Double Xross~言葉の刃~   作:クレナイ

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ミドルフェイズ2 カオル Part1

 友人で幼馴染である文乃とともに最寄の駅から電車に乗る。

 学校などの教育施設は身を寄せ合うようにして、N市の中央部に存在している。

 地価の高い中央部にわざわざ満書やアパートといった生活場所を確保するものは一握りのお金持ちだけで、それ以外の中級、下級層の者はそこから離れた場所に住宅を構えるようにしていた。

 カオルの家はその中でも例外的な存在で、真宮グループという大企業を経営している昔からの名家であるから中央部に家を設けることも可能であったが、代々受け継がれてきた屋敷を手放すことはできないだろうと、多少移動に不便があってもそれは目を瞑れるということでちょうどN市の真ん中にある屋敷に住んでいた。

 当然のように中央部にある学校に向かうにはバスか駅を利用しなければならない。使用人の車を利用するという手もあるが、やはり友人との付き合いを大切にしたいというカオル自身の意向から、そのようにされていた。

 改札を抜けて、停車している列車に乗り込む。

 カオルと同じように中央部に向う学生やサラリーマンの姿が見られる。

 いつものように帰宅ラッシュならぬ通勤ラッシュ。寒い冬の季節ではないにも関わらず、強制的におしくらまんじゅうのように身体を密着するはめになる。

 列車に多く乗り込んでいるのは学生よりもサラリーマンたちの方が多い。女性もいれば男性もいる。男性の方が割合的には多いだろう。

 年齢もさまざまだ。自分の父親と同じように四十代の人もいれば、それよりも若い、又は老けている人もいる。

 窮屈そうに眉をしかめている人もいれば、密着しているのが若い女性だということで鼻の下を伸ばしている人もいる。

 今日の朝のニュースが否が応でも思い出される。

 市議会の議員ともあろう男性が痴漢行為で逮捕――どんなに善良そうに見えても、心までは見抜くことはできない。

 第一印象は見た目からとはよく言われるが、外と内が必ずしもバランスが取れているとは限らない。逮捕された元議員の男性は憔悴しきった顔をしていたが、写真を見る限り元は整った顔立ちの男性だった。

 

「ねえ、向こうのドアのところに行かない?」

「えっ?」

 

 息苦しそうにしていると、隣に立っていた文乃が声をかけてきた。

 彼女は指をその向こうのドアを指しながら言う。

 確かに、今は自分も通っている学校の指定された制服を着た少年しかおらず、ゆっくりする場所としては最適かもしれないと思った。

 小さい箱に無理やり詰め込んだような状態になっている列車内にある肉壁を掻き分けるようにして、ようやくその場所に辿り着く。

 

「プハッ。やっと出られた……」

 

 大きく止めていた息を吐き出し、新鮮とは言えない新しい空気を吸い込む。

 通り抜けてきた肉壁の中は息もできないような、むさ苦しいものだった。

 汗と体臭が混じり合った、蒸せるような臭い。

 普段ならば幾分か空いているために、席に座ってゆったりと学校近くの駅に向かっているの だが、今日に限って乗り込んだ車両に多くの人が同乗した。普段別車両に乗る学生たちはこの地獄のような体験をしているのかと思うと同情を禁じえない。

 ここにきて、ようやく目の前に同校の生徒がいることに気づく。

 同じ第三学年であることを証明する赤色のネクタイ。左胸ポケットのあたりにつけられているネームバッチには【黒崎悠二】という名前が刻まれている。首元には校章と学年章のバッチが付けられているが、彼のような同級生がいただろうか。

 肩にかからない程度に短く切りそろえられた髪は、一本一本が糸のように細く、色素が抜け切ってしまっているかのように雪のごとく白い。少年にも少女にも捉えられそうなほど整った中性的な顔立ち。高校指定の男子用制服と、男子高校生の平均身長程度には背丈があるためか、かろうじて少年であると認識できる。陽の光を知らないような、女性ならうらやむ白い肌は車窓から差し込む太陽の光を眩しく反射している。

 第一印象は大人しそうな少年だ、というものだった。

 しかし、すぐに違和感のようなものを感じた。

 彼との間にある距離はわずか数十センチほど。手を伸ばせた届く距離にある。

 しかし、どうしたわけか、彼との間に見えない距離、隔たりがあるように感じたのだ。彼自身が意図的に明確な線引きをしているようにも思える。

 まるで彼と自分のいる世界が異なっているかのようだ。それは例えて言うならば、日常と非日常であろうか。

 カオルの視線は全体からある一点へと視線を釘付けにされる。そこにはだらしないとも取れるようにある制服の腕部の部分。袖口から見えるはずの手首から先がない。少年が自らの欠陥を隠そうともしていないため、その理由が分かってしまった。

 ――左腕がない。

 どうやら目の前にいる同級生と思わしき少年は左腕に欠陥があるようだった。それが生まれつきなのか、そうでないのかは分からない。無意識のうちにであるが、そのダラリと垂れている左腕部分を凝視してしまう。

 憐れむようにはしない。それは逆に彼のような人間にとっては侮辱と同義であるからだ。例え普通の人間とは違っていても、ハンディキャップを背負いながら懸命に生きている。憐れむというのは、懸命に生きている彼らを見下すようなことだった。

 

「僕に、何か?」

 

 声変わりをしているようであるが、男性にしてはやや高い声だった。

 やや長く彼のない左腕を凝視していたためか、不審がられたのだろう。

 

「何でもないわ。気に触ったのなら謝るわ」

 

 確かに自分の行為は彼からすればあまり気分のよくないものだっただろう。申しわけなさそうに言うと、彼は気にしていないというように首を横に振る。

 言葉のやり取りはそれだけだ。

 少年は相変わらず視線を車窓の外へと向け、目まぐるしく変わる光景に見言っているようだった。

 カオルは一緒に抜け出した文乃とともに空いている場所に立って、身体を休ませる。

 ドアのすぐ隣に立っていたためか、車窓から差し込む太陽の光が眩しかった。

 

 

 カオルが通っているN高等学校は駅の近くにある。

 三階建てのどこにでもあるような基本的な構造をしている。上の三階が第一学年、下の一階が第三学年の教室棟となっており、それぞれの階にある渡り廊下でつながっている反対側は特別教室棟となっている。

 特別教室棟の一階南側には大小二つの体育館へと続く渡り廊下があり、そこには各運動部の部室があった。体育館とは反対側に男女別の更衣室が設けられている室内プールがあり、授業以外では主に水泳部が利用している。

 教室棟の東側にはグラウンド、更に向こうには野球部用のグラウンドとテニスコートがあった。

 外装は建設されたばかりと言わんばかりに、太陽の光を反射している白に塗装されている。コンクリートとレンガ造りの外壁に囲まれており、ほとんど侵入は難しい。唯一解放されている校門の前には男女の教師が立っており、厳しい整容検査を実施していた。

 

「うわ、ゴリラとキツネがいる……」

 

 カオルはその様子を見て、うんざりとするような表情を浮かべ、げんなりと言う。

 

「大丈夫だよ、きっと」

 

 明るくそう言った文乃に背中を押されながら、カオルは校門へと向う。

 彼女たちがやって来るのに、女子生徒担当の女性教師が気づく。痩せ型で、朝からパリッ、とノリの利いた女性用スーツを着ている中年の女性だ。長い黒髪を頭頂部あたりでまとめている。鼈甲のフレームの眼鏡をかけた面長の顔のつくり、ややつり上がったように見える目が生徒たちの間で“きつね”と呼ばれる由縁だった。

 

「そこの二人、動かないで立っていなさい」

 

 各二列に整列させられ、整容について厳しい視点から検査が入る。わずか一センチのスカート丈の誤差であっても注意がされ、あからさまに違反している場合には厳重注意と反省文が待っていた。いくら注意を払っていても、次々と注意項目が告げられていく。それをどう修正するのかまで逐一説明されるのを、カオルは相変わらずげんなりとした様子で適当に聞き流していた。

 五分ほどでようやく解放される。これでも早い方で、長いと十分以上かかる生徒もいる。さすがにそれだけの時間を、特定の生徒だけにかけていられないので、学年と名前を名簿に記録し、昼休みや放課後に呼び出すようにしていた。女子生徒なら延々と続く長い説教が、男子生徒ならねちねちとしたものではなく、怒声によるものだろう。

 男子生徒の整容検査をしている男性教師。筋骨隆々と今となっては生きた化石としか言えない、ジャージ姿に竹刀を持つという一昔の体育会系教師であった。しかし、担当強化は家庭科というように見た目に反して細かな作業が得意だったりもする。

 校門を通った先には一直線に伸びている道がある。

 それを両側から挟むように緑の芝生が敷き詰められた庭園が緑のアーチを形成するかのようにある。緑の葉を茂らせた木々が左右対称的に植えられており、太陽の光を遮り日陰を形成している。昼食を摂るのに利用される東屋や昼休みに女子生徒がバレーボールで戯れるのに使われる広場などがあり、そのまま真っ直ぐ歩けば向こうに見えてくるのは生徒玄関であった。

 校舎の生徒用玄関に登校してきた生徒たちがまるで蟻が巣に戻るかのように入っていく。

 ロッカー式の靴棚が学年ごとに置かれており、カオルは自分の第三学年の自分のクラスと出席番号の書かれているロッカーから上履きを取り出し、履いてきた靴と交換する。

 第三学年であるカオルは文乃とともに一階にある自分たちの教室へと向うことにする。二人の教室はそれぞれ別であるため、途中で別れることになる。カオルは五組に、綾乃は三組へと向う。

 教室に入ると、社交的な性格をしている彼女には男女ともに多くの友人がいる。すでに登校していたクラスメイトたちが教室に入ってきたカオルに気づいて「おはよう」と声をかけてきた。

 そんなクラスメイトたちに対して、彼女も「おはよう」と笑顔で言う。

 自分の席に座り、机の横に鞄を引っ掛ける。

 そうしていると、クラスの中でも中のよい女友達が話をしに近づいてきた。

 

「休み明けだっていうのに、整容検査、面倒くさかったよね」

 

 相当参っているのか、両手を挙げて大げさに言ってくる。

 確かにいつものことであるし、この学校の伝統、校訓でもある。

 自由すぎるというのは無責任であるが、窮屈すぎるというにも息苦しくて参ってしまう。

 

「あのきつね、あたしのこと目の敵にしてるのよ?」

 

 なにやら問題があったようで、友人の一人が苛立ちを隠そうともせず、感情的に話し始める。黒髪にショートボブの髪型というように、清潔さと真面目さがマッチしている印象を与える女子生徒であるが、言葉遣いは正反対のやや乱暴なものだった。

 彼女もまた逆にあの女性教師に対して根に持っている感がある。

 今の髪の色は黒であるが、以前の彼女は明る目の茶色だった。けっして色気を出すつもりで染めたのではなく、両親の遺伝のためかもともと地毛でその色をしていた。だが、校則には“髪の色は黒色”と記載されているため、中学校までは許されていた彼女の髪が最初の整容検査で女性教師の目に留まり、黒く染めるように厳重注意がされたのだ。しぶしぶその指示に従ったが、その時の態度が悪かったせいか、あまりよい印象をもたれていないようだった。

 

「今日なんて持ってきていた雑誌を没収されたし。他のやつだって持って来てるのに、何であたしだけ!?」

 

 相当目を付けられているな、とカオルは同情する。

 

「ああ、またあのねちねち攻撃を受けることになるのか」

「まあ、何て言うの? ご愁傷様?」

「カオルはあれを受けたことがないから言えるのよ」

「本当。あれは拷問よ、精神的なね」

 

 彼女たちが言うように、カオルは注意されるものの呼び出されたことは一度もない。

 何人もの生徒が口をそろえて拷問だなどと誇張して表現するほどのものなのだ、いくらカオルだからといって精神的に無事では済むまい。

 そうならないようにするために、普段から最低限整容には気を配るのだ。

 まあ、重箱の隅を突くような注意はけっしてなくなりはしないだろうが。

 

「そうだ、ねえ知ってる?」

 

 話題を変えようと思案顔を浮かべていた女子生徒が、何かを思いついたようにハッとして口を開いた。

 楽しそうにしている様子から、何か興味を引きそうな話題なのだろうか。

 カオリをはじめとして、集まっていた女子生徒たちの視線が集中する。

 

「うちの学校に、転校生が来るんだって」

「へえ、こんな時期に転校生、ね」

 

 確かにゴールデンウィーク明けという、新学期が始まってからという中途半端な時期に転校してくるのには疑問を抱く。

 何かしらの事情があってこの時期にずれ込んでしまったり、急遽そうなってしまったりしたのかもしれないなど、色々な理由が考えられる。

 第三学年という受験生となってから大きく環境が変わるというのは、一体どういう心境なのだろうか。大学や専門学校に進学したり、一般企業や公務員に就職したりと、生徒たちはそれぞれの進路を決めなくてはならない時期である。カオル自身、一流大学に進学するということが、跡継ぎとなることを告げられた時から決まっていた。上に兄か姉がいればまだ選択肢はあったかもしれない。自分の将来を決めるという悩みをもつというのは、一体どんな心境なのだろうか。これまで用意されたレールの上を歩くだけだったカオルにはそれが分からず、むしろ憧れてもいた。

 思考内容がすっかりずれてしまっていたことに、カオルははっと気づく。

 考えても仕方がない。これまでも、そして、これからも何も変わらないのだから。

 盛り上がる話題はやはりその生徒がどんな人物なのか、というものだった。

 

「男子? それとも女子?」

「噂によれば男子らしいよ」

「どんな感じ?」

「うー……ん。見たわけじゃないから、分からないなあ」

「なら、どのクラスに転入するのかは、分かる?」

「それについても、何とも言えないかな」

 

 あまり詳しい情報は入手できていないようだ。

 そもそも、その噂をどこで入手したのか。

 まあ、転校生についての情報など所詮その程度だろう。詳しく知りたいのなら、職員室の学年教師たちの生徒名簿を漁るなどをしなければ無理だろう。見つかってしまったら厳重注意だけでは済まされないだろうが。

 このクラスに転入しなくても、自然と転校生ということでどのクラスの生徒からも一目は置かれるだろう。その転校生がよほどの不良か何かではない限りではある、が。

 ――しばらくすると担任教師が入ってきて、朝のSHRが始められる。

 教卓の後ろに立った男性教師が出席簿をその上に置いてから一度小さくゴホンッ、とわざとらしく咳き込む。

 何か重要なことを言い出そうとして、気持ちを落ち着かせようとしているように見える。

 さきほど転校生の話をしていたのでもしかしたら、と思ってしまう。

 それはカオルだけではなく、話をしていた女子生徒たちもらしく、意味ありげな笑みのある表情をしている。

 

「ええ、今日はみなさんに大事なお知らせがあります」

 

 よく聞く前振りをする。

 

「今日からクラスメイトが一人増えます。入ってきなさい」

 

 担任の言葉に答えるようにゆっくりとスライド式のドアがガラガラッ、と開いていく。

 そして、ゆっくりとした歩調で指定された男子用の制服に身を包んだ転校生の少年が中に入ってきた。

 入ってきた少年の容姿はこうだ――肩にかからない程度に短く切りそろえられた髪は、一本一本が糸のように細く、色素が抜け切ってしまっているかのように雪のごとく白い。少年にも少女にも捉えられそうなほど整った中性的な顔立ち。高校指定の男子用制服と、男子高校生の平均身長程度には背丈があるためか、かろうじて少年であると認識できる。陽の光を知らないような、女性ならうらやむ白い肌は窓から差し込む太陽の光を眩しく反射している。

 第一印象は大人しそうな少年――カオルはその転校生が今朝方に列車の中で同乗していた少年であると気づいた。

 名前は確か――

 

「――【黒崎悠二】です。小さい頃に事故で左腕を失くしていますが、私生活には支障がないので気にしないでください。趣味は読書。こんな時期に転校してきましたが、みなさんとは仲良くしていきたいです。よろしく、お願いします」

 

 そう黒崎悠二は、自己紹介の中で自分が隻腕であることを説明しつつ、ありきたりな挨拶をしてお辞儀をした。

 カオル以外の生徒たちの視線は黒崎悠二という全体からある一点へと視線を釘付けにされる。そこにはだらしないとも取れるようにある制服の腕部の部分。袖口から見えるはずの手首から先がない。悠二が自らの欠陥を隠そうともしていないため、その理由が分かってしまった。

 ――左腕がない。

 誰もが同時に思ったことだった。悠二は左腕に欠陥があるのだ。それが生まれつきなのか、そうでないのかは分からない。無意識のうちにであるが、そのダラリと垂れている左腕部分を凝視してしまう。

 しかし、悠二自身は慣れているのか、気にする様子を見せない。

 

「それでは黒崎くんの席は、そこの空いている席ということで」

 

 担任に指定された場所に黙って歩いていき、席につく。

 

「それでは、みなさん。黒崎くんとは仲良くするようにしてください」

 

 それから簡単な連絡事項が伝えられ、一時限目が始まるチャイムがなったということで、担任は教室を去っていった。

 

 

 真宮カオルから見る転校生である黒崎悠二は極々どこにでもいそうな平凡な男子高校生であった。人目を引き付けるような容姿をしているが、それだけだ。大人しそうな雰囲気は性格にも現れていた。

 一時限目が終わってからの数分間の休み時間の際、あっという間にクラスメイトたちに取り囲まれ、質問攻めにされた。

 しかし、表情にではせずとも内心では鬱陶しい、いい加減にしてほしいと思う状況でありながら、悠二は一つ一つの質問に対して律儀に応答していた。それで気分をよくしたクラスメイトたちはさらに質問を重ねたり、踏み込んだ質問をしたりするなどしていた。時折苦虫を噛んだような表情を浮かべるのが見えたが、それは一瞬だった。おそらくその表情に気づいたのはカオルくらいだろう。

 授業においても、県下でも学力レベルの高いN高等学校であるが、悠二は遅れることなくしっかりとついてきていた。早くクラスメイトと溶け込もうとして頑張ろうとしているようにも見える。指名された時には丁寧な解説を入れながら答え、隣のクラスメイトが質問に答えられないでいるとさりげなくフォローしているなどの姿が見られた。半日が過ぎただけでも、クラスにおいて悠二の好感度は高くなっていた。

 昼休みとなり、昼食をとるということで生徒たちはお互いに机をくっつけあったり、広い場所に移動したりするなどを始める。

 転校生の悠二もすっかり中のよくなっていた男子生徒たちに声をかけられている。

 

「なあ、黒崎、一緒に昼飯食べないか?」

「うれしんだけど、ちょっと用事を思い出したんだ。先に食べててくれる?」

「おう、早くしろよ」

 

 そう言うと、そそくさと教室を後にする。

 そんな彼の行動を、カオルは見えなくなるまで目で追っていた。

 朝の列車内での違和感もあってか、このように半日ずっと彼に対して視線を向け続けていた。勉強自体は優秀な成績を修めているために後れを取ることはない。予習すれば理解できないことはあまりない。この時ばかりは優秀な自分の頭脳に感謝していた。

 とはいえ高々一人の生徒にここまで意識を向けるというのはこれまでの人生では一度もありえなかった。それに、普段の自分なら絶対にしないことである、とカオルは無視することのできない違和感に若干の苛立ちを覚えていた。

 授業が終わり、昼休みになっても視線はどうしても悠二に向けられてしまう。それにどうしてかその用事というものが気になり、カオルは開こうとしていた弁当箱のフタを戻してしまう。ナプキンで包み直し、鞄の中に戻して席から立ち上がる。

 

「どうしたの、カオル?」

「早く食べようよ」

 

 疑問顔を浮かべながら、自分たちの弁当を開いて料理に箸をつけている友人たちが声をかけてくる。

 

「ごめん、ちょっと野暮用思い出したわ」

 

 適当に言い訳を繕って、席を離れようとする。

 不審がられるだろうかと思ったが、特に彼女たちは気にする様子もないようだ。

 とはいえ、されたらされたで、強引にでも教室を出て行こうと考えていた。

 友人たちに早く戻ってくるように、と言われながら、カオルは先に出て行った悠二を追かける形で教室を出て行った。

 出てからすぐに廊下を歩いて行く悠二の姿が見えた。

 どこに行くのだろうかと、適当な距離を保ちながらこっそりと後を追いかけていく。

 生徒玄関の方に曲がるかと思いきや、逆の右側へと角を曲がってしまった。

 反対側にある特別教室棟の南側には体育館や室内プールがあるが、こちらの教室棟の南側には現在の校舎が新しく建てられるまで昔使われていた、いわゆる旧校舎というものがあった。

 

「旧校舎? 何でそんなところに?」

 

 現在旧校舎は吹奏楽なら音楽室、料理研究部なら家庭科室や被服室、科学部なら理科系の特別教室など、特別教室棟にある教室を利用しているが、それが割り当てられていない文化系の部活が使用していた活動場所として利用していた。また、校舎の図書室にはない古い文献や卒業アルバム、学校誌、郷土史などが収められている図書室もある。しかし、それほど文化系の部活が多いわけでないため、旧校舎には空き室が多かったり、ほぼ物置として利用されていたりしていた。

 中に入ると放課後以外はほとんど利用されていないため、明かりが点けられていないからか薄暗く、廊下にはあまり掃除が行き届いていないためかほこりっぽかった。この旧校舎も面積こそ広くはないが、三階建てで、立ち入り禁止であるが屋上もあった。

 階段を一定の歩調で上がっていく。

 カオルも音を立てないようにこっそりと後を追う。

 普段はこそこそするよりも堂々としていることが多く、それが生に合っているため自然とストレスがたまる。

 ――どうしてこんなことを……。

 今になって自分の不審な行動に疑問を抱き、首を傾げたくなる。

 しかし、気になってしまうのは否定できない。多分、このモヤモヤとした感じの正体を突き止めなければ、ずっと付き纏うだろうというのは分かっていた。

 無理やりに自分を納得させながら、カオルは上へと続いている階段を上り、悠二のことを追いかける。無言のまま階段を上り続ける悠二であったが、三階についたところで一度後ろを振り返った。曲がり角でカオルはそれに気づき、ぎりぎりのところで引っ込んだので見つかることはなかった。しばらくこちらに視線をジィーッ、と向けていたが、何もないと思ったのか踵を返して、三階の廊下を歩いていき、カオルの視界から姿を消した。

 カオルはかすかに聞こえてきている足音が遠ざかっていくのを確認して、追かけるように階段を上がり、そっと顔だけを出して悠二の姿を探す。

 旧校舎の造りは現在の校舎とそれほど大きくは変わらず、長く伸びるようにしてある廊下の両側に各教室が左右対称的にあるというものだった。奥の方は屋上となっており、立ち入り禁止を示す境界線のように紐がつながれていた。

 悠二の姿は廊下に見当たらず、もしかしたらどこかの教室に入ったのかもしれないと考える。校則が厳しい学校であるが、携帯電話を校内で使ってはいけないというものはなかった。もちろん、授業中は教師の用意する回収箱に入れるということになっており、複数持っていない限りは使うことは不可能だった。例え複数持っていても、見つかったところで没収と厳重注意は免れず、重いペナルティも課せられることになっていたので、誰もそれをしようとは思っていなかった。

 しかし、昼食を摂らずに携帯電話を使うのならばわざわざ旧校舎に来る必要性はない。電話であれば、人気の少ない場所を選べばよいだけのことだ。だが、彼は教室から離れた場所にある、この旧校舎に足を運んだ。

 よほど誰にも聞かれたくないような内容の電話なのだろうか――そう思い、カオルは耳をそばだててみる。電話をしているのならばそれほど広くはない旧校舎である、声くらいは聞こえるだろうと思っていた。しかし、しばらく待ってみてもまったく悠二の声が聞こえてこない。それどころか物音一つしない。シンッ、とした静けさだけがこの場を支配しているようだった。

 ここにいても仕方がないと思い、カオルは三階の廊下を歩き、曇ったガラス窓から教室の中を一つ一つ覗き見ていった。三階にある教室はすべてが利用されていない空室で、机や椅子が整頓されたままという昔使用されていたままの状態であった。まるで教室の中だけが時間の止まっている世界のように見え、ドアが二つの世界を分け隔てている境界線のように見えた。

 

「ここにもいない……」

 

 どの教室を覗いて見ても、悠二の姿はなかった。

 

「どこに行ったのよ、まったく……」

 

 最後の一室を覗き終わったところで愚痴をこぼす。

 ふと屋上につづくドアの前に来ていたことに気づく。

 ――まさか、外に出たの?

 例え旧校舎とはいえ、目の前の屋上は立ち入り禁止にされている場所である。もしも、この紐を超えて外に出てしまっているのを教師に見つかってしまえば当然のように厳重注意がされる。転校生とはいえ、事前にこの学校についてのことは説明されているはずだ。ならばその行為がいかに愚かなことなのか、分かっているはずなのに。

 数段ある段差があるために、廊下からは外の様子は見えない。例え見えたとしても、ドアで隔てられているので、声までは聞こえない。“オーヴァード”として持っている能力を使えば何とかなるかもしれないが、こそこそとしているようで自分の生には合わない。それならば堂々と話を聞いた方がましだ。朝の列車でのファーストコンタクトがやや気まずいものだったので、ここで挽回することもできよう。

 校則違反をするのは怖いが、誰もいないことを確認し、カオルは意を決してドアノブに手をかけた。

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