【恋姫†無双】黒龍の剣   作:ふろうもの

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《真名早見表》
 土方歳三――義豊
 徐晃公明――香風(シャンフー)
 郭嘉奉考――稟
 孫乾公祐――美花(ミーファ)
 太史慈子義――梨晏(リアン)


黒龍の片鱗

 昨夜の情事の後を丹念に洗い流した後、いつもの仏蘭西(フランス)式士官服に袖を通した歳三は郭嘉の姿を探した。

 生真面目な彼女のことである、歳三が孫乾と男女の営みに耽っていた間にも、この城の情勢の把握に努めていたに違いないという、ある種の確信があった。

 しかしそれは、歳三にとって少し苦い思いもある。

 

(稟も、女なのだ)

 

 仕事を任せっきりにしていたことにではない、女として扱えていないことに罪悪感を覚えているのである。

 まったく、奇妙な話であったが、この主従だからこそ成り立つ関係でもあると言えた。

 昨日の馬車の件は自然な発露に過ぎない。

 前々から郭嘉は歳三に信頼の関係を越えたものを持っているのを感じていた。

 しかし、だからと言って、無節操に手を出すほど歳三も伊達に経験を積んできた訳ではない。

 孫乾とはまた違った、迫り方というものがある、ということをこの女好きはよく心得ている。

 

(それに、相手が軍師であるならば俺も力でなく知略で越えてぇもんだな)

 

 女を抱くことと戦いは歳三にとってよく似ている、としたがやはり、この男にとってはどこか共通した価値観があるのは間違いないらしい。

 

 

 と、そんなことを考えていたのをおくびにも出さずに郭嘉の居場所に当たりを付けた歳三は、軽い朝食と共に郭嘉のこもっていた資料室を訪れた。

 机に向かって乏しい明かりで、資料を漁っていた郭嘉の背中には、どこか疲れが見える。

 

「おはよう、稟。精が出るな」

「お、おはようございます歳三様! それに、手のものは一体……?」

「ん? ああ朝食だよ。昨日の宴にも出ずにずっとここで調べ物をしていたのだろう? 食べるにしても軽く滋養のあるものにしてある」

「見たところ二人分あるように見えますが……」

「何故だと思う? 軍師・郭嘉よ?」

 

 生真面目な彼女は顎を押さえて考え込む。

 歳三がわざわざ二人分の朝食を持ってきて見舞いにきた、その意味を推察する。

 

(ああ、沖田が俺を見て噴き出していたのがわかるような気がするぜ)

 

 一方で歳三は顔がにやけるのを抑えながら、いつもの不愛想を浮かべていた。

 死んでみてから、死んだ沖田の気持ちがなんとなくわかるというのも妙な話である。

 あの不思議な青年も、歳三に変な問題を与えては噴き出して笑っていた。

 が、歳三は沖田ではない。

 そんな郭嘉の恋心を傷つけるような真似はしない、歳三は鋼かもしれぬが郭嘉の心までそうではないのだ。

 わからない、という顔をした郭嘉に向かって、歳三はいつものむっつり顔で答えを出した。

 

「俺が食うのさ」

 

 目を真ん丸にする郭嘉に向かって歳三は続ける。

 

「それとも、こんなしかめっ面と食事をするのは嫌かね?」

 

 悪戯小僧のようにくすくすと笑う歳三は、郭嘉も見たことがない歳三の表情だった。

 瞬間、湯でも沸かせるのでもないかという風に真っ赤になった郭嘉に、歳三は優しい笑みを浮かべながら膳を置いた。

 

「さぁ、一先ず休憩を入れよう。その後で、話を聞かせてくれ」

 

 未だ言葉を発することが出来ず、机を片付けるばかりの郭嘉。

 それを見て歳三は、こうして郭嘉の可愛い一面を見られるのなら、沖田のいたずらもたまに役に立つものだと考えていた。

 

 

 ともあれ、女好きと戦好きが等価のこの男は、切り替えも異常に早い。

 飯を食い終わった時には笑みを堪えた不愛想などではなく、いつもの冷えた鉄から滲み出るようなむっつり顔で郭嘉の話を聞いている。

 政治、治安、流通、文化、軍事、わからぬことはその都度、郭嘉に質問しながら理解に努めている。

 その甲斐あってか歳三の中で徐州の総合力は幽州よりもやや上回ると言う結論に達した。

 もっとも、年がら年中北方の異民族から侵攻を受けるような土地と、比較的洛陽に近く交通の便も良い徐州と比べるのは酷とも言えたが。

 そして、歳三がもっとも聞きたかった件は、息を殺し辺りを伺いながら聞いた。

 

「謀反の件、どうなっている?」

 

 これには郭嘉も少し眉を(ひそ)めた。

 確かに孫乾誘拐に徐州の豪族が関わっていた可能性が高いが、まだ可能性の段階である。

 だというのに、この男の中では既に謀反になってしまっているらしい。

 

「歳三様、謀反というのは」

「単なる可能性である、と言いたいのか」

 

 二人の視線が交錯する。

 火花が散る、という表現がよくあるが今がそれと言えた。

 最初に視線を逸らしたのは、まさかの歳三であった。

 

「わかった。美花が集めていた情報は?」

「昨晩でまとめておいたのがこちらです。既に拝見しましたが見事な収集能力です。しかし……」

「しかし?」

「これだけの確信がありながら、何故美花は手を出さなかったのかがわからないのです」

 

 郭嘉は眼鏡を直しながら、一度光らせた。

 

「いや、出せなかった(・・・・・・)のかが」

 

 ふむ、と歳三は郭嘉から示された資料を読んだ。

 読んでいく内に、首謀者の名前が目に入った。

 

「この、孫候という人物は?」

「美花の親戚筋に当たる人になります。美花が幼い頃からよく美花に仕えていたようでして、美花も信じられなかったのか彼に関しての資料は他の者に比べて断然多いです」

 

 郭嘉から渡された孫候の資料は、なるほど、他の者の数倍はあろうかという厚さがある。

 歳三はそれを一枚一枚めくり丁寧に読んでいく。

 なるほど、孫乾が孫候の謀反を信じられないのもよくわかる。

 中でも、美花が幼い頃に起きた叛乱の、鎮圧を取ったのが孫候であるところを見ると孫乾の心情は測るに値する。

 ただ、ただそれ故にだ。

 政治や軍事にも深く関わりながら、ある一時を境にして動きが変わったのが歳三の勘に触った。

 

「稟、この日付の辺りから妙に動きが謀反へと傾いていないか?」

「言われてみればそうですが、単純に何かしらの段取りが付いたのでは?」

 

 違う、と歳三の勘が告げている。

 そしてこの男は自身の勘を神仏よりも信じている。

 幾瞬かの沈黙が流れ、思い出した。この時期にあった時のことを。

 

「稟、私にはよくわからないが、この時期は私たちと美花が出会った時の前後ではないのか?」

「言われてみれば……そうですね。日数から考えて恐らく、美花がこの居城についた後、位のことかと思われます」

「普通、逆ではないか?」

「確かに。主君が居ない方が謀略はやり易い筈なのにこれでは……」

「見つけてほしいと言わんばかりではないか」

 

 歳三はここ、初めて孫乾に会ってからの彼女の態度をもう一度考えた。

 盗賊から助けたことを恩に感じ、夜這いまで仕掛け公孫賛への紹介状までも書いてくれた、献身的な女性。

 そんな孫乾が、歳三のことを親以上に信頼している孫候に話さないことがあるだろうか。

 歳三は静かに笑った。

 孫候の意図が僅かながら見えてきたのである。

 

「? どうかされたのですか?」

「信頼され過ぎるのも考え物だと思わないか?」

「まさか」

 

 と郭嘉は言った。

 孫候は、自らを犠牲にして叛乱分子の炙り出しをしようとしている。

 あるいは賊に孫乾の誘拐を許すという失態の罪滅ぼしとして、だ。

 まさか、とは突拍子もない歳三の想像力に郭嘉の理解が追いついたが故の言葉だった。

 が、歳三にとってはまさかなどではなく、そうと決まれば、と歳三の腰は軽い。

 兼定と国広の具合を確かめると早々に席を立とうとする。

 

「これより私は香風を伴って孫候殿の御宅に踏み込む」

「しかし、美花殿はまだ黒と断じた訳では……」

「では郭嘉は何色であると思う?」

「限りなく黒に近い、灰色であるかと」

「稟よ」

 

 郭嘉ですら、背中に流れ落ちる汗の感覚を覚えなければならないほどの凄みが、歳三にはあった。

 

新選組(わたし)に灰色はない。白か黒かだ」

 

 が、その凄みも瞬時にして霧散した。

 歳三は殺気と打って変わって苦笑している。

 

「この場合は、待たれているのだろうがな」

 

 それでもと、郭嘉は軍師である以上、主に忠告をせねばならない。

 首を刎ねられようとも、忠言を行うのが務めである。

 

「罠だった場合は?」

「罠を喰い破って戻って来るさ。それが私の、求められていることだろう? なぁ、稟」

 

 どこまでも、この男は真っ直ぐでわかりやすかった。

 そうではないか、私が仕えると決めた人は、こういう人であると。

 郭嘉は苦笑し。

 

「ええ、その通りです」

 

 と、答えた。

 

 

「ご主人様」

「なんだ?」

 

 話は決まった、と郭嘉と前後策を練っているところに孫乾がやってきた。

 なにやら孫乾は少し慌てている。

 まさか孫候のことがばれたかと内心焦った歳三だが、違った。

 

「来客です。洛陽からの使者が、おいでなさっています」

「今はそんなもの追い返せ」

 

 流石歳三、天下に喧嘩師は己のみと言ったところだろうか。

 元々将軍に仕えるという武士の気概よりも、もっと戦ってみたいと言う気持ちが強い男だ。

 それはこの国の皇帝に対しても変わることはない。

 皇帝や傍臣に敬うという気持は露程もない。

 が、その政治感覚のなさが郭嘉を慌てさせた。

 

「駄目です土方様。それでは美花の立場が危うくなります」

「追い返すだけでもか」

「ええ。今の役人は贅を尽くすことしか考えていません。また、歳三様からも賄賂の一つでも贈らなければ、中央への讒言によって処刑される恐れがあります」

「それは困るな」

 

 その癖、声は滅茶苦茶に落ち着き払っている上に困ってもいない。

 何か、歳三の中での独創が生まれつつあるようであった。

 

「相分かった。美花は歓待の用意をせよ。梨晏には兵に失礼がないように、と伝えておいてくれ」

「わかりました。それとご主人様」

「なんだね、美花」

「孫候殿の件、すべてご主人様にお任せします。ご主人様がどんなご裁断をくだそうと、私は決して恨むことはありません」

 

 そう言って一礼すると、孫乾は部屋を出て行った。

 

(呆れるくらいに、良い女だよ)

 

 と、歳三は己の審美眼の良さに満足しながら、孫乾の信頼に応えるために、郭嘉にあることを聞いた。

 

「……稟よ、この辺りは野犬は出るか?」

「ええ、丁度国境の辺りに行商人が野犬に襲われる被害が出ております」

「そして野犬の群れを避ける様に賊徒らが集まっている、と」

「その通りです。商人や農民たちも、野犬の群れは恐ろしいですからね」

 

 歳三は、眠たげな眼を一瞬だけ鋭くしたのを、郭嘉は見逃さなかった。

 

「そうか、ならば良かった」

「良かった、とは?」

「死体が残らなければ検分はされんだろう。しかし人の肉の味を覚えた犬は危険だから、早めに処分しておくように」

 

 郭嘉は、歳三の思惑の一切がわかったらしい。

 余計なことを言わずに、ただ一言。

 

「わかりました」

 

 と、だけ言った。

 

「では、早急に梨晏と連携を取り、歳三様の到着を待ちます」

「任せた」

 

 歳三は部屋を出て、腰の兼定の具合を確かめた。

 

 

 月も頂点を過ぎ、地の果てに沈もうかという夜分に、歳三は徐晃を連れてある場所を訪れていた。

 何を隠そう孫候の自宅である。

 しかし、夜分故に孫候の自宅の門は固く閉ざされている。

 さてどうしたものか、いっそ侵入するかと考えていたところに、薄暗い路地の方から老人が一人現れた。

 体躯やせ細ってもなお、気力が満ちている老人である。

 さぞ、名のある者だろうと歳三が思った時に、その老人は手招きをした。

 曰く、こちらに孫候宅の勝手口がある、と。

 

「どうする?」

「愚問だよ」

 

 徐晃の問いに、歳三は短く答えた。

 

「私も香風も、弱くはないだろう?」

「……うん」

 

 歳三が徐晃の強さに万感の信頼を置いているのを感じて、徐晃は頬を赤らめた。

 そんな二人の姿を微笑ましく見つめながら、老人はお早くにお願いします、とだけ言い路地裏へと消えていった。

 歳三らも闇の中へとついていく。

 辺りに人の気配はなく、驚くほど簡単に孫候宅に入り込むことができた。

 そしてとある一室、先ほどの老人が姿勢を正して座っている。

 ここにきてようやく、歳三も徐晃もこの老人が何者であるかを理解することが出来た。

 

「お待ちしておりました」

 

 深々と礼をする、老人こと孫候。

 

「私が、この度の謀反の首謀者、孫候公徳でございます」

 

 歳三も徐晃も姿勢を正す。

 が、孫候のあまりの潔さに徐晃は少し呑まれ気味だ。

 歳三に関しては、予想していた範疇だったのか、少し悲しそうな眼で孫候を見ている。

 

「これが徐州にて謀反を企む豪族たちの連名状になります、こちらが、城内に住む者たちの連名状となります」

「……貴方ほどの人がどうして、と言うべきではないのでしょうな」

 

 黙々と謀反の証拠を差し出す孫候に、歳三は思わずそんなことを言っていた。

 孫乾や民衆からの信頼も厚い孫候がこんなことをしたのは、偏に孫乾の為。

 裏切者の汚名を着ることになろうとも、孫乾を誘拐してまで徐州を乗っ取ろうとしたのが許せなかったのだろう。

 現在、徐州では太守である陶謙は病に倒れ、全権を孫乾が握っている状態にある。

 歳三らが遭遇した賊徒は、単なる賊徒ではなかったと言うことだ。

 

「貴方ほどの人だからこそ、このような汚れ役を背負った」

「それはお互い様でしょう、土方様」

 

 孫候は翁らしい柔らかい微笑みを浮かべた。

 

「幽州での鬼神の如き活躍は聞き及んでおります。自身を悪鬼羅刹に見立て味方を鼓舞し敵を畏怖させる……見事な戦略ではありませぬか」

「買い被り過ぎですよ」

 

 歳三は首を振った。

 

「私はただの喧嘩師です。戦いあるところに行きひたすらに戦うことしかできない、そういう男です」

 

 歳三は不愛想な表情を変えずに言った。

 

「例え、死んだとしてもそれは変わりません」

「駄目ですぞ土方殿。貴方の様な人は既に乱世のみの英雄ではなくなりつつあるのです」

 

 孫候が少しだけ声を荒げた。

 それが歳三への忠告なのか、あるいは愛する主が惚れた男に対する説教なのか、歳三にはわからなかった。

 

「もっと人を信じなされ、美花でなくても儂でなくても構いませぬ。そこの、貴方をひたすらに慕う彼女だけでも、心を開いてみなさい」

 

 歳三の心に、ずんとした何かがのしかかった気がした。

 

(心を開いた……仲間)

 

 果たして、歳三にそんな仲間が居たか、どうか。

 江戸の田舎に居た頃、試衛館の頃ならば確かにいた。

 近藤に沖田に、永倉に原田に斎藤に藤堂に、時間はかかったが山南も居た。

 では京都の頃はどうだ、新選組副長という鬼の異名を羽織って戦い、新政府軍とは陸軍奉行並として戦っていた。

 

(ああ、そうか)

 

 ようやく、歳三も気づいた。

 変わっていたのは何も近藤ばかりではない、歳三も沖田も、京に上り皆が変わっていったのだ。

 それなのに、自分だけは変わっていなかったつもりでいる。 

 だから本当は、置いて行かれたのは自分の方かもしれないと言う気持が、少し強くなった。

 そんな歳三の心情を表すには、少しばかり時間がなさ過ぎた。

 

「難しい話ですな」

「そうですか……では、代わりに教えてくださらぬか。何故、難しいのか」

 

 しかし何故、こんな簡単なことが難かしいのかは、歳三は一言で表すことができる。

 

「それが、私の士道であるが故に」

「そうですか……それでは、これからも美花をよろしくお願い致します。それがこの老人の、最後の頼みです」

「無論です。香風、今すぐに連名状を持って稟に渡してくれ。なるべく、人には見つからぬようにな」

「お兄ちゃんは、どうするの?」

「人は、成したことの責任を取らねばならぬ時がある」

 

 兼定を、鞘から抜いた。

 孫候は曲がりも何も謀反の首謀者である。

 民の反発が如何に大きかろうと、それを許すことは絶対にできない。

 それが法であるからだ。

 

「その介錯を務めるのは、私にとっては名誉なことなのだ」

 

 だからこそ、鬼の謗りを受けるのは歳三だけでいい。

 そのつもりで徐晃を離そうとしたのだが、簡潔な言葉でそれは拒否された。

 

「嫌」

「……どうしてだ」

「お兄ちゃんが地獄に落ちるなら、シャンもついていく」

「幸せ者ですな、土方様は」

 

 孫候は、笑った。

 その笑顔は、満足して死に逝く者の笑顔によく似ていた。

 歳三は、徐晃にも孫候にも負けた気がしていた。

 きっと徐晃は梃子でも動かぬだろうし、孫候も説得を手伝うつもりもないだろう。

 歳三はふ、と笑うと折衷案を出すことにした。

 

「ではこうしよう。私は最後に孫候殿に男として聞きたいことがある」

「うん」

「だから、聞いていないことにしておいてくれ」

「わかった」

 

 徐晃が頷いたのを見て、歳三は孫候の後ろに回った。

 孫候は歳三が首を斬り落としやすいように、ぐっと姿勢を歪めた。

 

「孫候殿、最後に何か、私に(ことづけ)はありますか?」

「ふふ、鬼だ修羅だと噂される割には、未練の多い人ですな、土方殿」

「まったく、未だ修業が足りぬ身です」

「冥府魔道に落ち、災厄をもたらす黒龍となり果てることを恐れ成されるな。今の貴方には、共に地獄に堕ち、共に天道へと昇る仲間がいなさるではないか」

 

 徐晃の紫色の瞳が、視界に入った。

 見えなくとも、趙雲の、郭嘉の、程立の、孫乾の、太史慈の姿が暗闇に見えるようである。

 歳三は、彼女らを振り払おうと目を閉じた。

 

「まだ、お認めになられぬのですか。私には土方様が過去の亡霊に囚われているのが見えまする」

 

 瞼の中の暗闇の中に、薄くぼんやりとした人影が見える。

 近藤が、大きな顎を開けて笑っている、沖田が、いたずら小僧のようににこにこしている。

 原田が、腹の一本傷を出して大笑している。山南が、微笑んでいる。

 

「その亡霊を、私ごとお斬り下さい、土方様」

 

 歳三はかっと目を見開いた。

 そこにあるのは孫候の痩せた首筋と、徐晃の姿である。

 

(私は、ここにいるのだ)

 

 歳三は、ただ感謝した。

 

「……すまぬ、孫候殿。肝心の私が貴殿の晩節を汚してしまうとは」

「構いませぬ。後進と将来の婿殿を育てるのは翁の定め……では土方様、さらば」

 

 歳三も、間髪を入れずに兼定を振り下ろした。

 

(これが、ここでの武士というものか)

 

 手に、肉と骨を断つ感触が伝わってきた。

 首が、飛んだ。

 

(さらば)

 

 それは誰に対しての別れかは、歳三だけが知っている。

 

 

 孫候の遺体を整えてから、歳三はふと呟いた。

 

「黒龍、か」

 

 程立にも、同じことを言われた。

 もう、否定することはできないだろう。

 亡国の漢を助けると言われる天の御使いを抑え、黒龍として現れたのは何の因果か土方歳三。

 

「私が流星を呑み、陽光を掴み蒼天に消え去る……」

 

 陽光とは、程立が程昱と名前を変えた理由。

 支えるべき日輪と定めた相手、曹操孟徳。

 三国志における最大最高の英雄と、歳三は戦う定めにあるというのか。

 また再び、滅亡の淵にある国に枕をし、敗軍の将として死するのか。

 それはとても。

 

「いいじゃないか」

「?」

 

 歳三は兼定を拭いながら、疑問顔の徐晃に静かに微笑んだ。

 とても純粋で、透き通るような笑みだった。

 そこには獰猛さも勇猛さも欠片もない、子供の様な無邪気な笑みだった。

 

近藤勇(でこっぱち)に総司よ、俺はまだ、地獄に行くには早ぇらしいぜ)

 

 黒龍というあだ名も、気に入った。

 元より歳三、黒色が好きな男でもある。

 そして災厄をもたらすという、喧嘩師らしい自分の生き方に向いている神獣(ばけもの)ではないか。

 

(どうでぇ死んだ甲斐があったらしい。俺の面白れぇ人生はまだまだ始まったばっかりのようだ)

 

 しかし、その前にやることがある。

 

「黒龍初の立ち上がりにしてはちと地味だが、まぁいいだろう」

「今度は何をするの?」

 

 こうして、ついてきてくれる仲間(おんな)も、いる。

 歳三は徐晃の頭を撫でながら、容易極まりないことを簡単に言ってのけた。

 

「決まってるよ、役人殺しさ」




孫候公徳・オリジナルキャラ、徐州編ではどうしても必要だった一話で死ぬキャラ。
     名前が誰かと被ってたら教えてください。

リドリー様、飛車厨様、誤字報告ありがとうございます。

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