている。

 事実、歳三には策があった。

 

「うむ。太史慈は遼西に居る公孫賛殿のところへ向かってくれ」

「どうして? 折角歳三と戦えるっていうのに酷いじゃないか!」

「そう言うな。公孫賛殿の所に郭嘉と程立という者がいる。彼女らに、こう伝えて欲しいのだ」

 

 心底悲しそうな表情をする太史慈に、歳三は言った。

 

義豊(・・)が助けを求めている、とな」

「それって……」

 

 歳三は答えず、ただ笑った。

 

「さぁ行け、城門が閉まるまでに時間がない!」

 

 笑いながら急かすという器用な真似をしながら、歳三は太史慈を送り出す。

 太史慈は馬に飛び乗り城門へと走らせながら、歳三に振り返る。

 

「と、歳三! 私の真名は!」

「大丈夫だ」

 

 歳三はきっぱりと太史慈の言葉を遮った。

 

「帰ってから、聞こう」

 

 静かだが、力強い言葉だった。

 太史慈は花咲くような満面の笑みを浮かべると、遼西へと向かって城門を抜けていった。

 

「さて、主には色々聞きたいことがありますが、一先(ひとま)ず置いておいて」

 

 趙雲が嫉妬を含みながら、歳三に問う。

 

「これから、どうされるおつもりですか?」

「決まっている」

 

 当然だという様に歳三は答えた。

 

「軍権を強奪しに、城主の元へ行く」

 

 戸板に水を流すように、歳三はさらりと言い切った。




よもぎもち様、誤字脱字報告ありがとうございます。

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