【恋姫†無双】黒龍の剣   作:ふろうもの

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《真名早見表》
 土方歳三――義豊
 徐晃公明――香風(シャンフー)
 趙雲子龍――星
 郭嘉奉考――稟
 程立仲徳――風
 太史慈子義――梨晏(リアン)
 孫乾公祐――美花(ミーファ)
 董卓仲穎――(ゆえ)
 呂布奉先――(れん)
 呂蒙子明――亜莎(あーしぇ)


待ち望まれた男

 虎牢関と汜水関とは、洛陽の東に位置する交通の要所に置かれた要塞のことである。

 この地方一体は非常に(けわ)しく、虎牢関と汜水関を無視して洛陽に至ることはまずできない。

 つまり、大軍を動かすにはどうしてもこの二つの大要塞を抜く必要があった。

 それは袁紹が檄文を飛ばした反董卓連合についても同じである。

 巨大な汜水関を前にして、威風堂々たる軍勢が平野に満ち溢れていた。

 

「あれが、反董卓連合の陣地か」

 

 と、歳三が静かに呟いた。

 見れば袁の字が書かれた旗や懐かしき公と孫の文字、あるいは劉や曹と言った字が見て取れる。

 郭嘉を疑っていた訳ではないが、袁紹は漢のありとあらゆる諸侯に檄文を送っていたようだ。

 そして、それに同調する他の諸侯の多さに、歳三は眼を細めて見つめていた。

 

「いやぁ、それにしても壮観、の一言に尽きますなぁ。主」

「ふむ。あの諸侯の旗の数々に、我々の旗は負けてはいないだろうか? 星?」

「我らの旗が、ですか? いやいや、この様な美しい柄の旗を、そうそう超えられるものなどそうはありますまい」

「そうかね」

 

 歳三は存外そっけない。

 趙雲の言葉に、歳三は自軍の頭上ではためいている誠の旗印をちらりと見た。

 今回の諸侯連合に合流するに当たって、自軍の存在を知らしめる為に必要と程立に説かれ、歳三が意匠を担当したのがこの赤心の旗であった。即ち、赤地に金刺繍の誠一文字と、白の染め抜きのだんだら模様。かつての新選組隊旗である。

 

(またこいつを使えることになるとはなァ)

 

 歳三の感動は、やや薄く見える。

 こんな時でなければもう少し、この男なりに喜んでいたのだろうが、事情が事情である。

 不愛想という厚い(つら)の皮の下で、この男の激情が渦巻いている中。

 それを、袁紹に気取られぬ様にと散々、郭嘉、程立、呂蒙という軍師たちに釘を刺されている。

 

(とにかく、袁紹とかいうやつの面を拝んでやらねぇとな)

 

 と、軍勢を反董卓連合の陣地へと進める途中、どこかの兵士たちが立ち塞がった。

 合戦には不向きとしか思えない、絢爛豪華な鎧に身を包んだ、兵士である。

 歳三は眠たげな眼で、立ち塞がった兵士たちを品定めする様にぎょろりと睨んだ。

 一瞬、兵士たちは歳三の迫力に押された様だが、すぐに立ち直った。

 

「我らは袁紹様の兵士である。貴殿らはどこから参られた」

 

 後ろに居るのがこの連合の親玉だから、己が相手にも強気で出られる、と歳三は読んだ。

 事実、彼ら兵士の顔には侮蔑の表情が見て取れる。

 どこかの田舎者とでも思われているのだろう、歳三はそれでも、眠たげな眼だった。

 

「青州の土方歳三」

「並びに徐州の孫乾公祐です」

「それではお二人とも、袁紹様の檄文を見てここに参られた、と?」

「その通りだ。で、連合軍の本陣はどこにあるのかね?」

「それよりも先に、輜重(しちょう)を置いて行ってもらいましょうか」

「なんだと?」

 

 輜重とは、軍において前線に輸送する補給品の総称である。

 加えて言うなら、輜重を荷車などに乗せて運搬する者たちを、輜重兵と呼ぶ。

 その輜重を置いていけということは即ち、兵糧や被服、武器といった荷駄を置いていけ。

 ということと同義である。

 歳三の眼が、すっと細くなった。

 

「ほう、袁紹殿は黄巾党の残党か、はたまた野盗か何かなのかね?」

「貴様! 袁紹様を愚弄するか!」

「人の軍の輜重を奪おう、という輩が盗人(ぬすっと)でないなら、なんと言えばいいのだ?」

 

 歳三、袁紹の兵士たち相手に完全に喧嘩腰である。

 腰間の兼定にも、半ば手を掛けている。

 それを止めようと徐晃と太史慈が歳三の腕を掴んだのと同時である。

 

「貴方たち、何をしているのかしら?」

 

 袁紹の兵士たちの後方から、凛としていながらも、力強い声が掛けられた。

 

(この声、洛陽で桃香と逃げた時に聞いた覚えがある)

 

 歳三は眉を少しだけ(ひそ)め、やはり只者ではなかったか、と心中で呟いた。

 袁紹の兵士たちが、狼狽(うろた)えている。

 一体何者なのか、歳三も興味が湧き始めていた。

 

「これは曹操様! それがこの土方なるもの、輜重は袁術様の下で管理するという連合での決め事に反抗し、更には袁紹様まで愚弄するようなことを言いだし始めたところでして」

「そうなの。ところであの檄文なのだけれど、輜重の類を袁術が管理するなんて一言も書いてなかったわ。もしかして貴方たち、その程度の説明もなしに輜重を取り上げようとしたんじゃないでしょうね?」

「いえ、その、ですが!」

「そうしようとしたのね?」

 

 袁紹の兵士たちが、曹操の静かなれど芯のある力強い言葉の前に、たじろいでいる。

 その姿は、兵士たちが壁となって見えないことが、歳三にはもどかしかった。

 曹操と言えば、曹操孟徳その人しかありえない。

 三国志の知識に疎い歳三でさえも、曹操については近藤からよく聞かされている。

 が、そこに恐怖は微塵もない。

 あるのは純粋な興味と好奇心である。

 

(治世の能臣、乱世の奸雄……面白れぇじゃねぇかよ)

 

 関羽贔屓(ひいき)の近藤が聞けば怒られそうなことを、歳三は平気で考えている。

 今この瞬間だけは、全てを忘れて曹操孟徳という人間を見てみたい。

 歳三はそう思った。

 思ったからには、この男の行動はやはり早い。

 

「ほう、連合軍は輜重を一括で管理する取り決めがあったのですか。それを聞けて安心しました。ならば早急に、我らの輜重をお渡ししましょう」

「あ、ああ。そうしてくれるとありがたいが……?」

 

 急な歳三の変わり身に、袁紹の兵士は戸惑い気味である。

 無論、何も企みもなしに歳三がこうも変心することは、まずない。

 実際、物資の大半は兵士たちが背負っている程立考案のリュッフザックに入っているから、輜重を手放すことになったところで歳三の軍は全く痛くないのである。

 むしろ過剰な物資を守る必要がなくなる分、攻撃力が増したと言ってもいい。

 が、そんなこととは露知らず、袁紹の兵士たちは首を傾げながら輜重を持っていく。

 

「まったく、麗羽の兵にも困ったものね」

「いえ、知らなくとも罪は罪。危ういところを助けていただきました」

「そうね、貴方を助けるのはこれで二回目(・・・)かしら」

 

 歳三は遂に曹操の姿を見た。

 背は低くとも内に秘めた覇気は十全であり、高貴さを感じさせる紫を主とした衣服は違和感を覚えさせない程にその身によく似合っている。そして髑髏(どくろ)を模したかのような髪飾りが、あの時と同じように巻いた金の髪の毛の根元で不気味に輝いている。

 

(これが、曹操孟徳か)

 

 知らず、歳三は背中に汗をかいていた。

 英雄と呼ぶに相応しい者たちとは何人も会ってきたが、曹操の前では数段劣るかもしれない。

 いや、劣ると言うのは相応しくない。

 曹操が段違いに、高い位置にいると表現した方が良いだろう。

 それくらいの重圧を、歳三は曹操から感じていた。

 

「そうでしょ、土方歳三?」

「覚えていましたか」

「えぇ。貴方程の人物を忘れるほど、私は愚かではないわ。私としてはもう少し貴方と話していたいのだけれど……」

 

 と、曹操が視線を後ろへと逸らした。

 歳三も同じように視線を向けると、二人の美女が立っている。

 一人は黒髪で長髪、血気盛んといった言葉がよく似合う闊達そうな美女だ。

 もう一人は片目を隠す様な髪型に、どこか冷たさを感じる、これまた対照的な美女である。

 その内、片目を隠している方が口を開いた。

 

「華琳様、袁紹が軍議だとお呼びです」

「ありがとう秋蘭。まったく、盟主しか決まらない軍議って軍議って言えるのかしら、ねぇ土方?」

「さぁ、私はこれから赴くので何とも言えませんな。それに」

「それに?」

「私はどうにも、そこの将軍に酷く嫌われていると思われるので、早く軍議に顔を出したいものです」

 

 歳三、先程から曹操と話す度に、黒髪の方に酷く睨まれるのである。

 それほど曹操に心酔しているという証なのだろうが、一々睨まれるのも面倒くさい。

 曹操ともう片方の女性が、呆れた様に声を上げた。

 

「春蘭、もう少し我慢できないの?」

「ですが華琳様、この男は危険です。早目に始末するのが得策だと!」

「姉者、提言するにしても本人を目の前にして言うのはどうかと思うぞ」

 

 歳三、たまらず大笑した。

 危険だと思われていることが、愉快であったのもある。

 それに、これは動物的な勘で歳三の心胆を半ば見抜いていると言ってもいい。

 そうでなければ早急に始末すべし、等という忠言は出てこない。

 

(こいつァ、面白いことになりそうだ)

 

 そう心の中で思いながら、歳三はいつもの例の面に戻って笑うのをやめた。

 

「方々から恨みを買っている自信はあるが、まさかここまでとは」

「私の春蘭が本当にごめんなさい、土方」

「いやいや。曹操殿の配下に危険な男と思われているのは、光栄の極みです」

「ありがとう、土方。とりあえず、麗羽……袁紹と他の諸侯も待っているでしょうから、行きましょうか」

「先導をお願いします、曹操殿」

 

 軍勢を星に任せた歳三は、徐晃と呂蒙とを連れたって、曹操の後に着いていくことにした。

 

 

 曹操に連れられて、反董卓連合本陣の天幕を(くぐ)った歳三は、とりあえず感心した。

 兵士の持つ武器や鎧、幕一つとっても、質が良い。

 手に引っかかることなくするりと抜けるような、滑らかな生地である。

 袁紹の破格の経済力の一端が、そのまま映し出されているようであった。

 

「確か袁紹殿は三公を四世に渡って輩出した名門中の名門、だったか」 

「おーほっほっほ! えぇ! その通りですわ!」

 

 歳三が呟いたのと同時に、天幕の中で高笑いがこだました。

 

(こいつが袁紹か)

 

 曹操以上に髪を巻き、先程の兵士たちと同じく豪華絢爛一点張りの鎧。

 人を見下したような高笑いに加えて、それを隠さない迂闊(うかつ)さ。

 自身の出自を隠すことなく誇示するその態度、とにかく全てが、歳三の気に障った。

 

(出自で戦が勝てるなら、徳川将軍家と旗本八万騎が負ける理由にゃならねぇ)

 

 もっとも、この男の嫌いは先の戊辰戦争に於いての経験による部分も多い。

 出自の高い味方連中に苦汁を舐めさされ続けたことも、袁紹と言う人間を嫌う一因なのだろう。

 ただ、歳三はその経済力と見た目だけは本物である、とも評価した。

 

(冷静になれ、歳三)

 

 ここで袁紹を殺すのは容易いが、大義名分を持っているのはあくまで袁紹である。

 袁紹を殺せばそのまま、逆臣として諸侯連合に滅ぼされるのは眼に見えている。

 歳三はむっつり顔で、袁紹に世辞の言葉を吐いた。

 

「いや、流石袁紹殿の人徳ですな。これほどまでに軍勢を集められるとは」

「当然ですわ!」

 

 袁紹は胸を張って答えるが、諸侯連合が必ずしも士気が高いとは言えない、と歳三は思った。

 まず公孫賛とその後ろに控える劉備と関羽、それと大きな飾りのついた帽子を被る少女。

 全員の顔が暗い。

 檄文に脅されて仕方なくやってきました、という空気がありありと見て取れる。

 公孫賛も疲れた様に、歳三に笑いかけていた。

 孫策も、同様である。周瑜と陸遜を率いて軍議に参加しているが、どうにも身が入らないと言った雰囲気を隠そうともしていない。袁紹はそれすら気付いていないのだろうか。

 

(気付いていないのだろうな)

 

 と、歳三は断じた。

 他に士気が高そうに見えるのは、おべっか遣いが上手そうな連中ばかりで見たくもなかった。

 それ以外に居るとすれば、袁紹の隣に座っている、小さい少女位である。

 

(あれが袁術なのだろうな)

 

 背は低いが、袁紹と同じ髪質を持ち、長い髪の毛の先をこれまた同じように巻いている。

 服装もとにかく豪華絢爛、と言った感じで趣味の悪い、粋とは言えないものである。

 ふと、袁術の後ろに控えている女と眼があった。

 にっこりと笑いかけられたが、歳三は軽く頭を下げるだけで眼を逸らした。

 

(あれは、性質(たち)の悪い、厄介な悪人だぜ)

 

 勘で、なんとなくそう思ったのである。

 そう勘が告げたのなら、歳三の中ではそれが絶対である。

 それくらい、歳三は自身の勘を信じている。

 

(とにかく、一癖も二癖もあろうかという連中ばかりだな)

 

 と、歳三は思いながら自分の席に腰を下ろした。

 

「では、最後の侯が揃ったところで……あら、孫乾はどこにいるんですの?」

「徐州陶謙代行の孫乾なら私に全てを任せる、と言っています。委任状もありますが」

「でしたら構いませんわ。これより、軍議を始めると致しましょう」

 

 嫌なやつだぜ、という言葉を、歳三は済んでのところで飲み込んだ。

 とりあえずは静観するかと、腕を組んで両眼を閉じ、流れに身を任せることにした。

 

 

 歳三がそれから眼を覚ましたのは、徐晃と呂蒙に揺すられていることに気付いた時である。

 

「ちょっと貴方! 今までの話は聞いていたんですの!?」

 

 袁紹など、大層ご立腹の様子であるが、孫策など必死に笑いを(こら)えている。

 公孫賛と劉備も、流石に眠っていたのは良くないだろうと言う風な顔をして、歳三を見ている。

 しかし曹操だけは、品定めをするかの様に見てくるのだけが、気になった。

 が、そんなこと歳三にはどうでもいい。

 天下には喧嘩師の己のみと言わんばかりに、歳三は口火を切った。

 

「汜水関を誰が最初に攻めるか、の軍議をしていたと私は思っていたんだがね」

「ええ、その通りですわ」

「軍議というものは勝つ為にやるものだと思っていたが、軍議の名を借りた、ただの先陣の押し付け合いではないか。そんなものを聞いていても仕方ないだろう。だから、寝ていた」

「……では、今がどんな話かわからない、とでも?」

「どうせここにいる全員が先陣を拒否し、たらい回しになって、私の元にお鉢が回って来たのだろう。違うか?」

「……聞いていたようですわね」

 

 袁紹が怒りの矛先を下ろしかねている中で、隣の袁術はにやにやと笑っている。

 

(姉妹仲は、どうやら良くなさそうだな)

 

 と、歳三は袁術を観察した上で、もう少し袁紹を突いてみることにした。

 

「ところで、董卓が皇帝に叛逆し洛陽に立て籠もった、とのことだが、これは信用できるのか?」

「わたくしのことが信用できませんの?」

「違う。袁紹殿が受け取ったと言う、董卓討伐の勅令が偽物だった場合、逆臣の汚名を被るのは我々ではないか。私は、その勅令そのものが偽造されたのではないか、と疑っている」

「あ、ありえませんわね! そんなこと! 皆さんに確認していただいても構いませんわ!」

 

 僅かに、袁紹から動揺が見て取れた。 

 

(なるほど、勅令は何進が偽造させたな)

 

 皇帝を、傀儡としていたあの女狐なら討伐の(みことのり)の一つや二つ、簡単であろう。

 勅令自体は本物だが、作り出された経緯からすると偽物である、と断じているのは歳三だけだ。

 歳三はもう、袁紹のことを本物の逆臣としか見ていない。

 

(やつの人柄そのものが、証拠みたいなもんさ)

 

 今まで多くの人間を、規律の名の下に粛清してきた男である。

 そういった裏で何かと繋がっている人間に対する嗅覚は、人一倍鋭い。

 が、所詮は歳三の勘が根拠の論である。

 そんなものが、本物の証拠を持つ袁紹を論破できる可能性はない。

 だから歳三は。

 

「そうか、本物であるなら、私も安心だ」

 

 大人しく引き下がった。

 

「ならよろしいのですが。それで、そこまで疑う以上、先陣を引き受けてもいいのではなくて?」

「すまんが、情報が無さ過ぎる。汜水関にどれだけの兵力がいるのかもわからないのかね?」

 

 袁紹は口を噤んだ。

 恐らく袁紹は、先陣に汜水関の兵力の誘き出しという囮の役割を担わせる魂胆だと、歳三は読んでいる。先陣が汜水関の兵力を誘き出し、瓦解してくれたなら尚更良し。

 問答無用で大兵力でもって汜水関の兵力ごと叩き潰しにくる。

 歳三はそう、読んでいる。

 これでは、何も進まない、というそんな空気が辺りを支配し始めた中。

 袁術の後ろに控えていた女が、思い出した様に声を上げた。

 

「実はですね! 袁術様の偵察隊がこの様な投げ文を持ち帰ったんですけれど……」

 

 

 袁術の軍師、張勲が持ち帰ったという文は開かれた上で軍議の机上に置かれた。

 全員が見れるようにという配慮なのだろうが、一度開かれた形跡があるのに歳三は気付いた。

 何故この時分で、と歳三は訝しんだが、文に書かれていた文字に戦慄することになる。

 

「華雄と義豊を……なんでしょう、双方向の矢印が一つ? 入れ替える、と言う風に読めますわ」

「華雄は汜水関を守備している董卓側の将軍のことね」

「ところで、このギホウ、とは誰のことですの?」

 

 謀られたか、と歳三は張勲をちらりと見たが、(くだん)の人物は人の良さそうな笑みである。

 恐らくこのまま知らぬ存ぜぬを通そうにも、いつか張勲からの追及が来る。

 これは人から暴露されるよりも、自分から暴露する方が良い。

 

「ああ、それは恐らく、私のことだな。ぎほうではなくよしとよ、と読む」

 

 歳三の言葉に、袁紹が素早く反応した。

 

「貴方……確か董卓の軍師である賈駆の部屋に入り浸るくらい親しかった、と何進大将軍から聞いていますけど、本当ですの?」

「本当だよ。しかし困ったな、私は彼女に真名を教えた筈はないのだが」

「真名を交換していなかったんですか?」

「ああ。どうにも私は賈駆には嫌われていたようでね。もしかすると、董卓が皇帝に叛逆するのを暴かれるのを恐れてのことかもしれない」

 

 大半は、嘘である辺り、べらべらと良く回る舌を歳三は持っている。

 そして、この文が誰が出したものであるかは、歳三はなんとなくわかっていた。

 賈駆ではない。

 賈駆は歳三の真名どころか、義豊が(いみな)であることも知らない筈だ。

 限られてくるのは義豊の名を知っておりかつ、それが諱という意味であること知らない者。

 それはたった二人であり、董卓あるいは呂布である。

 更に前線にまで出て来た上で、この様な投げ文をさせることができるのは呂布の方だ。

 

(呂布からの、策ということか)

 

 歳三は呂蒙に本当に一瞬、視線を送った。

 義豊が諱という特殊なものである、ということを気取られては困る。

 呂蒙はそれに気付いたか、歳三の意に沿って発言した。

 

「どこからか義豊様の真名を聞きつけて、連合を動揺させる為にこの様な投げ文をしたのではないでしょうか?」

「あり得る話ではあるわね」

 

 呂蒙の言葉に曹操が乗っかってくれた。

 これでなんとか、義豊が諱であるというのも知られずに済みそうである。

 公孫賛と劉備が、何か言いたげなのを歳三は眼で抑える。

 

「神聖な真名をこんな謀略に使うなんて、やはり董卓は悪逆非道を尽しているに違いありませんわ」

「ですが麗羽様。本当にこの投げ文が動揺を誘うだけのもの、でしょうか?」

「どういうことですの、真直(マァチ)?」

 

 袁紹の後ろに控えていた、眼鏡を掛けた神経質そうな女性が前に出てくる。

 その恰好、一言でいうなら破廉恥、と歳三は思った。

 徐晃も大概だが、その女性の衣装も下腹部の薄い布地をほとんど晒す意匠である。

 

(だが、見た目で判断するな、歳三)

 

 名を田豊と言うらしいが、恐らく袁紹陣営で一番の切れ者であるのは間違いない。

 次の田豊の言葉に、歳三は呂布の仕掛けた文の意図を察することができたのである。

 

「もしかしたら本当に、華雄との入れ替えを画策してのものなのではありませんか?」

 

 華雄と歳三を入れ替える、つまり、汜水関が華雄ではなく歳三が守護する。

 それがどれほど恐ろしいものであると気付いたか、公孫賛など顔を真っ青にしている。

 孫策なども、興味深そうに議論の行き先を見守っている。

 

(これは、乗ってやるしかねぇ)

 

 歳三も、田豊は上手いことを言ってくれた、と思うしかなかった。

 この話の流れでは袁紹は間違いなく、歳三の思う通りの命令を下してくれるだろう。

 

「貴様、私を愚弄するか」

 

 底冷えするような声と眼で、歳三は田豊を睨む。

 ひっ、と田豊は小さく悲鳴を上げたが、袁紹が視線を遮るように立った。

 そしてぱん、と大きく手を叩く。

 

「良いことを思いつきましたわ!」

 

 来た、と思ったが歳三は態度には表さない。

 

「そんなに真直の言うことを否定するのなら、土方歳三。貴方が華雄を叩き潰してくればいいではありませんか!」

「それで、私の身の潔白は証明されるのか?」

「ええ。もちろんですわ!」

「いいだろう。私も男だ。これから言うこと全て、一度言ったことを覆すつもりはない」

 

 と、歳三は立ち上がり言い放つ。

 

「三日だ。三日で虎牢関までもを私のものにしてやろう」

「土方、貴方……本当にできるの?」

「できるさ。私ならな」

 

 曹操の言葉に、歳三は力強く答えた。

 流石に英雄である曹操であろうとも、歳三の考えていることまで読むことは不可能である。

 歳三の力強い言葉に、裏があったことに気付いたのは、全てが終わってからである。

 

 

 そして、戦史上類を見ない戦力の入れ替わりが起きるのは、直後のことである。

 

 

 虎牢関にて、賈駆は焦っていた。

 汜水関の陥落と、華雄が破れ敵の手に落ちたという情報を、張遼が持ち帰ってきたのである。

 そうなっては、洛陽までの道にあるのはこの虎牢関のみである。

 そして虎牢関の守りを万全に期する為には、呂布が虎牢関に居てくれなければならない。

 だが、肝心の呂布は今、洛陽にて董卓の身を守ることを固辞し、動こうとしない。

 そうこうしている間に、敵の第一陣が虎牢関へと迫って来ていた。

 赤に誠の一文字が金刺繍された、見たこともない旗だ。

 

「誰の軍なの……」

 

 賈駆は静かに旗を見据えた。

 そしてその旗が、虎牢関の門に容易く入っていくのを見た。

 

(しあ)、まさか……!」

 

 裏切ったの、と張遼に問いたかった。

 賈駆は門へ向かって全速力で走る。

 張遼が門を開いて引き入れたのが誰なのかはわからない。

 わからないが、董卓を討たせるわけにはいかない。

 例えこの身を董卓として偽ってでも、賈駆は親友である董卓の身を守ろうと決意していた。

 そこへ、張遼の、あまりにも呑気な大声が響いてきた。

 

「いやー、まさか恋の言う通り本当にこっちに着いてくれるとはな。賢い賢いとは思うてたけど、案外無謀なところもあるんやなぁ」

「なに、私は元から勝つつもりだよ」

 

 聞き覚えのある声だ。

 いつもいつも、自分の執務室で寝ているかのようにたむろしていく、不愛想な男の声だ。

 

「この私が居る限り、天下に連合の兵が満ちようとも虎牢関だけは落とせぬよ」

「あっはっは! 吹くにしてもよう言うたで」

「私は本気なのだがね」

 

 ばんばんと、張遼に背中を叩かれながらも、男は決して嘘を吐いていないと賈駆は思った。

 確かにあの男が居れば、虎牢関は龍すら捕らえる檻になるだろう。

 (ようや)く男は賈駆に気付いたか、にっ、と笑って。

 

「待たせたな」

 

 と、言った。

 賈駆は呆れた様に微笑んで。

 

「遅いわよ、馬鹿」

 

 と、答えた。




akituki様、誤字報告ありがとうございます。とんでもない間違いをしていました。
三の丸様、誤字報告ありがとうございます。

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