【恋姫†無双】黒龍の剣   作:ふろうもの

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 ところで、と歳三が姿を消した後で孫乾が尋ねた。

 

「あの御方は、一体何者なのですか?」

「土方殿のことですか? いや、それが私にもまったく見当がつきませぬ」

「土方、とあの御方は申すのですか」

「うむ。姓を土方、名を歳三という、(あざな)を持たぬ変わった御仁ですよ」

 

 趙雲の言葉に孫乾はしきりと頷いている。

 口は小さく、歳三様、歳三様と呟いているようだ。

 目聡(めざと)く、趙雲は見つけた。

 

「おや、孫乾殿は土方殿に惚れられましたか?」

「はい。どうやらそのようです」

 

 臆面もせず言い切る孫乾に、むしろ趙雲が目を見開いた。

 

「賊から救っていただいたことは何より、その手際、(いくさ)ぶり、そしてあの顔立ちとくれば並大抵の人物ではないでしょう。私は、どうやらそこに惚れたようです」

「お兄さんが無位無官無名無禄であってもですかー?」

「うふふ、例え今は蛇でも後に龍に転ずるかもしれません。歳三様にはそういう才気があります」

「でも、そのまま何もできずに終わるかも知れませんよー?」

「その時は私の見る目がなかっただけのことですから。この身滅びるまで歳三様についていくつもりです」

 

 柔らかな笑みを孫乾は浮かべた。程立は眠そうな眼で孫乾を見る。

 ため息を、ついた。

 

「風が一番にお兄さんに目を付けたんですがねー、これでは風が二番手になってしまいます」

「風!? 何を言ってるんですか! 曹操殿のところに仕官するのではなかったのですか!?」

「落ち着くのですよー稟ちゃん。風にも考えがあるのです」

「考え?」

「お兄さんが凡百の人であったなら、風は暗殺してでも曹操殿のところへ仕官するつもりですー」

 

 これには戯志才驚いた。趙雲も徐晃も驚いた。

 唯一、孫乾は変わらぬ笑みを浮かべている。

 

「暗殺など、私がさせませんから」

「手段の一つとして言ったまででしてー」

 

 孫乾と程立の間で無音の火花が散っているようである。

 戯志才はやや呆然とし、趙雲と徐晃は顔を見合わせた。

 

「私たちはどうしますかな、なぁ香風(シャンフー)よ」

「シャンは、ちょっと興味あるかな」

「土方殿にか?」

「うん。はっきり、とは言いにくいけど。初めて見たときからただものじゃないって、思った」

「そうか……」

 

 趙雲も首を捻った。

 実のところ、趙雲としては槍一本で身を立てていく自身がある上に、歳三同様路銀が尽きれば公孫賛の元で客将にでもなるつもりでいた。

 実際見識を広めるつもりでこうして各地を流浪していたが、旅は道連れ世は情けと共に歩いてきた一人を変節させ、初めて会う人物に興味を持たせて助けさせ、更には一豪族すら魅了する。

 そんな男に出会った今。

 趙雲が興味を持たない筈がない。

 

「決めました、私も歳三殿についていこうと思います」

「星までも、ですか?」

「稟よ、これも何かの縁。もしかしたら私も歳三殿の気に当てられたのかもしれませんなぁ」

 

 なおも、戯志才は考え込んでいる。

 初心を貫徹するか、友である程立と同じく仕えるべき主を変えるか。

 これは生の()てまでも決めることなのではないのかと、戯志才は思えてならなかった。

 程立はよほど人物でなければ暗殺するとまで言っているが、自分の見る目を信じる程立が思った人物でないからと言って簡単に投げ出すだろうか。

 戯志才は苦悩する。考えれば考えるほど泥沼に浸かるよう。

 そこへ、涼風が吹いたようだった。

 思わず宿の入口へと注目する。龍が、人となって現れたかと、戯志才は思った。

 

「いや、井戸を借りて身体を洗っていたら遅くなりました」

 

 現れたのは正に渦中の人、土方歳三である。

 孫乾が思わず艶っぽい吐息を漏らすような凄まじい男振りだ。

 趙雲も程立も驚きのあまり声も出ないようである。

 しかし、徐晃だけは反応は薄い。本来の歳三の姿を一度見ているからだろうか。

 顔の汚れを落とし、髪を整え、正装を着込む。それだけでこれほど人は変わりうるか。

 徐晃が官軍の将と評したのもわかる。

 完全に姿を取り戻した歳三の気に、飲み込まれてしまいそうだ。

 戯志才は身が震える思いがした。これは確かに、蛇から龍へと変わるかもしれない。

 歳三は元の椅子へと座った。

 所作のひとつひとつに雑念がなく隙がない。

 

「服の(ほころ)びまでも繕ってもらうとは、本当に(かたじけな)い」

 

 深々と徐晃に頭を下げる歳三。徐晃は小さく、いいよと返した。

 

「馬も、連れて来てもらっていたとは」

「ううん、人を助けるなら、当然」

「度量が広いですな、徐晃殿は」

 

 歳三は、笑った。初めてであろう、何の忌憚もなく歳三が笑ったのは。

 戯志才はいよいよ心を動かし始めていた。

 ここを逃してはこの男に仕官するのはもう叶わぬ、という思いが強くなっている。

 

「あの、土方殿」

「なにか?」

「私、戯志才と名乗っていましたが、本当は郭嘉と言います。字は奉孝」

「やはり、私の勘は当たっていたか」

 

 嬉しそうに、歳三は笑った。傲岸にしか見えぬこの男からは考えられぬ笑みである。

 不思議と戯志才――郭嘉は喜びを覚えた。

 軍師というものは献策をし、策の成功によって主君に喜ばれるのを是とするものである。

 それと同じ感情を、今の歳三から郭嘉は感じた。

 仕えるべきはこの人だ、と郭嘉が思ったのはこの時である。

 

 

 これからどうするか、と歳三は思案している。

 孫乾から公孫賛への紹介が叶わぬのであれば、孫乾と繋がりがある徐州・陶謙に付くのも良い。

 もしくはこれから頭角を現すであろう、曹操や孫堅の元へ行くのもいい。

 

(必ず仕官が叶うとは限らんが)

 

 鬼と鳴らしたこの身であっても、今であってはただの無名。

 やはり孫乾の協力がなければどうにもならぬか、と場の顔を改めて見回した時。

 歳三への視線が違うことに気が付いた。

 

(なんだ?)

 

 趙雲の視線は、面白いものでも見つけたという顔である。

 徐晃は、興味深そうにこちらを見ている。

 郭嘉においては何かを決心したような感じだ。

 こと孫乾に至っては、かつて江戸で京でと飽きるほどに浴びた熱視線である。

 ただ、程立だけは眠そうな眼でこちらを見ているだけだ。

 

「どうかしたかね?」

「いえ、一同決めたのです」

「決めた? 何を?」

「私たち五人、歳三様についていくことにしました」

 

 眠たげな歳三の眼が、郭嘉の言葉によって見開かれた。

 

「……本気か?」

「もちろんです、二言はありません。その証拠に歳三様に真名を預けます。私は稟と言います」

「あー、ずるいのですよ稟ちゃん! 風は風ですー」

「この流れは私も言う流れですな。私は星、と言います」

「シャンは香風」

「私は美花(ミーファ)と申します。皆さまもどうかそうお呼びくださいませ」

「ああ、いや待て。そんなに一度に言われても困る」

 

 その癖しっかりと記憶しているのだから、歳三の抜け目のないところである。

 

「そもそも真名とは一体?」

「……知らないのですか?」

「いや、まったく」

 

 郭嘉が呆れている。趙雲が転げている。徐晃が滑っている。

 孫乾と程立だけは変わらずに歳三を見ている。

 眼鏡をくいくいと直しながら郭嘉は説明した。

 

「簡潔に説明しますと真名とはですね、心を許した証に呼ぶことを許す名前です」

「ほう」

「本人の許可無く真名で呼ぶことは、問答無用で斬られても文句は言えません」

「ふむ、では郭嘉――」

「同時に、真名を許されたにも関わらず真名で呼ばないのは失礼にあたります」

「そうか、ありがとう稟」

 

 (いみな)のようなものか、と歳三は一人納得する。

 江戸ではすっかり廃れた風習の一つではあるが、歳三も諱を持っている。

 

「私にも、似たようなものはある」

「ほう、真名を知らぬのに真名があるとはこれ如何に?」

「そう言わないでくれないか、星。私の国では真名ではなく諱と言った。言葉通り呼ぶことを忌む名だ。私も真名として諱を預けるが、普段は呼ばないでくれ」

「普段、とは使う時があるということですな」

「そうだ、私が死んだ時に使ってくれ」

 

 趙雲が少したじろいだ。

 

「では、どう呼べばいいのですかな?」

「諱以外で、好きに呼べばいい」

 

 一同、頷く。

 それを見て歳三、口を開く。

 

「私の諱は義豊だ」

 

 皆が、噛み締めるように歳三の諱を受けた。

 真名が神聖なものであるように、諱も等しく神聖であると彼女らは理解したのだろう。

 歳三は既に諱も意味を持つのだと適応している。

 

「では、お互いのことをよく知り合うために」

 

 と、趙雲が(かめ)を取り出した。

 

「一つ宴といこうではありませんか」

「星が、酒を飲みたいだけでしょ」

「ばれましたか」

 

 徐晃の言葉に一同笑った。歳三だけは、いつものむっつり顔である。

 

 

 酒の席、といえば大概賑やかなものであるが、この宿の一角だけは違う。

 一同、静かに酒を飲んでいる。

 こんなはずではなかったのだがな、と思うのは趙雲である。

 この座における主役である歳三が何も言わず酒を飲んでいるから、皆、喋らない。

 歳三の飲む、というにはやや語弊がある。

 歳三は酒を飲むというよりは、舐めるようにして飲む。

 ほとんどが物憂そうに杯を眺めているのだから、酒量も少ない。

 歳三を除く皆が少なからず杯を重ねているのに対し、歳三は未だ一杯目である。

 

 

「ご主人様は、お酒はお嫌いですか?」

 

 孫乾が口を開いた。歳三が眠たげな眼を孫乾に向けた。

 

「そのご主人様っていうのは、なんだ?」

「私の質問にお答えしてくれたら、答えます」

「酒は、あまり好きではない」

 

 歳三、生来あまり酒が飲めない。

 しかし酒そのものよりも、酒に酔った男の方が嫌い、という方がこの男には強い。

 酔態の無様を晒す人間への軽蔑が、そのまま酒への嫌いに転嫁されている節がある。

 

「答えたが、美花」

「わかりました。私が仕え支えると決めた人ですから、ご主人様です」

「やめてくれ、そんな風に言われても座りが悪い」

「諱以外ではどんな呼び方をしても良いと、おっしゃられたではありませんか」

 

 歳三は苦り切った顔である。

 下手に反論すれば、趙雲が茶々を入れてくるのがわかりきっているからである。

 現に、趙雲が孫乾とのやりとりを面白そうに聞いている。

 

「確かに、言った」

「そうですよね」

「しかし私はここに上下はなく皆同士、仲間だと思っている」

「そのお心は」

「そんな風に主君の様に仰ぎ見られるのは、好きではない」

「と、おっしゃられる割には、似合わない言葉遣いをされるのですね」

 

 思わず、杯を取り落としそうになった。

 

(この女、どこまで見抜いていやがる)

 

 時々、女という生き物に対して恐いと思う時があるが、今がそれだった。

 ごまかすように杯に口を付ける。

 

「ほぅ、歳三殿は我らのことは仲間とお思いですか」

「星までも、なんだ」

「いえ別に。美花殿の言う通り堅いお人であるなと思いまして。仲間であるというのならば、もう少し砕けても良いのでは?」

「そんなに重要なことなのかね?」

「重要ですとも! 歳三殿が仲間と見ているのに距離を置くような言葉遣い、寂しいではありませんか」

 

 おどけた様に趙雲が言う。

 歳三はいよいよ苦い顔をして、杯を睨んだ。

 この武州多摩の田舎剣客が言葉遣いを改めたのは、京に上ってからである。

 やはり何事にも形というものがある。

 人を率いるためにはいつまでも、素性丸出しの流儀では駄目だったからだ。

 確かにこれでは孫乾の言う通り、新選組で言う隊士に対する副長の接し方に近い。

 

「シャンは、形だけでもお兄ちゃんが上でいい」

 

 押し黙る歳三に助け船を出したのは、徐晃だった。

 しかし歳三の興味はとっくに別にある。

 

「お兄ちゃん、か」

「駄目?」 

「いや、そう言われることになるとは思わなくてな。存外、照れるものなのだな」

「どういうこと?」

俺ァ(・・)十人兄弟の末っ子でな。兄ちゃん、兄ちゃん、と言うのは()の方だったのさ」

 

 切り捨てた筈の郷愁が、徐晃の言葉で思い起こされ知らず地言葉が出る。

 徐晃の雰囲気もあるだろう。

 邪気のない言葉は、歳三の頑なな心をほぐすようである。

 はっと、歳三はこちらを見る視線が生暖かいことに気が付いた。

 程立だけは頬を膨らませていたが。

 

「むー、お兄さんとお呼びしたのは風が最初の筈ですよ」

「そんな呼び方をした覚えがないからな」

「では私も歳三殿のことはお兄ちゃん、とお呼びした方がいいですかな?」

「星の呼び方には邪気がある。もうさっきのような失態はせぬよ」

 

 歳三は相変わらず不愛想だ。

 だが単に鉄面皮というわけでもない。

 案外やわらかいところも多いのだ、普段それを見せようとしないだけで。

 このまま程立と趙雲による歳三へのいじりが続きそうなので、稟が口を開いた。

 

「とにかく、私は香風と同じように歳三様を主君とします。このまま飛沫で終わるならともかく、より大きくなるためにはそういった序列もやがて必要でしょう。いざという時に仲間割れもしたくありませんし」

「風は賛成ですー。お兄さんが何と言おうと、この座の主君はお兄さんです」

「私も異論はありません。歳三殿こそが我が主。そう決めましたぞ」

「シャンは、お兄ちゃんについていく」

「私は既にご主人様のものですから」

 

 歳三はそっぽを向いた。

 

(やはり、いつになっても命を預かるってぇのは重い)

 

 まがりにもなにも歳三が主となった以上、仲間を食わせ養うのは義務である。

 新選組時代を思い出すようであった。

 歳三の表情は、不愛想を通り越して、冷たい。

 

「なに、そう気負うことはありませぬよ。主」

「どういうことだ、星」

「ここにいる風と稟は希代の軍師。私と香風は自分で言うのもなんですが一騎当千の強者(つわもの)です。主一人がすべて抱え込むことはないのですよ」

 

 美花殿以外は主と同じ無位無官の無名者ですしな、と趙雲は大笑いした。

 徐晃らも同じように笑っている。

 孫乾が微笑んだ。

 

「辛くなったなら、頼ってくださいな。私たちは仲間、なんでしょう?」

「そうかね」

 

 歳三は杯を一気に(あお)った。

 そして()せた。

 

(やっぱり、酒は苦手だ)

 

 だが歳三の表情は柔らかかった。


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