土方歳三――義豊
趙雲子龍――星
徐晃公明――
程立仲徳――風
劉備玄徳――桃香
孫堅文台――
そういう風にして、毎日を送っていた歳三に、ある日珍客が現れた。
いつもの様に歳三が、井戸で昨夜の交合の後を流していた時のことだった。
背後に気配を感じた歳三が、兼定を抜き放ちつつ振り向いた瞬間。
「あっ、おはようございます。土方様」
と、気さくに声を掛けてきたので、歳三は慌てて兼定を鞘から出すのを
包容力が存分にありそうな豊かな胸に、知的さを感じる眼鏡をかけた人物、
「皇甫嵩殿ではありませんか」
歳三、やや驚きながらも
「失礼、少しお時間を頂けると幸いです」
と、くるりと皇甫嵩に背中を向けた。言うまでもなく、歳三、全裸である。
裸身を晒したまま話すのは無礼、とこの男は思っているのだろう。
てきぱきと全身を
その間、一挙手一投足をまじまじと見られているのを感じたが、敢えて無視することにした。
あんな大きなものを男性は持ってるの、と熱っぽく、艶っぽい声も聞こえたが、当然無視する。
そして皇甫嵩が浮かれた世界から戻ってきた頃を見計らって、振り返った。
「この度は如何なされましたか、皇甫嵩殿?」
「いえ、長社城で助けられた時のお礼を、ちゃんとできていなかったので……その……」
「なんだ、そんなことでしたか。でしたら私と金市を歩き回りませんか?」
「えっ、私が土方様と!?」
「ええ。皇甫嵩殿の様な見目麗しい方と共に過ごせるとあれば、男冥利に尽きますよ」
と、はにかみながら言うのであるのだから、皇甫嵩は茹でた蛸の様に真っ赤である。
いつも不愛想な男が一体どこに、こんな笑顔を隠しているのかは永遠の謎であろう。
それはともかくとして、皇甫嵩も立派な将軍の一人である。
どうしても緩んでしまう頬を両手で叩いて気合を入れると。
「いえ、私個人としては土方様と過ごしたいという気持ちはもちろんあるのですけど、何進大将軍が土方様の出発はまだか、と仰られておりまして」
と、皇甫嵩が本来ここに来た理由について話し始めた。
大方、いつ使者を飛ばしても留守、という返事しか寄越さないのが頭に来たのだろう。
皇甫嵩であれば
最も、歳三は朝早くから夜になるまで本当にいない、とは流石に思わなかったのだろうが。
とはいえ歳三、皇甫嵩によってようやく捕まったとはいえ、歳三は歳三である。
何進と交わした話について、よく覚えている。
「はて、何進大将軍から青州行きへの日時についての指定は特になかったはずですが」
と、
「私はもう少し、王城の美酒を楽しんでいたいのですが」
皇甫嵩の頬に手を当てて。
「特に、貴女の様な美麗な方と」
口説き落とす始末である。
これには皇甫嵩も顔を真っ赤にして、あわあわと声にもならない声を出し。
「か、何進大将軍には私から伝えておきますから!」
と、叫びながら逃げる様に去って行ってしまった。
一人ぽつりと、結果的に残されることになってしまった歳三は。
「ふむ。逃げられたか」
と、残念そうに呟くのであった。
◇
思えば皇甫嵩殿が来たことで全ての予定が狂ったか、と歳三は思った。
大きな手の中で音を立てて時を刻む懐中時計が、その事実を否応にも確認させる。
「聞いてますか! 土方さん!」
「聞いているとも、桃香」
歳三は懐に懐中時計を戻すと、どうしてこうなったのかをしんみりと思い出していた。
◇
歳三が朝早くに出かけてしまうのには、もう一つ理由があった。
それは劉備の存在である。
歳三から学びたいことがある、と言って強引に同じ宿舎に泊まっている劉備だが、歳三はそんな劉備の相手をするのが面倒くさくて、朝も早いうちから
この辺りは流石、元新選組副長というべきか。
人混みの中に一度紛れてしまえば、例え趙雲であっても追跡は不可能であるくらいだ。
だから、劉備が歳三が出かける段になって宿舎を飛び出しても、もう遅い。
あれだけ目立つ仏蘭西軍士官服がどんな手品か人々の中に溶け込んでしまうのである。
そうして地団駄を踏んだ後に程立に捕まって、皇帝たるものは、人の上に立つ者は何かと散々に勉強させられるのが洛陽に来てからの劉備の毎日であった。
が、今日ばかりは違った。
今度こそはと意気込んで早起きをした劉備と、皇甫嵩と話していたことによって出発が遅れた歳三が、ついにかちあったのだ。
これはまずいと走り出そうとする歳三の服の裾を、劉備がどこにあったのかと思うくらいの力でぎゅっと握って、遂に逃走を阻止したのである。
なお、その光景を趙雲に見られ大爆笑されたのは、歳三の一つの恥として刻まれたのだった。
◇
(今日はどうにも調子が狂う)
と歳三は思う。
流民が集まる方へと行きたがる劉備を押し止め、金市で歩き回るものの、劉備の顔は晴れない。
根が優し過ぎる娘なのだ、と歳三は思っている。
民の為に、誰もが笑える世の為に、と劉備はどこまでも利他的だ。
逆に歳三は漢帝国がどうなろうと人民がどうなろうと、正直なところ知ったことではない。しかし、それでは戦うことが出来ないから、国を守り人民を守り、結果として多くの民を救っている。
利己的でありながら目的の為に利他的になる、情けは人の為ならずといったところか。
しかし劉備には、どうしてもこの感覚が理解できないらしい。
だから、金市を歩き回っている間も、劉備は私だけが楽しんでいいのだろうか、という自責の念にかられているのである。歳三はそんな劉備がよくわからない。
(知らなければ、いや、それでも彼女は人の為に立ち上がるのだろうな)
傀儡と化していた霊帝の姿を思い出す。
宮廷の奥で美食を貪り外界を知ろうともしない、あの姿は、劉備には似合わない。
それは、歳三にもよくわかっていた。
劉備にはもう少しだけ、自分に我儘になるべきだ、と歳三は思う。
「桃香よ」
「なんですか、土方さん?」
「桃香はもう少し、自分の為に何かを楽しむべきではないのか?」
「……でも、私がこうしている間にも、多くの人が苦しんでいるんですよ? それなのに何もできない自分が悔しくって……」
と、また顔を曇らせる劉備に、歳三はどうしたものかと頭を抱えた。
何かないかと辺りを見渡してから、ある物を見つけた歳三は劉備に断りを入れてからその店に立ち寄った。そこは女物の香水が売られている店で、目当てのものを見つけた歳三は金をぽんと気前よく店主に渡し、一つの瓶を買い取った。
そして劉備のところに戻ると、瓶の蓋を開け、軽く劉備の頭に振りかけた。
最初は歳三の行動の意味がわからなかったが、自分の頭から薫る香りに気が付いた。
「これは……桃の香り……」
「そうだ。これは君の真名と一緒だな」
歳三は瓶に蓋をして、それを劉備に手渡すと、言った。
「桃は、何の為に咲くと思う、桃香?」
「それは……実を結んで、中身の種がどこかで芽吹くように、ですか?」
「そうだ。桃は決して人の為に咲いているのではない。自分の為に咲いているのだ」
劉備は、歳三が何が言いたいのだろうかわからないという風に、小首を傾げている。
歳三は、ただ続けた。
「それでも、その香りは人を幸せな気持ちにさせるのだ。桃香よ、お前の笑顔には力がある」
「私の笑顔に、力が?」
「そうだ。不思議なことに、お前の笑みは人を幸せにさせるのだ、桃香よ。正に真名の如くに」
劉備は、歳三の言い様がおかしくて、くすりと笑みを零してしまった。
物言いは風流かもしれないが、表現の仕方がどこまでも不器用で直接的だ。
詩に疎い劉備でさえ、もう少し上手い表現があったろうと、思うくらいにである。
「ほら、私は今、君の笑顔で幸せになったが、それは君が私を幸せにしたいと思ったからか?」
劉備はふるふると首を振った。
なんとなく、歳三の言いたいことがわかってきたのである。
「まぁ、だからその、なんだ。少しは自分の為にも笑っていいんだぞ、桃香よ」
「土方さん……」
歳三も、自分で何が言いたいのかよくわからなくなっている。
ただ、これだけは劉備に知っておいて欲しいという気持ちだけが、歳三を突き動かしていた。
「桃香の理想は立派だ。誰にも真似はできないだろう。けれども、誰もが笑う世の中に、桃香はちゃんと入っているのか?」
劉備が驚き、眼を見開いた。
ああ、やはり、と歳三は悟ったような思いになった。
(桃香はどこまでも、坂本に似ている)
坂本の死に際に、歳三が託されたものに坂本自身の名前はなかった。
誰もが笑い、幸せに暮らせる世の中を作りたかったあの男も、自分のことなど眼中になかった。
だからこそ歳三は、嫌だ嫌だ苦手な相手だと想いながらも、劉備に向き合ってしまうのだろう。
「桃香よ」
自然と、劉備の
ただ人の為にあろうとした少女の心が、笑顔を取り戻そうする働きに違いなかった。
「もし桃香が笑うのを忘れたのなら、私が桃香を笑わせにいってやる」
歳三は自然と劉備を抱き、劉備もまた歳三の胸に思いっきり抱きついた。
「私が、必ず探し出すからな。中山靖王の子孫としてでもなく、劉備玄徳という義勇軍の長としてでもなく、桃香というたった一人の君を」
劉備は、声を押し殺して歳三の胸の中で泣いていた。
歳三はただ、優しく劉備の頭を撫で続けていた。
桃の香りが、辺りふわりと広がっては、消えていった。
◇
(さて、これはどうしたものかな)
と、歳三は考える。
必死になっていたからすっかり忘れていたが、ここは金市のど真ん中である。
大男が少女を泣かせている様にしか、周りには見えないだろう。
兵士を呼ぶか、という声も、ぼちぼち聞こえ始めている。
(逃げるか)
と、算段を付けた時に、歳三の勘が危険を訴えた。
(狙われている?)
そう思ったのなら、歳三の行動は早い。
すっくと劉備を抱きかかえると、一目散に走り始めた。
「えっ、きゅ、きゅきゅ急にどうしたんですか!? 歳三さん!?」
劉備が
走りながら、歳三は簡素に答えた。
「何者かに狙われている。しっかりしがみついておけ」
劉備は言われるがまま、歳三にしかとしがみつく。
歳三は劉備がしっかりとしがみついたのを確認して、更に走る速度を上げる。
危険からは逃げている感じはする、しかし何かに追い立てられている様な気もする。
(こいつァ、本格的な罠だな)
走れば走るほど、泥沼にはまっている様な気がするのである。
こうなったら、と歳三は頭の中に洛陽の絵図を思い浮かべていた。
ただ単に、散策を重ねていたわけではないのである。
この男の頭の中には、自分で歩いた地図と洛陽の絵図が、頭の中で精密に重なり合っている。
◇
暗殺者たちは、追い詰めたと思った。
とある路地の一角に、土方歳三と劉備玄徳は逃げ込んだのである。
誰でなくとも、二人は窮地だと答えるに違いない。
しかし、劉備はともかく歳三の方は余裕
劉備を守る様に前に立つ歳三は、
「一応、聞いておくぞ」
歳三、先ほどまでの朗らかな声と違って、臓腑も凍る様な殺気に溢れた声である。
「何者だ?」
顔を隠した暗殺者たちは、少したじろいだが、所詮は追い詰められての最後っ屁に過ぎないと高を括って、鼻で笑った。
「この私を、土方歳三と知っての
言葉による答えは、
ただ、抜刀による音だけが、答えだった。
「それが答えか」
歳三、兼定を鞘からすらりと抜いた。
わっと暗殺者たちが殺到しようとするが、ここは人一人が通れるくらいの狭い路地。
自然と、歳三に向かえるのは一人になる。
それでもと暗殺者の刃が歳三に襲いかかろうと宙に煌めく。
より前にどん、と音がしたかと思うと暗殺者の首が吹き飛んでいた。
凄まじいまでの突きである。
そして突いたかと思えば、歳三の腕には既に構えに戻った兼定がある。
「来ないのか?」
ようやく、歳三の意図に気付いた暗殺者たちは歳三に向かうのに躊躇った。
袋小路に逃げ込んだからこそ、歳三と劉備を死地に追い込んだのだと思っていた。
だが、実際は逆であったのだ。
三方を高い壁に囲まれている以上、挟撃は不可能であるし、弓矢による狙撃もできない。
そして歳三の見せる気迫は、こういった市街戦に慣れていることを容易に想像させた。
どうするか、そう暗殺者たちが眼を見合った時。
「貴方たち、何をしているのかしら?」
女性の声がした。
凛とした、それでいて強い声だ。
(なんだか大物が出てきちまったな)
と、歳三は声だけで当たりをつけた。
暗殺者たちもたじろぎ、そして。
(逃げたか)
歳三と劉備の排除は無理、と悟ったか逃げていく暗殺者たち。
しかし歳三とて逃げたいのは一緒であった。
名前はわからないが、それなりの大物が来たのは間違いない。
それで詮索された挙句に、何進なりの耳に入って処罰の口実にされてもたまったものではない。
歳三は劉備をもう一度抱きかかえると、例の女性が路地の中を覗き込もうとした時。
「御免」
と言って飛び出して、一目散に駆けだした。
(
歳三の切れ長の眼に一瞬、陽光に光る不気味な髪飾りが見えたのが、妙に頭に残った。
◇
「少し、不味いことになったな」
「ほう、主が不味い、というにはこれは大変ですな。王城の美食も主には合いませんでしたか」
「茶化すな、星」
宿舎の面々は非常に不機嫌であった。
それもこれも歳三が劉備を抱えて帰ってきたからであろう。
しかし、歳三の次の言葉を聞いて一瞬で事の次第を悟った。
「暗殺者が現れた」
徐晃は斧を持ち、趙雲は槍を持った。
程立はいつもの眠たげ眼だが、一瞬きらりと光った様にも見える。
誰もが、歳三の言葉を待った
「腕は大したことなかったが、これはいよいよ私か劉備が目障りになってきたか?」
と、歳三が持論を展開したところで、宿舎の扉が勢いよく開かれた。
すわ敵襲か、と全員が身構えたところで、呑気な大声が宿舎中に響いた。
「よぅ! 歳三! 元気か?」
孫堅その人であった。
ふぅ、と誰もがほっと胸をなで下ろした様に息を吐いた。
「いや、そうだな、元気とは言い難い」
「……何があった?」
先の一瞬の皆の気の抜き用で、ある程度の検討は付けたのだろう。
途端に眼を鋭くした孫堅は歳三に事の次第を話す様に眼だけで説明を促した。
「炎蓮に隠すことではないな。実はな」
◇
と、事の次第を歳三から聞いた孫堅は少し考える素振りをして、言った。
「……なぁ歳三。そろそろ借りを返す気にはなったか?」
「そろそろも何も、最初から返す気はあるよ。軍の件も含めて四つ、っていうところかな?」
「まぁそんなもんだな!」
と、豪快に笑う孫堅に毒気を抜かれる歳三。
「で、何進からはどんな毒付きの褒美を貰ったんだ?」
「青州一州。ただし、時期の指定は無く、青州の城に向かえと。まぁ私を殺す算段だとは思うがね」
「そりゃ確かに城どころか青州に一歩足を踏み入れたら殺してくるつもりだろうな、それは」
なるほどなるほど、とうんうんと頷きながら孫堅はこれは良い案だと言わんばかりに。
「じゃあ歳三、少しの間俺たちと一緒に来ねぇか?」
と、いうとんでもない提案をした。
驚く徐晃や趙雲らを
最初から、孫堅がそういう提案をしてくるとわかっていたのかもしれない。
「ふむ」
「海賊狩りもなかなか乙なもんだぜ?」
「いいだろう、乗った」
「決まりだな!」
歳三の快諾が余程嬉しかったのか、孫堅は上機嫌である。
「じゃあこんなところからは一刻も早く出ちまおう。幸い、いつまでに青州に行けとも言われてないんだからな。それは何も言わなかった向こうの落ち度だぜ」
「ああ」
「向こうがその気なら、こっちだって自由にやってやろうじゃねぇか。なぁ!」
そう言って、孫堅は豪快に笑った。