IF GOD 【佐為があのままネット碁を続けていたら…】 完   作:鈴木_

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棋院の事務所の受付にヒカルはひょこりと顔を出し

 

「すいません。院生の進藤ですが、プロ棋士の打った棋譜とかって見れます?勉強したいんで、できればそれ印刷して欲しいんですけど」

 

「プロ棋士の打った棋譜かい?タイトル戦での棋譜とか、高段者の棋譜なら全部記録に残っているよ」

 

受付をしていたのは20代後半ぐらいの男性スタッフで、まだ背が低いヒカルを見て、勉強熱心だねと微笑ましそうに話しかけてくる。

だが、棋譜が見れると分かったヒカルの次の言葉に、受付の男性は固まった。

 

「ほんと?やった!じゃあ、緒方先生の打った棋譜全部ください!」

 

「え?緒方先生の打った棋譜全部って……緒方先生のだけ欲しいのかい?他のプロ棋士の棋譜は?」

 

プロ試験真っ最中のこの季節。

院生だというヒカルがプロ試験予選に通過したか否かは分からなかったが、トップ棋士達の打った棋譜を並べて囲碁の勉強をするのかと思っていれば、特定の1人だけの棋譜を求められ怪訝に問い返す。

 

「えっと、とりあえず緒方先生だけ……、俺、緒方先生のすっごいファンで、尊敬してて、憧れてて……」

 

とってつけたような言い訳でヒカルはなんとか受付を誤魔化せないかと試みる。

すると、

 

「ああ、なるほど。でもいくらファンだからといって、特定の1人だけの棋譜を並べるばかりじゃなく、いろんな人の棋譜をバランスよく並べないと勉強にならないから気をつけてね」

 

「そうですね、他の人の棋譜はまた追々……」

 

「じゃあ、ちょっと待ってて。印刷してくるから」

 

適当な愛想笑いを浮かべるヒカルの嘘に、全く疑いを持たなかったらしく、事務所の奥へ入っていく受付の後姿を見送り、ヒカルはほっとする。

なんとかうまくいったな、とヒカルが安堵する隣で、

 

――ヒカル、ほんと咄嗟の嘘が上手になりましたよね

 

緒方のファンだなんて初めて聞いた、と佐為がヒカルを信じられないような目で見てくるので、ヒカルは頬をぴくぴくさせる。

 

――だから、全部お前のせいだよ

 

佐為と一緒にいることで、囲碁の実力もそうだが、日増しに嘘のレベルも上がっているのだとヒカルは再実感した。

 

 

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「この中に緒方先生がいる……かもしれないのか……」

 

伊角からもらった紙をヒカルは、自分の部屋の椅子に座り、羅列しているアルファベットの名前を上から下へざっと目を通す。

 

可能性が高いというアカウント数は全部で30弱。

このリストのほかに、リストのプレーヤーが打ったという棋譜も一緒にプリントアウトしてあった。

伊角も検索してみて初めて知ったらしいが、強い打ち手が誰であるか突き止めようとする者たちは少なくないらしく、ネット碁の対局した時間と、プロが公式手合いでネット碁が打てない時間などを照らし合わせ、勝手な推測ではあったが、おそらくこのアカウントはこのプロだろうという解析されたページまであったのは、 かなり驚かされたらしい。

 

よくここまで調べたものだと感心する一方、もし院生の自分達がプロになりネット碁をすれば、これらのアカウント者のように他人から根掘り葉掘り解析されるのだろうかと思うと、少し怖い気もする。

 

アカウントリストの名前は、意味不明な文字列であったり、果物などの単語から、日本人らしい名前であっても、緒方の名前にはかすりもしないアカウント名ばかりで、これらから緒方を特定することはヒカルには到底不可能だった。

いつ現れるともしれない相手に1人1人『あなたはプロの緒方先生ですか?』と聞いてまわるわけにもいかない。

仮に聞きまわったとしても、強い打ち手に手当たり次第、緒方を探している不審人物がいるとして、緒方当人の耳に入ってしまうことは避けたかった。

 

――どうです?どれが緒方だと思いますか?

 

ローマ字表記のアルファベット名を読めない佐為が、持っているリストをヒカルの後ろから覗く。

平安時代から江戸時代まで約600年。

多少の文化の違いはあれど、文字や着ている服などそこまでかけ離れた変化は見られなかったが、江戸時代から現代までのたった200年弱。

その200年で、人の文化や風習、街並み、ほとんど全てといっていいくらい様変わりしてしまっていた。

江戸時代ではご法度とされていた外国の本も簡単に手に入り、そして子供の教育に外国の言葉と文字が当然のように使われていたことは、しばらく佐為も信じられなかった。

 

「さーっぱり。どれが緒方先生なのかちっとも分からねぇよ。第一、このリストだって、もしかしたらこの中に緒方先生がいるかもし、れ、な、い、ぐらいの確率なんだろ?」

 

――では、ヒカル、伊角からもらった棋譜を床に全部並べて、私に見せてもらえますか?それと、緒方の打った棋譜も

 

佐為が頼むと、ヒカルは後ろを振り返り

 

「判別できそう?」

 

――見てみないと何とも言えませんが、棋譜から受ける棋風や打ち筋などで、もしかしたら分かるかもしれません。緒方は行洋殿の弟子なのでしょう?でしたら、少しくらいは打ち筋や棋風を、緒方も受け継いでいると思うのです。もちろん、もしこの名簿の中に緒方がいれば、の話ですが……

 

「打ち筋や棋風、ねぇ?」

 

そういう自分が、佐為と打ち筋が似ていると言われたばかりで、ヒカルはうーんと唸った。

他人から似ていると指摘されても、無自覚なのだからヒカルには佐為との相似は分からない。

アキラとネット碁をした時も、佐為はakiraが塔矢アキラでほぼ間違いないと断定した。

もっと碁が強くなれば、相手の特徴などにも気付くことが出来るようになり、見分けることも可能になるのだろうかとヒカルが考えながら、伊角にもらった棋譜と、棋院でもらった緒方の棋譜を、佐為が見やすいように床に並べていく。

 

――ヒカルにはその間、詰め碁問題を出しますからね。しっかり勉強してプロ試験合格しましょうね

 

閉じた扇で碁盤を指し、佐為は微笑む口元を優雅に手元の袖で隠す。

この前のように詰め碁をしながら寝ちゃだめですよ、と釘を刺しながら。

ついこの前、詰め碁をしながら寝てしまい、朝、美津子に見つかってしまって大目玉を食らったことを思い出し、ヒカルは眉間に皺を寄せ、寝そうになったら絶対起こせと佐為に頼んだ。

 

夏休みということとプロ試験真っ只中ということで、母親の美津子もヒカルの夜更かしにもそこまで目くじらを立てることはない。

それからずっと何度か棋譜を入れ替えながらヒカルは詰め碁を解き、佐為も床に並べられた棋譜を見続け日付が1時間も過ぎた頃。

 

――ヒカル

 

「ん?寝てないぞ?」

 

難しい詰め碁を出され、それに負けないくらい難しい顔で格闘していたヒカルが、佐為に名前を呼ばれ顔を上げる。

 

――違います。これ

 

佐為の扇が一枚の棋譜を指す。

伊角がくれたたくさんの棋譜の中から、佐為の示した棋譜をペラリとヒカルは手に取った。

 

「これ?これが緒方先生?」

 

――おそらくは

 

佐為の細められた目が、一枚の棋譜を鋭く射抜いていた。

 

 


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