土方歳三――義豊
趙雲子龍――星
徐晃公明――
郭嘉奉考――稟
程立仲徳――風
孫乾公祐――
董卓仲穎――
呂布奉先――
劉備玄徳――桃香
孫堅文台――
「しかしだね」
と、歳三は言った。
「このまま炎蓮と行くのも結構だが、このままでは逃げたと思われそうで私の性に合わん」
「ほう、じゃあどうするっていうのかい?」
孫堅は面白そうににやにやと笑っている。
一方の歳三も、孫堅の笑みに対してにやりと笑って答えた。
「何、話は簡単さ。別れの挨拶を全てやり終えてから、何進大将軍のところにもお目通り願うさ」
「そいつはまた……」
孫堅は一度笑みを硬直させた。
流石に歳三の考えが孫堅の想像を超えたのだろうか。
にやにやとしていた笑みは引っ込み、今度こそ真剣な顔で。
「やるじゃねぇか」
と、短くも最大の賛辞を歳三に送った。
◇
(さて、別れの挨拶とはいってもどこから回るか)
と、歳三考えてから恐らく一番長く居たであろう、賈駆の執務室を訪れていた。
相も変わらず大量の書簡に埋もれている賈駆は、疲れた目で歳三の顔を見ていた。
そして歳三が洛陽を去ることを告げても、賈駆は至って無感動な表情である。
「そう、行くのね、あんた」
「まぁ、そういうことになるな」
交わした会話も決して長いものではない。
歳三も賈駆も、お互いに長々と別れを惜しむ種類の人間ではないのだ。
「でもまぁ、せいせいしたわよ。いっつもこの部屋に来ては眠ってるんだか眠ってないんだがわかんないんだから。あんた」
憎まれ口を叩く賈駆に、歳三はただ微笑を浮かべるだけである。
本当に賈駆が歳三のことを迷惑に思っているのなら、とっくの昔に叩き出している。
どこか似ているところもあるから、歳三は賈駆の思考を読み取りやすい。
なんだかんだで、お互いあの無言の時間を楽しんでいたのだ。
そうして微笑んでいると、賈駆からまた憎まれ口が飛んできそうなので、歳三は話題を変えた。
「今日も月は?」
「政務の合間に陳留王の家庭教師、ってところね」
陳留王、という聞き知らぬ言葉が出てきて歳三は首を傾げた。
中央の政情には疎い歳三である。
ただ、聞き返した。
「陳留王とは?」
「そうね……霊帝の妹、みたいなものかしら」
「つまり次代の皇帝、というわけか」
「そういうことよ」
霊帝の姿が歳三の脳裏に思い出される。
後宮に軟禁されているということにも気付かず、美食に
その妹がどういう資質を持っているのか、会ったこともない歳三にはわからない。
わからないが。
(月が面倒を見ているのなら、きっと、良い皇帝になるのだろうな)
と、僅かな希望を漢帝国に見出せたような気がした。
また長々と賈駆の邪魔をするのも悪いかと、歳三はいつもの座っていた席から腰を上げた。
賈駆もまた、歳三が帰ることを悟ってか、ひらひらと疲れた様に手を振っている。
部屋を出ようとして一歩、歳三は伝えるべきことを思い出して振り返った。
「最後まで会えなかったが、月にこう伝えておいてくれないか?」
「何?」
賈駆はなんとなく、この後の歳三の言葉がわかるような気がしていた。
「私は必ず、何があろうとも月の味方になろう、とな」
「ねぇ……本当になんであんたは、それだけ月に執着するの?」
「さぁて、俺にもそれはわからん」
歳三は首を振った。
実際のところ、本当にわからないのだからわからないとしか歳三にも答えられないのだ。
その気持ちの正体がわかっているのなら、既にそれを基準にして行動しているだろう。
事実、土方歳三とはそういう男である。
だから、わからぬことはわからぬと賈駆にもはっきりと言えるのである。
「もっと言えば、私は恋にも
「恋にまで!?」
「ああ、そうだ。しかし、それが何なのかは月と同じくまるで見当もつかないのだよ」
歳三は自分で言ってて可笑しくなったのか、苦笑を浮かべた。
戦であるならば戦いたい、美女であるならば抱きたい。
この男の行動原理はこれくらい単純化することができる。
しかし、そういう単純なものを、董卓や呂布からは歳三は感ぜられないのだ。
それらはもっと複雑で繊細な何かなのだが、それが何なのかが歳三には理解できない。
けれども、わからないからこそ歳三は思うのである。
「しかしだ、その私にもわからぬ感情を超えてでも、私は月と恋を守りたいと、そう思っている」
「守りたい、ねぇ……月は私が居るし、恋はあんたが居なくても平気よ、強いから」
「そういうことじゃなくてだな」
「じゃあ、どういうことよ?」
歳三は少し上を向いてから、賈駆に向き直ると。
「とにかく、理屈じゃないのだよ」
と、言って賈駆の執務室を後にした。
◇
賈駆の執務室を後にしたところで、見知った顔に歳三は出会った。
誰であろう皇甫嵩将軍である。
長く豊かな髪先を右手でくるくると弄りながら、こちらの方を伺うようにちらちら
(ああ、そういうことか)
と、女性経験は異様に豊富なこの男はすぐに皇甫嵩の元へと向かった。
するとどうしたことか、皇甫嵩はびくりと身体をすくませて走り出そうとしてしまう。
それを歳三、慣れた手つきで優しく皇甫嵩の手を摑まえると。
「逃がしませんよ」
と、一言。
急に、腕を掴まれたたらを踏んで転びそうになる皇甫嵩。
それをくるりと回して自分の胸の中に収めた。
歳三の厚い胸板に押し付けられる格好になった皇甫嵩は、耳を真っ赤に染め上げている。
「これは失礼しました」
と、ぱっと皇甫嵩を解放した歳三。
皇甫嵩は離れるか、離れまいかと少し逡巡して、ゆっくりと歳三から離れていった。
顔は、依然として下を向いたままである。
が、それは見ないのが男の嗜みだろうと、歳三は皇甫嵩が落ち着くまでゆっくりと待っていた。
◇
皇甫嵩が落ち着いた頃を見計らって、歳三は話題を切り出した。
「皇甫嵩将軍、頼みがあるのですが」
「えっ、あ、はははい! な、なんでしょうか……?」
見た目は普通でも、未だ先ほどの衝撃は残っているらしい。
あわあわと混乱している皇甫嵩には悪いが、冷や水を浴びせるような言葉を歳三は続けた。
「私は中央の政治に疎い。よろしければ私が行く先でも政情を伝えてくれたら、と」
「え、あ……はい。わかりました。それくらいならお安い御用です」
自分が望んでいた言葉とは違ったか、すっかり意気消沈してしまう皇甫嵩。
可愛い人だと歳三は思いながら、次の言葉を続けた。
「代わりと言っては何ですが……」
「はい?」
「今度こそ、共に金市を回りましょう。貴女にぴったりの、良い店を見つけたのです」
女であるならば誰もがとろけそうな笑みを浮かべながら、歳三は言う。
「私の諱は義豊と言います。貴女はなんと言うのですか?」
「わ、わたひは、
「そうですか。その真名、しっかりと受け取りました」
と、言いながら、歳三は膝を付いて皇甫嵩の手を取った。
丁度、
歳三の唇が、皇甫嵩の手の甲に触れた。
薄く黒い手袋の布越しに、熱い命の奔流が、歳三には感じられた。
「さらば、麗しき人、楼杏よ。私の身の回りが落ち着いたら、必ず迎えに行きましょう」
そう言って、歳三は固まったままの皇甫嵩を後にして立ち去って行った。
◇
それから歳三は、金市をぶらりと歩き回っていた。
お世話になった店の店主たちに、今までの礼を述べる為である。
多くの店主が歳三が去ることに悲しみを述べたが、ほとんどが虚しいものだと歳三は思った。
上客が居なくなることに、形式的な悲しみを浮かべている者がほとんどだからだ。
しかし、それは仕方ないことだと歳三は思う。
それが商人と言う生き物ということは、身を以ってよく知っている。
が、中には本当に歳三が去ることを残念がる者も居た。
そういう人たちは、ずっと覚えておこうと歳三は思いながら、また金市を歩いていた。
何進と会うまでにはまだ少し時間がある。
それまで暇を潰そうと歩いていたら、知った顔を見つけた。
「楽進じゃないか」
絶対に忘れることのない、傷だらけの乙女の姿を、歳三は見つけることが出来た。
「あれからどうだった、元気だったか?」
「はい、土方様もお元気そうで」
楽進の話を聞くところによると、歳三が長社城へと向かっている間、楽進たちは曲陽にある黄巾党の本隊を叩く為に、とある官軍の一部隊として編成されたらしい。
その官軍を率いていた将軍と言うのが。
「はい。曲陽の戦いにて曹操様に見出していただき、この度、警備隊長を務めることになりました」
「曹操殿か。名前しか知らぬが随分と良い人物に拾われたな」
曹操孟徳。歳三、名前しか知らぬがその雷名は良く知っている。
頭脳がずば抜けているのはもちろん、武芸にも秀でた文武両道の体現者。
政略にも戦略にも優れた、漢帝国の将軍と言うならば曹操か袁紹か、と言うほどの人物である。
歳三は素直に、楽進の出世を祝った。
曹操の元であるならば、彼女の真っ直ぐな気質も存分に生かされるだろうと思ったからである。
歳三も、楽進を
「おめでとう。楽進」
「あ、ありがとうございます……」
されども、楽進の顔はどこか暗く見える。
これを迷いと見抜いた歳三は、迂遠な言葉を使わずに単刀直入に指摘した。
「どうした、迷いが見えるぞ。楽進」
「……曹操様にも、同じことを言われました」
「私の元に、来たいのか?」
楽進の眼が、見開かれた。
それが答えだった。
歳三と楽進の間に、気まずい沈黙の
何か言おうと、楽進がごくりと唾を飲み込んだとき、歳三は手を上げて楽進の言葉を制止した。
「いや、答えなくても良い。答えればそこで、私は君の忠義を汚してしまうことになる」
「……土方様」
「伊達に私も人を見てきた訳ではない。そのくらい、わかるさ」
歳三は優しく微笑んだ。
楽進も思わず、目尻に涙を貯めたくらいだ。
「私はそれを、悪いとは思わない。先に楽進を引き込めなかった私の、落ち度だ」
そして急に険しい顔になると、怖い声で言った。
楽進の涙も、引っ込んだ。
「ただ、迷いを抱いたまま戦うのなら、死ぬぞ」
どきり、と楽進は心を読まれているかのような感覚に陥った。
曹操にも、同じことを言われていたのである。
このまま迷いを抱いているようでは、前線には出せない、という旨を。
楽進は戸惑っている。
歳三は楽進をこの戸惑いから解放してやることが、自分にできる楽進への手向けであると決めた。
すぅっと息を吸って、歳三は喋り始めた。
「楽進よ、これからきっとこの国は乱れる、ということは曹操殿から聞いているな?」
「はい。だからこそ、私
私たちか、と歳三は一瞬の内に思考した。
楽進には離れがたい友が、曹操の元にいるのだろう。
それもまた、楽進の迷いの源であると歳三は見切った上で、言った。
「これから先、私と曹操殿で道を違えることがあるかもしれない」
「土方様、それは……!」
「だがそれを、危難だと思うな、楽進よ。機会であると思えばいい」
制止も聞かずに言い切った歳三の言葉に、楽進は首を傾げた。
歳三はくすくすと面白そうに笑うと。
「なに、要は私に勝って自らの部下にすればいいということさ」
「あ……」
「もちろん私も、君を手に入れられる時がくれば、全力を尽くす。どうだ、面白いだろう?」
悪戯が成功した子供の様に歳三が笑うと、楽進も釣られて笑い出す。
(ああ、良い笑顔だ)
楽進の顔に先ほどまでの迷いはない。
初めて会った時、歳三が仲間にしたいと思った楽進の真っ直ぐさが、戻っていた。
これで、良い。
「それでは楽進」
歳三が別れを告げようとした時、楽進に呼び止められた。
「いえ、お待ちください、土方様」
「何かね?」
「私の真名をお受け取り下さい。私の真名は凪と言います」
そうか、と歳三は答えると、
「私の諱は義豊だ」
と、言って、そうして二人、固い握手を交わした。
「次に会う時は戦場だな、凪」
「はい、歳三様」
「では、さらばだ」
どちらが先と言うわけでもなく、するりと両手が離されて。
歳三と楽進、正反対の道を歩み始めるのであった。
◇
結局、何進は歳三に会うようなことはしなかった。
約束の時間に南宮に赴いた歳三を待っていたのは、兵士による南宮の閉門であった。
何進は体調不良、そう聞かされて歳三はそれならばと、とっとと宿舎に帰っていた。
(どうせ体調不良なんざ、嘘だぜ)
これから死に逝く人間と話しても無駄と思ったのか。
それとも足を運ばせるだけ無駄にさせたかったのかはわからないが、歳三はどうでもいい。
謁見がないならないで、やることは幾らでもあるのだから。
宿舎の広間に皆を集めて、これからの方針を話し合うことにした。
「ではまず、桃香は幽州の白蓮のところに身を寄せるのがいいだろう」
「白蓮ちゃんのところに、ですか?」
「そうだ。いい加減兵士たちも幽州が恋しい頃だろう。戻してやるべきだ」
「そうですね。兵士の皆さんも、家族に会いたいのは違いないですもんね」
「でしたら、青州から出ている船で戻るのが一番かとー」
歳三と劉備の会話に、間延びした程立の声が割り込んできた。
しかし、程立の言う言葉は正しい。
今のところ幽州・青州・徐州で繋がっている海運の船に乗せて兵を運ぶのが、一番早いだろう。
歳三は手を打って喜び、その案を採用した。
「それと、青州の情勢について出来ることならば稟と梨晏を呼び寄せたい」
これは歳三の願望であったし、程立の提案でもあった。
程立の
いい加減、これだけ手を出しているのならさっさと抱け、という程立個人の想いもあるだろう。
もちろん、そういったこととは関係なく純粋に、青州の状況を知る為という意味はある。
「でしたら風も、青州に戻りましょうかー。稟ちゃんと美花ちゃんと、お仕事を変わってあげましょうかねー」
「では私も、風と共に青州に向かうこととしましょうか」
程立の言葉に、趙雲が続いた。
「一応、青州では反土方派の一人としてまだ見られているでしょうからな。戻るのは主より容易いですぞ」
「ふむ、それを聞くと頭が痛くなるな」
「その割には、なんとも思ってなさそうですな」
「わかるか?」
「ええ、もちろんですとも」
趙雲がにやりと笑う、歳三もにやりと笑って答えた。
そして残るは徐晃、一体どんな役目を課されるのか、眠たげな眼で歳三をじっと見ている。
歳三も、いつものむっつり顔で見返しながら、言った。
「香風は私の護衛だ」
「? ……護衛?」
「そうだ。兵は全部星に預けて一旦青州に戻して解散させる。だから私は、無防備になるな」
面白そうに笑う歳三だが、徐晃にはこの男が危機に陥って混乱する方が想像できない。
むしろ危難を面白がって如何に脱出するかを楽しむような、そんな気さえする。
そういう男が、自分を頼っている。
それだけで、力が内から漲ってくるようだった。
「……頑張る」
「任せたぞ、香風。では他に何かないか?」
歳三の一言に、誰も異論を挟むものは居なかった。
◇
外の空気を吸おうと、歳三が宿舎の外に出ると、孫堅が立っていた。
まるで待ち構えていましたと言わんばかりの、立ち姿である。
(何をしても絵になる人だな。英雄とはこういう人を言うのだろう)
と、歳三はぼんやりと思った。
「よう歳三。話合いは終わったのかい?」
「炎蓮か。ああ、無事に終わったよ。そちらには私と徐晃が世話になる」
「徐晃って、あのちっこいのがか? 言いたかねぇが歳三よ、そういう趣味でもあるのか?」
「いや、命の恩人でもあるからな、徐晃……香風は」
「ふぅん。その話もなかなか面白そうだな。今度聞かせろよな!」
にかり、と笑みを浮かべる孫堅に歳三は苦笑を浮かべながら。
「また今度、にしてくれ」
と、答えた。
◇
そのすぐ後、馬上の人となった歳三は徐晃と並びながら孫堅軍の中にいた。
孫堅軍は威風堂々と洛陽を行進しながら、東へと向かっている。
文句があるならかかってきやがれとも言わん勢いで、大勢の見物客が道に溢れていた。
一方、趙雲率いる歳三の軍は、既に洛陽を
歳三と趙雲が洛陽で喧嘩別れしたように見せかける、程立の発案でもあった。
(また、俺一人になっちまったか)
と、感傷に
(俺には、香風がいる。香風だけじゃない、みんなが、居る)
孫候の言葉が、胸に思い出された時、ふと気付いた。
街道に
(月、恋……)
どうして、何故、孫堅軍に歳三が紛れているとわかったのかは、わからない。
わからないが、歳三はただ、二人に向けて小さく手を振った。
(私は必ず、必ず帰って来るからな)
伝わったかはわからないが、董卓の顔が笑っていたので、歳三は伝わったことにした。