土方歳三――義豊
趙雲子龍――星
徐晃公明――
「敵の大将の顔を見るとは、何事かと思いましたが」
双眼鏡から眼を離しながら趙雲が言う。
「主は千里眼持ちでしたか」
「別に、私が凄いわけじゃないさ」
と、苦々しげに歳三が言う。
「凄いのは私じゃない、それだよ」
歳三は顎で双眼鏡をしゃくった。
別段、歳三が作ったわけでもなく、単なる貰いものである。
それがまるで手柄であるかのように褒められるのは、歳三は好きではない。
「で、星が見たところどいつが大将だと思う?」
「そうですなぁ」
双眼鏡を徐晃に渡し、趙雲は考える素振りをする。
「主はどう思われますか?」
「私か?」
歳三は考えもせずに言った。
「あの馬に乗ってて一番偉そうなやつだよ」
「いやいや、偉そうなやつと言っても具体的に」
「装飾が一番派手なヤツだね」
あんなのを見てるとムカムカしてくる、とまでは言わなかった。
見た目ばかり派手なヤツに碌なのはいない、というのは歳三の持論である。
粋と瀟洒をわかっているのなら、あんな下品な
歳三自身、武州多摩の田舎者とはいえ粋を知っている男だ。
まったく、食事であれ女であれ服装であれ、物の好き嫌いが激しい男である。
「シャンも、そう思う」
「香風もそう思うかね」
「なんとなく、だけど」
「構わんさ。私とて勘に頼ることも多い」
徐晃から双眼鏡を受け取り、歳三は腰を上げた。
「では、戻るとするか」
「いやいやいや、私の、私の見解を主は聞きたくないのですか!?」
露骨に嫌そうな顔を、歳三はした。
遊ばれるのが嫌いな
引っ張るだけ引っ張っておいて何も出てこない、となると流石に癪に障る。
「……何か、私たち以上のことが出てくる自信があるのか?」
歳三の声は冷たい。
無用な言葉遊びが嫌い、というのもこの男にはあるか。
外れとはいえ江戸で生まれ育った男である、京のような迂遠な話は嫌いなのだ。
歳三の苛々を感じ取ったか、趙雲はいつもふざけ半分の顔をやめた。
「そうですなぁ。確かに、主や香風が示したのはあの集団の大将でしょう」
「? それが、どうかしたの?」
「香風よ、これだけの賊が来ている中、大将だけが幽州に入ってきていると思うか?」
「……大将以外に、居るってこと?」
「ずばり、ですな。装身具の類から大将の血縁者か副将らしきものがちらほら
歳三は趙雲の言葉を聞くや否や、双眼鏡を覗き込んだ。
なるほど、大将であろうと当たりを付けていた者。
それによく似た、量や質では劣るだろうが似たようなものを付けているのが何人か居る。
己の視野の狭さに、あるいは戦を前にしての興奮かもしれないが。
ともかく、視野狭窄に陥っていることを自戒した。
「凄いな、星の観察力は」
「どうですか主。少しは私のことを、見直しましたか?」
「見直す、では言葉が足らんな」
「ほぅ、それならばどう言いますか?」
「星は私の元になくてはならない将だ、ということだよ」
優し気な微笑みを、歳三は浮かべた。
慈愛に満ちた、ひたすらに戦を求める男が浮かべるような笑みではない。
趙雲は耳を赤くしながらも、歳三の言葉に答えた。
「それはそれは、光栄ですな」
「無論、香風も私に必要な将であることに変わりはないがね」
徐晃にも忘れずに声を掛けるあたり、やはりこの男は女を泣かせてきた実績がある。
さて、と歳三が声を上げた。
「これで策はなったも同然だ」
「どうするの?」
「決まっているさ。どてっぱらを突いて、大将首を取る。できれば副将の首も取る」
歳三は既に、いつものむっつり顔である。
「簡単だろう?」
「随分と簡単におっしゃってくれますが、それは
「その為の策よ。耳を貸してくれ」
三人寄り集まって、何事かを話し合う。
話が進むに従って趙雲と徐晃の顔は青くなったが、歳三は涼しいままである。
「どうだ、我々ができる中でも良い策だろう?」
「しかしそれでは、主の身に!」
「大将が危険に身を晒せなければ、兵は付いてこないさ」
歳三はさっさと身を翻して、自陣へと戻ろうとしている。
その背中に、趙雲が更に言葉を投げかけた。
「ならば! ならばせめて兵だけでも!」
「必要ないよ」
振り返った歳三は、変わらず不愛想であった。
「確かにね、数は戦の
歳三の眼は、ぎらぎらと光っている。
「弱兵なんていくらいても邪魔だ。私が欲しいのは、喧嘩で死ねるだけの肝を持つ兵さ」
◇
「隘路を越えれば、我らの目指す城がある! 皆の者! 行くぞ!」
遼東の城を落とす、それがこの集団の、単純な目的だ。
兵たちにとっては城を落すことが第一の目的かもしれない。
しかし、頭領であるこの男は違う。
遼東の城の陥落は、最初の一歩にしか思っていない。
彼の目的は王を名乗ることである。
衰退を始めた漢帝国は、異民族を懐柔する策をとることもある。
その一つに、王に封じるということが存在する。
遊牧民族にしては、土地や
「さぁ! 行け! 行け!」
隘路に兵たちを進軍させる。
未だ遼東の城には、こちらの動きは見破られていない。
このまま電撃的に攻城戦を仕掛けるのが、戦略らしい戦略だった。
政治に関してはともかく、軍事には疎いのがよくわかる。
「お頭ぁ!」
一人の兵が、駆けてきた。
男は馬から降りずにそのまま話を聞いた。
「なんだ、どうかしたのか?」
「向こうの方に、軍勢が居ますぜ!」
男が指す方を見た。
なるほど、少数の軍勢が少し遠くにいる。
数は200か300といったところだろうか。
時折後ろを見ながら逃げ回っている様にも見える。
どうやら倍する軍勢を相手にしているようだが、練度が低いのか弱兵に見える。
同じ烏丸の仲間か、あるいは漢帝国のお尋ね者だろうと男は察した。
「こちらに来るようなら、迎え入れてやれ。恐らく、後ろにいるのは公孫賛の兵だろう」
「へぇ、しかしいいんですかい?」
「遼東の城のみならず、公孫賛の兵も撃滅したとあれば、我々の名は一気に上がる。良い案だとは思わないか? なぁ?」
「確かに、あっしもそう思います!」
軍事的な思考が、素朴な男である。
同じくらいに、部下の男も頭の回らない者である。
彼らに郭嘉や程立ほどのものがいれば、また一端の名を残すことができたであろう。
それほどまでに、彼らの軍勢は疑うということをしない、ある意味で純朴な集団だった。
少数の軍勢が、やってくる。合わせるように後方の軍勢も距離を詰めていることに、指摘ができるような者がこの烏丸の集団には居ない。
それもまた、悲劇であった。
いよいよ、軍勢を率いる男の顔が見えてきた。
整った顔立ちをした、いかにもといった優男が貧相な格好で軍馬に乗っている。
流石に、
「何者か!」
男が声を張り上げた。
その軍勢は武器を構えられたのをみて、兵の進行を止めた。
例の、優男が前へと出てくる。
「少々、追われている」
声を張り上げてはいないが、不思議とよく通る声だった。
「誰に追われているんだ!」
「官軍に、だよ」
優男はどこか、自嘲を含んだ笑い方だった。
やっぱり、と言った空気が烏丸の中に蔓延し、中には
男も、優男が過ぎることに違和感を覚えたが、ともかく尋ねることにした。
「烏丸のものか!」
「違う」
「では、漢帝国に追われた尋ね者か!」
「違う」
流石に、おかしい。男は眉を
男の空気を感じ取ったか、周りの兵の何人かは、武器を再び構えた。
「では、どこのもんだ!」
「私か、私は……神州日本男児、多摩生まれの土方歳三」
粗末な服装を脱ぎ捨てて、現れたるは黒き武人である。
大将格の男はここにきてようやく、敵が目の前まで来ていることを悟ったのだった。
◇
優男こと歳三が姿を現したのを合図に、軍勢の中から旗が立てられた。
烏丸の者たちは誰もがあっという声を上げた。
掲げられた旗にあるのは、公孫賛の軍勢であることを示す「公」の一文字。
「我が名は土方歳三! 公孫賛が客将の一人だ!」
すぐさま軍馬に鞭を入れ、馬を走らせる。
歳三が狙うはただ一つ、呆気にとられ指揮の言葉も飛ばせないでいる大将首である。
馬が地鳴りを立てて雑兵の頭を蹴飛ばした。
薄桃色の脳漿が辺りにまき散らされ、血飛沫が舞った。
(流石公孫賛のところの馬だ。よく訓練されている)
人に対して物怖じしない、良い軍馬だ。
歳三は駆けた、雑兵などは馬に蹴散らさせ、ただ一直線に大将を狙う。
恐れ
ぎらりと兼定を抜いた、ついでに馬上から雑兵一人を斬り殺した。
血が兼定を濡らし、日光が照らして刀身を赤黒く光らせる。
ようやく身体が動き始めたか、鞭を振るおうと敵の大将は手を上げた。
遅い。
「討ち取ったァ!」
裂帛の気合と共に、兼定は見事な斬撃の作品を作り上げた。
振り上げられた手を斬り飛ばし、よく鍛えられた男の首を皮一枚残さず
返しの剣で歳三は、男の乗っていた馬の尻に剣を刺す。
痛みで馬が暴れ、敵軍が混乱に陥るのを狙ってのことだ。
歳三の思惑は見事に上手くいった、急に傷つけられた馬は暴れに暴れ、敵を混乱させている。
「このまま走り抜けるぞ! 続け!」
声を張り上げる歳三。
馬を駆けさせながら、左右に兼定を振っては斬り蹴散らしいく。
敵の軍勢を抜けた、だが安心している
「全軍反転!」
兼定を指揮棒のように歳三は振るう。
敵軍を抜けた味方たちが、一斉に反転して敵へと喰らいつく。
「かかれ! かかれ! 私より後ろに居る者は斬るぞ!」
兵よりも誰よりも果敢に、歳三は敵の中へと身を躍らせる。
率いられる者たちも、奮起し、あるいは歳三の言葉に恐怖しながら敵へと躍りかかった。
歳三の策とはこうだ。
まずは隊を二つに分け、一隊は追われているように見せかける。
そうすることによって出来得る限り敵に近づき、機を見て
突破の際に大将格の首を討ち取れれば良し、失敗しても敵陣突破を敢行するというものだ。
ここまでは、上手くいった。
敵を混乱させ、自隊を敵中突破させることにも成功した、反転攻撃も、できた。
(ここからだぜ)
突き上げられてきた槍を払い、目を裂き頭蓋を裂いた歳三は凄絶な笑みを浮かべた。
大将首を取った、敵も混乱させた、が、所詮は200、300の軍勢である。
敵は、現在隘路を通っている者を除いても、3000は軽くいるだろう。
時期に包囲され殲滅されるのは必定である。
どうだ、敵がこちらに狙いを定め始めている。
(この程度なら、やれるさ)
歳三は
何の為に、2000あまりの軍勢を趙雲と徐晃に任せているのか。
歳三らは大将格を屠る為の決死隊であり、同時に囮である。
敵が歳三の軍勢を叩き潰すために反転した時、脆弱な後ろに噛み付くのが趙雲ら本隊である。
だが本隊到着前に全滅の可能性もある、もちろん趙雲にも徐晃にも、そう言われた。
(それが、どうした)
と歳三は返した。
この程度の戦いで死ぬのなら、その程度の男だという諦観が、心底根付いている。
同じように、こんな戦いで死ぬわけないと言う、狂気じみた信仰が歳三にはある。
確かに歳三は傷一つ負わず、敵を蹴散らしていた。
では配下の兵はどうしているかというと、これも不思議なことに傷を負っている者は少ない。
何名か死者はでているものの、それでも少なく見える。
正規軍として訓練されただけではない、彼らもまた、歳三によって選ばれたものたちなのだ。
(喧嘩は、既に死んでいるという気組みでやるもんだ)
長く喧嘩をしてきた歳三には、勝負事がそういうものだとわかっている。
死ねる兵士が欲しい、と趙雲に言っていたのはこのことである。
歳三は全軍の前でぶち上げたのだ、死ぬことを恐れぬものだけ付いてこい、と。
果たして、付いてきたのは300にも満たない少数だった。
彼らは、歳三の闘気か、はたまた狂気に
それでも自分たちで死ねることを表明した、戦士であった。
(こいつらは、戦えるやつらだよ)
歳三は内心嬉しく思っている。
こんなにも気骨がある者たちが居るならば、負けるはずがないとわかっている。
情報に裏打ちされた軍略でもなければ、兵への信頼でもない、ただの歳三の勘だ。
勘で、歳三はこの戦に勝つとわかっていた。
そしてそれは、現実になる。
「公孫賛が客将、趙雲子龍! 参る!」
「同じく客将、徐晃、行く」
歳三らを飲み込まんとする獣の背骨を断ち割るように、趙雲と徐晃の本体が突撃した。
人間は背後からの攻撃には滅法弱い。
軍勢にでもなれば、どうだろうか。
数の有利は、最早有利ということはできないだろう。
船を支える竜骨が真っ二つに折れるように、烏丸の軍勢は崩壊した。
◇
賊は、真っ二つに分かれた。
広い大陸へと逃げる者たちと、隘路へと逃げ込む者たちだ。
「香風は敵を追わずに
「わかった」
歳三はすぐさま、大陸へと逃げた者たちの追撃を諦めた。
広い大地は、全体が烏丸賊の本拠地でもあると聞いている。
大きく打ち破ったとはいえ、攻め込むには手勢も情報も少なすぎる。
危険、と判断した歳三は隘路の入口の防衛を徐晃に命じた。
追撃戦の邪魔を、させぬ為である。
「星よ、まだ行けるか?」
「心配ご無用。まだまだ槍働きが足りぬと龍牙も申しております」
趙雲が独特の装飾の施された槍を、軽く振るった。
二、三人の賊が、比喩ではなく宙を舞った。
あまりの怪力に舌を巻きながら、歳三は兼定を振るい命令を下す。
「そうか。ならば行くぞ! 追撃戦だ!」
隘路へと、歳三と趙雲に率いられた兵たちが怒涛の進軍を開始する。
狭い道には今や賊が満ち満ちているが、それだけ身動きがとれないということでもある。
圧倒的な数の優位も、大きく展開できなければ何の意味も持たない。
加えて挟撃を受け崩壊し、隘路へと逃げ込んでいる兵と。元々隘路を進んでおり、反転して反撃しようとする兵とが入り乱れている。
まったく統一のとれていない軍勢と、勢いに乗った軍勢のどちらが強いか。
火の勢いを見るより明らかだ。
「行け! 行け!」
歳三は、軍勢と共に凄まじい勢いで前進していく。
返り血を浴びに浴びて、真っ赤な顔で兼定を振るう姿は悪鬼そのものだ。
賊たちは修羅にでも会ったかと歳三の気迫に怯え、斬り捨てられていく。
そうした中でも、混乱する一軍を纏めようとする者が居るのを、歳三は視界の端に捉えていた。
身形からして趙雲の言っていた、大将格に連なる副将格に違いない。
歳三は馬首を向けるが、満ち満ちる兵の多さが今度は仇となって容易に近づけない。
(まずいな、下手に混乱が治まったらこっちに被害が出る)
兼定を振るう手を休めずに、歳三は考えている。
(アレを、使うか)
手持ちの弾薬こそ少ないものの、効果は劇的なのは違いない。
歳三が創り上げた新選組が、銃で以て殺戮されたのを、身をもって知っているからだ。
しかし、合理主義を地で行くようなこの男にも、躊躇というものがあった。
(この時代に銃を使うのは、
刀槍弓矢の時代だからこそ、刀槍弓矢で戦いたい、という気持ちが僅かだが、ある。
歳三は戊辰戦争が始まってすぐに、洋式戦闘に切り替えた男である。
反面、刀というものに生きてきた歳三が居るのも、
(だが、躊躇すれば負けるぜ、歳三)
それで、己の心に区切りを付けた。
拳銃嚢へと手を伸ばした、瞬間、歳三の動物にも似た勘が、何かが飛来するのを捉えた。
が、飛来してきたものは歳三へと襲いかかることはなかった。
短い悲鳴が、歳三の耳に届いた。
振り返った歳三が見たものは、首筋に深々と矢が刺さった副将格の男の姿だった。
見れば次々に指揮官や、それに類するものらしき者たちへの首に、矢が突き刺さっていく。
(誰だ)
歳三は仰ぎ見た、隘路の片側、軽い崖となっているところ。
逆光になってよくわからないが、陽光の中に確かに赤銅の人影が燃えているのを見た。
弓を構えているのはわかる、身体つきから女性であろうこともわかる。
肝心の顔は、わからない。
(本当に、戦ってのは面白れぇぜ)
歳三は笑っていた。
歓喜に打ち震えていたのである。
勘ではあるが、あの凄腕の弓使いはこちらを狙ってくることはない。
味方であるという己の勘を、歳三は信じることにした。
ならばもう躊躇うことなどなく、兼定を眼前の敵へと向けた。
この作品は、史実やフィクションを都合のいいように掻い摘んでいます。