「キリトさんは、多世界解釈という概念をご存知ですか?」
「多世界? いわゆるパラレルワールドってやつか?」
「ええ、正確に言えば少し違いますが。パラレルワールドがタイムトラベルなどのSFモノで扱われることが多い概念なのに対して、エヴェレットの多世界解釈はコペンハーゲン解釈における、波動関数の収縮とパラドクスの――」
「あー、それってつまりあれだろ? シュレディンガーの猫とかいう、死んだふりが上手な猫の話の辻褄合わせ、みたいな……」
「……まあ、そんなところです。もっともこの概念自体、既に古い考え方らしいんですけどね」
「なんせ量子コンピュータの実用化はすぐ目の前、とまで言われてるからなぁ。とんでもない時代に生まれたもんだよ、まったく」
「その基礎となる理論をほぼ独力で組み立てたのが、量子物理学者にしてゲームデザイナー、そしてもちろんSAOの開発者でもあった茅場晶彦氏。もし完成すれば……それどころか今までの功績だけを考慮しても、ノーベル賞は間違いなしと言われていたのですが……」
「突然の失踪、しかも開発からはとっくに降ろされていた、か……。当時はいろいろと話題になったのに、結局なにもわからずじまいだったな」
「そのことについてですが。ここから先は根拠を欠いた憶測なので、聞き流していただいて構いません。……まずこの世界の歪な部分はすべて、彼が求めていた本物の異世界との差異が原因ではないかと思うんです」
「と、いうと?」
「キリトさんなら既にお気付きと思いますが……このゲームのデザインは他のMMORPGと比べてあまりに異質です。一度しか倒すことが出来ないボス、順繰りに開放されていくフロア、第100層に待ち受けているという最終ボス……これらの要素はすべて、ある前提に基づいています。即ち、『一度死亡したら復活出来ない』。そしてナーヴギアにはそれが可能なんです。……ゾッとするような考えではありますが」
「……ああ。俺もそのことについてずっと考えてた。どうしてこのゲームはこんな作りなんだろう。どうしてあの人は、このゲームは遊びじゃないなんて言ってたんだろう、って」
「そうですね。そしてアーガスの社員の中に同じ結論に至った人がいたとしても、少しも不思議ではありません」
「じゃああの人は、それを察知した同僚によって告発、追放された? そしてそれを苦にして失踪した……」
「それとも、あるいは……」
「……?」
「彼は答えに辿り着いたのかもしれません。あらゆる事象を説明可能な数式、すべての物理学者の最終目標である統一場理論に……。そして彼は気付いた。自身の理想とする世界の実現が、この次元宇宙では不可能であることに。そんな人物が次に考えることはなんでしょう。あくまで不完全なこの世界で妥協する? それとも存在するかもわからない多元宇宙を求めて旅立つ?」
「それは……わからない。というか、随分と論理の飛躍があるんじゃないか? だいたい統一場理論って……超ひも理論とか11次元とか、実証不可能な説ばかりなんだろ? いくらあの人がアインシュタイン並の天才だったとしても、理論と数式だけで違う次元に行くなんてことは不可能だ。まずその為の装置はどうするんだ?」
「ええ、もちろん証拠など一切ありません、最初に言った通り、あくまで憶測です。このゲームの構造がこのような形になっているのも、ひょっとしたらもっとありきたりな理由……例えば現在開放済みの階層より上が本当は未実装で、開発を間に合わせる為の苦肉の策なのかもしれません。彼は今も健在で、ようやく完成した自分の世界に満足し、次の仕事に取り掛かっている、とか……。しかしわたしの直感は、それを否定するんです」
「…………」
「ところでラン、どうして急にそんな話を?」
「それはえーっと、つまりですねぇ……今からキリトさんにチョコを渡すわたしと、渡さなかったわたし、観測されるまではどちらも同時に存在することになるわけですが……」
「う、うん……うん?」
「キリトさんとしては、どちらの方が良かったですか?」
「え、ええっ!? そりゃもちろん、貰える方が嬉しいに決まってるけど……」
「やっぱり、そうですよね? じゃあこれ、はいどうぞ」
「えっとその、もしかして手作りですか……?」
「フフン、当然です! これでも結構苦労したんですよ? アスナさんに頭を下げて、料理スキルの基本から作り方まで教わって、ユウと2人で頑張って工夫してようやく完成したんですから」
「そ、それはなんというかその、ありがとうございます……」
「どういたしまして……あっ、このことはユウには内緒ですよ?」
「えっ? どうして?」
「それも内緒でーす。ご自分で考えてみてください。ふふっ」
「あれっ? 姉ちゃんにキリト、こんなところでなにしてるの?」
「おお、ユウキ。これはえーっと、あれだ。この世界とはなにかということについて、形而上学的および哲学的見地から議論を交わしていたというか……」
「……なんだか難しそうだね。ボクにはさっぱりだよ、そういうの」
「ううん。本当はね、もっと単純なことだったのよ」
「えっ? どんな話だったの?」
「それはね……ユウが優しくてとっても可愛い、天使のような子だってこと!」
「ははは! 確かにその通りだな!」
「??よくわかんないけど、ありがとう! あっ、そうだキリト。実はちょっと、渡したいものがあるんだけど……」
「おおっ? 一体なんだろうなぁ。まるで見当も付かないよ……」
自分で書いててなんだかよくわからない話になってしまいました。
要はお姉ちゃんの照れ隠しだったということでオナシャス!