おしえて、フロイト……
「好きです」
そう言って抱きしめた。
その告白は受け入れられ、失った。雪の吹きすさぶ冷たい冬の夜だった。
掃除をすることになっていた。どうやらそこは教室らしく始めは誰もいなかったが、そこには机があり椅子があり、そして椅子にはえらくスカートの短い女子高生が座っていた。
「すみません」
そういっておれは彼女らが座る椅子の下を膝をついて雑巾をかける。気にしないように取り繕っても覆うにはあまりにも少ないそれが気になってしまうのである。
二人の女子高生が座っている間を雑巾掛けしている時思わず口をついた。
「あの、聞きたいことがあるんですけど」
「ん?変なことじゃなきゃいいけど?」
自分の中では勿論単純な疑問ではあったが、これが彼女の言う「変」に当たらないと断言できるだけの自信は持ち合わせていなかった。
「いえ、やめておきます」
「それがいいと思うよ」
なぜ、そんなにスカートが短いんですか。心のなかで問いかけた。
そして今、その二人が目の前にいる。お店での買い物を済ませ、三人で道を歩く。どうやら東京の街のようだ。
どこの店を、どれだけ見たのか全く覚えていない。サブカルチャーなお店に入ったような気もするし入っていないような気もする。そんな中二人の内の一人と先にお店をでて待っていた。空は日が落ちかけた深く澄んだ青だった。
そこでおれは彼女に告白をした。こんな気持ちは初めてのものだった。
彼女は抱き寄せたおれの身体を押し返す。
当然だ。いくら人がまばらだとはいえ突然告白され、その上抱きしめられたのだ。無理もない。
夢うつつな気分から醒め、諦めの息を吐こうとした時、その息は封じられた。目の前には彼女の顔があった。
やがて、もう一人がお店から出てくる。おれらは何事もなかったかのようにまた歩き始める。
いや、嘘だ。少なくともおれは彼女の手を握ろうと見えないように後ろから手を回していた。彼女は当然それを握ることは無かったが。
「あ、パン屋さんだ」
見るとそこには確かにパン屋があった。
「パン屋って中々入りづらいんだよね」
もう一人が続ける。
おれは別段パンが食べたかったわけでは無かったがその扉に手をかけ中に入る。続けて彼女も入ろうとする。
「ねえ、ーー」
彼女にもう一人が問いかけた。なんといったかは全くわからなかったがおれと彼女は同時に返事をした。
「え?」
「え?」
後から思い返すとこの問いかけにおれが返事をするのはおかしかったようだが、もう一人は笑って「なんでもないよ」と店に入った。空は夕日が橙に染め始めていた。
「チョココロネがない」
特に食べたいものがあったわけでは無かったが店に並ぶパンとその香りを嗅ぐと自然と食欲が湧いてくるのである。なぜ甘いものを欲していたのかはわからないがとにもかくにもチョココロネが食べたくなっていた。
しかし欲しいものは得てして手に入らない。決して広いわけでもないパン屋のはずだが何遍も周り探した。しかしやっぱり無かった。
気がつくと二人の姿がなかった。つい二人のことを忘れてチョココロネを探していた自分を恥じつつ、店の奥にある人だかりの方へ足を進めた。
そこは議会のようであった。あるいは舞台か何かかもしれない。いずれにせよ今おれはその広間を上から眺めるような場所にいる。だが、おれの興味は議会でもなければ舞台でもない。彼女を探すことである。
そこでは見知った顔にもあった。「よお」と声をかけると向こうも「おお」と返事を返してきた。彼は下の広間を見ていたようだ。
靴の後ろに名前が書いてあったが自分が記憶していた名前とは違っていた。つまり思っていた人とは違う人におれは話しかけてしまったらしい。
ただ幸いにも彼もまたおれの知り合いではあったようで飯にでも行かないかと誘ってきた。彼女のことは伏せ、ツレときているんだとその場を後にした。
探せども探せども彼女はいない。おれは店の外の道を歩いていた。空は青から黒へと移り変わっており、落ち葉が舞っていた。寒い季節のようだ。
彼女はどこへ行ったのだろう。
試験会場のようなところにも行った。そこには学生がたくさんいたがやはり彼女はいなかった。
東京には一人で来たわけではなく、ツイッターで知り合ったとても気の合う青年たちと来ていたらしい。道で何度かあった知り合いには断じて言わなかったが、その中の一人、松田には彼女のことを話してみることにした。自転車を降り、歩道橋を登り他のメンツとは少し距離が開いたその時を見計らって、だ。
「おれには告白した女の子がいたんだーー」
しかし意外にも松田はおれのその独白に似た相談を解決することもなく、自転車に跨るとスロープを勢い良く降りて行った。
とても意外だったが不思議と怒りの念はなかった。
彼らはそこにいた女の子と一緒に相撲部屋へと向かった。どうして相撲部屋なのかは皆目見当がつかなかったが、他に行くあてもないおれはにが笑いを浮かべながらついて行った。
相撲部屋にきたはずだがなぜか皿が展示されていた。有田焼か伊万里焼か明るくないおれにはさっぱりなものだ。だがその皿を眺めていたおれはふと持っていた紙袋を漁る。何かがつながった。
手荷物の中からは桐箱のような箱に入った皿が出てきた。そしてその箱には皿の他にもう一つ何かが入っているようだった。
それは水晶であった。六角柱の上下に六角錐をくっつけたような、ものそのものはどこにでもありそうな水晶に牛革紐がかけてある変哲もないネックレスだった。
しかしその水晶は上の六角錐の部分にひびが入り、純粋と浄化を象徴する万能パワーストーンとは思えないような白く濁った色をしていた。
そしてその水晶は彼女とのものらしかった。どういうわけかどこのお店で買ったのか、はたまたもらったのか、最初から持っていたのか全然記憶になかった。ただそれが彼女とのつながりの証であることだけはわかった。
おれは駆け出した。あてはない。だが走り出さずにはいられなかった。空はどういうわけか日が昇り、おれの背中を押しているように思えた。
しかしそんな無根拠な自信も時間がすぎるととともに不安という名の闇に飲み込まれようとしていく。空は依然青く澄み渡っており、「あゝ空なんてものは心を表すものでもなんでもなく、ただ時の流れを無慈悲に表すものなんだ」そう思った。
最後まで駅前の家電量販店を走り回った。それでも最後まで塵芥程の希望を胸に走った。しかしそんな塵芥はきっとここにある吸引力の変わらないただ一つの掃除機にでも吸われてしまったに違いない。そしてそれは彼女の求心力をも吸い取って煩悩なんてもののない空虚できれいな空気へと変えていってしまったのだろう。
それはつまり、彼女という存在そのものが消えたということある。しかし、存在は消せても記憶までは吸い取ることはできない。
電車を降りると雪国で吹雪く北国のその駅には人っ子一人いなかった。今日の宿はどこだろう。そんなことを考えながら行くあてもなく歩くおれはどこに行くのであろう。
パン屋でチョココロネではなく、彼女を追っていればよかったのだろうか。そもそもチョココロネとは一体なんなんだろう。ふと思いついただけのものではあるまい。好きになって、告白した、そんな女の子を前に、その彼女よりもチョココロネを選んだのには理由があるはずだ。そしておれはそのチョココロネを手に入れることもなく、手に入れた彼女も失い、記憶という名の棘の靴をはいて歩いていかねばならない。ガラスの靴はどこに落ちているのかな……。
ー完ー
よくわかりません。
夢というものはそういうもの。