【恋姫†無双】黒龍の剣   作:ふろうもの

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《真名早見表》
 土方歳三――義豊
 郭嘉奉考――稟



嵐の前の静けさ

 青州に粛清の嵐が吹き荒れる前、歳三は郭嘉と共に一先(ひとま)ず徐州へと潜伏していた。

 名は定かではないが、徐州の沿岸部にほど近い、城でのことである。

 その徐州の某城で郭嘉と共に歳三が機を待っていた時に、こんな話がある。

 

 

 徐州には陳珪と陳登という極めて優秀な母娘(おやこ)がいる。

 と、いうのを郭嘉との寝物語で歳三が知ったのは、徐州に入って間もない頃である。

 しかし優秀な人材とは得てして奇特な人間が多いというのは、ある種の共通項なのであろうか。

 歳三が脚で調べた二人の評価は、決して良いと言えるものではなかった。

 陳珪は常に笑みを浮かべている胡散(うさん)臭い女、陳登など人より土が好きだと言われる程であった。

 なるほど、面白いほどに変人であると歳三は思い、興味を持った。

 

(なんだ、随分と面白れぇヤツみてぇじゃねぇか)

 

 さて、どちらに会ってみようかと歳三が考えていた時、意外にも陳珪の方から接触があった。

 

「うふふ、こんにちは。土方様」

「む? ああ、良い日和だな、ご婦人」

 

 歳三は知っていて、()えてすっとぼけた。

 陳珪漢瑜(カンユ)、年齢不詳という言葉がこれ程似合う女もそうはいないだろう。

 陳登いう立派に元服を迎えた娘が居るにも関わらず、豊満な胸を惜しげもなく晒し、また、過剰とも言える色香を放つ格好をしている。具合に至っては孫策たちよりも過激、と言えるだろう。

 が、今更色香に惑わされる様な歳三でもない。

 これも一種の演技、と思ってしまえば自然、胡散臭いという評価も妥当と思えた。

 

「ところで、私はご婦人とどこかでお会いしましたかな? 最近は私に話しかけてくる人間も少なくて、そんな人間は皆覚えている筈ですが」

 

 これは本当のことである。

 歳三の雷名が天下に轟くに連れて、同時に容赦のなさを伝える悪名までも広まっている。

 現状、触らぬ神に祟りなし、と言わんばかりに人々から避けられているのが歳三の今である。

 若い兵士たちの間では、歳三に話し掛けられるかの度胸試しが賭けとして流行っているらしいというのも、耳の早いこの男は良く知っている。知っているからこの目(ざと)い男は、先程から廊下の片隅から歳三を伺う若い兵士の姿を切れ長の眼で見つけている。

 

「いいえ、こうして話すのは初めてですわ、土方様。(わたくし)は陳珪、陳珪漢瑜と申します」

「ふむ、陳珪殿ですか。いやぁ、貴女の様な美しい人に話し掛けられるとは、私もまだまだ捨てたものではありませんな」

 

 と、歳三は心にもないことを平気で言う。

 もう、陳珪の心積もりをなんとなしに看破しているのである。

 

(こいつは人を利用するが、自分の理想を持って動いている人種だ)

 

 そう思えば、今になって歳三に接近してきた理由もわかる。

 見る者が見れば、徐州すらも歳三が治めていると言っても過言ではない今。

 徐州の政界に手っ取り早く深入りするなら、歳三という絡め手を使うのが一番である。

 

(が、こいつが何をしてぇのかはよくわからねぇ)

 

 為人(ひととなり)はわかれども、人心を読み切るには情報が足りないのも事実である。

 伊東甲子太郎の様に才気走っている訳でもなく、今という時期を選んだのもよくわからない。

 

(しかし、優秀な人材ってんなら、使わない手はないわな)

 

 そう考えた歳三は、悪戯心がふつふつと湧いてきた。

 こういった手合いには、最初に度肝を抜くのが肝心であると歳三は知っている。

 だから、二の句を告げようとする陳珪の言葉の先を取って、言った。

 

「さて、廊下のそこで覗き見している君は、稟の調練を終わらせてここにいるのだろうね?」

 

 急に歳三に声を掛けられた兵士は、飛び上がらんばかりに驚いた。

 声だけでなくぎょろりとした眼にまで睨まれたのだから、その心情は察するに余る。

 ぶるぶると可哀想なまでに震える兵士を横目に、歳三は笑いながら陳珪に言った。

 

「それでは陳珪殿、私はあの兵士を絞り上げないといけないので、これにて御免」

 

 問答無用で陳珪との会話を切り上げると、歳三は兵士を引き連れて廊下の先へと消えた。

 

「……逃げられたのかしら?」

 

 と、呟いている陳珪を他所(よそ)に、歳三は兵士の肩を組んで顔を近づけていた。

 この男が持つ独特の覇気は、芯から人を萎えさせる何かがある。

 もう殺されるのではないかと流す汗もなくなった兵士に、歳三は問いかけた。

 

「陳登がいつもどこにいるか知っているかね? そうすれば賭けについても不問にするが?」

 

 

 歳三の逸話の一つに薬売りの行商の格好をして各地で剣術修行をした、というものがある。

 郭嘉に手配した上で、城に出入りする御用商人の使いっ走りの格好をすればもう、誰も彼を土方歳三として見ない。それくらい、歳三の行商人姿は堂に入っていた。

 例のふてぶてしい(つら)構えのどこから愛想が出てくるのかは、永遠の謎だろう。

 すれ違う兵士や従者に人の良い笑顔を向けては、腰を下げている。

 

(星には見せらんねぇやな)

 

 と、歳三は腹の中でそんなことを考えながら食堂へと向かっていた。

 兵士から聞き出した陳登の話に、食通というものがある。

 これは美食家というよりは、農を通して得た恵みをきちんとした料理に昇華させることに喜びを見出しているという、文字通り食に通じている、と言った方が良いかもしれない。

 これには歳三、内心で嬉しく思っている。

 前にも何度か書いたが、歳三は食の好みにはうるさい方だ。そういった人物が農政に着いてくれれば、味気ない戦場料理も少しは良くなるというものである。

 そして歳三は、陳登が兵士の言う様な食通かどうか確かめるために、こうして己を隠している。

 

(あいつが陳登か)

 

 食堂の片隅に、例の姿を歳三は捉えた。

 肌は母である陳珪よりも日に焼けているのは、土いじりを好むという人間性によるものだろう。

 服装も実用性一点張りで露出は少なく、比例してか胸も控えめである。

 陸遜に比べれば神経質そうな瞳が、眼鏡の奥で輝いていた。

 

(こいつァ、逸材かもしれねぇな)

 

 と、歳三は思いながら陳登の隣の席に腰を下ろした。

 所作全てが、どこまでも農民臭い。

 陳登は少し訝しんだようだが、農民上がりにしか見えない男に気を揉むのはすぐにやめた。

 ちらりと格好を見て、ようやく城を出入りしている使いっ走りの一人と思い声を掛けた。

 

「ん? 農家の人、じゃなくて城の御用商人の使いがボクに何か用?」

「へぇ、あっしは元は農民だったのをこうして使っていただいておりやして。いや、用ってほどのことはねぇんですがね、最近城中の食事が美味いのは陳登様のお陰と聞きやして、お礼を申し上げたく思いましてね」

 

 それにしてもよく回る舌を持つ男である。

 愛想の良い笑みを浮かべながら、歳三は如何にも元農民ですと言った風に喋る。

 歳三、元々は豪農の出であるから参考に出来る言葉遣いなど幾らでも身近に居た。

 流石の陳登でもこれが歳三とは見抜けなかったか、自慢げに胸を張って答えた。

 

「そうだよ。ボクが時々城の料理人を手伝っているんだ」

 

 それに、自分の功績を褒められては誰も悪い気はしない。

 特に自分が一番重要だと思っているところを褒められては、余計にである。

 新選組副長になってからは、おべっか遣いと多く接してきた男である故、その辺りもよく心得ている。人がどうすれば自分が思うように喋ってくれるかを、よく知っているのだ。

 

 

 話が盛り上がれば、自然と人の口は軽くなるものである。

 普段無口で不愛想に思われがちな歳三が、話し上手だとは誰も思わないから、これはよく効いた。歳三は陳登を褒めながら、それでいてそれとなく、話の向きが土方歳三に向かうように仕向けていた。この辺り本当に巧みであると言わざるを得ないだろう。

 陳登もいつの間にか、話の向きを土方歳三へと向けていた。

 

「その土方歳三だけど、農家の重要さを土方はちゃんとわかってないとボクは思うね」

「へぇ、そんなことを言う人は初めて聞きやした」

 

 凄い肝を持っているなぁ、と思わず感嘆しそうになるのを、歳三はぐっと(こら)えた。

 影で悪く言うだけなら、歳三も陳登を評価したりはしない。

 陳登は土方歳三よ、聞いているならここに来てみろという強い論調なのである。

 歳三は如何にも土方歳三を怖がっています、という風に陳登に聞き返した。

 

「しかし陳登様は土方様が怖くないんですけぇ?」

「皆、土方が怖くて何も言えないだけだよ。程立や郭嘉辺りなら違うと思えるけど、他は土方の顔色を伺ってばかりの怖がりばかりだよ」

「なるほど、陳登様はあっしの知らないことをよく知っていらっしゃるようで」

「でもボクは土方のことを少しはいいところもあるとは認めている」

 

 これも、歳三の陳登に対する評価を高める一因となった。

 ただ批判するだけでなく、認めるべきところは認める、という点である。

 これはなかなか、出来る人間は多くはない。

 

(視点が土に根付いているから、ある意味で公平に人を見られるのだ)

 

 と、歳三は陳登のことをそう評した。

 そう評価したのなら、歳三は陳登のこの快刀乱麻を断つ言い方が好きになっていた。

 物怖じしないところなど、特に気に入っている。

 が、そんなところを一片たりとも見せないのが、歳三の変装術が真なところである。

 

「へぇ、例えばどういう?」

「徐州の豪族たちを一斉に処分して、土地を全て直轄地にしたところとかね」

 

 孫候の姿が、歳三の脳裏に浮かんだが、即座に頭から掻き消した。

 陳登にとって豪族に良いも悪いもない。

 あるのは農という土に根付いた考え方、それだけである。

 

「そもそも豪族が間に入って農家から租税を取って、更に上に収める為の租税を搾り取る二重構造が無駄だったんだ。それを解消した、というところは良い点だと思うよ」

「ですがそうおっしゃるってことは、悪い点は他にもあると陳登様はおっしゃりたいんですけぇ?」

「そうだね、ボクが考えるにはだけど」

 

 と、陳登が語る農政案はそちらの方面に疎い歳三でも、正に画期的であると思えた。

 眼から鱗が落ちる、なんてことなどこの男にとっては歩兵操典を読んで以来かもしれない。

 

(こんな人材がいるなんてなぁ、まだまだこの国は広いぜ)

 

 と、歳三は陳登の語りを頭に叩き込みながら、そう思うのであった。

 

 

 郭嘉は陳珪を高く評価し、歳三は陳登を高く評価した。

 歳三は郭嘉のことを信頼しているし、郭嘉もまた歳三のことを信頼している。

 二人を登用することに、互いに異存は全くなかった。

 そして徐州における全ての用意を整えた上で、歳三は執務室に陳珪を呼び付けた。

 相変わらず、あの胡散臭い笑みを絶やさずにやってきた陳珪に、歳三は開口一番。

 

「やぁ陳珪。君の娘に会ってみたが、なかなか手厳しいな」

 

 と、言った。

 笑みを浮かべるだけだった陳珪の顔が、さぁっと青()めていく。

 母娘であるが故に、自分の娘の土方歳三に対する評価も、良く知っているのだろう。

 これで我が子への不満を一つでも漏らせば、郭嘉は最初から陳珪を捨て置いたに違いない。

 陳珪はそれでも、臆することなくただ頭を下げ、我が子の非礼を詫びたのである。

 

「我が子のこと、母である私がよく知っております。罰を与えるのであれば、どうか私を罰していただいていけませんか、土方様」

(ようや)く、その笑みの仮面の下を見せてくれたな、陳珪」

 

 歳三の言葉にどういうことだろうと、疑問符を浮かべながら頭を上げる陳珪。

 

「なに、すまなかった。私が貴女という宝石を測りかねたから、こんな悪戯をしてしまった。許してもらうのは私の方だ」

 

 と、歳三の方が頭を下げる始末である。

 これには陳珪の方が驚いて眼を見開いた。

 傲岸不遜天下に己のみと噂される程の不愛想が、頭を下げているのである。

 陳珪は(にわ)かに慌てた。

 

「そんな、土方様が頭を下げるようなことは一つも!」

「そうか。陳珪がそういうのなら上げておこう」

 

 完全に遊ばれている、と陳珪が思ったのはこの時であろう。

 目の前の男を測るつもりが、測られていたのは自分の方だと、聡い陳珪は気付いた。

 こうなるとその娘にしてこの母あり、文句の一つでもずばりと言えるのが陳珪である。

 が、それよりも早く歳三は言葉を紡ぐことで防いだ。

 

「良いだろう、そう政界の波を渡りたいのであるならば、母娘揃って渡ることを許す。稟」

「はい、歳三様」

「私の代わりに一筆頼む。陳珪陳登母娘の徐州政務入りを認める旨を、書き上げておいてくれ」

「わかりました。部署などはいかが致しましょう?」

「とりあえずは陳珪が陳登の補助ができるところがいいだろう。陳登が農政関連が希望のようだから、役職としてはそのあたりになるな」

 

 凄まじい早さで、陳珪は自分たちの去就が決まっていくのを感じていた。

 そして、次の歳三の言葉で完全に言葉を失うのであった。

 

「というわけで、君たち母娘を徐州における農政関連の最高責任者に命ずる。故に、その働きを存分に見せてくれ」

 

 そう言うと陳珪の肩を一つ、ぽんと叩いた歳三は郭嘉と共に執務室を後にした。

 一口に農政、と言っても徐州の農政は豪族の一斉処罰により直轄地が非常に多い。

 その為、政治手腕如何によっては簡単に農民叛乱、引いては黄巾党の乱に似た事態が起きると言っても過言ではない。そんな重要な役職を、陳珪と陳登は任されたのである。

 陳珪は歳三と郭嘉が去った後に、漸く事態を飲み込めたのか、悔しそうに一言。

 

「こんなこと、夫の一刀斎以来です……!」

 

 と、呟いたのであった。

 

 

 全ての用意を整えた、と先に書いたが、それは船の用意も一つにあった。

 歳三は馬上ではなく船上の人となって、青州への航路を望んでいた。

 郭嘉とここには居ないが程立らによる細工も万全、後は出港するのみ、というそんな時である。

 珍客が一人あった。

 歳三、訝しみながら船から身を乗り出してその姿を見ては、大いに驚いた。

 

「呂蒙じゃないか。着いて来たのか」

 

 呂蒙である。

 青州の政情不安の為に、歳三らが急ぎ徐州へ行った為に呂蒙は置いて行かれていたのである。

 もっと正しく言えば、呂蒙に関しては有耶無耶になっていた言う方が正しい。

 孫策と呂蒙とを交えて、話を付ける(いとま)もなかったのである。

 呂蒙を船上へと迎え入れた歳三は、取りあえず呂蒙の怒りの言葉を頂戴することにした。

 

「酷いじゃないですか土方様! 私を置いて行くなんて!」

 

 郭嘉からの冷たい視線が歳三に突き刺さる。

 批難半分嫉妬半分、といった具合であろうか。

 しかしこの男にとってはそんな視線は慣れたもの、柳に風である。

 何でもないように、歳三は呂蒙に話し掛けていた。

 

「私はあのまま、周瑜や陸遜の元で経験を積んでいくものだと思っていたが」

「確かに周瑜様や陸遜様の元でも私は成長できるでしょう。いえ、それが正しい道なのかもしれません」

 

 そう言って視線を伏せた呂蒙であるが、次の瞬間には歳三の眼を見て、半ば叫んでいた。

 

「しかし、私は土方様の元で学びたいという気持ちが本心なのです! どうか、どうか……!」

 

 ふむ、と歳三は少しだけ考えて、言った。

 

「孫策とは、話を付けてきたのかね?」

「はい。貴女の好きなようにしなさい、と言われて来ました」

「ああ、実に孫策らしいな」

 

 そう言う孫策の姿が、歳三の脳裏にまざまざと浮かぶようである。

 けれども、呂蒙に懐疑の視線を送る者が一人居た。

 郭嘉である。

 歳三に対する信の厚さは垣間見ることが出来たが、果たして実力の程は、と言いたいのだろう。

 先程と同じく、批難と嫉妬が()()ぜになった眼で、歳三に問い掛けた。

 

「歳三様は、孫堅殿の……いえ、孫策殿のところでまた(たぶら)かしてきたのですか?」

「誑かしたとは酷い言い草だなぁ。呂蒙は私が丹精込めて軍師に仕立てあげようとした娘だよ」

「直伝の軍師、ということですか。それで腕前の程は?」

「襄陽にて私の望む軍の動きをしてみせた、と言えば良いか?」

 

 そう言われてしまっては、郭嘉も言うことはない。

 

「そうですか。それならば、これから存分に働いてもらうことになりますね」

「そうだろうな」

 

 そうして二人して笑い合ってから、郭嘉は呂蒙へと向いた。

 

「はじめまして呂蒙。私は郭嘉奉孝。真名を稟と言います」

「は、はい! 私は呂蒙、呂蒙子明! 真名を亜莎(あーしぇ)と言います!」

「亜莎、ですか。良い名前ですね」

「ありがとうございます! 稟様!」

 

 あまりに素直な呂蒙の態度に、郭嘉は若干面食らっているようである。

 歳三の様な捻くれ者の近くに居続ければ、確かにこの素直さは新鮮であるだろう。

 歳三は海風を受けながら、二人の軍師の会話を静かに聞いていた。


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