IF GOD 【佐為があのままネット碁を続けていたら…】 完   作:鈴木_

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33 緒方VSsai

「ちょっと俺、緒方さんに電話してきます」

 

研究会の時間になっても現れない緒方に、芦原は電話をするべく席を立ち廊下に出る。

手合いなどの対局の都合で来れない場合を除いて、緒方は必ず行洋の研究会に参加していた。

もし、どうしても来れない用事が出来たのなら、その旨を誰かに連絡の一つくらい入れてもよさそうなものだったが、緒方から連絡が入る気配はなく、事故か何かあったのではと芦原は緒方の携帯に電話をしてみる。

しかし、返ってくるのは規則的な女性の音声アナウンスが、『電波の届かないところにいるか、携帯に電源が入って~』というお決まりの文句を返してくるのみで繋がらない。

 

――緒方さん、電源切ってる?どうしたんだろ?

 

携帯での連絡を諦め、芦原が研究会の部屋に戻ろうとしたとき、携帯のバイブレーションが振動し、

 

『今、ネットでsaiと互戦で対局してるアカウントって、緒方プロだったよな?』

 

知人からの送られてきたメール内容に、芦原はギョッとしてメールを3度読み直してしまった。

緒方が気晴らしにネット碁をしているのは芦原も知っていたし、緒方のアカウント名も知っている。

メールを送ってきた知人もプロにはなれなかったが、芦原が院生だったとき、一緒に碁を学んだ仲で今でも交流があり、酒が入った勢いで緒方のアカウント名をこっそり話してしまった記憶がある。

 

「え?でも……え?……緒方さんがsaiとネット碁?何でいきなり?しかも互戦?」

 

何が起こってsaiと緒方が互戦をする流れになってしまったのか、頭がついていかない芦原は頭上に疑問符を飛ばす。

 

「芦原さん?緒方さんに連絡つきました?」

 

部屋の障子をすっと開き、アキラが芦原に様子を尋ねる。

その部屋の中で集まったメンバーが芦原に注目していた。

混乱し、整理のつかない頭で、芦原は戸惑いを隠せないまま、

 

「いや、緒方さんには連絡つかなかったんだけど、別のところから情報、みたいなメール来て、なんか緒方さん、ネットでsaiと対局してるっぽい……」

 

 

If God 33

 

 

打っている相手と対面しながら打つ公式手合いではなく、相手の見えないネット碁でこれほどの緊張感、気迫、プレッシャーを感じたのは、緒方は初めての経験だった。

マウスを握る手のひらにじわりと滲み出る汗、口の中がひどく乾いていたが、対局がはじまる前に淹れてきたコーヒーは全て飲んでしまっていた。

 

足がとても速く、少しでも甘い場所には容赦なく鋭く斬り込み、予想もしない場所に打ち込んでは、緒方の大石を追い立ててくる。

認めたくはなかったが、saiに翻弄されていることを緒方は否めない。

 

――打ち筋は確かに進藤と似ている部分があるが、強さは全く比較にならん!

 

姿の見えない相手にこれほどに畏怖を抱くものなのだろうか。

saiの打つ一手一手に怯えてしまいそうになる自身を叱咤し、無理やり奮い立たせる。

 

棋譜を見て並べるだけでも相手の力量は測れるが、実際にその相手と打ってみるとみないでは全然違う。

 

遥かな高みから見下ろされているような感覚になるのは何時ぶりだろうか。

少なくとも緒方がまだプロになっておらず、指導碁を受けていた頃、歴然の力の差がある行洋に、同じような感覚になったことはある。

しかしそれはあくまでプロになる前であって、プロ試験に合格し、タイトルを狙えるほど実力をつけトップ棋士の仲間入りを果たしてからは、そんなことは一度もなかった。

 

――なんだ、この強さは……まるで、塔矢先生と同じか、それ以上だ……

 

盤面を睨みつけたまま、緒方はギリ、と奥歯をかみ締める。

ふくらみ、自身の地を固めておくべきか、それともsaiの地を下から確実に削っておくべきか。

両方それほど差は無いように思えたが、やはり先に手堅く自身の地を固めておいたほうが、と緒方が思いかけて、一手前にsaiが打った一手と全体の石を見比べ、ハッとする。

 

――これは、俺を誘っている!?

 

置こうとした石がピタリと止まる。

確かに、緒方がはじめ考えた通り、ここでふくらみ、地を固めておけばより堅固となり、対局の流れはスマートになるだろう。

だが地を固めず、saiの地を荒らせば、その分複雑さが増しヨミにくくなる。

中盤にあって形勢的に優位なのはsai。

であれば、saiは自身の隙を補強し丁寧に打っていけば、確実に勝てる。

なのにそれをしないで、緒方につけ入る隙を与えているのは、優位であることを度外視し、確実に勝つことよりも緒方とのヨミ比べをsaiが選んだことになる。

ワザと隙を作り、saiがヨミくらべをしようと誘っているのだ。

 

このまま打っても負けは見えている。

 

――その誘い、乗ってやるっ

 

緒方の石がsaiの地に喰い込んだ。

 

その一手以降、対局の流れが全く変わり、緒方が打った下のsaiの地から盤面全体にヨミくらべが広がった。

薄い自身の地を補わず、相手の地に強引に入りこむ。

公式の手合いでは絶対に打たないだろう場所にも平気で打った。

 

小さいヨセに入るまでヨミくらべは続き、はやり緒方が投了して終局する形になったが、ここまで胸躍らせた対局は久しぶりだった。

対局中、緒方は碁を覚え始め、闇雲に打っていた頃を思い出した。

まだプロになるとかそんなことは頭になく、ただひたすら碁を打つのが楽しかった頃だ。

次の一手を盤上から無我夢中で探し、疑いも持たず無邪気に石を打った。

 

「……碁を打つのが楽しい、か」

 

ずっとタイトルをかけたプロとしての碁を打つばかりで、楽しむための碁は久しく打ってなかった気がする。

対局に負けてしまったことは、当然悔しいかったが、それ以上に緒方の胸を懐古の気持ちが緩やかに満たしている。

 

ディスプレイにはまだsaiの名前があることを確認してチャット入力画面にマウスカーソルを合わせ、緒方はキーボードに打ち込む。

 

『お前は誰だ?進藤と関係があるのか?』

 

恐らく何も答えずsaiは消えるだろうと緒方は思っていた。

もしかすると今もsaiの傍にヒカルがいるかもしれない。

となれば、名前を当てられたヒカルが、驚き慌てて画面を消してしまうかもしれない。

 

案の定、saiは緒方の問いかけに答える様子はなかった。

けれど、盤上から消える様子もなく、しばらくして

 

『また打ちましょう』

 

緒方の問いかけには答えず、その一文を残してそのままsaiは消え去った。

 

■□■□

 

『お前は誰だ?進藤と関係があるのか?』

 

「うげっ!どうしようっこれって完全気付かれてる!?」

 

チャット画面に現れた文章に、ヒカルは驚き過ぎて立ち上がった衝撃で、座っていた椅子が後ろに倒れてしまう。

名前を当てられ、ヒカルは急いで対局画面を閉じようとするが、

 

――待って!ヒカル!!

 

佐為の静止にマウスを動かそうとしていたヒカルの手が止まる。

 

「え!?何っ!?」

 

――その……あの……

 

歯切れの悪い佐為にヒカルが焦れる。

 

「だから何!?」

 

――また打とうと!また……打ちましょうと、緒方に伝えてもらえないでしょうか?

 

思い切って佐為が言った願いに、ヒカルは顔をしかめ、

 

「緒方先生に?だってほぼ確実気付いてるぞ、この人。俺が佐為と関係してるって」

 

――そ、そうですよね……無理ですよね……ただ、緒方と打ててとても楽しかったものですから……

 

俯きしょぼんと佐為は頭を垂れる。

やはりそうなると、佐為の落ち込んだ気持ちがとりつかれているヒカルにも流れこんでくるもので

 

「う~~~!!もうっ!責任取れよ!」

 

椅子に座りなおし、ヒカルはガチャガチャとキーボードを打っていく。

 

『また打ちましょう』

 

送信ボタンをクリックし、送信完了画面が現われるやいなや、ヒカルは囲碁ソフトそのものをあっという間にログアウトして、ベッドの中に潜りこんだ。

佐為とヒカルのうち筋が似ていることをすでに緒方は気付いている。

そして、佐為と対局してヒカルの名前を出してきたのに、すぐに消えず、チャットを返してしまった。

 

「あー、絶対バレた!!どうしてくれるんだよ!?バカ!!佐為のバカバカバカ!」

 

――ありがとう!!ヒカル!!でも大丈夫です、私に策があります!

 

バカを連呼し、もぐりこんでいた布団の小山から、ひょこりとプリン柄の頭だけが出てくる。

半分目がすわった目つきでヒカルは佐為を睨んだ。

チャットを返してしまったのに、どういい逃れる術があるというのか。

 

「……何?」

 

――それはですね

 

 


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