IF GOD 【佐為があのままネット碁を続けていたら…】 完   作:鈴木_

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バタバタと足音を立て、ヒカルは手紙を握り締め、二階の部屋に駆け上がる。

 

「ヒカル!早く!」

 

「待てって、佐為。今開けるから」

 

待ちに待った手紙に、佐為はもちろんだが、ヒカルも興奮を抑えきれない。

 

『藤原』

 

住所のない名字だけの宛名。

 

行洋とこれからどう連絡を取ろうかという話になったとき、本名での手紙のやり取りは念には念を入れて、控えたほうがいいだろうという話の流れになった。

『藤原佐為』という存在は、極めてデリケートだ。

幽霊という存在の佐為を、誰彼構わず話しても信じはしないだろうと行洋は言った。

もちろん以前、佐為がとりついた秀策のように、佐為の全面的に受け入れ佐為となって打つならいいが、ヒカルがヒカルとして碁を打ち、アキラを見返したいのであればなお更に。

 

現状、ごく一般的な中学生でしかないヒカルに比べ、行洋は現役トップ棋士で多忙を極める。

その多忙なスケジュールから佐為と打つための時間を作るのも限られ、すぐに何時どこでという判断は不可能なので、行洋の方からの連絡を待つことになった。

 

行洋の名は伏せ、人目につく裏の差出人には、佐為の名字である『藤原』を記入し、お互い連絡を取るときの名前にしようということにして。

 

長方形の封筒の上部を、ハサミを使い中の手紙まで切ってしまわないよう気をつけながら、ヒカルが封を切る。

封筒から出てきたのは、2枚の手紙だった。

佐為にも読めるように、机の上に2枚を重ならないように並べて置く。

 

――えっと……

 

ヒカルでも、行洋の書く字が達筆で綺麗なことは理解出来たが、見慣れない字であることに変わりなく、一文字一文字読むのに時間がかかった。

冒頭には、佐為という存在への困惑と同時に、歴史上の棋士でしかなかった『本因坊秀策』と本当に打てることへの喜び、話してくれたことに対する感謝が書かれてあった。

 

――碁を打つ人なら秀策と打てるのは本当にうれしいんだろうな

 

話す前は不安だったが、こうして手紙を読んでいると、ヒカルは行洋に佐為の存在を打ち明けて本当によかったと、しみじみ思う。

対して、佐為はヒカルが手紙の半分も読まないうちに

 

――3週間後の日曜日!10時から!

 

壁にかけてあるカレンダーに振り返り、日時を確認する。

 

――ヒカル大丈夫ですよね!?

 

――……大丈夫だけど、お前、もう少しゆっくり俺にも手紙読ませろ

 

幽霊が見えると話して、馬鹿にされるかもしれないという危険を犯してまで、行洋にお前のことを打ち明けたのは自分なんだぞ、とヒカルは口を尖らせる。

 

――す、すいません……つい、嬉しくて……

 

興奮し、はしゃぎすぎていたかと、佐為は気を落ち着けながら謝る。

そんな佐為に、ヒカルも気持ちを切り替えて、笑いかけた。

 

――そだな。よかったな。また塔矢先生打ってくれるって

 

――はい

 

――んじゃ、ネット碁でもするか。次は塔矢先生だって、最初から本気で打ってくるだろうから、お前が負けるかもよ?

 

パソコンの電源を押しながら、ヒカルが佐為をからかうと、佐為は冗談でかわさず本気で言い返す。

 

――では3週間後までにもっと強くなります!

 

――でも、俺だって院生試験受かって、もっと強くなんないといけないんだから。打つのは交代交代。

 

後ろで佐為がまだ何か訴えていたが、ヒカルは無視して、立ち上がったデスクトップウィンドウから、囲碁ソフトのショートカットをクリックした。

 

 

■□■□

 

 

『すごいな、これがsaiか』

 

パソコンで打ち出されただろう棋譜を眺めながら、太善が呟く。

ネット碁には興味は無かったが、プロ棋士の間でもsaiというネット碁の棋士の存在が噂され、アマの域に収まらない強さから、その正体について色々取りざたされているのは知っていた。

日本のプロ棋士の誰かが戯れに打っているという説が今のところ最有力らしいが、プロ棋士が誰彼構わず打つというのも疑わしい。

 

しかし、こうして目の前にsaiが打ったという棋譜を見せられて、太善は片時も目を逸らすことなく見入る。

これだけの強さなら、皆が騒ぐのも納得できた。

 

『一度打ってみたいね』

 

『運がよければ打てますよ。けど、saiにはすごい数の対局申し込みが入るんです。もし対局できたら、今年の運使い果たすくらいの幸運が必要でしょうね』

 

韓国棋院の事務員が、太善の呟きに、冗談半分大げさに笑う。

別の棋士から頼まれていたsaiの棋譜をプリントアウトし持ってきていたところに、偶然、太善が事務所に顔を出し、棋譜をみつけてからというもの、それからずっと棋譜を眺めている。

この様子では太善の分もコピーした方がいいかな、と思いながら、太善の傍に淹れたばかりのお茶を差し出した。

 

『ネット見てみますか?もしかしたらいるかもしれませんよ、sai』

 

太善のあまりの熱心さに、事務員は囲碁ソフトを立ち上げ、自身のアカウントでログインする。

saiがいるかもしれないという言葉に惹かれ、太善もようやく棋譜から顔を上げ、パソコンディスプレイをみやった。

 

『うーん、いませんねぇ。すいません、せっかく棋譜見ていたところを』

 

アルファベットの並ぶアカウントの中から、saiを探したが見つからない。

 

『いいさ、所詮はネット碁だから、いつ現れるともしれないし、そう都合よく……え?』

 

無音の中、新しくログインしたアカウントが追加される。

 

『saiが現れた!!』

 

事務員が場所を忘れsaiの名前を叫ぶ。

それと同時に、条件反射に等しい速さで、反射的にsaiの名前をクリックし、対局申し込みをする。

太善の耳に、事務員が唾を飲み込む音が聞こえた。

 

――ピッ

 

パソコン画面に、対局申し込みを受け入れられた流れで、対局画面が開く。

対局をsaiが受けたのだ。

 

『saiが……対局を受けてきた……。ど、どうしましょう……』

 

思わず対局申し込みしてしまったが、まさかsaiと対局が叶うとは全く思っていなかった事務員は、気持ちが動転し、傍にした太善に助けを求める。

また、さきほど大声でsaiの名前を叫んだことで、他の事務員たちも対局に気付き、仕事を放って、わらわらと対局画面が映し出されたパソコン周辺に集まった。

対局画面に映し出されたsaiの名前に、周囲のざわめきが大きくなる。

 

『どうしましょうって、打つしかないんじゃないかな?』

 

太善が答えると

 

『だって俺なんかじゃ絶対負けますって!』

 

『じゃあ、俺が打っていい?』

 

『安先生が!?』

 

『打たないんでしょう?』

 

それならば、自分が打ってもいいよね?と穏やかながらも有無を言わせない調子で太善が詰め寄る。

 

『ど、どうぞ……』

 

太善に言いくるめられる形で、事務員が席を太善にゆずるが、

 

『ねぇ、ここに日本語が分かる人いる?そうだな、来週の日曜日に対局したいってsaiに伝えて欲しいんだけど』

 

『え!?今打たないんですか!?』

 

『だって俺、この後、指導碁の仕事が入ってるから無理だし。誰彼かまわず打つsaiと違って、俺はプロ棋士で忙しい』

 

開き直ったように言う太善に、事務員は呆気にとられた。

確かに太善の都合はあるだろうが、元はといえば、事務員からsaiに対局申し込みをしておきながら、日時を改めようというのは、いささか図々しいというか都合が良いようにも聞こえる。

 

けれど、太善がこれ以上引く様子を見られなかったので、対局の打ち直しを言い出したのは太善であって、自分の所為ではないと己を説得すると、集まった事務員たちは日本語の通訳が出来るものを前に押し出し、椅子に座らせた。

 

『来週、日曜日。午前はちょっと仕事入っているから、昼12時から打ちなおしませんか、って伝えてくれる?』

 

『は、はい』

 

いきなり通訳を任された事務員が、震える手でチャット画面に文字を打ち込んでいく。

日本語は分かるが、漢字はあまり通じているといえず、すべてひらがなだけの文字で。

 

saiはチャットをしない。

 

それはネット碁をして、saiを知っている者であれば、有名な話だ。

下手にチャットをしてsaiがいなくなるより、今から打つ方が確実だろう。

この場に集まった者で、期日を改めようと申し出たところで断られるのがオチだろうと考えている者も少なくなかった。

しかし、しばらくして

 

――『わかりました』

 

saiがチャットを返してきた。

それだけでも大事のように喚声が上がる。

事務員が打ち込んだひらがなの日本文と同様に、たった一言、短い文章が返され、それを通訳したとたんに、事務所に二度目の大きな声が上がった。

韓国のトップ棋士である安太善とネット碁最強のsaiとの対戦が実現する。

すぐにsaiは対局画面から消えてしまったが、チャットのログは残っている。

確かにsaiは対局の打ち直しを了承した。

 

『そうだ、君。saiの棋譜、僕の分もコピーしてもらっていいかな?』

 

『はい!急いで用意します!』

 

『ありがとう。あ、今度の日曜日、そのアカウント貸してね』

 

初め、saiの棋譜を見せてくれた事務員に、太善は自分の分もと頼めば、自分の仕事をそっちのけで、コピー機へ向かう。

 

囲碁を打つ者であれば、強い相手と打ってみたいという気持ちは誰にでもある。

太善もネット碁を否定しているわけではない。

ネット碁の中にも強い者がいて、プロの中にもネット碁をしている者がいることも知っている。

 

俄かに興奮する事務所の中で、太善は思いがけず巡ってきた対局に静かな闘志を向けながら、コピーされた棋譜を受け取ると平静の様子を崩すことな事務所を後にした。

 

 


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