「聖杯、戦争……?」
『衛宮士郎』から告げられた単語に、士道は首を傾げる。全く聞き覚えのない単語だが、『戦争』という部分だけで不穏な響きがある。
「ふむ。まずは聖杯というものがどういうものか知っているかな、少年?」
「えっと、確か磔にされたキリストの血を受け止めた
「まあ、概ね正解だ。だが、ここでいう『聖杯』の意味は少々異なる」
「どういう意味なんですか?」
士道の首の角度が深くなる。聖なる杯、だから聖杯なのではないのか?
「聖杯戦争における聖杯とは『万能の願望器』のことだ。その性質さえあれば、杯だろうと肉の塊だろうとなんでもいい」
「万能の願望器?」
「簡単に言えば、なんであれ所有者の願いを叶えてくれるもの、ということだ」
「「願いを叶えるっ!?」」
五河兄妹の声が重なる。令音は相変わらず眠たげな顔のままだが、わずかに目を見開いた。
「そ、そんなものが本当にあるんですか!?」
「ある。ロクでもない方法でしか願いを叶えないとはいえ、私の生前にもあったからな」
口をあんぐりと開けて固まる士道に対し、琴里はその言葉に眉を顰めた。
「生前? 死んでいるわけでもあるまいし、なんの冗談? まさか、実は幽霊でした〜、とか言うんじゃないでしょうね」
「ふむ。まあ、二重の意味で幽霊と言えるかもしれないな」
「「……え。ええぇぇぇえ!?」」
再び声を重ね、思わず立ち上がって足元を見る。ちなみに、ちゃんと付いていた。
「足ついてるじゃない!」
「まあ、そこら辺は後で話すとして、まずは聖杯戦争のことだ。
先程も言った通り聖杯は万能の願望器のことだが、広義の意味での聖杯戦争とは聖杯を手に入れるための競争全てを指す。例えば、オークションにかけられていればその競売自体を聖杯戦争と呼べるだろうし、クイズ番組の優勝商品として聖杯があればそれもまた聖杯戦争だろう」
「へ、へぇ」
余りにも衝撃的な話すぎてうまく戻れていないが、後で話すと言っているのだから今は話に集中するべきだと耳を傾ける。
「しかし、狭義での意味は異なる。
聖杯を完成させるための魔術儀式。七人の魔術師による所有権の奪い合いにして殺し合い。それが、ここでいう聖杯戦争だ」
「こ、殺し合いっ!?」
「あくまで私の知識にあるものの話だよ。状況によっては細部が異なる場合もあるだろう」
本当なら確定した情報がわかるはずなのだがね、と自嘲気味に呟く『衛宮士郎』。
士道は物騒な情報に驚愕に顔を染めているが、琴里はその隣で何事か思案していた。
「……それは本当の話? いくら殺し合いでも、たった七人で戦争だなんて……せめて『闘争』みたいな感じで呼ぶべきじゃないの?」
「いいところに気が付いたな。その通り。本来なら七人程度で『戦争』などと名乗るべきではない。
だが、こと聖杯戦争に限ってはその例えが最も適切なのだ」
いいか、と前置いて『衛宮士郎』はその説明を口にした。
「聖杯戦争の参加者である七人の魔術師には、聖杯から七騎のサーヴァントが与えられ、それ故に『戦争』と名乗るに相応しい規模となる」
「サーヴァント?」
「簡単に言ってしまえば使い魔のことだな。参加する魔術師はそれのマスターとなり、状況に合わせて上手く使役することで最後の一組を目指す。
ただし、サーヴァントは決してただの使い魔と同列に扱ってもいいものではない。その一騎一騎が英霊なのだ」
エイレイ、という新しい単語に疑問符が浮かぶが、こちらのその様子を見てか、英霊とは、と説明し始めた。
「英雄の霊と書いて『英霊』。その名の通り、各地の神話伝承で語られる英雄の魂が、死後に集めた尊敬や畏怖の念によって世界の外側にある『座』に導かれ、より高次の存在となったもののことを指す。
まあ、より端的に言えば、強力な力を持った幽霊のようなもの、と考えてくれればいい」
「……なるほどね。つまり、あなたはその英霊ってこと」
なるほど、と士道は思った。だから先程、『幽霊とも言える』と言っていたのだろう。
「その通りでもあり、間違いでもある」
「どういうことですか?」
「英霊は高次の存在だと言っただろう? その力は強力すぎるため、そのまま現実世界に降ろすことはまず不可能だ。
故に、各英霊を降ろす時は、世界の外側にいる本体から分身を作り、その英霊の伝承から相応しい『クラス』が選出され、それに合わせるように能力を調整される。その状態を総じて『サーヴァント』と呼ぶのだ」
「クラス?」
学生の士道がそう聞いてまず思い浮かべるのは『学級』という意味だが、まさかそんな意味ではないだろう。
「端的に言えば役職だな。ロールプレイングゲームのジョブのようなものと思えばいい。
用意されているクラスは主に七種類。
基礎ステータスが高くなくては選ばれず、最優のクラスと名高い『
弓に限らず、投槍以外の遠距離物理攻撃の手段を持つものが選ばれる『
主に速度に秀で、刺突系の武器を獲物として戦場を駆け巡る『
馬や戦車のような騎乗物を乗りこなし、多彩な宝具で攻めたてる『
魔術を駆使し、自らが構成した陣地で敵を迎え撃つ『
直接戦闘能力は低いが、気配を絶ち、闇に紛れてマスターを討つ『
理性を失う代わりに、多くの能力値を引き上げることができる『
条件によっては稀にそれ以外の『エクストラクラス』が召喚されることもあるが、基本的にはこの七つだ」
『
だが、琴里が気になったのはそこではないようだった。
「ねぇ。
「宝具とは、その英雄の武器や逸話が信仰によって形を成したものだ。アーサー王伝説の聖剣エクスカリバーしかり、アルスター伝説のクー・フーリンが持つゲイ・ボルグしかりな。
また、それは何も武器に限った話ではない。例えばニーベルンゲンの歌に謳われる英雄ジークフリートなら、悪竜ファブニールの血を浴びたことで背中以外無敵の体となったという逸話が宝具として現れるだろう。また、ギリシャ神話の英雄アキレウスなら、アキレス腱が傷付けられるまで無敵の体を宝具として持つだろうな」
「えーと……」
つまり宝具とは、英雄の伝説に書かれているような特殊能力や武器のことなのだろうか、と士道は推測した。
「ふーん。じゃあ、宝具がわかればその英雄の名前も分かるってこと?」
「そうだ。そしてまた逆も然り。
多くの英雄は、その伝承に必ず『死因』が書かれている。つまり、真名が分かればそこから弱点も推測されるというわけだ。先程のジークフリートやアキレウスのようにな。
故に我々サーヴァントは真名を伏せ、基本的にクラス名で名乗り合うのだ」
まあ、真名を堂々と名乗るような奴もいるにはいるがな、と頭を抱える『衛宮士郎』。どうやらそのようなサーヴァントに心当たりがあるようだ。
「加えて言うと、その成り立ちから宝具と英霊は切っても切れない関係だ。それゆえ他のクラスでも宝具は持てるが、それはせいぜい一つか二つまで。しかしライダーはそれ以上の数を持てることが多い。
宝具とは形ある奇跡の結晶。それを多く持つということは、その分だけ多くの切り札を持つに等しいということだ」
「……琴里。それって……」
「ええ。そのまんま『天使』の説明ね」
士道たちの頭に、まさかという考えがよぎる。それに追い打ちをかけるように、『衛宮士郎』は英霊についての説明を続けた。
「また、英霊は人々の信仰、神秘によって編まれた存在だ。故にただの物理攻撃では傷付けることは出来ず、その体を傷付けられるのは神秘を持つ攻撃、つまり同じ英霊による攻撃か魔術による攻撃のみだ」
「それも『霊装』と同じ……。じゃあ、まさか精霊って……」
「これはあくまで話を聞いただけの私の見解だが。
おそらくは君たちの言葉で言う『精霊』というのは、私の知識で言う『英霊』に近しい存在なのだと考えている」
その瞬間、空気が止まった。
「ま、待ってください! 英霊っていうのは幽霊みたいなものなんですよね!? 十香にはちゃんと体がありましたよ!?」
「士道。それを言うのなら、目の前の人のことはどう説明するの?」
「え?あれ?そう言えば……」
士道は改めて『衛宮士郎』を見る。別に透けているわけでもないし、足もちゃんと付いている。幽霊になんて欠片も見えない。
「ああ、その十香という精霊はどうだか知らないが、私のような通常の英霊に関して言えば、君たちに見えている体は偽物だ。ポルターガイストと同様の理屈で現世に写し身を作り出しているにすぎない。
だからこのように……」
そう言って首元のスカーフを取ると、『衛宮士郎』はその場から
「「えっ!?」」
「消えることもできる。俗に霊体化と言っているがね」
そして、今度は唐突に目の前に現れる。驚愕に目を見開く兄妹の前で再びスカーフを手に取り首に巻くと、そのまま自慢げに腰を下ろした。
「き、消えるなら消えるで先に言いなさいよ! 心臓に悪いじゃない!」
「ああ、それはすまなかったな。
それで、どこまで話したのだったか……」
「精霊が英霊ではないか、という話だよ」
未だに高鳴る心臓をなだめるように胸に手を当てる兄妹に対し、いつも通りの調子で受け答える令音。今はそのマイペースさが、少し羨ましかった。
「ああ、そうだったな。
それで、私は英霊と精霊とは必ずしもイコールではないと考えている」
「ちょっと待ちなさい。さっきは精霊は英霊だとか言ってたわよね? 話が矛盾してるんだけど」
それは士道も気になった。つい先程、目の前の人は……
「あれ? 琴里。この人はそんなことは言ってないぞ」
「はぁ? 一体何を聞いてたのよ。つい数分前に言ってたじゃない」
「いや、『英霊に近しい』とは言ってたけど、『英霊だ』とは言ってなかった気がする」
「……あ」
その士道の答えが気に入ったのか、『衛宮士郎』はニヤリと口を歪めた。
「よく覚えていたな。その通り。私は、あくまで精霊は『英霊に近しい存在』であって『英霊そのもの』ではないと考えてい——」
「根拠は?」
言い終わらないうちに被せるように問いかける琴里。それが照れ隠しだということは、長年一緒だった士道には丸分かりだった。
「! ふんっ!」
「うのっ!?」
微笑ましい目で見ていたのがばれたのか、思いっきり脇腹を殴られる。その顔は赤く色づいていた。
「はっ。『うのっ』だって。そんなにやりたいなら十香とやってきてドロフォーを受けまくれば?」
「お、お前なぁ……」
「琴里、シン。仲がいいのはいいことだが、話を先に進めないかね?」
「「うっ」」
そう言われてお互いを見ていた視線を外すと、見れば大人組二人から微笑ましいものを見る目で見られていた。それに気付いた兄妹の頬に、目に見えて赤みが差していく。
「そ、それで! 精霊がその英霊っていうのじゃないその根拠はなんなのよ!」
「そ、そうですよ! 十香は、いや精霊っていったいなんなんですか!?」
「それは、先程少年が言ってくれたよ」
「「……え?」」
俺?と指さして後ろを向くが、誰もいなかった。というか、そもそもこの場には『少年』と呼べるのは一人しかいないことを思い出した。
「お、俺が何か言いましたっけ?」
「ああ。君は言っただろう、『十香にはちゃんと体がありましたよ』、と」
「そ、そういえばそんなことを言った気も……」
「それで、それがどうかしたのよ」
はぐらかしていると感じたのか、琴里が早く詳しい説明をするように求める。それに応えるように苦笑し、『衛宮士郎』はその理由を語り始めた。
「先程見せた通り、基本的に英霊とは霊体が主体の存在だ。封印できるかどうかという問題はひとまず横に置いたとしても、力を封印したのに肉体を維持できるわけがない。本来、この肉体は存在しないものなのだから」
『しかし、その十香という精霊は肉体を維持できているのだろう?』と尋ねてきたので、士道はそれに頷き返す。つい昨日も折紙といつもの喧嘩をしていたのをこの目で見ているのだ、間違いがない。
「もちろん、それにも例外があるにはある。一つ目が、受肉、すなわちこの世で再び肉体を得た場合。二つ目が、正確には死ぬ前のタイミングで他所の世界に呼び出される場合だ」
「死ぬ前のタイミング? そんなことあるんですか?」
「ある。が、その説明は『正規の英霊』と『守護者』についてから始めなくてはならない。今は関係のないことだから、そこはまた後日説明することにしよう」
そう言われると気になるのが人情なのだが、関係のないことなら諦めるしかない。
「できればそこも話して欲しいんだけど……分かったわ、また今度にしとく。
それで。その二つを外した理由は何?」
「そこで先程の、そもそも封印できるかどうかという話が絡んでくるのだ。
宝具のくだりで話した通り、英霊とその力は切っても切れない関係にある。例え一時的に封じるだけでも、それこそ宝具でも使わん限りは不可能だろう。それは、先程の二つも例外ではない」
「えーと……」
つまり、封印できたことそれ自体が精霊が英霊ではない証拠になっている、と『衛宮士郎』は言っているのだ。
「なら、精霊は英霊じゃないってことでしょ?」
「ああ。そういうことだな。
だが、その在り方はあまりにも英霊に類似しすぎている。これでまるっきり無関係というのは、少々信じられん」
確かに今の話を聞いていて、士道にも十香と当てはまる点がいくつも思いついていた。これで関係ありませんでした、と言われても逆に疑ってしまうだろう。
「……一応、私の方で二つほど可能性を思いついている」
「ほう? それはなんなんだい?」
「一つは、降霊術の要領で英霊の『力のみ』を取り込んだ場合。どれだけの技術的難関があるのかはわからんが、格が違うとはいえ霊であることには変わりがないのだから理屈上は可能だろう。
二つ目が、なんらかの事情で憑依・融合し、自我を飲み込んでしまった場合だ。元々、召喚されるサーヴァントに肉体的に近似している存在がいる場合、それに憑依する形で召喚されることもあると聞いている。それが行き過ぎてしまった場合だな」
一瞬、士道の頭が理解を放棄した。
「どちらにせよ英霊の自我と力の関係が切れている状態だ。それなら条件さえ合えば封印することも可能だろうし、何よりこの世に肉体を持つ。
また、肉体はこの世界の一部、力は世界の外にいる英霊のもの、と中途半端な状態だ。それだけで起きることはないとは思うが……この世界とのくびきであるマスターがいない場合、何度も召喚されては送り返されるという状態になる可能性も充分考えられるだろう」
「ちょ、ちょっと待ってください! じゃあ、まさか十香は、いや精霊って……」
結論を言おう、と呟いて、その英雄は残酷な真実を告げた。
「精霊と呼ばれる存在は、元を正せば人間だったということだ」
世界が止まった音がした。