霊使い達の宿題   作:土斑猫

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水の場合

 

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                    ―1―

 

 

 この世には、(えにし)と言うものがある。

 天地の巡りに。

 生命の繰輪(くるわ)に。

 そして、人の辿る運命に。

 離れる事なく。

 分かつ事なく。

 それは絡まり続ける。

 いつまでも。

 何処までも。

 延々と。

 延々と。

 絡み続ける。

 拒むも。

 受け入れるも。

 それは自由。

 けれど、その選択に意味はない。

 何故なら。

 その意思など関係なく。

 その嘆きなど意にも介さず。

 永々と。

 遠々と。

 それは。

 絡まり続けるのだから。

 逃げても無駄。

 泣いても無駄。

 だから。

 だから。

 向き合うしかないのだ。

 只。

 只。

 真っ直ぐに。

 例え終わりが。

 見えなくとも―

 

 

 ガタン・・・ゴトン・・・

 冷たく住んだ空気の中に、重苦しい音が響き渡る。

 音の主は大きな大八車を引く鎧の男、物資調達員。

 重い荷台を引きながら、物資調達員は酷くゲンナリとしていた。

 まったく、今回の旅はついてない。

 せめてもの気晴らしにと横を見ると、そこには広く美しい水面が広がっている。

 ウォーターワールドと呼ばれる塩水湖で、その美しさから世界有数の絶景として広く知られている。

 しかし、それにも関わらずこの地を訪れる者は酷く少ない。

 理由は簡単。

 危険だからである。

 長年の間、この地ではある争乱が続いていた。

 それは、終わりの見えない争い。

 その果てに、何を生み出す事もない戦い。

 けれど、決して終わらせてはならない(いくさ)

 ただただ、命と資源を消費し続けるだけの場。

 そんな所に、好き好んで訪れる者などいる筈もない。

 いるとすれば、彼の様な戦場を生業の場とする者。

 あるいは、よほどの物好きに限られる。

 そして、今日に限って彼の荷台にはその物好きが乗っていた。

 溜息をつきながら、後方から聞こえてくる“それ”に耳を澄ます。

 「あ~もう嫌、この潮風!!髪がベトベトじゃない!!どうしてくれんのよ!!」

 「それにガタゴト揺れ過ぎ!!何なの、この道?あたしの事、酔わせたい訳!?」

 「大体寒いし!!この季節に何でこんなに寒いの!?風邪ひいたらどうしてくれんのよ!!」

 荷台の音に混じって飛んでくる、不平不満の機銃掃射。

 チラッと後ろを見ると、長い水色の髪にローブを纏った少女が喚きながら足をバタバタさせている。

 (・・・見た目はいいんだがなぁ・・・。)

 些かゲンナリしながら、彼女との出会いを思い出す。

 彼女を見つけたのは、ここより少し手前にある山の中。

 彼女はブツブツ言いながら、トコトコ山道を歩いていた。

 こんな所で行き会ったのも何かの縁。旅は道連れと拾ったのが運の尽き。

 乗った端から、この調子である。

 とにかく五月蝿い。

 そして我儘。

 恐らく、かなりの大人物か馬鹿のどちらかでない限り、百人が百人、辟易するであろう。

 よっぽど途中で放り出そうと思ったが、それをしなかった理由はただ一つ。

 『すいません・・・。いつもこんな調子で・・・。本人に悪気はないんですけど・・・』

 そう声をかけてきたのは、件の少女の付き添いらしき緑色のモンスター。

 『ガガギゴ』というモンスターの幼体で、世間では『ギゴバイト』と呼ばれている。

 その彼(?)がこうしてちょくちょくフォローを入れてくるため、捨てるに捨てられないのである。

 まぁ、悪気がないというのも本当なのだろう。

 実際、吐き出される罵詈雑言は風や寒さ等、周りの環境に関するものばかり。

 調達員自身に向けられたものは一つもない。

 「・・・お前さんも、苦労してるみたいだなぁ・・・。」

 『ええ・・・まぁ・・・。』

 彼がそう呟いた途端、

 「ギゴ!!なんか言った!?」

 そんな声が飛んでくる。

 『い、いやいや!!何も言ってないですよ!?エリア!!』

 慌てて弁解するギゴバイトを、エリアと呼ばれた少女はジロリと睨む。

 その視線に怯える様に、口から「プシ~~」と溜息を漏らすギゴバイト。

 そんな彼らの様子に、苦笑いするばかりの調達員だった。

 

 

 カラコロ カラコロ

 ゴトン ゴトン

 車輪が回り、荷物が揺れる。

 言う事もなくなったのだろう。

 いつしか、エリアの愚痴も止んでいる。

 淡々と流れては、寒空の中に消えていく無機質な音のBGM。 

 そうして、どれほど進んだだろうか。

 ピタリ。

 不意に、そのBGMが止んだ。

 進まなくなった大八車。

 荷台のエリアが、怪訝そうな視線を向ける。

 「・・・何で止まるのよ?」

 「ここまでだ。」

 少女の問いに、調達員は懐からパイプを取り出しながら言う。

 「何が?」

 もう一度の、問い。

 その響きに、既知の気配を聞き取りながら、あえて彼は続ける。

 「お前さんを乗せるのはここまでだ。降りてくれ。」

 「”氷結界”まで乗せていってくれるって約束じゃない?」

 不満そうな声。

 けれど、取り合わない。

 「ここは、もう”氷結界”だぜ。もっとも、端の端だけどな。」

 用意していた言葉を並べながら、パイプに葉を詰める。

 「気温もここならそこそこだし、景観もいい。少ないが、宿屋もある。観光なら、この辺りで十分だろ?」

 「観光?」

 エリアの声に、険がこもる。

 「そんなもの目当てに、こんなトコまで来た訳じゃないわ!!」

 投げつけられる言葉。

 少なからずの憤慨と、少しの抗議が混じっている。

 気にもとめない。

 「じゃあ、何しに来たんだ?」

 「・・・・・・。」

 返って来たのは、しばしの間。

 言葉に詰まったのではない。

 言葉を探しているのだと、直感する。

 「・・・あたしは、魔法専門学校の生徒。ここには・・・」

 「研究のために来ましたってのは、なしだぜ。」

 「!」

 用意していた答えを、先取りされたのだろう。

 今度こそ、答えに詰まったのだと分かる。

 「前にも、何人かいたんだよ・・・。」

 研究員。

 導師。

 戦士。

 魔法使い。

 様々な肩書きを持つ者が、それぞれの目的を持ってかの地へと踏み入って行った。

 しかし、そのほとんどは・・・。

 「・・・知ってんだろ?」

 答えの知れた問いを、調達員は問う。

 「知らない訳、ねえよな。この先には・・・」

 そう。

 ここからもう半日ほど行った場所。

 ”氷結界”の中心地。

 そこは、今・・・。

 「・・・知ってるわ。」

 低い声が答える。

 「ちゃんと、知ってるわよ・・・。」

 呟く様に、エリアは言った。

 「・・・・・・。」

 調達員は何も答えず、くわえていたパイプに火を入れた。

 

 

 ・・・ここは、世界の北の果て。

 名を、『氷結界』。

 ただし、『氷結界』とは地名ではない。

 曰く、この地には(いにしえ)から三頭の“氷龍”が住まっていたと言う。

 三頭は非常に凶暴かつ強力であり、一度荒ぶればかの地のみならず他の地にまでその災禍を及ばせた。

 そのもはや天災とさえ言える存在に、当時の人々は成す術なく怯えるのみだった。

 しかし、そんな龍達の暴虐にも終わりが来る。

 ある時、一人の旅の伝道師がこの地を訪れた。

 人々の嘆きを憂えた彼は、単身かの氷龍達へと立ち向かった。

 七日七夜に及ぶ戦いの末、伝道師の命をかけた秘術によって氷の三龍は封印された。

 その後、伝道師はこの地に居を構え、自分の血を継いだ者達に封印を守るよう伝えた。

 時は流れる。

 その懐に三頭の氷龍を眠らせた結界はいつしか『氷結界』の名を得、それを守る者達は『氷結界の一族』と呼ばれる様になった。

 それが、この地に伝わる歴史。

 そう。言い伝えではなく、歴史である。

 『氷結界』の存在も、そしてそれを守る一族の血が今に受け継がれている事も、明確に確認されている。

 そして、それを証明する事案がもう一つ。

 ・・・かの龍達は、もはや眠ってはいなかった。

 

 

 「知ってる・・・ね。」

 そう言って、調達員は火を消したマッチを放る。

 大八車は止まったまま。

 少女も、ギゴバイトも何も言わない。

 ただ、動かない荷台の上で彼を見つめる。

 そんな彼女達を一瞥すると、調達員はパイプを一息吸う。

 苦い煙を胸にため、そして吐き出す。

 白い煙が一条フワリと登り、青い空に溶けて消えた。

 「耳、すましてみな。」

 ポツリと言う。

 エリア達は、言われるままに耳を澄ます。

 冷たく静寂に満たされた空気。

 と―

 クゥオオオオオオオオオオン・・・

 大気を震わせる様に、彼方からそれは聞こえた。

 その瞬間、例えようもない怖気がエリア達の内にこみ上げる。

 まるで、魂を鷲掴みにされる様な。

 精神を、その根底から凍てつかせられる様な。

 そんな、感覚。

 「『・・・!!・・・』」

 しばしの間。

 やがて、エリアがハアッと息を吐く。

 それに従う様に、ギゴバイトも息をつく。

 その呼吸がハアハアと荒くなっているのを聞きながら、調達員はまたプカリと煙を吐く。

 「聞いたかい?」

 問いかける。

 返事は、ない。

 構わずに続ける。

 「今のが、”トリシューラの咆哮”ってヤツさ。戦場までまだ大分あって、戦士団の時の声も聞こえねぇってのに。”アイツ”の声だけは、こんな所まで響いてきやがる。」

 忌々しそうにそう言い捨てると、調達員はポンと灰を落とした。

 「”アイツら”のせいで、ここらの住民はほとんど逃げ出しちまった。残ってるのは、そんな財力のない貧しい連中ばかりさ。」

 クゥオオオオオオン・・・

 あの咆哮が、また聞こえた。

 彼は、虚しげに空を見上げる。

 「その連中も、日々恐々としてるよ。いつ防衛線が破られて、”アイツら”が自由を得ちまうかってな・・・。」

 調達員の言葉を聞きながら、エリア達はまだ見えない”その地”を見つめた。

 

 

 事の起こりは、数十年ほど前になる。

 現代まで血脈をつないできた氷結界の一族は、かの龍達の封印を守りながら厳格でありつつも平穏な時を過ごしていた。

 外界もそんな彼らの存在の必要性を認識し、いかなる国もこの地に手を出す事はなかった。

 しかし―

 異変は、突然に起こった。

 始まりは、ある日天から下った一つの流星。

 大気を破り、地へと突き刺さったそれからは、得体の知れない生命体が這い出した。 後に『ワーム』と呼称されるその生物は、『ワーム・コール』と呼ばれる現象を起こし、瞬く間に大量の仲間を召喚。猛烈な侵略活動を始めた。

 突然の暴虐に、人々は成す術も蹂躙された。

 この地を統べ、正義と平和を尊ぶ氷結界の一族がそれを良しとする筈もない。

 隠遁としていた彼らは、其が地と人々を守るために立ち上がった。

 かくして、この世界の片隅で世界の全てを震撼させる大戦は始まった。

 戦いは瞬く間に拡大し、隣接する地域をも巻き込む大混戦と化した。

 そしてその混乱の中、世の淀みに潜む混沌が扉を開ける。

 この世界とは別の位相にある世界。

 その扉を開け、這い出した者達がいた。

 名を、『魔轟神』。

 異界の悪神たる彼らは、貪欲だった。

 己が征服欲の赴くまま、この地を喰らい尽くさんと戦への介入を始めた。

 それにより、戦乱はさらに拡大。

 幾多の部族が滅び、地は不毛と化していった。

 終わりの見えない戦いの日々。

 満ちる悪意と恐怖。そして焦燥は、ゆっくりと人々の心を毒していった。

 あの、氷結界の一族の心でさえも。

 やがて、彼らの中である考えを持つ者達が出始める。

 それはかの三龍の封印を解き、戦における戦力にしようと言う、あまりにも危うい考え。

 その考えを支持する者と、諌める者。

 一族の意見は二つに割れ、一枚岩だった筈の彼らの中に軋轢を生んだ。

 両者の間に生じる、引きつる様な均衡。

 しかし、それは唐突に終わりを迎えた。

 攻勢を強めるワームや魔轟神の暴挙に耐えかねた者達が、反対派の制止を振り切って三龍が一柱、『ブリューナク』の封印を解いたのだ。

 その力は凄まじく、領地半ばまで侵攻を進めていたワームの一軍を一昼夜で壊滅させた。

 そして、その戦果が支持派達を勢いづかせた。

 大義を得た彼らは、続いて第二の龍、『グングニール』を解き放った。

 二頭の猛勢によって、彼らはついにワームを駆逐する事に成功する。

 残る災源は魔轟神。

 伝説の氷龍達の驚異をしかし、戦乱と混沌を愛する彼らは嬉々として受け入れた。

 下僕である魔轟神獣を駆り、最後の攻勢へと打って出る魔轟神。

 その猛攻に、氷結界の民達は最後の禁忌に手をかけた。

 最古にして最凶の龍。『トリシューラ』。

 永代の束縛から解放された凶龍は、狂喜の雄叫びと共に魔轟神達へと襲いかかった。

 激闘の果て、ついに魔轟神の王は吹き荒ぶ氷嵐の中に砕け散った。

 かくて、忌まわしき大乱は終わりを告げる。

 告げる筈、だった。

 

 

 「・・・でも、本当の災いはそれからだった・・・。」

 「ああ。その通りだよ。」

 呟く様なエリアの言葉に、調達員は億劫そうに頷く。

 「氷結界の連中は、解放した龍どもを制御出来なかった。もともと戦で疲弊してた奴らに、あんな化け物達を止めるなんて土台無理な話だったんだよ。結局、あの土地はそのまま暴走する龍どもの箱庭になっちまった。ワームや魔轟神の連中に好き勝手させてた方が、なんぼかマシだったかもな。」

 くっくっと笑う調達員。その口調には、皮肉の色が濃い。

 「それ以来よね。周辺の国々が連盟を組んだのは。選りすぐりの精鋭で討伐隊を組んで、あの龍達が外界に出るのを防ぎ続けてる。」

 「詳しいな。」

 「伊達や酔狂でこんな所まで来た訳じゃ、ないわ。」

 揶揄する様な調達員の言葉に、エリアは淡々と答える。

 その調子に、先刻までの我儘娘の面影はない。

 「・・・・・・。」

 それを見た調達員の顔からも、からかいの色が消える。

 「・・・じゃあ、これは知ってるかい?龍達の暴走の後、氷結界の連中は・・・」

 「二つに分かれたんでしょう。」

 「・・・・・・。」

 「追放されたって言った方が、正しいかしら。龍達の解放を支持した一派が切り離されて、放逐された。彼らはその後さらに分断して、それぞれ行き着いた場所で隠れる様に暮らしてる。そして、この地に残った反対派達は討伐隊に協力して今も戦っている。」

 「・・・・・・。」

 「笑える話よね。そんな事で、けじめになるとでも思ったのかしら。あの龍達が残した災禍の傷は、どうやったって消えやしないのに。」

 流れる様に話すエリア。

 その声に、何処か自嘲の様な響きが混じるのは気のせいか。

 「・・・お前さん・・・」

 調達員は尋ねる。

 「何でそんな事まで知ってんだ・・・?」

 「調べたのよ。」

 かけられた問いを鼻で笑って、エリアはサラリと答える。

 「言ったでしょ。伊達や酔狂でこんな所まで来た訳じゃないって。」

 「・・・・・・。」

 エリアを見つめる調達員。

 その視線を、黙って受け止めるエリア。

 沈黙が流れる。

 しばしの間。

 やがて、調達員はパイプをしまうと引き棒を手に取った。

 「時間を食ったな。行くか。」

 「あら?あたし達の事、置いてくんじゃなかったの?」

 「さてな?何の事だ?」

 素知らぬ顔でそう言うと、調達員はエリア達を乗せたままガラゴロと車を引き始める。

 『・・・何か、察してくれたみたいだね。』

 ギゴバイトが、声を潜めて言う。

 「女の気持ちを汲むなんて、なかなか良い男じゃない。見た目はともかくね。」

 『またそんな憎まれ口きいて。ホントに降ろされちゃうよ?』

 荷台で寝っ転がる少女をたしなめるギゴバイト。

 しかし、ふと声の調子を落とすと、さらに囁く様な調子で問いかける。

 『エリア、本当にいいの・・・?』

 「何が?」

 『だって、ここはキミの・・・んぎゅ!?』

 伸びてきた手が、ギゴバイトの口を握って閉じる。

 「あんたは余計な事、考えなくていいわ。」

 『れ・・・れも・・・』

 「下僕は、黙ってついてくればいいのよ。」

 『・・・・・・。』

 自分に向けられる青い瞳。

 そこに込められた意思を読み、ギゴバイトは言葉を呑んだ。

 

 

 それからしばらく、先刻と同じ単調な行路が続いた。

 どこまでも続くその道は、まるで彼らがかの地へ辿り着く事を憂え、拒んでいるかの様に思えた。

 それでも、その旅は程なく終わりを迎える。

 湖と草原に囲まれた風景が終わりを告げ、キラキラと光る氷柱が幾つも生えた岩場へと変わっていく。

 涼しかった気温はさらに下がり、息が白く染まり始める。

 空気が凍てつき、白い靄が立ち込める。

 いつしかそこは、氷と白霧の支配する世界へと変わっていた。

 『氷結界』の深域へと入ったのである。

 大八車はそのまま進み、とある山の麓にある洞窟へと入っていく。

 氷柱と鍾乳石の垂れ下がる空間に、車輪の転がる音がクワンクワンと反響する。

 やがて、車は洞窟の中ほどで進むのを止めた。

 調達員は「寒い~」と喚き散らす彼女を無視して、首に下げた笛を吹く。

 ピィ~~~~~~

 甲高い音が氷柱に反響し、辺りに響き渡る。

 やがて、それに答える様にパタパタと足音が近づいてきた。

 現れたのは東洋風の衣装に身を包み、髪をツインテールに結った一人の少女。

 「ああ、物資の補給ですね。ご苦労様です。」

 彼女はそう言うと、礼儀正しく頭を下げた。

 「お~う。風水師の姉ちゃん、生きてたかぁ?」

 「はい。お蔭様で。これ、今回のご報酬です。」

 そう言って、少女は金貨の詰まった袋を調達員に渡す。

 調達員はチャリチャリと音をさせて袋の重さを確かめると、「毎度」と言ってそれを懐に入れた。

 「いつもすいません。こんな危険地帯にまで足を運んでいただいて・・・。」

 「なぁに。こちとら商売でやってんだ。そう感謝されるこっちゃねぇよ。それよか・・・」

 そう言って、調達員は親指を立てては後ろを指す。

 「引き取ってもらいたい“もん”があるんだけどよ。」

 「ちょっと、“もん”とは何よ!?“もん”とは!!」

 間髪入れず飛んできたその声に首を竦めながら、調達員は少女に“彼女”を見せる。

 訝しげに細まる、少女の目。

 「・・・どちら様ですか?」

 「ちょいとそこらで拾ってきたんだけどよ。どうも氷結界(あんたら)に用があるらしいのよ。そら、あんたもこっち来て挨拶しな。」

 そう言われた本人は「人を猫の子みたいに言うな」とかブツブツ言いながら、それでも素直に荷台から降りる。そして、ローブの端を摘んで優雅にお辞儀。

 「エリア。水霊使いよ、よろしく。」

 すると、後をついて荷台から降りてきたギゴバイトもそれに倣ってお辞儀をする。

 『ギゴバイトの『ギゴ』です。どうぞよしなに。』

 そんな彼女達に向かって、少女もお辞儀をし返す。

 「・・・『氷結界の風水師』です。」

 そう名乗って、頭を起こす。

 氷結界。

 その言葉に、エリアがピクリと身を震わせるが気づく者はいない。

 「何よそれ。名前じゃないじゃない。ちゃんと名乗りなさいよ。ちゃんと。」

 「名とは魂と同義です。何処の誰とも知れない者に、容易く教える訳にはいけません。」

 凛とした声で突っぱねる。

 エリアの顔が、微かに強張る。

 少し、癇に触ったらしい。 

 「・・・で、エリアさんは氷結界(こちら)にはどの様な用向きで?」

 しかし、そんな彼女に構うことなく、風水師は問うてくる。

 その目には、エリア達を探る色がありありと浮かんでいる。

 「・・・別に。ちょっと、学校の宿題で“ドラゴン”の観察にね。」

 用意していた様な答えを返すエリア。

 しかし、それが風水師の警戒感を呼び起こした。

 「観察?”あれ”をですか?」

 ハハッと笑い声を漏らす風水師。

 「”あれ”をそこらの雑魚竜と勘違いしていませんか?ドラゴン・ウォッチングなら、他の場所をお勧めしますよ。」

 ピクリ

 あからさまな嘲りの混じった声音に、エリアの眉根が動く。

 「どういたしまして。けど、生憎こっちには縁があってね。並のドラゴンなんて見慣れてんのよ。余計な心配してないで、さっさと案内してくれない?」

 これでもかと言うくらい、居丈高な調子で迫る。

 ムカッ

 今度は、風水師の頬がヒクリと揺れる。

 「・・・困るんですよ。ただでさえ持て余してるのに、餌をくれてやって余計な滋養をつけさせる様な真似をされては。」

 声に混じる不愉快さを隠す事なく、言い放つ。

 「あら、餌って何の事かしら?」

 「私の目の前にいるものです。」

 平然と言い放つ。

 しかし、間を置く事なくエリアが返す。

 「あ~。そうかもね~。あたし、肉付き(スタイル)良いし、美味しくいただかれちゃうかも~。」

 そして、ほら見ろと言わんばかりにシャナリとポーズを取る。

 長い髪がしなやかな曲線の上を滑り、シャラリと軽やかな音で鳴いた。

 「氷龍(あいつら)、いつもあんたみたいな貧相なのばっか食べてんでしょう?」

 言いながら、ポンポンと風水師の胸を叩く。

 「トリガラばっかじゃ、フラストレーションも貯まるわよね~。」

 「んな・・・!!」

 思わず胸を押さえて飛びずさる風水師。

 プルプルと震える顔は真っ赤に染まり、その目には涙まで浮いている。

 「あらぁ~?ひょっとして気にしてた~?ごめんねぇ。あたし正直だからぁ~。」

 勝ち誇った様にカラカラと笑うエリア。

 風水師の顔が、今度は別な意味で赤くなる。

 「無礼な!!」

 ジャッ

 その手が素早く腰に回り、何かを引き抜く。

 そこに握られていたのは、数本の小さな刃物。

 形状から察するに、相手に投げつけて殺傷するものだろう。

 極東の辺りで使われる、苦無という武器に近いかもしれない。

 「あら。やる気?」

 驚きもせず、杖を構えるエリア。

 それに向かって、風水師が苦無を振りかぶる。

 「己の言動、あの世で後悔しなさい!!」

 「どっちが!!」

 『ちょ、ちょっと!!エリア!!』

 ギゴバイトが慌てて制止するが、二人の耳には届かない。

 エリアの杖が水流を纏い、風水師の苦無が放たれようとしたその時―

 ポーン

 何かが、二人の間に放り込まれた。

 途端―

 ボゥン

 丸い玉の様なものが弾け、そこから大量の煙が吹き出した。 

 「わぷっ!?」

 「な、何よ!!これ!?」

 目にしみる煙。二人はたまらずむせこむ。

 『『盗人の煙玉』・・・。』

 ポカンとしながら呟くギゴバイト。 

 「あ~あ、大切な護身用(虎の子)を使っちまったぜ。」

 後方から響く、そんな声。

 荷台に背もたれた調達員が、呆れ顔でこちらを見ていた。

 その顔に焦りの色はなく、呑気にパイプなど燻らせている。

 「な、何するんですか!?」

 「ちょっと、おっさん!!これキツイって!!」

 「ちったぁ、頭冷えたかぁ?」

 涙目で咳き込む少女二人に向かって、調達員はのんびりした調子で言う。

 「風水師の姉ちゃんよぉ。こんな場にいて気が立つのは分かるが、もう少し鷹揚に行きな。短気は戦場(ここ)じゃ命取りになんぜ。上方のじいさん達にも、言われてんだろ?」

 「う・・・。」

 言葉に詰まる風水師。

 「あんたもあんただぜ、嬢ちゃん。」

 自分に振られた言葉に、ジト目で返すエリア。

 「何か知らねぇが、意味のねぇ喧嘩腰は止めな。ここは氷結界(そいつら)の地なんだ。それに噛み付いてたら、とてもじゃねえがやっていけねえぞ。」

 「・・・・・・。」

 「それでも文句があるってんなら、荷台に縛り付けて持って帰るけどな。」

 不満げに黙りこくるエリア。

 しかし、やがて涙に濡れた目をグイッと拭うと、目の前の風水師に頭を下げた。

 「・・・悪かったわ。ごめん。」

 そんな彼女に対して、風水師は憮然とした顔を崩さない。

 「そんな顔しなさんな。些か性格に難はあるが、そう悪ぃ連中じゃあねえよ。」

 調達員が、プカリプカリと煙を吐きながら助け舟を入れる。

 「どうだい?俺の顔を立てて、預かってやってくんねぇか?」

 しばしの間。

 そして、風水師がボソリと呟いた。

 「・・・身の安全は、保証出来ませんよ。」

 「そいつぁ、重々承知の上みたいだぜ。」

 頷くエリア達を見て、調達員はニカリと笑った。

 

 

 「じゃ、せいぜい仲良くやれよ。」

 持って来た物資を下ろし、軽くなった荷台を担ぎながら調達員は少女達に言う。

 「・・・ご希望に添えるかは、難しい所ですが。」

 「まぁ、せいぜい殺し合いにはならない様にするわ。」

 一定の距離を保って立った二人が、口々にそんな台詞を口にする。

 調達員は苦笑しながら、傍らに立つギゴバイトに囁く。

 「・・・まぁ、大変だろうが、頑張れや。」

 『はい・・・。』

 多少ならずの疲労が浮かぶ顔で、弱々しく頷くギゴバイトなのだった。

 「じゃあな。」

 そう言って、調達員は洞窟の出口に向かう。

 「お気を付けて。」

 『色々と、ありがとうございました。』

 「死なないようにね。」

 「おーぅ。お前らもせいぜい気をつけな。」

 皆の声にそう答えながら、彼は氷結界を後にする。

 湖のほとりを、カラコロと進む空の大八車。行きが賑やかだった分、静けさが妙に身にしみる。

 調達員は、ふと後ろを振り返った。

 「何企んでるか知らねぇが、無茶するんじゃねえぞ。嬢ちゃん・・・。」

 誰ともなくそう呟くと、またカラコロと歩を進め出す。

 クォオオオオオオオオン・・・

 その後を追う様に、またトリシューラの咆哮が響き渡る。

 けれど、もう振り返る事はない。

 程なく、その姿は地平線の果てへと消えていった。

 

 

              ―2―

 

 

 「・・・・・・。」

 「・・・・・・。」

 調達員が去った後。

 氷の洞窟に残された、少女二人。

 二人共、互いに目を逸らしたまま一言も口をきかない。

 辺りに漂う、気まずい沈黙。

 ただでさえ冷たい空気が、なおさら冷える。

 『・・・あ、あのさ・・・。そろそろ何かしら動かない?何ていうかその、ただ突っ立ってるとボク、寒くて冬眠しそうなんだけど・・・。』

 沈黙に耐えかねたギゴバイトが、おずおずと口を開く。

 途端―

 ギロリ

 猛禽の様な視線が二人分、彼に向けられる。

 『ヒィイイ!!』

 思わずすくみ上がる、ギゴバイト。

 しかし、エリアはすぐにその視線を外すと言った。

 「そうね。こんな所でジッとしてても、寒さでお肌が痛むだけだわ。」

 そして、クルリと隣で突っ立っている風水師に向き直る。

 「さ、案内してちょうだい。」

 涼やかな声が、冷ややかに言い放つ。

 「氷結界(貴女達)の、“罪”のもとへ。」

 ヒュンッ

 瞬間、彼女の喉元に突きつけられる苦無の切っ先。

 『エリア!!』

 思わず悲鳴を上げるギゴバイト。

 その目に剣呑な光を宿した風水師が、低い声で言う。

 「口に気をつけてください・・・。」

 氷の様に輝く刃が、ツツ・・・白い肌を滑る。

 「今度氷結界(我ら)を侮蔑する様な言を吐けば、その首かき切ります。」

 満ちる殺気を、隠しもしない。

 けれど、エリアは腰に手を当てたまま身動ぎもしない。

 ただその目を細め、風水師を見下すだけ。

 「はいはい。分かったからさっさと動きましょ。ギゴじゃないけど、このままじゃ本当に冬眠ものだわ。」

 あくまで平然とした態度。

 いくら威嚇しても、糠に釘と悟ったのだろう。 

 風水師は忌々しげに刃を引くと、クルリと踵を返した。

 「来なさい。」

 そのままカツカツと、洞窟の奥へと歩を進め始める。

 「先にも言いましたが、身の保証はしませんよ。こちらにも、そんな余裕はありませんから。」

 「耳タコね。聞き飽きた。」

 そっけなく返して、エリアも歩き出す。

 『ま、待ってよぉ!!』

 慌てて後を追うギゴバイト。

 カツカツと響く足音を残し、三人の姿は洞窟の奥へと消えていった。

 

 

 ズズゥ・・・ン

 狭い空間の中に、鈍い音が響き渡る。

 オオオオオオオオッ

 それに被さる様に聞こえる、大勢の人の声。

 『・・・あれは、戦士団?』

 「みたいね。」

 不安げに辺りを見回すギゴバイトに、エリアは素っ気ない態度で返す。

 「近隣諸国の連合軍です。かの龍達を封じるため、我らの大義のために助力してくださっているのです。」

 そう言う風水師に、エリアはふんと鼻を鳴らす。

 「助力?尻拭いの間違いじゃないの?」

 その言葉に、鋭い眼差しを向ける風水師。

 手の中の苦無が、冷たい光を放つ。

 「・・・二度目はないと、言った筈ですよ・・・。」

 『エ、エリア!!』

 慌ててギゴバイトが間に入る。

 けれど、エリアの口は止まらない。

 「はん。カビの生えたパン屑を、極上のブリオッシュって言ったって本質は変わらないわよ。“大義”だってさ。自分達がやらかした大ヘマのクセに、よくそんな良い様に言えるわよね。」

 「・・・貴様・・・!!」

 憤怒の形相で得物を構える風水師に向かって、エリアは言う。

 「あんた、一族の悪口にやたら反応するわよね。」

 「え・・・?」

 風水師の動きが、ピタリと止まる。

 その様を見たエリアが、その目を細める。

 「ホントは分かってんじゃないの?」

 言いながら、詰め寄る。

 「氷結界(あんた達)が犯した罪の意味を・・・。」

 「・・・!!」

 真っ直ぐに突き刺さる、エリアの視線。

 それに気押される様に、風水師が後ずさる。 

 追う様に迫るエリア。

 「氷結界(あんた達)が、あの時何をしたかを・・・。」

 「貴女・・・一体・・・?」

 風水師が、怯えを孕んだ声で問うたその瞬間―

 キシャアアアアアアッ

 突然、天地をつんざく様な咆哮が響き渡った。

 洞窟の外で放たれたのであろうそれは、しかし耳元で響いたかの様に皆の鼓膜を揺らした。

 『な・・・何!?今の・・・』

 ギゴバイトが、耳を押さえながら宙を仰ぐ。

 途端、

 グワシャアアアアアアッ

 轟音とともに洞窟の壁が砕け、何かが転がり込んできた。

 『な・・・何事!?』

 「ガ・・・グゥ・・・」

 驚くギゴバイトの前で、転がり込んできた”それ”が呻きながら身を起こす。

 それは鎧を纏い、猛々しい鬣を振り乱した獣人。

 両腕に装備された手甲からは、長く鋭い鉤爪が伸びている。

 「エアベルンさん!?大丈夫ですか!!」

 風水師が慌てた様子で駆け寄り、声をかける。

 「ガゥ・・・。大丈夫。大事、ナイ。」

 エアベルンと呼ばれた獣人の男は、頭を振りながらそう答える。

 『だ・・・誰?』

 「・・・戦士団の一員みたいね。『X-セイバー』とか言ったかしら・・・。」

 ギゴバイトの問いに、サラリと答えるエリア。 

 『何で、あんな勢いで飛び込んできて平気なの?』

 「頑丈なんでしょ?伊達や酔狂で精鋭に選ばれた訳じゃないだろうし。」

 あくまで淡々とした調子を崩さない彼女。ギゴバイトが、不安げな視線を向ける。

 「何よ?」

 『エリア・・・。君、大丈夫?』

 「何が?」

 『いつもの君じゃない。やっぱり、ここは・・・』

 「ギゴ!!」

 突然、エリアが叫んだ。

 『ご、ごめんなさい!!』

 思わず、首を竦める。

 しかし― 

 「ボサッとしないで!!」

 『!?』

 訳が分からず狼狽するギゴバイト。そんな彼を、抱きしめて飛び退くエリア。

 途端―

 ゴシャアアアアアッ

 轟音と共に、洞窟の天井が崩れ落ちてきた。

 「キャアアアアアッ!!」

 「グォアアアアッ!!」

 『ワァアアアアアッ!!』

 皆の悲鳴が響く中、エリアだけはしかと目を開きそこを見る。

 もうもうと立ち込める土煙。

 その向こうに、蠢く巨大な影。

 フシュー・・・

 低い呼吸音が、大気を震わせる。

 肌を刺す様な冷気が満ちて、土煙を吹き払う。

 その先に現れたのは、巨大な雪の結晶。

 否。

 それは、雪晶の様に六本の角に飾られた顔。

 その中心には爛々と輝く双眼と、鋭い牙が軋む裂けた口。

 連なる身体は巨蛇の様に長く伸び、氷色(ひいろ)に輝く鱗に覆われている。

 背から伸びる翼は空を覆わん程に大きく、羽ばたく度に冷たい氷霧を散らした。

 見る者全ての本能を萎縮させるであろう威容。

 見上げるエリアが、囁く様に呟く。 

 「・・・『ブリューナク』・・・。」

 その声が届いたのだろうか。伝説の神槍の名を冠した氷龍は、ゆっくりと己が視線を落とす。

 昏い金色を湛える瞳。

 そこに映る自分の姿を、エリアは真っ直ぐに見つめた。

 

 

 「ブ、ブリューナク!!何故、こんな所に!?」

 その姿を見とめた風水師が叫ぶ。

 「スマナイ。防衛線、破ラレタ・・・。」

 エアベルンの言葉に、青ざめる風水師。

 「そんな・・・!!今まで抑えられていたのに、何故・・・!?」

 「今日ノコイツラ、何カオカシイ・・・。妙ニ、猛ッテイル。」

 両手の刃を構えながら、エアベルンは言う。

 「と、とにかく、ここで止めなければ!!外界に出られては大変な事に・・・!!」

 風水師が、懐から何かを取り出す。氷色(ひいろ)に輝く、八角形の鏡。

 フシュウウウウウ・・・ 

 それを見咎める様に、ブリューナクがゆっくりと口を開く。

 幾重にも並んだ牙列の奥が、青白い光を放ったと思われた瞬間―

 ゴブゥアアアアアアアッ

 その口から猛烈な氷風が吹き出した。

 「くっ!!」

 迫る氷雪の嵐に向けて、風水師が手にした鏡を突き付ける。

 「禁!!」

 光る鏡。

 途端、氷嵐がグニャリと軌道を変える。

 ズガァアアアアアアン

 曲がった氷嵐が、皆の脇の岩場へと当たる。

 氷の嵐に抉られた地肌は一瞬で砕け、凍りついた。

 『何て破壊力・・・。』

 呆然とするギゴバイト。その耳に、つんざく様な雄叫びが突き刺さる。

 「ウゥラァアアアアアアアッ!!」

 叫びと共に飛び上がったエアベルンが、その爪を振りかざしてブリューナクに襲いかかった。

 閃く剣閃。

 Xの軌跡を描いた刃が、次を放とうと開いていたブリューナクの口を払う。

 バシュウッ

 今まさに噴き出そうとしていた氷嵐が切り裂かれ、霧散する。

 「えあべるん、皆ノ仇!!討ツ!!」

 流れる様に繰り出される、次の一閃。

 ガキィッ

 硬いもの同士がぶつかり合う音が響き、ブリューナクの頭が微かに傾いだ。

 『この人達・・・強い・・・。』

 「そりゃそうよ。ロクな切り札も無しに氷龍(こいつら)と渡り合ってるのよ。折り紙つきに決まってるじゃない。」

 呆然と呟くギゴバイトを腕に抱いたまま、エリアが言う。

 『この人達みたいのが、沢山いるの?だったら、氷龍(あれ)も倒せるんじゃ・・・』

 些か高揚しながら言うギゴバイト。

 しかし、エリアは冷めた声でそれを否定する。

 「無理ね。」

 『ど、どうして?』

 「忘れたの?彼らはこの数十年間、氷龍(こいつら)をこの地に押さえ込むだけで精一杯だったのよ。」

 『あ・・・』

 「こんな程度で倒せるほど、安くないのよ。氷龍(こいつら)は・・・」

 エリアが言い終わるや否や―

 グガァアアアアアンッ

 「グゥアアアアアアアッ!!」

 衝撃音と共に上がる絶叫。

 見れば、ブリューナクの巨大な前足がエアベルンを掴み、岩壁に叩きつけていた。

 「グ・・・ゥ・・・」

 エアベルンの手が動き、爪剣をブリューナクの前足に叩きつける。

 しかし、強靭な鱗に覆われたそれには傷一つつかない。

 「ミ、皆・・・スマナイ・・・。」

 ガクリと崩れ落ちるエアベルン。

 「エ、エアベルンさん!?」

 悲鳴の様な声を上げる風水師。

 それが、隙になる。

 パァ・・・

 青白い光が、彼女を照らす。

 「!?」

 気づいた時には、すでに遅い。

 ゴゥンッ

 「キャアアアアアッ!?」

 氷雪を纏った爆発が、風水師を吹き飛ばす。

 小柄な身体が宙を舞い、硬い氷土の上で跳ねる。

 「あ・・・ぐぅ・・・。」

 地べたに転がる風水師。

 強い衝撃に全身を貫かれ、身動きが取れない。

 フシュルルルルル・・・

 抵抗する者がいなくなったのを見て取ったブリューナクは、低く唸りながらゆっくりとその首を巡らせる。

 外へ出る気だと、直感する。

 「だ・・・駄目・・・!!」

 霞む視界の中、すがる様に手を伸ばす。

 「行かせない・・・。行かせる訳にはいかない・・・。」

 震える指が、掻き毟る様に宙を掴む。

 「あなたは・・・。あなた達は・・・私の・・・氷結界(私達)の、罪・・・。これ以上・・・これ以上は・・・!!」

 必死の叫び。

 しかし、災厄の氷龍は歯牙にもかけない。

 その翼が、ゆっくりと広がる。

 「お願い・・・。行かないで・・・!!」

 涙を浮かべ、懇願する。

 嘲笑うかの様に、天を仰ぐブリューナク。

 そして―

 ピタリ

 今にも飛び立たんとしていた氷龍。

 その動きが、止まった。

 「・・・え・・・?」

 当惑する風水師。

 ともすれば、闇に落ちそうになる意識を必死につなぎ止める。

 その目の前で、ブリューナクが戸惑う様にこちらを見ていた。

 否。

 見ているのは、自分ではない。

 かの龍が見ているもの。それは―

 「何よ。やっぱり、分かってるんじゃない。」

 澄んだ声が、半壊した洞窟に響く。

 視界の中で、涼やかに流れる水色の髪。

 エリアが、立っていた。

 その身に、淡く光る羽衣を纏い。

 傍らには、筋骨隆々とした一匹のモンスターを従え。

 まるで、彼女達を守るかの様に。

 凛とした姿で。

 エリアは、立っていた。

 フシュウゥウウウウッ

 ブリューナクが、威嚇する様に呼気を吹く。

 吹き付ける冷気に、長い髪が舞う。

 けれど、水の少女の身体は揺るがない。

 しかと立ったまま、右手をブリューナクに向かってかざす。

 キラリ

 かざした手の中で、何かが光った。

 「かが・・・み・・・?」

 それを見た風水師が呟く。

 「戻りなさい。」

 静かな声で、エリアが告げる。

 彼女の言葉に呼応するかの様に、手の中の鏡が輝きを増す。

 ギォルルルルル・・・

 その輝きに照らされたブリューナクが、いやいやをする様に身をよじる。

 「戻りなさい。ここから先は、お前達の世界ではないわ。」

 ルゥルルルルルル・・・

 「戻りなさい!!」

 叱りつける様に、声を張り上げる。

 グゥル・・・

 ついに、ブリューナクが首を逸らした。

 ズズズズズ・・・

 低い地鳴りと共に、動く巨体。

 光から逃げる様に、渓谷の奥へと戻っていく。

 ズズ・・・

 やがて、その姿は皆の視界の届かぬ場へと消えて行った。

 

 

 「ふう・・・。」

 ブリューナクの姿が渓谷の奥に消えたのを確認すると、エリアは息をついて手を下ろした。

 『大丈夫か?エリア。』

 傍らに控えていたモンスターが、労わる様に声をかける。

 「平気よ。どうって事なかったわ。もっとも、アイツの鼻息で髪が傷んじゃったのは腹が立つけど。」

 そう言いながら髪についた氷片を払い落とすと、エリアはニコリと笑って見せた。

 「そんな・・・そんな馬鹿な・・・!!」

 背後から聞こえてきた声に、エリアとモンスターが振り返る。

 見れば、岩壁にもたれかかった風水師が荒い息を付きながらこちらを凝視していた。

 「・・・貴女は・・・貴女は一体・・・」

 と、その視線がエリアの右手へと落ちる。

 「・・・!!」

 その顔が、驚愕に凍った。

 エリアの手の中にあった物。

 それは、縁に三つ頭の龍を飾った一枚の鏡。

 「・・・氷結界の・・・鏡・・・!?」

 戦慄く口が、“それ”の名を紡ぐ。 

 「馬鹿な・・・。それは・・・90年前の混乱の時に失われた筈・・・!!」

 動かない身に力を込め、身を乗り出す。

 「何故、何故貴女が!!」

 手を伸ばし、掴みかかろうとしたその瞬間― 

 ピッ

 眼前に突きつけられる、指。

 そして―

 「―鳥乙女の歌声 人魚の囁き 荒びし世界に帳を落とし 猛し者らに安なる眠りを―」

 詠唱される呪文。目の前に展開する、緑色の魔法陣。

 「―『催眠術(ヒュプノス・シンドローム)』―」

 結ばれる言葉。

 そして、世界は闇に落ちる―

 

 

 トサッ

 眠り込んだ風水師を、たくましい腕が床に横たえる。

 『エリア、そっちはどうだ?』

 静かに手を離しながら、緑色のモンスター―『ガガギゴ』が尋ねる。

 「大丈夫。生きてるわ。ホント、頑丈ね。」

 言いながら、エリアは気絶しているエアベルンの口に『ブルーポーション』を注ぎ込んでいた。

 「これでよし・・・っと。」

 エアベルンの喉が液体を飲み下すのを見届けると、エリアはう~んと背を伸ばした。

 「あ~、やれやれ。やっと静かになったわ。」

 そんな彼女に歩み寄りながら、ガガギゴが問う。

 『やはり、氷結界(この娘達)に返す訳にはいかないのか?『氷結界の鏡』(それ)。』

 「返すも何も、もともとあたしんちの家宝なんだってば。」

 言いながら、手の中の鏡を見せるエリア。

 「大体、これ手放しちゃったら宿題どうすんのよ。“宿題”。手ぶらで氷龍(あいつら)をのすなんて、流石のあたしでも出来っこないわよ。」

 『宿題・・・か。』

 その言葉を聞いたガガギゴが、眉をひそめる。

 「何よ?」

 『本当に、“宿題”が目的か?』

 「!!」

 エリアの顔が、微かに強張る。

 『宿題の条件は、“自分と同属性のドラゴン”だろ。それなら、何も『氷結界の龍』なんて厄介なモノに手を出さなくたっていい。もっと易い相手が、他にもいる。』

 「・・・・・・。」

 『本当は、別の目的があるんじゃないのか?』

 「・・・・・・。」

 エリアは何も言わない。

 気まずい沈黙だけが、辺りに流れる。

 と、

 ガヤガヤ・・・ガヤガヤ・・・

 洞窟の奥から、大勢の人間の気配が近づいてきた。

 「いたか?」、「そっちを探せ」などと言った話し声も聞こえてくる。

 「やっば。他の連中が来たわ。行くわよ。“ギゴ”!!」

 これ幸いと走り出すエリア。

 『あ、お、おい!!エリア!!』

 「早く来なさい!!見つかると面倒よ!!」

 ガガギゴの追求をかわしながら、脇の小道に走り込んでいく。

 『全く・・・。』

 溜息を一つつくと、ガガギゴはその後を追った。

 

 

 コツ・・・コツ・・・コツ・・・

 昏い氷洞に、硬い足音が響き渡る。

 ヒュウ・・・

 か細い呼吸音と共に、白い吐息が宙に舞う。

 氷霧の様に濃いそれは、薄闇の中でも妙にはっきりと見えた。

 「・・・ここまで来れば、大丈夫そうね。」

 立ち止まり、後ろを振り返ったエリアが、両手に息を吹きかけながらそう言った。

 『そうだな。追ってくる足音もしないし・・・』

 エリアの後ろを守る様についてきていたガガギゴも、同意の言葉を口にして立ち止まる。

 『・・・で、これからどうする気だ?エリア。』

 「・・・“あいつ”の所に行くわ・・・。」

 『“あいつ”・・・?“あいつ”って・・・まさか!?』

 「『トリシューラ』よ。」

 主が口にしたその名に、今度こそガガギゴの顔が強張る。

 『馬鹿な!!三龍の中でも最凶と呼ばれるヤツじゃないか!!そんな奴の所に行くなんて、どうかしてる!!』

 相方の言葉に、しかしエリアはフフンと笑ってみせる。

 「だからよ。」

 『・・・え?』

 クルリ

 向こうを向いていたエリアが、ターンする様にこちらを向いた。

 その顔には、不敵な笑みが浮いている。

 「伝説の凶龍!!最凶の破壊者!!こんなに素敵な響きが他にある?」

 涼やかな声で、叫ぶ様にエリアは言う。

 「トリシューラ(あいつ)の姿を知ってる?綺麗なのよ!!本当に、本当に綺麗なの!!書物に描かれた絵でさえそうなのよ!!本物は、もっと綺麗に決まってるわ!!」

 熱に浮かされた様にまくし立てる主人を、ガガギゴは黙って見つめる。

 「ずっと思ってたわ!!他の雑魚なんていらない!!あたしは、“あいつ”が欲しいの!!あの力が、美しさが欲しいの!!“あいつ”こそ、あたしの下僕にふさわしい!!」

 『・・・エリア・・・。』

 「焦がれてた!!想ってた!!ずっと、ずっと!!“あいつ”はあたしのもの!!あたしのものになるの!!そうすれば・・・」

 『エリア!!』

 ガガギゴが、怒鳴る様に叫んだ。

 その怒声に、エリアはビクリと竦み上がる。

 その口が閉じたのを確認すると、ガガギゴはゆっくりと彼女に近づいて行く。

 『それも、“嘘”だろう?』

 近づきながら、言う。

 『君は、そんな“力”に魅せられる様な娘じゃない。』

 たくましい腕が上がり、大きな手がエリアの頬に当てられる。

 『どんな嘘や強がりを言ったっていい。それが、君が君であるために必要ならば。けど・・・』

 自分の顔を、エリアの顔へと近づける。

 蒼い瞳の中に、己の姿が見える。

 『僕の前でだけはやめてくれ。君のどんな事だって、僕は受け止める。受け止めて見せる。だから、僕の前でだけは本当の君でいてくれ。』

 「・・・・・・。」

 沈黙したまま、”彼”を見つめるエリア。

 やがてその手がおずおずと上がり、自分の頬を包む手に重ねられる。

 「トリシューラは、氷龍達の王・・・。」

 か細い声が、ポツポツと語り始める。

 「他の二頭は、あいつの凶気に呼応しているだけ・・・。あいつを使役して鎮めれば、やつらも大人しくなる筈・・・。この地の混乱も、収まるわ・・・。」

 『それを、君がやる気かい・・・?』

 かけられた問いに、エリアは小さく頷く。

 『どうして君が、やらなきゃならない?』

 「それは・・・。」

 『”君”の罪じゃない。』

 「・・・・・・。」

 『それは、君が負うべき罪じゃない。過去の罪は、過去の者達が負うべきもの。』

 「・・・・・・。」

 『過去の血なんかに縛られちゃいけない。君は、今に生きるべきだ。』

 ガガギゴの、金色の瞳が見つめる。

 それから微かに視線を外すと、エリアは呟く様に言った。

 「それでも、あたしは・・・」

 『・・・・・・。』

 しばしの沈黙。

 やがて、ガガギゴはハァと溜息をつく。

 『全く、困ったお姫様だなぁ・・・。』

 「ギゴ・・・。」

 不安気な眼差しを向けるエリア。

 それに対して、ガガギゴはニコリと微笑みを浮かべる。

 『付き合うよ。それが君の望みなら。』

 「いいの・・・?」

 『言ったろ?どんな事でも受け止めるって。』

 エリアの顔が、華の様にほころぶ。

 それを愛しげに見つめながら、ガガギゴは言う。

 『さぁ、行こう。宿題の期限まで、間がないよ。』

 「・・・うん。」

 頷くエリア。

 頬を包んでいた手が、ソっと離れる。

 その跡を、エリアは名残惜しげに撫でる。

 まるで、そこがほんのりと染まっている事を隠すかの様に。

 「来てくれる?」

 水の姫が聞く。

 『何処までも。』

 答えるは、異形の騎士。

 二人は頷き合い、洞窟の奥へと消えていった。

 

                  

             ―3―

 

 

 ギシャアアアアアアアッ

 天を裂く様な咆哮が響き渡る。

 其を上げるのは、一頭の巨大な龍。

 太い首に連なる頭は禍々しい眼光を灯し、巨木の様な四肢は踏み出す度に地割れの如き爪痕を残す。

 巨体を覆うは氷色(ひいろ)の甲殻。

 巨翼を形どるは輝く氷膜(ひまく)

 その内側には七色の光が揺らめき、辺りをオーロラの様に照らし出す。

 世への災意を形にした様な威容と、神をも魅了する様な極彩の輝き。

 相反する存在を身に収め、その氷龍は雄叫びを上げる。

 『・・・あれが・・・』

 「ええ。第二の龍、『グングニール』よ。」

 龍の頭より高い位置にある岩壁。そこに開いた氷洞の口から、エリアとガガギゴはその“戦場”を見下ろしていた。

 そう。そこはまさに戦場だった。

 七色の光を散らしながら猛るグングニール。

 その周りを、多数の人影が囲んでいる。

 出で立ちを見る所、彼らが周辺の国々から選りすぐられた戦士達だろう。

 彼らは吹き付けられる氷嵐や襲いかかる爪を掻い潜り、矢や投石で応戦する。

 それらが氷の殻に当たる甲高い音が、谷全体に響き渡る。

 閃く緑や赤の光は、魔法攻撃だろうか。

 時折弾ける、小さな爆発。

 絶え間なく続く攻撃。

 しかし、それもかの龍には幾ばくの疼痛も与えられないらしい。

 グングニールは消耗の兆しなど微塵も見せず、ただ煩わしげに唸りを上げる。

 ピシッ ピシシッ 

 その巨体の表面を、光が走ったと思われた瞬間、

 ズバァッ

 七色の光が四方八方に降り注いだ。

 ズガァアアアアアンッ

 途端、巻き起こる無数の爆発。

 谷が崩壊するのではないかと思われる揺らぎの中、多数の人影が爆炎や崩れた瓦礫に呑まれて行く。

 「――っ!!」

 思わず懐に手を入れるエリア。

 しかし、その手をガガギゴが抑える。

 「ギゴ!?」 

 『落ち着け!!エリア!!』

 「でも・・・!!」

 『でもじゃない!!その鏡、力に限りがあるだろ!?』

 「!!」

 その指摘に、エリアの動きが止まる。

 「どうして・・・」

 『さっきブリューナクを退けた時から、感じる力が減ってる。分からないとでも思ったのか!?』

 「う・・・。」

 答えに詰まるエリア。

 ガガギゴは、諭す様に言う。

 『君の相手はグングニール(あいつ)じゃない。もっと、厄介で危険な奴だ。その時のために、手札を減らしちゃいけない。辛いだろうけど、ここは耐えろ!!』

 「・・・く・・・!!」

 苦しげに唇を噛むエリア。

 その心の痛みは、使い魔であるガガギゴにも伝わる。

 それを少しでも和らげようと、震える肩に手を伸ばす。

 しかし―

 「あ!!」

 急にそう叫んだかと思うと、エリアが身を乗り出した。

 瞬間―

 ズバァッ

 立ち込めていた土煙を切り裂き、一つの人影が躍り出る。

 全身を重層な鎧で包んだ戦士。真紅のマントがひるがえり、胸に刻まれたXの刻印が煌く。

 戦士は一瞬でグングニールに肉薄すると、手にした双刃の剣を一閃する。

 ズガァアアアアアッ

 強烈な斬撃が炸裂し、グングニールの動きが一瞬止まる。

 ビュッ

 ビュンッ

 その隙をつく様に、幾つもの影が土煙の中から飛び出してくる。

 短剣。連鎖刃。大鎌。手にした武器は異なれど、皆一様に真紅のマントを羽織り、その身にはXの紋章が刻まれている。

 ヒュヒュンッ

 ガスッ ガススッ

 幾重にも閃く剣閃。

 叩きつけられる斬撃。

 削り散る氷の殻。

 決め手にこそならないものの、彼らの攻撃は確実にグングニールに届いていた。

 ジリ・・・

 ほんの一歩。

 だが確かに、グングニールが後ずさる。

 その様に、英気を煽られたのだろう。

 浮き足立っていた他の兵達も、体制を立て直す。

 再び始まる一斉攻撃。

 弾ける弓矢。

 轟く轟音。

 卑小な筈の者達の、力。

 それに押され、グングニールは怒りと苛立ちの咆哮を上げた。

 「X-セイバーの、本隊・・・。」

 次第を見ていたエリアが、呟く様に言う。

 『セイバー(救世主)の称号は、伊達じゃないな・・・。』

 同様に見ていたガガギゴも、感嘆の言葉を漏らす。

 『行こう。エリア。ここは彼らに任せておけば、大丈夫だ。』

 佇む姫の肩に手を置き、そう告げる。

 エリアは無言のまま頷くと、踵を返して走り出す。

 すかさず後を追うガガギゴ。

 身体が交差する瞬間、彼女が小さく「頑張って。」と呟いた事を、彼は聞き逃してはいなかった。

 

 

 それから、どれほど進んだだろう。

 いつしか、あれほど響いていた龍の咆哮も、戦士達の時の声も聞こえなくなっていた。

 シンと静まり返った氷洞の中に、二人の足音ばかりが響き渡る。

 『まるで迷路だな・・・。』

 周囲を見回しながらガガギゴが言うが、エリアの足は止まらない。。

 「大丈夫。道は分かるわ。」 

 『何故?』

 その問いに、エリアは懐から『氷結界の鏡』を取り出す。

 「これが、教えてくれてる。」

 見れば、磨かれた鏡面が淡い光を放っている。

 「一族の記憶が、導いてくれるわ。」

 そう言って、再び歩き出すエリア

 その眼差しが自分とは違うものを見ている様に思え、ガガギゴは微かな不安を覚えた。

 

 

 それから、もうしばしの事。

 道は、唐突に開けた。

 ずっと続いていた氷洞が途切れ、広い空間が広がった。

 見上げる天井は高く、氷柱とも鍾乳石ともつかないものが無数にぶら下がっている。

 あちこちに張り出した氷岩は、ヒカリゴケの類でも付着しているのだろうか。それ自体が淡く光り、昏い空間をほの明るく照らし出していた。

 『・・・ここが、”巣”か?』

 「・・・違う。ここにトリシューラはいない。」

 鏡を見ながら、エリアが言う。

 『そうか・・・。けど・・・』

 「・・・ええ・・・。」

 『“何か”、居るな・・・。』

 二人が顔を合わせ、頷き合った瞬間―

 『・・・懐かしいな・・・。』

 厳かな声が、頭上から降りかかった。

 「『!!』」

 思わず振り仰ぐと、岩の上に横たわる大きな影が目に入った。

 青白く輝く剛毛。

 身を包む鎧。

 それらを彩る、氷の装飾。 

 大きな口からは猛々しい牙が覗き、青い双眸が物憂げにエリア達を見つめている。

 ―虎―

 そう。それは、全身を氷の色に飾った一頭の虎だった。

 『・・・随分と、懐かしいものを連れてきたものだ・・・。』

 再び、“それ”が言葉を発する。

 ひどく、感慨深げな声で。

 『・・・エリア。』

 彼女を守る様に、ガガギゴが前に出る。

 『クク・・・。』

 それを見た氷虎が、愉快そうに喉を鳴らす。

 『そう殺気立つ事はない。別に、獲って喰おうなどとは思っておらぬ。』

 蒼い瞳でエリア達を見下ろしながら、それは言う。

 確かに、その身からは殺気の類は感じられない。

 しかし、ガガギゴが警戒を解く事はない。

 身構えたまま、逆に問う。

 『・・・お前こそ誰だ?こんな所で、何をしてる?』

 『・・・・・・。』

 『戦士団の(ゆかり)か?それとも氷結界か?』

 その問いに、氷虎の目が妖しく光る。

 『・・・その、いずれかと言ったら?』

 鋭さを増す、ガガギゴの眼差し。

 『・・・どちらも、敵じゃない。だけど、味方でもない。もし、お前がどちらかに通じてると言うのなら・・・』

 ガガギゴの声に、険が込もる。

 しかし、氷虎はその敵意を柳の様に受け流す。

 『若いな・・・。』

 『何?』

 『見た所、己と相手の力差を察せぬ程愚かではなさそうだが?それを知って尚立つは、その娘のためか?』

 『・・・・・・。』

 言いながら、氷虎はクックと笑う。

 『そう怖い顔をするな。その様な想いに触れるは久方ぶりでな。些かからかってみたくなっただけよ。』

 『お前、一体・・・』

 『言うまでもない。我の事は、その娘が知っている様だが?』

 『・・・え?』

 思わず振り返る。

 その視線の先で、エリアが氷虎を凝視していた。

 「ドゥローレン・・・」

 彼女の唇が、小さく呟く。

 「あんた、『氷結界の虎王・ドゥローレン』ね!?」

 『“虎王”か。その名で呼ばれるも久方ぶりだ・・・。』

 そう言うと、氷虎-ドゥローレンは何かを思う様に目を細めた。

 

 

 ズシャッ

 ドゥローレンが、伏していた岩から飛び降りた。

 重い音と共に、太い四肢が地を掴む。

 大きい。

 近くで見ると、小山の様だ。

 流石にかの氷龍達には及ばないが、身にかかるプレッシャーは並ではない。

 その身に宿る力が、並ではない事の証だった。

 「あんた達、先の大戦で滅んだんじゃないの・・・?」

 『確かに。』

 エリアの問いに、ドゥローレンはゆっくりとした口調で答える。

 『我が一族は先の大戦で尽く絶え果てた。残るはこの老いぼれのみ。誠、無様な生き残りよ。』

 クックと笑うドゥローレン。

 その声には、自嘲の色が濃い。 

 「無様・・・?」

 それを聞いたエリアの目が、険しくなる。

 「・・・それなら、何でこんな所にいるのよ?」

 『ふむ?』

 エリアはガガギゴの背後から出ると、ドゥローレンに向かって歩いていく。

 『エリア!!』

 ガガギゴが声をかけるが、彼女は「大丈夫」と手で制する。

 「氷虎(あんた達)は、氷龍達が暴走した時にそれを抑える役目を負っていた筈。それが、何でこんな所で寝腐ってるのよ?」

 詰め寄る様に、エリアはドゥローレンに近づく。

 「今もああして、氷龍(あいつら)は暴れまわってる。それなのに、あんた何してんのよ!!」

 憤りを隠さず、まくし立てるエリア。

 しかし、ドゥローレンはクックと笑うだけ。

 「何がおかしいの!?」

 『歳の割に、詳しい事だ・・・。』

 「え・・・?」

 『その鏡が教えたか?哀れなる血の娘よ。』

 「!!」

 その言葉に、エリアの顔が目に見えて強張る。

 『・・・懐かしい事よ。この地を追われた後、何処を彷徨った?如何に暮らした?』

 「・・・・・・。」

 『どうした?その事は教えられなかったか?伝えられなかったか?やむを得ぬ事か。なにせ、汝の血族にとってこの事は・・・』

 ズガァンッ

 突然、ドゥローレンの背後の氷壁が弾けた。

“それ”がかすめた彼の頬から、青白色の毛が飛び散る。

 しかしドゥローレンは微塵も動じず、ただ物憂げな眼差しを“それ”が飛んできた方向に向ける。

 その視線の先には、怒りに肩をいからせるガガギゴの姿。

 『・・・次は外さない・・・。』

 明確な敵意のこもった声で言う、ガガギゴ。

 放った水撃の残滓がポトポトと落ちる爪をギリリと握り込み、燃える眼差しでドゥローレンを睨みつける。

 「ギゴ・・・。」

 『知った様な事を言えた義理か!?この臆病者!!』

 向けられる言葉に、ドゥローレンは何の反応も見せず、ただ目を細めるだけ。

 そんな彼に向かって、ガガギゴは吠える。

 『恐怖に負けて!!役目を放棄して!!こんな穴ぐらに引き篭っているクセに!!』

 荒ぶる想いを、隠しもしない。

 次の攻撃に備えるように、緑の拳にギリギリと力が込められる。

 『けど、エリアは違う!!エリアは・・・エリアは、顔も知らない先祖の罪を贖うために!!』

 「ギゴ・・・。もういいわ。」

 『エリア、でも!!』

 猛るガガギゴをなだめる様に、エリアは言う。

 「こいつ、全部分かってる・・・。」

 『え・・・?』

 そして、エリアは静かに座しているドゥローレンに問いかける。

 「あんた、わざとね・・・?」

 『・・・・・・。』

 「あたし達を挑発すれば、殺してもらえるとでも思った訳?」

 ドゥローレンは何も言わない。  

 ただ、その蒼い瞳をエリアに向けるだけ。

 「冗談じゃないわ。死にたいなら、勝手に死んでちょうだい。そんなどうでもいい事してる暇、あたし達にはないんだから。」

 そう言って、エリアはクルリと踵を返す。

 「行きましょう。ギゴ。余計な時間食っちゃった。」

 『エリア・・・。』

 「こんな老いぼれ、相手する意味なんてないわ。自分で自分にけじめもつけられない、本当の死にぞこないよ。この世の終わりまで、そうやって一人でしょぼくれてればいい。」

 そのまま、ツカツカと歩き始めるエリア。

 ガガギゴが慌てて後を追おうとしたその時、

 『クックック・・・』

 後ろから響く笑い声。

 振り返ると、ドゥローレンが笑っていた。

 肩を揺らし、酷く愉快そうに。

 『クク・・・。やれやれ、全てお見通しとはな。思いの外賢しいのか。それとも、我の頭が鈍ったか。』

 「両方よ。」

 間髪入れずに、エリアが言う。

 『クク・・・。違いない。』

 笑いながら、ゆっくりと地に腰を落とすドゥローレン。

 『不快な思いをさせてすまなかった。懐かしき血の娘よ。』

 発せられる言葉に込もる、先刻までとは違った響き。

 それを察したエリアが、歩みを止める。

 「謝るなら、最初からしない事ね。」

 『言ってくれるな。下手に霊格を得てしまうと、自死すらもままならん。性も歪むと言うものよ。』

 「あら、そう。伝説の霊獣って言っても大した事ないのね。」

 どこまでも素っ気ないその態度に、苦笑するドゥローレン。

 『故に、汝に討たれてみるも一興かと思ったのだがな。かの血を継ぎし者に討たれてみるのもな。』

 「何よ?それ。」

 エリアが、冷ややかな眼差しを向ける。

 「ひょっとして、”罪滅し”のつもりなんて言わないでしょうね?」

 『気に入らぬか?』

 「全くね。」

 にべもなく、言い捨てる。

 「顔も知らない様なご先祖連中のゴタゴタに、勝手に混ぜ込まないで欲しいわ。あたしには、関係ない事よ。」

 『関係なき事・・・か。』

 その言葉に、ドゥローレンが目を細める。

 『ならば、汝は何故この地に来た?』

 「・・・・・・!!」

 『何故、忌まわしきこの地に来た?其が鏡を持ちて。』

 「それは・・・」

 『”宿題”などと言う戯言なら、聞く耳は持たぬぞ。』

 言葉を先取りされ、エリアはチッと舌打ちをする。

 「本当に性が歪んでるわね。”読める”なら、勝手に自己完結してればいいじゃない。」

 むくれるエリア。

 それを見ていたドゥローレンの顔に、ふと穏やかな色が浮かぶ。

 『・・・懐かしいな。』

 「は?」

 突然の言葉に、当惑するエリア。

 構わずに続ける。

 『その気性。振る舞い。容姿。かの娘によく似ておる。』

 何かを思い起こすかの様に、蒼い目の中でエリアの姿が揺れる。

 『誠、汝の一族には非道なる仕打ちを成してしまった。その罪は、いかな償いをしても晴れるものではあるまい。』

 「・・・・・・。」

 『今思えば、氷結界がここまで衰退したも当然の報いなのであろう。かの氷龍達に喰い尽くされるが、氷結界(我ら)が宿命と言うものか・・・。』

 沈黙するエリア。

 両者の様子に、傍観していたガガギゴが耐えかねた様に口を挟む。

 『・・・どういう事だ?エリアの先祖は、氷龍解放の責を負って氷結界から放逐された筈。なのに、氷結界の方に罪が・・・!?』

 その言葉に、ドゥローレンが目を向ける。

 「ちょっと・・・」

 彼の様子に気づいたエリアが、声を上げた。

 「ギゴに、余計な事言わないで!!」

 しかし、ドゥローレンは言う。

 『この者は、汝の連れ合いであろう?』

 「・・・んな?」

 頬を赤らめ、絶句するエリア。

 何かを言いたそうに口を動かすが、酸素不足の金魚の様にパクパクするだけ。

 その様を微笑ましそうに見つめ、ドゥローレンは言葉を続ける。

 『ならば、知っておくべきであろう。汝が背負うものの、真の意味をな。』

 『・・・どういう事だ?』

 怪訝そうな顔をするガガギゴ。

 彼に向かって、ドゥローレンは語り出す。

 『若者よ。先に言ったな。かの娘の祖は氷龍解放の責を負ったと・・・。』

 『ああ、そう聞いてる。』

 『違うのだ。』

 『・・・え?』

 『違うのだよ。』

 訳が分からないと言った体のガガギゴ。

 そんな彼に向かって、ゆっくりと噛み締める様にドゥローレンは言った。

 『氷龍達の封印を解いたのは、放逐された者達ではない。氷結界(ここ)に残った者達なのだ。』

 『―――っ!?』

 与えられた真実に、ガガギゴは目を見開く。

 その横で、エリアは俯いたまま唇を噛んだ。

 

 

 「・・・・・・。」

 『・・・・・・。』

 『・・・・・・。』

 沈黙が、辺りを支配していた。

 エリアも。

 ドゥローレンも。

 そして、ガガギゴも。

 誰も言葉を発しない。

 沈黙。

 沈黙。

 ただ、沈黙。

 やがて、それに耐えかねたのか、それとも激情が限界を超えたのか、ガガギゴが口を開く。

 『何だ・・・?それは・・・?』

 戦慄く様な声。

 震える口が、紡ぐ。

 『氷龍達の封印を解いたのは、氷結界の方・・・?それじゃあ、何でエリアの一族が・・・?』

 『原因の一端は、その鏡にある。』

 ドゥローレンが、エリアの手の中の鏡を示す。

 『かの鏡が、氷龍達を御し、封じる力がある事は知っていよう。』

 『・・・ああ・・・。』

 頷くガガギゴ。

 ドゥローレンは続ける。

 『その娘の血統は、巫女だったのだ。』

 『巫女・・・?』

 『そう。鏡の管理を任せられるとともに、いざと言う時には鏡を使い、事を収める事を義務とされていた。』

 

 曰く。

 時は先の大戦中。

 氷結界の中で氷龍解放の主張が出た際、かの巫女とその血族は反対に回った。

 その立場上、件の龍達の危険さを誰よりも知っていたであろう彼女達は、解放派の要求を頑として跳ね除けた。

 しかし、ワームと魔轟神の攻勢が強まるに連れ、氷結界の中では徐々に解放派がその数を増していった。

 長い時の流れが、氷龍に対する皆の畏怖を薄まらせていたのかもしれない。

 そしてついに、その時は来た。

 多勢を占めた解放派達が、数の力にものを言わせて強引にブリューナクの封印を解いてしまった。

 それは想定以上の戦果を上げ、解放派を勢いづかせた。

 後は、ドミノ倒し。

 同盟を組んでいた他の部族の要請も、その流れに拍車をかけた。

 それに抗うだけの力は、もう巫女の血族を始めとする反対派にはなかった。

 立て続けに解放されていく氷龍達。

 しかし、最後の封印を解いた時、全ては変わった。

 自由を得たトリシューラは氷結界の抑制を易々と撥ね退け、我欲のままに破壊を謳歌しはじめた。

 やがて、それに呼応する様にブリューナクとグングニールも暴走を始める。

 それまで氷龍達のコントロールを担っていた交霊師の力さえもが弾かれた時、解放派の面々は己達の愚行に今更の様に気がついた。

 叫ばれ始める、龍達の再封印。

 すると、皆の声は当然の様に巫女の血族へと向けられた。

 有事において、鏡の力をもって事を収めるは巫女の役目。

 傍から見れば不条理この上ない流れに、巫女とその一族は望まれるままに従った。

 全ては己の使命と受け入れ、彼女達は氷龍達の元へと向かった。

 しかし―

 長きの時が、その力を弱めたのか。それとも、歪み軋んだ者達の願いを拒んだのか。

 鏡は、氷龍達を縛る事はしなかった。

 その戦いで巫女は命を落とし、その血族達も多くの犠牲を出すに終わった。

 けれど、そんな彼らの帰還を出迎えたのは、同胞たる氷結界の人々の冷たい視線だった。

 自分達の絶望と苛立ちを、彼らは使命を果たせなかった巫女の血族達へと向けた。

 暗い憤りの赴くままに、罵倒し、糾弾した。

 その時点で、解放派の面々が氷結界の大半を占めていた事も追い打ちとなった。

 彼らは数をもって自分達を正当化し、己らの愚行の結果をかの血族の不甲斐なさのせいと転嫁した。

 そして全ての責を負わされ、巫女の血族は氷結界から放逐された。

 吹き荒ぶ雪嵐の中、追い立てられる彼ら。それに添うは、あまりの理不尽さに心を痛めた幾ばくかの民人と、もはや用済みと打ち捨てられたかの鏡のみだった。

 

 

 『・・・そして、残った解放派の者共は氷結界の末裔として、今もかの災禍と戦う道を強いられていると言う訳よ・・・。』

 語り終わると、ドゥローレンは疲れた様に瞳を閉じ、大きく息をついた。

 一方、全てを聞いた筈のガガギゴ。

 彼は一言も発する事なく、その場に佇んでいた。

 立ち竦んでいた。

 メシッ・・・

 微かに響く、低い音。

 それが彼の腕に力が込められる音だと気づいた者は、果たしていただろうか。

 次の瞬間―

 グワッ

 血管の浮いた腕が伸び上がり、彼女―否、”それ”に掴みかかった。

 しかし、すんでの所で身をかわされ空を切る。

 昏く光る眼差しが彼女に向けられ、低くくぐもった声が呼びかける。

 『エリア・・・。』

 「・・・何・・・?」

 彼の腕から飛びず去った少女は、胸にかの鏡を抱きながら訊く。

 『その鏡をよこせ・・・。』

 「どうする気・・・?」

 『壊す。そして君を氷結界(ここ)から連れて帰る。』

 その言葉に、エリアの目に一瞬悲しげな影がさす。

 「・・・駄目・・・。」

 そう言って、首を振る。

 途端―

 『何でだ!?』

 氷洞に響く、激高の声。

 エリアが、ビクリと首を竦める。

 しかし、ガガギゴは構わない。

 『何で君は、そんな腐れた血にこだわる!?』

 高ぶる想いのままに、ガガギゴは吠える。

 『こんな馬鹿げた話があるか!?そんな、そんな道理の通らない理由で、エリアの一族は辛酸を舐めさせられたって言うのか!?』

 彼の怒りは氷結界、その名を冠するもの全てに向けられていた。

 『知るか!!もう、知るものか!!氷結界なんて、あの化物達に残さず滅ぼされてしまえばいい!!』

 「ギゴ!!」

 呼びかけるエリア。

 しかし、その声も彼を鎮めるには至らない。

 『鏡だろう!?その鏡が、君を縛るんだろう!?それなら、僕がそれを壊す!!壊して、君をその呪縛から解き放つ!!』

 ガッ

 たくましい両腕がエリアの肩を掴む。

 「!!」

 ガガギゴの顔が、エリアのそれに寄せられる。

 思わず身を固くする、エリア。

 『帰ろう!!帰って、皆との暮らしに戻ろう!!君がこんな事で、こんな所で命をかける必要なんてないんだ!!』

 「・・・・・・。」

 『断ち切ろう!!そんなくだらない因果、ここで切り捨ててしまおう!!そして、自由に!!本当の意味で自由になるんだ!!エリア!!』

 なおも言い迫ろうとした、その時、

 「・・・痛いよ。ギゴ・・・。」

 エリアの口が、か細い声で呟いた。

 『!!』

 気づけば、ガガギゴの指がか細い腕にギリギリと食い込んでいた。

 『す、すまない!!』

 慌てて、手を離す。

 はっきりと跡のついた腕を撫でながら、エリアは寂しげに笑う。

 「ハハ・・・。やっぱり、怒った。」

 『・・・っ!!当たり前だ!!こんな・・・こんな事・・・!!』

 今だ収まらない怒りを抑える様に、牙を食いしばるガガギゴ。

 そんな彼に向かって、エリアは言う。

 「ごめん・・・。」

 『・・・え?』

 「こんな理不尽に巻き込んで、ホントにごめん・・・。」

 そのあまりと言えばあまりにもらしくない態度に、今度はガガギゴが困惑する。

 「言われたのにね。嘘だけはやめろって、言われたのにね・・・。」

 寂しげで、悲しげな声が響く。 

 『いや、それは・・・』

 「いいよ。」

 『え・・・?』

 「帰って、いいよ。」

 突然の言葉。

 当惑する。

 「今なら間に合う・・・。あんたとの契約、ここで解くから。帰って。あんたまで、危ない思いする事ない。」

 『エリア・・・!?』

 「嘘ついちゃったの、あたしだもんね・・・。ありがとう、いままで。」

 『ち、違う!!僕が言ってるのは、そんなんじゃ・・・』

 『・・・無駄だ。』

 「『!!』」

 突然割り込んできた声に、二人の言い合いが止まる。

 『ドゥローレン・・・。』

 青氷の虎王が、憂いを孕んだ眼差しで彼女達を見ていた。

 『無駄だ、若者よ。其が娘の心は変わらぬ。』

 『何・・・?』

 何かを懐かしむ様な声で、ドゥローレンは言う。

 『血は争えぬな・・・。その娘の目、かの巫女の目と同じ光を宿しておる。』

 『同じ・・・光・・・?』

 『弱き者を捨てられぬ目。力なき者を慈愛する目だ。』

 『!!』

 目を見開くガガギゴを憐れむ様に見ながら、ドゥローレンは淡々と語る。

 『かの氷龍どもが氷結界(ここ)から出れば、外界の者達が多く犠牲になろう。その娘は、それが許せぬのよ。』

 『・・・それは・・・』

 『それだけではない。いま氷結界(ここ)で戦っている者達にも、家族はある。その者達の嘆きまで、聞こえているのだろう。』

 何処か愛しげな眼差しが、エリアを映す。

 まるで、そこにかの時が留まっているかの様に。

 『誠、かの娘と同じよ・・・。』

 『・・・エリア・・・。』

 自分を見下ろすガガギゴから顔を逸らす様に、エリアは俯く。

 『わかるであろう?若者よ。その娘を駆り立てるは、くだらぬ血縛などではない。もっと大きく、尊いものだ。』

 『・・・っ!!分かった様な事を言うな!!』

 諭す氷虎に、それでもガガギゴは噛み付く。

 『大体、お前は何なんだ!?そこまで分かっていたなら、何故氷結界の連中を止めなかった!?その娘を、守ってやらなかった!?』

 『・・・全くだ。』

 答えは、酷くあっさりと返ってきた。

 『先にその娘が言った通り、氷虎(我ら)には氷龍どもに対しての抑止力と言う役目があった。当時の我らは、その役目を優先してしまったのだ。奢りがあったのだろうな。霊獣として崇められるうち、人を下等な存在(もの)と見下す様になっていた。件の時も、愚物の愚行と箸にもかけなかった。自分らの崇高な役目の前には、取るに足らぬ事とな。しかし、その結果が”これ”よ。』

 そう言って、ドゥローレンは自嘲の笑いを漏らす。

 『結局、我らの力もトリシューラには通じなかった。仲間は尽く討ち尽くされ、王たる我だけが生き残った。その我も深手を負い、力を失い、こうして生き恥を晒すだけの存在と成り果てている。全く、因果は巡るとはよく言ったものよ。』

 ドゥローレンはクックと笑うと、その目を再びガガギゴに向ける。

 『さて、若者よ。汝はどうする?確かに、汝はこの縁に関係無き者だ。この先に待ち受けるは真の地獄よ。戻るなら、これが最後の好機となろう。』

 『・・・その言葉を、エリアには向けないのか?』

 冷ややかな声で問うガガギゴ。

 しかし、ドゥローレンは首を振る。

 『言った所で、聞きはしまい。それほど、この娘の思いは強い。』

 『そんな事・・・』

 『分かるのよ。その娘の眼を見ればな。』

 『・・・・・・。』

 エリアを見るガガギゴ。

 彼の顔を、彼女は見ようとしない。

 けれど、その目には確かに強い光が宿っていた。

 しばしの間。

 やがて、ガガギゴは大きく息をついた。

 『・・・全く、仕方のないお姫様だ。』

 『・・・行くか?』

 『ああ。』

 ドゥローレンの問いに、頭をかきながら頷くガガギゴ。

 『約束したんだよ。何処までもついて行くって。』

 「ギゴ・・・!!」

 驚いた様に彼の顔を見るエリア。

 そんな彼女に向かって、ガガギゴは言う。

 『ただし、これが最後だ。今度隠し事をしてたら、許さない。』

 「うん・・・。」

 エリアは頷き、その手を差し出す。

 それを優しく取るガガギゴ。

 そして、二人の手は再び繋がった。

 

 

 二人が去った後を、ドゥローレンは何かを思う様な眼差しで見つめていた。

 『・・・血縛よりも強く、大きなもの、か・・・』

 誰ともなしに呟く。

 『・・・これが、誠の(えにし)というものかもしれんな・・・。』

 そう独りごちる彼の目には、それまではなかった光が確かに灯っていた。

 

 

                ―4―

 

 

 ・・・目に入るのは、”白”だけだった。

 辺りには肌を刺す様な冷気が漂い、岩も大地も、大気でさえも白く凍てついている。

 氷禍に侵され尽くした空間。

 そこに、大きな氷塊が幾つも転がっている。

 十個?

 百個?

 否。

 もっと。

 もっと、もっと。

 もっともっともっともっともっと。

 数え切れない程に転がる、凍てついた結晶。

 そのうちの、一つに近づく。

 透麗な輝きのその奥に、何かが見える。

 目を凝らす。

 冷たい壁の向こうに見えたもの。

 それは―

 「―――っ!!」

 ンギュッ

 思わず叫びかけた口を、大きな手が塞いだ。

 『エリア・・・落ち着いて。』

 手の主が、耳元でそっと囁く。

 『気持ちは分かるけど、今騒いじゃ不味い・・・。』

 優しい声が、ざわめいた心を冷ましていく。

 口内まで登ってきた声を、エリアは何とか呑み込んだ。

 

 

 ドゥローレンと分かれた後、エリアとガガギゴは鏡の導きに従って氷洞を進んでいった。

 長く長く続く洞道。

 終焉などないのではと思い始めた矢先に、終わりは訪れた。

 外に出た途端、鋭い北国の日差しが二人の目を刺す。

 堪らず立ち止まり、視界を覆う。。

 目が光に慣れるのを待つ事、数分。

 改めて開いた視界の前に、かの光景は広がっていた。

 

 

 『しかし・・・酷いな・・・。』

 周りを見回しながら、ガガギゴは極力小さな声で言う。

 不安を覚える程に立ち並ぶ、無数の氷塊。

 その一つ一つの中に収められたものが、彼の眉を潜めさせる。

 それは、人。

 否。

 人だけではない。

 動物。

 モンスター。

 ありとあらゆる生物が、生きていた時そのままの姿で凍てついていた。

 『戦士団の人達に、その騎馬達か・・・。』

 ”彼ら”の出で立ちを見たガガギゴが呟く。

 透き通った結晶の中に眠るその表情は、しかし決して安らかなものではなかった。

 恐怖。

 絶望。

 苦悶。

 悲哀。

 全ての負の想いを貼り付けたまま、彼らの時は凍りついていた。

 それを痛ましげに見つめながら、感覚を研ぎ澄ます。

 辺りの冷気に混じって流れる、異様な”力”の気配。 

 恐らくは、この惨状を作り出した者の残滓。

 それを感覚が捕える度、氷の刃に脊柱を貫かれた様な悪寒が走る。

 先に見た二頭の氷龍。

 ブリューナクにグングニール。

 漂う力の形は、彼らのものによく似ている。

 しかし、圧倒的に違うのはその密度。

 先の二頭のそれを大地を凍てつかせる吹雪に例えるなら、今ここに漂うものは世界そのものを枯らす冷禍に等しい。

 知らずのうちに、冷えた息を漏らすガガギゴ。

 恐れを成した訳ではない。

 しかし、本能が忌避していた。

 そのあまりにも強大な力を。

 そして、それが孕む邪悪さを。

 顔を上げ、視界を凝らす。

 乱れ並ぶ氷墓の群れの先。

 漂う純白の氷霧の向こう。

 その先から、力の波動は流れてきていた。

 遠くはない。

 この先。

 そう。

 この先に。

 いるのだ。

 ”あれ”が。

 心臓が、早鐘の様に打つ。

 体中の筋肉が、萎縮する。

 ゴクリ

 粘ついた唾液が、冷気で乾いた喉を下った。

 と、

 「んーっ!!んっんっ!!んぅーーーっ!!」

 手元から聞こえる声と、伝わる振動が彼を我に返させた。

 見れば、自分の手で口を覆われたエリアが、真っ赤な顔をして手足をジタバタさせている。

 ・・・息が、出来ないらしい。

 『ご、ごめん!!エリア!!』

 慌てて手を離す。

 エリアはプハッと大きく一吸いすると、続いてゼイゼイと息をついた。

 「もう!!何すんのよ!?トリシューラに会う前に死ぬかと思ったじゃない!!」

 小声で怒鳴りながら、エリアはガガギゴを睨む。

 『い、いや。つい・・・。』

 畏まるガガギゴに、彼女はハァと息をつく。

 「・・・まぁ、いいわ。お陰で気づかれなかったみたいだし。」

 言いながら、目の前にある氷塊に目を向ける。

 その中には、変わらぬ姿のまま凍てついた戦士の姿。

 名も知れぬ彼の頬にそっと手を寄せながら、呟く。

 「駄目ね、あたし。この位の事、覚悟してきた筈なのに・・・。」

 『エリア・・・。』

 しばし、祈る様に目を閉じていたエリア。

 やがて、目を開けるとその顔を氷霧の向こうへと向ける。

 「待ってなさい!!トリシューラ!!」

 視線の先にいるであろうその存在に、彼女は凛と言葉を叩きつけた。

 

 

 「・・・この辺りでいいかしら?」

 『いいんじゃないか?』

 相方とそう言葉を交わすと、エリアは地面に杖を突いた。

 目を閉じ、念を込める。

 ポウ・・・

 杖を中心に広がる、朱い円陣。

 罠魔法(トラップ・スペル)の魔法陣。

 『・・・アウスさんからか?”これ”。』

 地面に描かれていくそれを見ながら、ガガギゴは問う。

 「ええ。本来地属性の魔法だから、あまりしっくりこないのよね。術式の構築に手間取るったら・・・。」

 うんうん言いながら、魔法式を構築するエリア。

 その様を見ながら、ガガギゴは複雑な表情を浮かべる。

 『アウスさんは、この事を分かった上で・・・?』

 「・・・言ってないわ。ただ、”貸して”って言っただけ。」

 『・・・分かってたんじゃないのか?あの人の事だから・・・』

 言葉の意を察したエリアが、咎める様に言う。

 「そうだとしても、あの娘に責任はないわよ。あくまで言い出しっぺはあたしなんだから。それに・・・」

 エリアの瞳が、地面を走る光を見つめる。

 まるで、その中にかの盟友の顔を見るかの様に。

 「何か思う所があれば、ハッキリ言うわよ。あの娘ならね。」

 『・・・それもそうか。』

 苦笑いしながら、頷くガガギゴ。

 「本当なら、”これ”が働いてくれれば一番いいんだけど・・・。」

 そう言って、懐の鏡に手を当てるエリア。

 『仕方ない。前の大戦じゃあ、その鏡はトリシューラを縛らなかったんだろう?重要な手札ではあるけれど、頼り切るのはマズイ。』

 「そうね・・・。」

 話す二人の眼下で形を成す、朱い魔法陣。

 「出来た。」

 フゥ、と息をつきながらエリアが顔を上げる。

 『『落とし穴(フォール・ホール)』・・・。』

 地面に染み込む様に消えていく魔法陣を見ながら、ガガギゴが呟く。

 『上手く嵌ってくれれば、トリシューラと言えども無力化出来る・・・か。』

 「そう。そこに契約の証印を押せば、万事丸く収まるわ。」

 フンッと胸を張るエリア。

 その様を見ながら、ガガギゴは言う。

 『過剰な自身は持つなよ。相手は伝説の凶龍だ。一筋縄で行くとは・・・』

 「いかせるの!!」

 エリアが語気を強める。

 「いかせなきゃ駄目!!今度こそ・・・今度こそ、終わりにしなくちゃ!!」

 その目が、周りを囲む氷墓を見回す。

 「こんな事は・・・こんな事は、もう・・・!!」

 『エリア・・・。』

 ガガギゴの目が、エリアの肩に止まる。 

 震えていた。

 伸し掛る重圧によるものか。

 それとも、抑えきれない恐怖によるものか。

 細い肩が、カタカタ、カタカタと戦慄く様に震えていた。

 『・・・・・・。』

 たくましい腕が、震える肩に回される。

 『分かった。やろう。』

 「ギゴ・・・。」

 『大丈夫、上手くいくさ。いつも横着な君が、こんなに頑張ってるんだ。上手くいかない筈がない。それに・・・』

 「それに・・・?」

 『君は、必ず僕が守るから。』

 クスリ・・・

 少女の口元が、微かに微笑む。

 「横着だけ余計よ。馬鹿・・・。」 

 抱きしめる様に回された腕に、小さな手が添えられる。

 震えはもう、なかった。

 

 

 ザシャッ

 踏み出された足が、白い凍土を踏みしめる。

 行くな、と喚く本能。

 二の足が、一瞬止まる。

 けれど。

 ザシュッ

 力を込めて、纏わる忌避を踏み潰す。

 一歩。

 また一歩。

 近づく。

 近づいている。

 確実に。

 ”それ”の元へ。

 氷霧に覆われた、視界。

 姿は、まだ見えない。

 けれど、感じる。

 感じるのだ。

 白い世界の向こうに。

 凍てついた大気の向こうに。

 ”それ”が、いる。

 『・・・近いぞ。』

 「ええ・・・。」

 頷き合い、ささやきあう二人。

 一歩。

 また一歩。

 そして―

 ピタリ。

 エリアが、歩を止めた。

 それに倣って、ガガギゴも止まる。

 彼女達の前には、他のものに比べて遥かに巨大な氷塊。

 『デカイな・・・。何だい?これは。』

 氷塊をコンコンと叩きながら、ガガギゴが訊く。

 「多分、『エンシェント・ゴッド・フレムベル』ね・・・。」

 『ゴッド・・・?』

 エリアの言葉に、首を傾げるガガギゴ。

 「前の大戦の時に、炎の種族が滅びた際に目覚めた太古の焔神よ。魔轟神に大打撃を与えたけど、その後トリシューラに倒されたらしいわ。」

 『倒されたって・・・神まで滅ぼしたのか!?トリシューラは!!』

 「そうよ。何を驚いてるの?」

 何を今更と言った体で、エリアは言う。

 「エンシェント・ゴッド・フレムベルが伝説なら、トリシューラも伝説の龍よ。何も、不自然な事はないでしょう?」

 『いや、そうは言ってもなぁ・・・。』

 「どうしたの?怖くなった?」

 言葉を濁すガガギゴを、エリアが横目で見る。

 『馬鹿言え。』

 「なら、いいわね。」

 その答えを予想していた様に言うと、エリアは杖をガガギゴに向ける。

 「それよりもギゴ、憑依装着を解くわ。」

 『・・・大丈夫か?』

 「大丈夫。少しでも警戒されない様な格好で行かないと。もっとも―」

 エリアの顔が、ニッと笑う。

 緊張を奥に押し込めた様な、強ばった笑顔。

 「憑依装着してようがしてまいが、”あいつ”には大して関係ないでしょうけどね・・・。」

 『・・・笑えない冗談だな・・・。』

 「全くね・・・。」

 アハハ、ウフフと乾いた笑いを交わし合う二人。

 その笑いを収め、真顔に戻ってエリアは言う。

 「じゃ、作戦通り行くわよ・・・。」

 『ああ・・・。』

 頷き合う二人。

 そして、最後の一歩は踏み出された。

 

 

 そこは、それまでの道程とは比べ物にならない程の氷墓に覆われていた。

 無数の氷墓がうず高く重なる、その光景。

 数え切れない程の命を閉じ込めた、氷獄の宝山。

 それを、エリアと憑依装着を解いたギゴバイトは息を飲んで見つめていた。

 否。

 見つめていたのは、もっと別のもの。

 輝く銀氷の山。

 その頂きにうずくまる、影。

 他の二頭に比べ、一回り程も巨大な身体。

 身を覆うのは、氷の結晶を思わせる分厚い外殻。

 背から生じる、鋭利な刃の様に湾曲する翼。

 何より異様たるは、無脊椎動物の触手の様に伸びた三本の首。

 それそれぞれに連なるは、仮面の様に無機質な頭部。

 眠っているのだろう。

 六つの目は全て閉じられ、口の辺りからは白い吐息が定期的に漏れている。

 『氷結界の龍・トリシューラ』。

 正しく、伝説と詠われた凶龍が、そこにいた。

 「・・・・・・。」

 『・・・・・・。』

 エリアとギゴバイト。二人共が、声も出せずに立ち尽くす。

 かの存在が放つ邪気、重圧、そしてその美しさ。

 その全てが、圧倒的な存在感となって二人を絶句たらしめていた。

 『これが・・・トリシューラ・・・。』

 「綺麗・・・。」

 忘我のままに、呟くギゴバイトとエリア。

 そのまま、どれほどの時が経っただろう。

 カランッ

 転げ落ちた小石が、小さな音を立てた。

 「『~~~~~~っ!?』」

 思わず、大声を上げて飛び上がりそうになる二人。

 慌ててお互いに口を塞ぐ。

 そのまま、チラリと上を見る。

 トリシューラに動きはない。

 変わらず、氷墓の山の上で眠りこけている。

 それを確認すると、二人はようやくお互いの口から手を離す。

 心の底からホッと息をつく、二人。

 「ちょっと、気をつけてよね!!気づかれちゃうじゃない!!」

 『何言ってんだい!!君だって・・・!!大体、どっちにしろ起こすんだろ!?』

 「心の準備ってもんがあるでしょ!!準備ってもんが!!」

 小声でギャアギャア言い合い、ゼエゼエと息をつく。

 「ま・・・まぁいいわ。いい?作戦通りに行くわよ?」

 『わ・・・分かった。』

 大きく一度、深呼吸するエリア。

 そしてトリシューラに向き直ると、大声を張り上げた。

 「起きなさい!!トリシューラ!!」

 クワン クワン

 クワン クワン

 発せられた声が、周りの氷壁に反響して鳴り響く。

 カランッ ガラガラッ

 伝わった振動で、氷墓の山から氷塊が転げ落ちる。いくつもいくつも。大きな音を立てて。

 クワン クワン クワン・・・

 谷いっぱいに響いた声が、尾を引きながら消えていく。

 息を呑んで”それ”を見つめる、エリアとギゴバイト。

 そして―

 ピ ク リ

 横たわる巨体が動いた。

 三本のうちの、中心に座する頭部。

 その目に、ピッと光が走る。

 キシシ・・・

 氷が軋む様な音を立てて、開いていく目。

 昏く落ちくぼんだ、奈落の様な眼孔。

 その闇の奥に、ポウと金色の光が灯る。

 光は見る見る周りの虚ろを埋め、爛々と輝く眼となった。

 ググ・・・

 真ん中の首が動き、己の玉座の下を見下ろす。

 そこに蠢く二匹の小虫。

 それを見とめ、氷龍の王はその目を細めた。

 

 

 『起きた・・・。』

 トリシューラの首が見下ろしてくるのを見て、ギゴバイトが小さく呟く。

 上から氷の塊で押しつぶされる様な、強烈なプレッシャー。

 先に出会った二頭のそれが、そよ風の様にすら感じられる。

 気温は酷く低い筈なのに、気持ちの悪い汗が後から後から吹き出して来て止まらない。

 それをローブの裾で拭いながら、エリアは言う。

 「上等じゃない・・・。やってやるわよ・・・。」

 顔を上げ、自分達を見下ろす金眼をギッと見返す。

 そして―

 クニャリ

 突然品を作る、細い身体。

 白い指が唇をなぞり、艶かしい声が”それ”の名を呼ぶ。

 「ねえ。貴方、トリシューラでしょう?あたしは、エリアっていうの。」

 ・・・・・・。

 「噂には聞いてたけど、それ以上ね。凄く、綺麗でカッコイイ。」

 ・・・・・・。

 「あのね、貴方を見込んで、お願いがあるんだけど・・・」

 ・・・・・・。

 「お願い。あたしのしもべになって♡」

 ・・・・・・。

 「・・・・・・。」

 しばし流れる、冷たい静寂。

 と、

 ピキ・・・

 トリシューラの仮面の様な顔に、一筋の亀裂が走る。

 ピキピキピキ

 それは見る見る広がり、白磁の顔に歪んだ笑みを貼り付ける。

 笑み。

 そう。

 トリシューラは笑っていた。

 新たな獲物を見つけた、歓喜の笑みか。

 新たな宝珠を手にする、愉悦の笑みか。

 それは、分からない。

 ただ、トリシューラは笑んでいた。

 その顔を、歪な凶気に歪ませて。

 「―――――っ!!」

 冷水を浴びるかのように、身体中を駆け巡る悪寒。

 雪崩落ちる邪気が、絡む蛇の様にエリアの動きを止める。

 竦み上がる身体。

 止まった視界の中で、トリシューラがその(あぎと)を開くのが見える。

 ピシピシ・・・ピシピシ・・・

 氷がひび割れる様な音を立て、死の亀裂が広がっていく。

 ひび割れの間から覗く、無数の牙。その奥で、青白い光が閃く。

 エリアはまだ、動けない。

 光が、強さを増していく。

 そして―

 『エリア!!』

 ギゴバイトがエリアに体当たりするのと、トリシューラの口から光が溢れ出すのは同時だった。

 ピシャァアアアアッ

 つんざく様な轟音とともに迸る、蒼白い電光。 

 グガァンッ

 光が着弾した場所が瞬時にして凍りつき、次の瞬間爆音とともに粉々に弾け跳ぶ。

 「つ・・・あ・・・」

 『エリア、大丈夫!?』

 「う、うん・・・!!」

 抱き合ったままゴロゴロと転がり、かろうじて電撃と爆発を避けた二人。

 体制を立て直しながら、トリシューラを見上げる。

 ガラガラ ガシャンッ

 氷墓の玉座を崩しながら、その巨体が動き始めていた。

 先まで眠っていた残り左右の首も、昏い光の宿る目を開き、長虫の様に蠢き始めている。

 刃の様に鋭い翼が大きく開き、氷霧の果てに微かに見えていた空を覆い尽くす。

 氷の剣の様な尾が一凪し、分厚い氷壁を易々と粉砕した。

 キシャアアアアアアアッ

 咆哮。

 周囲のものが、怯える様にビリビリと震える。

 世の森羅万象を睥睨し、氷龍の凶王は玉座の上でもう一度雄叫びを上げた。

 

 

 「―――っ!!なんつー馬鹿でかい声・・・。」

 ジンジンと悲鳴を上げる鼓膜を抑えながら、エリアは言う。

 『それどころじゃない!!来るよ!!』

 墓山の上からこちらを見下ろすトリシューラを見て、ギゴバイトが叫ぶ。

 「分かってる!!気合い入れて!!」

 『うん!!』

 力強く頷き合う二人。

 そんな二人に向かって、雪崩落ちてくるトリシューラ。

 三度響き渡る咆哮。

 キシャアアアアアッ

 『ま、待て!!話し合おう!!僕達は、きっと、分かり合える!!』

 「何馬鹿な事やってんの!?早く逃げないと殺られるわよ!!」

 『何でよりにもよってこんな奴選んだんだよ!?』

 「どうせなら、派手な方がいいじゃない!!でも、アタシの魅力が通じないなんて・・・!!とんだ朴念仁だわ!!」

 『あ・・・アンタはアホじゃー!!』

 「んな・・・!?あんた、主人に向かってー!!」

 『アホにアホ言って何が悪いー!?』

 「な、何ですってー!?」

 『何だよー!?』

 キッシャァアアアアッ

 「『あっ―――――!!!』」

 迸る氷雷をすんででかわし、わざとらしくバカ騒ぎをしながら走る二人。

 その後を、トリシューラが地響きを立てて追う。

 しかし、その距離は付かず離れずと保たれる。

 『・・・あいつ、何で一気に襲ってこないんだ?』

 後ろをチラチラと見ながら、ギゴバイトが怪訝そうな声を出す。

 「・・・わざとよ。」

 吐き捨てる様に答えるエリア。

 『わざと?』

 「ええ。」

 地を走って来た雷氷が、二人のスレスレを掠めていく。

 それを横目で見ながら、エリアは言う。

 「わざと間を伸ばして、遊ぶ時間を長くしてるのよ。猫が獲物を玩具にするみたいにね。」

 『・・・趣味悪いな。』

 青ざめながら、青息を吐くギゴバイト。

 「全くね。」

 間髪入れず、同意するエリア

 こちらも青ざめながら、それでも不敵な笑みを浮かべる。

 「でも、その悪趣味が命取りよ。今に見てなさい!!」

 そう。

 エリア達が走りゆく先。

 そこには先刻、彼女が構築した『落とし穴(フォール・ホール)』が仕掛けてある。

 「あそこに誘い込めれば、こっちのもの!!」

 その場所まで、あと10m。

 5m。

 会心の笑みを浮かべるエリア。

 しかし、

 ズン!!

 重い足音と共に、地響きが止まった。

 「え?」

 『何!?』

 思わず振り返る二人。

 トリシューラが、その足を止めていた。

 「な、何よ!!何で止まるの!?」

 エリアが叫んだその瞬間、トリシューラの真ん中の首が口を開いた。

 クゥオォオオオオオオオオンッ

 響き渡る咆哮。

 途端、爆風の様な吐息と共に”何”かがエリア達を襲う。

 「キャアッ!!」

 『うわぁあっ!!』

 吹き付ける波動の中で、エリアはそれが何かを悟る。

 「・・・これは・・・魔力!?」

 彼女がそう理解した瞬間―

 ピシ・・・ ピシシ・・・

 耳に入る、嫌な音。

 振り返ったエリアは見た。

 ”その場所”に浮かび上がる、朱い魔法陣。

 先刻、自分が構築した『落とし穴(フォール・ホール)』の構築式。

 吹き荒ぶ魔力の嵐の中、それが悲鳴の様な軋みを上げる。

 凍てつき。

 砕け。

 崩壊していく。

 呆然とするエリアの目の前で、彼女の”切り札”は塵と化して消えた。

 「しまった・・・!!」

 『危ない!!』

 一瞬忘我に至った彼女が、その声を聞くのと強い衝撃を感じたのはほぼ同時だった。

 「―――――っ!!」

 細い身体が宙を舞う。

 視界の端に、巨蛇の様にうねる尾が見えた。

 そのまま―

 グワシャアッ

 身体が、地面に叩きつけられた。

 「カハッ・・・」

 肺の中の酸素が押し出され、鈍い痛みが全身を襲う。

 ズル・・・

 無意識に、腹部に手を伸ばす。

 ヒヤリ

 触れたのは熱い臓物ではなく、冷たい鱗の肌だった。

 「!!」

 思わず顔を上げる。

 目に入ったのは、自分の身を守る様にしがみつくギゴバイトの姿。

 「ギゴ!!」

 痛みを忘れて飛び起き、その身を抱き取る。

 「ギゴ!!ギゴ!!しっかりして!!」

 恐らくは彼女を庇い、トリシューラの一撃をその身に受けたのだろう。

 その背中には、クッキリと尾の跡が残っていた。

 「ギゴ!!しっかりして!!しっかりしてったら!!」

 半狂乱でその身を揺する。

 反応はない。

 「そんな・・・そんな・・・」

 もう一度揺すろうとしたその時―

 フッ

 突然、落ちる影。

 「!!」

 咄嗟に振り仰げば、今まさに頭上に落ちんとする尾の威形。

 「くっ!!」

 ギゴバイトを抱いたまま、咄嗟に横に転がる。

 ゴガァンッ

 打ちつけられた尾が、地を砕く。

 バラバラッ

 弾ける瓦礫が、身に当たる。

 小さな破片が頭部を掠め、朱いものが散るが気にする間はない。

 流れ落ちる血を拭い、相方の身体を抱えたまま近くに開いた岩の隙間に潜り込む。

 「ハッ、ハァッ!!」

 上ずる呼吸を強引に鎮め、再びギゴバイトの身体を揺する。

 「ギゴ!!ギゴ!!」

 こみ上げてくるものが抑えきれなくなった時、小さな身体がピクリと動いた。

 「ギゴ!!」

 声をことさら大きくして、呼びかける。

 『う、うぅん・・・』

 小さな呻きとともに、目を開けるギゴバイト。

 「ギゴ・・・。よかった・・・。」

 力いっぱい、抱き締める。

 『エ、エリア!!痛い痛い!!』

 ギゴバイトが、悲鳴を上げる。

 「ご、ごめんなさい!!」

 思わず、手を離す。

 『あつつ・・・そんなに心配しないで。見た目ほど酷い傷じゃないから。』

 背中の痣をさすりながら言うギゴバイト。

 「でも・・・」

 なおも気遣うエリアに向かって、苦笑いを向ける。

 『大丈夫だって。骨も折れてないし、内臓も無事みたい。戦えるよ。でも・・・』

 怪訝そうに、頭を捻る。

 『むしろ、何で無事だったんだろ?ミンチになるくらい、覚悟してたのに・・・。』

 ミンチ。

 その言葉に背筋を震わせながら、エリアは言う。

 「・・・わざとよ。」

 『へ?』

 「言ったでしょ。トリシューラ(あいつ)は少しでも遊びたいのよ。だから、わざと手を抜いたの。」

 『はは・・・。なるほど。じゃ、その悪趣味のお陰で命拾いした訳か・・・。』

 苦笑しながら、身を起こすギゴバイト。

 『痛っ・・・!!』

 全身に走る痛みに、顔をしかめる。

 「ギゴ・・・、無理しないで。」

 ギゴバイトの頭に、そっと手が添えられる。

 「ごめんなさい。あたしのせいで・・・。」

 『・・・エリア?』

 「もう十分よ。貴方はここで休んでて。」

 『え・・・?』

 「後は、あたしがやるわ・・・。」

 それを聞いたギゴバイトが仰天する。

 『何言ってるのさ!!たった一人で、あんな化物相手に出来る筈ないだろ!!』

 その言葉に、フフンと鼻を鳴らすエリア。

 「そっちこそ何言ってんのよ。そんなボロボロで、何が出来るの?」

 『・・・・・・!!』

 「足手纏いよ。ここで、あたしの力ってやつを見てなさい!!」

 そのまま、外に向かおうとするエリア。しかし―

 「!!」

 そのローブの裾を、ギゴバイトの手が掴んでいた。

 『エリア、もう嘘はつかないって言う約束だよ。』

 「ギゴ・・・。」

 『ほら、足が震えてる。』

 金色の眼差しが、エリアを見つめてニコリと微笑む。

 『一緒に行こう。僕達は、パートナーだろ?』

 「・・・・・・。」

 滲む視界をゴシゴシと拭い、少女はコクりと頷いた。

 

 

 その頃、トリシューラは岩の亀裂の外でジッと”そこ”を見つめていた。

 岩壁を砕く事もせず。

 亀裂を抉る事もせず。

 ただ、ジッと待っていた。

 目の前の壁を壊して、中の獲物を引きずり出すのは造作もない事。

 しかし、彼はあえてそれをしなかった。

 そんな事をして、事を早く終わらせる気は毛頭なかった。

 三つの頭が、六つの目で亀裂を見つめる。

 昏い光を宿す眼差しが、キュウと細まる。

 ・・・気に入らない気配だった。

 忌々しい香りだった。

 今より昔。

 ずっと前。

 永代の時を生きてきた自分ですらも、長いと思うそんな昔。

 自分をあの封印に縛った、あの人間。

 今より少し前。

 僅かの間。

 長世を経て来た自分にとっては、またたき一つにも足りない時間。

 自分を再び縛ろうとした、あの女。

 それと同じ気配が。

 それと同じ香りが。

 あの獲物からしていた。

 またか。

 また自分を縛ろうというのか。

 結構な事だ。

 忌々しい封印から解放された、僅かな時間。

 この地から出る事自体は、簡単だった。

 残った理由は、ただ一つ。

 ここで待てば、必ずこの気配を持つ者が現れると確信していた。

 そして。

 そして、確かに。

 その者はやって来た。

 あの頃と同じ、気配をたたえて。

 あの時と同じ、香りをまとって。

 砕いてやろう。

 其が身体を。

 二度と、そんな不遜を抱けぬ様に。

 刻んでやろう。

 其が魂に。

 二度と、そんな愚行を計れぬ様に。

 さあ。

 さあ。

 早く。

 早く。

 出てくるがいい。

 我が牙の前に。

 我が爪の下に。

 はやる。

 猛る。

 凶気が、飢える。

 のたうつ本能を抑えながら、トリシューラはただその時を待った。

 

 

 「・・・なんて事を、考えてるんでしょうね。小憎たらしい。」

 亀裂の隙間から外を覗き見るエリアに、ギゴバイトが問う。

 『でも、キツイのは確かだろ。さっきの“アレ”、何?』

 「『虚壊咆哮(デスペラード・ハウル)』。」

 『デスペラード・ハウル?』

 「トリシューラの咆哮には、魔力があるの。その圧倒的な波動で魔力磁場を崩壊させて、召喚式や魔法、果ては構築中の術式まで消し飛ばしてしまうのよ。」

 その言葉に、目を丸くするギゴバイト。

 『なんだいそれ!?まんまインチキじゃないか!!』

 「だから、悟られない様に構築式の見えない罠魔法(トラップ・スペル)を使ったんだけど・・・。思ったより鼻が効くみたい。すっかり予定が狂っちゃった。」

 やれやれと言った体で首を振るエリア。

 『じゃあ、どうするのさ。他に手はあるの?』

 相方の問いに、しかし彼女は胸を張って答える。

 「あるわよ。」

 『その心は?』

 「力押し。」

 ズコッ

 ずっこけるギゴバイト。

 『ちょ、ちょっと、エリア!!そんないい加減な!!』

 「いい加減じゃないわよ。いくらあいつだって、あんな大技連発出来るはずないわ。絶対次までに間が空く筈だから、そこを手数で畳み込む!!」

 『大雑把だなぁ・・・。』

 呆れ顔のギゴバイト。

 けれど、エリアはめげない。

 「いいのよ。やっぱり、策を弄するなんてエレガントじゃなかったわ。横っ面張って傅かせてこその下僕よね。」

 『うわぁ、怖い。ヒータさんが伝染ったかな?』

 「何よ。それ。」

 肩を竦める相方に笑いかけると、ふと思い至った様に唇に指を当てる。

 「ヒータか・・・。そういや、あの娘に香水借りたまんまだったわね。」

 『借りた?勝手に使ったの間違いじゃないの?』

 「返すんだからいいのよ。」

 『そんなお金あるの?ウィンさんにも新しい甘味屋さんに誘われてるんでしょ?』

 「あれはあの娘の奢りよ。そういや、ダルクにも誕生日プレゼントのお返しもらってないわね。」

 『メモ帳一冊渡しただけじゃない。それ言うなら、コーヒーこぼしちゃったライナさんのアドレス帳の修復もしなくちゃ。泣いてたよ。ライナさん。』

 「うわ、めんどくさ!!あの娘の”ともだち”って何人いるのよ?気が遠くなるわ。」

 『アウスさんに、修復魔法の構築式教えてもらわないとね。対価が安く済めばいいけど。』

 「・・・そう言えば、『落とし穴(フォール・ホール)』の対価がまだだったわ・・・。」

 『マジ!?じゃあ、ちゃんと返さなきゃ!!でないと、一生・・・いや、死んでからも、霊体(スピリット)召喚されて下僕にされちゃうかも!!』

 「・・・やりそうだわ・・・。」

 青ざめた顔で頭を抱えるエリア。

 そんな彼女を見ながら、ギゴバイトが笑う。

 『つまり・・・』

 「こんな所で、死んでられないって事ね!!」

 『そう言う事!!』

 顔を合わせ、笑い合う。

 そして―

 「行くわよ!!」

 『うん。』

 重なり合う、二人の影。

 眩い光が、昏い空間を照らした。

 

 

 ピシリ

 閉ざされていた眼差しが、軋む様な音を立てて開いていく。

 昏い眼孔を彩る暗金色の光が、その焦点を眼前の亀裂に合わせていく。

 暗かった岩壁の亀裂に、蒼い光が満ちていた。

 感じる、魔力の波動。

 ピキキキキ・・・

 無表情だった三つの顔。

 それに、ひび入る様に広がっていく笑み。

 氷色(ひいろ)の身体が、重い音を立てて動き出す。

 来る。

 来る。

 さあ。

 おいで。

 おいで。

 おいで。

 氷刃の爪を軋らせて。

 薄氷の牙を軋ませて。

 仮面の顔を歪ませて。

 ゆっくりと腰を落とし、光の満ちる亀裂を覗き込む。

 その瞬間―

 ギュンッ

 閃く、蒼い閃光。

 それが、真っ直ぐに彼の目へと向かう。

 慌てる必要はない。

 ほんの少しだけ、視線をずらす。

 ギャガガガガンッ

 目標を逸らされた蒼閃は、目の横の鱗を滑りながら後方へと流れていく。

 ズガガァンッ

 それが反対側の岩壁に着弾するのを見届けると、彼はゆっくりとその身を起こした。

 

 

 『ゲホ・・・。だ、大丈夫か!?エリア!!』

 勢い余って岩壁に突っ込んだ彼女に向かって、クッション替わりになったガガギゴが訊く。

 「あつつ・・・。何よ、あいつ!!デカイわりに反応良すぎ!!」

 頭の石屑を払い落としながら、エリアが毒づく。

 『言ってる場合じゃない!!横!!』

 相方の声に、咄嗟に頭を下げる。

 グォンッ

 瞬間、その上を轟音と共に通り過ぎる巨木の様な尾。

 逃げ遅れた髪が数本、ハラハラと悲しげに散る。

 「こんの!!乙女の髪をよくも!!」

 憤慨するエリア。

 その目の前で、身を起こしたトリシューラがゆっくりとこちらを向く。

 エリア達の姿を視界に収めたそれは、白い顔に亀裂の様な笑みを浮かべた。

 「涼しい顔で余裕かましてんじゃないわよ!!」

 手にした杖が光を放ち、鋭い水流を纏う。

 「これでどう!?『蒼の麗槍(アジュール・ソヴァジヌ)』!!」

 声とともに、槍の様な水流が飛ぶ。

 狙いはまた、トリシューラの目。

 しかし、今度も軽く首を揺らすだけでかわされる。

 狙いのそれた水槍は硬い氷の鱗に弾かれ、散った。。

 「ちぃっ!!素早い!!」

 舌打ちをするエリア。

 憑依装着したエリアの特殊攻撃、『蒼の麗槍(アジュール・ソヴァジヌ)』。

 相手の防御を貫通してダメージを与える効果を持っているが、トリシューラの防御は固く、それもままならない。

 『厄介だな。「大男、総身に知恵が回りかね。」とはいかないみたいだ。』

 言いながら、水撃を放つガガギゴ。しかしそれも氷の鱗に弾かれ、ダメージを与えるに至らない。

 トリシューラの三つ首が、嘲笑う様に口を開く。

 それぞれの口腔に灯る、青白い光。

 『エリア!!来るぞ!!』

 「分かってる!!」

 ガォオンッ

 空気をつんざく轟音。

 乱れ飛ぶ雷光が、周囲を爆砕し、凍てつかせていく。

 飛び交う冷光と氷塊の嵐をかいくぐりながら、エリアとガガギゴは攻撃を放つ。

 しかし、当たりはすれど効果はない。

 一方、トリシューラの放つ雷撃は凄まじい威力なれども、それ自体はエリア達の身をかすりもしない。

 目測が甘い訳ではない。

 事実、電光の幾筋かは、からかう様にスレスレを通り抜けていく。

 わざと。

 遊んでいるのは、明白だった。

 忌々しげに顔を歪めるエリア。

 「っとに性格悪いわね。絶対、女の子にもてないわ!!」

 言いながら、クルリとトリシューラに向き直る。

 『エリア!?』

 「埒があかないわ!!(スペル)を使う!!」

 ―(スペル)

 その言葉に、トリシューラがピクリと目を細める。

 初めて見せる、警戒の気配。

 そんな彼に向かって、エリアは杖を突き出す。

 先端に灯る、螢緑の光。

 (さあ、来なさい!!)

 心の中で呟く。

 トリシューラの中首が、口を開ける。

 その中から、溢れてくる膨大な魔力の波動。

 そして―

 クゥオォオオオオオオオオンッ

 響き渡る、破術の咆哮。

 杖に収束していた光が凍てつき、消し飛ばされる。

 (かかった!!)

 吹き付ける魔力の嵐の中、エリアはほくそ笑むと杖を持つ手とは反対の手を開いた。

 そこに展開する、新たな魔法陣。

 術の並行励起。

 先に灯した魔光は囮。

 今、この手にある術式こそ本命。

 術の名は、永続魔法(エターナル・スペル)災厄の水面(ウォーターハザード)』。

 それは起動に伴い、術者の代わりに水属性の下僕一体を召喚する魔法。

 エリアはこれと自身による召喚で手駒を増やし、能力使用後の”間”に陥っているトリシューラを数で畳み込むつもりだった。

 事実、先の咆哮の余韻はまだトリシューラを縛っている。向こうが体制を立て直すよりも、こちらの戦線構築の方が確実に早い。

 (行ける!!)

 彼女が確信したその時―

 『エリア!!』

 ガガギゴの、切羽詰まった声が耳に突き刺さった。

 「!?」

 ハッと視線を動かすと、こちらを見つめる昏い輝きと目が合った。

 それは、トリシューラの三つ首のうちの別の一本。

 カッと開いた歯牙の奥に渦巻く、魔力の気配。

 それが何かを察したエリアの身体から、急激に血が引いていく。

 「そんな―」

 ―早すぎる―

 彼女が言葉を形にする前に、それが放たれる。

 クゥオォオオオオオオオオンッ

 三度響き渡る、魔性の咆哮。

 凍てつき、砕け散る魔法陣。

 「――――っ!!」

 愕然とするエリア。

 途端―

 ゾクリ

 更なる悪寒が、彼女を襲う。

 振り返る。

 反対側の首が、こちらを見つめていた。

 昏く光る眼差しが言う。

 『もう、飽いた。』と―

 ギチチ・・・

 軋みを上げて、(あぎと)が開く。

 その中に収束する、青い光。

 それが、先までの雷光とは違うと察した時にはもう遅い。

 ゴバァッ

 暗い口腔から吹き出す、青白く輝く氷の竜巻。

 瞬間、全てが暗転した。

 

 

              ―5―

 

 

 ギャガガガァガガガガッ

 圧倒的な力の奔流が、全てを飲み込む。

 大気は引き裂かれ、霧氷と変わる。

 大地は抉り砕かれ、氷塵と化す。

 あらゆる存在を凍て壊し、暴君の氷嵐は踊り狂う。

 ヒゥウウウウウ・・・

 やがて、すすり泣きの様な余韻を残し狂える嵐は消えていく。

 後に残されるは、見る影もなく破壊された氷獄の光景。

 そして―

 『あ・・・くぅ・・・』

 身に被さった氷礫を押しのけ、何とか這い出す。

 氷片が張り付き、強張る身体がパキパキと悲鳴を上げる。

 荒い息をつきながら己の身を見た時、”彼”は目を見開いた。

 身体が、『ガガギゴ』から『ギゴバイト』に戻っていた。

 『憑依装着』が解けている。

 それは、術者からの魔力供給が途切れた事を意味する。

 『――――っ!!』

 最悪の事態が脳裏を過ぎる。

 『エリア・・・エリアーッ!!』

 喉に満ちる冷気にむせ込みながら、必死にその姿を探す。

 と、その目に見慣れた色が飛び込んで来た。

 涼やかな清流の様な、水色の髪。

 見間違える筈もない、その姿。

 『エリア!!』

 彼女は下半身を瓦礫に埋め、うつ伏せに倒れていた。

 ボロボロのその身は、ピクリとも動かない。

 気絶しているのか。それとも―

 『エリア・・・待ってて・・・今、行くから・・・』

 全身にまとわりつく痛みを押し、彼女に向かって必死に這いずる。

 と―

 フッ

 彼らの上に落ちる、昏い影。

 思わず見上げる。

 そこにあったのは、こちらを見つめる六つの目。

 トリシューラが、覆いかぶさる様にして彼らを見下ろしていた。

 ググッ

 三つの頭のうち、中の首がゆっくりと降りてくる。

 それが向かうのは―

 『な、何を・・・!?』

 呻く様な声を上げる、ギゴバイト。

 薄く開いた亀裂の様な口が、エリアの身体をつまみ上げた。

 ガララ・・・

 されるがままのエリア。

 その身に被さっていた瓦礫が、音を立てて崩れていく。

 彼女を持ち上げたトリシューラは、舌を器用に動かすとその身体を牙の上に乗せた。

 『あ・・・あぁ・・・』

 その意図を察したギゴバイトが、戦慄く様な声を上げる。

 『や・・・やめろ・・・』

 震える声が、訴える。

 けれど、トリシューラの動きは止まらない。

 『頼む・・・やめてくれ・・・』

 鋭い牙が並んだ(あぎと)が、見せびらかす様に大きく開く。

 死の断頭台に乗せられたエリアの姿が、酷くか細く見えた。

 やがて、(あぎと)が閉まり始める。

 すぐにではない。

 別れを惜しませるためか。

 それとも、少しでも苦しみを長引かせるためか。

 ゆっくりと。

 酷く、ゆっくりと。

 『駄目だ・・・。駄目だ・・・。』

 少しでもそれに近づこうと、ギゴバイトは這いずる。

 けれど、何も出来ない。

 出来る筈もない。

 (あぎと)が閉じる。

 鋭い歯牙が、エリアの身体に喰い込む。

 小さな口が、苦悶するかの様にカハリと息を漏らす。

 あと数秒で、牙の群れがその身体を噛み潰すだろう。

 『やめろぉおおお――――っ!!』

 ギゴバイトの口から迸る、血を吐く様な叫び。

 それが、絶望の慟哭に変わろうとしたその時、

 『―受け止めよ。若者―』

 そんな声が、耳に届いた。

 一瞬、唖然とするギゴバイト。

 そして―

 

 ゴォアァアアアッ

 

 突如、響き渡る轟音。

 谷全体が、怯える様に振動する。

 それが、何者かの咆哮だと気がついた瞬間、

 ゴゥンッ

 突如押し寄せる、猛烈な力の波動。

 薙ぎ払う様に、トリシューラを打つ。

 ギシャアアアアアアアッ

 不意をつかれたトリシューラ。

 その身が傾ぐ。

 開いた口から落ちる、エリアの身体。

 『エリア!!』

 渾身の力を振り絞る。

 凍てつきかけた四肢が、砕けるかと思うほどに悲鳴を上げる。

 けれど、構わない。

 無我夢中で飛び出す。

 落ちてくる身体。

 全身で抱き止める。

 ガラッ ガラガランッ

 その勢いのまま、氷礫の山を転げ落ちる。

 けれど、その手は離さない。

 絶対に。

 絶対に。

 離さない。

 やがて、転がっていた身体が止まる。

 『ハァッ!!ハァッ!!』

 息をつくのももどかしく、腕の中の少女を見やる。

 『エリア!!エリア!!』

 呼びかけながら、その身を揺する。

 すると―

 「う・・・あ・・・?」

 か細い声と共に、閉じていた瞳が薄く開く。

 『―――っ!!エリア!!しっかりして、エリア!!』

 微かに灯った種火に息を吹きかける様に、たゆたう意識に呼びかける。

 「あ・・・ギゴ・・・?」

 反応が返る。

 虚ろだった瞳に光が戻り、その中にしかとギゴバイトの姿を映す。

 『エリア・・・。良かった・・・!!』

 半泣きの表情で、エリアを抱き締める。

 「どうしたの?ギゴ・・・。・・・あれ・・?何だろ・・・?さっきと、ぎゃ、く・・・!?」

 意識が明確になるにつれ、エリアの顔に血が上がっていく。そして―

 「きゃあああああああっ!!」

 絶叫とともに、突き飛ばした。

 『んぎゃっ!?』

 不意をつかれたギゴバイト。

 そのままコロコロと転がり、後ろの氷壁に後頭部を打ち付ける。

 『な、何すんだよ!?』

 頭の周りに星を飛び回らせながら、抗議するギゴバイト。

 対するエリアは自分の身をかき抱き、真っ赤な顔で涙目になりながら抗議する。

 「何じゃない!!どさくさに紛れて何してんのよ!?このエッチ!!ドスケベ!!」

 『んな・・・!?そんなつもりじゃ・・・ってか、そんな事言ってる場合じゃないだろ!!』

 エリアの言わんとしている事に気がついたギゴバイト。

 こちらも真っ赤になりながら、弁解する。

 「うるさいうるさうるさい!!大体、もっとシチュエーションってもんを考えなさいよ!!何だって、こんな所で・・・!?」

 言いかけて、ハッと口を抑える。

 『・・・は?』

 「あ・・・」

 目を丸くするギゴバイト。

 エリアも口を覆ったまま、固まる。

 流れる、気まずい時間。

 双方が、それに耐え切れなくなったその時―

 『クク・・・。誠、若いのう。』

 上方からそんな声が響き、同時に大きな影が降ってきた。

 ドズゥウン

 重い音とともに、エリア達の前に降り立った者。

 それは、蒼白の剛毛に包まれた一頭の巨虎だった。

 『無事・・・とは言い難いが、とりあえず生きてはいる様だな。娘よ。』

 「ドゥローレン・・・。どうして・・・?」

 状況が飲み込めないと言った体のエリア達に向かって、氷虎の王は笑いかける。

 『なに。久方ぶりの若い気にあてられてな。あのまま時に流されて朽ちゆくよりも、一つ死に花でも咲かせてみようかと思ったまでよ。』

 「ドゥローレン・・・。」

 そんな彼に向かって、身を起こそうとするエリア。

 その視界の向こうで、巨大な影が蠢く。

 ズズズ・・・

 ゆっくりと身を起こす、トリシューラ。

 ウネウネとうねる三つ首が、忌々しそうに皆を見据える。

 折角の享楽を邪魔されたせいだろうか。

 その眼差しは、明確な怒りに燃えていた。

 ピシリ

 三つの頭が同時に口を開く。

 それぞれの口中に灯る、青白い光。

 『まずい!!くる!!』

 ギガァアアアアッ

 一斉に放たれる、三つの雷閃。

 しかし―

 ゴォオアアアアアアッ

 再び、ドゥローレンが吠える。

 その波動が一本の雷撃とぶつかり、相殺する。

 残るは二本。

 それを迎え撃つため、身構えるエリアとギゴバイト。

 けれど、氷壊の雷光が二人に達しようとしたその時―

 ザッ

 二人の前に、二つの人影が立つ。

 ドゥローレンが言う。

 『おぅ、言い忘れていたが・・・』

 キラリ

 エリアの瞳に映る、鏡の輝き。

 「禁!!」

 凛と響く声。

 それとともに光が眩き、雷光が弾かれた様に軌道を変える。

 一方、ギゴバイトの視界を塞いだもの。

 それは、目に痛くひるがえる真紅のマント。

 「噴っ!!」

 気合いの声とともに双身の刃が閃き、迫り来る雷光を弾き飛ばした。

 グガッ

 ゴガァッ

 軌道を外された雷撃は、それぞれが岩壁や地面をえぐる。

 それを横目で見ながら、ドゥローレンはトリシューラに向かってにやりと笑みを浮かべる。

 『此度の戦、名乗りを挙げるは我ばかりではないぞ。』

 その言葉を聞きながら、エリアとギゴバイトは目の前の二人を唖然と見つめる。

 「・・・身の安全は保証しないと言った筈ですが?」

 ”彼女”はそう言いながら、エリアに向かって振り返る。

 「あんた・・・。」

 「話はドゥローレン様から聞きました。全く、かの血筋の者が何をノコノコ戻って来たのかと思えば・・・。」

 手に下げた鏡がシャラリと鳴って、目を丸くしているエリアの顔を映す。

 「今になってまだ、そんなカビの生えた血縛に囚われていたとは・・・。いいですか?」

 細い指が、ビシリとトリシューラを指す。

 「”あれ”は、氷結界(我々)の罪なのです!!放逐された貴女方には、もう一切関係のないもの!!だから、」

 そのまま、今度はビシリとエリアを指差して、

 「貴女はとっとと帰って、外界でのほほんと暮らしてればいいんです!!」

 氷結界の風水師は、ピシャリと言い渡した。

 ピクリ

 その言い様に、エリアの米神がヒクつく。

 「何偉そうな事言ってんのよ!!大体、氷結界(あんた達)がいつまでももたついてるから・・・!!」

 「それが余計な事だと言うんです!!」

 「何ですってー!?」

 「何ですかー!?」

 ぎゃあぎゃあと言い合う、少女二人。

 それを見た、赤マントの武人が笑う。

 「随分と、姦しいな。まあ、あの様子なら心配はないか。」

 『あ・・・あんたは、さっきグングニールと戦ってた・・・?』

 問いかけるギゴバイトに、武人は「応。」と言って己の身体の鎧を見せる。

 そこに刻まれるは、Xの紋章。

 『X・・・セイバー・・・。』

 「『ガトムズ』だ。戦士団の指令を担っている。先だっては、部下が世話になったらしいな。」

 『あ・・・。』

 ギゴバイトの脳裏に、先刻助けた獣人戦士の姿が浮かぶ。

 「氷龍の巫女の血筋の者が見届け人となるか。これも因縁というものだろう。」

 鎧の中の双眼が、トリシューラを見据える。

 「この戦、今日で終わらせよう!!散っていった同胞の魂と、この剣にかけて!!」

 ガトムズが吠えた、その途端―

 オォオオオオオオオオッ

 周囲から一斉に上がる、時の声。

 いつの間に集まったのだろう。

 幾人もの軍勢が、トリシューラを取り囲んでいた。

 その中には、Xの紋章の入った装備を身につけている者も何人か見受けられる。

 『凄い・・・。』

 唖然としながら呟くギゴバイト。

 エリアの目は、戦士団とは反対側に現れた者達に注がれている。

 東洋風の衣装に、氷の結晶を模した装備。

 「・・・氷結界・・・。」

 その姿に、妙な懐かしさを感じたのは気の迷いだろうか。

 「ブリューナクとグングニールは別働隊が抑えている!!皆はトリシューラに全力を尽くせ!!」

 響き渡る、ガトムズの指令。

 「了解!!」、「承知!!」と言った声が飛び交う。

 それとともに始まる、トリシューラへの総攻撃。

 戦士団からは、矢や投石、爆弾の類や鋭い剣閃。

 氷結界の陣営からは次々に魔法陣が展開し、氷弾や雷弾が飛ぶ。

 瞬く間に爆炎に覆われて行く、トリシューラ。

 ギシャアアアアアアアッ

 響き渡る、怒りの咆哮。

 爆煙の中から伸びてきた首が、氷雷を放とうと口を開ける。

 しかし、

 『させぬ!!』

 ドゥローレンが吠える。

 相殺され、氷塵と散る氷雷。

 その背後から、双刃を構えたガトムズが跳躍する。

 「『身剣一体』!!」

 眩い光を帯びる身体。

 「『セイバー・スラッシュ』!!」

 閃く剣閃。

 光の刃が炸裂し、トリシューラの首を揺らした。

 

 

 「・・・始まりましたね。」

 風水師がエリアとの言い合いを止め、戦場を見やる。

 「ちょっと、あんた・・・」

 「言ったでしょう。この事はもう、貴女が負うものではないのです。大体、その様でどうやって戦いますか?足手纏いです。ここで大人しくしていてください。」

 「むぅ・・・。」

 慌てて立ち上がろうとしたエリアに向かって、そう言い捨てる風水師。

 反論出来ず、黙り込むエリア。

 と、そんな彼女を見下ろしていた風水師が呟く様に言葉を漏らした。

 「・・・困るんですよ。もう、間違いを重ねる訳にはいかないのに。」

 「・・・は?」

 訳が分からないと言った顔をするエリア。

 そんな彼女に、風水師は腰を屈め視線を合わせる。

 「前の大戦で、貴女の血族が放逐されるきっかけを作ったのは私の祖父です。」

 「・・・え?」

 言葉を失うエリアに、風水師は続ける。

 「当時、祖父は大僧正として氷結界の中核の一角を担っていました。そしてその役目故、一族に人一倍強い誇りと親愛を抱いていました。」

 視線の向こうで、白い爆発が起こった。

 巻き込まれた人々の、悲鳴が響く。

 「故に、許せなかったのでしょう。ワームや魔轟神達の暴虐を。だから・・・」

 風水師は一瞬目を伏せ、そしてもう一度視線をエリアの瞳に合わせた。

 「彼はその権限を使って、三龍の封印を解きました。」

 「・・・・・・!!」

 目を見開くエリア。

 響く爆音が、酷く遠くに聞こえる。

 「その結果はご存知の通り。三龍は暴走し、氷結界は瓦解の瀬戸際に立たされました。」

 立て続けに起こる爆発。

 一撃で、放たれた矢の幾倍にも値する数の人々が倒れていく。

 「祖父は一族の崩壊を防ぐため、巫女を失い力を失った貴女達の血族に全ての罪を負わせたのです。」

 「・・・・・・。」

 「許してくれとは言いません。ただ、祖父が間違っていたとも思いません。」

 次々と炸裂する氷雷。

 いくらドゥローレンやガトムズ、X-セイバーの面々が善戦しても、彼らの域に立てる者はひと握りに足らず。

 多くの者は、トリシューラの反撃に術なく倒れていく。

 増えていく負傷者。そして、骸。

 大勢は決しつつあった。

 「統治者の一人であった祖父を失えば、ガタの来ていた氷結界は文字通り崩壊したでしょう。そうなれば、知識のない外界の軍勢だけで三龍を抑える事は不可能。あれは、先を見越した上での判断だったのです。」

 グゥガァアアアアアンッ

 突如、右手の山壁が崩れ落ちた。

 巻き立つ土煙の中から現れる、巨大な長虫の如き姿。

 ギシャアアアアアアアッ

 響き渡る咆哮。

 「ブリューナクだー!!」

 誰かが叫んだ。

 その姿を見とめたガトムズが、歯噛みをする。

 「く・・・、突破されたか!!」

 兵達の間に、目に見えて動揺が広がっていく。

 「うろたえるな!!向こうの軍と合流して、陣営を立て直せ!!そして・・・」

 ピシ・・・ピシシ・・・

 ガトムズの声を遮る様に、不気味な音が響く。

 振り向けば、反対方向の山壁を貫く七色の光。

 次の瞬間、木っ端微塵に砕け散る山壁。

 ズシリ

 フシュウゥウウウウウ・・・

 重い足音と奮起音ともに、ユラリと歩み出てくる巨体。

 「・・・グングニールまでもか・・・。」

 トリシューラを囲んでいた筈の軍勢。

 しかし、今は逆に三頭の氷龍に包囲される形となっていた。

 「こやつら、今まで共同戦線など張った事はなかろうに・・・。」

 剣を構えつつ、三頭を見回すガトムズ。

 彼の背を守る様に立ったドゥローレンが、苦笑いしながら言う。

 『大方、懐かしく忌まわしい気配に釣られて来おったのだろう。昔年の借りを返そうとな。』

 「それはそれは。随分と義理堅い事だ。」

 『全くよ。』

 豪快に笑い合う二人。

 そして、氷虎の王は言い渡す。

 『さて、これまでの助力、感謝する。』

 「はて。何の事か?」

 とぼけるガトムズ。

 ドゥローレンは構わない。

 『この戦、元来貴殿達には関係なき事。後は我が防ぐ。残った者を連れて、逃れられよ。』

 「何を馬鹿な事を。背の傷は、戦士の恥。」

 『ガトムズ殿・・・。』

 「言うな。この戦、もはや氷結界(貴方方)だけの問題ではない。外にいる民家族。そして、散っていった同胞達のための戦いでもある。そこから逃げる臆病者など、我が部下には一人もいはしない。」

 その言葉に、彼らを中心に陣営を組んでいた戦士達が頷く。

 それを見たドゥローレンが、わざとらしく溜息をつく。

 『誠、不器用な事よ。』

 「その言葉、そっくりお返ししよう。」

 そして、二人はまた豪快に笑いあった。

 「・・・ここまでの様ですね。」

 ブリューナクとグングニールの姿を見た風水師は、そう言って腰を上げる。

 「待って!!これを・・・!!」

 エリアは懐に手を入れ、氷結界の鏡を取り出す。

 「これを使えば、ひょっとしたら・・・」

 しかし、風水師はそれを見下ろすと鼻で笑う。

 「今更、そんなものが何になると?前の大戦の時にも役に立たなかった、ガラクタじゃないですか?」

 「う・・・。」

 確かに、この後に及んでも鏡は沈黙を保ったままだった。

 悔しげに唇を噛むエリアを見ながら、彼女は言う。

 「それは、貴女が持っていてください。後に氷結界と言う一族がいたという、証になります。」

 「証って・・・」

 エリアに向けられた風水師の顔が、ふと寂しげに微笑む。

 「どの道、私達にそれを使う資格はもうないのです。あの日、全ての罪をその鏡と貴女達に被せたその時から・・・。」

 「え・・・?」

 「祖父は、今際の際まで悔やんでいたそうです。己の愚かさと、貴女達に成した仕打ちの事を。」

 「・・・・・・。」

 「罪は、あるべき場所に帰って来ました。”これ”は、全て私達が持っていきます。」

 「あんた・・・」

 「貴女には感謝します。血族が犯した過ちを、償う機会をくれたのですから。祖父も、浮かばれる事でしょう。」

 そして、風水師は戦の場へとその身を向ける。

 「貴女は生きてください。祖父のために・・・そして、私達のために!!」

 「待って!!」

 エリアの声を振り切る様に、トリシューラに向かって走り出す風水師。

 その向こうで、氷龍達の口に光が灯る。

 「――――っ!!」

 エリアの声は届かない。

 次の瞬間、氷白の爆発が視界を覆った。

 

 

               ―6―

 

 

 「ドゥローレン様!!ガトムズ様!!私の後ろへ!!」

 「風水師殿!?」

 『馬鹿な!!逃げよ!!』

 その声を無視して、風水師は陣営の前に出る。

 目の前に迫る、純白の氷嵐。

 それに向かって、手にした法鏡を構える。

 ズゥンッ

 「くぅっ!!」

 両手にかかる、凄まじい圧力。

 細い腕がミシリと悲鳴を上げ、鏡にピシリとひびが入る。

 否。

 そう感じる間がある事こそが、一つの奇跡だったのかもしれない。

 氷結界の龍。

 伝説の魔龍。

 その三頭の攻撃を同時に受けてその身を保つなど、本来有り得る事ではないのだから。

 けれど、その奇跡を風水師は起こし続けた。

 鏡が砕けゆくのを知りながら。

 己が身の組織が崩壊していくのを感じながら。

 それでも彼女は、そこに立ち続けた。

 霞む目が、氷嵐の向こうの姿を見つめる。

 「氷龍(あなた達)は、氷結界(私達)の罪・・・。」

 この血の呪縛も。

 「だから、あなた達は私が贖う・・・。」

 その血が犯した罪も。

 「終わりにします・・・!!」

 それらに抗い続けた日々も。

 「逝きましょう・・・!!()と共に・・・!!」

 鏡を支える手に、力を込める。

 白い嵐が、歪む。

 「さあ・・・。」

 死の嵐が、逆巻く。

 「さあ!!」

 手の中の法鏡が、最後の力を振り絞る様に光を放つ。

 そして―

 

 クゥオォオオオオオオオオンッ

 

 叫びが響いた。

 『虚壊咆哮(デスペラード・ハウル)

 全てを無に帰す、滅びの咆哮。

 「あ・・・」

 手の中の鏡から、急激に力が消えてゆく。

 パキンッ

 力を失ったそれは、あっけなく凍てつき、砕けて散った。

 ゴゥッ

 抵抗が消えた氷嵐が、鬱憤を晴らす様に襲いかかる。

 雪崩くる、純白の死。

 それを、風水師は酷く覚めた思いで見つめていた。

 恐怖もない。

 後悔もない。

 ただ、かの災禍を自分達の手で絶てない事が悔しかった。

 この戦で、自分の血族は生き残れるのだろうか。

 この縁は、これからも皆を縛り続けるのだろうか。

 いつの日か、この災禍を絶つ者は現れるのだろうか。

 分からない。

 分かる術など、ありはしない。

 分かる事は、ただ一つ。

 自分はもう、終わりと言う事。

 全ての思考が、白く霞む。

 途切れ途切れになる意識の中で、微かに思う。

 どうか。

 どうか。

 貴女は。

 貴女だけは生きて、と。

 

 「あんた、バカァ!?」

 

 突然の叱咤が、手放しかけた意識を蹴り返した。

 夢から覚めた様に、明白になる視界。

 そこに映ったのは、吹雪になびく水色の髪。

 そして、皆を守る様に展開する巨大な魔法陣。

 それを両手で支えながら、彼女は怒鳴る。

 「勝手に自己完結して、勝手に死のうとか思ってんじゃないわよ!!」

 回る魔法陣。

 全てを呑み込もうとしていた氷嵐が、逆にそれに飲み込まれる様に収束していく。

 消えゆく嵐の向こうに見え始める、氷龍達の姿。

 その顔は、皆一様に驚きに彩られている様に見えた。

 額に汗を浮かべながら、エリアは不敵に笑う。

 「どう!?速攻魔法(サプライズ・スペル)我が身を盾に(サクリファイス・ガーディアン)』!!モンスターの固有能力(パーソナル・エフェクト)じゃ、追いつけないでしょう!?」

 やがて、全ての氷嵐は魔法陣に吸い込まれ、消えた。

 「はは・・・。出し抜いてやったわ・・・。ザマーミロ・・・!!」

 「あ、貴女、いつの間に・・・」

 風水師が言いかけたその時―

 バズンッ

 エリアの前で展開していた魔法陣が、光る球体となって彼女の身体に突き刺さった。

 「カフッ!!」

 途端、エリアの口から真っ赤な血が迸る。

 「なっ!?」

 驚いた風水師に向かって、倒れ込んでくるエリア。

 とっさに抱きとめる。

 「はは・・・。サンキュ・・・」

 風水師の腕の中で、力なく笑う。

 「一体、一体何をしたんですか!?」

 『『我が身を盾に(サクリファイス・ガーディアン)』だよ・・・。』

 動転する風水師に、傍らから声がかけられる。

 こちらもいつ来たのか、片腕を押さえたギゴバイトが彼女達を見上げていた。

 『味方に対する攻撃を無効にする代わり、自分が一定量のダメージを受ける魔法・・・。』

 「な・・・!?」

 『その前に、『在地転送(ポジション・チェンジ)』も使ったから・・・。魔力残量は、もうゼロかも・・・。』

 「馬鹿な・・・なぜそんな真似を・・・」

 戦慄く様に呟く風水師。

 そんな彼女に、ギゴバイトが言う。

 『そうしなくちゃ、間に合わなかったからね・・・。』

 「そんな事を聞いているんじゃありません!!何故、来たのかと言っているんです!!私は・・・私は・・・」

 「・・・罪を贖うために、死ぬつもりだったってか・・・?」

 膝下から響いてきた声に、視線を落とす。

 エリアが、強い視線で彼女を見上げていた。

 「バッカじゃないの・・・?血に縛られてんのは、どっちだって話・・・。そんなしみったれた性根で助けられたって、気が滅入るだけだわ・・・。」

 口元にこびり付く血を拭いながら、言い捨てる。

 「何言ってるんですか!!私達が、氷結界が消えれば、貴女達を貶めた罪は・・・」

 「それがくだんないって言ってんのよ・・・。」

 酷く冷めた声で、エリアが言った。

 「・・・くだらない?」

 「そう。くだんない・・・。」

 血の気が失せた顔が、薄笑みを浮かべる。

 「・・・まあ、似たようなもんだけどね・・・。あたしも・・・。」

 うわごとの様に、途切れ途切れに流れる言葉。

 けれどそれは、確かな意味を持って風水師に届く。

 「・・・血に縛られて、罪を背負って・・・。・・・でも・・・。」

 青い瞳が、見下ろす瞳を見つめ返す。

 「・・・それでもあたしは、世界を見る事が出来たから・・・」

 「世界・・・?」

 「・・・そう。世界・・・。」

 思い起こす様に、目を閉じる。

 「・・・知ってる?世界って、広いのよ・・・。あたし達の罪なんて、ゴミっ屑に思えるくらい・・・。」

 「・・・・・・。」

 エリアの言葉に、いつしか聞き入る風水師。

 フシュウウウウウ・・・

 そんな二人の間を、遮る様に響く呼気。

 三頭の氷龍が、ユラリと動く。

 その目には、自分達を愚弄した不逞の輩への怒りが燃えている。

 ゆっくりと、少女達に近づく三龍。

 しかし、その前に三つの影が立ち塞がる。

 「無粋な真似をしてもらっては困るな。氷龍共。」

 剣を構えながら、ガトムズが言う。

 『あの二人は、切れた時を埋めてるんだ。邪魔はさせない・・・。』

 傷ついた身体に闘志を滾らせながら、ギゴバイトは立つ。

 『過ちは二度と繰り返さぬ。虎王の名において、かの者達は護って見せよう。』

 凍土を掴む四肢に不退の意思を込めて、ドゥローレンは吠える。

 否。

 彼らだけではない。

 他の戦士や氷結界の民たちも、一人、また一人と立ち上がっていく。

 動ける者。

 気力のある者。

 皆が皆、二人の少女を護る様に立ち上がっていく。

 ボロボロになった彼らの、その身から立ち上る覇気。

 それに圧される様に、伝説の氷龍達は微かに後ずさった。

 「皆・・・。」

 「カッコつけちゃって・・・。まあ・・・。」

 彼らの姿を見ながら、エリアは微笑む。

 そして、その視線は再び風水師に戻る。

 「世界にはね、”あんなの”が沢山いるの。眩しいものが、いっぱいあるの。そりゃ、汚いものとか、暗い部分とかもあるわ。けど、それと釣り合って余るくらい、いっぱいの光がある・・・。」

 「光・・・。」

 「あたしは、それを見る事が出来た・・・。触る事が出来た・・・。感じる事が出来た・・・。だからあたしは、血の束縛から抜け出る事が出来た・・・。」

 その瞳の奥に、何を映しているのだろう。

 エリアは優しく、とても優しく笑う。

 そんな彼女に、風水師は問う。

 「・・・それなら・・・」

 「ん?」

 「何故戻ってきたんですか?開放されたのに、何故戻ってきたんですか・・・?」

 その問いを聞いたエリアは、大げさに溜息をつく。

 「それ、訊くかなぁ・・・。」

 困った様な顔をして、頭をポリポリと掻く。

 「宿題のためって事に、しといてくんない・・・?」

 「駄目です。」

 ピシャリと言う風水師。

 エリアはもう一度、溜息をつく。

 「・・・カッコつけた事言うわよ。」

 「・・・・・・?」

 「・・・あんた達を、解き放ちたかった。」

 「・・・え・・・?」

 虚をつかれた様な顔をする風水師。

 頬を染めながら、エリアは続ける。

 「氷結界(あんた達)をね、ここから解き放ちたかったのよ。あたしが、そうしてもらったみたいに・・・。あたしに、そうしてくれた連中みたいに・・・。」

 「貴女・・・。」

 「真似して、カッコつけてみたかったのよね・・・。“アイツら”みたいにさ・・・。」

 青い瞳が、何かを追う。

 その先に、”彼ら”がいるとでも言うかの様に。

 「ぷっ・・・ぷくく・・・」

 「?」

 突然聞こえてきた笑い声に、エリアは眉をひそめる。

 風水師が、笑っていた。

 その身を震わせて。

 その目に、涙を浮かべて。

 「あは、あはははははは!!」

 こらえきれぬ様に、吹き出した。

 「カッコつけたかったって、それだけですか!?それだけのために?」

 「・・・笑ったわね?」

 「笑いますよ!!ああ、可笑しい!!」

 込み上げる笑いを収めようとするかの様に、風水師はエリアの胸に顔を埋める。

 「あはは、バッカみたい!!ほんと、バカ!!」

 「・・・悪かったわね・・・。」

 憮然とした表情で、むくれるエリア。

 そんな彼女の手が、キュッと握られる。

 「?」

 見れば、風水師の手がエリアの手を握りしめていた。

 エリアの胸に顔を埋めたまま、風水師は問う。

 「・・・私も、見れますか・・・?」

 「ん?」

 「貴女が見た世界を、私も見れますか?」

 一拍の間。

 ゆっくりと息をためて、エリアは口を開いた。

 「見れるわよ。当たり前じゃない!!」

 二人の手が、強く、強く握り合った。

 

 

 グゥガァアアアアンッ

 「グァアアアッ!!」

 白い閃光が弾け、重い鎧をつけた身体が宙を舞った。

 『無事か!?ガトムズ殿!!』

 「何の・・・。これしき!!」

 鎧を侵す氷をふるい落としながら、ガトムズは剣で支え、身を起こす。

 「そちらこそ大丈夫か!?ご老体!!大分堪えておられる様だが!?」

 『何を言う!?若造が!!老いぼれと舐めるでないぞ!!』

 傷ついた身体を奮い起こす虎王の傍らで、ギゴバイトも吠える。

 『僕だって、まだまだだ!!』

 「おう!!その調子だ!!坊主!!」

 他の者も、傷ついては立ち上がり、また氷竜達へと立ち向かっていく。

 ギシャアアアアアアッ

 ゴォガァアアアアアッ

 ブリューナクとグングニールが咆哮を上げる。

 その声には、怒りと共に確かな戸惑いが混じっていた。

 ギチリ・・・

 トリシューラの口が、苛立たしげな軋みを上げる。

 ギチチ・・・

 開いてゆく、三つの(あぎと)

 それぞれの牙列の奥で、魔力が渦巻く。

 「!!、『虚壊咆哮(デスペラード・ハウル)』か!?」

 気づいたガトムズが呻く。

 『手足の出ないダルマにして、けりをつけるつもりなのだろう・・・。』

 『えげつないな・・・。』

 ドゥローレンとギゴバイトが歯噛みをするが、限界を超えて傷ついた身体は動かない。

 成す術なく立ち尽くす皆の前で、滅びの咆哮が放たれようとしたその瞬間。

 トリシューラの、否。三頭の氷龍全ての動きが止まった。

 『ぬ・・・!?』

 「何が・・・?」

 『あ・・・!!』

 気づいたギゴバイトが、背後を振り返る。

 その視線の先には、風水師に支えられて身を起こしたエリアの姿。

 そして、その手の中には―

 『氷結界の鏡!!』

 『何!?』

 その声に振り返ったドゥローレンが叫ぶ。

 『いかん!!その鏡はトリシューラには・・・』

 キシャアアアアアアアアアッ

 彼の言葉が終わる前に、憎悪に彩られた叫びが響いた。

 

 

 「・・・さて、文字通り最後の奥の手だけど・・・」

 手の中の鏡を掲げたエリアが、ニヤリと笑う。

 「吉と出るか、凶と出るか・・・。」

 そう言って、自分を支える風水師を見やる。

 「ほら、あんたは逃げなさい。正直、どうなるか分かんないだから。」

 しかし、風水師は黙って首を横に振る。

 「何言ってんの?食べられちゃうかもしれないのよ?」

 「私の命運、貴女に預けます。」

 「はぁ?」

 その言葉に、目を丸くするエリア。

 「貴女は、己で道を作りました。ならば、私はそれを導にします。」

 鏡を持つ手に、風水師の手が重ねられる。

 「貴女は私の導。ならば、貴女の命運が尽きる時は、私の命運尽きる時です。」

 真顔で言う風水師。

 エリアはポカンとした後、あからさまに嫌~な顔をする。

 「・・・あんた、そっちの気がある訳じゃないでしょうね?言っとくけど、あたしノーマルだからね?」

 「大丈夫です。一線を超えてしまえば、後は慣れですから。」

 「んな・・・!?」

 硬直するエリアを見て、風水師はペロリと舌を出す。

 「冗談です。」

 「・・・あんた、そんなキャラだっけ・・・?」

 「さて、どうでしょう?」

 見つめ合う二人。

 一瞬の間。

 そして―

 「あは、あははははは。」

 「うふ、ふふふふふ。」

 同時に、笑い出す。

 「何よ?融通の効かない堅物だと思ってたのに。結構面白いじゃない。」

 「誰のせいだと、思ってますか?」

 わざとらしく膨れる風水師。

 エリアは目尻の涙を拭きながら言う。

 「分かった分かった。怒るな。後でマドルチェ堂のお菓子、奢ってあげるから。」

 「まどるちぇどう?」

 「町で評判のお菓子屋。すっごく、美味しいんだから。」

 「へえ・・・。」

 「他にも、色んな事があるわ。楽しい事。面白い事。怖い事、驚く事!!」

 鏡を支える、二人の手。そこに、もう片方の手も添えられる。

 「教えてあげる!!何でも、みんな、教えてあげる!!」

 まくし立てるエリアに、満面の笑みで頷く風水師。

 「だから、だから今は!!」

 キシャアアアアアアアアアッ

 響き渡る咆哮。

 何かが弾かれる感覚。

 互いの手を握り、支え合う。

 倒れない様に。

 離れない様に。

 視界の向こうには、こちらを見つめる憎々しげな凶眼が六つ。

 翼を広げたトリシューラが、地を滑る様に襲いかかってくる。

 視界の端で、止めようとしたドゥローレン達が弾き飛ばされるのが見えた。

 見る見る迫り来る、凶気と狂気。

 仮面の様な顔を歪に歪め、氷龍の王が(あぎと)を開く。

 その驚異を前に、一歩も引かずにエリアは叫ぶ。

 「死なないわよ!!絶対に!!」

 「はい!!」

 一瞬の躊躇もなく、答える声。

 鏡を掴む手に、力がこもる。

 叫ぶギゴバイトの声が、酷く遠くに聞こえた。

 そして、死の影が二人を覆って―

 

 シャーン・・・

 

 澄んだ音色が、辺りに響いた。

 

 

 その時、何が起こったかを理解出来る者はいなかった。

 気がついた時には、トリシューラの巨体が宙を舞っていた。

 誰もが傷つける事の叶わなかった災禍が。

 誰も止める事など叶わなかった凶王が。

 木の葉の様に宙を舞い、無様な音を立てて地面に這った。

 けれど皆の目は、もうその姿を見てはいなかった。

 皆が、見ていたもの。

 それは、呆然と佇む二人の少女の手の中。

 煌々と、月の様に輝く氷結界の鏡。

 その光の中に立つ者。

 氷華の中で、神々しくはためく法衣。

 氷の結晶の様に透麗な姿。

 白雪に抱かれる様に、優しく広大な気配。

 そこにいたのは、一人の老爺。

 けれど、それは人ではない。

 人が、この様な気配を発せられる筈もない。

 場の誰もが、穏やかな安らぎに包まれる。

 まるで、力強い父の腕に抱かれる様に。

 老爺が、ふと後ろを振り返る。

 訳が分からないと言った体で、自分を見つめる少女二人。

 白髪と白髭の間から覗く眼差しが、優しく微笑む。

 ・・・伝道師様・・・。

 そう呟いたのは、風水師か、ドゥローレンか、それとも、氷結界の誰かか。

 しばし、二人の少女を愛しげに見つめると、”彼”はゆっくりと視線を戻す。

 その先にいるのは、三頭の氷龍。

 怯えていた。

 かの凶龍達が。

 何者をも恐れず。

 万物を睥睨した、伝説の王達が。

 全身の筋肉を強ばらせ。

 全身の鱗を逆立たせ。

 怯えていた。

 突如、ブリューナクが冷閃を吐いた。

 まるで、身を縛る恐怖を散らそうとするかの様に。

 しかし、届かない。

 冷極の閃光は、老爺の放つ光の中で掻き消える。

 グングニールが、虹色の光を放つ。

 届かない。

 最後に、トリシューラが吠えた。

 届かない。

 それすらも。

 老爺が、ゆっくりと右手を上げる。

 煌ッ

 地面に、光が走った。

 氷龍達の、氷霧に濁った光とは違う。

 澄んだ。

 どこまでも澄んだ、氷色(ひいろ)の光。

 それが、何かを地面に象っていく。

 瞬く間に、描き出される文様。

 雪の結晶。

 氷結界の、紋章。

 そして、地が落ちた。

 まるで、型を抜くように。

 深く。

 深く。

 底も見えない。

 奈落。

 その奥が。

 滾っていた。

 朱い。

 朱い。

 炎の色に。

 誰もが目を瞑る。

 無くなった足場。

 当然の様に。

 その朱の中に。

 落ち行く事を覚悟する。

 けれど、落ちない。

 エリアも。

 風水師も。

 ギゴバイトも。

 ガトムズも。

 ドゥローレンも。

 そして、他の人々も。

 無くなった地の上に。

 そのままの姿で。

 立っていた。

 何もない空間に、立つ感覚。

 理解出来ない、感覚。

 ただ、佇む。

 その目の前で、”彼ら”が悲鳴を上げた。

 三頭の氷龍。

 その足が、沈んでいく。

 落ちていく。

 そう。

 彼らが。

 彼らだけが。

 落ちていた。

 消えた大地に。

 朱い奈落に。

 グゥオオオオオオオオンッ

 ひりつく様な咆哮が響く。

 三頭が、翼を開いた。

 奈落の誘いから逃れようと、宙を目指す。

 しかし―

 老爺が、差し伸べる様に手を伸ばした。

 少女達の手の中で、氷結界の鏡が輝く。

 途端、鏡は光となり、三つに散る。

 光は流星となり、足掻く龍達へと突き刺さる。

 一つ。

 ブリューナクの胸に。

 一つ。

 グングニールの背に。

 一つ。

 トリシューラの尾に。

 ガクンッ

 龍達の身体から、力が抜けた。

 羽ばたく翼は虚しく宙をかき。

 もがく爪は悲しく空をかく。

 

 ・・・戻るがいい・・・

 

 声が、聞こえた。

 

 ・・・今一度、煉獄の牢獄へ・・・

 

 その声に従う様に、氷龍達は墜ちていく。

 深く。

 遠く。

 朱い奈落の中へ。

 叫びが響く。

 悲しみか。

 絶望か。

 長く。長く尾を引くそれが。

 地の底へと消えていく。

 そして―

 いつしか、全てが消えていた。

 奈落も。

 氷龍も。

 鏡も。

 全てが跡形もなく消えていた。

 呆然と佇む、エリアと風水師。

 老爺が、ゆっくりと振り返る。

 優しく、優しく微笑む。

 

 ・・・生きよ・・・

 

 声が、響く。

 

 ・・・我が・・・

 

 やがて、その姿が陽炎の様に揺れ始める。

 揺れる姿は光となり。

 

 ・・・子らよ・・・

 

 光は輝く塵となって、空に流れる。

 皆がそれを追い、宙を仰ぐ。

 いつしか天を覆っていた雲は晴れ、明るい日差しが降りてきていた。

 

 

                                                       ―7―

 

 

 「本当に、行かれるのですか?」

 旅支度を済ませたエリアとギゴバイトに向かって、風水師が確かめる様に尋ねる。

 「あー、用も済んだしね。もうここにいてもしようがないし。」

 「傷が癒えるまで、居てくださって構いませんのに・・・。」

 そう言って、包帯だらけの二人を見やる風水師。

 けれど、エリアはそっぽを向いて鼻を鳴らす。

 「やーよ。こんな辛気臭い所。いつまでもいたら、こっちの身体まで抹香臭くなっちゃうわ。」

 『ちょっと。またそんな事言って。あんなに良くしてもらったんだから、ちゃんとお礼しないと。』

 困った様な顔をするギゴバイト。

 しかし、エリアはツンと澄ましたまま。

 『ご、ごめんなさい。ホントに、元気になったらこの調子で・・・』

 「はは。構いませんよ。もう、慣れましたから。」

 申し訳なさそうに畏まるギゴバイトに笑いかけながら、風水師は言う。

 その顔に、かつてあった険しさはもうない。

 「・・・で、あんたはいつこっちに来るの?」

 そんな彼女に向かって、エリアがそんな事を問う。

 「そうですね・・・。亡くなった方の鎮魂の儀や、事の後始末などありますから・・・。多分、半年ほど後になるかと。」

 「ふ~ん。まぁ、せいぜい心残りのない様にしてきなさい。”学校”は、逃げやしないから。」

 「はい。」

 エリアの言葉に、笑顔で答える風水師。

 『でも、外に出る事をよく氷結界の人達が許してくれたね。血を外に出す事は好まないって言ってたけど。』

 「ええ。氷龍達が封印された以上、もうここに縛られる意味はないからと。むしろ若者は外に出て、新しい風を取り込んできて欲しいとの事です。」

 そう言って、風水師はふと空を見上げる。

 「恐らくは、神精霊様もそれを願っているだろうと・・・。」

 「・・・『神精霊』・・・ね。」

 風で乱れる髪を鬱陶しそうに整えながら、エリアは訊く。

 「”あれ”って、結局そういう事になった訳?」

 「ええ。ドゥローレン様が仰ってました。あのお顔は、紛う事なく伝道師様のそれだったと・・・。」

 エリアは「フ~ン」と気のない返事を返す。

 「何だって、そんなのの幽霊が今になって出しゃばってきたのかしらね?」

 「幽霊じゃなくて、神精霊様ですよ。」

 そう訂正しながら、風水師は話を続ける。

 「恐らく、先の大戦の時に氷結界に亀裂が生じた事を憂えていたのでしょう。それが、巫女(貴女)の血族と解放派()の溝が埋まった事で心を開き、力を貸してくださったのでは・・・。」

 「は。随分と自分勝手な守り神だこと。その気があるなら、最初っから手を貸せっての。」

 『ちょっと、エリア・・・!!』

 慌てて諌めるギゴバイト。

 しかし、風水師は可笑しそうに笑う。

 「そうですね。私も、そう思います。」

 その言葉にギゴバイトは『ありゃ?』とズッコケ、エリアは「あら?」と意外そうな顔をする。

 「長い閉塞の末に、神精霊様も含めて氷結界(私達)は歪んでしまっていたのかもしれません。自分達でも、そうと気づかぬ程に・・・。」

 そして、風水師はもう一度空を仰ぐ。

 「だから、神精霊様は私達若者に託したのでしょう。暗闇の中で凝り固まった血を、光の元で解放しろと。」

 「・・・その”若者”って、あたしも入ってる?」

 間髪入れず、「はい。」と答える風水師。

 エリアは、露骨に嫌な顔をする。

 「やめてよね。そんな面倒くさい役目、お断りよ。」

 『何だかんだ言って、無視出来ないしねー。』

 そう言って、ウケケと笑うギゴバイト。

 「うっさい。」

 踏まれた。

 ムンギュッと、轢かれたガマガエルみたいな声を出して伸びる。

 「ああ、大丈夫ですか?」

 慌ててかがみ込む風水師。

 伸びたギゴバイトを抱え上げながら、その耳元に口を寄せる。

 何やら、ボソボソと吹き込まれる囁き。

 「・・・!?」

 みるみる丸くなる、ギゴバイトの目。

 「?、何してんのよ?あんた達」

 『い、いや、何でもないですよ!?』

 「ええ。何でもありません。」

 不審げなエリアに、ギゴバイトは慌てた様子で、風水師はクスクスと笑いながら答える。

 「何よ。二人して、気持ち悪い。」

 さらに突っ込もうとしたその時、

 「エリア殿。ギゴ殿。そろそろ、よろしいか?」

 背後から飛んでくる声。

 振り向けば、そこにはやはり旅支度を終えたガトムズと戦士団の姿。

 「あー。いいわよ。」

 そう答えると、エリアはクルリと踵を返して用意された馬車へと向かう。

 『ああ、待ってよ。エリア。』

 慌てて後を追うギゴバイト。

 それを見送りながら、風水師はガトムズに向かって頭を下げる。

 「ガトムズ様、大義の方、ご苦労様でした。つきましては、エリア様の事、よろしくお願いいたします。」

 その言葉に頷くガトムズ。

 「任された。エリア殿は責を持って送り届けよう。」

 そして、ガトムズも一礼して隊の列へと向かう。

 そんな三人の背に向かって、風水師は声を上げる。

 「エリア様~。マドルチェ堂の件、忘れちゃダメですよ~。」

 ブンブンと手を振る彼女に向かって、エリアは軽く右手を上げて答えた。

 

 

 それから、しばし後―

 ガタゴトと揺れる馬車の中で、エリアはう~んと背伸びをしていた。

 「あ~、疲れた。早く柔らかいベッドで横になりたいわ。」

 『ホントに、今回は頑張ったよね。ご苦労様。』

 そう言うギゴバイト。

 そんな彼に、エリアがクルリと顔を向けた。

 「ギゴ。」

 『何?』

 「さっき、あの娘に何言われてたの?」

 『!?』

 その問いに、みるみる赤くなるギゴバイト。

 それを見たエリアが、怪訝そうな顔をする。

 「何よ?その反応。一体、何言われたの?」

 ズズイッと迫って来る。

 『いや、あの、その・・・』

 しどろもどろになるギゴバイト。

 言える訳がない。

 (負けませんからね。ライバルさん。)

 などと言われたなど。

 真意は分からないが、教えたら教えたで大層面倒な事になりそうな気がする。

 黙っているに越した事はない。

 「コラ!!何黙ってんのよ!!教えなさい!!」

 口を噤むギゴバイトの両頬を掴んで、グィ~ンと伸ばす。

 『ムギャムゴ・・・』

 「言わないか!!この!!この!!」

 じゃれあう二人。

 と、

 ガタンッ

 「キャッ!?」

 『うわっ!?』

 悪路にでもあたったのか。

 馬車が大きく跳ねた。

 エリアの身体が、ギゴバイトの上にのしかかる。

 『ちょ!!エリア、重い重い!!早くどいて!!』

 しかし、エリアが動く様子はない。

 『エ、エリア?』

 気が付くと、間近で自分を見つめる青い瞳と目があった。

 頬に感じる、心地よい体温。

 エリアの手が、優しくギゴバイトの頬を包んでいた。

 「ねえ、ギゴ・・・。」

 囁く様な、声。

 『な、何さ・・・?』

 「ありがとう・・・。」

 『へ?』

 「色々と、助けてくれたよね・・・。」

 どこか潤んだように、熱っぽい目が見つめる。

 心臓が、壊れた様にトカトカと鳴り始める。

 「嬉しかったよ・・・。」

 寄せられる、顔。

 甘い香りが、鼻をくすぐる。

 『あ、あれは、その・・・使い魔として当然と言うか・・・。』

 「使い魔だから?」

 『え?あ、いや、その・・・』

 ドギマギして、言葉が上手く体を成さない。

 そんな彼に、エリアはさらに迫る。

 「ねえ。ギゴ・・・」

 『ちょ、ちょっと・・・!!エリア!?』

 近づいてくる唇。

 可憐な、桜色の花弁を思わせる。

 「あたしね・・・」

 『~~~~~~っ!!』

 思わず、目を閉じる。

 そして―

 

 「あ。」

 

 急に響いた声が、全ての空気をぶち壊した。

 『?』

 目を開けると、エリアが間の抜けた顔で固まっている。

 『ど、どうしたの・・・?』

 「・・・”宿題”・・・。」

 『・・・あ・・・。』

 二人して、阿呆の様に見つめ合う。

 「ど、どうしよう!!すっかり忘れてた!!」

 『ど、どうするったって、期限は明日だよ!?』

 これでもかと言うくらい、テンパる二人。

 しかし、どんなに慌てた所でどうにかなる問題ではない。

 「――――――っ!!」

 突然杖を引っつかみ、外に飛び出ようとするエリア。

 『ちょっ!?何処いくの!?』

 慌ててローブの裾を掴むギゴバイトに、エリアは真顔で言う。

 「氷結界に戻って、トリシューラの封印解いてくる!!」

 『な、何言ってんの!?』

 「何?じゃないわよ!!なんとかしないと、お仕置き食らっちゃうじゃない!!」

 『ダメだって!!あんなに苦労したじゃない!!って言うか、あんな化物、もう会いたくない!!』

 「トリシューラも怖いけど、先生はもっと怖いの!!」

 『駄目だったらっ!!』

 「お願い!!トリシュが駄目なら、グングニールでもブリューナクでもいいから!!」

 『いやいや!!ブリュはドラゴンじゃなくて海竜族!!』

 「そんなメタ発言いいから!!放して!!武士の情け―――っ!!」

 『駄目―――――っ!!』

 「先生怖い―――っ!!」

 ・・・二人の騒ぎを他所に、隊列はタカタカと進む。

 氷結界はもう、遥か彼方。

 

 「お仕置きは、いやぁ―――――――――っ!!」

 哀れな少女の叫びが、蒼い空に響いて溶けた。

 

 

                                                                  「地の場合」に続く

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