それから一週間後。
『衛宮士郎』が『帰国』し、ニュースでも取り上げられる程度には話題になってから三日が過ぎたその日に、天宮市市内にある高層ビルの中に士道と琴里、そしてフラクシナス解析官兼士道のクラスの副担任である
「なあ琴里。なんかさっきからチラチラ見られてるんだけど、俺の格好おかしくないよな?」
「別にどこもおかしくないから堂々としていればいいのよ。変にビクビクしているから余計に目立ってるの」
「そうなのかもしれないけど……そうは言ってもなぁ」
前を進む令音の後について歩きながら、士道はあたりを見渡す。その目に映るのは自分のデスクに座っているか、慌ただしく動き回る大人だけだ。この状況で、ただの高校生だと自覚している人間に緊張するなと言う方が無理な話だろう。
「だいたい、なんで出版社なんだよ。別にここじゃなくても、それこそフラクシナスでいいだろ」
「よく考えて発言しなさいよこのミナミアオカメムシ。
『衛宮士郎』は良くも悪くも有名人なのよ? 常にいろいろな目が彼を見ているの。もちろん、ASTも含めてね。
そんな状況で突然消えてごらんなさい。最悪
「……あっ」
言われてやっと思い至ったという表情の
そんな状況を背中越しに感じ取ってか、令音が説明の続きを代わる。
「だからこそのココ、というわけだ。独占取材という名目なら個室に呼び出しやすいから、その間は完全に人の目を外せるというわけだな」
「なるほど、そういうことですか……。
あっ。じゃあ、俺たちのことはどうなるんですか? こんなきちんとした会社に中学生や高校生が入って行くのはかなり目立ちますよね?」
「そこは心配ないさ。君たちが将来出版系の仕事に就きたいという理由をでっち上げて、職場見学という名目で許可を取ったからな。私がついてる表向きの理由でもある。
……ああ、安心してくれシン。関係者は元々機関員だったか既に買収をしてあるから、実際に会うのは私たちだけだし周辺も人払いしてあるよ」
「だから士道ですって……。しかもでっち上げとか買収とか、いろいろ問題になりそうな単語が聞こえた気がするんですが……」
「世界の注目の的の精霊と邪魔が入らずに会話出来るチャンスなんだから、その程度の細かいことは見逃しなさい。細かいところに気にする女々しい男は嫌われるわよ」
「ぐっ」
そう言われるとそうなのかという気にもなってしまうし、何より『嫌われる』という点が重い。
これでも青春真っ只中の高校生。そういう評価は気になってしまうのだ。
「さて、応接室3。ここだな」
「そのようね。
じゃあ士道。あなたはここで待機」
「えっ? すまん、もう一度言ってくれ」
「こんな簡単な言葉もわからないの? 犬だって一回で理解できるわよこの愛玩動物以下。
いい、もう一度言うわよ。ステイ、おすわり、待て。とにかくなんでもいいから、部屋に入らずココにいなさい」
「いや、俺は犬じゃないし。というか、そもそもなんでなんだよ」
士道の考えも分からなくはない。てっきり連れてこられたんだから話に参加するものだと思っていたから、思わず聞き返してしまったのだ。
もっとも、『そんなことは少し考えれば分かる』とでも言いたいかのように、琴里は呆れた目をしているのだが。なぜだか評価が急降下していくSEが聞こえる気がした。
「……はぁ。いい? 士道は何故か精霊の霊力を封印できる。それはその通りなんだけど、相手がそれに乗り気かどうかは分からないでしょう?」
「? どういうことだ?」
「要は、もし『衛宮士郎』が力を失いたくなかったら、士道のことを紹介するときに襲われる可能性があるのよ。
だから、まずは私と令音だけで話してみて、大丈夫そうだったら呼ぶ。そういう方針で行くの」
「……なんかそれ、今更すぎないか?」
つい二週間前、単身
「あれは『口説き落とす』ために仕方がなくでしょ。同伴者ありのナンパなんてあり得ないから。
だけど、今回は『男と男』の関係なのよ? 確かに衛宮士郎はそっちの気を疑われてたこともあったみたいだけど……大事をとって『交渉』することにしたのよ」
「でも、それって琴里たちが危なくないか? やっぱり俺が一緒の方が……」
心配そうな目をしながら素で問いかけられ、微かに琴里の頬に朱が混じる。士道はこういう時に自分より他人を優先してしまいがちな人間だと知ってはいるが、やはり実際にやられると嬉しいのだろう。
「たぶん大丈夫よ。私たちは精霊を保護するための組織だもの。人間社会に適応している『衛宮士郎』なら、交渉が決裂することはあってもそこまで対立することはないと思うわ」
「ならいいんだけど……。何かあったと思ったら絶対に入るからな」
「その心だけでもありがたいわ。
……ちょっと待って」
真剣味が五割増しの表情で右耳に手を当てる琴里。士道の目にはそこには何もつけているようには見えないが、実際にはラタトスク機関自慢のインカム(ステルス仕様)がある筈だ、ということを思い出した。
「『衛宮士郎』が一階のロビーに来たわ。すぐにこっちに来るそうよ」
「ふむ。予定よりもだいぶ早いな。まあ、こちらより先に着かれるよりかはまだマシかな?」
「そうね。とにかく、士道は私が呼ぶまで入らないこと! 分かったわね?」
「ああ。琴里も頑張れよ」
当然よ、と言いながら部屋に入っていく二人を見送って、ふと士道は気が付いた。
「あれ? このままだと鉢合わせしないか?」
まずい。どこか隠れるところ……、と左右を見渡しても廊下と扉しかない。勝手に扉を開けて中に入るわけにもいかないだろう。
「……!」
しかもタイミングの悪いことに、コツコツ、と廊下の先から二つの足音が聞こえてくる。人払いをしたと言っていた以上、この音の主は案内人と『衛宮士郎』しかあり得ないはずだ。
「この先の応接室3でお待ちです」
「……ふむ。了解した」
その予想を裏切らず、廊下の先から聞き覚えのある女性の声と、初めて聞く渋い声が聞こえてきた。
事ここに至って隠れるという選択肢は存在せず、おそるおそると振り向く。
「…………」
そこには、微かに頬を赤く染めた
直に見てまず感じることは、かなり背が大きいということだ。自分も日本人としては決して背の低い方ではないはずだが、少し離れたところにいる男の方が15cmは高いだろう。だが、十年近く寝たきりだった割にはひょろっとした感じではなく、むしろ赤いスカーフと同色のジャケット、黒のシャツにスラックスという服装に包まれた体からは鍛え上げられたアスリートのような印象を受ける。
次に目を引くのは、そのオールバックに纏め上げた真っ白な髪の色と、それとは反対に見事に茶色く焼けた肌だ。確かに、これで日本人だと判断するのは難しいと思う。
だが、眉間によっているシワと鋭い目つきで気付きづらいが、顔のパーツ自体は日本人によくある童顔な形で……
「…………」
「ッ!!」
目があった。
いや、そんな生易しい感じではない。明らかにこちらを睨み付けてきたのだ。しかも、まるで値踏みするかのような視線はまだこちらに刺さってきている。
「失礼します、椎崎です。『衛宮士郎』さまをお連れいたしました」
『どうぞ』
「……失礼する」
実際に視線がこちらに向いていたのは、せいぜい数秒だろう。しかし、士道には永遠にも思える時間が経った後、『衛宮士郎』は部屋の中に消えていった。
「ッ!?ゴホッゴホッゲホッ!!」
「士道くん!? どうかしましたか!?」
知らないうちに息を止めていたようで、思わず咳き込んでしまい、椎崎に背中をさすられる。
しかし、気恥ずかしさなんて感じる余裕はない。何せ、目があった瞬間に分かってしまったのだ。彼は十香と同じ、人を超越した存在だということが。
威圧的なオーラが出ているわけではない。あの存在自体が奇異な感じがあるわけでもない。ただなんとなく、本能的に理解してしまった。
だけど、何故か危険な感じはしない。寧ろ、どこか安心するような気持ちが芽生えてきていた。
「はぁ、はぁ。椎崎さん! 琴里! 琴里は大丈夫ですか!?」
息を整えるのもそこそこに、隣にいる椎崎に詰め寄る。
もし本当に自分の感じた通りなら何も問題はないのかもしれないが、だからといって心配にならないわけがない。ただの勘に任せられるほど、妹の存在は軽いものではないのだ。
「お、落ち着いて! 大丈夫。少し動揺しているみたいだけど司令のバイタルサインは安定していますから。ほら」
そう言って見せられた端末には、何本ものグラフが緑色の背景にリアルタイムで描かれていた。
「そう、ですか……」
グラフの意味は全くわからないが、背景が緑色ということは何も起きていないということなのだろう。緊張の糸が一気に緩む。
「すみません、とり乱してしまって」
「大丈夫ですよ。家族が心配になるのは普通ですから」
士道は頭を下げながら、扉のほうを心配そうに見る。
中でどんな会話がされているのか、彼には知りようもなかった。
◇
その部屋の中では、扉が閉まった瞬間から緊張の糸が張り詰めていた。
ソファーに並んで座っている琴里と令音。それと相対するように扉の前で腕組みをして立っている『衛宮士郎』。
そしてその男の目は鋭く、まっすぐに少女を射抜いている。
「……さて、わざわざこんな回りくどい真似をしてまで私を呼び出すとは、一体どういう用件かね、バーサーカー?」
ひたり、と汗が流れる。
開口一番にそのようなことを言われ、琴里は内心焦っていた。
明らかに『衛宮士郎』は呼び出した用件が取材などではないと気付いているし、問いかけも令音ではなく自分にしている。それは、こちらの主導権が琴里にあると気付いているということだ。
こうなったら、すべてを正直にぶちまけるしかない。
「嘘をついたのが癇に障ったのなら謝るわ。ごめんなさい。でも、どうしてもあなたと話がしたかったの。
私はラタトスク機関、空中艦フラクシナス司令官の五河琴里よ。バーサーカー、なんて不名誉な二つ名は持ってないわ」
「……一体君は何を言っている? 君は間違いなくバーサーカーだろう? それに、そちらの女性は君のマスターではないのかね?」
そう言って『衛宮士郎』は、その鋭い視線を令音に向ける。何か、重要な認識の食い違いが起きている、と琴里は感じた。
「そうだね、まずは自己紹介からするべきかな。
フラクシナスという艦で解析官をしている、村雨令音だ。琴里との関係は……そうだね、上司と部下であり、良き友人だ。決して私が
しかし、そんな考えも、
「ちょ、ちょっと令音! それだと私がドSの女王様みたいじゃない!?」
「……違ったのかい?」
「違……わなくもないけど、もうちょっと言い方ってものがあるでしょ!」
「あー。話を戻させてもらってもいいかね?」
どこか気まずそうな『衛宮士郎』の声に、ハッと現実に戻ってくる琴里。そう、今は重要な交渉中。自分の汚名を晴らすのは後にしなくてはいけなかったのだ。
「んんっ! ごめんなさい、話を続けるわね。あと、今の会話は忘れなさい」
「いやなに。性癖は人それぞれなのだから、気にする必要はないと思うがね」
「だから忘れなさいっ!」
ああ。この皮肉めいた笑みは絶対に確信犯だ。こいつは間違いなくドSだろう。
「……まずは、情報交換をしましょう。今、お互いの認識が食い違っている自覚はあるわよね?」
「ふむ。あるにはあるが、私がそれに応じる必要性はあるのかね?」
猜疑そうな目でこちらも見てくる『衛宮士郎』。
一方的に情報を与える可能性がある以上はそれも無理もないことではあるが、それとはどこか違う理由を持っているように琴里は感じた。
「出来ればそっちからも情報は欲しいけど、何よりもこっちの情報を知ってもらう必要があるわ。じゃないと、あなたは一生狙われて生きることになる。それは嫌でしょう?
そうならなくて済むように、そしてあなたのような存在に幸せになって貰うために、私たちはこうして行動しているの」
「……『正義の味方』気取りというわけか?」
『衛宮士郎』の声が低くなる。まるで、誰もが憧れる『正義の味方』こそを嫌悪しているかのように、次第に顔が険しくなっていく。
だが、それは大きな勘違いだ。
「いいえ。あとで話すけど、私たちは『正義の味方』なんて名乗れるような組織ではないわ。寧ろ、そう呼ぶに相応しいのは敵対しているASTって組織の方。
でも、私たちはただ存在しているからという理由で殺されようとしているあなたたちを放っておけない。私たちが手を差し伸べるのは、あなたたちにも幸せを感じてもらいたいから。それ以外の理由なんて、全ておまけみたいなものよ」
できるだけ真摯に、本心からの想いを告げる。
正直なところ、上層部である『
だが、現場の人間は違う。想いの大小はあれど、全員が胸にその想いを抱いて任務に当たっている。なにより、『
「…………はぁ。私も焼きが回ったものだな。本来なら突っぱねるべき立場にいるはずなのだが……。
いいだろう。まずはそちらの話をしてくれ。それによって、私が話すかどうかを決めることにする」
「分かったわ」
初めて組んでいた腕を解き、二人の対面のソファーに座る『衛宮士郎』。
そうして、琴里は口を開き、話し始めた。
◇
「……ふむ。
それから暫くして、何度か質問をされながらも琴里は話すべきところを話し終えた。
精霊のこと。
空間震のこと。
ラタトスク機関のこと。
ASTのこと。
そして、自分たちには精霊の力を封印できる手段があり、既に二人の精霊を封印していること。
自分が握る『スイッチ』や封印した精霊の素性、そして封印するための方法などは触れていないが、それでも今わかっているほぼ全てのことを『衛宮士郎』に伝えた。
「なるほど。道理で私が召喚されるわけだ。これほどまでに狂っているとは……なかなか予想以上に参考になったよ」
「ありがとう、と言うべきなのかしら?
それで、あなたの持っている情報を、私たちに教えてくれる気になったかしら?」
正直に言うと、琴里はすんなりと教えてもらえるものだと思っていた。こちらからは重要な情報をいくつも教え、その中には『衛宮士郎』の命に関わる情報も含まれていたのだ。多少は恩義を感じてくれていると思っていたし、充分にギブアンドテイクになるものだったと自負していた。
「ふむ。散々ご高説してくれた後にこう言っては悪いのだが、私が君に『教えるべきでない義務』はあっても、『教えるべき義務』はないのだよ」
だからこそ。この言葉には思わず耳を疑った。
「……うそ。じゃあ……」
「
ドクン、と胸が跳ねる。それは彼には言っていないことだし、彼が知ることもできない情報のはずだ。外に待つ兄はおろか、フラクシナスのクルーであろうとも全員が知っていることではないのだから。
胸を押さえて、焦燥の表情を見せる琴里に代わり、令音が『衛宮士郎』に問いかける。
「
「一番公平な方法は、全ての精霊をここに連れてくることだな。もちろん、封印しているかどうかや現界しているしていないにかかわらず、だ」
「それは……少なくとも今は無理だね。まだ精霊が実際には何体いるのかすら分かっていないのだから」
余りにも不可能な条件に、さすがの令音も言葉に詰まる。その条件は、とどのつまり、教えるつもりはないと言っているようなものだろう。
しかし『衛宮士郎』は、まるで早とちりだと言わんばかりに苦笑し、首を振って言葉を繋げた。
「……だが、私にも情というものがある。君たちには色々と教えてもらってたし、裏技を思わず漏らしてしまっても仕方がない、か」
「「……えっ?」」
「外の少年を連れてくるといい。そうすれば、教えることができるだろう」
そう言って、『衛宮士郎』は廊下側の壁をまっすぐに指す。その先にいる少年とは、琴里たちには一人しか思いつかなかった。
「……士道を連れてくるだけでいいの? さっきは精霊を全員連れてこいとか言ってたのに?」
「ああ。それだけでいい」
思わず問い直すが、帰ってくるのは肯定の言葉だった。そのことに、ますます琴里は混乱する。
だが、それだけで済むのならそれをしない手はない。その前に、一つだけ釘を刺しておかなければならないが。
「……じゃあ連れてくるけど、一つだけお願い。私が『元精霊』だってこと、士道には内緒にしといて」
「ふむ。本人に直接聞かれない限りそれは別に構わないが、何故なのだね?」
「私がそうだったってこと、士道は忘れてるのよ。覚悟ができたら私が直接言うから、それまでは秘密にしておいて」
そう言うと琴里は立ち上がり、ガチャリと扉を開けた。
「士道。中に入りなさい」
「琴里? 中に入れってことは、交渉は終わったのか?」
「いいえ。まだその前段階。だけど、あなたが居なくちゃいけないらしいから、さっさと来なさい」
「? よく分からないけど、入ればいいんだな?」
そうして、状況がよく分かっていない顔をしながら士道が部屋に入る。
扉が閉まり、琴里の隣に士道が座ったタイミングで、『衛宮士郎』が口を開いた。
「さて、まずは『聖杯戦争』という言葉から始めようか」
◇
その時から、
カラカラ、カラカラと、世界を巻き込みながら、参加者たちは火花を散らす。
万能の願望器はここにあり。
————さぁ、第五次聖杯戦争を始めよう。