一歩、また一歩。意識をしながら足を踏む。そして、やっとその角に差し掛かった。
もし居なかったら、という不安が胸をよぎるが、次の瞬間にそれは霧散した。目的の人物が、掃除をしているのが目に入ったからだ。
しかし、ここで足を止めてはここまで来た意味がない。あと50メートル、気を抜かずに行かなくては。
そして、残り10メートル。向こうがこちらに気付き、眉を上げると同時に、声を絞り出す。
「し、シロウさん……たす、け……」
言い切る前に、力尽きてアスファルトに頭から倒れこむ。それはもう、バッターンという音がするほど見事なものだったろう。
「
「だ、大丈夫だ、問題ない……」
「いやそれ死亡フラグだからな!?」
ノリのいい
ああ、なんか母さんみたいに安心するなぁ……。
◇
「で。なぜそうもボロボロなのか、詳細は話せないと」
呆れた目でこちらを見ながら、手元を動かすシロウさん。そして、コトリ、と目の前にティーカップが置かれた。
ありがとうございます、と言ってそれを受け取り、口をつける。相も変わらず、見事な風味が広がった。
「す、すみません……ちょっと……」
まさか、昨日から絶世の美少女と同居してて、彼女のトイレに突撃し、風呂場で全裸同士で鉢合わせ、あまつさえ同衾してその胸を揉みしだいたらボコボコにされた、なんてこと言えるわけがないだろう。カッコ悪いとかなんだとか以前に、男として社会的に死ぬのは間違いがない。……もし学校でバレたら、下手しなくとも嫉妬で物理的にも死ぬことになる。
「ふむ。敵に狙われたとかではないのならば特に気にすることでもないが……本当になんでもないのかね?」
「敵って……俺はただの高校生ですよ。そんなことありえませんって」
「一応、君は
まあ、現段階では聖杯戦争も偶然始まったとしか思えんし、そのことで狙われるということもない、か。
逆に高校生らしい負傷となると……恋愛関係のイザコザでもしたのかね?」
うっ。痛いところを突かれた。
「あははー、ソンナコトアルワケナイジャナイデスカー」
「……なるほど、大体は理解した。その……なんだ、強く生きろよ」
めっちゃ同情された。懐かしいものを見るような目で見られた。
しかも、男は女には敵わないからな、ってしみじみと呟かれると、薄々感づいていた真理が現実味を帯びてくる。英雄を上回る女性って……。
「そ、そういえば!一つ聞いてもいいですか!?」
この空気を断ち切りたい、という思いで声を上げる。ちょうど聞きたいこともあったし。
「ふむ、なんだね?」
「あの……四日前と昨日、その……夢を見まして」
それだけで伝わったのか、ああ、と頷かれた。
「なるほど。それはどのようなものだったのかね?」
「えっと、四日前が酷い大きな火事で、昨日の夜が満月の夜に男の人と正義の味方について話している場面でした。やっぱりアレって……」
「ああ、私の過去で間違いない」
やっぱり、と一人納得する。でもなんで、という疑問が浮かんだが、それについてはシロウさんが説明してくれるようだった。
「マスターとサーヴァントの間には、魔力の供給を行ったり主従関係を決めるたりするための
それだけなら何も問題はないのだが……ときにその精神的な繋がりを伝って、相手の過去を夢という形で見ることがあるのだよ。今回、
「そうなんですか……。じゃあ、あの男の人って」
「私の養父、
「と言っても、覚えていることなど殆どないのだがね」、とシロウさんは苦笑いした。
「え……。お父さんのことを覚えてない、って……」
「そのままの意味だよ。
私はとある事情で記憶の殆どが劣化していてね。よほど印象に残っているものでもない限り、思い出そうとしても細部が浮かばないのだよ」
そう言えば、火事の夢はノイズが酷かった。おそらく本当のお父さんだった人の顔ですら、ノイズで全く見えなかったぐらいに。
「だから、私が爺さんのことで覚えていることは三つだけだ。
あの火事のあと私を引き取った養父で、自分の時間を制御することに長けた魔術使いにして魔術師殺し。そして、正義の味方に憧れていたということだけ。
……ああ、そう言えば私生活がズボラだった気もするな。ここまでの家事の腕を磨いたのも、思えばそれが
「……辛くないんですか?」
少なくとも、自分だったら耐えられないだろう。
例えば、琴里の名前は覚えているのに、何をしたのか、どんな人だったのかを忘れるなんて……考えられないし、考えたくもない。
「……さてね。嘗ては辛いと感じたのかもしれんが、今はそうでもない。
生前、実の両親のことですら
……信じられないか? だが、これが大人だよ。必要なこと以外は次々と忘れていくものだ」
だから、と前置いてシロウさんは俺の頭に手を置いた。そのまま、ぐしゃぐしゃと乱暴に髪を撫でる。
「忘れたくなければ、一生そばにいることだ。そうすれば否が応でも忘れることはないし、もし
そう言うシロウさんの目は、どこか物悲しそうだった。
シロウさんは振り払ってしまったのだろうか。誰かが伸ばしてくれた手を。
「……はい。分かりました」
「よろしい。ほら、そろそろ時間だ。いつまでもここに居ずに行ったほうがいいだろう」
「え?でも……」
そう言われて時計を見る。出来るだけ家にいたくなくて早く出てきたからか、これだけ話してたのにHRが始まるまであと30分といったところだった。まだ時間の余裕はあるような気もするけど……。
「ふ。早く頭を下げてこい。こういう時は男が切り出したほうが上手くいく」
そうだ、十香に謝らないといけないんだった。例え琴里たちの罠だったとしても、俺が十香にしてしまったことは変わらないんだから。
「そうですね。色々とありがとうございました」
「なに、私は君のサーヴァントだからな。何かあったらいつでも言ってくれ」
「はい。……最後に、一つだけいいですか?」
「なんだね?」
「さっき、いつまでも一緒にいればいい、って言ってましたけど、もちろんシロウさんも居てくれるんですよね?」
ふと、想像してしまったのだ。十香がいて、琴里がいて。令音さんや鳶一や、まだ会ったこともない精霊もいて。でも、そんな中で何故か、シロウさんだけはいない光景を。
そして、その考えが現実になるかのように、シロウさんは眉根を寄せる。
「残念だが、それはないだろうな」
「ど、どうしてですか!?」
「私はルーラーのサーヴァントだ。聖杯戦争が終わる、もしくは聖杯戦争の根底を脅かす異常事態が解消された時には、役目を終えて退場するしかない。ルーラーは聖杯を使う権利もないから、受肉を果たすことはないしな。
そして、
それに、私は既に死んでいる存在だ。必要以上に長く居着いて、今を生きているこの世界に存在し続けるのはよくないだろう」
「……そんな……」
思わず呆然としてしまう。
人生で初めてだったのだ。相談できる大人の男性というのは。
今の五河家の両親は仕事が忙しく、子供の時からよく家を空けていて何か相談したという記憶はほとんどない。それに、今まで自分を受け持ってきた担任も、女性かもうすぐ定年の人ばかりだった。
だから、比較的年の近い、兄貴みたいな存在はシロウさんが初めてだった。だからこそ、いつかいなくなってしまうというのは想像したくない。
「なに。別に今すぐというわけでもない。万が一、今その原因がなくなったとしても、単独行動スキルがあるのだから別れの時間ぐらいは持てるだろう。そこで笑って見送ってでもくれれば、私としては言うことはないな」
あとのことはあとで考えればいい、とシロウさんは言いながら、俺に早く行くよう促す。
まだ飲み込めてない部分も大きいけど、シロウさんの言う通りだ。今まずするべきなのは十香に頭を下げること。
「分かりました。その時は盛大にやりましょう!」
お辞儀をして、急いで目の前の学校に向かう。少しでも早く十香に謝らないと!
後ろの方でシロウさんが苦笑した気がしたけど、真実を知るのは当人だけだ。
その後、教室で会った十香に頭を下げて仲直りすることはできたのけど、それで同居していることがバレかけて皆の嫉妬の視線に蜂の巣にされたのは、また別の話。
◇
「……。っし! いくわよ!」
AST隊長
「いらっしゃいませ。お一人様でしょうか?」
「……ええ」
「では、こちらのカウンター席にどうぞ」
……そう。連日隊員を篭絡してくる
「こちらがメニューになります」
「ありがとう。オススメは何かあるかしら?」
「そうですね……今日は良い
おかしい。ここは定食屋ではなく喫茶店ではなかったのか?
そんな疑問も過ぎりはしたが、オススメと言われたら頼んでみたくなるのが人情だ。特に迷わずそれを選ぶ。
「……じゃあ、それで」
「かしこまりました。少々お待ちください」
完璧な礼をして調理に戻るマスターを、そうと分からないように観察する。
その調理の腕には確かに目を見張るものがあるが、やはりそれ以上に『パラディン』に見えるのが違和感を誘う。
特に、夢に出てくるまで読み込んだ
「……あ」
そんな思考から引き戻したのは、ふわりと漂ってきた、魚の焼ける香ばしい匂いだった。
それにつられてマスターの手元に視線を落とすと、30センチほどの魚が、コンロにかけられた網の上で丁寧に焼かれている。アレがシロギス、だろうか。
一度気になりだすと、もうそこしか見えなくなってくる。
脂が滴り落ち、それが火にあたってパチッと音を鳴らす。たまに少しずつ位置を変えられていたそれがひっくり返されると、見事についた焼け目が空腹を誘う。ぐぅ、と腹が鳴ったが、それを恥ずかしいと思うだけの意識は、もう無かった。
「お待たせいたしました。焼き魚定食になります」
そして、ついにコトリと置かれたそれに、ゴクリと生唾を飲む。
何か特別なものが付いているわけではない。白米と漬物、味噌汁、そして、メインのシロギスだけだ。
だが、そこらの定食屋の物とは何かが違う。まるでそのバランスが黄金比であるかのように、見た目から美味さを主張してきている。これが美味しくないわけがない。
「い、いただきます……」
そうしなければいけないと感じ、手を合わせて目を閉じる。マスターがこちらを見て、にこりと笑った気もするが、そんな些細なことを気にしている余裕はない。
まずは箸を握り、それを中心に鎮座する魚へと向ける。
パリ、と皮に触れただけで程よく焼けたことがわかる音が鳴り、そのまま身を解そうと少し力を加えただけで、ストンと抵抗なく皿にあたった。
「え?……!??」
違和感を感じもう一度同じことをしてみると、先程と同じように、途中何かに当たることなく皿へとあたる。つまり、この焼き魚には骨がないのだ。
よくよく見てみると、普通腹だけにある切り込みが、頭の付け根から尾っぽまで入っている。見た目を損なわずに骨だけ抜き取るとは……細かい気配りに感動する。
「あっ」
そして、この至近距離で香る、脂ののった魚の匂いには、気を抜くと涎が垂れそうになってしまう。絶妙な焼き加減であることは、もう間違いがない。
もう辛抱たまらず、一掴み分だけ身をほぐしてさっと醤油を垂らす。そして、それを口に運ぶために掴んだ時、至福の時間を終わらせる鐘がなった。
ウウウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ————
瞬間、
「…………もうっ!
皆さん!私は自衛隊のものです!これは訓練ではありません!すぐに近くのシェルター……来禅高校まで避難してください!」
何もこんな時に、という気持ちが心を占めるが、それでも今自分がしなくてはいけないことは理解していた。
まずは住民の避難指導をしつつ、基地に情報を確認する。
戻って準備をしているだけの時間はないだろうから、すぐそこにいるはずの折紙と合流して緊急展開するしかないだろう。負担はキツイが、それを言っていたらきりがない。
「……だ、そうです。お客様、避難シェルターは目の前です。慌てず、騒がず、冷静に移動しましょう」
一瞬、状況を把握できないような表情をしていたマスターだったが、すぐに立ち直ったのか落ち着いた声で客を促す。その姿は、混乱していた様子など微塵を感じなかった。
……いや、混乱は初めからしていなかったのか、と
そんなことを頭の片隅で考えながら出口に誘導していると、隣にマスターが立って話しかけてきた。
「避難誘導、手伝おう」
「それはありがたいですが……」
「なに。これでも戦争の真っ只中を歩き回ってきたのでね。この程度の混乱なら、まだ可愛い方だ」
言外に、大丈夫なのか、と込めた意味を正確に受け取り、自信を持って返答してきた。
今この状況においては精霊の疑いがあることなど関係ないか、と思考し、「ありがとうございます」と頭を下げて誘導に戻った。
◇
「B-2地区、これで全員のはずです!」
「わかりました。これでこのシェルターの担当は出揃いましたか?」
「はい!」
やはり普段から苦情が出るほどやっている訓練が功を奏したのか、特に大きな混乱もなく避難が終了した。
ここら一帯で一番大きなシェルターということもあってか少々時間もかかったが、なんとか空間震までには全員の避難が終わったようだ。
「では、私はこれから周辺で逃げ遅れた人がいないかの確認と、空間震の二時被害防止のため任務に戻ります。皆さんも速やかにシェルターの中に入ってください」
「……手伝えることはないかね?」
ここの教師や周辺の消防団員が「はい!」と言ってシェルターに入る中、衛宮士郎だけがこちらに協力を申し出てきた。
正直、この人物の冷静さや経験を考えると、逃げ遅れた人の避難などは自分たちよりも上手くできるだろう。しかし、一応精霊の疑いがある人物を空間震の中放っておくわけにもいかないし、何より…………
「いいえ、大丈夫。それに、マスターも今はいち市民なんだから早くシェルターに入って?」
「ふむ。こういう時に動かないのは性に合わないのだがね……仕方がない。ではお言葉に甘えて避難させてもらおう。そちらも頑張ってくれ」
「わかってるわよ」
衛宮士郎がこちらに背を向けてシェルターに入り、その扉がしまったのを確認して、
——その時、男の口元に笑みが浮かんだのを、
——そして、五分後。男の姿が地下シェルターからいつの間にか消えているのを、誰も気付くことはなかった。
ちなみにロリコンではありません。好きなデアラキャラは四糸乃と妹'sと七罪だけど。