土方歳三――義豊
趙雲子龍――星
徐晃公明――
程立仲徳――風
顔を赤くしたままの楽進に連れられて、歳三たちは官軍の本陣へと入った。
流石に正規軍の本陣である、立派なものだ。
武器一つから鎧や布に至るまで、どれもが良質なもので備えられているのがわかる。
(それにしては妙だな)
と、感じたのは恐らく歳三だけではなかっただろう。
徐晃は小さく眉を
何が妙かといえば、まず兵士たちに覇気がない。
まるで勝とうという意志が感じられないのだ。
(ここの兵は満ち足りすぎている。飢えていないのだ)
と、歳三は評した。
勝利に対する欲求が薄い、というよりどうでもいいと表したほうが良いか。
官軍が勝とうが負けようが、自分が生き残れればそれで良い。
ここには着るものも食べるものも、雨風を凌げる程度の陣幕もある。
それでいいじゃないか、といった、そんな空気が陣には蔓延している。
「これじゃあ私たちや義勇軍の方がよっぽど活気に満ちているな」
「実際、黄巾党に連勝しているのは少数の官軍で、義勇軍の活躍の方をよく聞くのですよー」
歳三が楽進に聞こえぬ程に小さく溢した言葉に、程立は素早く反応した。
もちろん、前を行く楽進には聞こえぬよう、歳三と徐晃にしか聞こえぬほどの声である。
「官軍で名の聞こえている将軍は曹操殿や袁紹殿、皇甫嵩殿くらいです。後はほとんど義勇軍の于禁殿や李典殿、そしてお兄さんが口説き落とそうとしている楽進殿の活躍ばかりなのですー」
「風よ、今はそれは後にしてくれないか」
「しょうがないですねー。それと義勇軍といえば劉備殿ですか。それ以外では雇われ将軍の盧植殿以上の将軍は、官軍には風の知る限り存在しませんねー」
「これだけ立派なものがあって、人が居ないのか、官軍には」
「そうですねー。ほら、あそこを見てください」
風が指差した先には、他の何よりも立派な陣幕が見える。
恐らく官軍の将軍たち専用のものだろう。
正面に立っている兵士たちも、他に
「お兄さん、耳をすませてみてくださいー」
歳三、程立に言われた通りに耳をすました。
風に流されて不平不満が流れて来るが、その中に馬鹿笑いや杯のふれあう音が聞こえてくる。
どうやら例の、一際仕立ての良い陣幕から聞こえてくるようだ。
(まさかあいつらァ、勝ってもいねぇってぇのに戦勝の祝いをやってんのか)
歳三は目を見張った。
この戦はまだ始まったばかりで、勝っても負けてもいない状態である。
つまり、これから負ける可能性も存在する戦である。
だというのに指揮官だけが酒盛りを始めているとは、兵士たちが意欲をなくすのも相違ない。
(青州を治める為に宮仕え、なんて日が来たらァ冗談じゃねぇや)
歳三の想像以上に官軍、ひいては漢帝国というものは腐敗が進んでいるらしい。
前を行く楽進も、歳三の絶句を感じ取ったか悔しそうに言葉を絞り出した。
「国を想って立ち上がったのに、官軍はいつもああなのです」
「ああ、とはどういうことかね?」
「官位がなければ、まるで相手にしてくれない。献策をしても鼻であしらわれる。失敗すれば私たちの失敗、成功すれば官軍の手柄。これでは私たちは何のために立ち上がったのか」
ぎり、と楽進が握りしめた拳が鳴った。
歳三も、眼の前の光景を見て楽進の言いたいことがようやくわかった。
本陣からの外れが、義勇軍にあてがわれた場所だとひと目で分かる。
粗末な陣に馬防柵も
それでも、戦う意志だけはある分、こちらの方が
(武士は食わねどなんとやらというが、軍隊は食わなきゃ話にならねぇ)
そう思ったのなら歳三は早い、程立に素早く目配せをした。
程立も歳三の意志を汲みとった。
「星ちゃんたちをすぐに引き戻してくるのですよ。それと楽進殿、ひとつお願いがあるのですがー」
「なんでしょうか? あの……」
「程立と申します。すぐに食事の用意ができるようにしておいてくださいねー」
「程立殿、食事の用意を……ですか? それはできますが、食べるものは董卓様が来るまでは……」
「とにかく、用意しておいてくださいー」
半ば強引に、食事の用意を楽進に押し付けると程立は徐晃を連れたって戦場へと戻っていった。
一度、刃の海を越えれば肝も据わるのだろう、飄々としながらも堂々たる行軍である。
楽進は困惑しながら、歳三に話しかけた。
「しかし土方殿。我々が食事をするのも官軍にとっては……」
「気に入らないことだ、と?」
楽進は静かに頷いた。
ふむ、と歳三は少しだけ考えて。
「何かあればその時は、私がなんとかするさ」
と、だけ答えた。
およそ何の捻りもない言葉であったが、楽進は万の味方を得られたように思えた。
◇
快進撃を続けていた趙雲たちが舞い戻ってきたのは、程立が出てから一時もないくらいである。
それから義勇軍の陣では程立による指揮の元、すぐさま食事の配給が始まった。
一方で歳三は、官軍と義勇軍との陣の境目に
ここが私の陣である、と言うように膝の上には橋を渡す様に兼定が置かれていた。
更には腕を組んで眼を
が、誰も声を掛けようとは思わなかった。
何もしないでいることが、逆に恐ろしく思えたのである。
ほとんど付き合いのない楽進ですら、
徐州や幽州の兵士なら、どれだけ恐ろしかったかよくわかっただろう。
そんな歳三に、声を掛ける物好きな者が居た。
「……食べないの?」
「うん?」
女性の声であった。
それに、歳三の予期していなかった問いの形でもある。
ぱちくりと瞼を開けると、歳三の眼の前に
肩と腹に派手な
ぴょんと、二房の長い髪の毛が跳ねているのが、実に目立つ。
(こいつはやべぇぜ)
歳三は誰にもそうとは気付かれずに、一人冷や汗をかいていた。
寝ているように見えたあれでも、周囲に気を巡らせて人の気配を探っていたのである。
それなのに、この少女は何でもないように歳三の眼の前にまでやって来た。
害意もなく敵意もなく、ただ普通に現れることができる人間なんて、歳三は一人しか知らない。
(こいつは沖田と同種の人間だ……腕も、尋常じゃねぇはずだ)
沖田総司。言わずと知れた新選組で一、二を争う剣の遣い手である。
しかし普段はまるで害意のない好青年であり、専ら歳三をいじることに時間を費やしていた。
眼の前の少女と沖田が、どうしても被る。
それだけで、歳三の頭の中で危険だと言う本能が叫ぶのである。
敵か味方か。今のところ刃を向けられていない分、敵ではない。
だが、こういう種類の人間は害意を感じればすぐに殺し行く、と歳三は間近で知っている。
「私は、要らないよ」
「……ん。 ……好き嫌い、よくない」
ぐ、と歳三は声にならない声を飲み込んだ。
食い物にも好き嫌いが多いこの男は、配給の食事を味見するだけで食べる気が失せたのである。
だから、一人膳をする気にもなれずに人から離れて居たのだが、それを一瞬で看破された。
内心悔しさで一杯だが、精一杯の不愛想顔で、なんとか言葉を続けることが出来た。
「私はいいよ。良かったら私の分も食べてくれ」
「……いいの?」
「構わないさ。美味そうに食う人間を見るのが、私は好きでね」
知らず、沖田の言葉に似ていた。
肺を結核に侵された沖田は、食が細くなり遂にはほとんど何も口にしなくなった。
それでも歳三は沖田を遠ざけるようなことはせず、好きに一人膳の邪魔をさせていた。
――総司よ。そんなに人の飯を見るのが好きか?
――ええ。好きですよ。私はあまり食べられないから、人が食べる姿を見るのが好きなんです。
そんなやり取りを、思い出していた。
「……泣いているの?」
「泣いてなどいないだろう」
怖いくらいに心情を読んでくる辺り、本当に沖田に似ている少女だった。
「さぁ、私に構わず行ってくれ。私はもう少しここで眠っている」
「…………わかった」
そう言って去っていく少女と入れ違いにもう一人、少女がやってきた。
派手な服装な割には儚げな印象を与えるのが、妙に歳三の脳裏にこびりつく。
(後々敵となるやつらはァ、粘っこい印象なものだが、この感じは何だ?)
不思議に思うも歳三は顔には出さない。
ただ、そこらの将兵とは格が違うと言うことは見て取れた。
この傲岸不遜な男には珍しく、床几椅子から立って少女を出迎えた。
「さぞ名のある方とお見受けします。私の名は」
「土方様、ですよね?」
小さな声で、遮られた。
本当に、その辺の将兵とは違うらしい。
大男に見下ろされている形になっているというのに、物怖じしない芯の強さが、ある。
そんな少女を、歳三は悪く迎える気など毛頭ない。
自然、対応も丁寧だった。
「はい、その通りです」
「この度は官軍への援軍と義勇軍への援助、本当に感謝しています」
「それが、私の役目ですから」
「謙遜しないでください。おかげで詠ちゃんの策もうまくいきましたし、
「失礼ですが、それは真名かと思われますが、私はまだ」
「あ、すみません。親密そうに話していたので、もう真名を交換し合ったものかと」
少女が申し訳なさそうに笑うのを見て、歳三は更にざわざわと何かを掻き立てられていく。
その何かがわからぬままに、歳三は次の瞬間に眼を見開くことになる。
「恋ちゃんは呂布奉先と言います。そして私は董卓、董卓
「貴女が、董卓殿ですか?」
思わず、間抜けにも聞き返していた。
◇
「失礼しました。先ほどのことは忘れていただけたら、と」
知っている者が聞けば驚くような謝罪を、董卓は快く受け止め許してくれた。
が、歳三の内心はざわめき続けている。
(呂布はまだわかる。が、この子が董卓だと?)
董卓が如何に暴政の象徴であるかは、歳三ですらもよく知っている。
しかし、目の前に居る少女は悪とか不善とはまるで関係なさそうである。
それどころか清廉そうで真面目そうで、純粋そのものといった少女ではないか。
彼女を悪逆の化身と呼ぶのなら、歳三などどんな二つ名が付くか分かったものではない。
「どうかされましたか?」
「いえ、想像していた董卓殿よりだいぶその、戦が苦手そうだなと思いましてな」
これでは剣も握れぬだろう小さな手だと、武士である歳三にはそう映った。
「はい。戦うことは嫌いです。 ……でも戦わなくちゃ生き残れないのなら、頑張るしかないですから」
歳三にとっては雷に打たれた様な衝撃であろう。
戦うことが好きで戦う男と戦うことが嫌いだがやらなければならないから戦う少女。
何故、董卓という少女がこんなにも歳三の心をざわつかせるのか。
理由はそこにあるのかもしれない。
だから、歳三は董卓ともっと話をしてみたかった。
「楽進殿から援助をしていた、と聞いていますが?」
「お恥ずかしいことなんですけど、他の官軍の皆さんは義勇軍が活躍するのが嫌みたいで……」
「食料の支援や兵士の援護を故意に行わない、と?」
「はい。それでいつも詠ちゃんが私の代わりに怒ってくれるんですけど、土方様が突撃するまで私たちは本陣に戻れそうになかったから、心配していたんです」
わからない、何故董卓にここまで心を乱されるのか、歳三にはさっぱりわからない。
ただ、いつまでもその理由を探り求める為に話を続ける訳にはいかない。
歳三も董卓も、ここでは一人の前線指揮官なのだから。
「ちょっと
「あっ、詠ちゃんが呼んでるので、私は行きますね」
行かないでくれ、とは言えなかった。
それは歳三の男としての矜持が絶対に許さなかった。
ただ。
「董卓殿、最後に一つお願いがあります」
「お願い?」
「私の真名は義豊と言います」
董卓は歳三の突然の申し出に少し驚いたような顔をしたが、すぐに微笑んで。
「私の真名は月です。それではまた会いましょう、義豊さん」
と、言って去っていった。
何か清々しい小風が、歳三の心を吹いていくような一時だった。
胸のざわめきは、もうない。
夢の様なものだったのかもしれない、そう思いながら床几椅子に座り直そうとすると。
気付けば、すぐ近くに呂布が立っていた。
(私の様な者の近くに安心して立っていたのも、呂布が居たからこそか)
それはそうかと自嘲しながら、歳三は呂布に話しかけた。
「いつからそこに?」
「……さっき」
「そうか」
「………………」
基本無口な少女なのだろう、歳三に負けず劣らずの無表情でもある。
歳三は床几椅子に腰かけようとした時。
「……義豊は……月のこと、好き?」
ぐっと、心臓を鷲掴みにされたような気がした。
これが恋なのか、はたまた愛なのか。
歳三は自分がそういったものとは無縁の男だと思っているから、余計に堪えた。
それでもなんとか、苦し紛れに言い返した言葉でさえ。
「真名とは神聖なものではなかったのかね? 私はそう教えられたが?」
「……ん。私は恋でいい。 ……義豊なら、恋でいい」
簡単に返されてしまった。
(ああ本当に、口が強いところも沖田に似ている)
懐かしさのあまり笑みが零れそうになったところ、顔を、呂布に鷲掴みにされた。
赤い瞳がじっと、歳三の瞳を覗き込んでいる。
普段は白刃の中でも動じない歳三の心臓が、激しく高鳴った。
理由は、わからない。
「……恋は、恋」
と、だけ言って、呂布は歳三の顔から手を離した。
歳三は呂布の心情を感じ取ってすぐさま。
「すまなかった」
と、だけ答えた。
(恋には、わかったのだろうな。恋を通して沖田を見ていたことを)
公孫賛の時に犯した過ちを、また繰り返していた。
それに気付かせてくれた呂布には礼をいうべきである。
だがその礼は、先程の呂布に対する返答が正しいと歳三には思えた。
「私も、月のことは好きだよ」
「……ん」
納得したのか歳三から離れていく呂布。
ここに来てから心を乱されるばかりだな、と歳三は思いながら呂布を見送っていた。
が、呂布が突然振り返ると。
「……恋も、義豊のことは、好き」
と、だけ言って去ってしまった。
歳三はどかりと床几椅子に腰かける。
(まったく、本当に)
どう言ったものかわからない。
わからないから、歳三は腰から兼定を抜いた。
無心で刀を構えようにも、高鳴ったままの心臓がそれを許してくれそうにない。
「私もまだまだ未熟だな」
と、独り
何を切ろうとしたのかは、歳三ですらわからない。
わからないままに、刀を振るった。
◇
――知れば迷い 知らねば迷わぬ 恋の道
――豊宝
◇
歳三が刀を振るうことを
兼定を鞘に納め、手拭で汗を拭きとったころにはすっかり、胸の高鳴りは収まっていた。
顔も、いつものむっつり顔である。
「それじゃあ、案内してくれるかね」
傲岸不遜な態度も、そのままである。
だが楽進が気を悪くすることもなく、むしろこの人なら当然と言うように受け入れていた。
既に、歳三の何かに
それはともかく歳三が陣取っていた官軍と義勇軍との境目から、官軍の本陣に向かって歩く。
しかし、かといって中に入り過ぎることもない場所に、その陣幕はあった。
なるほど、雇われ将軍らしい、微妙な位置に盧植の陣幕は建てらていた。
「盧植将軍。土方殿をお連れしました」
陣内に向かって一言告げると、私はこれで、と楽進は去っていく。
(本当に生真面目だな)
と、思わずにはいられなかった。
歳三を連れてきてほしいと言われ、本当に連れてくるためだけにここまで来たのだろう。
愚直とも言える実直さに好感を覚えながら、歳三は陣幕を
すると中に居たのは。
「あっ、土方さん!」
「お久しぶりです、土方殿」
「久しぶりなのだ!」
劉備、関羽、張飛の三人と。
「あのね、お初にお目にかかります、盧植と申します。これからよろしくね、土方様」
幼い顔立ちと、劉備以上の乳房が目につく女性、即ち盧植であった。
「こちらこそ、お初にお目にかかります。土方歳三と申します。盧植殿」
董卓の時ほど頭を下げることもなく、歳三は盧植と出会ったのであった。
h995様、誤字報告ありがとうございます。
今回こそは盧植を誤字しなかったと思ったのに……。
なおぽん様、誤字報告ありがとうございます。