【恋姫†無双】黒龍の剣   作:ふろうもの

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覚醒

 徐晃が男を見つけたのは偶然だった。

 村へと向かう道中で突然の霧に視界を失いかけていた中、幽鬼の様にその男は現れた。

 今にも馬から崩れ落ちそうな姿と手に縛り付けられた細剣と、何よりも腹から血を流しているのを見て賊と戦っていたのだと徐晃は理解した。

 それなりに名がある者だとも見た。何分、身形が良い。それに貴重な軍馬にも乗っている。

 下心がなかったとは言わないが、助けておけば後々何かしらの利が受けられるかもしれない、そう思い徐晃は男を助けた。

 近く村の宿屋の一部屋を借り、懸命に傷の手当てをした。

 腹部の貫通孔は槍にしては細すぎ、弓にしては太すぎる傷で、村にたまたま居合わせた医者も治療を終えると後は男の天運次第だと言って去っていった。

 ここまできたならば最期まで、と徐晃は男が死ぬか息を吹き返すまで村で過ごすことにした。

 そうこうしている内に村にやってきた趙雲、戯志才、程立らと徐晃は知り合い、変わった男のことを日々語らいながら過ごしている。

 

「なるほど、あの殿方が霧の中から現れるのを見た、と」

「そう。怪我していたから、助けた」

「確かに身形は良かった。しかしそれだけでここまでする必要があったのですか?」

「それはあの人が目を覚ますのを待てばいいだけなのですよー」

 

 その男は今、汗を吹き出しながら凄まじい顔で眠っている。

 

 

 人間、死に直面すればこれまでの人生を走馬灯のように思い返すと言う。

 歳三は正に今、殺してきた人間たちの怨嗟に塗れていた。

 切腹を命じたもの、暗殺してきたもの、戦乱の中で殺したもの。様々であった。

 しかし、歳三はむしろ怒りを感じていた。

 

(侍が、怨霊などになるか)

 

 歳三、生まれは多摩の百姓だが、心根は300年怠惰に塗れた旗本武士よりも強い。

 怨霊など斬り捨ててやるとかっと目を見開いて、枕元に置いてあるだろう愛刀・和泉守兼定に手を伸ばした。

 手が空を切った。差料がない。

 気づくと慌てて身体を起こした。服は、士官服ではなく粗末なもの。腹の傷も手当てされている。

 

(一体誰がこんなことをした)

 

 天下は薩長のものとなった今、新選組副長を助けたとあっては無用な謗りは免れまい。

 もしや土方歳三と知らず助けたのか。ならば、その恩義には報いなければなるまい。

 歳三はただそれだけを思い、寝台から立ち上がった。

 寝ていた部屋が見慣れぬものだとしても、気にならなかった。

 蝦夷でもここまで壊れかけた建物はなかろうと思いながら、扉を開いた。

 

「おや、お目覚めですか?」

 

 女が居た。濁酒(どぶろく)の匂いがする。酒を飲んでいるようだ。

 

(慎みのない女だ)

 

 それが、第一印象だった。胸の上部を露出するような煽情的な格好に、腿も晒した丈の短い着物である。

 しかし肩周りと脚は、洋服のようにも見える。

 見れば見るほど珍妙な女だった。ただ、美人ではある。

 

「……何故、私を助けた?」

「これは異なことを。助けられるより見捨てられるのをお望みか」

「私を知らぬと見える。いいから早く近くの番所に駆け込みなさい。土方歳三が居る、と」

「土方、歳三?」

「そうだ。この首、薩長に差し出せばそれなりの値が付こう」

 

 女はつと、考える仕草をして。

 

「知らぬ名前ですな」

 

 そう、答えた。

 

(知らないだと?)

 

 これには歳三、内心慌てた。彼の悪名は京のみならず各地の転戦のお陰で全国に鳴り響いている。

 それを、知らないとは。

 

「何を可笑しなことを、からかっておられるのか」

「ははぁ、傷が癒えてばかりで混乱されておるのかな。しばし待たれよ」

 

 女は歳三に構わずどこかの部屋の扉を開けている。

 歳三は眩暈を感じ椅子に座り込んだ。

 傷によって血を失い過ぎたのもある、なにより土方の名前が知られてないのも一因だった。

 

(確かに、未開の地には見える)

 

 落ち着いて見渡せば蝦夷・函館にすらなかったようなボロ屋に歳三は居るようだ。

 まさか海にでも落ちて遠くへ流されたか、そうとさえ思えた。

 

「起きた」

「あの傷で目を覚ますとは……」

「やはり只者ではないのですよー」

 

 先ほどの女が引き連れてきたらしい、連れの女がどやどやとやって来て途端に姦しくなる。

 歳三は頭痛がしてきた。どいつもこいつも美形の癖に恥じらいはないのかと頭を抱えたのだ。

 口数少なそうな最初の女、いや娘はとにかく小さい。背も胸も小さいが身体のほとんどを露出している様な格好だ。かろうじて胸と恥部とを隠している様な具合である。

 次に見えたのは眼鏡の女だ。これまた腕と肩を大きく露出し、丈の短いスカートを履いている。

 最後に現れたのは歳三の心をやや落ち着かせた。露出は他の三人に比べればほとんどなく、スカートも膝丈までである。どう見ても娘であることと頭に人形を乗せていることを除けば、だ。

 

「なんだ、君たちは」

「なんだとは心外ですなぁ。貴殿を助けた我らに向かって」

 

 最初の女が、そう言った。

 

「それは失礼した」

 

 頭を下げる歳三。傲岸なところもあるが命の恩人にまで不遜であることはない。

 もちろん、いずれ刎ねられる頭ならば幾ら下げても安くないと思っているところもある。

 

「頭を上げて。星は言い過ぎ」

「これはすまないな香風(シャンフー)。この方が面白くて、ついな」

「最初に言っておきますが、貴方を助けたのは私たちではなく香風です」

「そうですよー。星さんは調子に乗り過ぎです」

「そうかね」

 

 歳三は改めて、香風と呼ばれた少女に向き直った。

 

「この度は大変助かりました」

「そんなこと……」

「つきましては早々に官軍にお知らせなさい。新選組の土方歳三を匿ったとあれば貴女にまで累が及ぶ」

 

 目の前の少女は驚いたような顔をしている。

 さすがに、この者は私のことを知っていたか、と内心歳三は安堵する。

 

「……賊、なの?」

「薩長の官軍どもから見れば、私など賊の親玉でしょうな。幕府など、形骸に過ぎぬ故」

「あのー、一ついいですか?」

「なんでしょう」

 

 唯一、露出の少ない娘の言葉に歳三はいつもの通り不愛想に答える。

 

「官軍はわかりました。けれども貴方の言う薩長や幕府がわからないのですがー」

「…………なに?」

「そうです。貴方は自分のことをさも知られているようにおっしゃっていましたが、私たちは貴方の名前など聞いたことがありません」

 

 眼鏡をクイとあげながら女が不審な目を向けてくる。

 歳三はそんなこと知らぬと言わんばかりにむっつり顔で思案していた。

 まさか薩長や幕府までもが知られていないとは、一体どんな僻地であるのか。

 こればかりは聞いてみなければわかるまい。事実、そうした。

 

「失礼ながら、ここはどういった場所で?」

「青州楽安郡、冀州楽陵郡との境の村でありますな」

 

 最初の女が答えた。

 青州――歳三、即座に思い出す。昔、近藤に強く勧められた三国志で読んだことがあるのだ。

 青州といえば曹操による苛烈な討伐による結果軍門に降った青州兵と、冀州ならば名門・袁紹の名が思い出される。

 だとすれば。歳三の中でいろいろな知識が引っ掻き回される。

 

「では現皇帝は?」

「霊帝であらせられますな」

 

 霊帝、後漢末期の、三国時代の引き金を引いた皇帝である。

 ならばここは、後漢の古代――およそ1200年以上前ということになる。

 それならば新選組も土方歳三も、薩長も幕府も知らなくて当然である。そもそも存在しないのだから。

 

(そんな馬鹿な)

 

 表情には出さないが俄かに混乱する歳三。

 無理もない、今の今まで蝦夷で戦っていたのだ。瀕死の重傷を負って。

 腹を押さえる。確かに傷はあった。これだけが歳三と蝦夷の戦を繋げる最後の砦と思えたのだ。

 

「……何度もすまない、誰がこの手当てをしてくれたのだ」

「私」

 

 露出の多い娘が答える。

 歳三、やや考えてから、聞いた。

 

「何故、私を助けようと思った?」

「……官軍の将軍と思ったから。それと」

「それと?」

「悪い人じゃ、なさそうだったから」

「そうか、そうか……」

 

 歳三は笑い始めていた。

 皆が、そんな歳三を不審そうに見ている。

 

「何かおかしいことでもー?」

「おかしいさ。よりにもよって私が悪い人でないとはな」

 

 人形を頭に乗せた娘にそう答えると、歳三は辛抱たまらんという風に笑いだした。

 

(新選組副長として、内からも外からも蛇蝎の如く嫌われたこの俺がか)

 

 泣く子も黙ると嘲られてきて、今更そんなことを言われるとは思わなかったのである。

 

「……侮辱ですか!」

「まぁ待て稟。あの笑いはそういう笑いではない。心底面白かったのだろう」

 

 そう言いながら女は濁酒を飲んだ。

 

 

 ひとしきり笑った後、歳三はむっつりとした顔で四人と向き合った。

 

「これは失礼しました」

「急に笑い出すのだから、気でも狂ったのかと思いましたぞ?」

「私も自分がそうではないのかと半ば思っている。だが夢のようなものと思えばどうということはない」

 

 歳三、笑った後には既に過去の自分と見切りをつけていた。

 盛大に狸に化かされているのか、あるいは今際の際の幻想か、どちらでもいいがとにかくそういうものと割り切っている。

 そうと認識を決めた以上、歳三の腰は軽い。

 頭の中は既にこの時代に生きるための術を探し始めている。

 

「申し訳ないが私の服と持ち物はどこかな?」

「いやいやいや、少しお待ちくださらぬか。命を助けられておきながら名も名乗らないとは、いささか無礼に過ぎませぬか?」

「風たちは香風にちょっとお金を渡しただけ――」

 

 濁酒の女が人形の娘の口を塞いだ。むぐぐ、と呻いているが歳三にはどうすることもできない。

 

「それに武人とお見受け致しました。そのような方が一宿一飯どころか命を助けられたことに、なんとも思わないのですか?」

 

 武人――歳三にとっては即ち武士(もののふ)や侍と同義である。

 誰よりも鮮烈に憧れて、目指し、なった以上自ら名を汚すようなことはしたくないというのが歳三の本音であった。

 少々、この女に乗せられているのが癪ではあったが、それが歳三の性分なのである。

 

「……土方歳三」

「ふむ、変わっておりますな? (あざな)が――」

「字はない。姓が土方、名は歳三。さぁ、私は名乗ったが、君たちはどうする?」

 

 底冷えするような目で、睨んだ。質問すると鋭くなる、新選組時代の悪い癖である。

 意図したつもりはないが、濁酒女と露出の多い少女からは一瞬ではあるが殺気が感じられ、彼女らは武人であると歳三は勘付いた。

 逆に女と人形娘の方は少したじろいだ。多分、武とは遠い人間であろう。

 

「では私から。姓は趙、名は雲。字は子龍と申す」

「あの趙雲子龍だと?」

「どの趙雲子龍を指しているのかわかりませぬが、私は確かに趙雲です」

 

 歳三も知らぬ名ではない。趙雲子龍、五虎大将軍として蜀に仕えた義の人である。

 

(まさか女だったとはな)

 

 今更趙雲の正体が女でした、と言われても歳三にとっては些事である。

 認識が間違っていなければ1200年も前の時代にいるのに、これ以上何を驚けというのか。

 

「では私だけ、では具合がよくありませぬな。ほら香風」

「シャンは徐晃」

 

 露出の多い娘までも、猛将・徐晃と言うか。歳三は驚きを通り越して呆れていた。

 そして猛将二人がここに居るのならば、残りの二人は軍師でなければ道理が通らぬ、と歳三は睨んでいた。

 

「私は戯志才」

「偽名か」

「……どうしてそう思われましたか?」

「ただの勘さ。それと、そういう聞き返し方はやめた方がいい。偽名と露見するぞ」

 

 嘘臭い、と勘づいただけだ。だが勘も馬鹿にはできぬと歳三は思っている。

 事実、京では町人に化ける間者が多かった。時には勘働きさせねばそういう輩を見逃すこともある。

 それに斬り合いにはある種の勘がなければまず死ぬ。

 そういうわけで、歳三は自身の勘については自信がある。故に言った。

 

「風は程立と申しますー」

「ほう、程昱」

「むー、本当はお兄さん、私たちについて何か知っていますね?」

 

 疑念の目を人形の少女こと程立が向けてくる。趙雲、徐晃、戯志才とやらも同様だ。

 しかしお兄さんという年齢(とし)でもないのだが、と内心苦笑する歳三。

 表の面だけは憎たらしい不愛想のままだが。

 

「私などただの素浪人に過ぎぬ」

「お兄さんがそういうなら、こちらにも考えがありますよー」

「なに?」

「お兄さんの持ち物、すべて売らせていただきますー」

 

 どこからか取り出したか和泉守兼定と堀川国広が程立の手に握られていた。

 同じく、仏蘭西式士官服一式が趙雲の、ズタ袋が戯志才の手の内にある。

 

「お兄さんの為に風たちは身銭を切りましたからねー、路銀が足りないのです」

「なるほど、兵糧攻めというわけか。策士だな」

「で、どうします? お兄さんの返答次第では売っちゃいますがー」

「ふむ、これは困りましたな」

 

 歳三は笑った、が目は笑っていない。

 強硬策として程立を絞め殺すことも考えたが、趙雲と徐晃が居ては逃げるのも難しいだろう。

 

真実(まこと)を話したところで信じるわけもあるまい)

 

 どうしたことかと逡巡する。身一つでも生きていく自信はあるが、万一売って金にできる服や雑貨をむざむざ手放すのも惜しい。

 もちろん、武士の魂ともいえる愛刀和泉守兼定と同じく堀川国広を手放したくない。

 これは紛れもない歳三の本音である。

 

「お待ちくだされ。ここはこの趙子龍にお任せを」

 

 程立との睨み合いに割り込むように、趙雲が身を乗り出してきた。

 ほとほと策なく歳三も困り果てていたところである。今は空気を変えたい。

 歳三は了承し、程立も怪しげな笑みを浮かべながら了承した。

 

「まずは確認を。風は土方殿を見極めたい、土方殿は持ち物を取り返したい、そこに異論はございませぬな」

「ない」

「ありません」

「ではこうしましょう、この趙子龍、土方殿と一手戦おうと思います」

 

 やられた、と歳三は思った。まさか程立もこれを狙っていたのではないか。

 事実、程立も成功したというようなあくどい笑みを浮かべていた。

 

「まさか武人である土方殿が嫌とは申しますまいな?」

 

 悪戯めいた趙雲の視線に、歳三は内心憎々しく思っていた。

 だが、思考を切り替える。

 この女が本当にかの高名な趙雲子龍なのか確かめる機会がきた、と。

 本物ならばそれで良し、名を騙るだけの女子(おなご)ならこの場所がより不確かなものになるだけのこと。

 

「よかろう」

 

 歳三は立ち上がる。

 

「ではこの時だけ、我が愛刀を返してくれませぬか、程立(・・)殿」

「いいのですよー」

 

 意地の悪い笑みを浮かべる程立から和泉守兼定を受け取る。

 長脇差である堀川国広は、人質ならぬ刀質らしい。

 なるほど、策士らしく武人の嫌がるところを押さえている。

 

「参りましょうか、土方殿」

 

 趙雲に促され宿の外へ出る。ふと、空を見上げた。

 

(空の色は、どこも変わらぬな)

 

 そんなことを、歳三は考えていた。 




ここで程立のことを程昱と呼んでいるのはわざとです、また何か一文を追加しておきます。

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