チャイムが鳴り終わると同時に強い光が目を差して、私は堪らず腕でそれを遮る。
目の奥に焼け付いた白が落ち着くのを待ちながら、私はやっと電気が付いた事にホッとしていた。いくらUTXが一般的な学校の雰囲気とは程遠いとはいっても、真っ暗な校舎に一人きりにされるのは怖い。
くらんだ目が落ち着くと、私は腕の下から少しずつ周囲を見回した。
ぼんやりとした視界から見えたもの。
目の前にパソコン。
その奥に窓。
更にその向こうに……
あれ?
何かおかしいな。
停電になる前、私の前には衣装があったはず。
それがなんで?
私は周囲を確認しようと後ろを振り向く。
そこに見えたのは縦長に並んだ机、本棚と、大量の雑誌、そしてアイドルグッズ。
「んんっ!?」
部室だ。
私は一人でアイドル研究部の部室にいた。
なんで? さっきまで私、UTXにいたはずじゃ。
それに窓の外。なんでこんなに明るいんだろう。
穏やかな日差しが、そこに立ち尽くす私を含めて室内全体を照らしていた。
頭がはっきりしてるだけに、余計に混乱が深まる。
壁に掛けられた時計は、今日が平日ならすでに放課後になってしばらく経った時刻を指していた。そろそろ誰か来ていてもいい頃だけど、私の鞄しかないところを見ると、まだ私以外は誰も部室には来ていないみたい。とりあえず誰か来るまで待つべきか。
私はどかっと椅子に座り、頭を抱えた。
いやいやそんな事気にしてる場合じゃないわ。今何が起こったのか考えなきゃ。
UTXから部室。
夜から昼。
私はその間を結ぶ何かを必死に考える。でも当然ながら現実的な答えなんて何も思い付かなかった。
あるとすればどちらかが夢か、それとも私の頭がどうかしちゃったのか。昔読んだマンガで記憶喪失のヒロインがこんな目にあってたような……でも、まさか。私は自分の身に何か起こったのかと想像して寒気がした。
「あーもう!」
私は自分の両頬を両手でギュッと引っ張っる。
どうも今日はしんみりしたり、暗がりに怖がったり……。今はまあ、訳は分からないけど、とにかくこんな顔してちゃダメだ。これじゃ凛の事なんて怒れない。
笑顔よ笑顔。
私は一人にこにーを決めてスイッチを入れ直す。
「にっこにっこにー!」
しかし、一人でこれをやるのも随分久しぶりね。
冷めた目とはいえ、μ'sの誰かにでも見てもらった方がまだマシだわ。これじゃあまるで部員が私一人の時みた……。
「あれ?」
ふと、部室の雰囲気がいつもと違う気がした。
なんかおかしい。
私は焦りを抑えながら、部室を一箇所一箇所確認するように見回す。
「無いわ……」
部室にあったはずのものが無い事に私は気付いた。
大きな炊飯器。
海外に行った時に取った写真。
私達の持ち込んだ私物や、アイドルグッズも明らかに数が減ってる。
私は目頭に手を置いて考える。
盗まれたんだろうか?
いや、最後に部室に鍵を掛けたのは花陽だけど、その時は私も一緒にいた。それより穂乃果か凛辺りがどこかに持って行った可能性の方が……。
ちょっと待ってよ。
そもそも最後に部室って、一体いつの事を言ってるんだろう。部室には今私がいるわけだし、だいたい『今』って、いつのこと?
嫌な予感がした。
私は廊下に慌てて飛び出る。
いつもの廊下、いつもの校舎、どこか遠くから聞こえる生徒の笑い声。
特におかしい様子はない。
誰か、誰かいないの?
μ'sのメンバーを探して私は廊下を走った。
なんでこんな時に限って、誰もいないのよ。
皆を探して3F、4Fと階段を登り、屋上へ向かおうとした時、チラッと目に入ったものに私は引っかかりを覚えて立ち止まった。
掲示板。
学校からの連絡事項や、生徒活動の告知や、大会の結果報告等、様々な目的で掲示物が貼られる板。
何かがおかしいけれど、何だろう。私は間違い探しをするようにゆっくりその内容を確認する。
そして、その違和感の正体に気付いた時、私は体から力が抜けて思わずその場に座り込んでしまった。
「こんなのって」
掲示板に貼られていたのは、
入学式を特集した校内新聞。
新入生に向けた連絡事項。
各部が貼りだした入部勧誘のポスター。
私は困惑しながらも、もう一度そこに書かれていた年度の数字を確認し、頭の中で反芻する。
それは自然と声に出た。
「去年の……春?」
去年の春。
本当に?
いやいや冗談でしょ。
ポスターの書き間違いとか、誰かのいたずらとか。
そうよ、この光景を希あたりがどこかから撮影してて、後々PVなんかに利用したりして……。
私は半ば期待を持って周囲を見回したが、そんな気配は微塵もなかった。
よく考えてみれば今更PVの素材を取っても仕方ないし、何より私が今学校にいたり、急に夜から昼間になったこの状況を説明できない。
あり得るとしたらどう考えても夢なんだけど、夢ならこんなにはっきり夢かもしれないなんて思うかな、妙に現実感ありすぎるし。
とにかく、今は誰かを見つけたい。
私は屋上に向かって階段を駆け上がるとドアを思い切り開いた。ヒュウと屋上の風が私を撫でて、思わず目を瞑ってしまう。
薄くなった視界の先、屋上のフェンスの側に穂乃果はいた。
穂乃果は校庭の方を見つめながら、腕を大きく空に向かって伸ばして春の日差しをいっぱいに浴びている。私はそんな無邪気な姿に気が緩んで、一瞬だけ今の状況を忘れてしまった。
「穂乃果!」
私は気を取りなおし屋上に飛び出すと、扉が閉まるのも待たずに穂乃果を大声で呼んだ。
「はいぃぃっ!」
穂乃果はこちらも見ずにビクリとすくみ上がる。
私は一気に穂乃果に駆け寄ると、肩を掴んで揺さぶった。
「穂乃果、これはどういう事なの!? なんで私達学校にいるのよ!?」
「えぇ!? あのどういうって……」
穂乃果はなんのことやら見当がつかない様子で、体を揺さぶられるまま答える。
「他のみんなは? 海未やことりは一緒じゃないの!?」
「ちょっと、ちょっと待って! あれ? 先輩?」
そう言って穂乃果は私の制服のリボンを指差す。
「ふざけないで! こっちは何がなんだか分からないんだから!」
「すいません! ちょっといいですか!? あの忘れてたらごめんなさいなんですけど!」
「何なのよ、その話し方! いい加減にしないと怒るわよ!」
「えぇっ? いや、ちょっと待って、とりあえず落ち着いて……」
どうやら激しく肩を揺さぶりすぎたらしい、私はここでようやく穂乃果の目がだいぶフラフラと泳ぎ出しているのに気付いてその手を止めた。
「分かったわ……何か言いたいことがあるなら言いなさいよ」
「あのー。私、先輩とどこかで会ったことありましたっけ?」
「はぁ!?」
予想もしなかった穂乃果の質問に肩を掴む手に思わずまた力が入る。穂乃果はまた揺さぶられるのを警戒したのか、私の肩を掴み返して抑えた。
「わぁっ! 私、本当に……名前も覚えてないみたいで」
嫌な予感がした。
「あれ、でも私の名前は知ってる?」
去年の春。
「やっぱり会ったことあるのかな……」
それはつまり。
「μ's」
私が穂乃果の目を見てゆっくりと呟くと、穂乃果は首を捻って「?」と表情で返した。
私の頭はがくりと落ちる。私は半ば諦めの気持ちで穂乃果にもう一度問いかけた。
「あの、スクールアイドルって知ってる?」
「アイドル? アイドルってあの歌ったり踊ったりするやつ?」
「スクールアイドルよ!」
「スクール……アイドル?」
穂乃果はもう一度首を捻り「うーん」と考えこむ。
そういう事か。
分かった。
よーく分かった。
「じゃあ当然、矢澤にこの事も知らないわね」
「矢澤にこ? 誰ですか? あ、アイドルの人?」
それも正解と言えば正解だけどね。答えとしては最悪よ。
予想通りではあったけれど穂乃果の口からそんな事を言われるのは、意外とダメージが大きい。
「私の名前よ」
「うわぁ、ごめんなさい!」
あわてて手をバタバタとさせて謝る穂乃果。演技をしてる様子はないわね、っていうかそもそも穂乃果にそんな演技が出来るわけがない。
穂乃果が私の事を知らない。
スクールアイドルも知らない。
μ'sも知らない。
学校の掲示板は去年の春を示している。
部室にはみんながいた事を示す何もかもがない。
筋は通ってる。
通ってるんだけど、全部おかしい方になのよね。
合ってないのは、私の頭の中のこの記憶だけ。
なんなのよこれは。
そんな事をあれこれと考えていたら、穂乃果はいつの間にやら真面目な顔に変わっていて、おずおずと私に尋ねてきた。
「……でも、やっぱり初めましてな気がするんですけど」
「穂乃果からしたらそうでしょうね」
私の事を、まるで他人のように見る穂乃果の目。
実際、この穂乃果からしたら他人なんだろうけど、なんだかすごく悲しくなってきた。
「でもなんで私の事を知ってるんですか? そういえば海未ちゃんとことりちゃんの事も」
どうしよう私の知る事実を穂乃果に伝えるべきだろうか、それとも様子を少し見たほうがいいかしら。もし説明するとして、そもそもスクールアイドルすら知らない穂乃果にどこから話をすれば……。
「ああっ!」
私はまだ確認していなかった重要な事実を思い出し声を上げた。
「うわあっ!」
突然の大声に驚いた穂乃果が大きくのけぞる。
「廃校……」
そう、この問題をきっかけに穂乃果はスクールアイドルを知る事になるんだった。
μ'sの結成も、私の加入も全てはそこが始まり。
この穂乃果は廃校の問題に対してまだ何も始めてないんだろうか。
「穂乃果、あんた廃校をどうにかしたいんでしょ!?」
「廃校……?」
「音ノ木坂が無くなるになるって事よ。なんとかしなきゃいけないんじゃないの?」
「学校が無くなる……? 学校が、えぇっ!?」
驚きで目を大きく見開いた穂乃果が、これまた大きな口を開けた。
そうか廃校の事をまだ知らないのね。確かに知ってたらもうすでにスクールアイドルにたどり着いていてもおかしくない。
「そうよ、音ノ木坂がピンチなの」
「本当に!?」
「生徒数が少なくて、来年の入学希望者が増えないことにはどうにもならないって」
「大変だ……学校がなくなる、学校がなくなる……」
「とりあえず掲示板を見て来なさいよ。廃校のお知らせが出てるから」
「はい! 見てきます!」
言うが早いか、屋上の扉に向かって脱兎のごとく走り出す穂乃果。
よし、これで穂乃果は廃校を阻止するために何かを始めようと思い立つはず、そしたら私がスクールアイドルを紹介してもいいわね。
まぁ、それはそれでいいとしても、私のこの状況はどうすれば……。
……あれ?
私の中に浮かび上がった違和感。
廃校?
廃校のお知らせ?
掲示板に廃校のお知らせ?
見てない。
掲示板にそんなお知らせはなかった。
再びぐるぐると私の頭を思考が巡る。
私の知ってる去年の春、廃校のお知らせは不必要にこれでもかという程、学校中に貼ってあった気がするんだけど、さっき見た掲示板にはそれが無かった。
それってどういうことなの?
今は去年の春じゃなかった?
廃校の問題が無い?
それは何よりね。そんな問題はないに越したことはないし……。
越したことあるわよ!
廃校の問題がないと、穂乃果がスクールアイドルを始めることもなかったはず、
って事は、μ'sもラブライブの優勝も、何もかも無かった事になってしまう。
それはまずい。
ん?
まずい?
なんで?
廃校がなくてμ'sがなくても、みんなそれぞれの高校生活を続けるだけで、私だってそのまま一人でアイドル研究部を続けていたはずで、何もまずい事なんてないじゃない。ごくごく平和に当たり前の高校生活が続いて行くだけなのに。
そもそもこの現実っていうか世界っていうか、ここはなんなんだろう、あの秋葉原でのライブはどこに行ってしまったんだろう。
この現実は、あの現実に繋がってるのかしら。
私はどうしてこんな事に……。
あーもう、考えることが多すぎて頭が割れそう。
もう一度ちゃんとこの状況を整理するところから始めないと。
とりあえず穂乃果を呼び止めて話をしなきゃ。
「穂乃果ちょっと待った! ……あれ?」
私は、扉に手をかけ屋上を出て行こうとする穂乃果を呼び止めた。
穂乃果が振り向くのが見えたのと同時に、視界がぐらりと揺れて体の力がふっと緩む。
「え? なんです……あ!」
穂乃果の声が遠くに聞こえた。足に力が入らない、倒れる、そう思ったのを最後に私は意識を失った。
* * *
布団の中にいるという事はすぐに分かった。
ふかふかとした感触が気持ちよくて、目を開けるのが勿体無い、まだまだこのまま寝ていたい。
それにしても昨日は疲れたな。何があったかよく覚えてないけど、体も心も重いし、ひとまずゆっくり休まなきゃ。
私が再び深い眠りに入ろうとすると、どこか遠くで声が聴こえる。
――大丈夫かなぁ?
――とりあえず頭を打ったりしていないようなので、大丈夫だとは思うのですが。
――もう少し、様子を見てみないとなんとも言えないね。
穂乃果と海未とことりかしら。
三人の聞き慣れた声が、疲れた私の中で心地よく響く。
そう、みんながいるなら安心して眠れる……。
――しかしこちらの、えっと……矢澤、にこ先輩でしたっけ? 私達の事を知っていると?
――なんかよく知ってる感じだったんだけど、でも二人も知らないんだよねぇ?
――うん、私も会ったことはないと思うな。
――そうですか。それにしても廃校というのはどういう事なのでしょう。
――お母さんも廃校なんてないって言ってたし……。
――うーん、謎だよねぇ。
私はガバッと布団を剥いで飛び起きる。
そうだった! 寝てる場合じゃない。
私はベッドの上にいた。
穂乃果達は私の寝ていたベッドから少し離れたところに椅子を並べて座っていて、飛び起きた私に驚いたのか揃ってこちらを見ながら目を丸くしている。
ここは……保健室?
私が何も言わずにキョロキョロと周りを見回していると、ことりが様子を伺うようにこちらにやってきた。
「あの、大丈夫ですか?」
穂乃果と同じように、ことりはやっぱりことりのままだけど、表情を見ればやっぱり私の知ることりではないと分かる。それは後ろで心配そうに私を見つめている海未も同じで、よく出来たレプリカみたい……でもそれにしては精巧すぎて、私の頭はまた混乱してしまう。
「だ、大丈夫よ。なんか疲れちゃったみたいで」
「よかった」
「突然倒れちゃうからびっくりしたんですよー」
穂乃果がことりと、私を挟むようにベッドの反対側に飛びつく。
「ごめんね……あの、それより私、どうしてここに?」
「私達で運びました」
海未がそう言って微笑んだ。。
私、運ばれたの? 全然気付かなかった。
それくらいすっかり気を失ってたって事か、ライブの後だったし相当疲れていたのかもしれない。いや時間が戻ったんだとしたら、それは関係ないのかな。
そんな事を考えていると、海未が心配そうに私の顔を覗き込んできた。
「でも本当に平気ですか? 何か持病のようなものとか……?」
「いやいや。ちょっと疲れちゃっただけよ、本当、色々あって……」
――そう本当に色々あったの。で、今もそれは起きてるみたい。
とは、とても言えずに私は大きくため息を付いて、何気なく髪を整えようと頭に両手を持っていく。そこで私は始めて頭にリボンが無くて髪が下りている事に気付いた。私をここに寝かせる時に解いてくれたのかしら。私はリボンを探して再び周りを見回す。
「どうしました?」
「いえ、あのリボンはどこかなって」
私は自分の頭をポンポンと叩いて、ここにリボンが付いていたはずだけどと示した。
「リボン?」
海未とことりは二人で顔を見合わせた後、穂乃果に視線を移す。
「穂乃果、先輩はリボンをしていたのですか?」
「へ? リボン?」
穂乃果は腕を組んで眉をへの字に曲げた。そんなに悩まないと思い出せない事なのかしら。
「うーん、してなかったよ」
「え? 赤いリボンよ。してたでしょ?」
私は髪の両端を持ち上げて見せた。穂乃果はそれをマジマジと見ていたけれど結局反応は変わらなかった。
「やっぱりしてなかったと思います」
じゃあどこかで解けちゃったのかしら、だいぶ焦ってたし気付かなかったかもしれない。部室に帰ったら探してみよう。
リボンがないって事に気付いただけで、私はなんとなく気落ちしてしまった。
「ところで先輩?」
穂乃果がベッドの上に乗り出して、ぐいっと私に迫る。近い近い。
「私達の事、なんで知ってるんですか? どうしても私達心当たりがなくて」
そうだった。私はさっき、まだ知らないはずのこの子達の名前を穂乃果に言ってしまっている。
「あと廃校の話も……ね、ことりちゃん?」
「さっき私がお母、あ……理事長に聞いてきたんですけど、そんな話はないって……」
お母さんと言いかけたのが恥ずかしかったのか、ことりは少し顔を赤らめた。
さてどうやって私について、この子達に説明したものかしら……。
「穂乃果、先輩が困っているじゃないですか。今さっき目が覚めたばかりなのに質問攻めにしては失礼でしょう」
「あ、そうだね。ごめんなさい」
「私も。ごめんなさい」
穂乃果とことりがペコリと頭を下げて、私は「いいのよ」と笑み答える。
急に知らない人に名前を呼ばれたり、廃校だなんて言われたら誰だって不思議に思うもの。
そこで私はふと思った。
はたして私のこの状況を、今の穂乃果達に説明する必要があるのだろうか。
私の知っている音ノ木坂では、この時廃校の危機に瀕していて、それを救うべく穂乃果達はスクールアイドルを始め、そしてその危機を救うことになる。
でもそれを話したところで、目の前にいるこの子達に何を求めると言うんだろう。私の知る現実に、この子達が沿わなきゃいけない理由なんてどこにもない。
しかもそれだって、まともに話を聞いてもらえたらって前提だ。
「これが本当の現実なの」なんて、どうして私が言う事ができるだろう。
廃校がないと分かった事で、私にはまだこの世界について色々と確認する必要がある事に気付いた。穂乃果達に話をするのは、自分なりにこの状況を整理をしてからでも遅くない。
私はよし、と一息つくと口を開いた。
「あなた達の事は学校でも少し有名だから知ってたのよ」
3人は何も言わずキョトンと私を見つめるが、構わずに続ける。
「お母さんが理事長で……お家が園田道場で……和菓子屋穂むらの娘さんでしょ?」
私は一人一人指を差して言った。3人は、私が3人の事を知っていたという事より、むしろ自分の事が校内で有名だと言われた事に驚いた様子だった。ことりと海未は戸惑いを隠せないようで、特に海未はその狼狽ぶりがひどい。ただ海未はスクールアイドルがあったって無くたって、特に後輩の間では有名になっちゃうはずだから、私の言ったことに間違いはない言えた。本人は望んでないと思うけど。
「へぇー穂むらも有名なんだねぇ」
穂乃果に至ってはのん気なもので、自分よりお店が有名な事に妙に感慨深そうに唸っている。
「あの……廃校の話は?」
ことりが遠慮がちに尋ねる。今度は痛いところを突かれた私が狼狽える番。
「あ、あれは……勘違いよ」
「勘違い?」
「なんか掲示板にそんなお知らせがあった気がして……見間違いね。きっと」
苦しい。言っておいてなんだけど苦しい言い訳だわ。
ここをしのいでも、じゃあなぜ廃校の事を穂乃果に伝えたのか、そもそも最初に穂乃果に話しかけた理由まで聞かれたらどうしよう。
一旦ごまかそうと思ったけど、やっぱり無理があったかもしれない。
そう私が頭を抱えるのも我慢して悩んでいると、海未がさらりと言った。
「そうですか。確かにそんなお知らせがあったら、取り乱しても無理はないかもしれません」
海未!
私はこの助け舟に思わず抱きつきたい気持ちを堪える。
ことりと穂乃果も特に私を訝しむ様子もなかった。
「私だったらきっと見た途端に倒れちゃうよ」
穂乃果がそう言って「あはは」と笑う。
素直な子達でよかった。
いや、助かったと言うべきかしら。
気付けば、夕方の日差しが室内を照らしていた。
いつまでもここにいる訳にも行かない。
私はそろそろベッドから降りようと靴を探した。
「靴ならここですよ」
ことりがスッと私の足元に靴を置く。
「ありがとう、あっ」
靴を履くためにベッドから降りようとしたら、思ったよりベッドが高くて私は靴の上で躓いた。
前に倒れそうになるのをことりが「わわわ」と正面で受け止めてくれて、飛び込んだ私の鼻をふわっといい匂いがくすぐる。
私は慌てて離れると、真っ赤になったかもしれない顔を隠したくて、靴を履こうとしゃがみ込んだ。
「大丈夫ですか?」
海未がベッド越しに私を気遣う。
「ごめんごめん。躓いちゃったわ」
「やっぱり心配だなぁ。家、ちゃんと帰れそうですか? 私達送りましょうか?」
「いやいやいや、大丈夫よ。大丈夫だから。ありがとう」
穂乃果の提案をやんわり断って、私達は保健室を出た。
* * *
私は、そろそろ下校時間だからと帰る3人と別れ、一人部室に戻った。
さっきはちゃんと確認しなかったけど、廃校の事以外に変わった事があるかもしれない。
部室に入る前に、扉に貼ってあるプレートを改めて確認する。
『アイドル研究部』
うん、部はちゃんとある。
部室に入るとまず本棚のアイドル雑誌をチェックした。当然、春より後の号は置いてないけど、中を見る限りスクールアイドル自体もちゃんと存在してるし、A-RISEや他のスクールアイドルなんかもしっかり載っていた。
本棚にはミナリンスキーのサインも飾ってあった。私はさっき別れたことりの顔を思い浮かべて苦笑する。こちらでは、これがことりの物だという保証はないけどきっとそうなんだろう。
一方で私以外の部員がここにいる事を示すような物は何一つなかった。
μ'sの衣装や私物も無ければ、2つ目の部室になったはずの隣の教室への扉も鍵がかかったままで、まるで私を残してみんなどこかに行ってしまったみたい。
それから私のリボンも探してみたけれど、これは部室のどこからも、私の鞄の中からも見つからなかった。最初から付けてなかったのかしら、でもリボンなしで登校なんて考えられないし……。
私はそこでやっと私がここに来る前、つまりUTXで停電にあった時すでにリボンをしてなかった事に気付いた。だからってここでもリボンをしてないっていうのは理屈が通ってるようでおかしな話ではあるけれど、実際にしてないんだからしょうがない。家に帰れば代わりのリボンもあるし、それ程気にする事もないか。
パソコンの電源を付けてみる。デスクトップに表示された日付は新学期が始まって少し経った頃を指していて、本来なら穂乃果達がもうアイドル活動を始めていているはずの時期だった。
結局、部室内を一通り確認したけれど、おかしなところは特に見つからなかった。
つまり今のところおかしい――私の知る現実と違う――のは、廃校の件とそれによって起こったはずの出来事が起こってないって事。
こうして、なんとなく現状に整理がついた事で、私の心に一旦落ち着きが戻った。
なぜこんな事になってしまったかっていう、根本的な問題は残ったままだけどこればっかりはどうしようもない。
部室の時計を見上げるともう下校時間だ。夕日も大分落ちてきた。
今日はこれで帰る事にしようかな。
そういえばウチのチビ達はどうしてるかしら、ママの帰りが遅いかもしれないし、一応スーパーに寄って帰った方がいいかしら。
私は鞄を肩に下げると部室を出た。鞄に手を突っ込んで、部室の鍵を取り出す。
私が部長を花陽に引き継いだ時、自分の持っていたこの鍵も花陽に預けたはずだった。
でも時間が戻ってしまったのなら、それがここにあるのも当然か。
扉に鍵をかける。
自分で部室に鍵をかけるのは随分久しぶり。なんとなくうれしくなって、指にぶら下げた鍵をくるりと一度回して鞄の中へ。といっても、花陽に部長を引き継いでまだ一ヶ月も経ってないんだけど。
さて帰ろう。
明日は穂乃果達以外のメンバーの様子も見に行きたいわね。
静かな校舎、歩き出す私の耳にブンッとスピーカーの微かなノイズ音が聞こえる。
間もなく、下校のチャイムが鳴った。