チャイムが鳴り終わると同時に強い光が目を差して、私は堪らず腕でそれを遮る。
くらんだ目が落ち着くと、私は腕の下から少しずつ周囲を伺った。
ぼんやりとした視界から見えたもの。
目の前にパソコン。
その奥に窓。
更にその向こうに……
あれ、おかしいな。
私は後ろを振り返る。
そこに見えたのは縦長に並んだ机、本棚と、大量の雑誌、そしてアイドルグッズ。
「んんっ!?」
部室だ。
私は一人でアイドル研究部の部室にいた。
なんで?
さっきまで私は廊下にいて、これから帰ろうとしてたはずのなのに、夕暮れだったはずの外は妙に明るいし、気付けば肩に掛けていたはずの鞄も机の上に置いてある。
私は窓から入る日差しに背を向けて腕組みをした。
なんかこんな事がつい数時間前にあった気がする。
壁に掛けられた時計を見上げる。下校時刻には程遠い。
部室を見渡す限り、様子はさっきまでとなんら変わりはなくて、ただ時間だけが数時間巻き戻ったように見える。つまり状況としてはUTXからここに来た時とまったく同じだ。
さっきようやく整理の付いたものと付かないものを分別したところに、またどかっと謎を置いてかれた感じがして、私はさらに悩むというよりはうんざりした。
ため息を付いて力なく椅子にかける。さっき電源を落としたはずのパソコンはまた起動していた。私はなんとなしに今日の日付を確認する。
あ、一日経ってる。
時間が巻き戻ったと思ったのはどうやら勘違いで、実際は一日経った後の放課後だったらしい。
部室をぼんやりと眺めながら、私はまたぼんやりと思う。時間が一日、グルリと飛んだ。だけど異常な事態なクセに日常感はしっかりあって、まるで自分が勝手に戸惑って勝手に疲れてるような錯覚さえ覚えてしまう。何か騙されてるような、でも何を騙されてるのかもよく分からないモヤモヤとした気持ち。
私はそれを吐き出すように大きく深呼吸をした。
まぁいいわ。
どうせおかしな状況には変わりないし、一年巻き戻ったんだから、いまさら多少進もうが戻ろうが何を慌てる事があるって話よね。
ただ、一つ気になる事がある。私は昨日からこれまでの間何をしていたのか。昨日部室を出て私はちゃんと家に帰ったのか? 今日だって家から学校に登校して授業を受けていたのか? ひょっとしたら ”さっきまでの昨日”と今の間に何の関係もないって事も考えられる。だとすると穂乃果達は相変わらず私を知らないって事になるのかな? だったら少し面倒。
いや、それより昨日もし家に帰ってないんだとしたら、妹達の事が心配だ。
それに気付いた私は慌てて携帯を鞄から引っ張りだすと、家に電話を掛けた。携帯を耳元に持って行った時、今もまだリボンをしていない事に気付いて少しだけ憂鬱になる。
数回のコールで電話は繋がった。
「もしもし、矢澤です」
こころの声だ。
「もしもし、こころ?」
「あ、お姉さま。どうかされましたか?」
こころの普通すぎるほど普通の反応に、それだけですでにほとんどの心配が吹き飛んでいた。気が抜けて思わず返答を言い淀む。
「あぁ、き、昨日の夕飯ってなんだったっけ?」
「昨日のご飯ですか? お姉さまが作ったのですが……」
私が作ったって事はちゃんと家に帰ったんだ。
「あーいや、朝ご飯とごっちゃになっちゃって、どうだったかなーって」
「なるほど。えーと昨日は、シラスチャーハンと、もやしとわかめのサラダと……あと卵スープもありました」
よりによっていつものラインナップか、私が作ったのは間違いない。
私がほっと胸をなで下ろすと、電話の向こうで遠くから「えー」と不満そうな声が聞こえる。ここあの声だ。
「こら、ここあ止めて、うわぁ!」
「お姉さま!」
ここあの声が耳にキーンと響く。どうやらこころから受話器を奪ったらしい。
「いぃぃ……ここあ? どうしたのよいきなり?」
「今日もシラスチャーハンなの!?」
「ええっ?」
ここあは何を勘違いしたのか、こころが話しているのを聞いて、それが今日の夕飯の献立だと思ったらしい。
――違います。お姉さまは昨日の夕飯の話をしていたんですよ。
電話の向こうでこころがここあに説明をしているのが聞こえる。
「そっか、よかった。じゃあお姉さま! 早く帰って来てね!」
ここあがそう言い終わるか終わらないかといううちに、電話は一方的に切られた。
「あれ? ちょっと!」
切れちゃった。
耳を澄ますが当然なんの返りもない。もう、あわてんぼうね。
むこうでこころが慌てている様子が思い浮かぶ。
どうやら私に覚えはないけど、昨日家にはちゃんと帰って夕食も作ってるらしい。こころ達の雰囲気からして、私には特におかしな様子もなかったんだろう。そこについてはひとまず安心してよさそう。
ということはやっぱり、あの下校時間から今まで、私の記憶がすっぽり消えちゃってるっていう事なのかしら。もしそうだったら嫌だなぁ。でも、記憶喪失じゃ私があのUTXからここに飛んで来た理由は説明できないのよね。
結局また謎が一つ追加されただけか。
でも安心した。知らない内に私が何かやらかしてなければいいとは思うけど、とりあえず家にちゃんと帰ってあの子達の面倒をちゃんと見てるわけだし。
「さてと……」
私は椅子から立ち上がる。
また放課後が始まるっていうなら、とりあえず希か絵里にでも会っておきたいわね。この時間なら多分、生徒会室にいるだろう。
あの二人ならすでに私の事を知ってるはずだし、何か分かることもあるかもしれない。
私がそんな事を考えながら部室から出ようとした時、突然扉が開いた。びっくりした私は思わず仰け反り、尻餅を付く。
「す、すいません! 大丈夫ですか!」
「あいたたた、大丈夫よ。って花陽!」
「ひゃいっ!」
心配してしゃがみこんで来た相手の顔を見て私は思わず声を上げた。
直後、うっかり名前を呼んでしまった事に気付いて慌てて口を塞ぐ。
「……ああいや、私は大丈夫よ。ええと何か用?」
「あの、私の事……?」
まいったわ。新一年だし、穂乃果達の時みたいな言い訳もできない。花陽は紛れも無く花陽のままだったけれど、その顔を見れば聞かなくても分かる "この" 花陽は私を知らない。
どうしたものか。
花陽は私を怪しむというよりは少し怖がっている様にも見える。
一か八か、掛けるしか無いか。
私は立ち上がると、花陽に真っ直ぐ向かい合った。
「小泉花陽さん!」
「はいっ! 何か!?」
「アイドルやりませんか?」
「ふぇ!?」
「今年の新一年生の中で目を付けてたのよ! あなたを我がアイドル研究部に勧誘しようって!」
私は大袈裟にそう言って、人差し指をビシリと花陽の顔に向ける。
決まったかしら……。
こうなったら、ごまかしついでに部に引き込んでしまおう。
「えぇ私を!?」
「君は光っている。大丈夫、悪いようにはしないから!」
こんな形だけど、それは本心。
あなたはずっとアイドルになりたかったんでしょ?
大丈夫、あなたは素敵なスクールアイドルになれるのよ。
「あ、あの……」
そう、廃校がなくたって花陽にとってアイドルはすでに大切な存在。
だから私と一緒にスクールアイドルを……。
「ごめんなさい!」
勢い良く頭を下げる花陽。
「へ?」
「失礼します!」
そう言って花陽は部室を飛び出した。開け放たれたままの扉の向こうを、タタタと花陽が駆けて行く音が消えて行く。私は呆気にとられて呼び止める事もできなかった。
「ええええええっ!?」
なんで?
私、何か間違った?
あなた、アイドル好きなんでしょ? スクールアイドルになりたいんでしょ?
違うの?
だとしても何も逃げなくたって……。
穂乃果達やこころ達と話す限り、花陽も私の知る花陽と変わらないと思ってたんだけど、もしかして違うのだろうか。でも、まだ部員じゃないだろうしアイドルになりたい訳でもないなら、花陽はなんでこの部室に来たんだろう。
「なんなのよ、もう」
まぁ、こうなったものは仕方ないか。花陽がいるって事が分かっただけでも良しとして、とりあえず生徒会室に行こう。
私は釈然としない思いを抱えながらも部室を出た。
廊下の掲示板には、今日も当然廃校のお知らせは貼られていなかった。あると言えばもっぱら部活の勧誘ポスター。よく見てみると各部がそれぞれ趣向を凝らし、内容もバラエティーに富んでいてなかなか楽しい。でもそこにアイドル研究部の勧誘ポスターはない。それは私の記憶とも一致していて、三年どころか二年になった時だって部員の募集はしなかった。すでに部員は私一人になっていたけれど、それでも構わないって、アイドルの事に関して言えばその頃の私は相当塞ぎこんでいたんだと思う。
しかし、在校中は気付かなかったけれど、音ノ木坂は生徒が自らの手で学校を変えて行こうとすれば、それにちゃんと答えてくれる学校だった気がする。私達だったから特別な訳じゃなくて、音ノ木坂じゃなかったら果たしてμ'sは生まれて、みんなにこんなに応援してもらえるスクールアイドルになれていただろうか。
こんなに良い学校なのに、なんで廃校の危機になんてなっちゃったのかしら。
いや、こっちでは廃校なんてないんだっけ。
とにかく卒業して初めて気付く学校の良いところもあるのね。
いや、こっちではまだ在校中か、ややこしいな。
生徒会室の前までやって来た。
この時点で、希とはすでに面識もあるはずだからその点はあまり心配していない。ただ、絵里とは部活の予算会議やなんかで顔を合わせた事がある程度で、会話らしい会話はした事がないと言っていい。だから穂乃果や花陽と会った時みたいな失敗はしないようにしないと……絵里相手じゃうまく誤魔化せない気がするし。
軽く緊張。扉の前で一つ息を入れて、開く。
中には絵里と希の二人しかいなかった。机に座って何やら書類に目を通している。
「失礼するわよ」
「あら、にこっち。こんなところに珍しいなぁ。どうかしたん?」
希が書類から顔を上げて私に尋ねる。
「にこっち」という言葉を聞いた瞬間、私の胸に思わずこみ上げてくるものがあった。私を知っているはずの誰もが私の事を知らなかったこの状況で、名前を呼ばれたってそれだけの事がうれしくて。
「今忙しい? 忙しいなら出直すけど」
「大丈夫よ、そんなに急ぎの作業じゃないし」
「そう、それじゃあ」
私は室内に入り扉を閉める。
「えーっと、アイドル研究部の部長の……矢澤さんだったかしら」
予想通り絵里は私の事をよく知らないようだったけれど、思いの外にこやかに話しかけてきた。でも私にしてみれば、それはどうもよそ行きの顔というか『面倒見の良い生徒会長さん』って感じですごく違和感を感じる。
それに付けて『矢澤さん』だ。
今更、穂乃果達に『先輩』って呼ばれるのも大概だけど、これはいくらなんでもむず痒い。
「ええ矢澤にこよ。でも『にこ』って呼んでくれる? 絢瀬絵里さん、私もあなたを『絵里』って呼ぶから」
耐え切れず乱暴に呼び名を決めてしまった。
絵里と希はかなり驚いたようで目を丸くしている。私は内心、怒らせてしまったかと心配したが、むしろその強引さは良い方に働いたみたいで、やがて絵里は不快な顔をする事もなくにこりと笑った。
「分かったわ。改めてよろしくね、にこ」
絵里の横では希がまだ驚いた顔をしている。私は何をそんなに驚くことがあるのかとツッコミたくなったけれど、グッと堪えた。
「それで、生徒会になにか用かしら? 部活の事?」
「いや、大したことじゃないんだけど。あの、今何か問題あったりする?」
「問題? どういうことかしら?」
「学校の事とか、二人の個人的な事でもいいんだけど」
二人が大きく首を捻る。表情を見る限り、私の置かれているこの状況に関して何か情報を得られそうにもない。
「にこっち、何が言いたいん?」
「トラブルバスター的な事でもしてくれるのかしら」
「いや、何もないならいいのよ。別に」
何か裏があるんじゃないかと訝しげな希の視線が痛い。
一方、絵里は指をこめかみに当てて目を閉じる。私の要領を得ない質問に対して、真面目に考えてくれているようだ。
「えっと……にこが聞きたいことはよく分からないけれど、生徒会として見る限り、学校に大きな問題はないと思うわ」
なぜか少し残念そうに言う絵里は、私の期待に添えなくて申し訳ないと言った感じ。
廃校の問題さえなければこの学校は平和なものだ。それは絵里もそう。私はあの春の絵里の厳しい表情を思い出したが、今目の前にいる絵里にはそんな厳しさは微塵も感じられない。
「それより、にこっちは今年も部員勧誘しないの?」
「え?」
希が予想外の角度から投げてきた急な問いに、私の胸がドキリと鳴った。
さっき廊下で勧誘ポスターを見て思っていた事が希にバレる訳もないんだけど、もしかしたらと疑ってしまいそうになる。呑気な顔をして妙に勘が鋭いところがあるから。
「特に……考えてないけど」
見透かされそうな心を隠すように私は視線を逸らした。
でも希は私の心中を読んでいた訳でもなんでもなくて、誰にでも分かる簡単な事実にただ疑問を持っていただけだった。
「このままやとにこっちが卒業したら、部が無くなっちゃうけど?」
「あ……」
「どうも気付いてなかったって顔やね」
気まずく苦笑いする私に希は呆れたよう微笑んだ。
「まぁ、そんなところかなーとは思ったんやけど、せっかくにこっちが作った部活なんやし部員を勧誘するとか考えてもええんやないかな?」
希の言い方は私をバカにするでもなく、諭すようにそれでいて優しさも含んでいて、私の過去を知る希だけに、どうやら新しく部員を入れることについて気を使ってくれている様子だった。
きっと昔の――本来のこの春の――私が言われていたら、そんなことにも気付かずに反発していたに違いない。
「えぇ、ちょっと考えてみるわ」
自分で提案しておいて私の素直な返答が意外だったのか、希はまた驚いた様子だった。
答えながら、さっきすでに花陽を勧誘していた事を思い出したけれど、不可抗力とはいえ強引に勧誘して断られたとはとても言えない。
「あの、にこ。一つ聞いていいかしら?」
今度は絵里が私に尋ねる。
「ええ、なに?」
「余計な事かもしれないけれど、アイドル研究部の活動って今は何かしているのかしら? 前回の予算会議でも部費の要求がほとんどなかったみたいだし」
絵里の口調は真剣だったがその事を責める様子はまったくない。でも私は内心、また痛いところを突かれたと苦い思いだった。
「ま、まあそうね。ちょっと目に付くような事はしてないかもしれないわね」
「だとしたら新入部員を入れても意味が……」
「えりち」
希が絵里を制して、絵里はハッと表情を変える。
「……ごめんなさい。やっぱり余計だったわね」
絵里に悪意はないのは分かってる。二人が言う事はどちらももっともだし、私がこれまで向き合わなきゃいけないのに、向き合って来なかった事でもある。私が作った部活なのに、二人の方がよっぽど部の将来の事を考えてるようでなんだか情けない。
「何言ってるのよ。生徒会なんだから当然でしょ」
「にこっち……」
不安気に見つめる希に、私は大丈夫と頷いた。
* * *
「ありがとう」と言って、私は一人生徒会室を出た。
絵里と希に会えたのはよかったけれど、結局のところ得た情報と言えば学校に特に問題はないって事だけ。それどころか逆にアイドル研究部の方に問題があるって事が判明してしまった。
どうしたものかしら。
何もしなかったのに強引に穂乃果達が部に入ってきたあの時とは大分状況が違う。そもそも新入部員が必要なのか、必要だとしてどう部員を勧誘したものか……今後の活動の事も考えないと。
あれこれ考えながら部室に戻ろうと廊下を歩いていると、ふとどこからかピアノの音が聞こえた。耳を澄ますと、次第に一つ一つの音がメロディを形作って私の頭を満たす。私は吸い寄せられるように音楽室へと足を向けた。
私は廊下を歩きながらその曲を小さく口ずさむ。次第にそれは音楽室から聞こえる歌声と重なっていった。
その曲を私はよく知っている。
『愛してるばんざーい!』
聞こえたのは真姫の歌声。μ'sを知るよりずっと前に作った曲だって言ってたっけ。
私は音楽室の前まで来ると、真姫に気づかれないようにそっと扉に近づく。
真姫はピアノの弾き語りをしていた。目を閉じて伸びやかに歌うその姿は、窓から差す光のせいか何者にも捕らわれないような自由さを醸していた。
そういえば卒業式にみんなでこれを歌ったっけ。あの時は卒業の寂しさやサプライズの驚きもあったけれど、何よりみんなの気持ちが暖かくて胸が詰まる思いだった。
でもこれが、そんな人の心を揺さぶるような曲だって事を目の前の真姫はきっとまだ知らない。
――大好きだばんざーい! 頑張れるから 昨日に手をふって ほら前向いて
ピアノの音が不意に止まり、真姫がこちらを眉を潜めて伺った。
真姫の弾き語りを聞きながら知らぬ間に涙ぐんでいた私は、そこでようやくここが学校の廊下で、そこで教室を覗きながら涙ぐんだりしてるところを見られたりしたら、誰になんと思われるか分からないって事に気付いた。
扉の窓越しだから真姫には気付かれていないと思うけど、多分。
――誰?
窓の向こうでそう真姫が言っている。私は観念して、目を瞬いて涙を収めると音楽室の扉を開けた。
「廊下を歩いてたら聞こえてきたから、気になったならごめんなさい」
「そう、別にいいわ」
真姫は私と目も合わせずに答える。
「自分で作ったの? 今の曲」
「ええ」
「人に聞かせたりするのかしら? プロを目指してたり」
「まさか」
「そんなに上手なのに?」
真姫はポーカーフェイスを気取っていたが、ピクリとその切れ長の目の端が動くのを私は見逃さなかった。
「そんなに甘くないわ」
「でもせっかく作った曲なのに人に聴かせないなんてもったいない気がするけど」
真姫は鍵盤の蓋をそっと閉めて、自嘲気味に笑う。
「私ね。大学は医学部って決まってるの」
私は頷く。
「だから私の音楽は終わってるって訳」
「終わってる?」
「そうよ。だからこうしてるのだって、ただの気晴らし。さっきの曲だってそう」
言い捨てるような口調に、私は真姫が作った曲だと知りながらも、大切な曲がバカにされたような気がして腹が立った。
――ただの気晴らしであんな顔で歌うわけないじゃない。
「え?」
「ううん。じゃあ、これからも気晴らしにこうしてピアノを弾きに来るの?」
「どうでしょうね。勉強に忙しくなったら、そういう事も無くなるかもしれないわ」
まるで音楽に対するこだわりなんて大してないとでも言いたげ。でもその口調も表情も、今の私にはただ意地を張っているようにしか見えないけど。
「でも好きなんでしょ? 音楽」
私の言葉に真姫はハッと顔を上げ、初めてちゃんと目を合わせた。私の言ったことをどう捉えていいのか、意図を読めずに困惑しているように見える。
「好きな事なんだから、自分から終わりなんて決める事ないのよ」
「べ、別に誰も好きだなんて……」
「違うの?」
私は純粋に疑問に思ったことを尋ねたつもりだったけれど、真姫は探られ慣れていない内面を探られた感覚だったのだろう、顔を赤くしてあからさまに動揺を見せた。
「何が言いたいのよ……」
「何が言いたいのかしら」
「……意味分かんない」
真姫は再び目を逸らした。怒っただろうか、だとしても構わないと思った。それだけの価値が真姫の音楽にはあるから。
「また今度、聞かせてもらいに来るわね」
「えっ、あなた何勝手に」
私は手を一つ振って真姫に背を向けた。
「私はとても好きよ。さっきの曲」
* * *
私はアイドル研究部の部室に戻った。
当然、中には誰もいなくて、聞こえる音といえば外で部活をする生徒の声だけ。
そういえばあの春まではずっとそうだったな。
机を指でなぞりながらパソコンの前まで歩く。部員が9人になって、狭い部室だと思っていたけれど、一人になってみるとやっぱり広すぎるくらいに広い。
これから私はどうなるんだろう。
様々な事が次々と起こって考える暇がなかったけれど、一体私はあの日に戻れるのだろうか。それとも、私がおかしくなってしまっただけで実はあっちの世界のほうが夢?
今の状況を知って余裕ができるに連れ、私の中で不安と怖れが次第に頭をもたげてきた。
私はこの時間をどう過ごせばいいんだろう。
――部員を勧誘するとか考えてもええんやないかな?
希の言葉を思い出す。
部員か……。
ひとまず勧誘ポスターくらいは作っておこうか。じっとしてると嫌なことばかり考えちゃいそうだし。私は紙とマジックをパソコンデスクのキャビネットから取り出して、机の上に広げる。
でも入ったところでこんな部活じゃね。
私は一人苦笑した。
集中して何かをしているだけでも気が紛れるもので、手書きの勧誘ポスターが4枚出来た頃には、窓から差し込む陽の光がだいぶ下がってきて橙色に変わりつつあった。私そっくりのキャラクターを真ん中に据えたそのポスターは、ことりの作る程のものじゃないけどなかなかの出来。
私は部室を出ると一階の掲示板から順にポスターを貼って行くことにした。
二階、三階とスペースを見つけては順調にポスターを貼り付け、残り一枚、四階への階段を登ろうとした時だった。
「うにゃーっ!!」
突然、階段の上から何かが飛んできた。
「うわあああ!!」
私はそれを避ける事もできず正面で受け止めてたたらを踏んだが、たまらず後ろにゴロンと倒れた。ぶつかってきた何かも私に折り重なって倒れこむ。
「あいたたた……なんなのよ、もう」
仰向けになったまま、私を押しつぶした誰かさんに文句を言う。
探さなくてもあっちからやってくるんじゃないかとなんとなく予感はしていたけど、こんなタイミングとはね。
「ご、ごめんなさいぃ」
私の胸の上で凛の弱々しい声が響く。
凛らしいと言えばらしい登場だけど、出会えた感傷に浸る間もなかった。
「いいんだけど、早くどいてくれない? 重いんだけど」
それにしても今日というか最近というか、なんだかやたら倒れてる気がする。
「にゃにゃ!? ごめんなさい! 大丈夫ですか? ケガとかしてないですか?」
凛がパッと飛びのいて、ぺこぺこと頭を下げる。
「ケガはないけど……ちゃんと前見て走りなさいよ!」
ああ、そもそも走っちゃダメだっけ。私は制服を手で払いながら立ち上がる。
「はい! すいません! 急いでいたもので」
凛は大袈裟に敬礼して見せた。一応初対面のはずなのについいつもの調子で叱ってしまったけれど、その様子があまりに滑稽でその気持ちも削がれてしまった。
「もう、いいわ。急いでるんでしょ? 早く行かなくていいの?」
「あ、そうだ!」
凛は忘れていたと顔をハッと上げた。ショートの前髪もぴょこんと一緒に跳ね上がる。
「いいから行きなさいよ」
「ありがとうございます! すいませんでしたあ!」
凛は三度程、進んでは振り向いて頭を下げる事を繰り返した後、一気に廊下の向こうに駆けて行った。
少し話をしてみたかったけど、あの様子じゃ仕方ない。でも、これでμ'sメンバー全員に一応会った事になる。だからって何が変わるって事もないんだけど、みんなの顔を見れてなんだかホッとした。
凛が「かよちーん」と呼ぶ声が聞こえる。さっき別れたばかりなのにその声はもう随分遠い。
花陽? そうか花陽を探してたのね。
さっき、部室から走り去った花陽の姿を思い出す。もう大分前の事だけどそれと何か関係があるんだろうか。
程無く四階にポスターを貼り終えた私は部室に戻ることにした。
勧誘ポスターを貼っただけでアイドルとして何をしたわけでもないのに、なんとなく満足していた。正直情けなさを感じないでもないけど、何もやらないよりはよっぽどマシだ。
マシ……なんだろうか?
この部は私がスクールアイドルとして活動するために作った。でもあの三年の春、私はスクールアイドルとして何をしていただろう。
スクールアイドルの研究こそ怠らなかったかもしれない、でも私自身はスクールアイドルと言えたのか。
なぜ私は穂乃果達μ'sの活動を辞めさせようとしたのか。
アイドルの事を何も知らないから? パフォーマンスが全然なってないから?
違う。
それは表面上の事に過ぎなくて、
自分がやりたかった事を、自分がやらなきゃいけない事を次々と実現しようとするあの子達に嫉妬したんだと思う。
結局、一人のアイドル活動では何も成し遂げないまま、私はμ'sになった。
そして今だ。
私は一人でアイドル活動をしていたあの頃の続きにいる。
廃校問題がないという事は、穂乃果達がμ'sを結成する事もない。
――もし、音ノ木坂に廃校の話がなかったらと思ったら怖いよ。
花陽が言っていた "怖い" 世界に今私はいる。
私に何か出来るのだろうか。
それともあの二年間から続く日々を卒業まで繰り返して行くのか。
一人で何が出来るだろう。
部室に着いた私は扉に手をかける。
それが合図だったように、チャイムが鳴った。