【恋姫†無双】黒龍の剣   作:ふろうもの

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《真名早見表》
 土方歳三――義豊
 趙雲子龍――星
 徐晃公明――香風(シャンフー)
 太史慈子義――梨晏(リアン)


長社城の戦い

「以前にも言ったことがあるよう気もしますが」

 

 と、地に伏せた趙雲が言った。

 

「主は馬鹿なのですか?」

 

 当の歳三は趙雲と同じく、地に伏せながら双眼鏡を覗いている。

 歳三の横に張り付くように、趙雲と徐晃が地に伏せていた。

 

「馬鹿とは心外だなぁ」

「こればかりは馬鹿だと言う他ありますまい。何故この戦力差で勝てると思ったのです」

 

 双眼鏡を覗かなくてもわかる、長社城を取り巻く黄巾党の数の多さを。

 足踏みだけで地が鳴り響き、息遣いだけで巨大な化け物の吐息に思える。

 数を数える等不可能、長社城を満遍なく囲みながら尚、城外を埋め尽くす黄の山。

 歳三の手勢は含めて一万前後であるが、こんな人数相手に攻撃を仕掛ける等、自殺行為もいいところである。城内の手勢二万と呼応すればまだやりようはあると趙雲は思うが、果たして官軍が前に出てくるかどうか。

 

「それに皇甫嵩将軍はともかく朱儁将軍は傲慢(ごうまん)な癖に矮小(わいしょう)な男と聞いております。主の攻撃に果たして呼応してくるかどうか」

「ん? そいつは妙な話だな」

「は? それはどういうことです?」

「私は(はな)から長社城の戦力など当てにしてないよ」

 

 と、歳三はとんでもないことを言ったと、趙雲は思った。

 最初から手勢の軍勢のみで勝負を賭ける、と、同義である。

 今まで散々奇策を目にしてきたが、今度ばかりは天運尽きたかと趙雲は落胆した。

 が、隣の男の腹の中は全く違うようである。

 

「星よ。戦は何も突撃することが戦ではないぞ」

「それはわかりますが、今度はどうするのです? どうしようもない数の差を、どう埋めるのか」

 

 地の果てまで人が埋め尽くす光景を前にして、歳三は趙雲とは全く違う情景を思い浮かべているようだった。双眼鏡から眼を離さないまま、笑みまで浮かべている。

 

「どいつもこいつも数で押してきたやつらばかりだ。気勢を挫けば離散するだろうよ」

「はぁ、それで?」

「どいつもこいつも大声を張り上げて蒼天已死(そうてんすでにしし)黄天当立(こうてんまさにたつべし)と威勢のいいことを言っちゃあいるが、あれは単に怖いのさ」

「怖い、とは?」

 

 ここにきて、ようやく星も気が付いた。

 今、黄巾党が最も怖れている存在は官軍でもなく義勇軍でもなく、ただ一人。

 

「私が怖いのさ」

 

 土方歳三その人である。

 幽州、徐州、青州に渡る歳三の苛烈な戦歴は黄巾党の(ずい)にまで鳴り響いている。

 が、黄巾党が歳三の存在を感知する(いとま)はなかった筈である。

 

「黄巾党が何故主の居場所を……まさか、偽兵を?」

「ああ。あれだけの大軍なら何人か紛れ込んだところで気付きはしまい。当然、出て行ってもな」

 

 統率の取れた大軍なら話は別だが、と歳三は付け加えて話を続けた。

 

「先程から何組かに分けて長社城に向かって土方が来ている、という噂を流し続けてみた。そうしたらどうだ、教義かなんだか知らないが、蒼天の大合唱だ」

「なるほど。しかし、それは逆効果では?」

「何故、そう思う?」

「恐怖心を煽る策はわかりますが、これでは無駄に主の存在について警戒させるだけになるのではありますまいか?」

「一理ある。が、だからさ」

 

 と、歳三は涼し気な笑みを浮かべた。

 

「兵たちを置いて、私たち三人だけで黄巾党見物に来たのさ」

 

 歳三たちが今居るのは長社城とその周囲を眺めることができる丘にあり、流石の黄巾党の大軍勢の端っこも届かぬ様な場所にいる。歳三が双眼鏡を覗いていたのもその為だ。

 それに今から兵の待機場所に戻り、強行軍で突撃を仕掛けたとしても必ず一昼夜は掛かる。

 もっとも、最初歳三が一人で黄巾党見物に行くと言い出した時などは、趙雲も徐晃もようやっと歳三の気が狂ったかと思ったくらいであったが、この男なりの戦略があったのだ。

 

「……じゃあ、今から走って戻って……突撃?」

「そんなことはしないよ。のんびり戻って鋭気を養いながら進軍する」

「……? じゃあなんでお兄ちゃんが来てるって噂を広めたの?」

「それがこれ(・・)の肝だよ」

 

 と、歳三は双眼鏡から眼を話して黄巾党を見た。

 

「人間ってのは案外長いこと恐怖、つまり緊張していられないものだ。どんなに張りつめても二日か、三日が限界だ。私たちが狙うのはそこ(・・)だよ」

 

 合点(がてん)した、と言わんばかりに趙雲が感心の声を上げた。

 

「そういうことですか。主が来たという噂を流した上でわざと時間を掛けることで、精神的に疲弊し、尚且つ長社城のみに意識を向いた黄巾党の虚を突くのですな」

「その通りだ、星。だがもう一つやることがある」

 

 趙雲と徐晃がそれはなんだと言うように歳三の顔を見た。

 歳三はにやりと笑って。

 

「火付けだよ」

 

 と、言った。

 しかし、趙雲も徐晃も呆れ顔である。

 

「また火付けですか。主は本当に火が好きですなぁ」

「……好きなの?」

「さぁ? 好きか嫌いかで言うと、有効だから好きだね」

 

 歳三は伏せっている地から、草をぶちりと千切(ちぎ)り取った。

 水分はすっかり失せ、火を付ければ瞬く間に燃えそうな枯草である。

 これが、黄巾党の大軍勢まで続いている。

 

「それに今度は夜襲と組み合わせる」

「夜襲と、ですか。それは初めてですな。では今度は一体どんな策を見せてくれるのです?」

 

 俄然、やる気が出てきたか趙雲が歳三に問いかけた。

 徐晃も一言一句も聞き漏らさまいと、顔を近づけた。

 

「それはだな」

 

 と、歳三は己の戦術を披露し始めた。

 

 

 長社城内は将兵卒、誰にも限らず恐怖に渦巻いていた。 

 馬ですら、物々しい雰囲気を感じ取ってか怯え始める始末である。

 それも仕方のないことだろう。

 城外には今にも自分たちを殺さんとする者どもが、数え切れないほどに(ひし)めいているのである。

 怖れるな、という方が無茶であろう。

 

皇甫嵩(こうほすう)将軍! 敵からの攻撃が再開されました!」

「わかったわ。前と同じように、交代しながら迎撃して」

「了解しました!」

 

 皇甫嵩義真(ギシン)、脚にも至るほどの豊かな茶髪を編んだ髪の毛で纏め、妖艶な中華服を着込んだ官軍の歴戦の女将軍である。大勝、と言われる様なものはないものの、程立の言の葉に出る程度には有能な将であるが、その美麗な顔は沈痛な面持ちであった。

 まず第一に、長社城が絶望的な状況にあること。

 朱儁敗北の報を聞いて即座に出した応援の要請も、この黄巾党の数の前では返事は無しの(つぶて)。兵の士気は下がりそれでも尚、悲痛な防衛線を繰り広げられるのは(ひとえ)に、皇甫嵩あってのものである。人望厚く無茶な戦いをしない皇甫嵩は兵から好かれる将であった。

 そして第二に、獅子身中の虫とも言える将が城内に居ることにある。それは誰かと言えば、先の潁川の戦いで黄巾党に大敗北を喫した、朱儁将軍のことである。

 未だに何故自分が敗北したのかわからず、官軍が弱かったせいだと兵に当たり散らす毎日を送っており、兵の士気を下げることに一役買っている。

 

「それに、露骨に色目を使ってくるから嫌なのよね」

 

 一言でいえばいやらしい、と表現するべきか。

 とにかく朱儁の皇甫嵩に向ける視線は男の欲と見栄を合わせた複雑なもので、それを遠回しに嫌悪していると伝えても、朱儁は勝てば見直すだろうと兵を苛めるのを止めないのだ。

 こんな調子で勝てるのだろうか、と皇甫嵩は時々思う。

 漢帝国の腐敗は知っているが、かといって朝廷を見捨てるつもりもない。

 だからこそこうやって戦い続けているのだが、皇甫嵩の悩みは尽きない。

 

「私っていつになったら結婚できるのかなぁ……」

 

 と、幼い頃からの夢がぽつりと、独り言のように出てきてしまう始末である。

 そう、皇甫嵩には結婚がちらつく歳になっても子供の様な理想があった。

 それは実力も見た目も兼ね備えた男に見初(みそ)められることである。

 けれども、その願いはいつになっても叶いそうにはなかった。

 はぁ、と大きく溜息をつくと頬をぱしりと叩いて気持ちを切り替える皇甫嵩。

 それでもまだ、彼女らは負けていないのだから、このままでいてはいけないと気合を入れた。

 

「それにしても、二、三日前の急な停止は何?」

 

 皇甫嵩には一つ、大きな疑問があった。

 ずっと長社城に攻勢を続けていた黄巾党が、あるときぱたりと攻撃を止めた瞬間があったのだ。

 その間はずっと、“蒼天已死黄天当立”の大合唱であったが、黄巾党は何をしたかったのか。

 何故黄巾党は攻撃を止めてしまったのか。

 が、いくら考えても結論は出そうにないし、外はもう陽が落ちている。

 考えすぎて知恵熱が出そうだと思った皇甫嵩は、兵の士気を上げる意味も兼ねて楼の上に出ることにしたのだった。

 

 

「これは皇甫嵩将軍! ここは危険です!」

「わかってるわ。でも、貴方たちだけに任せていたら私の意味がないじゃない?」

「……ありがとうございます! 将軍!」

 

 皇甫嵩の言葉を受けて、(にわか)かに気勢を上げる兵士たち。

 ()しくも朱儁将軍は専ら安全な城内に居る為に、兵の士気は城内外で逆転していると言う不思議な光景が見られるのも、ここ長社城くらいだろう。

 皇甫嵩は闇の中に(うごめ)く黄巾党を見た。

 強烈な向かい風が、頬を打つが、皇甫嵩は眼を閉じることはない。

 一体どうすればこの苦難を打倒できるか、それだけが頭にある。

 すると、天啓の様に黄巾党の軍勢の向こうで光が灯った。

 

「……そうだ、火だ」

 

 夜陰に乗じて兵を黄巾党に紛れ込ませ、後方に火を放つ。

 そうすれば黄巾党は間違いなく混乱する、それに合わせて城内からも攻勢を仕掛ければ。

 と、そこまで考えて気が付いた。

 私が見たものは、なに、と。

 

「皇甫嵩将軍!」

「わかってる、わかってるわ」

 

 火が、燃えていた。

 轟轟(ごうごう)と、真っ赤な揺らめきが大地を舐め尽すように燃えていた。

 その中心に、皇甫嵩はあり得ないものを見た。

 一人の男が、笑って立っているのである。

 いや、この楼からでは、皇甫嵩が掛けている眼鏡を使って更に凝らして見ても男の顔を見ることはできやしないだろう。それでも、皇甫嵩は男が笑っていると思えた。

 黒羽織を炎にたなびかせ、傲岸不遜に笑っている男の姿に、眼下の黄巾党は(ざわ)めき始めていた。

 

「土方だ、土方が出たぞー!」

「やつは龍だ、本当に黒龍なんだ!」

「あいつは炎を操れるんだー!」

 

 土方歳三、聞いた名前である。

 幽州で徐州で青州で、華麗かつ残虐な戦績を残している、謎の武人。

 それが、あの炎の中で笑う男なのか。

 そう思うと、自然と身体が楼から身を乗り出す形になっていた。

 一目見てみたい、その思いだけで見えるはずもない顔が、見えたような気がした。

 

「あっ……」

 

 眼が、あったような気がした。

 あくまで眼があったような気がしただけである。

 だが確かに、黒羽織の男は皇甫嵩に笑いかけたような気がした。

 男が、腰から剣を抜いた。そして振り下ろされる。

 炎が意思を持つかのように、振り下ろされた剣に合わせて火勢が増した。

 ただ、頬を打つ風が強くなっただけなのだが、皇甫嵩は男が炎を操っているのだとしか思えなくなっていた。

 

 

 翌朝、長社城の城外を焼いた炎に昨夜の勢いはなく、城壁の隅で燻るのみになっていた。

 皇甫嵩は陽が昇ってからようやく、昨夜の歳三の手品の種に気が付いた。

 なんてことはない、夜陰の内に枯草を抜き取って、そこに立っていただけなのである。

 燃えるものがなければ、火など最初から()きはしない。

 軍勢も、火の勢いが過ぎた燃え跡から襲いかかっていったのだろう。

 辺りは焼けた枯草ばかりであったが、歳三の立っていた一点だけが、掘り起こされたばかりの土の色がやけに目立っていた。

 

「将軍! 我々の勝利です!」

 

 歳三の立っていた一点を見つめていた皇甫嵩は、兵の言葉で我に返った。

 こうして歳三の手品の種がわかるのも、昨日までは大地を埋め尽くすほどだった黄巾党が、一夜にしていなくなってしまったからである。あれだけ居た黄巾党も、残っているのは焼けた死体ばかりで大地には黒々とした平野が広がっているだけだ。

 

「ええ、そうね」

 

 と、楼から降りようとした時、下から声を掛けられた。

 疑問に思いながら、楼から身を皇甫嵩が身を乗り出すと、居た。

 他の誰でもない、土方歳三が、そこに。

 

「援軍に参りましたよ」

 

 涼やかな笑顔で、笑っている。

 皇甫嵩は胸が高鳴るのを感じた。

 迎えに来たのは白馬の皇子ではなく、黒龍の化身であったが、この胸の鼓動をどうすれば。

 少しの間、皇甫嵩と歳三は見つめ合い、負けたと言わんばかりに歳三が苦笑した。

 

「門を開けてもらえませぬか。私たちの仲間が入れませぬ故」

 

 と、言われてからようやく、開門の指示を出す皇甫嵩であった。

 

 

「この度の戦勝、誠にお見事です」

「いえ、皇甫嵩殿が敵の注目を集めていたからこそ出来た芸当です。本当の殊勲は皇甫嵩殿ですよ」

 

 門を開け、歳三の軍を入れてから皇甫嵩は歳三にべったりだった。

 歳三も、皇甫嵩のような美女に魅入られて悪い気はしない。

 趙雲と徐晃からの冷たい視線も、どこ吹く風であった。

 が、それを快く思わない者も居る。

 朱儁であった。

 自分が狙っていた女を、先に取られるのは男にとって屈辱の極みである。

 屈辱には報復を、と、朱儁の中で幾通りもの追い落とし策が張り巡らされていった時、後ろから大声を掛けられた。

 

「よぅ、潁川じゃ散々だったらしいなぁ! 朱儁!」

「……孫堅か」

 

 苦虫を噛み潰したように、朱儁は呟いた。

 その大声に気付いたか、歳三と皇甫嵩も、そして趙雲と徐晃も戻ってきた。

 図らずしも、朱儁は前門に虎を迎え、後門に狼を迎えたことになる。

 

「皇甫嵩! 元気だったか!」

「はい。孫堅殿も元気そうで」

 

 これが梨晏の言ってた大殿、孫堅か。と歳三は思った。

 

(想像以上の傑物だなァ、こいつァ)

 

 太史慈と同じ健康的な褐色の肌、煽情的な格好、そして隠されることのない激しい覇気。

 大凡(おおよそ)英傑と呼ぶに相応しい全てを兼ね備え、虎の如き凶暴さを内に秘めているのを歳三は感じ、一人背中に汗を流す。

 孫堅は皇甫嵩を見ている、しかしその眼は歳三を確実に捉えていた。

 一歩動けば狩られる、歳三は自前の想像力で孫堅の内情を読み切っていた。

 

「で、援軍に来てみたがオイオイオイ、黄巾党はどこに行ったんだぁ!? 折角戦えるっていうから策も権も連れて来たっていうのによぉ!」

 

 孫堅が意味もなく吠える。

 兵士たちが、比喩ではなく本当に縮み上がったような気がする。

 歳三も、平気そうな不愛想を貫いているが、内心、感心していたりもする。

 

(本当に虎か、こいつァ)

 

 歳三も相当の戦好きを自負しているが、これは俺以上かもしれないと思う歳三。

 このまま暴れ出しては困ると皇甫嵩ならず朱儁までも思ったのか。

 

「孫堅、お前は何しに来た!」

 

 と、権力を傘にして威圧的に訴える者の、朱儁の声が震えていては意味がない。

 まるで意に介していないが、蚊が居たから叩こうとした虎の様にぐるんと首を朱儁に向けると。

 

「袁紹が黄巾党の本隊を、曹操が首領の張角を討ち取った。だからこの戦は終わりだって教えに来たのよ」

 

 重要なことを朝の挨拶であるかのように平然と言い、また首をぐるんと動かして歳三を見た。

 

「それでまだ黄巾党に囲まれてるっていう長社の城に来てみたら、黄巾党なんて影も形もありゃあしねぇじゃねぇか! これはどういう手品を使ったんだ? 歳三さんよ?」

「さぁ」

 

 と、歳三は虎を前にしても、いつものむっつり顔で答えた。 

 それが余程面白かったのか、孫堅は大笑すると歳三につかつかと歩み寄り。

 

「まぁそれは、洛陽に向かう道中で追々話してもらうとするか」

 

 がしり、と歳三の肩を抱くとそう言ったのであった。

 


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