土方歳三――義豊
徐晃公明――
趙雲子龍――星
郭嘉奉考――稟
程立仲徳――風
太史慈子義――
孫乾公祐――
董卓仲穎――月
呂蒙子明――
嵐とは得てして、海からやってくるものである。
もちろん、この場合の嵐とは土方歳三についてを指す。
船の真っ先の
「城が、見えてきたな」
「はい」
隣に控える郭嘉が、答えた。
見える城とは東萊城、何進に指定された例の城である。
(あの城ではいろんなことがあった)
歳三はぼんやりと、孔融のことを思い出す。
(どうやらあの城は、鮮血とは切っても切れない縁があるらしい)
血生臭いのは歳三の方だろうに、と聞けば誰もが思うことを歳三は眠たげな眼で考えていた。
郭嘉は、歳三の横に控えたまま何も言わない。
一方で郭嘉の反対側に控えている呂蒙は、不思議そうに歳三に問い掛けた。
「それにしても、歳三様はどうしてそんなにも変装が巧みなのですか?」
そう、今の歳三はいつもの
他の兵士たちと同じように粗末な服を身に纏い、頭に頭巾を巻いている。
けれども、この男の服の下には手甲のみならず脛当てまでもが入った鎖帷子をずっしりと着込んでいることを、郭嘉と呂蒙のみならず船中の兵士たちは皆が知っている。
そもそも、船の兵士たちも同じように、服の下に歳三と同じ鎖帷子を着込んでいるのだが。
「ふふ、こういうのには
歳三は面白そうに笑いながら、呂蒙の問いに答えた。
「服だって地位だってなんだって、自分には似合わないとか分不相応だとか、そもそも役不足だなんて考えをさっさと捨てることだ。さもなければ自分か着る何かが浮いてしまうだけになる」
それが歳三流変装術の
もっとも、歳三の言い分からすれば変装のみならず、普段の格好に関しても通じるものらしい。
「そうすれば自然に、格好の方が自分に合わせてくれるようになる」
「……そういうものなのですか、稟様?」
「歳三様がそういうのなら、そういうものなのでしょう」
呂蒙の疑問に、郭嘉はあっさりとそう答えた。
投げやりにも聞こえるが、呂蒙はそれで納得したのかそういうものと呟きながら頷いている。
少し、静かな時間が訪れる。
風の音だけが妙に耳を打つ時間の後に、歳三は
「しかしこう、二人に歳三様歳三様と言われてたらなんだね、どうにもむず痒いな」
「何を今更、どういう意味ですか?」
「稟、言葉通りの意味だよ。今の私は土方歳三ではなく、徐州の兵の
「つまり歳三様の変装術の
「まぁ、そういうことになるね」
ただの一兵士が、郭嘉と呂蒙から様付けで呼ばれていたら、確かに浮くだろう。
郭嘉は顎に手を当てて少し考えてから、言った。
「ではどうされたいのですか、歳三様は?」
「そうだなぁ、この船団の兵士長は亜莎になって貰って、私はその副長の
歳三は自分の大きな掌に、義奉の字を指で書いた。
その指の動きを読み取った郭嘉は、偽名の由来に気付く。
「読み方違いの一字違いですね」
「そうなるな」
歳三の
わかるものには非常にわかりやすい偽名である。
わかりやすいから、郭嘉にも呂蒙にも呼びやすい偽名であることは間違いない。
けれども、呂蒙は不安そうに声を上げた。
「私が兵士長、ですか?」
「何、別に戦をするわけじゃないんだから、気は楽だろう?」
「そうですが……」
「それに亜莎はまだ
だから、形の上では歳三と郭嘉は徐州に潜伏していた、ということになる。
となれば、歳三も郭嘉も、青州では姿を偽らなければならないお尋ね者となる以上、呂蒙以上の適役は他にはいないだろう。それに呂蒙は短い間ながらも、郭嘉の指導を受けている。
これほど信頼できる人材も居ないな、と歳三は思っているが、呂蒙は尚不安そうである。
「なるほど……でも私はつい、歳三様と呼んでしまいそうで少し不安です」
「ならば副兵士長を略して副長、とでも呼んでくれ、亜莎。正直、そっちの方が私は嬉しい」
「一番ではなく二番の副長が嬉しい、ですか。本当に変わっていますね、副長は」
郭嘉の言葉に歳三はくすりと笑って。
「なに、そういう性分だよ」
と、答えた。
船が、青州の港へと接舷しようとしている。
「では、梨晏を助けに行くとするかね。兵士長」
「はい、副長」
船は港へと接舷した。
嵐が遂に、青州の地へと降り立った瞬間である。
◇
港の検査は、酷く
呂蒙が郭嘉が用意していた書簡を見せるな否や、そのまま一軍を通すという具合である。
流石に、歳三もこれには閉口した。
攻略する側として楽なのは確かだが、こうまで杜撰であると後のことが心配である。
背中に兼定と国広を入れた
郭嘉もまた、歳三と同じように兵士の服を纏って変装をしている。
「これは風との策です」
歳三の視線の意味を即座に解した郭嘉は、そっと歳三に耳打ちした。
傍目からは、副長が部下からの報告を受けている様にしか見えない見事な演技である。
「ならば、仕方ない」
歳三は郭嘉も程立も信頼している。
その二人が策というのなら、事後策も万全であろう。
呂蒙率いる一軍は何の労苦もなく、東萊城下へと入り込んだ。
門内、酷く慌ただしい。
兵士たちが街路を縦横無尽に駆け回り、何か災害でもあったのかという具合である。
呂蒙が、兵士の一人を
「孫乾様の命により、徐州より応援に参った軍である。一度孫乾殿にお目通り願いたい」
「これはありがたい! 現在、三方向より土方軍が襲来しているという情報がある。一刻も早く、我らと合流していただけると、徐州に対する恩、絶対に忘れませぬぞ!」
「三方向から土方軍が襲来ですか……?」
「はい。ここだけの話になりますが」
と、兵士は小さな声で話の続きを言った。
「程立殿の情報によりますと、土方は撹乱を目的に三つに軍を分けているとのこと。土方本人が紛れ込んでいる軍も特定済みらしいのですが、青州の勢力は水面下で三つに分かれている始末なのです」
「だから、私たちに早く合流して欲しい、と?」
「はい。今のところ、太史慈様を主とする青龍派、中立を示す黄龍派、表には出ていないものの、土方を支持している黒龍派に分かれておりまして……」
「孫乾様はいずれに?」
「静観派です。ですから貴女方が青龍派として加わっていただけたら、我ら青龍派は……」
「事情はわかりました。ですがまずは私たちとしても孫乾様に会わぬことには道理が立ちません。この話は孫乾様に伝えておきますので、また」
「わかりました。孫乾様は執務室にて太史慈様を補佐しておられます」
そう言い終わると、兵士は出征の準備をする為か慌ただしく去っていった。
呂蒙はちらりと歳三の方を見た。
とどのつまり、程立による偽計であると歳三は判断し、歳三は呂蒙に頷き返した。
城内の兵力が程立の偽情報によって城を空けている今が、青州奪還の好機である。
「行きますか、副長」
「はい、兵士長」
速やかに、呂蒙率いる軍勢は東萊城内へと入り込んでいった。
◇
東萊城執務室前に辿り着く。
何進の弁によれば、東萊城到着こそが歳三の青州刺史就任の条件であった。
が、歳三はそれだけで終わらせるつもりは全くない。
ここで歳三に叛乱しようとする意志を、根こそぎ刈り取るつもりで
「では兵士長、城内に関しては」
「はい、副長。わかっています」
一言交わすだけで呂蒙は歳三の、ひいては郭嘉の意図を読み取っていた。
連れてきた徐州の兵は、ほぼ空き城となっている東萊城制圧の為のものである。
そして歳三がするべきことはただ一つ、執務室内の制圧である。
「では、後はお任せします。副長」
「心得ました。兵士長」
呂蒙が、兵士たちを率いて行った。
歳三は郭嘉一人を控えさせ、執務室の扉を開け放った。
皆が、揃っている。
趙雲が、程立が、孫乾が、執務室に入ってきた歳三の姿を見た。
ただ、太史慈だけは、自身の息子らしき男を引き連れた豪族たちに囲まれている。
「太史慈様、ここは一つ私の息子と婚姻を!」
「いやいや、私の方が出来がよろしいかと」
「お前の息子などより我が家系の方が為になりますぞ!」
「いや、私はそういうのには今、興味がないかなぁ、って」
太史慈は困った様に笑いながら、明確な拒否を浮かべている。
青州で別れてから、ずっとあのような心労を重ねていたかと思うと、怒りが湧いてくる。
無論、不甲斐無い己自身に、である。
「む、なんだ貴様! とま」
れ、と言う前に兵士の顔面を裏拳で叩き潰した歳三。
ずるりと床に崩れ落ちる兵士の音で、
ただし、姿が姿であるので太史慈以外はこの男が土方歳三であると気付いていない。
「無礼であるぞ、貴様!」
と、ふんぞり返りながら歳三に詰め寄った豪族を前に、歳三は冷ややかな視線を向けていた。
体躯、太り気味で脂ぎっている、豚の様な男である。
こんなのが太史慈の手を煩わせ、自身の子供と婚姻を結ばせようとしていたと思うと。
「吐き気がするぜ」
「貴様、今何と言った?」
「吐き気がすると言ったんだ、豚め」
「貴様! 徐州の者の様だがこの青州豪族である」
「そんなの」
男の言葉を遮って、歳三は嘲笑った。
「知ったことかよ」
しゅるりと、菰の結びを解いて、中から兼定を取り出すと刀の鯉口を切った。
「そ、その剣は!?」
男の良く脂で実った首を、兼定の刃が斬り抜けていった。
驚いた顔のまま、ぽん、と飛んだ男の首は執務室の隅の方へと転がっていった。
豪族たち皆が驚き騒めいた瞬間、ある者の首には槍が突き付けられていた。
「さて、主の帰還の様ですな」
「趙雲! 貴様! 土方とは喧嘩別れしたと!」
「はて、なんのことでしょうなぁ? 私は主に忠誠を尽くすこと、忘れた覚えはありませんが」
歳三は頭に巻いていた頭巾を取り、乱暴に髪をかき上げた。
それだけで、往年の色男の完成なのだから、この男はずるい。
槍一つで趙雲が豪族たちの動きを止めている間、太史慈は眼に涙を貯めて歳三の姿を見た。
そして。
「と、歳三ー!」
抱きついてきた太史慈を、歳三は思いっ切り受け止めた。
「やぁ、すまなかったな。梨晏」
「本当だよぉ、皆大変だったんだからね!」
歳三の厚い胸板に頭を擦り付ける太史慈を、優しく撫でつける。
それを豪族たちは嫉妬と怒りを含めた眼で見ていたが、はっと気づいた様に声を上げた。
「た、太史慈様こそ土方歳三排除の旗印! それをお前は許すと言うのか! それでは我らが裏切り者という道理が通らんではないか!」
起死回生の一言だと言わんばかりに、豪族たちはうんうんと頷いている。
が、心底呆れた様に、憐れむような眼で歳三は豪族たちを見ている。
「何を言っている? 梨晏は元から私の
こうなれば、と周りを引きずり込もうと思ったか、豪族たちは次々に声を上げていく。
「て、程立殿! 話が違うではないか! 土方は青州には相応しくないと!」
「はいー。今の腐った豪族がいる青州には、お兄さんが居るに相応しくないと風は思いましてー」
「そ、孫乾殿は! 孫乾殿はどうなのですか!」
「私は心も身体も全て歳三様のもの。裏切るつもりなどありませんわ」
最初から味方などなく、土方歳三を排除するつもりはなかった。
むしろ排除されるのは自分たちの方、と漸く豪族たちは気付き、へなへなと床へ座り込んだ。
それと同時、執務室の扉が呂蒙によって開け放たれた。
「副長、いえ、歳三様。城内の制圧、完了しました」
「ご苦労亜莎。それからあいつらを捕らえろ。抵抗するなら斬り捨てても構わん」
「わかりました」
呂蒙が指示によって豪族たちが手際よく捕縛される中。
太史慈は顔を真っ赤にして歳三に尋ねた。
「あのさ、それで歳三……私は、その……」
「なんだ、梨晏は私にとっての大切な人だと言いたかったのだが、先程の言葉では不足かね?」
歳三は柔らかに微笑み、太史慈は赤い顔を隠す様に歳三の胸板に顔を押し付けた。
◇
服をいつもの仏蘭西軍士官服に着替え、椅子に腰を下ろした歳三は来客を待った。
郭嘉も既に、いつもの服装である。
どのくらい時間が経っただろうか、執務室の外が慌ただしくなったかと思うと乱暴に扉が開け放たれ、何人もの縛られた男たちが放り込まれてくる。最後に現れたのは徐晃であった。
徐晃が静かに扉を閉めると、歳三は品定めするように男たちの顔を眺めた。
一応は、歳三を討とうと前線に出ていた者たちだから、どいつもこいつもくせのある顔である。
「ありがとう、香風」
「……ううん。お兄ちゃんの為だから」
「嬉しいことを言ってくれるな。おいで、香風」
「……ん」
徐晃は徐州から兵を率いながら、歳三たちと別行動をとっていた。
それこそが、郭嘉と程立の仕掛けた最後の罠であった。
偽情報に騙された豪族たちを背後から奇襲し殲滅するという、正に仕上げの役である。
歳三が徐晃の頭を優しく撫でていると、縛られた男たちの内一人が、大声を上げた。
「土方! 貴様!」
「貴様とはなんだ。私は大将軍何進殿より青州刺史就任の叙勲を正式に受けている。何か問題でもあるのか」
「それはお前がこの城に足を踏み入れられたらの話だ!」
「お前の目は盲目か? 私はこうして、この城どころかこの部屋に足を踏み入れているが」
これ見よがしに両足を男に見せつけた歳三は、にやりと笑った。
「私が幽霊とでも言うか? 脚はこうして二つあるぞ?」
「土方ぁぁぁ!」
怨嗟の声も、歳三には届かない。
最早どう叫ぼうともすべての勝敗は決し、残すのは粛清の裁断のみである。
「さて、此度の一件。豪族による反乱に相違あるまい。風、この者たちはどうするのが妥当か?」
「そうですねー、叛乱を企てた以上、一族郎党滅ぼしてしまうのが妥当かとー」
「
「ですねー。こうなったら一気に埋めてしまうのが良いでしょうー」
「それは良くないな」
歳三はやんわりと、程立の提言を拒否した。
もしかしたら許されるかもしれない、そんな希望の光が一瞬でも見えたのだろう。
豪族たちの顔に光が差し込んだようであった。
けれどもそんな温情を、鬼と呼ばれた男に求める方が愚かと言えよう。
次の歳三の言葉に、豪族たちは顔を青褪めさせた。
「万一這い出てこられても、困る。全員斬首がよかろう」
◇
豪族たちの粛清には、丸三日程掛かった。
主要な者たちは市中にて斬首刑に処され、それ以外の者たちは郊外にて粛清された。
皆、揃って穴に埋められ、青州による叛乱の芽は完全に排除されたと思って良い。
漸く、終わったかと歳三が一息ついた時、郭嘉からす、と一通の書簡を差し出された。
「それでですね、歳三様。こんなものが袁紹殿から届きました」
「火急の用か?」
「はい。急ぎ確認していただきたいと思います」
「ふむ、なんだこれは書き出しからして檄文か?」
歳三が眼だけを動かして檄文を読んでいる間、趙雲らなどは静かに談笑していた。
が、それもすぐ静かになった。
歳三が、怒りを
態度にこそ示してはいないが、眼には明らかな憤怒が浮かんでいる。
「月が朝廷に対する叛逆者だと?」
歳三は小さくそう言うと。
「ふざけているのか、これは?」
確認するかの様に、郭嘉に問い掛けた。
「いえ、事実です。風と共に調べたところ、北は公孫賛殿から南は孫策殿まで、幅広く檄文が飛ばされている形跡がありました」
歳三は郭嘉の言葉を聞いて、静かに袁紹からの檄文を机に置いた。
「それで、この謀略の首謀者は誰だ?」
「洛陽にいる皇甫嵩将軍からの情報によるとー、何進と十常侍、そして袁紹の三組が謀ったようですねー」
程立が進み出て歳三の疑問に答えた。
歳三は顎に手を当てて考える、謀るからには何か理由がある筈である。
あるはずであるが、歳三が考えたところで今回の謀略は手に余る。
どうにも、規模が大きすぎるのだ。
歳三は素直に、程立に意見を求めることにした。
「何故かは、わかるか?」
「陳留王による霊帝への直訴が発端かと思われますー」
程立は、賢い。
今更始まったことではないが、物事を説明するにしても人の性に合わせて変えることが出来る。
だから程立は賢い。
歳三は、一から説明されるよりも少しずつ己の力で答えを導く方が好きなのを、見抜いている。
見抜いているから、逐一全てを説明するような答え方はしない。
「確か月、董卓が個人的に家庭教師をしていた、霊帝の妹が陳留王だったな。つまり陳留王は董卓の教育を受けて今の朝廷の現状を嘆いた、ということか」
「はいー、それが理由で姉である霊帝に直訴を行ったと、風は推察しますー」
「つまり、何進自身の権力維持の邪魔になったというわけか」
「そういうことかとー」
「それで何故、袁紹なのだ?」
「お兄さんは本当に中央政界に疎いんですねー」
「仕方なかろう」
歳三は苦笑を浮かべた。
「本当に知らないんだから」
歳三はくすくすと笑っているが、眼は笑っていない。
完全に、据わってしまっている。
底冷えするような眼が、爛々と光っているのだから、恐ろしいことこの上ない。
が、今更こんなことで
居たとしても日が浅い呂蒙くらいだが、呂蒙ですらごくりと息を飲む程度である。
「まぁ、いい。それについては道々聞くとして、我々も合流しようじゃないか」
「何にですかー?」
「決まっている、この反董卓連合に、だよ」
歳三は面白そうに笑っているが、やはり眼だけは笑っていなかった。