前回最後に思わせぶりな文付け加えといてなんですが……
ここはご都合主義でいいです。
「……は?」
次の瞬間、レエブン候は目の前で起こったことが信じられず、瞬きを繰り返した。
いつのまに、どこから現れたのか。その男はひっそりとハムスケの前に立ちふさがっていた。
各所に飾りのついた豪奢な漆黒のローブを纏った、その姿は魔力系
森の賢王の身体を貫くかに見えた五本の矢は、突如その前に立ちふさがったその男に代わりに突き立ち――刺さらずに、ローブの表面で止まっていた。
一瞬の静止の後、ぽろぽろと矢が床にこぼれおちる。森の賢王の強靱な外皮すら貫いた大型クロスボウの矢が、男が纏ったローブの布一枚を貫けなかったのだ。
「な、いったい何が起こった……?」
レエブン候は勝利の確信から突如として混乱の極みに叩き落とされる。男はそんな様子に構うこともなく、背後のハムスケと、抱きかかえられたナーベラルの方に向き直った。
◆
「……ん、何処だここ?岩肌?山?外なのかよ、マスクつけてないぞ俺……って、なんじゃこの手は!?骨!?」
山間部の裾野、周囲に人の目もない荒れ地。一体のスケルトンが一人漫才をしている。己の手を見つめて驚愕し、ぺたぺたと頭蓋骨の頬骨を触って飛び上がる。どこからともなく鏡を出すと、それに映った己の姿に仰天して硬直した。
「……落ち着け俺、この姿は明らかにアバターのモモンガだ。つまりユグドラシルのサービス終了手続きにトラブルがあったってことか?GMコールGMコール……って、利かねぇえええ!?……コンソール!……チャット!……システムアクセス!……強制終了!」
スケルトンは、謎のジェスチャーを描いてパントマイムを繰り広げる。それはユグドラシル内部ではシステムメニューを開くためのアクション類であったのだが、この世界で何か反応を呼び覚ますことはなかった。
「ああ、くそっ!どういうことだ、何が起こった!?」
スケルトンは地団駄を踏んで困惑と怒りの叫びを上げる。
その身体から緑色の燐光が立ち上ると、糸が切れたようにその動揺はなりをひそめた。
「……ふぅ、なんだこれ。いきなりすっごく落ち着いたぞ。なんか無理矢理精神の動揺が抑圧されたみたいだ。もしかしてあれか、アンデッドだから精神作用無効化が適用されてるとでもいうつもりなのかこれは。……つまり、この肉体は、ゲームの性能に準拠した強さを持っているのか?」
それからスケルトンは、立ったり座ったり、走ったり飛んだり。魔法を撃ってみたり、スキルを発動させたり。何かを確認するかのように思いつく限りの様々な行動を試し始めた。やがて十分に満足したのか、ひとつ頷くと腕を組んで考え込んだ。
「どうやら、この身体がユグドラシルで作成したキャラクターの性能を持っているのは間違いなさそうだ。……でもシステム的な一切合切が機能していないみたいだ。これはつまり、どういうことかと言うと……まさかな、いやでも他に説明が……マジ?」
スケルトン――アインズ・ウール・ゴウンのモモンガが、最初の混乱から立ち直り、どうやら己が独りきりで、ゲームのアバターの姿と能力をもって異世界に転移したらしいということを認識したとき。次に選択した行動がそうだったのはただの気まぐれであった。
「この身体なら、世界の何処にでも行ける……!!」
大空の彼方へ。深海の底へ。氷原の果てへ。火山の中へ。
事実上無敵と化した、呼吸も睡眠も要らぬ、圧力にも温度にも有毒物質にも衝撃にも傷つかぬ己が身体の限界性能を試すかのように、観光気分で人跡未踏の地を踏破した。かつての仲間が恋い焦がれた大自然の驚異を全身で満喫しながら、モモンガは確かな満足感を覚えて極圏の探索を謳歌した。
「……いかん、このままでは人間の言葉を忘れそうだ!」
大自然の神秘を堪能するのにも飽きが来た頃。自分が随分と長い間、他の生物と言葉を交わしていないことを思い出し、僅かに寂しさを覚えたモモンガはそのような独り言を漏らした。なにしろ、他の生物が存在できるはずもない極限領域ばかりを好きこのんで放浪していた為、自分以外の生物に長らく出会っていない。このままだと考えることすら忘れて、辺境民族のお伽噺に目撃談を語られるだけの怪奇現象にでもなってしまいかねなかった。
モモンガは最初に自分が出現した場所に帰還すると(そこは結局、ナーベラルが出現したトブの大森林からそれほど離れてはいなかった)、趣向を変えて今度は人間社会の見物に行ってみることにした。
必然によって己の名前をアインズ・ウール・ゴウンと定めたモモンガ改めアインズは、流れ者が就ける職業としての冒険者に興味を持つと、その実態に些か失望しながらもどのようなクエスト依頼があるのか見物していったところ、その張り紙に仰天することとなる。
まず目に飛び込んできた物は「ナザリック地下大墳墓ないしはアインズ・ウール・ゴウンに関する情報提供求む。内容に応じて金貨千枚までの謝礼を用意しています」という現地語で書かれた依頼票。そこに後から付け足されたらしい張り紙に、拙い出来ながらも丁寧に描かれた手書きのアインズ・ウール・ゴウンの紋章。そして書き加えられた「王都に向かいます。プレアデスNo.3」という
「ああ、それが気になりましたか?実は私共もよく分かっていないのですが。王国で一番新しいアダマンタイト級冒険者になられたガンマ様の依頼でその情報提供者を募集しておりましたのですが。彼女が王都にプレートの認定に向かわれる際、この用紙をできるだけ長期間張り出して置いてくれと少なくない代金を託して行かれました。……あなたは、情報を提供できると言うのですか?」
「あ、いや、俺は――」
アインズが答え倦ねる間に、半眼になった受付嬢は更に言葉を重ねてきた。
「アインズ・ウール・ゴウンにとって最も重要な数字は幾つか御存知ですか?」
「……もしかして四十一のことか?」
半ば反射的にそう答えてしまい、アインズはしまったかなと思ったが、それを聞いた受付嬢は手に持ったペンをぽろっと取り落とした。机の下にまで落ちていったペンに構うことなく、そのまま真剣な表情で身を乗り出してくる。
「あ、あのっ。あなたがその情報を御存知だというのなら、王都に行ってガンマさんに会ってあげてくださいませんか。その、本当に、必死に探しておられたんです」
ナーベラル・ガンマ。ナザリック地下大墳墓に所属するNPCの名前を、実のところアインズは全て覚えているというわけではなかったが、それでも、九階層に配置された
つまりどういうことか。自分と同じプレイヤーではなく、ナザリック地下大墳墓のNPCが、自分と同じようにこの異世界に転移してきて、しかも自我に目覚めて自律行動を取っているというのか?
アインズは受付嬢に礼を言ってその場を辞すると、人気のない路地裏に潜り込んで直ちに王都へ向かった。
王都の冒険者組合に飛び込んでアダマンタイト級冒険者ガンマの所在を訊ね、紆余曲折あって王宮に呼び出されたらしいと聞けば、戻ってくるのを待つのに耐えられず、宿に部屋を取って顔面からフェイスフラッシュを撒き散らしながら
考えている暇はない。アインズは一も二もなく、
◆
「お……お主は、いったい何者でござる……?」
傷ついたハムスケが呻くように問いかけると、仮面の男は言葉を発した。
「ナーベラルを護ってくれて感謝する、名も知らぬ獣よ。俺の名はアインズ。アインズ・ウール・ゴウンという」
それを聞いたレエブン候の背を氷塊が滑り落ちるような悪寒が走り抜けた。
(ガンマの関係者か……!?)
アインズ・ウール・ゴウン。それこそはガンマが探し求めていた二つの情報の片割れではないか。ガンマは人名のような使い方をしていなかった気がするが、この際それは大した問題ではない。
そしてナーベラルという単語。文脈からすればガンマのことだと思えるが、ガンマがそのような名で呼ばれているという情報は聞いたことがない。つまり、それ自体がガンマの知人であるという証拠である。
「……それがしの名はハムスケ。姫の忠実な僕でござる」
「姫というのはナーベラルのことだな?俺はナーベラルの……主君だ。治療をするからナーベラルをこちらに寄越してくれ」
「助けられるのでござるか!?姫を……姫をよろしくお願いするでござる!」
主君。新たな情報が入ってくる。その間にも呑気なやりとりをしている一人と一匹の隙を窺うが、まるで隙がない。正確には、どうみても隙だらけなのに、まるで攻撃が当たる気がしない。だが、レエブン候以外の人間はそうは思わなかった様だ。
「う……うわああああああああああ!?」
男に何をされたというわけでもないのに高まっていく緊張感に耐えきれず、弓箭兵の一人が喚きながら矢を放った。まるで先程矢が止められたことなど覚えてもいないかのようだが、心理的に追い詰められた支離滅裂な行動であり、そこまで考えてのことではない。あるいは先程の光景はたまたまであり、繰り返せばいつかは刺さるとでも思ったのか。
それに釣られて数人の兵が追随して矢を放つと、併せて四本の矢が男の黒いローブに突きたった。ように見えた。
「……いちいち鬱陶しいな……それに俺以外を狙われても面倒か。<矢守りの障壁>」
倒れるでもなく、出血するでもなく。仮面の男は少しだけ苛ただしげにそう言うと、確かに魔法を唱えたようだったが、対峙するレエブン候達の目には何かが起こったようには見えなかった。
変化は、もう一度別の兵が矢を射かけた時に現れた。その兵士が一本だけ、我慢できずに放った矢は、今度は仮面の男に到達することもなく空中で不自然に停止すると、ぽろりと床に虚しく転がった。
「……これで無駄だと分かったろう?少し待っていろ。お前達の相手は後でしてやる」
「ひっ……!!」
なんらの反応も見せずに仮面の男が首だけを振り返ってそう告げると、兵士達は膝が笑い出すのを押さえることができなかった。それきり呆けたように事態の推移を固唾を呑んで見守る。
仮面の男――アインズは、ハムスケからナーベラルを受け取ると、片膝を突いて横抱きに抱きかかえた。吐血で真っ赤に染まった口元に、同じく真っ赤な液体を注ぎ込む。
だが注ぎ込もうとしたその液体は、全て虚しく口元を伝ってこぼれ落ちていった。アインズは慌てず騒がず、残りの液体を今度はナーベラルの胸元、傷口にばしゃばしゃと振りかけていく。
瞬間、ナーベラルの体、正確には胸元の傷が輝いたように見えた。レエブン候は己の目を疑う。ナーベラルの体に空いた穴が塞がっていくように見えた。あの赤い水は
「……そういえば、えらく簡単に俺のような怪しい奴を信用したものだな?胡散臭いとは思わなかったのか」
傷が治っていくのを待つ間、アインズがそのようなことを問いかけると、ハムスケは首を振って答えた。
「それがしの知る限り、姫がナーベラルと名乗ったのは、この世でそれがしだけでござる!であれば、その御名前を御存知の殿は、姫にとって特別な御方ということでござるよ!」
その返答を聞くと、アインズは感心したように頷いた。
「ほう……ナーベラルも結構色々考えていたのだな。そしてそれを知るお前は、ナーベラルが最も信用していたペットということか。よし、お前も飲むがいい、ハムスケ」
アインズがそう言ってどこからともなくもう一本、小瓶を取り出すと、ハムスケの口元に持って行った。ハムスケが逆らわずにその液体を飲み下すと、矢の突き立った傷口が輝くと共に、矢が内から押し出されて抜け落ち、傷一つ無い毛皮が現れた。
(馬鹿な――こんな馬鹿な――!!)
レエブン候が内心呻く間にも、ハムスケは立ち上がって喜色を浮かべ、アインズに礼を言った。
「かたじけないでござる!主の主であれば我が主も同然、それがしの忠誠を受け取って欲しいでござる!」
「うむ、ハムスケ、お前の忠義を受け取ろう……おかしいな、傷は塞がったしそろそろ起きてもいいと思うのだが……?」
そう言って、アインズはやや不安そうにナーベラルの顔を覗き込む。彼女の顔は死人のように白いまま意識は戻らず、呼吸をしているのかも不安になる程微かである。
「顔色が戻らないでござる!姫は本当に助かるのでござるか!?」
微動だにしないナーベラルと、それを心配そうに見つめるハムスケ。それには答えず、アインズは右手の人差し指をじっと見つめる。躊躇は一瞬。
「案ずるな、手はまだある。……指輪よ!」
右手の人差し指を高々と掲げたアインズがそのように宣言すると、ガントレットの下からでも隠しきれない光がその指から溢れ出て、彼の足下を魔法陣が包み込む。
「
そして白い閃光が、周囲を埋め尽くした。
「おお……姫……」
眩い光が収まると、ナーベラルの顔に赤みが差した。呼吸音が聞き取れるほど大きくなり、その胸がゆっくりと上下運動を始めた。ハムスケが驚きの声を上げる。
「良し、こっちの効果は万全のようだな。……しっ、ナーベラルが起きそうだ」
アインズは片手を振って騒ぐハムスケを静かにさせると、両腕でナーベラルを抱き起こす。ナーベラルの瞼がぴくんと動き、その瞳が露わになる。焦点の合ってなかった瞳がアインズを映すと、意識の覚醒につれて瞳の端から涙があふれ出て来た。
「……モモンガ様……?これは夢なのでしょうか……?」
(
思わず内心でツッコミの叫びを上げてしまったレエブン候だが、それを実際に声に出す蛮勇の持ち合わせはなかった。そもそも先程から指一本動かせないほどの緊張を感じていた。僅かに視線を動かし、唾を飲み込むのが精一杯である。
「ナーベラルよ、夢ではない、私はここにいる。……よく今まで頑張ったな」
「モモンガ様……モモンガ様ぁ……」
ナーベラルはそれだけ言うのが精一杯、といった体で、後は嗚咽を漏らしながらアインズの胸に縋り付く。彼女の瞳からあふれ出る涙を己の胸で受け止めると、アインズはそっとナーベラルを抱きしめて、その背中を優しく撫でた。
何言っても裏目になる気がするんであとは本文のみで。