【恋姫†無双】黒龍の剣   作:ふろうもの

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《真名早見表》
 土方歳三――義豊
 徐晃公明――香風(シャンフー)
 太史慈子義――梨晏(リアン)
 孫堅文台――炎蓮(イェンレン)


運命の再会

 洛陽を後にした歳三たちは、荊州へと向かうために南へと歩を進めていた。

 孫堅は現在、長沙太守であり、その勢力圏へと向かう為である。

 そのことについて話していた時、孫堅はこんなことを言っていた。

 

「でもな歳三。俺たちは長沙で留まっている様な器じゃねぇ。だから俺の、俺たちの生まれ故郷である呉なんかとっくに俺の庭みたいなもんになってるんだぜ?」

「ほぅ。呉をですか」

「まぁ、今でこそ厳白虎を首領にした山越賊が幅を利かせているが、いつかは必ず俺のものにしてみせるさ」

 

 と、決まって孫堅はにっかりとした笑みを歳三に浮かべるのであった。

 孫堅はこのように(うそぶい)いたが、恐らく真実であろうと歳三は思っている。

 こんなつまらない嘘をつくような人物ではないと、骨に染みてわかっているからだ。

 

(呉であるならば、徐州も近く青州も近い。海運事業に一つ、加わってもらいたいくらいだ)

 

 歳三は頭の中に詳細な地図を持っているから、呉は海運に適していることがわかる。

 こうしてまた一つ、歳三の中で腹案が生まれたわけであるが、単なる利害だけではない。

 歳三が孫堅という人物を好いている、というのもある。

 豪放磊落で血の気が多いが、どこかこざっぱりしているところが、歳三は好きなのだ。

 

(それに三つも借りも残しているからな)

 

 と、少し強引ではあったものの、歳三が孫堅に恩義を感じているのも確かだ。

 出来ることならば孫家とは長いこと付き合っていきたいと、歳三は思っている。

 が、これは歳三の胸中での話。

 歳三はそれとは別に、懸念することがあった。

 孫堅の軍勢が、荊州の北部地域を支配している劉表の領地を通ることについてである。

 歳三ほどのものでなくても、危ないな、とは思うだろう。

 

「しかし、この軍勢で劉表殿の領地を通るのは、危なくないですかな?」

「なぁに、劉表とは知った仲よ。黄忠さえ取らなければ心配ねぇや」

「黄忠……誰ですかな、それは?」

「ああ。これから通る南陽を守っている武将でな。生きているってぇいうのに面白い伝説を持っている女なんだ、これが」

「伝説、とは?」

 

 歳三が持つ、この男独特の勘が働いた。

 生きていながら伝説を持つ女とはどういう人物か、興味以上に何かが歳三を動かした。

 歳三自身もわからないが、己の勘を神仏よりも信じているのが歳三という男だった。

 

「龍と一晩(まぐ)わって子供を産んだっていうんだが、娘を持ってからでも美貌は衰えるどころか魔性を放つくらいになってやがる。俺が男なら手に入れたいくらいだね」

 

 歳三はふむ、と頷いた。

 孫堅がそれほどまで言うのであれば、言葉通りの妖艶な美女なのであろう。

 しかし、女好きとしての(さが)(うず)くと同時、何か嫌な予感を覚えるのも事実であった。

 

(なんとも妙な勘だぜ)

 

 歳三としても、表現に困る勘の働き方であった。

 が、それを孫堅に気取られるわけにもいかず、歳三はなんでもないふり(・・)をした。

 

「龍と交わるとは、これはまた奇怪な話ですな」

「奇怪だと思うだろう? だから伝説なんだよ。なんでも、森の泉で沐浴(もくよく)していた時に龍と出会って、それで子供ができたっていうんだ」

 

 ふむ、と歳三は唸った。

 聞けば聞くほど、紫苑(しおん)とのほのかな想い出を思い起こせる話である。

 

(紫苑はここに居るのか? ならば私は、紫苑とその子供に呼ばれたのか?)

 

 と、そこまで考えて胸中で首を振った。

 

(いや、あれは夢なのだ。そしてこれも、淡い夢の様なものなのだ)

 

 だからこそ、歳三は止まることなく戦い続けている。

 恋も愛も知らずに、戦うことだけ知っているから腰を落ち着けることができない。

 この男は、例え地獄に落ちても戦うことを止めはしないだろう。

 そんな男だからこそ、あれは夢であったとしか思うことしかできないのだ。

 

「そんな女に、劉表は恋慕してるっていう話だよ。つまりまぁ、黄忠を取らなければ俺たちはまず無事に抜けれる筈さ。だから歳三」

 

 釘を差す様に、孫堅は歳三の顔を見た。

 歳三も、孫堅の言いたいことをすぐに理解した。

 

「間違っても黄忠殿に手を出すな、と言いたいのでしょう?」

「おう。わかっているじゃねぇか」

「しかし、向こうから来た場合は私にはどうしようもない」

 

 そう、肩を竦めておどけて言う歳三であったが、半ば本気でもある。

 そんなに歳三に孫堅は大笑して。

 

「はっ、大きく出たじゃねぇか色男」

 

 と、孫堅は言うと。 

 

「ま、やるんだったらしっかり奪えよ。そのくらいの危険は承知の上でお前を連れてきたんだ」

「流石に、孫堅殿に迷惑を掛けるようなことはしたくないんだがね」

「いいんだよ。そんときゃそん時、貸しにしてやるだけさ」

「これではいつまでたっても、貸しを返しきるのは難しそうだなぁ」

「早くしないと利息を付けちまうぜぇ、歳三よ」

 

 と、二人して笑っていると、歳三の頬にぽつりと、雨粒が一滴当たった。

 雨か、と歳三が空を見上げて見ると、天にはいつの間にか分厚い黒雲がかかっている。

 風もどこか、湿気ていて重たい。

 

「これは一雨来そうですな」

「くそ、龍の話をしてたもんだから雨を呼んじまったか?」

 

 雨粒は弱まるどころか量を増し、勢いを増し、いよいよ本降りとなり始めている。

 地面もぬかるみ始めていた。

 

「こりゃこれ以上の進軍は無茶だな」

 

 と、孫堅はぼやいた。

 雨は、兵士の士気と体力を確実に奪う、自然災害の第一等である。

 体力の低下による風邪の蔓延なども、行軍では怖いことの一つだ。

 

「仕方ねぇ。ここから一番近いのも黄忠の城だ。一晩、屋根を借りるとするか」

「噂をすればなんとやら、ですな」

「まったくだよ。おい、策! 権! (のん)!」

 

 孫堅が三人の名前を呼んでいる間に、歳三は徐晃を呼び寄せていた。

 

「……何? お兄ちゃん?」

「その恰好では寒いだろう。これを着ておけ」

 

 と、羽織(コート)を脱ぐとあっという間に徐晃の肩にかけた。

 実に手慣れた手付きである。

 しかし徐晃はそんなことを気にすることもなく、顔を赤くしてもじもじとしている。

 

「……ありがとう、お兄ちゃん」

「なに、構わんよ」

 

 孫堅の邪魔にならぬよう、歳三と徐晃は暖め合う様に二人寄り添っていた。

 が、歳三は本当にそれだけだったか。

 歳三の切れ長の眼は、とある下士官を捉えていた。

 

 

 南陽の城へと向かう途中、歳三がぽつりと呟いたのを孫堅は聞き逃さなかった。

 実に耳聡いが、総大将というのはこのくらいでなければ務まらないのだろう。

 そういえば、旧幕府軍の総督の榎本武揚も耳聡かったなぁと思い出しながら、歳三は言った。

 

「あの下士官は見どころがある、と言ったのだよ」

「ん? どいつのことだ?」

「あの、眼鏡を掛けた眼つきが鋭いやつだよ」

 

 と、歳三は顎でしゃくって見せた。

 その先には、眼鏡を掛け大きくだぼついた袖の服を着た少女がいる。

 孫堅はそれを見て、微妙な表情を浮かべた。

 

「ああ、呂蒙のことか? あれは(のん)……陸遜の配下だな……」

「炎蓮にしてはいやに歯切れが悪いな、何か問題でも?」

 

 どうしたもんかね、と言いたげに頭を掻く孫堅は珍しいな、と歳三は思った。

 

「問題っていうか、確かに才はあると思うんだが、どうにも武一辺倒過ぎてな……それに歳三に似て眼つきが悪いし不愛想だ」

「なるほど。となると、本嫌いでもあるのか」

「おっ、なんだ歳三。そんなこともわかるのか?」

 

 くすり、と歳三は笑った。

 武一辺倒で眼つきが鋭く不愛想、ここまで自分に当てはまる人間もそうはいないだろう。

 となれば本嫌いであることも、なんとなく察することができたのである。

 まるで昔の自分を見ているようだ、とまでは言わないが、似た人間が居ることが、面白い。

 

「わかるとも。私だって本嫌いだったからね」

「ほぉう? で、その本嫌いの歳三が魅了された本ってのはどんな本なんだい?」

「流石に炎蓮が相手でも、教えられないな、これは」

 

 歳三の愛読書である歩兵操典は、今でも歳三の懐に暖められている逸品でもある。

 これが近藤であるならば三国志が出てきたであろうし、沖田ならば甘味が出ただろうか。

 とにかく、歳三が興味を持つ本、というところに孫堅は大きく反応した。

 少し、考える素振りをすると良い案を思いついたというように、人差し指で歳三を差した。

 

「ではこうしよう。歳三が呂蒙を本好きにしてみせたなら、借りを一つちゃら(・・・)にしてやろう」

「ふむ。では呂蒙が本嫌いが治せなかったら、私はどうすればいいのかね?」

「まず歳三秘蔵の書は陸遜に進呈だね」

 

 歳三は苦笑を浮かべた。

 まるで強盗のような言い様である。

 だが、そんな孫堅が皆好きなのだと、歳三は思っているし、歳三も好きなのだ。

 こればかりは孫堅自身の人徳と言えるだろう。

 

「まず、ということは他にも何かあるのかね?」

 

 よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに、孫堅は獲物を狙う獰猛な笑みを見せて。

 

「俺と一戦、交えてもらう」

 

 と、言った。

 常人ならば気絶するような覇気を伴っていた笑みだというのに、歳三は柳に風と言った風で。

 

「それは戦でかね、(ねや)でかね?」

 

 と、しゃあしゃあと言ってのけたのである。

 これには孫堅も笑うしかない、雨が口に入るのも気にせず大笑してから、言った。

 

「じゃあ、歳三はどっちだと思う?」

「どちらであろうとも、私はやる気だ、と言っておこう」

「それでこそ歳三だ!」

 

 と、歳三の背中をばしばしと叩く。

 叩かれる度に歳三は馬から落ちまいと、手綱を引っ張り踏ん張るのだが、孫堅は気にしない。

 

「おい穏!」

「はい~なんでしょう、大殿様~」

「呂蒙をしばらく土方の近くに置かせてみようと思うんだが、どうだ?」

 

 陸遜が歳三の方をちらと見た。

 これはまた、美女であると歳三は思い、軽く会釈をした。

 孫堅とは違い白磁の様な肌と、豊かに実った胸、小さな丸眼鏡と穏やかな喋り。

 激しい炎の様な孫堅とは真逆の、穏やかな流水の様な女性である。

 こういう真逆の性質の人間は、だいたい相反するものだが、孫堅と陸遜の間にそれはない。

 やはり孫堅は英雄なのだなぁ、と歳三はぼんやり思っていたが、陸遜の話で我に返った。

 

「それは構いませんけどぉ、呂蒙ちゃんが土方様のところにいったらどうするんですかぁ~?」

 

 ちらちらと、陸遜はこちらを伺いながら孫堅にそんなことを言っている。

 呂蒙が歳三に引き抜かれるのを、危惧しているらしい。

 なるほど、孫堅が眼を掛けているだけのことはある。

 秘めたる実力は陸遜も惜しむほどのものらしい。

 

(流石に孫堅でも、ここまで言われちゃ承知はしないか?)

 

 が、孫堅は歳三を遥かに上回る器の持ち主であったようだ。

 

「そん時はそん時よ。俺に呂蒙を惹きつけるだけの魅力(ちから)がなかっただけってことさ」

「大殿様はそれでいいかもしれませんけどぉ~」

「なに、駄目だった時は歳三が秘蔵の書をくれるんだとよ」

 

 陸遜の眼が、一瞬だけだが歳三が寒気を覚えるほどに鋭くなった。

 

「あらぁ~それは……わかりましたぁ~、呂蒙ちゃんにはそう伝えておきますねぇ~」

 

 そう言ってほんわかと歩いていく陸遜の後ろ姿に、先程の面影はない。

 歳三は孫堅に言った。

 

「どうやら陸遜殿は、筋金入りの読書好きのようですな」

「どうしてわかる?」

「陸遜殿の書へのあの態度。私ですら恐ろしいと感じる」

「確かに。少々行き過ぎなところもあるかもな、陸遜の読書好きは」

 

 まぁ、陸遜のことは良い、と歳三は思っている。

 それよりも、先程から痛いほどの視線を、歳三は背中に感じているのだ。

 

「それと、先程から私と話したいのがいるでしょう」

「ああ、策のことだろう?」

 

 恐らく、太史慈のことと歳三は検討をつけていた。

 それでなければ、他になんだというのだろうか。

 

「よし、じゃあ俺は黄忠と会うのに先行するから、歳三は策と存分に話ながらついてきてくれ」

 

 意地の悪い笑みを浮かべながら、孫堅は手勢を引き連れて先へといってしまった。

 丁度、孫堅の馬と入れ替わる様に、別の馬の足音が後ろから来ているのを、歳三は聞いた。

 

(孫策伯符、か)

 

 一体どのような人物なのか。

 あの孫堅の娘なのだから、孫堅に比肩しうる人物なのか。

 そう思えば思うほど、後ろから迫りくる孫策が楽しみな歳三であった。

 

 

 南陽の城、その城下を歩きながら、歳三は。

 

「どうにも、ここにきてから見られてばかりの気がするな」

 

 と、ぼやいた。

 歳三は何とも言えない視線を、南陽に来てからずっと感じている。

 田畑を耕す農民が、道行く町人が、店先の商人が、皆が皆、同じような視線を向けてくる。

 奇妙ではあるが、敵対心が無い為に、歳三としてもどうするべきか迷うものであった。

 

「そんなことより、歳三。どうやって梨晏を自分のものにしたの?」

 

 が、そんなことは孫策相手には関係ないらしい。

 太史慈との一件について、のらりくらりと(かわ)してきた歳三に苛々(イライラ)してきている。

 飛び出す言葉も、機嫌に比例してか物騒なものになっていた。

 

「事と次第によっては、私の母のお気に入りでも容赦しないわ」

「なるほど。炎蓮とよく似ている。享楽的な凶暴さを持っているな」

「話を逸らす気?」

「いいや、そんな気はもうないよ」

 

 と、歳三は言うと。

 

「梨晏ついては、殺しただけだ」

 

 と、言った。

 これに妙な顔をしたのは孫策である。

 太史慈が生きているのは、孫策たちの情報網にも掛かっている。

 第一時々太史慈本人から手紙も来ているというのに、死んだとはどういうことか。

 

「殺した? 梨晏からはちょくちょく手紙が来てるっていうのに、殺したっていうのはどういうことよ?」

 

 あの手紙はそういう、と納得する歳三。

 太史慈が誰にも知られぬようにこっそりと手紙を出していたことを、この男は知っている。

 知った上で太史慈、孫策両名の前で素知らぬ顔をしているのだから、(たち)が悪い。

 やはりいつものむっつり顔で、歳三は孫策に答えた。

 

「ふむ。孫策、君と周瑜の断金の交わりは梨晏からよく聞いている」

「そうね。私と冥琳の友情は金ですら断つわ。もちろん梨晏ともね」

「ならばその交わりを断てるものは一つ。死しかない」

「あのね、そういう謎掛けみたいな物言いはやめてくれない?」

 

 孫策は腰の剣に手を掛けそうな勢いである。

 歳三は渋い顔をした。

 いつも単刀直入な男が、こうもまわりくどいのも、珍しい。

 多分、孫策らの友情に入り込んだことに、多少なりとも遠慮のようなものがあるのだろう。

 

「失礼した。決闘したのだよ。己の死と、梨晏のこれまでの全てを()けて」

 

 歳三がそう言うと、孫策はちょっと考え込んで。

 

「そういうことね……納得がいった。それなら梨晏も、貴方から離れられないでしょうね」

 

 と、言った。

 歳三は少しだけ眼を見開いて、孫策に問い直した。

 

「良いのか?」

「良いも悪いも、決めたのは梨晏自身よ。貴方が弱みを握ってどうこうっていうのなら、ここで叩き斬ってたけど、そうじゃないなら梨晏の自由よ。それに」

「それに?」

「例え違う道を選んでも、私たちの友情に変わりはないわ」

 

 そう言って孫策は歳三に微笑んだ。

 

(嗚呼、やはり母娘(おやこ)なのだ)

 

 と、歳三は思うと同時に。

 

(私も子を持っても、炎蓮の様に変わらずにいられるだろうか)

 

 と、ぼんやりと思うのであった。

 

 

 孫堅は今頃、南陽の主である黄忠と話をしている頃だろうと、歳三は思った。

 あてがわれた部屋で雨を眺めていた歳三は、ふと呂蒙のことを思い出す。

 歳三は黄忠に会うことを半ば禁止されてはいたが、呂蒙に会うことは禁じられていない。

 それならば善は急げと言わんばかりに、歳三は呂蒙の部屋へと向かうのであった。

 

「呂蒙、居るか?」

 

 こんこん、と軽く扉を叩く歳三。

 

「は、はい! います!」

 

 と、中からは何かが崩れるような音やら、何やらでてんやわんやのようである。

 不味い時に尋ねたかな、と歳三は壁に背もたれながら、呂蒙が出てくるのを待った。

 外では相変わらず雨が降り続けている。

 

(嫌な雲だ)

 

 分厚い黒雲を眺めながら、歳三は待った。

 

 

 歳三の懐中時計の長針が、およそ三つ動いたくらいだろうか。

 呂蒙がおずおずと、扉を開いて顔を出した。

 

「申し訳ありません、土方様。お待たせしてしまって」

「いや、こちらもいきなり部屋を訪れるとは不躾だった。許してほしい」

「い、いえ! 土方様が謝られる様なことではないです!」

 

 真面目な性格なのだ、と歳三は呂蒙のことを思った。

 さらに前に、自分と呂蒙は似ているところがある、としたが間違いだとも思った。

 呂蒙はこうして真面目であるが、歳三は元々石田村の悪党(バラガキ)である。

 似ても似つかないのに、どうして似てると思ったんだか、と歳三は小さく笑った。

 

「土方様?」

「いや、なんでもない。ちょっと自分がおかしかっただけだ」

「?」

 

 頭に疑問符を浮かべる呂蒙。

 しかし、このまま外に歳三を立たせるのもよくない為、呂蒙は部屋に歳三を招き入れた。

 

「ほう、読書嫌いという割には、勉強家のようだ」

 

 まず、歳三が眼を付けたのは机の上に山と積まれた竹簡の類であった。

 中身はわからないが、恐らく軍師に関することだろうと当たりをつけたが、果たして。

 

「土方様は、透視のお力でも持っているのですか?」

 

 当たりだったらしい、呂蒙は驚きの表情を浮かべているのが、歳三はまた面白かった。

 これであれが艶事のいろはだったなら、呂蒙の評価を大幅に変えねばならぬ。

 だが、と歳三は思う。

 本当に勉強家であるならば、先程の惨状の様な音は何だったのだろうか。

 歳三は少し考えて、ある結論に辿り着いた。

 

「寝ていたのか、呂蒙」

「あうう……」

 

 どうやら図星のようである。

 顔を真っ赤にし、だぼだぼの袖で顔を隠す様にする呂蒙。

 

「そうなんです。寝てはいけないとはわかっているんですが、やはり身体を動かしているほうが性にあっていて……」

 

 と、自ら白状しだす始末である。

 けれども、歳三はそれでいいと思っている。

 歳三の持っている歩兵操典と、歳三なりの独創を、この呂蒙に叩き込んでみたくなっていた。

 それならば下手に知識があるよりも、真っ(さら)な頭の方がやりやすい。

 

「まぁ、いいさ。陸遜殿から聞いていると思うが、これから私が講師となる」

「え? そ、そんな! 土方様の手を煩わせるようなことは!」

「何を言っている呂蒙。一応形の上では私の元に居るのだぞ。それに、私の様な男が隣に居ては、居眠りなども(ろく)にできまい」 

 

 そう言って歳三がにやりと笑うと、呂蒙はまた顔を赤くして顔を隠した。

 面白いやつだ、と歳三は思いながら、この男特有の勘が働いた。

 

(扉の向こうに、誰か、居る)

 

 その旨を小さな声で呂蒙に伝えると、呂蒙はすぐさま気持ちを切り替え臨戦態勢に入った。

 なるほど、武一辺倒であったというのは嘘ではないらしい。

 隙のない呂蒙の構えに感心しながら、歳三は勢いよく扉を開け放った。

 

「子供?」

 

 扉の向こうに立っていたのは、子供であった。

 背丈は歳三の腰辺り、頭の両横で髪の毛を可愛らしい飾り布で結んでいる。

 城に住む誰かの子供だろうか、と歳三は思うが、強烈な何かを子供から感じていた。

 

(なんだ、この感覚は?)

 

 歳三自身も初めての感覚に狼狽(うろた)えていた。

 目の前の子供に何かしてあげなければならないという、本能の様なものがある。

 だが、歳三に子供との面識はない。

 それが余計に、歳三を混乱させた。

 一方で、子供の方は目に一杯の涙を貯めて、しかし嬉しそうに笑みを浮かべている。

 

「お……お……」

「お?」

 

 呂蒙がそう問い返した時。

 

「お父さーん!」

 

 と、子供は歳三に甘えるように思いっきり抱きついた。

 歳三はなんのことだかわからない。

 だが、わからないままにただ、心地良い。

 

「土方様は妻子持ち……でしたか?」

「いや、生きてきて一度たりとも伴侶を持ったことはない。しかし」

 

 と、歳三は子供の頭を優しく撫でた。

 

「何故だろうな。こうしなければいけないような気がする」

「こら璃々! 勝手に人の部屋に入っては……駄目……と……」

 

 次から次へと来客か、と歳三が目線を次の珍客に向けた。

 瞬間、時が止まったような気がした。

 忘れるはずがない、紫色の長い髪、豊満では現しきれない形の良い乳房。

 そして、歳三と全く同じ黒色の羽織(コート)

 

(ああ、彼女はまさしく)

 

 きっと、相手もそうなのだろう。

 開いた口が塞がらないと言うように眼を大きく見開き、目に涙を貯め始めている。

 だから歳三は、いつかの時と同じように、少年の様な笑みを浮かべて。

 

「やぁ、紫苑。羽織を取りに来ましたよ」

 

 と、言った。

 

 




kiroro様、ご指摘ありがとうございました。

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