IF GOD 【佐為があのままネット碁を続けていたら…】 完   作:鈴木_

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石の並びが無限に近い数ほどあるように、師弟関係であっても、弟子が師の打ち方に完全に染まってしまうことはない。

現に親子であり、同時に師弟でもあるアキラと父親の行洋も、打ち筋は似ているが、全く同じではない。

 

だが、それでも受け継がれ、似通ってしまう部分があるとすれば棋風だろうか、と緒方は思う。

石の流れ、応手、打たれる碁から受ける漠然としたイメージ。

先人の意思が打たれる石に宿り、受け継がれていく。

 

saiとヒカルの打ち筋の相似も然り。

もっと言えば、アキラよりヒカルの方が打たれる碁から受ける印象は強い。

saiの棋譜を集め何度も並べてきたとはいえ、たった一度、対局を見ただけで緒方に近視感を抱かせるほどに。

 

しかし緒方が気付いたところで、打ち筋が似ているというだけでヒカルとsaiの関係を確づけるものではなかった。

saiが素性を隠していることはそうだが、ヒカルもまたsaiの関係どころか師匠の存在さえ周りに一切話していないのだ。

ネットで個人情報を話したくないというなら、緒方も理解できた。

しかし、プロを目指しているヒカルまで一緒になって、何故そこまで素性を隠したがるのかという疑問があった。

碁を打っているということを誰かに知られたくない、健康上の理由で人前に出られない、身元を明らかに出来ない何らかの事情がある、様々な理由は考えられる。

 

となると、下手に算段なく探りを入れれば、相手側の警戒が増すだけでsaiに近づくことはおろか、逆に遠ざかってしまうことにもなりかねないだろう。

 

ディスプレイに映されているのは、saiが打ったという最新の棋譜。

saiが相手を選ばないため、対戦相手が弱すぎて緒方の参考にならない棋譜も多々あるが、この棋譜は久々に見れたいい棋譜だと思った。

saiを相手にやはり負けてしまってはいるが、各所で工夫を凝らした手を打ち、終局まで善戦している。

 

sai本人に会えるならベストだが、この際、打てさえすればネット碁でも構わない。

 

「……歯がゆいな」

 

吸っていたタバコを灰皿に押しつぶし、パソコンの電源を落とす。

すぐ近くにsaiはいるのだ。

それなのに、saiと打つことはおろか近づくこともままならない。

出来ることといえば、ヒカルがボロを出すのを地道に待つことぐらいだろうか。

 

マウスに手を載せたまま瞼をゆるりと閉ざし、まだ待てる、そう緒方は自分に言い聞かせた。

 

 

■□■□

 

 

「は?緒方先生のアカウント名?」

 

碁会所へ一緒に行く約束の日、待ち合わせ場所に一番最初に着いたのはヒカルだった。

そして時間をおかず和谷が到着すると、開口一番にヒカルは話を切り出した。

 

「そう。ネット碁のアカウントって仮の名前だろ?現実で誰が打ってるかわかんないだろ。それでさ、緒方先生がネット碁してるって、この前の研究会のとき森下先生言ってたじゃん。緒方先生のアカウント名、知らない?」

 

「……何で俺が緒方先生のアカウントなんて知ってるんだよ?」

 

「知らないの?」

 

「当たり前だ!トップ棋士がこっそり隠れて打ってるネット碁のアカウント名なんて俺が知ってるわけないだろ!?」

 

「なんだ、ちぇっ」

 

口を尖らせて舌打ちするヒカルに、和谷は怒る気力も萎えてしまい、脱力してしまった。

最近ではプロ棋士がネット碁をするようになってきているとは言え、それはプロの中でもごく一部で、本人とは明かさずこっそり打つプロ棋士がほとんどである。

その中でも稀に本名をアカウントにして打っている一柳のように、ネット碁ユーザーの中でも有名なプロ棋士も存るにはいる。

 

だが、それはあくまで本人が公の場で認めているから知られているのであって、緒方がネット碁をしているらしいというだけで、ネット碁のアカウント名が何かまでは知りようがない。

それなのに、あたかも和谷なら知っていると信じきったような口調でヒカルが問う根拠が分からず、和谷は頭をかかえた。

 

「そんなに知りたいんだったら進藤が緒方先生本人に聞けばいいだろ。院生試験を推薦してもらって、塔矢先生の研究会にだって誘われてるくらいなんだから、聞けばすぐ教えてくれるんじゃねーのかよ」

 

「それが出来れば苦労しねえよ……」

 

ヒカルはそっぽを向きボソリと呟く。

行洋が言っていたが、ヒカルと佐為の打ち筋はとても似ていて、ヒカルの対局を観戦した緒方はそのことに薄々気がついているのかもしれないという。

ただし、打ち筋が似ているからといって、ヒカルとsaiが必ずしも関係すると確定づけるものでもないので、saiの棋譜並べをよくすると言い通せば、緒方もそれ以上追求できないらしい。

だとすれば、ヒカルの方から緒方に接触を持つのは、みすみす自分からsaiをバラしにいっているに等しいだろう。

 

できるだけ緒方に近寄りたくないのがヒカルの本音だが、もし緒方のネット碁でのアカウント名さえ分かれば、ヒカルと何ら接触を持つことなく、佐為は緒方と碁を打てるかもしれない。

 

「ん?なんか言ったか?」

 

「いや!何も!!」

 

笑い誤魔化すヒカルの隣で、佐為が落胆している姿が視界に端に映る。

ヒカルがネット碁を知る前から、ネット碁をしているらしい和谷に聞けば、多分分かるだろうという安易な頼みの綱は、あっさり切れてしまった。

和谷以外に目ぼしい当てなどヒカルにはないので、これ以上緒方のアカウント名を探る手立てはないのだが、

 

――そう落ち込むなよ、佐為。緒方先生がネット碁してれば名前分からなくたってきっといつか打てるって

 

打てるかもしれないと期待した分、余計にへこんでしまった佐為をヒカルはそっと励ます。

 

「進藤、お前もネット碁してるんなら、ネット碁の知り合いとかいねぇのかよ?そっちに聞いてみれば?緒方先生なら半端なく強いだろうから、強いプレーヤーとして心当たりあるかもよ?」

 

「そんなのいない」

 

「1人も?」

 

「うん。だって俺チャットできねぇもん」

 

当たり前のようにケロッと言いのけたヒカルに、和谷は本日二度目の脱力でその場にへたりこんでしまった。

 

「……昨今の中学生がパソコン持っててチャット出来ないって致命症だぞ」

 

「そか?碁が打てれば、とりあえず不便ないけど?」

 

チャットが出来れば対局相手と検討ができるという利点はそそられたが、どうにもヒカルはキーボードを打つことに慣れることが出来ない。

頑張っても、時間をかけて、両手人差し指を駆使して一行が精一杯。

 

「だいたい、なんでいきなり緒方先生のアカウント名なんだよ?それ以前に俺達はプロ試験真っ最中で、余所見なんてしてる場合じゃないのに」

 

「えっと、なんていうか……ネット碁でももし緒方先生と打てたらラッキーかなーって……」

 

しどろもどろにヒカルは適当な理由を口に並べる。

 

「そりゃあトップ棋士と打てれば勉強になるし経験にだってなるだろうけど、そんな薄い期待は持たない方がいいぜ?運良く打てたって、チャットもできなきゃどこが悪かったとか検討だって出来ないんだし。あー、でもsaiともし打てたら験担ぎにはなるかもな」

 

「アハハ、saiね……」

 

冗談半分に言っただろう和谷に、ヒカルは心の中で、saiとなら毎日イヤというほど打ってます、と呟く。

そこに伊角が到着し、これまでのヒカルと和谷のやりとりを聞いて

 

「は?緒方先生のアカウント名?進藤も酔狂だな」

 

「別にいいじゃん」

 

呆れながらいう伊角に、和谷も追随してヒカルを冷やかす。

3人そろったところで、紹介してもらった碁会所に向かうべく電車に乗ろうとして、和谷が持っていたチャージ残量が少ないことに気付き、2人を改札前に残しチャージを足しに走っていく。

 

「進藤、さっきはああ言ったけど、そういうネット碁って大概コミュあるだろ?」

 

「コミュ?」

 

突然、ネット碁に話を戻した伊角をヒカルは見上げた。

 

「コミュニティとかSNS。交流を目的としたHPみたいなもんかな。俺、調べといてやろうか?緒方先生くらいなら負けることなんてほぼ無いだろうし、戦勝履歴や対局者の感想とかで、もしかしたらある程度アカウント絞れるかもよ?ただし、期待はしないでくれよ」

 

クスリと笑み、伊角はヒカルを見やる。

安請け合いをするつもりは無かったが、ヒカルがそこまで熱心に緒方のアカウント名を知りたがっているのを聞くと、伊角も多少協力してやってもいいような気がして、軽い気持ちから口にしてしまった。

しかし、調べてやると言っているのに、ヒカルはぽかんと口を開いたまま伊角を凝視し、次の瞬間伊角に抱きついてくる。

 

「……伊角さん大好きっ!!」

 

「喜んでくれるのは嬉しいけど、あんまり誤解を招くようなことを公衆で叫ぶな」

 

大声で叫び抱きついてきたヒカルを落ち着けと宥めるが、そこにタイミングを合わせたようにチャージを終えた和谷が戻ってきて、ヒカルに抱きつかれた伊角を引き気味に尋ねた。

 

「何してんの?2人とも……」

 

「うっせー!和谷には関係ねえの!俺と伊角さんの秘密なんだよ!」

 

「だから、そんな誤解を招くようなことを言うなと、進藤……」

 

公衆の面前で伊角は頭を抱えた。

 

 

 

 


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