IF GOD 【佐為があのままネット碁を続けていたら…】 完   作:鈴木_

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07 行洋VS佐為

対局を終え、ヒカルが佐為との出会いを一通り行洋に話し終えたのは、夕暮れを過ぎ、陽が落ちる間際だった。

 

子供を遅くに家に帰らせては親御さんに申し訳ないと、遠慮するヒカルを説得し、行洋はタクシーを店側に頼んだ。

タクシーを待つ間は、運ばれてきたお茶で話疲れた喉を潤す。

 

「聞いてもいいだろうか?佐為のことは私以外に?」

 

「まさか!!先生がはじめてです。幽霊が見えるとか誰かに言ったところで笑われるのがオチだし」

 

「では、君はなぜ私に佐為のことを話そうと?」

 

一度碁会所で少し会っただけの自分ではなく、両親や友達など自らと親しい相手の方がもっと気軽に話すことが出来たのではないだろうか?

行洋が問うと、ヒカルは一瞬目を丸くし、無防備にきょとんとした表情をしたかと思うと、隣を見てからクスリと笑う。

 

「俺じゃない。佐為が、先生と打ちたいって言ったんです」

 

それがさも当たり前のようにヒカルは答える。

嘘を言っているようにはとても見えない。

 

「そうか、佐為が私と……」

 

行洋の目が細められる。

ヒカルから藤原佐為という幽霊がいるという話を打ち明けられ、後ろを向いたまま盤上を見ずに碁を打つという難業を実際にこの目で見ても、最後の方でどうしても納得できなかった部分が、ヒカルのこの一言で行洋の中から氷が溶けるようにすぅ、と消えていく気がした。

 

平安時代の棋士。

そして江戸時代に一度現世に蘇り、『本因坊秀策』として現代にまで名前を残していた佐為

 

「また打とう。次こそは初めから互戦で」

 

 

 

 

碁笥を己の方に両方置き、対局相手の分まで石を打つというのは、棋譜を並べる以外では行洋も初めての経験だった。

どちらが黒を持つか決める握りは行洋が行った。

それに対してヒカルは「2つ」と先に答えた。

しかし、握った石を数えても、行洋はそれを口にすることなく石を碁笥に戻す。

握られた石の数が偶数なのか奇数なのか、後ろを向いているヒカルには見えていない筈である。

時間にして3分経っただろうか。

 

「左下、星。先生の座っている位置から見てです」

 

ヒカルが黒石を置く位置を口にする。

行洋が握った石は偶数だったから、ヒカルの言った『2つ』は当たっている。

黒石はヒカルだ。

言われた通りに、行洋は黒石を左下星に置く。

そして、行洋は何も言わず右上星に白石を打つ。

 

「左上、星」

 

ヒカルが次の一手を示せば、行洋もまた無言のまま白石を打った。

 

交互に石を打ちながら、行洋はヒカルの様子を何度も確かめる。

ヒカルが背後の碁盤を伺う様子はない。

隠しカメラか何かで盤面を見ているのかと勘ぐるが、この部屋は店の常連しか通さず、碁を打つ場所も行洋が指定したから、予めカメラを仕込んだりすることは不可能だろう。

 

これまで打たれた石で、悪手はない。

それどころか、気を抜けばあっという間にやられるだろう。

先ほど打った置碁以上の、部屋を満たすピリピリとした空気、碁盤を通し伝わる気迫は、どのトップ棋士にも劣らない。

 

「左下、コスミ」

 

ヒカルが次の石の位置を言う。

しかし、行洋はここであえてヒカルが言った位置ではなく、違う位置に黒石を置こうとして、

 

「違う!先生そこじゃないです」

 

石を置こうとした行洋の指が、ヒカルの一言でピタリと止まった。

後ろを向くヒカルの背中をじっと見やる。

 

――本当に見えているのか?後ろを向きながらこの碁盤が

 

驚愕と困惑を抱いたまま、行洋はヒカルが正した位置に石を置く。

 

囲碁はシンプルなゲームだが、石の並びは無限にあり、決して同じ棋譜は出来ない。

こうして行洋が打っている非常識な碁もまた、過去に打たれたことのない、細かく、複雑な石模様が出来上がっていく。

 

幽霊という存在を行洋は信じる以前に、これまで考えたこともなかった

囲碁の高みを目指すことだけが行洋の生きる全てであったから、幽霊という存在は先祖を敬うくらいでしかない。

 

確かにヒカルの歳でこれだけの碁が打てるというのは奇跡だろう。

子供の碁は、必ずどこかに荒さが出る。

幼い頃から碁に親しんできたアキラも例外ではない。

しかし、打たれる碁には練達で研ぎ澄まされた一手があるだけで、荒さは微塵も見られない。

 

一手打つごとに、行洋は知らず胸の奥が熱くなるのを感じる。

それはまだ行洋が若くタイトルを取る前、自分より高段者を前にして、未知の一手を見つけたときや、納得できる碁を打てたときの高揚に似ている。

 

ここ数年、行洋は囲碁を打ち、気持ちが高ぶるといったことは無かった。

囲碁を打つことが辛いと思ったことは一度もない。

これからも囲碁の高みを目指すことに迷いはないが、けれど、ずっと欠けていたものがここに来てようやく見つかった気がした。

 

行洋が打つ一手に、それと同等かそれ以上の一手で応える存在

 

ヒカルが先ほどまで座っていた場所であり、そして今は誰も座っていない空間を行洋は眺める。

そこには後ろを向くヒカルが見えるだけで何も見えない。

碁盤の向かいには誰も座ってはいない。

けれど、

 

――そこに在るのか

 

この気持ちをなんと言い表せばよいか

言い表せる言葉が、この世に存在するのかすら疑わしい

 

――幽霊でもいい。そこに存在し、私の打つ石に応えてくれるのであれば

 

「8の10、ツケ」

 

ヒカルが示す一手に、行洋は無意識にひざの上に置いた拳を握り締める

 

――これは……

 

噛み付かれた、と行洋は思った。

眉間に皺がより、表情に険しさが増す。

一手前で行洋が打った石も決して悪手ではないかった。

しかし、ヒカルの示した石の方が、勝敗に及ぼす働きが強い。

非常識な碁に集中できなかったというのは、言い訳にしかならない。

碁笥から白石を一つとり、考えうる最善の応手をする。

 

対局は大寄せが終わり、小寄せになっても、ヒカルが悪手を言うことはなかった。

小寄せは細かいが、正しい道は一本。

盤面全体を見渡し、次に見えない存在にむかい、

 

「ありません」

 

行洋が投了する。

負けたのに、こんなにも心が晴れやかで満たされていたのは初めてだった。

 

 

 

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