IF GOD 【佐為があのままネット碁を続けていたら…】 完 作:鈴木_
若獅子戦当日、開始時間までに棋院に到着し、すれ違う関係者や知人に挨拶してアキラは会場に入る。
会場に入れば、入り口近くで院生達が集まっており、その中に特徴的な髪色を見つけて、意識的に無表情を繕う己を自覚する。
年末の院生試験に合格し、緒方の言うとおり、本当にヒカルは若獅子戦までに院生16位まで上がっていたのだ。
しかし、ヒカルがアキラを見ているのは分かっていて、ワザと無視するような形でヒカルの傍を通りぬけ、背後にヒカルから向けられる視線を感じつつ会場の奥にいたプロ棋士たちに挨拶した。
背中合わせのようにヒカルが背後で打っている存在を感じながら、アキラは院生を相手に対局した。
対戦相手の本田という院生は、院生の中でも上位者ということもあり、それなりの手ごたえを感じたが、プロの域にはあと少し届かない印象を受ける。
まだアマの域を脱していない。
対戦相手がアキラということを意識しているのか、地に辛く、慎重に打っているのが伝わってきた。
だが、アキラには遠く及ばず、攻めてくるアキラに受けるばかりでどんどん地を取られていく。
少し時間が経つと対局が終わったらしい者たちが、アキラの対局する机の周囲に集まってくるが、力の差と縮まらない地合いに、対局中盤で相手が投了した。
直後、会場の一角で激しく騒ぎが起こったが、アキラは注意を引き付けられることなく碁石を片付け、まだ後ろで打ち合う気配が続く対局に目を向けた。
――これは……
盤面はすでに終盤へと入り、小ヨセでプロ棋士の打ちまわしにヒカルが翻弄されているだけだったが、それでも差は6目半とそこまで差は開いていない。
となると、ヨセまではヒカルがプロ相手に互角に打っていたことになる。
何より、見慣れない石の並びは、アキラでも打ち順が想像できなかった。
If God 22
大勢の前でヒカルの対局のことを緒方に聞くのは憚られた。
もっと正せば、緒方に聞くのも本当はしたくなかったが、ヒカルの対局を恐らく初めから見ていたのは緒方だけだった。
若獅子戦の翌日、アキラは外で緒方を捕まえられるかもしれない唯一の心当たりの店へ足を向けた。
1人暮らしの自宅で観賞魚を飼っている緒方の行きつけの店。
緒方が必ずいるという確証があるわけではなく、可能性だけでアキラが店に向かうと、店からさほど遠くない路上パーキングに見慣れた車が駐車されてあった。
店の中で観賞魚を見ていた緒方がアキラに気付き、
「よくここが分かったな」
「緒方さん、時々ここによるから、もしかしたらと思って」
「何か用でも?」
アキラが言いたいことを薄々分かっているハズなのに、もったいぶったように緒方は尋ね返し、あえてアキラから言わせようとしているようだった。
「……昨日の、若獅子戦……進藤の対局だけ見てすぐに帰られたでしょう……。お聞きしたいことがあって……」
緒方に尋ねることを躊躇しながらアキラは途切れ途切れに口を開く。
昨夜一晩、ヒカルが打った碁を検討してみたが、はやり序盤の打ちまわしがどのように打たれたのか、予想を立てることもできなかった。
しかし、尋ねている傍から、取り合う気がないように店員に魚の餌を頼み、そのまま店から出て行こうとする緒方の後を、アキラは急いで追う。
「緒方さん!」
「さぁ、家まで送っていこうか。それとも寿司でも食っていくか?」
今日はヒカルの対局のことを聞くためだけに、いるともしれないこの店までわざわざ足を伸ばしたのだろう、と緒方は言葉に含みを持たせる。
車のロックを外し、車に乗るようアキラに促しながら、緒方も車に乗り込みシートベルトをする。
「緒方さん!教えて下さい。昨日の進藤の一局。何か!何かあったんでしょう!?」
車に乗り込むとアキラは気にする周囲も無くなったことで、声を荒げて緒方に言い詰め寄った。
長い付き合いでアキラも緒方の性格を多少なり分かっているつもりだ。
緒方は興味の有無がハッキリしている。
もしヒカルの対局が興味を引くものでなければ、もったいぶらずにすぐ話しただろう。
なかなか話さないということは、9段の緒方の興味を引くだけの何かをヒカルがしたことになる。
その結果があの見慣れない石の並びになったのだ。
「僕が見たのは村上プロのヨセのうまさに押されっぱなしの進藤、ただそれだけです」
「そして結果は6目半の差。君の見たとおりだ」
「ヨセであれだけ先手を取られた上での6目半。ということはそれまで互角だったということ。進藤はプロ相手にそこまで力をつけているんですか!?それに見慣れぬ石の並び……手順が想像できないあの形!進藤は何かしたハズだ!」
「進藤の対局者に聞けばいいじゃないか」
対局について聞くなら、対戦相手に聞くのが一番の筋であり、当然アキラも対局が終わったあと、対戦相手に尋ねた。
けれど、返ってきたのは
「……き、聞きましたが……負けた進藤ではなく対局相手の俺を気にしたらどうだ、と話してもらえず……」
勝った自分ではなく進藤を気にしていたアキラに、対局相手の村上はプライドを傷つけられたようで全く取り合ってもらえなかった。
「で、2回戦、そんな大口を叩いておいて、そいつはあっさりキミにやられたわけだ。カワイソウに」
対局結果を教えてもらったわけでもなく、緒方は予想でその村上にも勝ったのだろうと適当に言ってみたが、アキラが反論しなかったので、それがやはり当たっていたのだと小さく嘲笑した。
緒方の知っている低段者のプロは少ないが、それだけ緒方の脅威になるほど腕の立つ打ち手がいないだけの話である。
もし去年であれば倉田がいたが、今年は年齢制限で倉田は出場できない。
となるとアキラと対局して勝つ可能性のある棋士は今年の若獅子戦にはいなかった。
ヒカルを除いて。
対局は負けてしまったが、ヒカルの打った一手の意図は緒方も気付けなかった。
悪手を好手に化けさせた見事な打ちまわしだったと言える。
最後の小ヨセで逆転さえ許さなければ、2回戦で対戦しただろうアキラとの一局も見ものだったろうと思う。
しかし、同時に、ヒカルの打つ石の打ち筋に緒方は奇妙な違和感を感じた。
ヒカルの対局を見るのは今回が初めてだったが、打ち筋をどこかで見た、もしくは似ている印象が頭を過ぎる。
似通った定石ではなく、応手の仕方など、もっと基礎的な部分の棋風。
どこで見た、この打ち方は誰に似ていると、ハッキリ断言できる程ではなく、ふわふわと外形を成さないイメージのような朧げで曖昧な印象。
――これは誰だ?
これまで対局してきた相手を緒方は思い返すが、結局、該当するような人物は思い出せなかった。
「緒方さん、教えてください、進藤は」
「進藤になど興味なかったんじゃないのか?」
矢継ぎ早に緒方はアキラが言っている途中で口を挟む。
若獅子戦にヒカルが出場すると言ったときも、アキラはヒカルのことをどうとも思っていないと言っていただろう、と付け足す。
それを言われると返す言葉が無いのかアキラも口を閉ざすしかない。
「………………」
「あせらずともじき答えは出るさ。2ヶ月も経てば」
「………プロ試験が始まる」
「そう。去年、キミが通った道をいよいよ進藤が歩む」
去年のプロ試験でアキラが難なく通り抜けた試験だったが、ヒカルにはどうだろうかと緒方は思う。
若獅子戦での一局は十分に評価出来るが、それを含めても期間の長い試験を考えると、足元がおぼつかない強さであり、そう何度も通用するものでもない。
あと2ヶ月の間にどれだけ力を上げられるかにかかっているだろう。
ヒカルがアキラに勝ったという対局を緒方は見せてもらったことがなく、どんな一局だったのか分からないが、もし初心者だったというヒカルが囲碁を覚えて一年でここまで打てるようになったのなら、著しい成長だと誰もが言うだろう。
ヒカルと同じような経歴の倉田でさえ、囲碁を覚えて間もなくプロの弟子になったというのに、ヒカルはそれもない。
森下の研究会に週一で出入りしていることを考えても、ヒカルが1人で碁を覚えたのなら、成長を促したのは才能という以外なくなる。